さいこうのコ
■-1
十階に広がる空中世界はまだ発展途上であり、未開の土地が残されている。これまでは塔近辺の浮遊大陸を中心として栄えていたが、その北東で更に広がる浮遊大陸への進出は未だ完遂されておらず、現在も開拓の為に調査隊が派遣されていた。
ジダルドはアドベンチャーズギルドの掲示板を眺め、依頼が書かれた紙の一つに目を留める。此処のところ浮遊大陸の東へ派遣した調査隊が全員行方不明になっており、何らかの脅威の存在が予想されるので対処してほしいとの内容だ。条件の一つとして複数人と組まなければならないが、報酬は一人あたり相場のおよそ五倍と破格であり、開拓へ力を入れている事や難度の表れだろう。ジダルドは一つの考えの許、その紙に付いていた最後の参加券を千切り取り、ギルドマスターへ見せた。
集まった者で依頼について軽い確認をしてから出発し、ジダルドは今調査隊となった傭われ者達を見遣る。種族は人間が二人、エスパーが一人であり、手入れの行き届いたそれぞれの武具からは戦闘経験の多さが窺えた。依頼の受注条件として三十回以上の討伐依頼を完遂している事も挙げられていたが、これは条件そのものが正直な初心者をふるい落とし、次に詐称する者を釣った上でギルドのエスパーがテレパシーで探りを入れ、最終的には悪質な人物へ罰則を科しつつ望みの人員を確保する仕組みでもある。現に応募した人数から二人減っているが、出発を中止しなかったところそれも想定内なのだろう。
人間二人の後ろを歩くジダルドは、ふと横にいるエスパーへ目を留めた。大袋を背負っており、それに押し潰されそうになりながら歩いている。
「それ、何入ってんの?」
ジダルドに指を差され、若干息を乱しているエスパーは辛うじて答えた。
「これ? 魔法書、だよ」
「へえー、どんなの入れてんの?」
するとエスパーは指折りしながら答える。
「ファイア、ブリザド、サンダー、クラウダ、ブレイク、あとケアルが何冊か……」
「ほぼ全種じゃん」
ジダルドは感心したものの、それも半ば程度に留めた。魔法書には他に念仏の本やデスの書、フレアの書といったものがあるが、これだけ揃えば攻撃手段にはまず困らないとエスパーは判断したのだろう。だがそれらを戦闘中に選んで取り出せるかは甚だ疑問であり、もう一つの懸念点もあるが、今更の指摘は取りやめた。
「もしもの時は渡すよ」
エスパーは前線に立つのではなく、後方支援を主とするのだろう。だがジダルドは申し出へ悪戯染みた笑顔を向けた。
「残念、俺はそういうのいらないんだ」
「魔力使わないのか?」
「ううん、能力一つがすぐ変わるんでね」
魔法書を渡す補助においてはそうすべき相手がエスパーであるジダルドしか該当しないが、特殊能力を自在に書き換えるジダルドの特異性とは致命的に合わない。
「うっそだあ……」
エスパーはジダルドの特異性を信じていないようだが、ジダルドにとっては最早慣れた反応だった。
「まあ、その時になれば解るって」
応えながらジダルドはエスパーの身に着けたホルスターに目を遣る。氷結魔法ブリザドの書が一冊収まっており、武器はそれが主になるだろう。
魔法書を確認したところで、前を行く人間から不満げな声がかかった。
「無駄話してんなよ」
「まあ、何が出来るか確認しとかないとね」
答えるジダルドへ人間は舌打ちする。傍らを歩く人間も特に何も考えていない態度であり、ジダルドは胸中で渋い顔をした。
パーティで使用可能な属性は場合によっては不利になる。そして基本的に物理的な武器のみで戦わなければならない人間の中には属性に疎い者もおり、運悪く今出会ってしまった形だ。ギルドでの集合時に確認出来れば良かったのだろうが、人によって些事であり当然の事柄である為に道すがらで済ませてほしいというのがギルド側の本音だろう。
