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No.6
DB
比翼の鳥は宙に啼く
偶然を奇跡と呼ぶならばこれも奇跡であろうか。
トランクスは優しく微笑む人物が目の前に存在することが信じられず、思わず駆け寄りその胸に手を当てた。
温かい。
とくりと鼓動を打つ心臓は確かに動いていて、それでもどうしても信じられなくて。
嘘だ、と呟く。橙色の胴着をきゅう、と掴む。手に当たる感触は本物。ぺたぺたと無遠慮にその逞しい身体を撫でる。その温かさも、固い筋肉も、
「くすぐったいよ」
響く優しい声も全てがあの日の彼のままで。
「大きくなったね、トランクス」
呼ばれた名前に篭もる愛しさに、トランクスは涙腺の決壊する音を聞いた。
***
「ごはんさん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」
「うざ――――! バカップルうざぁぁぁあああああああ!!」
そう叫んだのはトランクス。勿論チビっこい方のである。
延々と互いの名を呼び続ける大きい自分と、彼の世界では既に死んでいる筈の親友の兄。そんな二人がキラキラした目で見詰め合って点描飛ばして愛しげに互いの名前しか口にしない光景というのは結構な苦痛があった。別人とはいえ、自分である故に。
だがしかし事の発端はこのチビトランクスなのだ。
壊れた玩具がどうしても直らないから、とドラゴンボールに頼ろうとする世界一のお金持ちもどうかとは思うが、それにほいほいで付き合う幼馴染と、止めるでもなく巻き込まれるたまたま遊びに来ていたトランクスも大概にアレである。日本語とはまことに便利な言語だ。
昔は一つ手に入れるのも苦労したドラゴンボール。今では数時間もあれば全てが揃う。あっという間に七つ集めたちび二人と流されやすい一人は早速神龍を呼び出し、一つ目の願いを叶えてもらった。神龍としてみればそんなことで呼び出さないでもらいたい、といったところであろう。しかしまあ子供本人にとっては重大なことである。
そして余った願い事。
チビトランクスとしては別にもう願い事はない。買えば手に入るものなど、世界一のお金持ちにとって興味の対象になりはしないのだ。悟飯のようなお兄ちゃんが欲しかった時期もあるけれど、たまに大きいトランクスが来てくれるし。ちびっこに対してそいつはお前だよ、なんて言う無粋な奴は彼の周囲には存在しないのだ。
悟天も玩具なら買ってもらったばかりだし、優しいお兄ちゃんもいる。それに今では話でしか聞いたことの無いお父さんまで帰ってきてくれているのだ。
だから、流れというか何と言うか。このまま何も言わないのも勿体無いので、と。トランクスがトランクスに話を振ったのだ。「お兄ちゃんの願い事は言わなくていいの?」と。
びっくりしたのはトランクス。それまで微笑ましく子供たちを見守っていたのに(そんなだから振り回されるのだと突っ込んでくれる心優しい人は重力室に篭もりっぱなしでこの場にはいなかった)、まさか自分に振られるとは思っていなかった。
だからつい、隠すことを忘れた本音が飛び出したのだ。
「悟飯さんに生き返って欲しい」
と。
別次元の存在であるトランクスが生き返ることが出来たのだから、悟飯とて可能性がないわけではなかった。
神龍はいつもの渋い声で「よかろう」と頷き、あっという間に孫悟飯「師匠」を生き返らせてしまった。それもあちらの世界ではなく、トランクスの目の前というオプション付きで。中々憎い演出である。
抱きついて、本当にそこに悟飯が存在することを確認して。
堰を切ったように泣き出すトランクスにちびっこ二人は驚いた。
普段のトランクスは大声で笑うということもあまりないけれど、泣いてる顔なんてもっと見たことなくて。
初めて見る大泣きする大人の姿にぽかん、と呆気にとられていた。そんな二人に気付いた悟飯が優しく微笑んで、その姿に子供たちは彼が『孫悟飯』なのだと納得したのだった。
向けられるとどうしようもなく嬉しくなる、慈しみに満ちた笑み。そんな顔が出来るのはこの世で孫悟飯だけだと彼らは知っている。わけもなく抱きつきたくなって、わけもなく甘えたくなるなんてそんな顔。
悟飯にしがみ付いたまま声を殺して泣くトランクスを宥めるも、戸惑いながらも幸せそうに愛弟子を見つめる悟飯に優しい子供たちは何も言えなくなり、こうしてただ眺めているだけとなってしまったのだが。
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「っだ―――! もういい加減にしてよ! 名前呼び合うばっかりでもう一時間は経ってるよ!」
我慢の限界を迎えたトランクスが大地を叩く。
トランクスが漸く泣き止んだのが約一時間前。少し照れくさそうに悟飯の名を呼んだトランクスは首を傾げて続きを促す悟飯に、小さな声で「久しぶりに名前を呼んで」と呟いた。
こんな可愛いおねだりに、弟子を愛してやまない悟飯がノーと言えるわけもない。ノーと言えない日本人もといノーと言えないバカ師匠である。
かくて只管お互いの名前を呼び合うだけ、といううんざりする光景が生み出されたわけなのだが。
別世界の兄を初めは興味津々で見つめていた悟天は、途中で飽きたのかトランクスの膝枕でくーくー寝ている。さり気にちゃっかりしている小僧だ。
「ねぇ、うちでもパオズ山でもいいから一旦帰ろうよ。悟天も寝ちゃったし、あんまり遅いとママに怒られるんだ」
神龍を呼び出したのはいつものカプセルコーポの敷地ではない。最後の一つを手に入れた、名前も知らない森の中。日も暮れてきたことだし、いるかもしれない狼やなんかは怖くは無いが、怒った母親はとても怖いのだ。
「え、もうそんなに? 駄目だなぁ、トランクスといるといつも時間を忘れちゃう。こればっかりは死んでも治らないみたいだ」
「悟飯さん……そんなのオレもですよ。だからおあいこです」
「そっか」
「はい」
うふふあははえへへ。
薔薇色の点描が飛んできそうな二人に、チビトランクスはあーあとでっかいため息を吐く。
これじゃあ当分帰れそうにないじゃないか。
無理やり引き剥がせばきっと彼らは笑って「ごめんね」と許してくれるだろうけれど、そんなことが出来るほどトランクスは野暮でも無粋でもないのだ。これは勿論母親の教育の賜物(父親ならば放って帰るか、可愛い息子に付いた虫に攻撃を仕掛けるだろう)であり、彼自身の優しさでもあった。
だがそれとこれとは別問題で。
本気で時間を忘れてしまう駄目な大人二人に、絶対ああはならないぞ、と決意して、ちびっこトランクスは苛立ち紛れに悟天のほっぺをつん、とつついた。
この後、近いからという理由でパオズ山へと帰った四人の姿に、チチと少年悟飯がひっくり返ったのは言うまでも無い。
***
何故自分と同じ気があるのか分からなかった、と悟飯は苦笑した。またセルのような敵が現れたのかと思ったとも。
いまだ幼さの残る顔を綻ばせる自分に、悟飯は眉を下げて謝った。
「驚かせてごめんね」
「いいえ。でもじゃあ悟天のこと分からなかったんじゃないですか?」
若い自分の問いかけに、悟飯はいいやと首を振る。
「お父さんにそっくりだから、もしかしたら、って思ってたんだ」
「じゃあオレは?」
小さなトランクスが興味津々で質問する。その姿に昔を思い出したのか、くすりと笑って悟飯は答えた。
「もちろんトランクスだってすぐ分かったよ。何せちっちゃい頃からずっと見てきたんだから」
でもね、と彼は続けた。
「例え百人、千人のトランクスがいたとしてもキミを見つけるよ」
そっとトランクスの手を握る。
「悟飯さん……」
トランクスは頬を染めて、けれどしっかりと悟飯の目を見つめ返した。
また始まったよこの人たち。
ぶっちゃけ勘弁してほしい、とその場にいる全員が思った。
飛んでくる極彩色の何かを叩き落としたい。何、とは言えないが、何か。桃色だったり薔薇色だったりする、何かだ。
それが現れた時、悟飯は大いに慌てた。この世界に存在するはずのない、悟飯と同じ気をもつ何者か。
セルという前例があるのだ。核は破壊したとはいえ、もしかしたらまた復活したのかも、と思っても仕方ない。
だがしかし。
よく知る悟天とトランクス×二の気と何の衝突も起こさず、しかも一緒になってこちらへ向かってくる。とりあえず戦うべき相手ではないだろう、と肩の力を抜いたところへ現れた青年にチチと一緒にずっこけた。半分は片腕の悟飯を見て息を呑んだのを誤魔化すためでもあったけれど。
そこまではいい。
戦いの跡が無いのに妙にぐったりしたちびっこトランクスも、遊びに出かけた後はいつも眠そうにしているはずの悟天が妙にすっきりした顔をしているのも、然程気にはならなかったが。
その疑問が氷解した時、悟飯もがっくり肩を落とした。
「ご、悟飯さんはああならないでね……」
「努力する……」
当事者ではないけれど、何となくいたたまれない。自分じゃないけど自分なのだ、アレは。
これから先相手とどう付き合ってけばいいんだコンチクショー。
トランクスと悟飯は目の前でいちゃつく自分たちというシュールな光景にでっかいでっかいため息を付いた。
と、そこへ。
「あり? 何で悟飯が二人もいんだ?」
「「お父さん!」」
ナイスタイミングで嵐の男、登場である。
瞬間移動で現れた父親に、二人の悟飯は同時に声をあげ、同時に少々頬を赤らめた。
だが未来の彼はちょっと寂しそうに笑って口を閉ざす。
彼のいた世界では既に悟空はいない人。
だから純粋に生きてて良かった、また会えて嬉しい、という喜びと、己の世界ではもう会えぬのだという悲しみが襲う。
生き返って数時間、彼は悟空がセルと戦い一度死んで生き返ったばかりなどということは知らない。
そんな悟飯の気持ちが分かるのはもう一人の悟飯である。イコール自分、考えていることなど丸分かり。
だからこそ余計に申し訳ない。自分の所為で父を死なせ、母を哀しませ弟から父を奪い仲間から孫悟空という人を奪った。そして魔人ブゥという危機も結局は悟空に救ってもらったのだと。そんな情けない自分を、辛い世界で苦労してきた大人に知られるのが怖かった。
それこそが弱さと分かってはいても。
「こんばんは、悟空さん。えーと、この人は……」
「そうか、おめぇの(世界の)悟飯か!」
口を閉ざす悟飯たちの代わりに説明をしようとするトランクス。その言葉を遮って、妙なところで勘の鋭い孫悟空。大事な部分を省略して(しかしある意味正解の)事実を言い当てる。
「はい、そうです」
「ごごごご悟飯さんっ!?」
あんた何ば言うとるの!?
躊躇わずに頷く悟飯。トランクスが激しく慌ててその袖を引く。だが悟飯はそんなトランクスを愛しいものを見る目で見つめ、悟空へと向き直った。
トランクスは口の中で「ずるい」と呟いた。そんな目をされて、そんな笑顔を向けられて、文句を言えるわけがないのに。
そんなトランクスに心の中でゴメン、と謝り、いつもの笑みを浮かべる父と目を合わせる。
「へぇ~、悟飯でっかくなったな」
「あはは、お父さんの身長も追い越しちゃいましたよ。もう二九歳ですから」
「そっか、二九か……もう大人だなぁ」
大人だな、と言いながらも悟空は悟飯の頭を優しく撫でる。
父親が息子にするように。そうするのが当たり前というかのように。
悟飯は嬉しそうに目を細め、「大人ですよ」と笑った。悟空の手は振り払わぬまま。
身体は死んだ二二歳のままだったけれど、そんなことはどうでもいいのだ。どちらにしても老いの遅いサイヤ人である。二二歳だろうが二九歳だろうが関係ない。
「やっぱさっきのはドラゴンボールだったんか」
「近くにいたんですか?」
「いや、ピッコロと修行してたんだけどよ、急に空が暗くなるし悟飯の気が増えるし、おかしいとは思ったんだ。だから手合わせ終わってから来てみたんだ」
おかしいと思っても手合わせはするのか。
相変わらずな悟空に悟飯たちも肩をすくめ微笑みを交わす。
が。
「ほぉぉぉおおおおおおう」
怒りの篭もった声に男どもはビクリと身体を強張らせた。
「三ヶ月ぶりに帰ってきたと思ったら……」
「ち、ち、ちちぃ……っ」
「選りにもよって悟飯ちゃんが関係してるのにすぐに飛んでこねぇっつうのは……」
ああ、この溜めが恐ろしいんだ、と悟飯は肩をすくませた。
「どういうことだ悟空さぁぁああ!!」
「あひゃひゃひゃひゃ、ひっ、ひひぃっ、いふぇいふぇいふぇ!
