それは確かに甘くあり


■-3

 大通りへ出ると、様々な衣装に身を包んだ大勢の人々が行き交い、中でも籠を持った者は合言葉を告げた子供へ菓子を配っていた。その光景を見遣っていると、不意にこちらへ近付いてくる六人の子供達に気付く。だがその途中で、アユルスに気付いた何人かが近付くのを躊躇っていた。そして子供達の声は無遠慮であり、こちらまで容易く届く。
「やめとこうよ、こわいよお」
「なんだよ、これくらいでこわがんなよ!」
「でも……」
 聞こえてくる言葉にアユルスが表情の強張りを自覚した頃、突然両腕をナユルとジダルドに抱かれた。驚いて左右を交互に見るアユルスを尻目に、二人は子供達へ手招きする。子供達は恐る恐る近付き、やがて六人全員がアユルスの前に立った。
「えっと……」
 何事か言いたげな子供達へ、ジダルドとナユルがわざとらしくとぼけた口調で話す。
「あっれえー、合言葉って何だったっけえー?」
「合言葉が無かったらお菓子はあげられないよねー」
「そう、だよな」
 腕を取られた侭のアユルスが辛うじて続くと、子供達は覚悟を決めたように大きな声で告げた。
「トリック・オア・トリート!」
 確かに告げられた合言葉に、アユルスは腕を解放されながら軽く吹き出す。
「ふふっ、それじゃあお菓子あげるよ」
 喜ぶ子供達一人一人へ三人が菓子の袋を手渡すと、子供達から思い思いの感想が飛んだ。
「クッキーだ!」
「あまいにおいー」
「おほしさま、かわいい……」
 正直な言葉を聞きながらアユルスは思う。確かに自身は恐怖の対象とされても何らおかしくはない。だがそれだけでもない事を、少しでも誰かに知ってほしかったのだろう。
 そうして全員に菓子が行き渡り、子供達が揃って笑顔を向けた。
「ありがとう!」
「気を付けてね」
 アユルスの言葉には賑やかな返事があり、軽い歩調で走り去る子供達の背へ三人が手を振っていると、不意に多少離れた位置からアユルスへ声がかかる。
「アユルスくーん」
 三人が聞き覚えのある声の方向を振り向くと、焼き物の容器を持ったグノリアと、同じように容器を持ったソラザカの姿があった。見れば立ち飲みの店先であり、容器には酒が入っているのだろう。アユルスは仮装を見られた事に若干の気恥ずかしさを覚えつつ、軽く頭を下げた。
「グノリアさん、ソラザカ社長、こんばんは」
 生真面目なアユルスへソラザカが小さく笑いを零す。
「こんばんは、楽しい夜を過ごしているようで良かったですよ」
 安堵すら滲むソラザカの言葉に続き、グノリアが感慨深げに頷いた。
「ですねえ。それにしても四人共可愛すぎて、いやあーいいですねえ……」
 グノリアの心の底からの感動に、ジダルドはアユルスとナユルの肩を持つと見せ付けるように引き寄せる。
「アハハ、とってもいいでしょー」
「ああーそんなご無体なあー」
 冗談めかして頭を抱えるグノリアにルルム以外が笑う中、ふとアユルスが提案した。
「そうだ、もし良かったらお菓子を貰ってくれませんか」
「いいんですか?」
「いいのっ?」
 二人でほぼ同時に素早い反応を示し、ソラザカとグノリアは顔を見合わせて軽く吹き出す。そしてアユルス達へ向き直り、決まり文句を告げた。
「トリック・オア・トリート、悪戯なら手加減しませんよ?」
「トリック・オア・トリート、くれなきゃなんかしちゃうかもよ?」
「ふふ、それじゃあどうぞ」
 戯けてみせる二人へアユルスが笑い、籠から菓子を取り出してそれぞれへ渡す。二人で礼を述べながら受け取る中、グノリアが一つの事実に気付いて呟いた。
「これって手作りなの?」