ある箇所が杜撰であっても結果的には上手くいく事は間々あるが、大半は運の良さである事実を忘れている者もまた多い。そして殊更戦いにおいては文字通り致命的なものを引き寄せ、突然の非常事態に嘆きを上げるしか出来ずに終わるのだ。
果たしてこのぞんざいさが適宜動けるものか疑問になり、ジダルドは大いなる貧乏くじを千切り取ってしまった事へ溜め息もつけなかった。
歩き続けた先には森があり、此処から先を開拓しているらしくある程度の木々が伐採されていた。だが周囲に人の気配は無く、道具の残骸や使われた跡のある武器が転がっており、建築途中であろう建物は焼け焦げている。何かと大いに争ったようだが、死体の一つも残っていない事が不気味さに拍車をかけていた。
「おい、これ」
辺りを調べていた人間の一人が地面を指差す。何かが這いずった跡があり、人を引き摺ったのか、蛇系や芋虫系のモンスターが進む為に自ら残したのかは判断が付かないが、どちらにせよ惨状の原因に繋がりそうな痕跡だった。
痕跡を追って慎重に歩を進めると、やがて眼前に洞窟が現れる。長物を振り回せる程に大きな洞窟であり、使用武器を限られる事は無いようだ。岩肌や地面には乾いた血液のような汚れが大いに付着しており、脅威の近さを思わせる。
それぞれが身構えながら洞窟を進む途中、硬い物が続けて砕けるような音を聞いた。脳裏へ過る最悪の事態に覚悟を決め、洞窟の出口を抜ける。奥には更に広い空洞があり、上に空いている大穴からは昼前の日差しが降り注いでいた。中央には誰とも付かない骨が山のように積まれ、其処へ頭をうずめている一人の女が見える。這いずった跡は女の下半身である蛇の胴体のようだ。
「まさかあれ、全員か……?」
人間の呟きに四人を振り向いた蛇女系モンスターは、咀嚼していた骨を呑み込んで言葉を発する。
「こわい、こわい? にげろ?」
意味の通らない言葉からして単なる真似事らしいが、真似た先を思うと気味が悪い。首を傾げるさまは外見も相まって少女のようで、しかし乱れた髪と古い血に汚れた口元は獰猛さしか感じられなかった。
人間二人は前に出ると武器を構え、エスパーは後方に下がる。その中間でジダルドも構えるが、内心は焦っていた。
「うふふ、ふふふ、いたい、いたい!」
蛇女が笑い、一瞬目が光ったように見えた直後、ジダルドの不安は的中する。前の人間二人が身を翻し、一斉にジダルドへと襲いかかった。突き出されたサーベルを寸でのところで避け、続けて力任せに振り下ろされた剣を避ける為に後ろへ跳ぶ。
「えっ!? なんで!?」
後方のエスパーが魔法書を使う事も忘れて声を上げ、ジダルドは三人の知識の無さを痛感した。
「蛇女系の幻惑の目、やっぱ人間じゃよく効くよねえ!」
殆どの蛇女系モンスターが持つ特徴である幻惑の目への抵抗性は魔力に依存し、魔力を全く持たない人間には回避手段が無い。人間二人が回避の難しい飛び道具や重火器を持っていなかった事は不幸中の幸いだろう。
ジダルドは欲しい特殊能力を思い浮かべ、感覚で会得を確認すると二人を睨み付けた。催眠効果を持つ目を見た人間二人がその場に崩れ落ちたのを確認するや否や、ジダルドは背後のエスパーへ振り返らずに叫ぶ。
「何とか守ってやって!」
「そんな無茶な……くそっ!」
エスパーが眠る人間二人の腕を掴んで引き摺るのを尻目に、ジダルドは念の為能力を書き換えながら右手で蛇女を指し示した。直後に指先から発生した稲妻が蛇女を打つが、蛇女は平然と尾を振るだけに終わる。
「ふふふ、たすけて」
尾の先から瞬間的に発生した稲妻がジダルドを貫いたが、焦げの一つも無い姿に蛇女が首を傾げた。
「危なあ……」