(訳:あだだだだ、ちっ、チチィっ、いてぇいてぇいてぇ!)」
ぎりぎりと頬をつねられ、悟空は涙目になりながら抗議をする。それでもされるがままなのは、まあそういうことなのであろう。
相も変わらず最強の嫁さんっぷりを発揮するチチに、悟飯たちは顔を見合わせて笑った。
***
で、結局。
悟空は修行を一時中断して暫く家にいると言い、「家が狭くなる」と文句を言いながらも嬉しそうにするチチに満更でもない顔をしてみせた。何処までいってもこの夫婦は変わらないらしい。
賑やかしく食事を終え、そろそろお開きというところで、トランクスたちはカプセルコーポへ帰ると言い、そして悟飯は
「え、オレもいいんですか?」
「いいも何も、ここは悟飯ちゃんの家だべ」
トランクスたちと共に飛び立とうとしていた悟飯を引きとめ、チチは怒ってみせる。ここもお前の家なのだから、そんな悲しいことを言ってくれるな、と。
世界は違えど自分も息子と呼んでくれるチチに、悟飯は心の奥が暖かくなる。
「ごめんなさい」
「分かればいいだ。部屋は悟飯ちゃんの部屋でいいだか?」
「悟飯君がよければ」
「僕は構いませんよ。布団運んでおきますね」
「うん、ありがとう」
家の中へと引っ込む自分に礼を言い、トランクスに歩み寄る。小さなトランクスはお腹が一杯で眠くなってしまったようで、トランクスの腕の中で丸くなって眠っている。
そんな姿が在りし日の目の前の青年と被って、悟飯はついつい目尻が下がる。
「じゃあ、また明日」
「ぇ、ぁ、はい。あの、悟飯さん、未来へは……」
「ん? ああ、そうだ。いつ帰るつもりだったんだい?」
「いえ、まだ決めてないんです。だから……」
悟飯さんの気の済むまで、と言いかけたところで悟飯の手に唇を塞がれる。
「明日、ピッコロさんのところに挨拶に行こう。一緒に」
「……はい」
「そのあとでまた、いつ帰るのか話し合おうな」
「……はい」
素直に頷くトランクスを、先ほど自分が父にされたように撫でる。もう子供じゃないです、とむくれる頬をつつけば口から変な音が漏れる。更にむくれるトランクスに「いつまでたっても可愛いからさ」と笑う。
「気をつけて帰れよ」
「……はい、また、明日」
躊躇いもなく明日の約束が出来るというのは、どれだけ素晴らしいことなのだろうか。
死んだと言っても実は界王星で肉体を持って過ごしていた悟飯。腹は減らなくても(色々と常識はずれの父は別だが)五感はある。まるで死んだという実感がないのだ。
だけど分かることはある。
生きているということ、それだけでもう奇跡なのだと。
死人がいくら手を差し伸べたくとも、生者へとは届かない。届くならば、トランクスに降り注ぐ悲しみ苦しみ全て受け止めていたかったけれど。
悟飯の腕は現(うつつ)へ届かず、トランクスはそれら全てを自分で受け止め乗り越えた。
トランクスの為というのならそうだったのかもしれない、とも思うが、やっぱり悔しいじゃあないか、とも。思うのは親心なのか師匠心なのか。はたまはそれ以外なのか。
ふわりと飛び立とうとするトランクスの腕を引っ張り、最後にも一度抱きしめて。
「また明日」
二度目の「また明日」はたっぷりの幸せを込めて。驚いた顔のトランクスが満面の笑みを浮かべるのを見届けて、名残惜しくも腕を開く。
その後姿が闇に溶けて消えるまで、悟飯はその場を動かず見送り続けた。
***
都合の良い夢を見ていたのかと思った。
寝て、起きれば何事も無かったかのように、『いないことが当たり前』の現実が待っているのだと。
だけど、触れた身体は温かくて。耳に残る声は優しすぎて。
思わず小さな自分に確認すると、
「あんだけ人を疲れさせて、夢オチはないんじゃないの?」
「……ごめん」
ため息混じりに怒られた。
トランクスがカプセルコーポに泊まる時、いつも小さな自分の部屋に引っ張り込まれる。どうやら兄が出来たようで嬉しいらしい。そんな姿が可愛くてついつい頷いてしまうのだ。
だから今朝も、隣で眠る小さな子供におはようを言って、そうして質問してみたのだが。
じっとりとした視線で睨みつけてくるこまっしゃくれた子供に頭を下げる。あまり自覚は無いけれど、どうやら周りから見ると恥ずかしいことをしてしまっていたらしい。……何処が恥ずかしいのか分からないけれど。
「ね、兄ちゃん目ぇ腫れてるよ。そのままで行くつもり?」
「え? ……うわっ!」
ひょい、と鏡を覗いてみると、そこには見事な兎のおめめ。冷やしもせずに放っておいたのがまずかったらしい。
あの後、腕の中で眠る子供が起きないスピードで帰ってきたらそれなりに時間がかかってしまって。夕食は孫家でご馳走になると連絡していたので、リビングにいたのは祖母だけだった。その祖母も無粋なことは言わない人だったので今まで気付かずにいたのだけれど。
「悟飯さんは気にしないだろうけど……ていうか、それ以前にパパが問題だよね」
カプセルコーポの朝ご飯。それは家族みんなが揃って食べることになっている。決まりではないけれど、ご飯は皆で食べたいじゃないか、というブリーフ博士の偉大なるお言葉を誰も否定しなかったのでそういうことになっているのだ。意外ではあるけれど、そこにはちゃんとベジータ含まれていて。
「パパさぁ、兄ちゃんのことめちゃくちゃ可愛がってるから、絶対すげぇ怒るよ」
「むしろオレが怒られると思うけど……どっちにしてもこれはまずいなぁ……」
軟弱者、と叱られるかもしれない。それに、この年にもなって恥ずかしい、というのもある。
今からでも冷やしてみるか。
濡れタオルでそっと目を覆う大きな自分を見つめ、ちびっこトランクスは気付かれないようため息を吐いた。無自覚な大人に。
昨日からため息を吐かされっぱなしだ。この短期間でどれだけの幸せを逃がしているんだろう。
パパのあれは照れ隠しなのに、と思う。
いつも大きなトランクスに見せる不機嫌そうな顔は、会えて嬉しいというのを誤魔化すため。無理やり重力室に引っ張り込むのは、何を話していいか分からないから。姿が見えなかったりすると、たまに「あいつは何処だ」なんて聞いてきたりする。
その度にブルマにからかわれているのだが、どうもあの父親は息子が心配で仕方ないらしい。魔人ブゥとの戦いの後はそれがより顕著だ。
気持ちは分からないでもないけれど、とトランクスは思った。
歯を磨きながら隣で目を冷やしている青年を見上げる。
どっか危なっかしいもんな。
大の大人に言う言葉ではないかもしれないけれど。どうもこの青年は目を離しておけない雰囲気があるらしい。人の話はちゃんと聞くし、しっかりしているとは思うのだけれど。
何となく面倒を見てあげたくなるのだ。
トランクスはうがいをし、大きな自分を屈ませた。タオルを外してその目を見つめ、
「さっきよりはマシなんじゃない?」
大分腫れも引いてきたし、と分析する。
「大丈夫、かなぁ」
「うーん、でもあんまり遅いと逆にパパ不機嫌になっちゃうし」
腹が減ると気が立つのは地球人も同じだが、サイヤ人の場合は特に。それを身をもって知っているトランクス(精神と時の部屋で三度の食事を用意していたのは彼だ)は仕方なく頷いた。
ダイニングでは既に家族全員が揃っている。朝から食べるには多すぎるような量が並ぶ食卓だが、サイヤ人三人となるとこれでもまだ足りないという程度。
遅いわよ、と頬を膨らませるブルマに謝って席に着く。ちらりとベジータの顔を見れば、一心不乱に食事を掻き込んでいてトランクスのほうは見ようともしない。
そのことにちょっと安心して、トランクスは「頂きます」と両手を合わせた。
その様子を横目で盗み見て、ベジータははぁ、と小さくため息をついた。隣では彼の妻が満足そうに笑っている。
気を感じることが出来るベジータ。勿論悟飯の気が増えたのは感じていた。その付近に息子二人とカカロットのまがい物、もとい悟天がいることも。
そこで戦闘でも起きようものならば喜び勇んで出かけて行ったのだが、生憎衝突の気配なし。ならば自分はひたすら修行するのみと重力室に篭もっていたら。
お人よしな息子の気が揺れ動くのを感じた。
本人は断固として否定するであろうが、可愛がっている愛息子のそんな気配に修行に集中も出来ない。可愛がり方は一般のそれとは大きく違うが可愛いものは可愛いのだ。苛々しながらブルマに事態を話せば妻はけろりと言ってのけた。
曰く。
戦っていないのなら敵ではない。ということは現れた気は正真正銘悟飯のものである。
息子の気が揺らいだというのならばそれ即ち彼に関わる者。未来では彼の師匠であった悟飯に違いない。
何故そうまで断言出来るのかと問えば「恋愛マスターを舐めるな」とのお言葉が返ってきて、むっとした旦那は妻の口をそれなりの方法で塞いでやったのだけれどそれはまた別の話。
恋愛マスターが言うには「翌日どんな顔をしていてもそのことには触れるな」らしい。
聞かされた時は何を言っているのやらと思ったものだが、朝食の席に遅れて現れた息子を見て思わず納得した。恋愛マスターの名は伊達じゃないらしい。昨日何があったのかすらお見通しなのかもしれない。我が妻ながら侮れない。
本当ならば今すぐパオズ山に飛んでいって殴り飛ばしてやってもいいのだけれど。
腫れた目元とは裏腹に、小さな自分に話しかけられては幸せそうに笑うから。後でカカロットを殴り飛ばすことで勘弁してやろう、と悟空にとっては大変迷惑な自制をしてやった。
断じて隣で笑う妻が怖いからじゃないぞと自分に言い聞かせながら。
目の前では息子たちが兄弟のように会話している。おっきなのが少し遠い所にあるトーストを取ってやり、バターと蜂蜜を塗ってちっさいのに渡してやる。
ビフォー、アフター。そんなことを考えて王子様の嫁さんはちょっと笑った。
「ねぇ、オレ今日学校なんだけどさ、兄ちゃんはパオズ山行くんだろ?」
「うん。あ、でもちょっと神殿に行ってこようかと思って」
「……あの悟飯さんも『ピッコロさん大好き』なわけ……?」
「え、あ……どうだろ。でもそうだね、大好きだろうね」
「ふぅん……じゃあ学校終わったらオレも神殿行くよ。ちぇー、悟天はいいよなぁ、学校行かなくていいなんて」
「悟天君も同じこと言ってたよ。『トランクス君は学校に行けていいなぁ』って」
その言葉に小さなトランクスは「えー、何でだよ」と唇を尖らせる。彼には学校に行くのは義務であって楽しいことではないのだろう。そういえば体育の時間が一番辛いのだと言っていた。桁外れの運動能力。力をセーブするのにも一苦労なのだと。
そんな姿に苦笑して、トランクスは野菜スティックをぱきりと噛んだ。
***
「トランクスさんと一緒に行くかと思ってました」
あんなに離れ難そうにしてたから。
パオズ山にて。
布団を畳ながら言う少年に、大人は笑った。こちらも布団を片付けつつ。
普段は悟飯と悟天が寝ている部屋。悟天には昨日だけ、悟空とチチの間で寝てもらった。悟空が帰ってきてからは大のお父さんっ子になっていた悟天はむしろ大喜びだったけれど。
「トランクスがね、言ってくれたんだ」
『オレはまた毎日でも会えますから』
だから今日は。今日くらいは。悟空の側にいてくれてもいいのだと。何だったら、未来へと帰る時まで。
最後の台詞には馬鹿だな、お前の側にいるよと返したのだけれど。
悟飯のことを思ってくれるトランクスの優しさが嬉しくて、その言葉に甘えることにしてしまった。毎日会える、という幸せを実感しながら。
「また明日、って、幸せだね」
「……はい」
一度死んで生き返った人。
一度失い甦ってもらえた人。
境遇は違うけれど、それでも命あるものへの愛しさは痛いほど知っている。
「悟飯君は学校だっけ?」
「あ、はい。悟飯さんはどうされます?」
「うん、まずはピッコロさんに会いに行きたいなと思って。きっと心配してるよ」
いきなり同じ気が増えちゃったしねぇ、と笑う。
そんな大人に悟飯は、僕の師匠なのに、とちょっと思った。彼の師匠でもあるのだけれど、やっぱり大好きなピッコロさんの一番弟子は自分でありたいと思う。そんな小さな独占欲。
一瞬後にそんなことを思ってしまった自分を恥じて俯いてしまったけれど。
しかし大人はそんな悟飯の考えも読んでいたようで。
「駄目だよ、浮気しちゃ。可愛い彼女がいるんだろ?」
「ううううう浮気ぃぃぃいいいいっ!?」
「ビーデルさんだっけ。いい子なんだろ? 大丈夫だよオレにはトランクスがいるんだから」
「ななななんなんなんでしししし知って」
「あれ、浮気は否定しないのかい?」
「してませんよ浮気なんて! ていうかピッコロさんは男……あれナメック星人って男女無いんだっけ……? いやそれより何でビーデルさんのこと!!」
「あはは、昨日お父さんに聞いたんだよ。『悟飯とビーデルはいつ結婚するんだろうなぁ~』って。いくらお父さんとお母さんの結婚が早かったからって、まだ悟飯君一七歳だもんねえ」
「おおおおおおお父さん!!」
「うわどうした悟飯朝っぱらからでっけぇ声出して」
「悟飯さんになんてこと言ってるんですか大体僕とビーデルさんはまだお付き合いしてるわけじゃ」
「駄目だぞ悟飯ちゃん、そったらこと言って、女が皆待っててくれるとは限らねぇだ」
