随に漂う
■-2
アユルスとナユルの肩を抱くジダルドの腕を、それぞれが掴む。
「それじゃあいくよ」
「うん」
「はい!」
二人の返事に頷いたジダルドは魔力を込め、テレポートした。行き先である十六階の街の光景が一瞬で広がり、途端に耳へ一階とは異なる騒々しさが飛び込んでくる。
「わあ……!」
ナユルが小さく歓声を上げた。建造物が幾つもそびえ立つさまは一階では見られない光景である。
「おかえり、ジル」
背後から呼びかける声へ全員で振り向くと、日傘を差したワンピースの人物が立っていた。肌を服や手袋で殆ど覆っており、唯一露出している顔の皮膚には若干の隆起がある。
「ただいまー」
軽く手を振ってみせるジダルドの横で、ナユルが気付いたように声を上げた。
「あっ、もしかしてジダルドさんのお姉さんですか?」
「そうよ。ノチア・マスカというの、宜しくね」
「ナユル・エレメリータです、こちらこそ宜しくお願いします!」
たおやかな仕草のノチアへナユルが自己紹介を返す隣で、ジダルドはアユルスが若干動揺した表情でいると気付く。ノチアと出会った一連を隠すか否かを迷っているのだろう。
「アルはねえさんに会うの二回目だよね」
「うん……」
ジダルドの一言にアユルスが頷くが、まだ迷いがちだ。ノチアもアユルスの配慮を察したのか、楽しげに微笑んで告げる。
「そうね。アユルス君はそんな顔していたのね」
「えっ、解るんですか?」
驚きを露わにしたアユルスへナユルが首を傾げるのを見て、ノチアが自らの目を指で示した。
「この目、物の形だけはくっきり解るのよ」
「十六階の技術って凄いよねえ」
すかさず飛んだジダルドの言葉も合わせ、ナユルもノチアが義眼であると察しただろうが、ノチアの笑顔は悲しみの付け入る隙も無く、その必要も無いのだと語る。
「さあ、行きましょうか。歩いて五分くらいよ、付いてきてね」
「はい、お願いします」
アユルスの返事へ頷くノチアは身を翻すのも何処か優雅だった。ノチアのすぐ後ろを付いて歩く中でアユルスはふと、ノチアの所作へナユルが表情を輝かせていると気付く。其処には憧れがあるのかもしれない。
目的の水族館は海沿いではなく内陸にあり、人工海水を用いて生物を展示しているらしい。
「主にいるのは五階の海の生き物なのよ」
ノチアの説明に、いつの間にかノチアの隣を歩いていたナユルが短く驚きの声を上げた。
「えっ、じゃあ此処まで運んだって事ですよね?」
「ええ、エスパーとモンスターが総出でテレポートしたんですって」
世界間が塔で繋がっているとはいえ、塔内は無法地帯と同じく野生モンスターが徘徊しており、通行には大きな危険が伴う。世界間の運搬作業は現在でも課題であり、世界間交流を妨げる壁の一つとなっていた。
「展示の為に其処までしたんですか?」
ナユルの尤もな疑問にノチアは頷いて続ける。
「半分は正解ね、生き物の研究や飼育をするのと一緒に展示もしているの。でも実物を見たら、きっと苦労の理由も解るんじゃないかしら」
「そんなになんですか、楽しみです」
二人の会話を後方で聞いていたアユルスは、隣を歩くジダルドへ尋ねた。
「ノチアさん、水族館に行った事があるのかな」
「みたいだよ。みんなで行きたいって思ったのも、一回行って凄かったかららしいしね」
「そうなんだ、どんなのだろうな……」
形しか解らないノチアですら虜にしたという水族館の展示へ、アユルスは期待を膨らませる。その表情につられ、ジダルドも楽しさを隠さなかった。
やがて辿り着いたのは大型の建物だ。一階には存在しない灰色の建物自体は殺風景な印象を与えるが、その前には爽やかな青色をしたモニュメントが設置されており、周囲を手入れされた植え込みが囲っている。
「此処よ」
足を止めて振り向いたノチアが入り口を手で差し示したが、ジダルドですら怪訝な表情でいた。
「海の生き物がいるように見えないんだけどなあ」
「あら、それじゃあとても驚くでしょうね」
楽しげに笑い、また歩き出すノチアの後を付いていく。そうして建物内へと入り、見えたのは受付らしき場所だ。
「入館チケットを発行してくるから、ちょっと待っていて」
全員分の代金を支払うつもりでいるノチアへ、アユルスが慌てて前へ歩み出る。
「俺も行きます」
するとノチアが緩々とかぶりを振った。
「いいのよ、今日は私の我儘に付き合ってもらったんですもの」
「……有り難うございます、それじゃあ精一杯楽しみます」
大いなる迷いの末に受け入れたアユルスに実直さが見え、ノチアは微笑みを返す。受付にいた係員へノチアは掌程の大きさを持つ光る板を見せ、紙のチケットを五枚受け取った。
「ただいま」
「えっ、もう手続きしたんですか」
驚くアユルスへノチアは頷き、先程光っていた板を見せる。今は黒い板に見えた。
「ええ、これでね。色々な情報を遣り取り出来る機械なの」
「こんなに小さいので……。十六階の技術って、やっぱり凄いんですね」
