それは確かに甘くあり


■-2

 祭り前日の昼前にはジダルドとルルムが来訪し、菓子作りを開始した。
 アユルスとルイセは、それぞれのボウルに入った溶かしバターへ蜂蜜を加え、へらで混ぜていく。一階での砂糖の価値はまだ高く、甘味は専ら果実や蜂蜜が使用されており、今回は蜂蜜のみだ。蜂蜜を焼き菓子へ使用すると水分の多さからしっとりとした舌触りになるが、焦げやすい特徴も持つので注意せねば炭になりかねない。
 二種の黄金色が混ざり合ったところで、隣のジダルドとナユルに小麦粉を加えてもらい、更に混ぜていく。粉がひとまとまりになったところで取り出すと薄く伸ばし、四人で様々に型抜きしていった。型抜きした生地を鉄板に並べ、予熱したオーブンへと入れる。蜂蜜クッキーの完成まであと十数分だ。
「割りとすぐ出来ちゃうんだねえ、まあ混ぜてもらっちゃったけどね」
 型抜きを洗うジダルドの言葉に、その傍らで洗い終わった型抜きを布巾で拭き上げるナユルが頷く。
「お父さんとお兄ちゃんが上手にしてくれましたもんね」
「上手くいったかどうかは焼き上がりを見てからだな」
 食卓へ茶の入ったマグカップを三つ置くルイセの隣で、残りのマグカップを持ったアユルスが笑い混じりに続いた。
「なんだかどきどきしちゃうな」
「そうだな。……上手くいけばいいな」
 ルイセの語尾には多少の寂しさが滲む。この場の全員が思うのは、菓子を受け取ってくれる人物がいるのかどうかだ。
 やがて焼き上がったクッキーの味見をし、成功を確認してから数枚ずつ紙袋へと詰めてその日の作業を終える。不安は尽きないが、不安を悲しみにするのは結果を見てからでも遅くないだろうとの思いも、また同じく全員にあった。



 ハロウィン当日の夕刻にもなると、普段とは違う賑わいが町を満たす。店先では灯りを点けた南瓜のランタンがそこかしこで来訪者を出迎え、店の数々が多少豪勢な料理や甘味を振る舞っていた。
 アユルスとナユルは家を訪れたジダルドとルルムへ、クッキーの入った手提げ籠を一つ渡す。紙袋それぞれには、星を模した紙製の小さな飾りが施されていた。
「ありがとね。飾りまで作ってくれたの?」
「はい。袋だけだとちょっと寂しいかなって、お兄ちゃんと一緒に作ってみました」
「少しでも楽しい感じのほうがいいかなって思って。どうかな」
 答えるナユルとアユルスの細やかな工夫にジダルドが感嘆の声を上げる。
「へえーっ! すんごく可愛く作ってくれて、俺が欲しいくらいだなあ」
「ふふっ、有り難うございます!」
「そう言ってくれて安心したよ、有り難う」
 いつに無く楽しげなナユルとアユルスの背を見遣っていたルイセが、穏やかな空気に名残惜しさを覚えながら声をかけた。
「そろそろ出ないと衣装が無くなるかもしれないぞ」
「はーい」
 三人揃った返事があり、ルイセは思わず笑いを漏らす。
「ふふ、気を付けて行くんだぞ」
「いってきまーす!」
 重なった無邪気な声の後に玄関が閉まり、途端に家の空気へ静けさが漂った。だが今の静けさに寂しさは感じられない。その感覚が訪れるようになったのも最近であり、同時に遠い昔にあったものを思わせる。一度失ったものへ再び触れられるようになった現在へ、ルイセは滲むような喜びを覚えて小さく笑うしかなかった。



