「Stray Sheep」あらすじ
■-10 異端
Stray Sheep
七日前。剣の城へ辿り着いたアースラ達は、剣の城下町が滅んで久しい事を荒廃した現状で知る。剣の王は殺人鬼であるといわれていたが、王がまだ生きているのかも解らなかった。
城内を進むと、腐敗臭と汚臭の漂う玉座に人影があった。アースラ達を捕捉するなり襲いかかったのは、赤い目をした人間だった。英雄の剣で斬りかかる赤目の人間はアースラと斬り合いになるが、ある時アースラに蹴り飛ばされ剣を取り落とした。
ふと立ち尽くすアースラへとどめを促す声が飛ぶが、アースラは動かない。
「この人は……この人は、俺と同じなんだ……」
恐怖に蹲る剣の王の姿がアースラ自身と重なった。
衰弱し、瀕死の状態だった剣の王。来る者を皆手にかけ、空腹ならば何であろうと肉を食らい、辛うじて生き長らえていた。
「皆私の敵だった。敵は皆排除しなければ私が生きられなかった。ただそれだけの事」
剣の王の望みがただ生きる事だと知り、赤目への認識が変わる。一縷の望みを懸けて鎧の城を目指すアースラ達へ、剣の王が問う。
「何故、そう……前向きに考えられる」
それにはユーリが答えた。
「おわりじゃないよ、はじまってないから」
九人は鎧の城へ辿り着き、王への謁見も滞り無くかなう。鎧の王の傍らには妃となったパーラもいた。
剣の王の保護を頼むアースラ達へ、鎧の王は尋ねる。
「殺人鬼と称された剣の王の本質を見たというのか。だが何ゆえに保護を求める? 一人生き抜いたならばその強さは真であろうに」
「このかたが世界から追放されたかただからです」
大規模な例えに納得は薄い。そうして鎧の王はローブを目深に被る剣の王へ素顔を見せるよう要求する。
「王、どうか……どうかこのかたを殺さないでください」
アースラの言葉に鎧の王が答えられずにいると、剣の王はローブを取り去った。
鎧の王と妃が茫然とする中で、剣の王は堂々と告げる。
「鎧の王よ。異端者の末路は死だ。私はそれを拒んだ。全てはそれだけの事。自らを殺さんと迫る者に、どうして抗わずにいよう。何者も己の命は惜しい」
落ち窪んだ目には僅かだが生気があった。
「死と恐怖の狭間で私は生きてきた。次に誰を殺さなければならないのか、考えるだけで慄いた。だが最早、その心さえ失ってしまった。王よ。私の全てをどうか来世に残してはくれまいか。今までに死んだ赤い目の人間を弔ってはくれまいか。もしそれがかなうならば、私は死を甘んじて受けよう」
鎧の王は深く考え、やがて一つの答えを出した。
「貴公の全てを残そう。全てだ」
「王、それは……!」
アースラに、鎧の王は頷いてみせる。八人の中で歓声が上がる。
「貴公の願いと共にその命を残す。貴公以外に誰が無念を晴らせよう。貴公は生き証人となるのだ」
告げられた剣の王はくずおれ、覇気の無い声で呟いた。
「私はもう、殺される事は、無いのか」
それは自問だった。
「そうだ。貴公は、この世界で生きられる」
鎧の王が代わりに答えると剣の王は顔を上げ、今この時を確かめているようだった。
「貴公の名を、どうか教えてくれまいか」
名前があるかどうか解らなかったが尋ねてみると、剣の王はそっと口を開いた。か細い声だった。
「カエサレア……、カエサレア・マシーカ……」
Stray Sheep SIDE
剣の王・カエサレアのその後。
捕虜との形で保護を受けたカエサレアは暫く収容所にいたが、やがて鎧の城で暮らし始める。
その初日、ジェレイクはカエサレアを一室へ呼ぶ。護衛もいない、ただ書き取りの従者を側に置いて尋ねた。
「聞かせてくれないだろうか、貴公の生きた時を」
「母は私を愛してくれた。そうして私は育つ事が出来た。食事の毒見をし、教育を施し、名を呼んでくれた。だが母は父も愛していた。父は私を殺そうとした。私は死を拒み、父を殺した、父の持っていた英雄の剣で。死した父を見るなり母は叫び、私に刃を向けた。そうして母も殺した。次に役人が来た。次に兵士が来た。気が付けば城の者皆が来た。皆が私を殺そうとした」
「城を出ると、町の者が来た。大人達は殺せた、だが子は最初殺せなかった。大人とは違うと思っていた」
「剣を引き背を向けると、子は私を刺した。そうして子も殺した。逃げる者も後から私を殺しに来ると思い、殺した。すると国にはもう誰もいなかった」
「暫くして、知らぬ者が殺しに来た。私を見ると一層殺意を持って向かってきた。もう数えきれなかった。全て殺すしかなかった」
吐き出すような言葉の数々に、ジェレイクは努めて穏やかに尋ねる。
「貴公は、その時どのような心地だった?」
「心地……」
カエサレアは思考する。
「何も感じなかった……、その前は……次に誰を殺せば良いのか考えていた……、その前は……弱きを殺せなかった……、その前は……」
気付けば絶叫していた。ジェレイクから宥められ、徐々に落ち着きを取り戻すカエサレア。
「怖、かった……」
「殺したく、なかった……」
「あいしてほしかった……」
最後の言葉を残すと、叫びは消え去った。