「はい、ナユルとジダルドと、父さんと四人で作ってみました」
 答えを聞いたグノリアはクッキーの入った袋を軽くだが撫で回す。表情は先程から緩んでおり、余程嬉しいようだ。
「それは大事に頂かないとね、でも食べたら無くなっちゃうかあ……」
 締まりの無い表情で葛藤するグノリアへソラザカが苦笑する。
「ふふ、あまり勿体振ると湿気りますよ」
「んーっ、そうなんですよねえ」
 二人の様子に他の三人が笑う中、ふとナユルが言葉を零した。
「そのお気持ち、凄く解ります」
「そうなのか?」
 アユルスが首を傾げるが、傍らでジダルドもナユルへ頷く。
「ほんとそうなっちゃうよねえ」
「なんでなんだよ……」
 若干拗ねるアユルスの疑問に四人が悪戯染みた笑顔でいたが、ふとグノリアが陽気に提案した。
「そうだっ、可愛いみんなにお返ししちゃいましょうよ」
 酒を飲み干したソラザカが頷く。
「いいですね。皆さん、お腹の空きはありますか?」
「えっ、いいんですか?」
 驚くアユルスへ徒に遠慮しない素直さを感じつつ、ソラザカは微笑んだ。
「ふふ、私達なりのトリートですよ。お勧めを食べていってください」
「有り難うございます、ご馳走になります」
 深く頭を下げるアユルスの隣で、ナユルも頭を下げて礼を述べる。
「有り難うございます! 頂きます!」
「ありがとね、目一杯味わって食べよーっ」
 ジダルドは頭こそ下げなかったが言葉に込められた感謝は手に取るように解り、三者三様の反応はソラザカへ楽しささえもたらした。
 ソラザカは注文をしにカウンターへ向かい、やがて出来上がった串焼きを三本持って戻る。もう片手には新たな酒が二つあり、一つをグノリアに手渡した。
「あー、お代わりの口実にしましたね?」
 指摘するグノリア当人はすぐさま酒に口を付ける。
「気持ち良くお酒が進みますからね。ではお三方どうぞ、骨は取ってあるそうです」
 ソラザカからそれぞれが受け取った串焼きは、魚の切り身へ香ばしいソースを絡めて焼き上げたものだ。大振りの切り身に三人が豪快にかぶり付き、その味を堪能する。
「凄く美味しいです、それにいい香りがしますね、何だろう……」
 首を傾げるアユルスへ、酒を飲みながらソラザカが答えを告げた。
「香りの正体は自家製ハーブだそうですよ」
「そうなんですね、ハーブってこんなに奥深いんですね」
 アユルスの感慨深く呟くさまに好奇心が見え隠れし、傍らで見守っていたナユルとジダルドは安堵すら覚える。それぞれが抱えていた不安も消え去り、祭りを正面から楽しめているこの時は、以前では考えられない穏やかさだった。



 ソラザカとグノリアの二人と別れる頃になると大通りの人混みはより激しくなり、歩くにもあまり自由が利かなくなる。三人は此処までの人混みを経験した事が無く、離れずに歩くのも難しくなっていた。
「どっち行ったもんかなあ……いてっ」
 人に揉まれて足を踏まれたらしいジダルドが声を上げたが、誰が踏んだのかさえ判別出来ない。踏んだ当人ですら解らなかっただろう。
「あっ、ちょっと……!」
 ナユルの焦る声にアユルスが振り向くと、人の波へ一人攫われるナユルの姿が辛うじて見えた。
「ナユルっ」
 アユルスが必死に手を伸ばそうとするもナユルの姿は人波に隠れ、それきり見えなくなる。アユルスは人を掻き分けようとするが、肩をジダルドに掴まれて止まった。
「周りのヒトが危ないよ。取り敢えずあっち行こっか」
 指差した壁際を見て頷くアユルスを確認したジダルドは、頭の上にいたルルムを下ろして抱えると人混みを抜け出そうと試みる。途中でアユルスと離れてしまったが、先程示した場所に辿り着くとやや遅れてアユルスが姿を見せ、二人して胸を撫で下ろした。
