それは確かに甘くあり


■-4

 控えめに玄関を叩く音で目が覚め、ルイセは食卓で転た寝をしていたのだと気付く。来訪者の見当は付かないが、ひとまず席を立つと玄関をゆっくりと開けた。動くものに気付き目線を下に遣ると、顔の落描きが描かれている白いシーツを被った、背の低い人物が一人でいる。
「こん、ばんは」
 恐らく少年であろう震えた声は、恐怖によるものか冷えた空気によるものか判別出来ない。だがどちらでもルイセの行動に変化は無かった。
「こんばんは。菓子が欲しいなら、合言葉は?」
 シーツの幽霊が僅かに蠢いて勇気を振り絞る。
「トリック・オア・トリートっ……」
 ルイセは小さく笑って頷くと、幽霊へ手招きした。
「ふふ、クッキーと温かい茶でもどうだ?」
「うん……ちょっとさむかった……」
 幽霊が身をよじりながら応える。その正直さにルイセはまた笑った。
 家の中へ小さな幽霊を招き入れたルイセは、茶の入ったポットを火にかけながら食卓の紙袋を指で示す。袋は念の為と数個残しておいたが、あまり期待していなかったので内心は驚くばかりだった。
「座って待っていてくれ。テーブルの袋がクッキーだ、好きなものを選んでいいぞ」
 シーツを両肩にかけ、幽霊ではなくなった少年は食卓に着くと興味深く袋を見る。
「うん。……かわいい」
 色とりどりの星の飾りへ思わず零した感想に、少年を振り返ったルイセはともすると初めてかもしれない誇らしさを覚えた。
「有り難う、うちの子達も喜ぶだろうな」
 言葉に袋を手に取った少年の表情が曇る。引き合いに出されたアユルスの存在が恐ろしいのだろう。その事実こそ悲しいがあの絶望は呼ばず、代わりに尋ねた。
「どうして此処に来たんだ? 家は他にもあっただろうに」
 少年の袋を持つ手に若干の力が籠もる。
「ほかのいえは、みんながもういってるから……ぼくなんかは、ここくらいしか……」
 悪評は広く浸透してしまっているようだが、少年の言葉には悪意が無い。その中で推測出来る事実をルイセはそっと尋ねた。
「みんなとは、仲が悪いのか」
「……ぼく、いつもひとりなんだ」
「そうか。それで頑張ったんだな」
 大いなる勇気を尊重するルイセへ、少年は頷いてからまた口を開く。
「あの……、ここのこは、やっぱりひとりぼっちだったの?」
 アユルスの受けた迫害と少年の状況は違うのだろうが、その苦しみは比較するものではない。ルイセは頷き、過去となった苦しみをなぞりながら答えた。
「そうだな。子供だけじゃない、大人も誰も助けなかった。助けてもらいたかった俺にも助けてもらえなくて、本当に独りでいたな。周りも俺も、あの子に酷い事をしたんだ」
 本来、無理にでも助けるべきだったのだろう。それが出来なかった当時のルイセは弱く、そして弱りきっていた。アユルスの願いを優先していたようで、その実は己の弱さでしか動けなかっただけだ。その後悔は果てしなく、そして意味が無い。
 ルイセは今に続く苦さを思いながら、少年へ尋ねる。
「お前には、助けてくれる誰かがいるか?」
「……わかんない、けど、おとうさんとおかあさんは、たすけてくれるかも」
 少年は自身の苦しみを両親へ打ち明けていないようだ。ルイセは注ぎ口から湯気を吹き出したポットを取り、マグカップへ茶を注ぐと少年の前にそっと置く。
「それでも、親には言いにくいか」
 少年は小さく頭を下げながらマグカップを手で包んだ。その僅かな仕草でも、少年の丁寧な性質が見て取れる。
「きっと、しんぱいしちゃうから……」
 湯気をくゆらせる茶を見詰める少年にアユルスと似ている部分を感じ、ルイセは己の罪深さを改めて思い知った。誰にも助けてもらえないのならば、耐え忍ぶしかない。そうしてアユルスは心身共に壊れていき、完全に壊れる寸前に最悪の手段を取ったのだろう。
「親がする心配の殆どは子供の為にあるものだ。それに子供が隠し事をしても、案外親にはすぐばれるものだぞ」
 自嘲気味にルイセが告げると、少年は驚きを露わにして顔を上げた。
「じゃあ、ぼくのことも……?」
「多分な。お前が話してくれるのを待ってるかもしれない」
「そっか……」