「でもチチはオラのこと待ってたろ?」
「おらは純情だったんだ! その乙女心も知らねぇで悟空さは……!」
「悪かったって……でもよ、待っててくれて嬉しいぞ?」
「やんだー悟空さったらそったらこと子供の前で言っちゃ恥ずかしいだよー」
「おかあさーん僕お腹すいたー」
「僕が言ってるのはそういうことじゃありませ――――ーん!!」
「そっか、悟飯おめぇ照れてんのか!」
「こーら、悟空さ、悟飯ちゃんは純情なんだべ。あんましデリカシーのないこと言うもんじゃねぇだ」
「お腹空いたってばー」
「お、でっけぇ悟飯も起きてたんか。オッス」
「お早う御座います。ほら悟飯君、早くご飯食べないと学校に遅れるよ」
お年頃の青少年が開け放して出て行った扉を静かに閉めながら、悟飯は笑って父に挨拶をする。
「って、元はといえば悟飯さんが!」
「あははは、ごめんごめん。あ、お母さん手伝いますよ」
流石にサイヤ人四人分というのは如何なチチとて大変であろう。いきり立つ少年を宥め、悟飯は台所に立つ母の隣に並ぶ。
ぱかぱかぱか、と卵を割って溶いたそれをフライパンに流し込む。具と米を入れればチャーハンの出来上がり。他にも三、四品ほど作り上げる。
手際の良い息子の様子にチチは目を丸くした。
「あれま、悟飯ちゃんいつの間に料理なんて覚えたんだ?」
「うーん、修行してるときは基本的に一人でしたから。簡単なものばっかりですけどね。
それにトランクスも料理上手いんですよ。二人で台所に並んで立つ、っていうの、よくないですか?」
それは新婚さんの光景じゃないだろうか、と少年悟飯は思った。悟空もちょっと思った。何せ実際に自分たちが新婚の時嫁さんから言われたことだ。悟空の場合は破滅的なまでの料理に台所への立ち入り禁止が言い渡されたのだが(何しろトカゲやムカデも焼いてくう男である)。
しかしチチはそんな長男にいたく感動したらしく。
「んだな! やっぱりいまどき男も料理が出来ねばなんねぇだよ!」
目をキラキラと輝かせて大きく頷く。チチに頼りっぱなしの孫家の男たちは肩をすくめて縮こまる。そんな大人たちの様子に気付いていないのは悟天のみ。しかしその脳みそには「男も料理!」としっかり記憶する。これが後々役に立つことになろうとはこの時は思いもよらなかったが。
「トランクスも美味しいって食べてくれるんですよ」
にっこり笑って差し出された料理は確かに美味しく。
サイヤ人二代目王子様の舌に合わせているのだろうその味に痛いほどの愛情がたっぷり込められているのを感じて、孫家の人々はちょっぴり切なくなった。
***
お早うございます、と照れた顔で言う彼が可愛くて、思わずキスしそうになってしまった。
子供がいる手前、必死で自制したけれど。
二人きりだったらきっとそのまま抱きしめていただろうな、と悟飯は思った。
朝一番でパオズ山に飛んできたトランクス。悟空を心臓病から救ってくれたからという以上に、礼儀正しい彼をチチは気に入っているらしい。
遠慮する彼を家に引っ張り込んで早速お茶の時間にしてしまった。まだ九時である。
どうせ神殿に行くのなら瞬間移動で、と悟空も巻き添えにティータイム。
最強の戦士も嫁さんにかかれば便利な乗り物扱いである。それを嫌がっていないところがやっぱり結局この夫婦なのだけれど。
もっとも美味しい食べ物があれば悟空も悟天も構わないのだろうが。
「悟天君、頬っぺたついてる」
「え、こっち?」
「ここ」
頬を触る悟天の手が見当違いなところにあるのを見て、トランクスが腕を伸ばして食べかすをとってやる。その様子に悟空は笑った。
「あははー、お前等そうしてっと親子みたいだなぁ」
「父親がそんなこと言ってどうするんですか……」
「って、悟空さんもついてますよ」
「あり?」
くすくす笑うトランクスの指が悟空の頬からも食べかすを摘み取る。悟空は頭をかいた。どちらが年上なのか分からない。
チチも同じことを思ったらしく、拳で軽くこつんと夫を殴る。取り立てて何も言わないのはそれが当たり前のことで、言っても無駄だと知っているからだ。
そんな夫婦を尻目に、悟飯はトランクスに小声で話しかけた。
「ねぇ、トランクス」
「はい」
「悟天とかトランクス君はいいけど、他の人にあんなことしちゃ駄目だよ」
強い視線にトランクスは少し怯む。悟空さんはあなたの父親でしょう、と思うのだが。ヤキモチを妬いてくれたのかとちょっと嬉しくなる。けれどそんな自分が少しばかり情けないと思ってしまって。
「……悟飯さんにも?」
悔しさ半分でちょこっと意地悪してみたら。
「オレは別」
悟飯の反撃。トランクス一三のダメージ。
にっこり笑顔できっぱりとのたまう師匠に、トランクスは小さくため息をついた。
「トランクスについてたらオレが取ってあげるよ」
「つけません!」
朗らかに言われてついつい大きな声で否定した。その後の本気で残念そうな顔は見ないふり。
そんな二人を悟空とチチは微笑ましく、悟天はきょとんと見つめた。
***
「トランクスさんお久しぶりです!」
「大きくなったねデンデ」
満面の笑顔で迎えてくれるデンデにトランクスも笑顔で返す。悟飯はどこかで聞いた台詞だな、と苦笑した。
どうやらデンデの気を辿って瞬間移動したらしい。悟空曰く「昨日のピッコロは不機嫌だった」らしいのだが、悟飯は自分のことが気になっていたんだろうと思っている。
気にかけてもらっていたという自負はある。だから、急に増えた孫悟飯の気が気がかりで、悟空に対する返事がぞんざいになったのではないかと。
そんなことを考えていたら、デンデの大きな目がじっと自分を見つめているのに気付いた。
「久しぶり、かな」
五つの時に出会って、それからずっとご無沙汰だったから。
そっと笑って見せると、デンデはパァっと顔を輝かせた。
「トランクスさんの(世界の)悟飯さんですね!」
何でこうもここの人たちは。
脱力するトランクスに、デンデは首を傾げる。何故トランクスが肩を落としているのか分からないらしい。
「気にしなくていいよ、照れてるだけだから」
「照れてません……」
「ピッコロさんはどこかな」
悟飯はトランクスの文句を無視し、ピッコロの気がある方へ向かおうとする。しかしすぐそこから近付いてきてくれているらしいことを悟り、しばし待つ。
柱の影から現れた長身ににっこり微笑み。
「トランクスの(世界の)悟飯か」
「はい」
かけられた言葉を笑顔で肯定した。
「ピッコロさんまで……」
後ろの方で呟くトランクスは気にしないふり。さっきの意地悪お返しである。その時点で反撃しておいて、どっちが意地悪なのか分からない。
「お久しぶり、ってのも変ですけど」
「……大きくなったな」
「はい。ピッコロさんは変わらないんですね」
「ナメック星人は長寿だからな」
そういうことじゃないんだけど、と思いながらも悟飯は笑う。
本当に、変わらない。自分の最後に見たピッコロは界王星で悟空と大暴れしている姿。死人なのだから年を取るわけもないのだけれど、そういうことじゃなくて。
『孫悟飯』に甘いその師匠の姿に悟飯は目を細めた。
「ねぇピッコロさん、ちょっと二人でお話ししません?」
「……あぁ。おいデンデ、こいつらを案内してやれ」
「はい。……悟空さん、もう神殿壊さないでくださいね……?」
「あはは~、わりぃわりぃ。ちょっと力入れすぎちまってよ」
「昨日何してたんですか……」
「いやピッコロと修行……」
「あー、ここ壊れてるー」
「悟空さん……」
「いや修行……」
トランクスはちょっと気にしていたようだけど、申し訳ないながら黙殺させてもらった。だって、トランクスに聞かれるとちょっと照れくさい。可愛い弟子の前では、格好いいお師匠様でありたいから。師匠のささやかなるプライドというやつである。
遠ざかる声に小さくため息をついて、悟飯はピッコロに向き直った。
***
神殿の入り口に座り込む。遠くでは悟空と悟天の叫び声が聞こえる。
ここに来るのも久しぶりだ、と悟飯は思った。彼の世界ではミスターポポが一人で暮らしている神殿。仙豆を貰いにいく度に立ち寄っていたけれど、誰もいないことを確認するたびに寂しくなって、彼には申し訳ないながらも少しずつ行かなくなっていた。
空を仰げば太陽が近い。ピッコロは悟飯が口を開くまで黙っているつもりなのだろう。その優しさが好きだった。けれど黙っているつもりは勿論ない。言いたいことは沢山あるから。
あのね、と彼は話し出した。幼い頃の喋り方そのままに。
「恨み言、沢山言おうと思ってたんですよ。
界王星、もしくは天国に行けることになったら。きっとあなたもそこにいるだろうから。何でオレのこと置いてっちゃったんですかー! って。庇ってもらってこの言い草も失礼だとは思いますけど、その時はもう悲しくて悲しくて。
でもね、言えなかった。
結局、オレも同じことしてるわけでしょう? あれですよね、親の心子知らず。師匠の心弟子知らずかな? どっちでもいいですけど。
何があっても生きて欲しかった。あの子に。あの子が最後の希望だから、とかじゃなくて。単純に。
あの子にこそ生きていて欲しい、って。
それでね、その時漸く気付いたんですよ。あなたもそう思ってくれていたんだな、って。忘れてたわけじゃないですよ、ベジータさん達が始めに地球に来た時のこと。でもね、それでも、やっぱり置いてかれた、って気がして。大人は皆いなくなっちゃうし、人造人間はどしようもなく強いし。オレなんかに何が出来るんだろう、って。お父さんもいないし、ずっと庇護される立場だったのが急にする立場に引きずり出された、っていうか。もう、グラグラ不安定もいいとこでしたよ」
思い出す。何をすればいいのか分からず、破壊兵器にずたずたにされていく街を人を瓦礫の影に隠すことしか出来なくて。
自分のあまりの弱さに呆然と立ちすくんだ。
そんな自分を拾い上げてくれたのは、空色の光。
うろたえるだけの悟飯を叱り、励まし、殴り飛ばして。支えられている振りをしながら、悟飯が一人で立てるようになるまで支え続けてくれた。あんなに優しい怒った顔、悟飯は見たことがなかった。
「ブルマさんと、あの子がいてくれて本当に救われました。
それに、あの時分からなかったことを教えてくれた。でなきゃ、大事なお師匠様のガラスの心を傷付けちゃうところでしたから」
でもねぇ、と悲しそうにため息を吐く。
「あの子は責めてくれないんです。よかった、って。生き返ってくれて、また会えて嬉しい、って。それだけ。重荷、全部背負わせちゃった僕に、恨み言の一つもなしで。良い子だと思います。それこそ自慢の弟子です。だけど、」
「お前に似たんだろう」
それまで黙って悟飯の話を聞いていたピッコロが口を開いた。見上げる悟飯にちょっと笑って、くしゃり、と頭を撫でる。
悟飯は「もう子供じゃないんですよ」と呟いた。昨夜の別れ際の弟子のように。
父親に対しては素直に受け入れられたのに。師匠に対しては何と言うか、意地を張りたいわけではなく。認められたいという気持ちはあるけれど、それとも何となく違って。
きっと。
「オレにとっては子供と変わらん」
こう言ってもらいたいがための、小さな甘え。
いつまでもお前はオレの大事な弟子だ、と。当たり前に言ってくれる人に対しての。当たり前に言ってくれることを期待しての。
「で、何でこんなことを言ってるかって言うとですね」
惚気、なんて言ったらこの人は怒るんだろうな。それとも惚気が何なのか分からなかったりするのだろうか。想像して、悟飯はちょっと笑った。
半分は惚気。残りは師匠への孫弟子自慢。ピッコロに憧れてここまできた。強くて優しくて、時には厳しくあれるように。そんな自分のお披露目。
あなたの教えをちゃんと受け継いでいられるといいのだけれど、と思いながら。
まあ、とっくの昔にトランクスを知っていたのだから無意味だったかもしれないけれど。
それと。
彼には彼の世界のピッコロがいる。だから、これはこの世界の自分への贈り物。
「ピッコロさんがいないともっっっのすごく悲しむ子がいるんで、無闇矢鱈と自爆とか庇ったりとかしちゃ駄目ですよ」
「……お前が言うか」
「オレだから言うんです」
変わらないピッコロの姿に喜んだのは本当。だけど、きっと変わってくれなきゃ悲しむ人がいると思ったから。教訓混じりの恨み言。この師匠にはどうしたって甘えてしまう自分を悟飯は自覚していた。
「さて、言いたい事言っちゃってすっきりしました」
よっこらしょ、と立ち上がる。きっとやきもきしているであろう可愛い弟子の元へと行かなければ。
「オレはすっきりしとらんぞ」
「あはは、ごめんなさい。あ、そうだピッコロさん、言い忘れるところでした」
「何だ」
「だいだいだいだいだぁ~い好き、ですよ」
子供の頃のままの顔で告げられた予想外の言葉にピッコロは目を丸くする。
そんな師匠が愛しくて、悟飯は声を上げて笑った。
***
トランクスは軽く眼を見開いた。悟られないよう微かにだったけれど、目の前の人は敏いのか疎いのかよく分からない。
「え、いや、気にしてはいませんけど……」
失礼ながらも彼は鈍い人だと思っていたので、声を掛けられてつい驚いてしまった。
悟飯とピッコロが気になるか?
