影法師の涙痕
■-3
館へ足を踏み入れ奥へと辿り着くと、ローブを目深に被り杖を携えた蘇生術者の姿が見えた。
「用件は」
術者の無愛想な問いに、ジダルドが手で数を示しながら軽く答える。
「生命結晶、一つ頂戴」
術者はふとアユルスへと目線を寄越す。一連の事件についてはベーシックタウン中に知れ渡っており、術者もまた知るところだろう。
「……そうか」
無表情で納得を呟く術者の胸中は推し量れないが、やがて側に置いていた黒い球体をアユルスへ差し出す。
「触れてみろ」
球体へアユルスの手が触れると、触れた箇所から小さな光が二つ発生し、球体の中を漂った。光こそ生命力の個数である。
「二つ、此処に追加で間違い無いか」
「はい」
アユルスの返答を確認した術者へ、ジダルドから大金の入った袋が差し出された。術者は中身を確かめると、部屋の片隅に置かれた箱から鈍い虹色に光る小さな結晶を取り出す。
「確かに」
術者は静かに告げながらジダルドの掌へ結晶を乗せた。指で摘まめる程の小さな結晶をジダルドはアユルスへ手渡す。
「呑み込んでみて」
ジダルドから言われるが侭にアユルスが結晶を口にして呑み込むと、アユルスの全身が暖かな色の燐光に包まれた。その光も一瞬で消え失せる。
再び術者が差し出した球体へアユルスが触れると、黒の中に小さな光が三つ発生した。追加成功の証だ。
球体から手を離し、アユルスが術者へ頭を下げる。
「有り難うございました」
術者は軽くかぶりを振って告げた。
「……此処からは決まり文句だから気にするな」
疑問に顔を上げたアユルスの頭へ、術者は携えていた杖の先をかざすと改まる。
「命の輝きのあらん事を」
儀式のように恭しく行われたそれだけが、アユルスの掴み取りたいものを象徴しているようだった。
「今日中は制限かけないから、何かあったら連絡してよ」
「うん。有り難う」
町に滞在している間は必ず会得しているテレパシーについてを告げ、アユルスは喜びと申し訳無さを半々に滲ませながら頷く。他者への配慮を欠かさないアユルスの性質は貴重なものではあるが、同時に自らを追い詰める諸刃の剣なのだろう。
そうしてジダルドがベーシックタウンから鎧の城下町へとテレポートし、拠点の宿へと戻る頃には夜へと変わる。今夜は新月であり、宛がわれた部屋を常夜灯のみが照らしていた。ナイトテーブルには留守番を続けていたルルムがおり、相変わらずの仏頂面を湛えている。其処にルルムが就寝出来るよう布を被せ、寝台へと座ると思いの外脱力感に襲われた。余程緊張していたらしい。
「ねえ、ルルム」
気付けば口を開いていた自身の重い疲労に、ジダルドは溜め息を挟んで続ける。
「アルはきっと、幸せにはなれても、普通にはなれないよね」
アユルスは様々な支えへ幸福を感じられる人物ではあるが、決して消えない罪と周囲から受ける忌避は、普遍的な日常には程遠いものを連れてくるだろう。そしてそれらはアユルスを確実に生涯苦しめるものであり、ジダルド一人の力ではどうする事も出来ない現実が付いて回った。アユルスの平穏を願い望むしか出来ない、その無力感もまた同じように続くのだろうが、あまりに安い苦しみとしか感じられない。
「普通になれるんなら、そのコはもう、アルじゃないよね……」
経験の何もかもが今のアユルスを形成する以上、負の経験であろうと取り除いてしまえばアユルスそのものを欠く。世の道理は精巧に出来すぎており、僅かなずれも許さないのだと思い知らされた。
常夜灯の蝋燭が立てる音を聞いてジダルドは再度息をつき、その侭寝転がろうとする。だが思考へ響いてきた声に動きが止まった。