 後ろめたさに少年がまた俯く。その頭を撫でてやるのはルイセの役目ではないだろう。
「もし親が気付いていなくても話したほうがいいと思うぞ、お前も誰かを頼っていいんだ。頼る時は気が引けるかもしれないが、それなら頼った後に礼をすればいい」
「おれい……ぼくにできるかな」
 不安は自信の無さによるものであり、優しさの裏側でもあった。
「お前が一生懸命考えた感謝なら嬉しいだろうな」
 言葉に少年は決心したように一つ頷き、ルイセを見る。僅かだが晴れやかな表情は、希望を見出したように見えた。
「ありがとう。きてよかった」
 素直な言葉にルイセは温かいものを感じながら、不器用に笑う。
「そうか。それなら良かった」
 笑みを返し、茶を啜る少年の手は温かさを取り戻していた。



 人波を漸く抜け出したナユルは辺りを見回すが、周囲には見覚えが無かった。繁華街を外れてはおらず、星空に黒い影となってそびえ立つ塔を頼りにすれば知っている道には辿り着けるだろうが、心細さは拭えない。ひとまず歩き出そうとした瞬間、不意に背後から声をかけられる。
「其処の魔女さん、悲しい顔してどうしたの?」
 振り向いた先にはナユルへ微笑みかける人間の女が立っていた。ナユルと同じく魔女の格好をしており、顔の左半分は美しい細工の施された仮面で隠されている。
「あの、一緒にいた人達とはぐれてしまって」
 咄嗟にナユルが答えると、女は困ったように眉根を寄せた。
「それで落ち込んでたのね、何処か会えそうな当てはあるの?」
「はい、衣装を借りたお店に戻ろうと思うんですけれど、此処が何処か解らなくて……」
「此処は北区だけど、お店はどの辺りなの?」
 女の言葉にナユルは思わず驚きの声を漏らす。
「えっ、お店は南区です、そんなところまで流されちゃったんだ……」
 ナユルの答えと不安へ、女は軽く手を打って提案した。
「あら、私も南区にある衣装のお店に用事があるの。もし良かったら一緒に行かない?」
「いいんですか?」
 ナユルの問いに女は微笑むと手を差し出す。
「ええ、探すのもお手伝いさせて。……それにね」
 女は大いに茶目っ気を含ませて続けた。
「こんな怪しい魔女に付いてっちゃうんだから、だいぶん心配しちゃうかな」
 冗談ではあるが心配は事実のようだ。朗らかな女にナユルは軽く吹き出し、手を取った。
「ふふっ、宜しくお願いします。あたし――」
 名乗ろうとしたナユルの口を女の人差し指が制する。
「魔女へ簡単に名乗っちゃ駄目なの、名前で操る事もあるのよ」
 あくまで祭りを楽しもうとする姿勢は、不安を和らげようとする優しさでもあるのだろう。徐々に不安がほどけていくのを感じながらナユルは頷いた。
「解りました、それじゃあこの侭ですね」
「そうそう。それじゃ、行きましょう!」
 手を繋いだ侭歩き出す。ナユルには女に連れられて歩くように感じられ、遂に存在しなかった母との温かな記憶を思わせた。
「探している人達は、どんな人達なの?」
 女に尋ねられてナユルは我に返る。
「三人いて、一人は吸血鬼の格好した人間で、あたしのお兄ちゃんです。もう一人は狼の格好したエスパーの男の人で、凄くちっちゃな鳥系モンスターの人と一緒にいる筈なんです」
 説明しながら、ナユルはアユルスを自然に兄であると言えるようになった自身へ驚くと同時に、事実から湧き上がる小さな喜びに気付いた。
「うーん……」
 唸りながら女は辺りを見回すが、やがて残念そうに呟く。
「この辺りにはいなさそうね、向こうもお店に向かったのかも」
「そうかもしれませんね、会えたら謝らないと……」
 零れ落ちたナユルの申し訳無さに女が首を傾げた。
「どうして謝るの?」
「だって、あたし一人がはぐれちゃったから、みんなお祭りを楽しめてないかもしれませんし……」
 気付けば悲しみに襲われ、ナユルは目頭に宿りつつある熱を覚える。そうして溢れそうな悲しみを堪えていると、不意に女が小さく笑った。
「貴方も、きっとみんなも、とっても優しくて素敵ね。誰かを大切に思えるんだから」
 ナユル自身に対しては疑問だったが、自身以外を褒められた事に誇らしいものすら感じ、思わず笑みが零れる。