悟空にそう聞かれ、トランクスは考えつつも首を横に振った。本当は気になって仕方なかったけれど。
トランクスの知っている悟飯は、誰かに甘えるなんてことをしない、しっかりと自分の足で立つ、立派な大人であったから。
最近ようやく自分がそうさせていたのだろうな、と考えられるようにはなったけれど。
やっぱり自分の知らない悟飯の姿を見てしまうと、少し寂しくなってしまう。悟飯のことは自分が一番知っていたいなんて。それがおこがましい考えであると分かっていても、だ。
「そっか?」
「はい……」
嘘だ。
しかし悟空は何も言わない。ただ黙ってトランクスの隣にいる。
少し離れた所ではデンデと悟天がじゃれ合っている。穏やかな光景にふっと微笑んで、トランクスは意を決したように口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「悟飯さんは昨日……生き返ったことについて何か言ってませんでしたか……?」
一番聞きたくて、一番聞きたくないこと。でも、聞かずにはいられない。知らないわけにはいかない。知らないふりなんてとんでもない。
一晩寝て気付いた。
悟飯が生き返ったことを喜ぶばかりで、彼の気持ちを考えていなかったことに。
無理やりとも呼べる方法で永久の眠りから強引に目覚めさせてしまった。
悟飯は笑っていてくれたけれど、迷惑だったのではないか、と。考える。
界王星には悟空もピッコロもいたと聞いた。他にも、大事な戦友たちが。
幸せだったのではないだろうかと思うのだ。無理に生き返させられるより、余程。再び生きる苦しみを味わうことになるとは思ってもみなかったに違いない。
生き返って嬉しいというのはトランクスの主観だ。
笑顔でいてくれたのは彼の優しさで、悟飯にとってはいい迷惑だったのではないのかと。
本当は、自分勝手なトランクスに怒っているのではないかと。
考え付いた。
そう言われるのが怖いくせに、聞いてしまうのは心が弱いからだ。
「別に何も言ってなかったぞ」
「……怒ってませんでした?」
「怒る? 何にだ?」
「オレが……勝手に、オレの勝手で悟飯さんを生き返らせたこと……」
悟空はぱちくりと目を瞬いた。トランクスが何を言っているのか分からないというように。
その様子を見て取って、トランクスはゆっくりと思っていたことを話した。
黙って最後まで聞いていた悟空だったが、話し終えて俯くトランクスの顔を覗き込み、その鼻をぴん、とはじいた。
「ごっ、ごきゅうひゃん!?」
「おっめぇ、そんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって……大事なことでしょう?」
生き死には、軽いことじゃない。トランクスはそれをよく知っている。会えない辛さも、大事な人から急に引き離される悲しみも。
でなければこんなに胸が苦しくなったりしやしない。
トランクスが悟飯に会えて嬉しかったように、悟飯もピッコロに会えて嬉しかったはずなのだ。まして、「大のお父さんっ子だったよ」と話してもらったことも覚えている、そんな悟空もいたのに。
「生き返らなければよかった、って……思ってるかもしれない……」
口にしたら余計胸が締め付けられた。
そんなこと、思って欲しくはないけれど。
トランクスには悟空やピッコロ以上に「生き返ってよかった」と思わせるほどのものを、悟飯に与えられるとは思えなかった。
自分は悟飯から奪ってばかりいる。
悟空も、ピッコロも、腕も、命さえも。
自分が我が侭を言わなければ。自分がもっと強ければ。あんなことにはならなかったのに、と。
何度後悔してもし足りない。
悔しさの滲む表情で語る姿を見ながら、悟空はぽりり、と鼻の頭を掻いた。
『真面目なのは誰に似たんでしょうねぇ』
昨夜の息子の言葉を思い出す。
「そんなこと、ねぇと思うけどな」
悟空は言った。
顔を上げると、いつもの笑顔を向けている師匠の父に頭を撫でられた。
悟飯によく似た、大きくて温かい節くれだった武道家の手。
撫でてもらえるのが嬉しくて、何とか褒められようと必死で修行したことをトランクスは覚えている。今は照れくさくて素直に撫でて欲しいなんて言えないけれど。
「オラもいっぺん死んじまったろ? だから、全部じゃないけど少しはあいつの気持ちが分かるんだ」
ほんとにちょっとだけな、と言い置いて悟空は考え考え話し出した。
「いっちばん初めに死んだ時はよ、一年したら生き返れるって分かってたし、オラもそのつもりだったから特に考えることはなかったんだ。……チチが怒ってるだろうなーとは思ったけど。
そんで……ほら、セルん時。死んだばっかの時は考えなかったんだけど……たまーにさ、覗いてたんだ。あいつらが危ねぇ目にあってねぇかとか。
でもよ、ほんとに覗くだけなんだよな。何も出来ねぇんだ。話しは界王様に頼めば出来るんだろうけど……川に流されてる時に声掛けたって何の助けにもならねぇもんな……」
そういえば、とトランクスは思い出していた。
悟天が小さい頃、川辺で遊んでいたら足を滑らせて落ちてしまい、そのまま流されてしまったことがあると。悟飯も似たような経験があり、その時は悟空に助けてもらったが、悟天は自分が助けたと少し誇らしげに笑っていた。
悟空はきっとそのことを言っているのだろう。
「あいつらがどんなに辛い目にあってても、死んでたら手助けも出来ねぇんだ。それがいっちばん嫌だったな。オラがいねぇと何も出来ない、ってんなら別だけどよ、もう少し、あとちょっと力を貸してやれれば、って時もただ指くわえて見てるしかないっつーのが一番堪えたな。
それに、あの世にもいい奴はいっぱいいたし、楽しかったけど、そこにはチチも悟飯もいねぇ。あいつらの側にオラがいねぇのと同じで、オラの側にはあいつらはいねぇんだ。気付いた時にはすっげぇ寂しくてよ。
後悔してるわけじゃねぇんだ。あの時はそれが一番いいと思って選んだことだから。
でもよ、今はこうして生き返って、チチも悟飯も悟天もいる。クリリン達にも会いにいける。困ってたら助けてやれる。生き返ることが出来てよかったって思ってる。生き返って後悔なんかしてねぇ」
だからよ、と彼は続けた。
「『生き返らせなきゃよかった』なんて酷ぇこと言わねぇで、優しくやってくれよ」
「………はい……ごめんなさい」
勝手に生き返らせて、勝手に分かったふりをして、勝手なことばかりを言って。
後悔せずに生きること。やれることをやるということ。
それこそが大事なんだよ、と優しい声でに教えてもらったはずなのに、こんなにも簡単に忘れて、彼の父親に泣き言を洩らして、慰められて。
何て至らない弟子なんだろうか。情けなくて、悔しくて。
「そんな顔すんなって」
「でも、オレ……悟飯さんに申し訳なくて……」
ぎゅう、と拳をきつく握り締める。短く切り揃えているはずの爪が手の平に食い込む。
血の匂いに気付いた悟空は、トランクスの背を優しく叩いた。そして握りこぶしを開いてやりながら息子自慢の優しい弟子に笑いかける。
「置いてかれる辛さってのはよ、あいつも知ってんだ。オラの所為で。だから、怒ってるわけねぇと思うぞ。それより、おめぇに怒られねぇかビクビクしてんじゃねぇか?」
「そんな……オレに怒る資格なんてないです」
「シカクとかそういうことじゃねぇと思うけど……あーぁ、トランクスおめぇ強く握りすぎだ」
開かせた手の平を見て悟空は顔を顰めた。この短い爪でよくぞ、と言ってやりたい。褒めてはいないが。
涙の代わりに血を流しているのだろうか。
どうせ流すなら、喜びの涙だけであって欲しいのだけど、と思う。
それは無意識だった。小さな頃からかすり傷なんかはこうやって直してきた。それで充分だったから。
「ごく、ごっ、悟空さんなにしてるんですかっ!?」
「へ? 消毒」
んべ、と舌を見せる。
怪我は舐めときゃ治るからな! と悟空は力強く断言する。確かに唾液には殺菌作用もあるのだが、それ以上に雑菌が含まれているので怪我した場所を舐めるというのは本当は推奨された消毒ではない。
しかし今トランクスはそういう理由で慌てているのではなく。
「結構ですから! そんなそんな舐め舐め舐め……っ!!」
「お、血ぃ止まったぞ」
「……人の話聞いてください……」
がっくりと肩を落とすトランクスに悟空は首をかしげた。何故トランクスが慌てているのか本気で分かっていないらしい。
そういえば彼の長男も似たようなところがあった、とトランクスは師匠を思い出してそっと体温を上げてしまう。
顔を赤らめているトランクスを眺めながら、悟空はふと昨日のことを思い出す。
***
トランクスたちが帰った後、宿題と予習をするからと部屋に引っ込んだ(と言うのは勿論名目である)長男と、昼寝をしたとて育ち盛りのおねむ次男を寝かしつけ、親子三人水入らずで食卓を囲んだ。お茶を飲みつつお菓子をつまみ、これまでのことを語り合った。
別世界の息子の口から出てくるのは殆どがこの愛弟子の名前で、たまにブルマやピッコロ、そして悟空が出てくるくらいだった。
あまりにも自分の名前が出てこないことにチチが拗ねて宥めるのが大変だったのだ。
トランクスのことは勿論一緒に戦った仲間として大事に思っている。姉のような関係であるブルマの息子でもあるし、同時にライバルの息子でもある。それを除いても気持ちのいい青年だ、充分に好意を持てる。
しかし、悟飯の口から語られるトランクスは、悟空の知っているトランクスと同一人物だとはとても思えなかった。
悲しくて泣いて、嬉しくても泣いて、ピーマンが苦手でトマトが好き。カレーの具はじっくり煮込んだ具が溶けかけのものが好き。だけど肉は固めがいい。
怖い話を聞くと夜眠れなくなる。そして悟飯の布団にもぐりこんでくるのが嬉しくて、何度も怖い話をした。そのくせ強がってなんでもないふりをするから、また繰り返し。最後にはブルマに怒られた。
女の子に話しかけられるとすぐに顔が赤くなって、それをからかうとすぐ拗ねる。終いには「師匠が女の子に弱いから受け継いじゃったんです」と減らず口。だからって悟飯が女の子と長話をしているとまた拗ねる。
トランクスが可愛くて仕方ない、というような口ぶりに、初めは拗ねていたチチも最終的には呆れながらも笑っていた。
片腕を失くしたことさえ、大事なものを守って負った名誉の負傷だと告げた誇らしげな顔。
悟空とて、いくら鈍いと言われていても、そこで息子の気持ちが分からないほど鈍くはなかった。
だからチチが風呂に入ると席を外した時、ついつい言ってしまった。
「ごはぁん、おめぇそんなとこまでピッコロに似なくてもいいんだぞ」
「そんなとこって、どんなとこです?」
「いや、だってよぉ、おめぇたちのそれ、トランクスが師匠離れ出来てねぇんじゃなくて……」
「オレが弟子離れ出来てない、でしょ?」
「へ?」
「あはは、ちゃんと分かってますよ。でもねぇ、離れる気も放す気もないんです」
どうしようもないことに、と幸せそうに笑った。
その表情だけでもう、悟飯がどれだけトランクス大事なのか思い知らされるというものだ。
けれど同時に彼の執着をも見せつけられた気がして。
「悟飯が苦労かけると思うけど、よろしくな」
「?」
苦労をかけているのはオレですよ、と不思議そうな顔をするトランクスの頭を撫でて、いつの間にやら柱の影でやきもきしている息子の気配に悟空は笑った。
***
悪化してる。
トランクスはずきずき痛む胃をこする。隣では悟飯もまた同じようなポーズで同じような仕草。
なるべく見ないようにしている場所では別の自分とその師匠がいちゃいちゃしている。見たくないなら目を閉じればいい。けれど耳を塞ぐなんて、あまりにあからさますぎて人のいい少年たちは漏れ聞こえる糖分過多な会話に胃もたれを起こしつつも何も出来ない。
学校が終わってすぐに神殿に来たのだけれど、それは失敗だった。ていうか来なきゃよかった。心底そう思う。
きっと隣でお茶を啜っている振りをしている悟飯も同じだろう。ちっともお茶が減っていないのはご愛嬌。演技が下手な少年なのだ。
「いつからあれ、やってるの……?」
「オレが来たときはもうずっとあれだったよ……」
「トランクス君が来る前からずっと二人でらぶらぶ? してたよー」
「ご、悟天お前らぶらぶとか言うなよ!」
ぴぎゃー! とトランクスは叫ぶが、無邪気に笑う悟天はただ首を傾げるだけ。何故幼馴染が涙目になっているのかなんて分からないのだろう。
悟飯はあーあ、とため息をついた。
ちら、と視線を送り、やっぱり見なきゃよかったと頭を下げて肩を落とす。
居た堪れない。
何でだろう、と悟飯は思う。
トランクスは好きだ。隣で「悟天のバカバカ」と涙声で呟く少年も、視界に入らないところで頬を染めている青年も。前者は弟のような、後者は戦友、または兄のような愛情を持っていると断言できる。
けれどあの、未来では亡くなっていたという彼は。
「あーん」
「あーん」
右手にティーカップを持っている彼はお茶菓子を手に取れない。だからトランクスが代わりに摘んで食べさせている。というのはただの名目。
別にテーブルにティーカップを置けばいいのだ。それで全て解決する。
だが悟飯は置こうとしないしトランクスも何も言わない。そして延々駄目ップルの会話は続く。
「他に食べたいもの、無いですか?」
「んー……じゃあ、トランクスが食べたいな」
「何言ってるんですか、悟飯さん」
「この頬っぺたなんて、齧ったら甘そうだよね」
「そんなわけないでしょう。はい、あーん」
「あーん」
あんたらなんて会話を。
師匠が弟子に対してするようなそれを通り越した会話に、悟飯はちびっこ二人の耳を塞ぎつつ、心の中で絶叫した。天津飯のように腕が四本もあるわけではないので、片方の耳しか塞げなかったけれど。トランクスの右耳と悟天の左耳を手で塞ぎ、残りをお互いの耳で塞いでもらおうとしたらつい力が入ってがつんとやってしまった。
慌てた所為でちょっと力が入ってしまったけれど、その衝撃で駄目な大人二人の会話は耳に入っていないらしい。というかくらくらと頭が揺れている。
悟空はぱちくりと目を瞬かせ、ピッコロは視線を逸らし、デンデは静かに苦笑した。
「昨日はあそこまでじゃなかったでしょう。何があったんです」
じと、と悟飯はピッコロと悟空を睨みつける。ピッコロは目を逸らして悟空を見つめ、悟空はきょとんと首を傾げた。
この時点で元凶が誰だか丸分かりというものである。しかも本人無自覚ということまで。
「……何してました?」
「ああ、トランクスに……」
恐る恐る見上げる悟飯にピッコロが事情を話そうとした時。
「あっ、ちょ、悟飯さん、オレの指は食べ物じゃありませんよ」
「このまま全部食べちゃおうか」
なんちゃってね。
うっとりするほど爽やかな笑みでとんでもないことをのたまう悟飯に、これまた頬を染めたくなるほど可愛らしい表情で俯くトランクスにもう一組の悟飯とトランクスはげっそりする。
なんちゃってが本気に聞こえないこの恐ろしさ。
両腕をこすって暖をとろうとするが、そんなことでこの薄ら寒さは拭えない。
しかもその上とんでも師匠はとんでもないことを言い出した。