 この日限定で衣装の貸し出しを行っている店を訪ねると、残りには充分余裕があるという。三人各々がハンガーにかけられた数々の衣装を見て回る中、ナユルはふと悩ましげな表情で衣装を見詰めているアユルスの姿へ気付いた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「ナユル、これ……どうかな」
 ナユルへアユルスが体に合わせながら示した衣装は、あちこちに蝙蝠の意匠が施された、豪奢ながら落ち着きのある黒を基調とした礼服だ。付属している髪飾りは小さなシルクハットに花を添えたものであり、気品を感じさせる。
「凄くいいと思うよ! 格好いい!」
「なになに? あ、いいの見付けたねえ」
 会話に気付いたジダルドも肯定したが、アユルスは困ったように眉根を寄せた。
「そうなんだ……」
「ん、アルはその服嫌い?」
 尋ねるジダルドの隣でナユルも怪訝な表情をしており、アユルスは小さくかぶりを振って口を開く。
「嫌いじゃないけど、俺が着てもいいのかなって……」
 告げながらアユルスは服に付いていたタグを二人へ見せると、男性用の吸血鬼の衣装であると示された説明書きに二人が目を丸くした。
「職場の人にも、単純に服の話できっと似合うって言われたんだ。でも……」
 服をアユルスへ勧めた人物はグノリアではないかとナユルとジダルドは密かに予想し、加えられていた単純にとの言葉で話題に悪意が無かった事実を汲み取る。
「なんて言うか……ちょっと不安なんだ」
 迷いがちに言葉を零すアユルスもこれが架空のものであるとの理解はしていたが、吸血鬼とされて町中から迫害を受けていたアユルス自身への皮肉や、未だに忌避の目を持つ者も少なくない周囲への恐怖はやはり付きまとった。そして最もアユルスを苛むのは、その現実が今ある楽しさを阻害する事だ。
「お兄ちゃん」
 不意にナユルがアユルスの手を取り、次には真剣な眼差しを向けて強く告げる。
「勿体無いよ!」
「え?」
 迫るようなナユルにアユルスは目をしばたたかせたが、ナユルの勢いは収まらない。
「だってとっても似合うし、一年に一回だけなんだよ、着たっていいよ!」
 押しの強いナユルの訴えにジダルドも複数回頷いた。
「そーそー。文句言われる筋合いも無いし、文句無しに似合うと思うなあ」
 期待すら籠もっている二人の言葉には勝てず、アユルスは小さく笑った。
「ふふ、それならこれにするよ、有り難う」
「どういたしまして!」
 ナユルとジダルドが満足そうに応える。正面から今を楽しめるのも、温かな支えがあるからだ。



 着替え終わったアユルスは更衣室のカーテンを開ける。動くと刺繍の入ったマントが閃き、何処かに引っかけてしまわないよう注意せねばならないと感じた途端、緊張感が湧き上がった。
「あっ、アルかな? 着替え終わった?」
 カーテンの閉められた更衣室からジダルドの声がする。まだ着替え途中らしい。
「うん、ゆっくりでいいよ」
「アハハ、ありがとね。俺ももう終わるよー」
 やがて開いたカーテンの向こうには、長い毛並みをした狼男の衣装に身を包んだジダルドの姿があった。エスパー特有の長い耳を獣の耳の中に収めており、その頭の上は相変わらずルルムの特等席である。一方ルルムは、頭に拳大はあろう釘のようなものを付けていた。その元は十六階に伝わる人造の生物であるらしい。
「お待たせー。やっぱその服いいねえ」
「有り難う、ジダルドも似合ってるよ。ルルムのはなんか迫力あるよな」
 はにかんだ笑みでいるアユルスに言われ、ジダルドはルルムの頭を指で撫でながら応える。
「アハハ、普段から迫力たっぷりだもんねえ」
「……あぇ」
 珍しくルルムが声を発した瞬間に更衣室のカーテンが開き、ナユルが姿を現した。黒い鳥の翼を生やした黒ローブも特徴的だが、印象的なのは大きな三角帽子である。広く作られた鍔の根元にはリボンが巻かれ、更に植物や小さな南瓜の飾りが彩っていた。
「ごめんね、遅くなっちゃった。みんな格好いいなあ」
「ありがとね、ナユルちゃんもいいねえ」
「そうだな、可愛くてお洒落だよ」
 アユルスの飾らず直に伝えられる言葉でナユルが照れた笑みを浮かべるさまに、ジダルドはこれこそ無自覚が織り成す殺し文句なのかと一人納得する。
 店主にそれぞれが貸出料を払うが、アユルスが払おうとした際に店主からかぶりを振られた。
「あんたはいいよ」
「えっ、どうしてですか」
 店主は一つ息をついてから答える。重みのある溜め息だった。
「罪滅ぼしにもならんがね」
 言葉にアユルスは一瞬目を見開いたが、次には店主へ微笑む。
「それなら、どうか俺を普通に扱ってください」
 店主の視線はアユルスと代金を交互に行き来したが、やがて代金を受け取ると薄く苦笑を浮かべた。
「非日常を普通に楽しんでおいで」
「はい。有り難うございます」
 動きに合わせてマントが翻る。その向こうにはアユルスの今があった。



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