「はい。みんな、あたしの大切な人です」
 告げる頃には目の熱も消え去り、ナユルの胸中に温かな喜びが灯った。
「そんな事言われたら、みんな幸せでどうにかなっちゃいそうね」
「そう、でしょうか」
 照れ臭いものにやや言葉を詰まらせたナユルへ、女は楽しげに笑う。
「ふふ、そうじゃなきゃ怒っていいくらいよ」
 冗談混じりだがナユルを後押しするものでもあり、女へナユルは憧憬すら覚えた。ジダルドの姉であるノチアへの憧憬とはまた異なり、強く朗らかな性質もナユルの持たないものだ。
 其処でふとナユルは思考に過る興味を女へ尋ねてみる。
「貴方には、大切な人はいるんですか?」
「ええ。夫と、息子がそうね」
 女の答えにナユルへ若干の羨望が影を落とすが、今は必要無いと抑え込んだ。
「どんな人達なんですか?」
「そうね、夫はすっごく不器用な人なの、本当は素直になりたいのに、上手いやり方が解らないみたい」
 まさに義父のルイセであり、ナユルは軽く吹き出す。
「ふふっ、でも人一倍頑張り屋さんじゃないですか?」
「そうそう。それが周りに伝わってるから、可愛いまであるかな。一人で無理しないでほしいのはあるんだけどね、其処は息子も似ちゃった」
 僅かだが女の表情が初めて曇った。
「お子さんも無理しちゃうんですね」
「ええ。あの子は自分がつらくても誰かの為に頑張っちゃうの。それでいつの間にかぼろぼろになってたりね」
 まるでアユルスについて聞いているような心地になり、ナユルはアユルスの優しさとその危うさを改めて思う。
「その人自身はそれでいいんだって思ってるのが、また心配ですよね」
「ええ。だから、夫にもあの子にも、少しずつでいいから誰かを頼ってほしいなって思うの」
 女の言葉にナユルが僅かな違和感を覚えた瞬間、行き交う人々の隙間に探していた三人の姿を見付けた。丁度衣装を借りた店の前であり、店を目指したのは正しかったようだ。
「いた! いました!」
 ナユルが振り向いて女を見ると、女はナユルではなくその向こうのアユルスを見ている。思わずナユルも視線を追って前を向くと、不意にアユルスがこちらへ目を向けた。表情はすぐさま驚愕に固まり、その仕草に気付いたジダルドとナユルへ示すように女を恐る恐る指差す。
「ナユルちゃん。ありがとう」
 何故名前を知っているのか、そして言葉の真意も解らず、アユルスの指先を追って女をもう一度振り向くと、繋いでいた筈の手は解け、女の姿も無かった。首を傾げつつも仕方無く三人の元へ向かい、動揺した侭のアユルスへ声をかける。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
 ナユルへアユルスは応えず、雑踏に何かを探していたが、やがて俯き小さく溜め息をついた。
「……今、ナユルが一緒にいた人」
「仮面着けた魔女の格好してたヒト?」
 ジダルドも辛うじて目撃しており、確認にアユルスが頷く。アユルスの声は遂に歪み始めていた。
「母さん……」
 絞り出された事実にナユルは息を呑み、ジダルドも目を丸くする。
「でも……」
「實鷺さんって……」
 ナユルとジダルドが驚きと疑問に満ちた呟きを零した。だがアユルスの母である實鷺と見間違えるなど、アユルスに限っては無いだろう。
 アユルスは声を整えながら推測する。
「このお祭り、死者の魂が帰ってくるんだったよな。作り話かもしれないけど、もしかしたら、ナユルを守ってくれたのかもしれない」
「そう、なのかな……」
 呟いてナユルは雑踏を見遣る。探す姿は行き交う楽しげな人々に紛れ、溶けてしまったように見付からない。
「ヒトが話題にすると嘘もほんとになるって、こういう事なのかなあ」
 ジダルドもまた雑踏を見ながら呟いた。目にしたのは一瞬だったが、聞いていた印象通りの人物だったとごく自然に思う。
「そうだったら、いいな……」
 応えながらアユルスが顔を上げると、今側にいる存在が目に映った。



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