「食べちゃう代わりにキスしちゃおうかな」
「は!?」
何を言っているんだ、と真っ赤になるトランクスに更に一言。
「お父さんにキスされたとこも、全部ね」
「……」
「……」
「……」
「悟空……」
「悟空さん……」
「お父さん……」
ピッコロとトランクスと悟飯の冷たい視線を一身に受け、悟空はちょっと後退り。怖いもの知らずの悟空だって、こうも恨みがましい目でみられたらやっぱりびびる。しかもうち二人は精神的ダメージがとんでもなく大きいものだから、視線も尚更厳しくなろうというものだ。
「悟空さんの馬鹿……」
「わ、わりぃ……」
「お父さんのいらんことしい……」
「すまねえってぇ……」
「今晩のデザート抜きですからね」
「いぃっ!?」
そりゃねぇよぅ、と嘆く悟空の声が雲より高い神殿に響き渡る。
しかしそんな中でも未だ見詰め合う師弟はキスするしないやめろやめないでその後二時間いちゃこらし続けたのだった。
***
甘く漂う苺の香り。紅茶に野苺の香りを付けたんですよ、と新米神様が教えてくれた。
こくん、と喉を鳴らして悟飯は「そう言えば」と口を開いた。
「未来へはいつ帰ろうか」
トランクスの指からすり抜けたティーカップとソーサーが触れ合って軽い音を立てる。零れなかったのは運がよかったのだろう。見ていたデンデはほっと胸をなでおろした。
そしてすっかり忘れていたことを師匠に言われて初めて思い出し、トランクスは自分の間抜けさに頭を抱えた。もっとも、原因は悟飯にもあるのだけれど。
「えーと、オレはもともと明後日帰る予定だったんですけど」
「そうか、じゃあ明後日だね」
事も無げに言う悟飯に、トランクスはいいのだろうか? とその顔を見上げる。悟飯が望むのなら、延ばしたっていい予定なのだ。
確かに帰りづらくはなるかもしれないけれど、今のトランクスには悟飯以上に優先されるものなど無いのだから。
しかし悟飯は笑ってトランクスの頭を撫でた。
「問題は、タイムマシンにオレも乗れるか、ってことだよなぁ」
まさか置いてけばりになんかしないよな? と笑われる。
「そ、そうだ……タイムマシンは一人乗り……!」
うっかりな所は母親譲り。
相変わらずな弟子に苦笑して、悟飯は師匠を見上げた。緑色の耳をぴくりと揺らしてピッコロは目を反らす。
無茶を言うな、ってなもんである。
元神様だろうが優秀なナメック人であろうが、あんな複雑な機械をどうこう出来る力はない。悟飯も多大な期待はしていなかったのでそれ以上は何も言わない。
役立たずと言うなかれ。ブルマがとびっきりの天才なだけなのだ。機械に関しては、の但し書きは付くけれど。
だからこういう時は。
「ブルマさんに相談してみようか」
「はい……」
トランクスがしょんぼりしながら頷く。そんな姿も可愛いな、なんて思ってしまうは馬鹿師匠。しょんぼりするだけ無駄なのだ、とトランクスに教えてくれるお人よしはいなかった。
***
孫家の男共に「またね」と手を振って別れ、二人のトランクスと一緒にカプセルコーポレーションへと飛んできた悟飯の姿に、ブルマはひゅう、と口笛を鳴らした。隣で「鳴ってないぞ」と呟く夫の鳩尾にチョップをくれてやると、初めて見る息子の師匠をまじまじと見分する。
「へーえ、あの悟飯君がねぇ。いい男になるもんねぇ」
へーほーふーんと眺められ、悟飯は困ったように笑った。ベジータの足元では小さなトランクスが複雑な顔をしている。
どんなにいい男でもその全ては可愛い弟子の為に、だ。まったく何の意味も無い。
被害を一身に受けることとなった少年は痛くも無い腹を押さえてぶすくれている父親にすがりつくことも出来ずにただ只管これ以上厄介なことが起きませんようにと祈るばかり。
そうね、と少し考え込んだ後、ブルマは思い出したかのように告げた。
「ミクロバンド作ってあげるわ」
「ミクロバンド?」
「要は二人乗れればいいんでしょ? 片方が手のひらサイズになれば十分乗れるわよね」
トランクスは頷いた。悟飯を見上げると、それでいいよ、と目で返事が返ってきた。
設計図は残っているから明後日には出来るはずだ、とブルマ頼もしく請け負う。
「にしても懐かしいわね~。私筋斗雲に乗れなかったから、小さくなって孫君の懐に入れてもらったのよ」
「おい、どういうことだ! 聞いてないぞ!?」
「言ってないもの当然でしょ。だいたい、あんたに会うずっと前のことだもの」
何だかんだで愛妻家の王子様である。しかも話に出てきたのはライバルの名前。
むがががが、と額から蒸気を出すベジータを軽くあしらい、ブルマは早速作業室に入って行く。残されたベジータも悟飯を一瞥しただけで、何も言わずに小さなトランクスを引きずりながら重力室に向かう。
何でオレ、というトランクスの悲痛な叫び声が廊下にこだまし消えていき、途中で「うぐぅ」と鈍い声が聞こえたのはきっと殴られでもしたのだろう。勿論八つ当たりだ。
「……うーん、ベジータさんってあんなだったっけ……?」
長い平和とブルマの功績で丸くなったかつての侵略者。今ではすっかり愉快なパパである。
怖い人、という印象のまま人造人間と戦って命を落としたベジータしか知らない悟飯にとって、たった今目の前で繰り広げられた光景は俄かには信じ難い。
それでも幸せそうだな、とちょっと笑う。
何しろあの悟空でさえたじたじにしてしまうほどのパワフルガールだったのだ、ブルマは。本人が聞けば「今もよ!」と頬を膨らませるであろうけれど。
トランクスも会ったばかりの頃とは大分変わっている父親に、ブルマの偉大さを実感する。そして赤ん坊だったトランクス。あやした記憶さえ新しい子供が。
やっぱり育つ過程を見ていると、父親としての自覚も出てくるものなのだろうか。
ちょっと羨ましいな、とも思うけれど。
「きっとキミに会ったからだろうね」
悟飯がそう言ってくれるから、それもあると嬉しいな、と都合のいい解釈で納得してしまうことにした。
***
「悟飯ちゃんはトランクスちゃんのお隣の部屋でいいかしら~?」
のんびりとしたブリーフ博士の奥方の言葉に、悟飯は「はい」と頷いた。トランクスにも勿論異存は無い。
トランクスの部屋の隣室に案内され、部屋をぐるりと見渡した悟飯は弟子の祖母に頭を下げた。
「お世話になります」
「いいのよ~、何日だっていてくれても。
悟飯ちゃんもこんなに格好よくなるなんて、さすが悟空ちゃんの子供ね~。
明日デートしない?」
「え!?」
「だっ、駄目です!」
驚く悟飯と大慌てで首を振る孫の姿に、けれどブリーフ夫人は「あら残念」と微笑んだだけで退室した。その不思議な笑みにトランクスの頬が染まる。何だか色々と見透かされている気がする。
そんなトランクスには気付かず、悟飯は「あの人は何年経っても変わらないなぁ」と感心していた。
そういえば年を取っていないようにも見える。……まさかサイヤ人じゃないよな、という悟飯の呟きに、二人は顔を見合わせ引き攣った笑顔を見交わした。
「ま、まあ、そういう体質なんだろうね」
「そうですよね、きっと若い時代が長いんですよね」
「それってサイヤ人の特性だよね」
「………」
「ぷっ」
「……面白がってるでしょう」
「よく分かったね」
分かりますよ、と拗ねる弟子に微笑みかけて、悟飯はソファ代わりにベッドへと腰掛ける。睨みつけてくるトランクスにおいでおいでと手招きして、渋々近付いてきたその腕を引っ張った。
「うわ!?」
「あはは、重くなったねぇ」
トランクスの全体重をその身体で受け止めて、悟飯は朗らかに笑ってみせた。
その様子はまるで。
「孫の成長見守るおじいちゃんみたいですよ」
「……おじいちゃんなんて年じゃないよ」
弟子に甘いお師匠様も、さすがにジジイ扱いは嫌だったらしい。
めっ、と怖い顔をしてみせる。勿論怖くなんてないのだけれど。
そのまま何となくお互いに口を噤む。
話す事は沢山ある。話したい事も沢山ある。
だけど触れ合った場所からじんわり広がる体温が温かくて、それだけで全てが通じ合うような気がして。
トランクスはそっと目を閉じた。うつ伏せで悟飯に覆いかぶさっている体勢のお陰で、そんな小さな仕草も悟飯には分かってしまう。
甘える時、甘えたい時、トランクスはいつもきゅう、と目を瞑る。そんな弟子の仕草が嬉しかったものだ、と悟飯も笑って目を閉じた。
そのままどれだけ引っ付いたままでいただろうか。トランクスははたと気付いた。
いつまでもこうしているわけにもいかないことに。
カプセルコーポに着いたのは既に夕方近くになっていた。そろそろ夕食の集合がかかるはずだ。『ご飯は皆で食べたいじゃないかbyブリーフ』である。
このままでは誰か、有力なのは小さなトランクスが、きっと二人を呼びに来るだろう。わざわざ手間をかけさせるわけにもいかない。何せ朝からつっこまれっぱなしだったのだ。
「悟飯さん、そろそろ晩御飯の時間ですよ」
小さな声で呼びかける。しかし返事はない。
「悟飯さん……? 寝ちゃったんですか?」
戻らない返事に少し焦って身体を起こす。しかし悟飯はのんびりと閉じていた目を開けた。
「ん? いや、起きてるよ」
トランクスが起きて出来たスペースに、悟飯も身体を起こす。その時聞こえた「よっこらしょ」という呟きは、礼儀正しい弟子はきちんと聞かなかったことにしてあげた。
「ご飯はみんなで一緒に、だよね?」
「はい。覚えてたんですね」
「ブルマさんに散々言われたからねぇ。まあ、オレの家もそうだったけどね」
行こうか、と手を差し出される。
トランクスは迷わずその手を取り、
「またかよこの駄目師弟」
結局はお手々繋いで食卓へ着いた二人を見たチビトランクスの冷たい視線を浴びることとなったのだった。
***
和気藹々とした夕食。一家の団欒。絵に描いたような温かい家族。
「悟飯さん、これ美味しいですよ」
「そう? オレにも取ってくれるかい」
「じゃあオレが食べさせてあげますよ。
はい、あーん」
「あーん」
絵に描いたようなバカップル。
「……あれは何だ」
ベジータは頭痛を抑え、隣でもぐもぐ口を動かす妻に問いかけた。
「仲良しでいいじゃない」
仲良しなんてもなじゃないだろう。
暢気も大概にせえよ、とは口が裂けても言えない愛妻王子。しかしその間も視界には痛々しい光景が入ってくるわけで。
ブリーフ夫妻は「仲良きことは美しきかな」とか何とか微笑ましく見守っているし、トランクスに至っては自分よりも重症だ。普段はあっという間に平らげる量の食事も、今日に限ってはいまだ手付かずでテーブルに鎮座している。
無理も無い。学校が終わった後からず~~~~~~~っと見せ付けられっぱなしなのだ。やつれているようにさえ見える。
はぁ、とため息をつく。そんな夫にブルマはにんまり笑って手近な料理をフォークに突き刺し。
「ベジータ」
「何だ」
「あーん」
がごん。ずりごきゅ。
トランクスはテーブルに額をぶつけ、ベジータは無様にも椅子から転げ落ちた。リアクション芸人も真っ青だ。
「うふふ、ブルマさんとベジータちゃんも仲良しさんねぇ」
「そうだなぁ」
「じゃあパパにも、あーん」
「あーん」
大物だ。
二人のリアクションにも動じず、にっこり笑いあって自分たちも同じことをし始める妻の両親に、ベジータはいまだかつて無い敗北感を味わった。
この夫婦から生まれたのがブルマだというのなら、自分が連戦連敗であるのも頷けるってなもんだ。……限りなく認めたくない事実だが。
「ほらほら、あーんは? ベジータ、あーん」
「誰がするか!」
「何よぅ、あたしの料理は食べられないっての?」
「酔っ払いか貴様は! というかそもそもお前は作っとらんだろうが!」
いつものメンバーが集まるパーティなどは別だが、普段の食事は料理マシンが作っている。と言ってもそのパーティの料理もサンドイッチやバーベキューなど簡単なものばかりなのだけれど。
断固拒否するベジータに頬を膨らませ、ブルマは夫にえいやっと飛び掛る。妻の急襲に慌ててよけようとするが、今ここで避ければブルマは確実に床と仲良しこよしである。
そう考えが及んだ時点でベジータの負けだった。
「あーん」
「むがっ」
がぽんっ、と喉の奥にまで突っ込まれる。何かの苛めとしか思えない。
しかし目の前で「どうだ嬉しいだろう」と言わんばかりに目を輝かせている妻を見ていると、必死で租借して頷いてやらなければいけない気になるのだからどうにもこうにもこの愛妻家。結局はバカップルの片割れの父親なのである。
ベジータ連敗記録絶賛更新中だ。
そんな父親の様子をトランクスはキラキラした目で見つめた。
「母さんに見せてあげたい……」
「よかったな、トランクス」
「はい!」
両親の仲がいいというのは子供にとっては何よりの幸せだ。しかも隣には大好きな人。
幸せ絶好調のトランクスは満面の笑みで大きく頷いた。そんな可愛い弟子に悟飯の顔も自然と緩む。
にっこり笑って見詰め合う。それだけでお腹一杯だ、と言わんばかりに。実際にはかなりの量を胃袋に収めているが、それはそれ。愛しい人の笑顔は別腹だ。
そうして最終的には三組の「はい、あーんv」を見せ付けられるハメになったちっこいトランクスは。
「大人なんか……」
絶対こうはなるものか、と固く固く、決意を新たにした。
***
本を捲る音がする。
テーブルに分厚い本を置き、悟飯の節くれだった指が器用にページを捲っていく。
真剣な目で活字を追う悟飯の横顔を、トランクスはベッドに寝転んでうっとりと見つめる。
きりりと太い眉、難しい字があったのかたまに細められる目、すぅっと筋の通った鼻、引き締められた唇、何もかもが。
(格好いい……)
恋は盲目。しかも今この場所には突っ込んでくれる人は誰もいない。
どうにも騒がしい夕食を終えた後、家族はそれぞれの部屋に引っ込んだ。トランクスもいつもなら小さなトランクスの部屋で一緒に寝るのだが、今日は悟飯もいることだしと、この部屋に泊まることになっていた。
というか、隣室から物音がするたびにそわそわと落ち着きをなくすトランクスに、限界を迎えたちびっこから「うちのベッドはダブルベッドよりでかいんだからあっちでも寝れるだろ!」と追い出されたというのが正しいのだが。
控えめに叩かれるドアを、来るのが分かっていたとでもいうようにすぐさま開いた悟飯は、珍しく紅潮した顔でトランクスを招き入れてくれた。一歩足を踏み入れたそこは本のジャングル。唯一本の侵蝕を免れていたのはベッドと椅子、そしてドアの周辺のみ。
未来では学校や図書館なども破壊され、本は焼けて中々手に入りにくいということをトランクスから聞いたブルマが『どうせ自分は暗記していて読む必要などないのだから、好きなだけ持っていきなさい!』と豪快に渡してくれたのだ。天才であるにはあるのだ。必ず『機械に関しては』との限定詞がつきはするが。
トランクス曰く、復興が進んでいるとはいえ、学者をやっていくにはあの世界は貧窮しすぎている。破壊するのは容易いが、生み出し守ることは難しい。その見本だ。
けれど勉強してしすぎることはない。都再建の役にも立つだろうし、そもそも何かを知るということが大好きな悟飯なのだ。
