随に漂う
■-1
「すいぞくかん?」
父であるルイセも同じ反応を示し、思わず兄妹で吹き出す。
「笑ってないで説明してくれないか」
困り果てたルイセへアユルスがまだ笑い混じりに告げた。
「ごめんなさい。海の生き物を展示してあるんだって」
「海の生き物……要は魚か。その、それを見て、楽しいのか?」
ルイセの疑問も尤もであり、一階の住人にとって魚は単に食べるだけのものでしかない。殊更観察するようなものではなく、あまりに不可思議な行為である。
大いなる疑問にはアユルスの隣にいるナユルが答えた。
「殆どの人がずっと見惚れちゃうんだって。だから日帰りじゃなくしたんだって言ってたよ」
ナユルの瞳は期待に輝いており、余程楽しみなのだろう。其処へアユルスが畳みかけた。
「一週間あれば帰れると思うんだけど……」
目的の水族館は十六階にあり、時の流れも異なる。十六階で一泊二日を過ごせば、一階へ帰る頃にはアユルスの言葉通り五日から六日程度が経過する見込みだった。
「それなら、アユルスは休みは取れたのか?」
「なんとかね。帰ったら忙しそうだけど」
休暇をもぎ取ったアユルスの努力も示され、ルイセは悩ましげに小さく唸るが、待ち望む二人の表情に自らの中で既に答えが定まっていると悟り、観念して一つ頷く。
「……解った。気を付けて、楽しんでこいよ」
許可にはしゃぐ二人の姿が眩しく、ルイセは口元の緩みを抑えられなかった。
自室に戻ったアユルスは、結果を知らせる為に意識を集中させる。
『ジダルド、今いいかな』
合言葉の後に思念で呼びかけると、多少間を置いて返答があった。
『うん、いいよ。どうだった?』
返った思念はジダルドのものだ。こうしてジダルドが繋げるテレパシーで連絡を取るのも随分慣れてきていた。
『父さんの許可が出たから、俺もナユルも大丈夫だよ』
『わあやった、ねえさんに言っとくね』
ジダルドの思念にも喜びがありありと表れ、アユルスの口元に笑みが浮かぶ。
今回の旅行の発案者はジダルドではなく十六階で暮らすノチアであり、三人がその内容を全く知らない施設である水族館が目的だ。アユルスは九階の一件以来ノチアと久しく会っておらず、ノチアのその後も気になっていた。
『うん。楽しみだな』
『そうだねえ。楽しみすぎて今から寝られなかったりして?』
『そうかも』
眠れない程の期待を言い当てられ、アユルスの思念が笑い混じりになる。
『じゃあ五日後、朝の間には迎えに行けると思うよ。其処から飛ぶと十六階は昼っぽいね。帰りは多分夕方かな』
『そうなんだ。確認大変だったよな、有り難う』
テレポートを駆使しておおよその時間を計ったのだろう。ジダルドの努力の賜物をアユルスが労うと、ジダルドの楽しげな返答があった。
『大変だった分、うんと楽しんでよ?』
『勿論。それもみんなでだよな』
『アハハ、そうだねえ。じゃあ今日はこの辺で、おやすみ』
『またな、おやすみ』
会話を終えると途端に静けさが漂う。其処に僅かな淋しさがあるのは、アユルスを支える人々のいる現在があるからだろう。
ひとまずは明日の支度をする中で、アユルスはまだ口元が緩んでいるのに気付き、一人小さく笑った。
五日間を平穏無事に過ごし、旅行当日を迎える。ジダルドによれば必要な持ち物は着替え程度らしく、想像する旅行とはかけ離れた荷物の軽さに二人は若干の不安すら覚えていた。ジダルドが迎えに来るまでを待つ間、荷物を手に室内をうろつく二人へ、出かける準備を進めていたルイセから声がかかる。
「二人共、それじゃあ今から疲れるぞ」
「だって、なんか……」
「ね、なんかね」
歯切れの悪い言葉に二人の落ち着かない心が透けて見え、ルイセは苦笑しながら告げた。
「まあ、楽しんで無事に帰ってこいよ」
それに二人が返答しようとした瞬間、玄関が軽くノックされる。続けて声が聞こえた。
「おはよーございまーす」
冗談めかした声はジダルドのものだ。すぐさま二人で玄関へ駆け寄り、扉を開ける。扉の向こうにはやはりジダルドが立っており、その頭の上にはルルムもいた。ルルムは相変わらずの仏頂面でいる。
「おはよう」
「おはようございます!」
急くような二人の姿にジダルドが楽しげに笑った。
「アハハ、元気いっぱいだねえ」
「さっきまで家の中をうろついてたからな」
後ろから補足したルイセへ二人は困った目を向けるが、ルイセは堪えていないように小さく笑ってからジダルドへ向き直る。
「二人を宜しくな」
やや真剣味を帯びたルイセの言葉にはジダルドへの信頼も滲んでいた。ルイセは殆どアユルスやナユルを通してしかジダルドを見ていないだろうが、その上での信頼にジダルドは感謝の念を抱きながら満面の笑みを向ける。
「任しといてよ、うんと楽しい旅行にするからさ」
アユルスやナユル、ジダルドさえも期待に満ちた様子は爽やかにも見えた。それは良い思い出を作ると信じるに値するのだろうと、ルイセは軽く笑いを零す。
「まあ、土産話で答え合わせだな」
返す言葉に不安は無く、それも平穏の証であると語った。
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