随に漂う


■-3

 各々の興味の侭に散らばってからかなり経った。
 ベンチに腰かけ、大水槽を見遣っていたノチアは携帯端末の時計を確認する。時刻は夕方近く、そろそろ三人を迎えに行く頃合いだった。
 色の解らないノチアの目にも光が形を伝え、悠々と泳ぐ小型の鮫や、様々に光り輝く小魚達は魅力的に映る。場を離れるのが惜しい程だった。
 立ち上がろうとすると、水槽の下方から上方へエイがゆっくりと泳いでいく。アユルスとジダルドが気にしていた人参の形の正体だ。此処で二人も答え合わせをしただろう。
 エイを名残惜しく見ながら、ノチアは三人がいるであろう縦長の大きな水槽を目指した。様々に色を変えて淡くライトアップされている水槽には、半透明の体を浮遊させるように泳ぐクラゲの大群がいる。
 周囲に点在するベンチを見回すと、やはり三人が思い思いの場所でクラゲを見詰めていた。ノチアは最も水槽から遠い位置にいたジダルドへと歩み寄り、その肩を軽く叩く。
「……ん、あ、もう時間?」
 漸くノチアへ気付いたジダルドが若干驚いた表情を向けた。
「ええ。じっくり見られた?」
「うん。面白いねえ」
 返事をしながらジダルドは辺りを見回し、すぐにアユルスとナユルの姿を見付ける。二人の話し声にも気付いていないようだ。
「アハハ、あんな風にぼーっとしちゃうもんなんだねえ」
 自身も同じく茫然としていた事が照れ臭そうでもあるジダルドへ、ノチアは穏やかに告げる。
「ねえ、ジル」
「ん?」
「今の貴方は、本当に楽しそう。昔じゃ考えられないくらいに」
 言葉にジダルドは過去を思い出すが、其処に最早苦痛は無かった。生きる事で手一杯だった当時は、穏やかに時を過ごすなど考えられなかっただろう。
「うん。アルとナユルちゃん、ルルムも。三人のお陰だよ」
 迷う事無く答えるジダルドに、ノチアはジダルドの成長を感じ微笑んだ。
「そう……。それなら、これからはどうか貴方の大切な人の為に生きてほしいの。私はもう充分助けられたから」
 これまでのジダルドは意識不明だったノチアを生かす為の生活を送っていたが、ノチアの治療がほぼ完遂された現在ではその必要が無くなっている。生活の目標を失ったジダルドの迷いを見透かしたノチアの言葉は、強い衝撃であると共に感謝の篭もる餞でもあった。それを受け入れられる余裕は、今のジダルドにならばある。
「そうしよっかなあ……。まあ、まだやり方解んないから、ゆっくりやっていくよ」
 悪戯染みた笑顔を浮かべるジダルドもノチアも、自由を謳歌し始めたばかりだった。
 ふとジダルドが水槽の方向へ向き直る。
「……そろそろアルとナユルちゃん呼ばないとね」
「ふふ、そうね」
 過去ではなく今を見て楽しむのは、今を生きる特権なのだろう。



