さいこうのコ
■-2
訪れた休憩時間に集中を一旦解くと、アユルスは酷く渇いた喉に気付いた。席には造本途中の魔法書がある為に飲食は禁じられており、周囲の同僚も次々に休憩室へと向かう。この部署にいる同僚の種族はエスパーかモンスターであり、人間はアユルス以外にはいない。
書のページへ魔力を込める作業は魔力を持つ種族にしか出来ない工程である。従って基本的に魔力を全く持たない人間には不可能だが、アユルスの特異性である強力な魔力はそれを可能にした。特異な人間の証である赤い瞳はその昔に異端と見做され、処刑の対象にまでされていたが、ある時に出版された書物がきっかけとなり廃止になったという。だが畏怖と忌避の目は多少だが根強く残っており、それによって一度殺害されたアユルスにとっては僅かであろうが未だ命を脅かすものでしかない。この職場においてもいつ誰が襲いかかってくるかを考えなければならず、日々の心労は果てが無かった。
休憩室に入ると既に談笑で賑わっており、様々な話が雑多に聞こえる。その中に陰口や企みを探そうとしている自身に嫌気が差しながら、アユルスは共用の木製マグを手に取ると常備されている茶の入ったポット置き場へと歩を進めた。
「あ、つごっか?」
ポット置き場の側にいた鳥人間系モンスターが、アユルスへ手に持ったポットを示しながら告げる。
「お願いします」
軽く頭を下げながらアユルスが差し出したマグへ、鳥人間がそっと茶を注ぐと湯気が立ち上った。鼻腔を擽る香りは疲れていた精神を僅かに癒やす。
「あっついから、気を付けてね」
「はい、有り難うございます」
アユルスはもう一度会釈した後、注意しながら茶を啜った。熱さで少量しか飲めないものの、一口で心身が癒やされる気がする。思わず小さく息をつくと湯気が視界へ広がり、靄がかった胸中を映し出すようだった。
「アユルス君」
その場を離れようとして鳥人間に呼び止められたアユルスは、多少不安になりながら足を止め向き直る。
「はい」
鳥人間の表情は何かに納得したようであり、深刻さは無い。
「変に思うかもしれないけど、やっぱり君っていい子なんだよなあ」
「……違いますよ」
俯いた先の茶に顔が映り、困惑をアユルス自身にも伝えた。否定の材料に胸中が痛むように苦しくなるが、その都度事実を受け止めなければならないとも思う。
鳥人間は言葉を伝える手段として、アユルスの引け目へ踏み込んだ。
「まあ、君がやってしまった事はおっきいよ。でもこうして、ちゃんと有り難うを言える子はしっかりしてるって、私は思うんだよね」
アユルスの義母殺しの件も当時から町中に知られており、それによって三ヶ月と短期間ではあるが禁錮刑になった事も広く知られている。懲役でなかったのは吸血鬼との迷信による迫害を町ぐるみで受けていた事実、防衛の為であったという動機、被害者の実子である義妹ナユルを始めとした第三者の証言、自首の意思や殺害された際の一連を加味されての事だ。
鳥人間は弱り縮こまるアユルスへ続ける。
「悪い思い出を掘り返すけどさ。君が刺された時に私もあそこにいたんだけど、その時みんなと一緒に、私達のした事もおっきいぞって、君を刺した奴と共犯だって怒られたよ」
「怒られたって、誰にですか?」
驚いたアユルスが顔を上げた。言葉で当時のアユルスが既に事切れていた事実を知り、鳥人間は密かに苦さを覚える。
「エスパーの男の人だったね。君に全部諦めさせてそんなにみんな偉いのかって、誰かを殺したからってその人を殺していい理由にはならないって言われて、みんな何も言い返せなかった。その後にその人から殺されそうになったけど、殺してあげないって言われた。楽になんかしてやらないって感じより、君の為に我慢してる感じだったね」
「……ジダルドらしいな」
呟くアユルスの苦笑には微かな喜びがあり、それだけでもそのエスパーとの関係性が窺えた。
「あんな風に怒ってくれる人がいるんだから、君はいい子だよ。今はまだきついかもしれないけど、きっとこれから君の為に怒ってくれる人も増えると思う」
告げられた言葉で恐怖が相手にも伝わっていたのだと気付かされ、アユルスは周囲に与えていたかもしれない不安を省みる。恐れずに堂々と生きる事はまだ難しいが、少なくとも支えは増えているのだ。何よりそうして生きる事は、これまでを支えてくれた人々へ応える事にもなるだろう。
「お言葉に恥じないように、頑張ります」
アユルスが一礼した瞬間だった。突如真横に何かが音を立てて落ちる。振り向いて見えたその姿に、アユルスは思わずマグを取り落として叫んだ。
「ジダルド!?」
倒れているジダルドは頭からの流血に加え、首元に出来始めたばかりの痣がある。周囲が騒然とする中、倒れている体を起こそうとしたアユルスの腕をジダルドが掴んだ。薄く開いた目は苦しげだが、やがて安堵したように細まる。
「来て」