アユルスの言葉に感心はあるが、羨望は然程無い。階によって技術の進歩の違いはあるが、各階に住む人々の殆どは文化的な違いとして捉えている。各階の文化が混ざっても文明が混ざりにくい一因だった。
「凄い分、解らない事も沢山よ」
格段に便利であろうと、慣れない文化への適応は相応に難しい。ノチアは治療や生活といった必要に迫られた上で十六階へ移住したが、その苦労も大きかっただろう。
板をしまい、ノチアは全員へチケットを配り終えると食堂を指差した。
「まずは何か食べましょうか」
空腹を覚えていた三人も提案へ乗り、食堂の入り口前に大きく掲示されたメニュー表を見る。メニューにはアユルスとナユルには馴染みの無い料理もあるが、それぞれが気になった料理を決めて注文し、受け取り口で料理の乗った盆を受け取ると四人掛けのテーブル席へ着いた。
「これ、何だろう」
パンケーキを注文したナユルが表面の焼き印に首を傾げる。尖った口をしており、首から胴体は太い。
「それはペンギンね、鳥の一種なの」
パスタを食べているノチアが答えを返し、セットのパンを手に取った。パンにも同じような焼き印があるが、そのポーズは異なっている。
「ペンギン……、どんな鳥なんですか?」
全く想像の付かないナユルへノチアが笑いかけた。
「それは後で答え合わせしましょう、此処にもいるのよ」
「そうなんですか! 楽しみです!」
二人の会話を聞きながら、アユルスはスプーンに乗せた人参を繁々と見る。何かを象った形をしているが、細長い尻尾のような部分以外は平たく、魚とは思えない。
「それも後で答え合わせ出来るんじゃない?」
傍らのジダルドも同じ料理を頼んでおり、同じ形の人参が飾られていた。
「ふふ、そうしようかな」
そうしてアユルスはスプーンに乗せた人参とカレーを口に運ぶ。途端に口内へ広がった複雑な味に目を白黒とさせ、その様子にジダルドが笑った。
「アハハ、もしかしてカレー食うの初めて?」
「うん。美味しいな……」
しみじみと呟くアユルスを見つつカレーを口にしたジダルドは、ふと気付いたように声を上げる。
「あ、これはだいぶん甘口だけど、カレーって元々は辛いんだよ」
「そうなんだ、いつか辛いのも食べてみたいな」
辛い料理好きというよりは純粋な好奇心であり、怖いもの知らずなのかもしれない。
腹ごしらえも済み、ノチアの案内で展示区画の入り口へと向かった。その向こう側は光が揺らめいている。
「上を見ていて」
ノチアに言われるが侭、三人は上を見ながら入り口をくぐった。トンネル状になった周囲は水が張られており、陽の光が煌めいているだけだったが、突如黒い影が横切る。
「あっ、あれ!」
ナユルが驚きの声を上げた。軽やかに水中を泳ぐものには嘴があり、しかし柔らかな羽毛があるようには見えない。そうして何羽も縦横無尽に泳ぐさまは飛ぶようにも見えた。
ノチアも水槽を見上げながら説明する。
「あれがペンギンね。飛べないけれど、とても泳ぎが上手な鳥なの」
「へえー、はっや!」
あまりの泳ぐ速度にジダルドも驚き、上を向きすぎて頭の上からずり落ちてきたルルムを押さえた。飛ぶ鳥の形をしたルルムはとても泳げないだろう。
「水の中じゃないみたいだ……」
アユルスの呟きにノチアが補足した。
「そう見えるように展示を工夫してこうなったんですって。だからアユルス君の見方は当たりよ」
「そうだったんですか、凄いな……」
アユルスの深く感動の篭もった言葉はペンギンにも工夫にも向けられたものだろう。
そうしてペンギン達が泳ぎ回るトンネルを時間をかけて抜けると、全体的に薄暗く青い空間へと出た。辺りには大小様々な水槽が柱状に設置されており、水槽だけが明るく照らされている。
「あ、小っちゃいのがいる」
ナユルが水槽の一つに近付き、其処にいる小さな生物を見る。細長い体を縦にして小さな鰭を動かすさまはとても魚には見えない。
「タツノオトシゴ、だって」
「へえー、こんな可愛いのいるんだねえ」
水槽に添えられた説明を読み上げるアユルスの横で、ジダルドも興味深くタツノオトシゴを見遣った。タツノオトシゴの泳ぎはあくまでもゆっくりとしたものであり、緩やかな時を思わせる。しかし其処でふとアユルスが長く見惚れていた事に気付き、ノチアを振り向いた。
「済みません、次に行きましょうか」
焦るアユルスへノチアは楽しげな笑いを零す。
「いいのよ、私だってそうしたもの。そうだ、此処からは自由行動にしましょうか」
「それじゃあ……、あれ、時計は……」
アユルスが周囲を見回して時間が解るものを探すが、ノチアに軽くかぶりを振られた。
「此処に時計は無いのよ、時間を忘れるくらいですもの。時計は私が持っているし、帰りの時間になったら呼びに行くから安心して」
「でも、何処にいるか解るんですか?」
アユルスの不安も尤もだったが、ノチアは笑みを崩さない。
「大体ね」
その根拠も今はノチアのみが知るようだ。
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