 展示区画を出て土産物売り場へと向かう中、アユルスとナユルは興奮気味に水槽で見た生物の話を交わす。
「お兄ちゃん、エイの裏側って見た?」
「うん、なんか笑ってるみたいだったな」
「だよね、可愛かったなあ」
 二人の前を歩くジダルドは遣り取りを微笑ましく聞き、傍らのノチアはジダルドの様子をも温かく見守った。
 程無くして到着した売り場には、小物から食品まで様々な種類の土産が売られている。全体的に青色をした品が多いのは海の色に因んでのものだろう。
 品物を見て回る中で、ふと最後尾にいたナユルから控えめに声がかかった。
「……あの、みんな」
 三人が振り向くと、ナユルはキーホルダーを指差しながら続ける。
「お揃いのものって、どうかなあって……」
 遠慮と若干の照れ臭さからか、語尾は徐々に萎んでいった。
「わーっいいねえ、二人はどう?」
 提案へ乗るジダルドが尋ねると、アユルスとノチアからも頷きが返る。
「いいなそれ、思い出になるよな」
「記念にそうしましょうか」
「有り難うございます!」
 同意へナユルの笑顔も咲いたところで四人はキーホルダーを眺め、ふと各々が提案の為に手に取った。
「これ……あれ」
 アユルスが驚きに提案の言葉を止める。各々が手に取ったのは、透き通った石の中に立体的なクラゲが入っているキーホルダーだ。アユルスは緑色、ナユルは桃色、ノチアは水色、ジダルドは橙色を手にしている。
「アハハ、綺麗だったもんねえ」
 ジダルドの言葉通り、印象に残っていたものは四人共が一致していたようだ。
「ルルムはどうしよう……持てないよな」
「それなんだけどさ」
 悩ましげに呟くアユルスへ、ジダルドは別の棚からクラゲを模した小さなピンズを摘まんで見せる。モンスター識別用のアクセサリーに追加で付けられるようだ。
「おんなじクラゲだし、これで許してくれないかなーって」
「あぇ」
 ルルムが反応するように声を発し、その珍しさを知る三人は顔を見合わせ、それぞれの驚くさまにまた三人で軽く吹き出す。
「いいよって事にしとこうかなあ」
 ジダルドは笑い混じりに結論付けながらルルムの頭を撫でた。その相変わらずの仏頂面は何処か寛大さを感じさせる。
 揃いのものはクラゲで決まり、今度は個人の欲しいと思う品をそれぞれが見る。ナユルは縫いぐるみの棚を眺め、ジダルドはノチアに尋ねながら食品の棚を見ている中で、アユルスはふとアクセサリーの見本へ目を留めた。添えられた説明書きを読み、価格も無理の無い範囲である事を確認してから品物へ手を伸ばす。
「お兄ちゃん、それ欲しいの?」
 横から声をかけられ、手を止めて振り向くとペンギンの縫いぐるみを抱いているナユルがいた。ペンギンをいたく気に入ったらしい。
「ううん、これは俺じゃなくて……」
 そうして訳を聞いたナユルは、アユルスの持つ一欠片の淋しさに込められた情を知る。
「……こういうの、駄目かもしれないけど」
 自信の無いアユルスにナユルは穏やかに微笑んだ。
「ううん、きっと喜んでくれると思うな」
「うん……。有り難う、ナユル」
 アユルスは安堵の笑顔を浮かべ、アクセサリーの入った小箱を手に取る。かなり軽いそれに込める想いは果てしない。



 土産を購入して水族館を後にし、夕飯を食べる店を探して飲食店の集まる通りへと出た。空腹を刺激するような香りがあちらこちらから漂っている。
「気になったところはある?」
 ノチアに問われて三人は周囲を見回しながら歩き、ふとナユルが一軒の飲食店を指差した。
「あれって……」
 多少動揺した様子にアユルスとジダルドが指差す方向を目で追うと、大きく蛸の描かれた看板が掲げられている。
「蛸、食べられるんだ……」
 アユルスも意外そうに呟いた。つい先程水槽で見たものが食べられるものであり、街中でその料理が売られているとは思わなかったらしい。
「アハハ、食ってみる?」
 ジダルドの言葉にアユルスとナユルは一瞬迷う仕草を見せたが、やがて二人共が頷く。好奇心には勝てなかったようだ。
「蛸焼きだけだと足りないから、色々食べ歩きましょうか」
 ノチアの提案に三人が思い思いに喜び、周囲を注意深く見る。その様子の微笑ましさにノチアは可愛らしささえ覚えていた。



「結構食ったねえ……」
 ホテルへの道を歩きながら、ジダルドが腹をさすり呟く。軽食から甘味まで、種類によって量の違いはあれど四種は食べた結果、全員が満腹になり苦しささえ覚えていた。
「うん……、ちょっと食べ過ぎたかも」
 普段此処までの量を食べる事は少ないアユルスが笑い混じりに返す。
「でも美味しかったし、可愛かったなあ」
 言いながらナユルは食事の締め括りに食べたケーキを思い出していた。一階では甘味はまだ貴重であり、十六階のもののように色鮮やかなものともなれば、貴族であってもまず食べられないだろう。
「ふふ、みんなが気に入ってくれて良かった」
「とっても美味しかったです、有り難うございました!」
 安堵するノチアへナユルは喜びを露わにして礼を告げるが、ふと思い当たったこれからを尋ねた。
「そういえば、泊まるところの部屋割りってどうなっているんですか?」
「二部屋取っていて、ナユルちゃんはアユルス君と一緒よ」
 家族同士を組にして部屋を取ったらしいノチアの答えに、ナユルが若干照れた表情を見せる。
「あの、ノチアさんと一緒って、駄目ですか……?」
 向けられたナユルの憧れの眼差しにノチアは微笑むと、アユルスとジダルドへ振り向いた。
「二人は一緒で大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です」
「俺とルルムもいいよー」
 二人の返答を確認し、ノチアはナユルへと向き直る。
「じゃあフロントで変更を頼みましょう。宜しくね」
「わあ……! 宜しくお願いします!」
 この一日でナユルはノチアへ大いに懐いているようだ。ジダルドはふと、ナユルの様子を穏やかに見遣るアユルスへ気付く。
「アルってさ」
「うん?」
「大人だよねえ」
 ナユルを大切に想うあまりノチアへ嫉妬するのではないかとも思われたが、全くそのような事は無いようだ。
「えっ、どういう事?」
「アハハ、まあ褒め言葉として受け取っといてよ」
 更に首を傾げるアユルスの横で、ジダルドは悪戯染みた笑顔を浮かべた。