悟飯は有り難くその申し出を受け、貰えるだけの書物をカプセルに詰め込むことにした。
今読んでいるのはその一部である。
招き入れた後、お茶でも淹れようか、お菓子でも貰ってこようか、小さなトランクスからゲームでも借りてこようか、とトランクスを構い倒そうとする悟飯をトランクス自身が止めたのだ。
自分も少し読みたい本があるから、と明るいデスクライトを悟飯に譲り、ベッドに腰掛け適当な本を手にとって。けれどそのページは一枚も捲られることは無くいまま。
楽しそうに知識を吸収する悟飯。それをただ見続けることの出来る時間。
この時間がずっと続けばいいのに。
幸せだ、とトランクスは目を細めた。
夜の闇にまぎれて雨の音がするまでは。
***
トランクスの気配を感じて、悟飯は文字から目を離し顔を上げた。
いつの間に近付いたのか、俯いたままの弟子の顔を覗き込み、悟飯は驚いて立ち上がった。
蒼白なその顔色に肝が冷える。
「悟飯さん……」
「どうした?」
声をかけ、トランクスの冷たい指先を握りこむ。
「帰りましょう。すぐ。今から」
掠れた声でトランクスが呟く。
無理だと知って、それでも口にせずにはいられなかった。
こればかりはこの約十年間ずっとどうにもならないまま。ただ布団に丸まって時が過ぎて音が止むのを待つだけだった。そうするしか出来なかった。
悟飯は考える。
さっきまでは笑っていたはずだ。こっそり盗み見た彼は、楽しそうに自分を見ていたから。それがくすぐったくも、ちょっと嬉しかった。
なのに何故。
さっきと違うことは何だろうか。何が彼をこうも怯えさせているのか。
降りた沈黙で、悟飯は漸くその音に気付いた。
そうして思い出す。永遠の別れを経験した時のことを。
「雨は嫌い?」
悟飯が低い声で聞くと包み込んだ指が震える。
「オレの所為かな」
質問ではなく確認。
服をぎゅぅぅうう、と掴まれた。それが返答。
怯える子供のような仕草に、心臓を鷲掴みにされた。責めてくれないのが辛いだなんて、どの口が言ったものか。
怒られるよりも堪えた。
こんな顔をさせるなんて。
生き返った時の涙は、あれは喜んでくれているのだと、迷うことなく言えたから。でもこれは。
「……おいで」
繋いだ手をそのままに、本を掻き分け歩く。
素直について来るトランクスは、離せば消えてしまうのではないか、というほどにしっかりと悟飯の服を握り締めていた。間抜けな格好なのだろうな、とは思うが悟飯には何も言えない。
ぽすん、とベッドに座る。隣に座る弟子の揺れる瞳を感じ、悟飯は安心させるように笑った。
ここにいるよ、と。
引き寄せて、抱きしめる。いくらでも体温を感じればいい。ここに生きて存在しているという証。
それでも足りないのなら、流れる赤い血を見せてもいいとさえ思う。そんなことをすれば余計に不安にさせるだけだから実際にしたりはしないけれど。
腕を失った時も泣かせてしまった。あんな顔、もう見たくない。
後悔と、罪悪感とに塗れたあんな顔。
何度キミの所為じゃないと言っても聞いてもらえず、最終的には力技で納得させた。かなり強引だったかな、とは思うけれど、如何な悟飯とて若気の至りとはあるものなのだ。
どうせ離す気などないのだし、とその時は無理やり自分を納得させた。
まさか死ぬなんて思っていなかったから。
絶望感と無力感に苛まれて薄れ行く意識。襤褸雑巾よりもずたぼろになって、服も髪もしとどに濡らす雨の中、体温を奪われながら心に浮かんだのはただ一人。
自分を師匠と呼び、母親にさえ見せない泣き顔を見せ、無条件に与えられる信頼を、生きる理由をくれた空色の瞳。
また泣かせてしまう、と思った。
しかも今度は取り返しがつかない。既に指を動かすことすら億劫なのだ。
ごめんね、と謝った。
一人にしてしまうこと。人造人間を倒せる唯一の存在にしてしまうかもしれないこと。生きて生きて生きて、絶対に生き延びなければならない存在にしてしまったこと。それを願ってしまったこと。
声になっていたかは分からない。音になっていたとしても、それがトランクスに聞こえるはずもないのに。そんな判断さえも出来なくなっていた。
気付けば目の前には天使の輪っかを浮かべた父親師匠、その他諸々の方々。自分の頭の上にも同じものが浮かんでいると知った時は、茫然自失する以外なかった。
でも今は。
生き返って、最初に目にしたのは紅藤から覗く空色。
真っ直ぐ射抜いてくるそれを再び見ることが叶えばと、幾たび願っただろうか。
けれど見たかったのは、涙に濡れたそれじゃない。
「トランクス」
名を呼ぶ。ぴく、と反応した身体に、声がきちんと届いていることを確認する。
「デンデに立会人になってもらおうかな……。ああ、そういえばピッコロさんも神様と融合したんだっけ。じゃあピッコロさんにも頼もうかな……。まあ今から飛んでいくわけにもいかないし、また明日行けばいいか」
ぶつくさとわけの分からないことを呟く師匠に、トランクスは埋めていた肩口から顔を上げた。
立会人だの神様だの、果てはピッコロだの。意味が分からない。
だが悟飯は弟子の疑問には頓着せず、
「お望みなら何度でも言うけど、出来ればちゃんと聞いてて欲しいなぁ」
と前置きして厳かに言葉を紡いだ。
「孫悟飯は、健やかなる時も、病める時も、死が二人を別つとも、トランクスの側にいることを誓います」
どう? と目で問われ、トランクスは絶句した。
それではまるで結婚式。神への誓いではないか。
「他に、言葉以外にキミにあげられるのなんて、命ぐらいしかオレは持ってないし。でも、受け取り拒否されちゃいそうだったから。
信じてもらえるまで、何度でも言うよ。一度死んじゃったオレが言うのも、信憑性がないだろうからね」
呆気に取られていたトランクスだが、悟飯のその言葉に「そんなことありません」と首を振った。
「びっ、びっくり、した、だけで……」
そりゃびっくりもするわ、という話である。
「あの、それで、神様とかピッコロさんがどうのっていうのは……?」
「うん、結婚式とかだと神父さんがいるだろ? でも折角神様が知り合いなんだから、神様に立会人になってもらった方が、誓いの効力あるかな、って」
質問の意味を万分の一も分かっていない返答に、流石の師匠大好きっ子もなんと言ったものか言葉の選択に困る。しかも本人はトランクスがあえて考えないようにしていたことをしれっと言ってのけている。
しかしその沈黙をなんと誤解したのやら。
「弟子と孫弟子がお願いしたら断らないよ」
ピッコロにとってはいい迷惑だ。
そういうことじゃないのだけれど、と思いつつもトランクスはつい苦笑した。
「ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろん」
「勝手にいなくなったりしないでくださいね」
「『行ってきます』って言うよ。それにちゃんとキミのところに帰って来る。『ただいま』も言う」
約束だよ、と小指を立てる。大真面目である。
相変わらず、すぎる。
常識人のふりをして、実はちっともそんなことない。しっかりしてるようで、実は天然。
そして自分はそんな悟飯が大好きで、悟飯の言葉なら何でも信じられるのだ。何度でも。
敵わないんだ、この人には。
思って、トランクスは自分の小指を絡めて言った。
「死ぬ時はいっせーのせ、で一緒に死にましょうね」
「ああ、それは幸せだね」
無理難題の我が侭にもうっとりと呟く悟飯の姿に、今度こそトランクスは堪えきれずに笑い声を上げた。
「ね、悟飯さん」
「うん?」
「オレ、悟飯さんが、大好きです」
笑い涙を拭いながら告げる。
予想外の嬉しい言葉に、悟飯は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を見せてしまった。
その顔を見て再びトランクスが噴出す。
半分は、照れくさいのを誤魔化すためだったけれど、笑っているうちに本当におかしくなってきてしまった。それほど、今までの『お師匠様』が見せたことのないような表情だったから。
「……笑いすぎじゃないか?」
「そ、そんなこと、ぷっ、ありませんよ」
「……そんな子には~……」
「はい?」
「お仕置きだー」
「……ぇ?」
ふんわりと唇に触れたものの正体に、気付くのが数十秒ほど遅れた。
情報が漸く脳にたどり着く頃にはトランクスの顔は真っ赤に染まっていて。
「あはは、真っ赤だよ」
「あた、当たり前ですっ!」
ぽかすか殴られても悟飯はちっとも痛くない。トランクスが力を入れていないということもあるし、その表情は少しも嫌がっているものじゃないのだから。
長かったなぁ、としみじみ思う。
思いを自覚したのは結構早かった。無邪気に笑う少年が欲しくて、でも流石に八つも年下の子供に手を出すなんて真似、親に似ず強固な理性が許してくれなくて。
触れてくる手を抱きこんで掻っ攫ってしまいたいと、何度思ったことか。
明日死ぬかもしれない現実に、その気持ちを必死で押さえ込んできたけれど。
でも今、トランクスは自分からこの腕に飛び込んできてくれた。勝手にそう解釈する。
この可愛い青年は気付いているのだろうか。気付いていなくてもいいけれど。
「ね、トランクス。『ずっと一緒』って、プロポーズだよね」
「ぷっ、ろぽぉずぅ~~~!?」
「大好き、って言ってもらっちゃったし」
口をぱくぱくさせるトランクスに微笑んで、一気に体温の上がったその身体をきつく抱きしめた。
「言質、取ったからね。もう絶対、離れてあげないよ」
耳元で囁かれ、トランクスは恥ずかしさのあまり身体を捻って逃げようとする。しかしその腕に込められた力は思いのほか強く、上手く身動きが取れない。しかもトランクスは無意識に悟飯の右腕に負担をかけぬよう気を使っている。そんな状態で悟飯の腕から抜け出せようはずもない。
それに、動かせる首を捻って、すぐ側にある悟飯の、その幸せそうな顔を見てしまっては、尚更。離れたくないのはトランクスも同じだから。
だから望む答えをくれればもう、これでいいやというような気持ちになってしまった。
「……悟飯さん」
「ん?」
「あのですね、命、ください。受け取り拒否なんかしません。貰います」
「うん、いいよ。あげる。貰ってくれ」
あっさりと。その言葉の重さを分かっているのだろうか、というほどに簡単に頷く。
でも。嘘が苦手な人だと知っている。
トランクスは「だから、」と続けた。
「勝手に……失くしたら怒ります」
「……はい」
神妙に頷く。
一度、嘘をついたから。
連れて行くと言ったくせに、置いて行って、そのままトンズラ。しかも泣かせたままなんて。
名誉挽回汚名返上しなければ男が廃る、ってなもんだ。
望まれる限り、望んでくれる限りは、ずっとこの子の側にいよう。そう、心の奥底にも密やかに誓いを立て。
「そうだ、ずっと側にいる、って言ったけどさ」
「はい?」
「お風呂、一緒に入る?」
「入りませんよ!」
そっか、そうだよね、と残念そうに呟く悟飯にトランクスはあきれ返る。ここで自分が「はい」と言っていたら本気で一緒に入りそうな勢いだ。
一体いくつだと思っているのだろうか。もう子供ではないというのに。
トランクスは気付いていない。
子供じゃないからこそのお誘いだということに。
(まあ、のんびりいこうか)
明日への約束を躊躇う理由も無い。そのうちでいい、そう思える幸福があるから。だけど。
「それじゃあ背中流そうか?」
「同じことじゃないですか」
つつけば返ってくる反応が嬉しくて、抱き合ったまま笑いあう。
こんな時間を夢見た。
「トランクス、好きだよ」
「はい、オレも、好きです」
そうやってじゃれ合っているうちに、雨音が消えたことさえ気付かなかった。
***
一夜で何があった。
トランクスは昨日にも増して、どころじゃないほどにとんでもないことになっている二人の姿を朝一番に見せ付けられて、家事ロボットから受け取った新聞をぱさりと床に落とした。
おはよう、と笑いかけてくる大きな自分に口の中でもごもごと挨拶を返す。ていうか言いたいことは他に沢山あるのに、ありすぎてどうにもこうにもごにょごにょごにょ。
例えば。
何で手が触れ合っただけで頬を染めるのかな、とか。
何で「あ」って言っただけで何を取って欲しいのか分かるのかな、とか。
何で目が合っただけでそんなに幸せそうに微笑みあうのかな、とか。
何で悟飯さんの膝の上に大きな自分が座っているのかな、とか。
色々、そりゃもういろいろいろいろとあるのだけれど。
どれから突っ込めばいいかさっぱり全く分からない。齢九つの少年に対してあまりにもあんまりな仕打ちだ。
バカップルバカップルと言っていても、それは冗談、あくまで比喩、だったのが。
これじゃまるで本当にこいび……。
そこまで考えて思考回路をシャットダウン。そんな恐ろしい単語思い浮かべたくない。
しかも何が一番辛いって、この異常な光景を誰も気にしていないのが辛い。
祖父祖母は勿論、ブルマも、ベジータでさえ。
救いといえばベジータの読んでる新聞が逆さまで、しかも昨日の夕刊ということから一応動揺はしてくれているのだ、ということだ。
どう救いなのかと聞かれても「少なからずマトモな神経を持った人が自分以外にいた」というだけのなんとも切ないものなのだが。
「トランクス、あんたさっさと座りなさい」
「え、あ、うん……」
これの隣にかよ。
思うが、何も言えない。
あまりにも普通にしている家族を見ると、まるで自分の方が異常な気がしてしまうのだ。
勿論正しいのはトランクスの感覚。
だがそれを教えてくれる人はいない。居た堪れない空気の中がこんと音を立てて椅子に座る。
手と手を合わせていただきます。
「おい、ブルマお前何処に座ってる!」
「息子に負けるなんていや~よ。ほらちょっと足組まないでよ座れないでしょ!」
「くっ、き、貴様……っ」
「ベジータ、何が食べたい? 取ってあげるわよ」
「……………………肉」
手のひらの皺と皺を合わせて幸せ……を下さい。
弟か妹が出来るのもそう遠くはないかな……。
トランクスは煤けた背中を丸めて焦げたトーストを齧りながらそう思う。そしてそれは見事ドンピシャ的中するのだった。
***
鳥が飛んだ。犬が走った。猫が欠伸をした。
そんな当たり前のことも、二人でいれば全てが幸せに変わる。
ちょっと視線をずらして隣を見る。気付いた悟飯がにっこり笑う。それだけでもう。
こんなに幸せでいいのだろうか、なんて思ってしまうのだ。
「楽しそうだね」
「はい」
いなくならない。そばにいる。
悟飯は気付いていないかもしれない。あの頃はそんな約束すらくれなかったことを。
無意識にそんな言葉を封じていたのだろうか。そんな悟飯から何とかその言葉を引き出そうとしてみたのだが、終ぞ言ってはくれなかった。
結構強引に聞き出そうとしたこともあったけれど、暖簾に腕押し糠に釘。かわされてお終いだった。
子供ながらに必死だったのは、明日には会えなくなってしまうかもしれないということを実感として知っていたからだ。一掴みの安心感をねだって、また同じことを繰り返すだろうトランクスを悟飯はちゃんと諌めてくれた。