「すっかりはぐれちゃったねえ……」
 ジダルドは辺りを見回しながら呟く。人の多さに加えて暗さもあり、側にいるアユルスを判別するのもやや厳しい程度だ。
「ナユル、大丈夫かな……」
 楽しみが一変し、表情に憂いを広げるアユルスが不安を漏らす。ナユルが町を出る事は無いだろうが、心細さはテレパシーでの連絡手段を持つジダルドにも否定出来なかった。
「ナユルちゃんもしっかりしてるし、きっと大丈夫だよ。今行ける場所は服借りた店くらいだから戻ってみよっか」
 テレパシーは最終手段であり、まだ使う程の緊急事態でもないと判断したジダルドの提案にアユルスも頷く。
「そうだな……そうしよう」
 アユルスの表情から多少不安が消えた。道の中央を避けて歩き、別の通りへ出ると人混みはやや収まりを見せ、あちこちを子供も支障無く歩いている。それでもナユルの姿を見付けるのは困難だろうと解ってはいたが、二人して周囲を見回しながら歩いた。
 そのさなかでアユルスは不意にマントを下方へ引っ張られ、振り向いた瞬間思わず固まる。
「……あ」
 マントの端を持った人間の少女が気付いたように声を上げ、アユルスは蘇る記憶に呼吸が震え出すのを自覚した。己を刺し殺した男と再度出会ってしまった際、その男に連れられていた少女だ。
 アユルスのただならぬ様子とその訳へジダルドも気付き、周囲を確かめるとこちらへ向かってくる男の姿を捉える。男は少女とはぐれただけのようだが、アユルスへ気付いた途端に形相を変えた。ジダルドは早足で近付く男の前へ立ち塞がり、その腕を掴むと静かに告げる。掴む力は然程強くないが、ジダルドの瞳には冷たさがあった。
「やめなよ。またあのコ泣かす気?」
「……ちっ」
 少女を一瞥してからの舌打ちには憎悪が籠もっており、その矛先が少女にすら向かっていると語る。醜悪な事実にジダルドは敢えて反応を示さず、男の腕を強引に引くとアユルスへ手を振り、殊更朗らかに告げた。
「アル、そのコにお菓子あげてー」
 意外な言葉にアユルスの硬直が解ける。その場に屈み少女と目線を合わせると、やがて少女が怖ず怖ずと口を開いた。その頃には男とジダルドは数歩離れており、少女との会話も届きそうにない。
「……おかし、ほしい、です」
 丁寧な頼みにアユルスは努めて穏やかに微笑む。
「それじゃあ、合言葉を訊いてもいい?」
 少女の表情に懸命さが宿り、その勇気を以て答えた。
「トリック・オア・トリート!」
「うん、それじゃあお菓子をどうぞ」
 答えにアユルスが菓子の袋を少女へ手渡す。少女は礼を告げて袋に目を輝かせていたが、不意にアユルスへ頭を下げた。
「このまえ、ごめんなさい」
 少女の言葉が示すのは男から暴行を受けた時だろう。謝罪が少女へもたらす惨さに、アユルスは思わずかぶりを振っていた。
「謝らなくていいんだよ」
「でも、おとうさん、すごくこわいこと、してたから……」
 歪む声がアユルスの胸中を鈍く刺す。行き過ぎた忌避の撒き散らした火の粉に晒された少女の苦しみも、それを父親たる男が理解していない事実もまたアユルスを苛んだ。
「きっと、君のお父さんも俺が怖かったんだと思う。俺が他の人に怖い事をしたのは本当だから」
 ともすれば自らを殺害した者を庇う言葉なのだろうが、事実から逃げてしまえばあまりに悲しみが募る。そして同じように他者を殺めた罪を背負う身は、男を責める立場にない。