カエサレアの言葉を記録した本が国内で出版されると、異端者排除の意識も急速に薄れていった。
カエサレアは漸く訪れた平穏の中、自らの出来る事を探していた。
ある時、城の庭園で侍従の人間女・ソロウと出会う。侍従にしては十代前半と若すぎる外見のソロウについて、ジェレイクへ尋ねてみる。
「あの者は、赤目でこそないが異常な体質でな」
「老化がぴたりとやんだと言っていた。事実、あの姿の侭でもう六十年近く此処にいる。本来は齢九十を越えていた筈だ」
他者へ触れようとしているカエサレアを、ジェレイクは穏やかに見守った。
血に塗れた手ではソロウに触れられない。悩むカエサレアへソロウは告げる。
「この御手に、どうして優しさが無いといえましょう」
「私の手は穢れている。数多の血を浴び、数多の恨みに塗れた」
「穢れているとお思いですから、この御手は優しくなれるのではないですか」
否定の言葉さえ掻き消す思いが、カエサレアに光を見せた。
ジェレイクへ戦への参加を志願するカエサレア。鎧の城より西の山を拠点とするモンスターの軍勢との戦いはまだ続いていた。
「守りたいものが出来た。私は戦う事しか出来ない」
「ふむ、守りたいもの。それが何か訊いても良いだろうか」
「ソロウ」
正直且つ素直すぎる返答へ面食らいながらも、ジェレイクはカエサレアの申し出を受ける事に。
常人には持てない巨大な剣を使い、戦で活躍するカエサレア。だが湧き上がる恐怖は抑えられなかった。
帰還したカエサレアの腕の傷を見てソロウが問う。
「何故、貴方様が傷付かねばならないのですか」
カエサレアは浮かぶ言葉を一つずつ紡いだ。
「私には力が無い。殺すだけの力しかない。解らない」
「この力しか無い。戦うしか知らない。殺す事しか知らない。他に何が出来る。私は解らない」
カエサレアの迷いをソロウは解いていく。
「誰かを想うだけでも人を守れます。心の支えになるのです。そしてご自身が壮健でいらっしゃる事、それにより心は安息を得ます」
「体ではなく心を守るのです。心は体以上に脆いものです。体が傷付いても心は傷付かない事がありますが、心は傷付くと何もかも壊してしまいます」
カエサレアの認識は崩壊する。全てが無くなったその跡に、一つが芽生えた。
カエサレアを見た王妃パーラから告げられる。
「お変わりになられましたね」
「どのように?」
「前は迷い道におられました。けれど今は、進む道を探し当てられたように見えます。それは、誰かへと繋がる道ですね」
「……そうだな」
少なからず噂になっていたと知ったが、悪い心地はしなかった。
ソロウへ、側にいたいとの願いを伝えるカエサレア。
「どうしてなのか解らない。いつからそう思うようになったのか解らない。だが今は、これだけしか浮かばない」
「……ゆるしてくれるだろうか」
ソロウは全てへの赦しを請うカエサレアの手を取る。
「はい」
「……良かった」
「はいはい、其処まで」
突如として聞こえた優雅な声の主は見えない。
「ドラマティックだったよ、でもそう簡単に幸せになってもらっては困る」
「誰だ」
カエサレアの厳しい言葉に、男とも女ともつかない声は答えない。
「意見など許していないぞ。さて、飽きたから終わりにさせてもらうよ」
「何を――」
言いかけたところで突如ソロウが叫び、倒れる。カエサレアがその体を受け止めるしか出来ずにいると、やがて内側から奇妙な音が聞こえた。ソロウの手が枯れ果てる。瑞々しさを失くし、骨と皮になる。顔も引き攣れ、肉を削ぎ落としたようにこけていく。
「貴様、ソロウに何をした!」
声は溜め息をついた。
「痛いだろうねえ、止めた時間を一気に動かしているからねえ」
「時間」
本来の体になれば命が尽きてもおかしくないだろう。
「止めろ!」
「いやいや出来ないね。もう終わりだ」
声は飽き飽きとして、去ろうとしている。
カエサレアは迷い無く叫んだ。
「私の時間をソロウに移せ!」
「ん?」
絶望に向かい、有らん限りの声を張り上げた。
「私の残りの寿命をソロウに移せと言っているんだ!」
「おお? おお!」
声は一瞬驚愕し、次に高らかに笑った。不愉快極まりなく美しい声だった。
「これも何とドラマティック! 有り難う! 有り難う! お礼にそれを叶えてあげよう!」
瞬間、カエサレアの感覚は消えた。
目覚めたソロウは鏡を見て驚く。二十後半の姿を確かめるソロウへ、パーラが告げた。
「カエサレア様はご存命です。貴方とあのかた、お二人は運命を共にする結果となりました。その生も、その死も、同じものを」
「同じもの?」
「あの声は言いました、カエサレア様の寿命で、貴方の肉体だけは戻した、ただし寿命は、あと保って五年」
カエサレアは一時的に衰弱していた。涙するソロウへ、カエサレアは穏やかに告げる。
「生きよう……ソロウ」
「花は今日も咲く」
「明日はどうですか」
「明日も咲くだろう」
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