息をすることすら辛い世界で。彼がいなければきっと生きていけなかっただろう、と思う。
諦めるな。絶対に。道はある。ないなら作れ。そうすれば――。
どんなに今が辛くたって、辛いだけの人生などありはしない。生きていればいいことがある。
教えてくれたのは師匠。
本当ですね、と悟飯に微笑みかける。
時にはその教えを忘れたり、自分の実力を買い被り、飛び出してこてんぱんにされて死に掛けたこともあるけれど。それでも生きた。運が良いのは母親譲り。往生際が悪いのは……父親譲りだろうか師匠譲りだろうか。
生きていれば、本当にいいことがあった。
尊敬する師匠をそっと見つめる。これからまたずっと一緒にいられるなら、少しは近づいてみせたい。そう思って。
が。
むしろ段々近付いてくる悟飯の顔に気付いた時、その唇は既にトランクスのそれと優しく重なっていて。
「いきなり何するんですか」
脈絡の無い師匠の行動に目をぱちくりさせる。口付けられたことは別にいいらしい。また一つちびっこの心労の種が増えている。
「トランクスがキスして欲しそうな顔して見てるからだよ」
「してません」
「あははは、でもびっくりしただろ?」
「……今度はオレがびっくりさせてみせますからね」
「うん、楽しみにしてるよ」
「……………………………絶対びっくりさせてやる」
トランクスは本気で楽しみにしている悟飯に、いつか絶対必ず! とリベンジを誓う。何なら今からでも。
どうやって驚かせてやろうか、と企むトランクスの姿に悟飯はどうしようもなく笑顔がこみ上げる。
今日いまこの時、奇跡そのものの命に感謝を。
幸せだと勝手に笑ってしまうもの。
ぽかぽかの陽だまりの中、飽きもせず仲良く並んでいちゃつき続ける二人の姿。辺りには甘い空気とピンクのハートがふわふわ浮かぶ。
それは学校へ行ったトランクスが帰ってきても尚、カプセルコーポの中庭で飛び続けていたとかなんとか。
「それじゃあ、お世話になりました」
「また遊びに来るのよ二人とも!」
「はい、母さんもお元気で。父さんも、トランクス君も、お祖父さんとお祖母さんも」
一夜明けてカプセルコーポの外庭。
トランクスと天才ブルマの作り上げたミクロバンドを装着した悟飯はタイムマシンの前で別れの挨拶。見送りには孫家の面々もやって来ている。
「また来いよ悟飯」
「はい、お父さん」
「悟飯ちゃん、トランクスさにあんまし無体なことするでねぇだぞ」
「……はい」
この人はどこまで分かって言っているのだろうか。何せ宇宙最強の嫁さんだ。
無体って何だ? と質問する悟空をあしらう背中を見て、悟飯は乾いた笑みを洩らした。
深く考えると恐ろしいのでさっさとミクロバンドのスイッチを入れる。段々と大きくなる周囲の景色に不思議な気持ちになる。実際には悟飯が小さくなっているのだが。
「へぇ、本当にちっちゃくなっちゃいましたね。とりあえず、オレのポケットにでも」
「うん。あはは、トランクスに身長抜かれちゃった」
いや身長どころか。
この時点で小さなトランクスは漸く気付いた。
この人たち、どっちもボケだ。
ツッコミがいない。ツッコミがいないということは暴走すればしっぱなし。
つまりどこまでもボケ倒して突き進むだけである。
気付くのが遅いと言うなかれ。物腰の柔らかさと落ち着いた物言いとに誤魔化されていた。しかも悟飯の方は何だか確信犯的にボケている。
次にこちらへ訪れる時にはどうなっていることか。確実に今よりとんでもないことになっているのは間違いない。
想像しようとして、やめた。蕁麻疹が出そうだ。
トランクスがげっそりしている間に二人はタイムマシンに乗り込み、空の上から手を振っている。悟飯は小さすぎて見えないがきっと振っているのだろう。
その姿が宙に消え、余韻を残して去っていった後。
ブルマがぽつりと呟いた。
「次に来る時は三人かもね」
もう勘弁してくれ。
トランクス、悟飯、ベジータが心の中でそう呟く。声に出さないのは彼らの優しさ……ではなく、喉を振るわせることすら億劫だから。
ありえないからそれ、と突っ込むことも忘れ、考えることを放棄して。
とりあえず、幸せそうで何より。だけど出来れば巻き込まないで。
そんな願いを胸に抱き、残像すら見えぬ虚空を見上げた。
人の夢、と書いて儚いと読む。
そのことを後々も実感させられることとなるとも知らずに。
比翼の鳥……雌雄が目と翼を一つずつもち、常に二羽一体で飛ぶ鳥。
要するに……バカップル。
#DB
#飯トラ
2024.12.14
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トランクスは優しく微笑む人物が目の前に存在することが信じられず、思わず駆け寄りその胸に手を当てた。
温かい。
とくりと鼓動を打つ心臓は確かに動いていて、それでもどうしても信じられなくて。
嘘だ、と呟く。橙色の胴着をきゅう、と掴む。手に当たる感触は本物。ぺたぺたと無遠慮にその逞しい身体を撫でる。その温かさも、固い筋肉も、
「くすぐったいよ」
響く優しい声も全てがあの日の彼のままで。
「大きくなったね、トランクス」
呼ばれた名前に篭もる愛しさに、トランクスは涙腺の決壊する音を聞いた。
***
「ごはんさん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……」
「トランクス……」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」「悟飯さん……♡」「トランクス……♡」
「うざ――――! バカップルうざぁぁぁあああああああ!!」
そう叫んだのはトランクス。勿論チビっこい方のである。
延々と互いの名を呼び続ける大きい自分と、彼の世界では既に死んでいる筈の親友の兄。そんな二人がキラキラした目で見詰め合って点描飛ばして愛しげに互いの名前しか口にしない光景というのは結構な苦痛があった。別人とはいえ、自分である故に。
だがしかし事の発端はこのチビトランクスなのだ。
壊れた玩具がどうしても直らないから、とドラゴンボールに頼ろうとする世界一のお金持ちもどうかとは思うが、それにほいほいで付き合う幼馴染と、止めるでもなく巻き込まれるたまたま遊びに来ていたトランクスも大概にアレである。日本語とはまことに便利な言語だ。
昔は一つ手に入れるのも苦労したドラゴンボール。今では数時間もあれば全てが揃う。あっという間に七つ集めたちび二人と流されやすい一人は早速神龍を呼び出し、一つ目の願いを叶えてもらった。神龍としてみればそんなことで呼び出さないでもらいたい、といったところであろう。しかしまあ子供本人にとっては重大なことである。
そして余った願い事。
チビトランクスとしては別にもう願い事はない。買えば手に入るものなど、世界一のお金持ちにとって興味の対象になりはしないのだ。悟飯のようなお兄ちゃんが欲しかった時期もあるけれど、たまに大きいトランクスが来てくれるし。ちびっこに対してそいつはお前だよ、なんて言う無粋な奴は彼の周囲には存在しないのだ。
悟天も玩具なら買ってもらったばかりだし、優しいお兄ちゃんもいる。それに今では話でしか聞いたことの無いお父さんまで帰ってきてくれているのだ。
だから、流れというか何と言うか。このまま何も言わないのも勿体無いので、と。トランクスがトランクスに話を振ったのだ。「お兄ちゃんの願い事は言わなくていいの?」と。
びっくりしたのはトランクス。それまで微笑ましく子供たちを見守っていたのに(そんなだから振り回されるのだと突っ込んでくれる心優しい人は重力室に篭もりっぱなしでこの場にはいなかった)、まさか自分に振られるとは思っていなかった。
だからつい、隠すことを忘れた本音が飛び出したのだ。
「悟飯さんに生き返って欲しい」
と。
別次元の存在であるトランクスが生き返ることが出来たのだから、悟飯とて可能性がないわけではなかった。
神龍はいつもの渋い声で「よかろう」と頷き、あっという間に孫悟飯「師匠」を生き返らせてしまった。それもあちらの世界ではなく、トランクスの目の前というオプション付きで。中々憎い演出である。
抱きついて、本当にそこに悟飯が存在することを確認して。
堰を切ったように泣き出すトランクスにちびっこ二人は驚いた。
普段のトランクスは大声で笑うということもあまりないけれど、泣いてる顔なんてもっと見たことなくて。
初めて見る大泣きする大人の姿にぽかん、と呆気にとられていた。そんな二人に気付いた悟飯が優しく微笑んで、その姿に子供たちは彼が『孫悟飯』なのだと納得したのだった。
向けられるとどうしようもなく嬉しくなる、慈しみに満ちた笑み。そんな顔が出来るのはこの世で孫悟飯だけだと彼らは知っている。わけもなく抱きつきたくなって、わけもなく甘えたくなるなんてそんな顔。
悟飯にしがみ付いたまま声を殺して泣くトランクスを宥めるも、戸惑いながらも幸せそうに愛弟子を見つめる悟飯に優しい子供たちは何も言えなくなり、こうしてただ眺めているだけとなってしまったのだが。
「悟飯さん……♡」
「トランクス……♡」
「っだ―――! もういい加減にしてよ! 名前呼び合うばっかりでもう一時間は経ってるよ!」
我慢の限界を迎えたトランクスが大地を叩く。
トランクスが漸く泣き止んだのが約一時間前。少し照れくさそうに悟飯の名を呼んだトランクスは首を傾げて続きを促す悟飯に、小さな声で「久しぶりに名前を呼んで」と呟いた。
こんな可愛いおねだりに、弟子を愛してやまない悟飯がノーと言えるわけもない。ノーと言えない日本人もといノーと言えないバカ師匠である。
かくて只管お互いの名前を呼び合うだけ、といううんざりする光景が生み出されたわけなのだが。
別世界の兄を初めは興味津々で見つめていた悟天は、途中で飽きたのかトランクスの膝枕でくーくー寝ている。さり気にちゃっかりしている小僧だ。
「ねぇ、うちでもパオズ山でもいいから一旦帰ろうよ。悟天も寝ちゃったし、あんまり遅いとママに怒られるんだ」
神龍を呼び出したのはいつものカプセルコーポの敷地ではない。最後の一つを手に入れた、名前も知らない森の中。日も暮れてきたことだし、いるかもしれない狼やなんかは怖くは無いが、怒った母親はとても怖いのだ。
「え、もうそんなに? 駄目だなぁ、トランクスといるといつも時間を忘れちゃう。こればっかりは死んでも治らないみたいだ」
「悟飯さん……そんなのオレもですよ。だからおあいこです」
「そっか」
「はい」
うふふあははえへへ。
薔薇色の点描が飛んできそうな二人に、チビトランクスはあーあとでっかいため息を吐く。
これじゃあ当分帰れそうにないじゃないか。
無理やり引き剥がせばきっと彼らは笑って「ごめんね」と許してくれるだろうけれど、そんなことが出来るほどトランクスは野暮でも無粋でもないのだ。これは勿論母親の教育の賜物(父親ならば放って帰るか、可愛い息子に付いた虫に攻撃を仕掛けるだろう)であり、彼自身の優しさでもあった。
だがそれとこれとは別問題で。
本気で時間を忘れてしまう駄目な大人二人に、絶対ああはならないぞ、と決意して、ちびっこトランクスは苛立ち紛れに悟天のほっぺをつん、とつついた。
この後、近いからという理由でパオズ山へと帰った四人の姿に、チチと少年悟飯がひっくり返ったのは言うまでも無い。
***
何故自分と同じ気があるのか分からなかった、と悟飯は苦笑した。またセルのような敵が現れたのかと思ったとも。
いまだ幼さの残る顔を綻ばせる自分に、悟飯は眉を下げて謝った。
「驚かせてごめんね」
「いいえ。でもじゃあ悟天のこと分からなかったんじゃないですか?」
若い自分の問いかけに、悟飯はいいやと首を振る。
「お父さんにそっくりだから、もしかしたら、って思ってたんだ」
「じゃあオレは?」
小さなトランクスが興味津々で質問する。その姿に昔を思い出したのか、くすりと笑って悟飯は答えた。
「もちろんトランクスだってすぐ分かったよ。何せちっちゃい頃からずっと見てきたんだから」
でもね、と彼は続けた。
「例え百人、千人のトランクスがいたとしてもキミを見つけるよ」
そっとトランクスの手を握る。
「悟飯さん……」
トランクスは頬を染めて、けれどしっかりと悟飯の目を見つめ返した。
また始まったよこの人たち。
ぶっちゃけ勘弁してほしい、とその場にいる全員が思った。
飛んでくる極彩色の何かを叩き落としたい。何、とは言えないが、何か。桃色だったり薔薇色だったりする、何かだ。
それが現れた時、悟飯は大いに慌てた。この世界に存在するはずのない、悟飯と同じ気をもつ何者か。
セルという前例があるのだ。核は破壊したとはいえ、もしかしたらまた復活したのかも、と思っても仕方ない。
だがしかし。
よく知る悟天とトランクス×二の気と何の衝突も起こさず、しかも一緒になってこちらへ向かってくる。とりあえず戦うべき相手ではないだろう、と肩の力を抜いたところへ現れた青年にチチと一緒にずっこけた。半分は片腕の悟飯を見て息を呑んだのを誤魔化すためでもあったけれど。
そこまではいい。
戦いの跡が無いのに妙にぐったりしたちびっこトランクスも、遊びに出かけた後はいつも眠そうにしているはずの悟天が妙にすっきりした顔をしているのも、然程気にはならなかったが。
その疑問が氷解した時、悟飯もがっくり肩を落とした。
「ご、悟飯さんはああならないでね……」
「努力する……」
当事者ではないけれど、何となくいたたまれない。自分じゃないけど自分なのだ、アレは。
これから先相手とどう付き合ってけばいいんだコンチクショー。
トランクスと悟飯は目の前でいちゃつく自分たちというシュールな光景にでっかいでっかいため息を付いた。
と、そこへ。
「あり? 何で悟飯が二人もいんだ?」
「「お父さん!」」
ナイスタイミングで嵐の男、登場である。
瞬間移動で現れた父親に、二人の悟飯は同時に声をあげ、同時に少々頬を赤らめた。
だが未来の彼はちょっと寂しそうに笑って口を閉ざす。
彼のいた世界では既に悟空はいない人。
だから純粋に生きてて良かった、また会えて嬉しい、という喜びと、己の世界ではもう会えぬのだという悲しみが襲う。
生き返って数時間、彼は悟空がセルと戦い一度死んで生き返ったばかりなどということは知らない。
そんな悟飯の気持ちが分かるのはもう一人の悟飯である。イコール自分、考えていることなど丸分かり。
だからこそ余計に申し訳ない。自分の所為で父を死なせ、母を哀しませ弟から父を奪い仲間から孫悟空という人を奪った。そして魔人ブゥという危機も結局は悟空に救ってもらったのだと。そんな情けない自分を、辛い世界で苦労してきた大人に知られるのが怖かった。
それこそが弱さと分かってはいても。
「こんばんは、悟空さん。えーと、この人は……」
「そうか、おめぇの(世界の)悟飯か!」
口を閉ざす悟飯たちの代わりに説明をしようとするトランクス。その言葉を遮って、妙なところで勘の鋭い孫悟空。大事な部分を省略して(しかしある意味正解の)事実を言い当てる。
「はい、そうです」
「ごごごご悟飯さんっ!?」
あんた何ば言うとるの!?