「俺は、自分が怖い事したのをずっと謝り続けてるんだ。許してくれなくても、あの時みたいに怖い事をされても、そうしたいって思うから。それでいつか、みんなが……君のお父さんも、こんな俺の気持ちを少しだけでも知ってくれたら、それだけでいいんだ」
 痛みは増すが、その何処かで固くなる決意もあった。
 まだあまり理解の及ばない話に少女は考え込んだが、滲んでいた涙を腕で乱暴に拭うとアユルスを見詰めて一つの答えを導き出す。
「おにいちゃんのきもち、きっとみんなわかるよ」
「有り難う。そうなってくれるように頑張るよ」
 そうなる未来の影すら未だ見えないが、これこそが未来へと進む一歩の一つなのかもしれない。



「大切なヒトには笑っててほしいよね」
 アユルスと少女を見遣りながらジダルドが呟く。手は未だ男の腕を掴んでおり、男は苛立ちを露わにしてジダルドを睨み付けた。その視線にジダルドは哀れんだ目を向ける。
「アンタ、もしあのコが赤目だったら、殺すの?」
「そんな事ある訳が無いだろう、あの子は普通の人間だ」
 不快感を示す男へ、ジダルドは遂に溜め息をついた。
「はぁ……アンタ、まさかあのヒトが選んで赤目になったって思ってる?」
 男が都合良く黙り、ジダルドは其処へ畳みかける。
「あのヒトもあのコもおんなじように、赤目だったりそうじゃなかったりするんだよ。勿論アンタもそうだし、俺だって人間で赤目だったかもね」
「だけど、奴は殺しをしたんだ」
 男は苦しげな声で絞り出した。ジダルドは悲しみすら覚え、因習の愚かさを改めて知る。
「それはね、あのヒトをみんなが追い詰めて、誰も助けなかった結果だよ。それなのに、赤目と殺しを都合良くくっ付けたり離したりして、みんなすんごく狡いよね」
 男は舌打ちし、それだけで終わったが、その卑怯さへ言及しようとも思わない。
「だからって謝れなんて言わないし、謝られてもきっと困るよ。ただ少しくらい、あのヒトの事を見てほしいな。ほんと、いいコだからさ」
 本質は単なる駄々でしかない因習を、完全に取り除く事は不可能だろう。だがジダルドは、僅かでも明るい未来を願うしか出来なかった。
 やがて少女がこちらへ向かってくる。少女の晴れやかな表情に男は笑いもせず、ただ黙ってアユルスを見据えた。目線に気付いたアユルスは、深々と頭を下げる。そのさまに男はまたしても舌打ちし、遂にジダルドの手を振りほどくと少女の手を乱暴に引いて雑踏へと消えた。
 ジダルドは頭を下げた侭でいるアユルスの頭をそっと撫でる。
「頑張ったよね。もう大丈夫」
 ジダルドの労いにゆっくりと頭を上げたアユルスは、途端に浅い呼吸へと変わった。今まで必死に抑えていたようだ。ジダルドはくずおれそうなアユルスの背を温めるように撫で、アユルスが落ち着くのを待つ。
 ジダルドは脳裏を過る可能性に恐怖すら覚えた。もし男がアユルスへ三度目の暴行を働いていたならば、今度こそ容赦が出来なかっただろう。それは自身の容量を遥かに超えた感情だった。恐ろしく、そして狂おしい感情に振り回される事実は、何処かに切ない心地も滲む。
「……ジダルド」
 呼吸もやや安定したアユルスがジダルドへ微笑みを向けた。まだ無理をしていると見て取れたが、ジダルドはその努力を否定する気にはなれず、ぎこちない微笑みを尊重する。この苦しみを乗り越えなければならないと、アユルス自身が決意していたからだ。
「ありがとう」
「ううん。いいんだよ」
 言葉を交わし、また歩き出す。大切な者の為に奮い立とうとするアユルスは、ジダルドの目に大層輝いて見えるが、決して眩しくはなかった。



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