『ごめん……ごめん、ごめん……きて……』
アユルスの思念が弱々しく告げる。思念を寄越したという事実は、アユルスがまだ其処にはいるとだけ語った。
迷い無くジダルドはアユルスの生命力を座標としてテレポートする。切り替わった視界にはこれまでに幾度か見たアユルスの自室が映り、頼り無い常夜灯に浮かぶ低い影を見付けて振り向くと、足元に蹲っているアユルスの姿があった。その傍らには刃の無いサイコソードが置かれているが、血の流れている様子は無い。アユルスの肩は激しく上下しており、浅い呼吸を繰り返していた。
「アル」
他の部屋へ聞こえないよう声量を抑え、静かにジダルドが呼ぶとアユルスが恐る恐る振り返る。歪む顔は恐怖に染まり、夕方の姿よりも更に弱々しく見えた。
「ご……め……」
辛うじて絞り出された言葉にジダルドはその場へ跪くと、アユルスの背を優しく撫でる。
「大丈夫。大丈夫だからね。ゆっくり息してみて。大丈夫……」
深い呼吸を心がけて少しずつ安定し、やがてアユルスが落ち着くまでジダルドは繰り返し声をかけた。たとえ僅かであっても、安心が今のアユルスには必要だろう。
「此処じゃ、言いにくい?」
ジダルドから問われ、アユルスはジダルドへ向き直ると縋り付いて頷いた。その体を抱き、ジダルドは拠点の宿へと転移する。
「もう大丈夫」
ジダルドが囁くと、アユルスから嗚咽が聞こえ始めた。家族へ悟られまいと必死に抑えていたのだろう。そうして涙に呑まれそうになりながらアユルスが口を開いた。
「考え、たんだ……、もし俺が、死ねば……、みんな無理、しなくて良くて、幸せなんじゃないかって……」
アユルスを支える人々は、その行為を無理だとはいわないだろう。だが一般的に忌避される以上、支えるにも相応の困難が付きまとう。それはアユルスにとって少なからず負い目であり、生きる事を諦めなければならない程に支え無しでは生きられない現実への引け目でもあった。そしてそう考えるのも、アユルスの実直さと優しさからだ。
「でも……ジダルドが、言ってくれた事、思い出して……、こんな事、駄目だって、気付いたら、怖くなって……、だから、ごめん……」
致命的な一撃の感触を知っているからこそ、自らへ切っ先を向けた剣への恐怖と、一撃が容易い事実はアユルスの絶望を煽ったのだろう。だがその上で踏み留まった理由はジダルドへ喜びすらもたらした。
ジダルドは肩をしゃくり上げるアユルスの頭を撫で、穏やかに告げる。
「ありがとね。すんごく怖いのに、ちゃんと戻ってきてくれて。しかも俺の言った事でだなんてさ、すんごく嬉しいよ」
アユルスへの言葉が確かに響き、最後の支えに選ばれた事実はアユルスの想いを体現するかのようだった。そしてその根源たる素直さは、ジダルドがアユルスに惹かれる所以でもある。
「アルは優しくて、ちゃんとしてて、最高にいいコだよ。俺はそう思うよ」
怒りも無く、否定も無く、ただ信頼を向けるジダルドを、アユルスは裏切れない。生への願いを今になり漸く向けられ、アユルス自身も受け止められるようになったが、まだ願いは無力であり、あまりにも頼り無かった。それ故に単なる呪いへ成り下がる。
「……ジダルド」
アユルスが小さな声で呼んだ。嗚咽は徐々に収まったが、声音は暗い。
「怖いんだ……、だから……」
縋る手から力が抜け、腕が垂れる。
「確かめたい……」
ジダルドは甘えるように目を伏せた。
「いいよ。俺もそう思ってたとこ」
瞼の裏に暗闇が広がる。その中で伝わる温もりだけが全てだった。
Previous Next
Back