それだけ告げられたが、アユルスに迷いは無かった。傍らにいる鳥人間へ一言だけ告げる。
「済みません」
「行っておいで」
鳥人間の言葉に頷き、アユルスは掴んでくるジダルドの手を取ると確かに応えた。
「行こう!」
告げた瞬間、アユルスとジダルドの姿が掻き消える。一呼吸置いて周囲の一人が呟いた。
「何、今の……」
「さあ。でもきっと、あの子にとってはとっても大事な事だよ」
応えながら鳥人間はアユルスが落としたマグを拾い上げる。見覚えのあるエスパーへ向けたアユルスの精悍な表情に、驚きと何処か温かいものを覚えていた。
転移先で見たものは、逃げるエスパーを六本腕の蛇女が追いかけ回しているさまだった。ジダルドの頼み通りまだ生きていたようだが、エスパーの体はあちこち焼け焦げている。
「魔法書は其処の袋だよ」
ジダルドがその場に転がった侭告げた。アユルスは側に落ちていた大袋から飛び出していた魔法書二冊を手に取る。
「あのマリリスを倒せばいい?」
固有名詞が出た事にジダルドはアユルスの蛇女に関する確かな知識を知り、右手に持った魔法書を見て目を細めた。
「お願いね」
「やばっ、あっ、やっと来た……って、人間っ!?」
逃げ回っていたエスパーが戻ってきたジダルドとアユルスに気付いて驚き、同時に躓いて転ぶ。其処へ蛇女が笑う口から炎を吐き出したが、直後に突風のように吹いた冷気が炎を瞬時に掻き消した。
「え、え……!?」
信じ難い光景にエスパーが吹き荒ぶ冷気の根源へ目を遣ると、左手に氷結魔法ブリザドの書を持ったアユルスがいる。右手にも発動直前の光り輝く魔法書があり、人間による魔法書の同時発動、そして片方は高威力にもかかわらず呪文を破棄しているという考えられない事柄の連続にエスパーは混乱し、最早動けずにいた。
「えううああ!」
怒りを燃やす蛇女がアユルスへ跳びかかるが、その手が届かない内にアユルスの右手の魔法書が輝きを増す。
「『ブレイク』!」
膨大な魔力を持つ蛇女の遥か上を行く魔力による石化魔法は、一瞬で蛇女の全てを石へと変えた。勢い付いた体はその侭地面へと落ち、指や髪だった部分が砕ける。
蛇女の石化を確認したアユルスは両手の魔法書を投げ捨てると大袋を漁り、治癒魔法ケアルの書を取り出した。倒れているジダルドの傍らへ屈むとすぐさま魔法書を発動させ、ジダルドの体が淡い光に包まれる。通常此処までの深手は何度も発動せねば完治しないが、アユルスの強い魔力は一度で殆どの痛みを取り去った。
三度も発動すれば傷は完全に塞がり、消えかかる光の中で身を起こしながらジダルドが告げる。
「あっちも治してあげて」
「うん」
へたり込んだ侭でいるエスパーの側に屈んだアユルスへ、エスパーは恐る恐る尋ねた。
「あの、君も、あいつも、何者……?」
「俺はただの人間だよ。ジダルドは……」
一瞬ジダルドを見てから、確信を以て続ける。
「最高の人だよ」
魔法書が放つ光の中で、アユルスは照れたように微笑んだ。
ジダルドがテレポートで全員を町へと運び、依頼を受注した四人でギルドへ向かうと、調査報告と併せて石化した蛇女の首を証拠品として提出する。今回を受けて開拓方針やギルドの動向は少なからず今後寄せられる依頼へも影響するだろうが、ジダルド達受注側はただ割に合う依頼となるのを願うしか出来なかった。
報酬についてはジダルドが何も言わなかったので減額無く支払われ、人間二人やエスパーがジダルドへ大いなる貸しを作る。
「次も宜しくねえ」
大いに皮肉の篭もった言葉に人間二人は渋面でいたが、それ以上何も出来ずにすぐさまギルドを立ち去った。決まり悪そうな背中を見送るのもそこそこに、エスパーがサイコダガーを返しながらジダルドとアユルスへ告げる。
「本当に有り難う、あんた達がいなかったら確実に死んでたよ」
ジダルドは差し出されたサイコダガーをそっと手で制し、軽くかぶりを振った。
「お古だけどあげるよ。それだけでもあると違うしね」
「そうだな、本当に」
エスパーは苦笑し、サイコダガーを改めて受け取る。ささやかだが、生存率を引き上げるものとなるのかもしれないそれは力強く見えた。
「二人には思いきり世話になったし、何かお礼させてくれよ」
エスパーの申し出に、ジダルドがアユルスを満足げに見遣りながら頷く。
「そうそう、アルにはうんと……」
言葉が止まり、表情から明るさが消えると、次にはジダルドの体が傾いだ。
「ジダルド!」
倒れる体をアユルスが辛うじて受け止めたが、腕をすり抜けるようにジダルドは膝を突く。その眼差しは虚ろだ。
「あ……れえ……」
戦いの緊張が解けた今、失血による眩暈に耐えきれなくなったらしい。強烈な気分の悪さと共に急速に暗くなる視界をどうする事も出来ず、ジダルドは意識を失った。
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