ジダルドから呟きが漏れる。今し方書き換えた能力で自身に対する属性攻撃は防ぐ事が出来るが、蛇女にも属性攻撃が効きそうにない。魔法主体である後方のエスパーが殆ど役に立たなくなり、戦えるのは最早ジダルドのみだ。
ジダルドは太股に着けていたサイコダガーをベルトごと外し、なけなしの武器として後方のエスパーへと放る。エスパーがそれを受け取ったのか、そもそも使えるのかを確認する間も無く、ジダルドは蛇女へ向かって駆け出した。
ジダルドは現在、各属性への耐性、筋力を飛躍的に高めるもの、虚像となる分身を作り出すもの、指先から稲妻を放つものを特殊能力として会得している。各能力を書き換えるには若干の時間が必要になり、同時発動するには会得中でなければならない。
「何のトレーニングかなあ」
頭の痛くなるような問題を抱え、ジダルドは影分身を十数体作り出す。八方から襲いかかるジダルドの姿に蛇女はまたも笑い、長い尾を勢い良く振り回した。衝撃に分身が掻き消されるが、その隙に高く跳んでいたジダルドは蛇女の頭上から襲いかかると、その頭を鷲掴んで増強した腕力の侭に地面へ叩き付ける。
「ふぎっ」
岩の地面が砕ける程の衝撃に蛇女が潰れた声を上げるが、その瞬間蛇女の体に異変が起きた。瞬く間に腕が四本追加で生え揃い、六本となった強靱な腕がジダルドを素早く殴り付ける。強い衝撃にジダルドは体ごと吹き飛ばされ、背中から岩壁へ激突して地面へ落ちた。
「いったいな……」
殴打と落下の痛みはかなりのものだが、衝突だけは思う程でもない。見ると背後には淡い光を放つ防護壁が発生している。エスパーが発動させたらしいサイコバリアだった。だがこの程度の防護壁では蛇女にすぐさま破られるだろう。ジダルドはすぐさま立ち上がろうとするが、左足へ激痛が走りその場に転ぶ。足を治そうと治癒能力へ書き換えようとした途中、六本腕の蛇女が這い寄った。
「うふふ、ゆるして」
頭から大量に血を流す蛇女は、腕を一本伸ばすとジダルドの首を掴み持ち上げる。
「ぐ、がっ……!」
頭が破裂しそうな感覚と共に視界が明滅し、集中が途切れた事でヒーリングの会得も途切れたと感覚で知った。一息にではなく徐々に締め上げるところ楽しんでいるらしく、蛇女は二股の舌を舐めずる。ジダルドは腕すら動かせずにいたが、朧気になる意識で辛うじて能力を書き換え、完了したと共に誰に知られる事無くすぐさま発動させた。
「あう?」
首を掴む蛇女が違和感に首を傾げると、腕が徐々に石へと変質する。
「あうあああ!」
石の腕を折り取った蛇女が叫び、怒りに任せてジダルドを尾で薙ぎ払った。吹き飛んだジダルドの体が地面を転がり、丁度エスパー達の側で止まる。エスパーは一瞬恐怖で固まったが、持ち物を思い出して袋を漁った。
「ブレイクの書……!」
石化の魔法書を探していると、倒れ伏していたジダルドが未だ首を掴む石の手を握り潰しながら身を転がして告げる。頭から流れる血が小さく血溜まりを作っていた。
「アンタの魔力で、効くと思う?」
「それは……」
恐らくジダルドよりもエスパーの保有魔力は低い。ジダルドの触れたものを石化させる能力の効力が弱かった事から蛇女の魔力はジダルド以上であり、エスパーの石化魔法では更に効かないだろう。
「まあ、それは出しといて。援軍呼んでくるから、その間生きててよ?」
「援軍!? 呼ぶって、誰をどうやって!?」
現実的でない提案に怒りすらするエスパーに、ジダルドは薄く悪戯染みた笑顔を浮かべながら能力を書き換えた。
「最高のコ、連れてくるから」
告げ終えると共にジダルドの姿が掻き消える。取り残されたエスパーはやがて絶望に顔を歪め、迫った蛇女と対峙した。
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