 ホテルへと辿り着き、変更手続きの後に客室フロアへ向かう。
 各々が就寝の挨拶を交わして宛がわれた部屋へと入り、ナユルもまた部屋へ足を踏み入れた。ツインの部屋は暖かな色のライトで照らされており、落ち着いた印象を与える。
 荷物を置くと途端に疲労感に襲われ、ナユルは寝台へと腰かけた。途端に沈むマットレスを予想しておらず、勢い付いてその侭後ろへ倒れる。一階ではまず考えられない感触だ。
「ひゃっ……、柔らかい!」
「ふふ、私も最初は驚いたわ」
 ノチアの言葉にナユルは天井を見詰めた侭、気になっていた事柄を尋ねた。
「ノチアさんとジダルドさんは、十六階の出身じゃないんですか?」
「ええ、私とジルは十階で生まれ育ったのよ。私はつい最近十六階に移住したの」
「じゃあ、十六階に来る前は十階に住んでたんですね」
 するとノチアは小さく笑う。
「その真ん中に……住むとは違うけれど、私だけ九階にいたの」
「九階って確か、病院の世界、ですよね……」
 ナユルの言葉は僅かに淀んだ。ノチアの体に残る傷痕や目の意味するところが、その事実と繋がったのだろう。ナユルは上体を起こすとノチアへと向き直った。
「前に、火事に遭ったの。ジルが助けてくれたけれど、私はずっと意識不明だったんですって」
 ナユルにはその詳細は伏せる。これ以上の悲しみは、今は必要無かった。
「ジルがずっと信じてくれて、アユルス君がきっかけをくれて、私はやっと目を覚ます事が出来たの。だから二人は命の恩人ね」
 穏やかに語られる壮絶な話にナユルはふと俯き、次には涙を零す。ノチアはナユルへ歩み寄ると、ナユルの頭をそっと胸に抱いた。
「暗い話をごめんなさいね」
 告げられた謝罪へナユルは小さくかぶりを振る。
「違うんです、悲しいけれど……こうして今があって、良かったって、思ったら……」
 言葉を詰まらせたナユルの頭を、ノチアは優しく撫でた。
「有り難う。私も、こんなに楽しい今があって良かったわ」
 涙を促されそうになりながら、ナユルはふと呟く。
「もし、お姉ちゃんがいたら、こんな感じなんでしょうね……」
「あら。じゃあ私は四兄弟の長女になるのかしら、賑やかね」
 ノチアの冗談にナユルは小さく笑いを零したが、同時に耐え難い切なさに襲われた。
「そうだったら、良かったな……」
「どうしてそう思うの?」
 ナユルに差した淋しさへ気付いたノチアが優しく尋ねる。
「あたし、お兄ちゃんとは血が繋がってなくて……。お兄ちゃんは、無理矢理あたしのお兄ちゃんになったんです」
 変えようの無い現実を告げると悲しみがナユルを襲った。アユルスの責任感の強さも、温かな優しさも、全ての理由を事実に帰結させてしまう。その行為が如何に愚かであるかも、全てを承知の上で止められなかった。
 ノチアはナユルの語った事実へ、事実を以て返す。
「最初はそうだったかもしれないわね。けれど今日、ナユルちゃんといるアユルス君は、とても穏やかで優しく見えたわ。ナユルちゃんの事を本当に大切に想っていないと、あんな風には見えないと私は思うの」
「そう、だったん、ですね……、そうだったら、嬉しいです」
 ナユルの為に罪すら背負ったアユルスの優しさが確固たる証明をされた心地になり、ナユルは喜びを覚えて涙もその侭に微笑んだ。
 その後は雑事を済ませ、充実した一日の疲れもあり早々と眠りへ落ちる。今夜の夢には一段と期待が出来た。



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