躊躇わずに頷く悟飯。トランクスが激しく慌ててその袖を引く。だが悟飯はそんなトランクスを愛しいものを見る目で見つめ、悟空へと向き直った。
トランクスは口の中で「ずるい」と呟いた。そんな目をされて、そんな笑顔を向けられて、文句を言えるわけがないのに。
そんなトランクスに心の中でゴメン、と謝り、いつもの笑みを浮かべる父と目を合わせる。
「へぇ~、悟飯でっかくなったな」
「あはは、お父さんの身長も追い越しちゃいましたよ。もう二九歳ですから」
「そっか、二九か……もう大人だなぁ」
大人だな、と言いながらも悟空は悟飯の頭を優しく撫でる。
父親が息子にするように。そうするのが当たり前というかのように。
悟飯は嬉しそうに目を細め、「大人ですよ」と笑った。悟空の手は振り払わぬまま。
身体は死んだ二二歳のままだったけれど、そんなことはどうでもいいのだ。どちらにしても老いの遅いサイヤ人である。二二歳だろうが二九歳だろうが関係ない。
「やっぱさっきのはドラゴンボールだったんか」
「近くにいたんですか?」
「いや、ピッコロと修行してたんだけどよ、急に空が暗くなるし悟飯の気が増えるし、おかしいとは思ったんだ。だから手合わせ終わってから来てみたんだ」
おかしいと思っても手合わせはするのか。
相変わらずな悟空に悟飯たちも肩をすくめ微笑みを交わす。
が。
「ほぉぉぉおおおおおおう」
怒りの篭もった声に男どもはビクリと身体を強張らせた。
「三ヶ月ぶりに帰ってきたと思ったら……」
「ち、ち、ちちぃ……っ」
「選りにもよって悟飯ちゃんが関係してるのにすぐに飛んでこねぇっつうのは……」
ああ、この溜めが恐ろしいんだ、と悟飯は肩をすくませた。
「どういうことだ悟空さぁぁああ!!」
「あひゃひゃひゃひゃ、ひっ、ひひぃっ、いふぇいふぇいふぇ!
(訳:あだだだだ、ちっ、チチィっ、いてぇいてぇいてぇ!)」
ぎりぎりと頬をつねられ、悟空は涙目になりながら抗議をする。それでもされるがままなのは、まあそういうことなのであろう。
相も変わらず最強の嫁さんっぷりを発揮するチチに、悟飯たちは顔を見合わせて笑った。
***
で、結局。
悟空は修行を一時中断して暫く家にいると言い、「家が狭くなる」と文句を言いながらも嬉しそうにするチチに満更でもない顔をしてみせた。何処までいってもこの夫婦は変わらないらしい。
賑やかしく食事を終え、そろそろお開きというところで、トランクスたちはカプセルコーポへ帰ると言い、そして悟飯は
「え、オレもいいんですか?」
「いいも何も、ここは悟飯ちゃんの家だべ」
トランクスたちと共に飛び立とうとしていた悟飯を引きとめ、チチは怒ってみせる。ここもお前の家なのだから、そんな悲しいことを言ってくれるな、と。
世界は違えど自分も息子と呼んでくれるチチに、悟飯は心の奥が暖かくなる。
「ごめんなさい」
「分かればいいだ。部屋は悟飯ちゃんの部屋でいいだか?」
「悟飯君がよければ」
「僕は構いませんよ。布団運んでおきますね」
「うん、ありがとう」
家の中へと引っ込む自分に礼を言い、トランクスに歩み寄る。小さなトランクスはお腹が一杯で眠くなってしまったようで、トランクスの腕の中で丸くなって眠っている。
そんな姿が在りし日の目の前の青年と被って、悟飯はついつい目尻が下がる。
「じゃあ、また明日」
「ぇ、ぁ、はい。あの、悟飯さん、未来へは……」
「ん? ああ、そうだ。いつ帰るつもりだったんだい?」
「いえ、まだ決めてないんです。だから……」
悟飯さんの気の済むまで、と言いかけたところで悟飯の手に唇を塞がれる。
「明日、ピッコロさんのところに挨拶に行こう。一緒に」
「……はい」
「そのあとでまた、いつ帰るのか話し合おうな」
「……はい」
素直に頷くトランクスを、先ほど自分が父にされたように撫でる。もう子供じゃないです、とむくれる頬をつつけば口から変な音が漏れる。更にむくれるトランクスに「いつまでたっても可愛いからさ」と笑う。
「気をつけて帰れよ」
「……はい、また、明日」
躊躇いもなく明日の約束が出来るというのは、どれだけ素晴らしいことなのだろうか。
死んだと言っても実は界王星で肉体を持って過ごしていた悟飯。腹は減らなくても(色々と常識はずれの父は別だが)五感はある。まるで死んだという実感がないのだ。
だけど分かることはある。
生きているということ、それだけでもう奇跡なのだと。
死人がいくら手を差し伸べたくとも、生者へとは届かない。届くならば、トランクスに降り注ぐ悲しみ苦しみ全て受け止めていたかったけれど。
悟飯の腕は現(うつつ)へ届かず、トランクスはそれら全てを自分で受け止め乗り越えた。
トランクスの為というのならそうだったのかもしれない、とも思うが、やっぱり悔しいじゃあないか、とも。思うのは親心なのか師匠心なのか。はたまはそれ以外なのか。
ふわりと飛び立とうとするトランクスの腕を引っ張り、最後にも一度抱きしめて。
「また明日」
二度目の「また明日」はたっぷりの幸せを込めて。驚いた顔のトランクスが満面の笑みを浮かべるのを見届けて、名残惜しくも腕を開く。
その後姿が闇に溶けて消えるまで、悟飯はその場を動かず見送り続けた。
***
都合の良い夢を見ていたのかと思った。
寝て、起きれば何事も無かったかのように、『いないことが当たり前』の現実が待っているのだと。
だけど、触れた身体は温かくて。耳に残る声は優しすぎて。
思わず小さな自分に確認すると、
「あんだけ人を疲れさせて、夢オチはないんじゃないの?」
「……ごめん」
ため息混じりに怒られた。
トランクスがカプセルコーポに泊まる時、いつも小さな自分の部屋に引っ張り込まれる。どうやら兄が出来たようで嬉しいらしい。そんな姿が可愛くてついつい頷いてしまうのだ。
だから今朝も、隣で眠る小さな子供におはようを言って、そうして質問してみたのだが。
じっとりとした視線で睨みつけてくるこまっしゃくれた子供に頭を下げる。あまり自覚は無いけれど、どうやら周りから見ると恥ずかしいことをしてしまっていたらしい。……何処が恥ずかしいのか分からないけれど。
「ね、兄ちゃん目ぇ腫れてるよ。そのままで行くつもり?」
「え? ……うわっ!」
ひょい、と鏡を覗いてみると、そこには見事な兎のおめめ。冷やしもせずに放っておいたのがまずかったらしい。
あの後、腕の中で眠る子供が起きないスピードで帰ってきたらそれなりに時間がかかってしまって。夕食は孫家でご馳走になると連絡していたので、リビングにいたのは祖母だけだった。その祖母も無粋なことは言わない人だったので今まで気付かずにいたのだけれど。
「悟飯さんは気にしないだろうけど……ていうか、それ以前にパパが問題だよね」
カプセルコーポの朝ご飯。それは家族みんなが揃って食べることになっている。決まりではないけれど、ご飯は皆で食べたいじゃないか、というブリーフ博士の偉大なるお言葉を誰も否定しなかったのでそういうことになっているのだ。意外ではあるけれど、そこにはちゃんとベジータ含まれていて。
「パパさぁ、兄ちゃんのことめちゃくちゃ可愛がってるから、絶対すげぇ怒るよ」
「むしろオレが怒られると思うけど……どっちにしてもこれはまずいなぁ……」
軟弱者、と叱られるかもしれない。それに、この年にもなって恥ずかしい、というのもある。
今からでも冷やしてみるか。
濡れタオルでそっと目を覆う大きな自分を見つめ、ちびっこトランクスは気付かれないようため息を吐いた。無自覚な大人に。
昨日からため息を吐かされっぱなしだ。この短期間でどれだけの幸せを逃がしているんだろう。
パパのあれは照れ隠しなのに、と思う。
いつも大きなトランクスに見せる不機嫌そうな顔は、会えて嬉しいというのを誤魔化すため。無理やり重力室に引っ張り込むのは、何を話していいか分からないから。姿が見えなかったりすると、たまに「あいつは何処だ」なんて聞いてきたりする。
その度にブルマにからかわれているのだが、どうもあの父親は息子が心配で仕方ないらしい。魔人ブゥとの戦いの後はそれがより顕著だ。
気持ちは分からないでもないけれど、とトランクスは思った。
歯を磨きながら隣で目を冷やしている青年を見上げる。
どっか危なっかしいもんな。
大の大人に言う言葉ではないかもしれないけれど。どうもこの青年は目を離しておけない雰囲気があるらしい。人の話はちゃんと聞くし、しっかりしているとは思うのだけれど。
何となく面倒を見てあげたくなるのだ。
トランクスはうがいをし、大きな自分を屈ませた。タオルを外してその目を見つめ、
「さっきよりはマシなんじゃない?」
大分腫れも引いてきたし、と分析する。
「大丈夫、かなぁ」
「うーん、でもあんまり遅いと逆にパパ不機嫌になっちゃうし」
腹が減ると気が立つのは地球人も同じだが、サイヤ人の場合は特に。それを身をもって知っているトランクス(精神と時の部屋で三度の食事を用意していたのは彼だ)は仕方なく頷いた。
ダイニングでは既に家族全員が揃っている。朝から食べるには多すぎるような量が並ぶ食卓だが、サイヤ人三人となるとこれでもまだ足りないという程度。
遅いわよ、と頬を膨らませるブルマに謝って席に着く。ちらりとベジータの顔を見れば、一心不乱に食事を掻き込んでいてトランクスのほうは見ようともしない。
そのことにちょっと安心して、トランクスは「頂きます」と両手を合わせた。
その様子を横目で盗み見て、ベジータははぁ、と小さくため息をついた。隣では彼の妻が満足そうに笑っている。
気を感じることが出来るベジータ。勿論悟飯の気が増えたのは感じていた。その付近に息子二人とカカロットのまがい物、もとい悟天がいることも。
そこで戦闘でも起きようものならば喜び勇んで出かけて行ったのだが、生憎衝突の気配なし。ならば自分はひたすら修行するのみと重力室に篭もっていたら。
お人よしな息子の気が揺れ動くのを感じた。
本人は断固として否定するであろうが、可愛がっている愛息子のそんな気配に修行に集中も出来ない。可愛がり方は一般のそれとは大きく違うが可愛いものは可愛いのだ。苛々しながらブルマに事態を話せば妻はけろりと言ってのけた。
曰く。
戦っていないのなら敵ではない。ということは現れた気は正真正銘悟飯のものである。
息子の気が揺らいだというのならばそれ即ち彼に関わる者。未来では彼の師匠であった悟飯に違いない。
何故そうまで断言出来るのかと問えば「恋愛マスターを舐めるな」とのお言葉が返ってきて、むっとした旦那は妻の口をそれなりの方法で塞いでやったのだけれどそれはまた別の話。
恋愛マスターが言うには「翌日どんな顔をしていてもそのことには触れるな」らしい。
聞かされた時は何を言っているのやらと思ったものだが、朝食の席に遅れて現れた息子を見て思わず納得した。恋愛マスターの名は伊達じゃないらしい。昨日何があったのかすらお見通しなのかもしれない。我が妻ながら侮れない。
本当ならば今すぐパオズ山に飛んでいって殴り飛ばしてやってもいいのだけれど。
腫れた目元とは裏腹に、小さな自分に話しかけられては幸せそうに笑うから。後でカカロットを殴り飛ばすことで勘弁してやろう、と悟空にとっては大変迷惑な自制をしてやった。
断じて隣で笑う妻が怖いからじゃないぞと自分に言い聞かせながら。
目の前では息子たちが兄弟のように会話している。おっきなのが少し遠い所にあるトーストを取ってやり、バターと蜂蜜を塗ってちっさいのに渡してやる。
ビフォー、アフター。そんなことを考えて王子様の嫁さんはちょっと笑った。
「ねぇ、オレ今日学校なんだけどさ、兄ちゃんはパオズ山行くんだろ?」
「うん。あ、でもちょっと神殿に行ってこようかと思って」
「……あの悟飯さんも『ピッコロさん大好き』なわけ……?」
「え、あ……どうだろ。でもそうだね、大好きだろうね」
「ふぅん……じゃあ学校終わったらオレも神殿行くよ。ちぇー、悟天はいいよなぁ、学校行かなくていいなんて」
「悟天君も同じこと言ってたよ。『トランクス君は学校に行けていいなぁ』って」
その言葉に小さなトランクスは「えー、何でだよ」と唇を尖らせる。彼には学校に行くのは義務であって楽しいことではないのだろう。そういえば体育の時間が一番辛いのだと言っていた。桁外れの運動能力。力をセーブするのにも一苦労なのだと。
そんな姿に苦笑して、トランクスは野菜スティックをぱきりと噛んだ。
***
「トランクスさんと一緒に行くかと思ってました」
あんなに離れ難そうにしてたから。
パオズ山にて。
布団を畳ながら言う少年に、大人は笑った。こちらも布団を片付けつつ。
普段は悟飯と悟天が寝ている部屋。悟天には昨日だけ、悟空とチチの間で寝てもらった。悟空が帰ってきてからは大のお父さんっ子になっていた悟天はむしろ大喜びだったけれど。
「トランクスがね、言ってくれたんだ」
『オレはまた毎日でも会えますから』
だから今日は。今日くらいは。悟空の側にいてくれてもいいのだと。何だったら、未来へと帰る時まで。
最後の台詞には馬鹿だな、お前の側にいるよと返したのだけれど。
悟飯のことを思ってくれるトランクスの優しさが嬉しくて、その言葉に甘えることにしてしまった。毎日会える、という幸せを実感しながら。
「また明日、って、幸せだね」
「……はい」
一度死んで生き返った人。
一度失い甦ってもらえた人。
境遇は違うけれど、それでも命あるものへの愛しさは痛いほど知っている。
「悟飯君は学校だっけ?」
「あ、はい。悟飯さんはどうされます?」
「うん、まずはピッコロさんに会いに行きたいなと思って。きっと心配してるよ」
いきなり同じ気が増えちゃったしねぇ、と笑う。
そんな大人に悟飯は、僕の師匠なのに、とちょっと思った。彼の師匠でもあるのだけれど、やっぱり大好きなピッコロさんの一番弟子は自分でありたいと思う。そんな小さな独占欲。
一瞬後にそんなことを思ってしまった自分を恥じて俯いてしまったけれど。
しかし大人はそんな悟飯の考えも読んでいたようで。
「駄目だよ、浮気しちゃ。可愛い彼女がいるんだろ?」
「ううううう浮気ぃぃぃいいいいっ!?」
「ビーデルさんだっけ。いい子なんだろ? 大丈夫だよオレにはトランクスがいるんだから」
「ななななんなんなんでしししし知って」
「あれ、浮気は否定しないのかい?」
「してませんよ浮気なんて! ていうかピッコロさんは男……あれナメック星人って男女無いんだっけ……? いやそれより何でビーデルさんのこと!!」
「あはは、昨日お父さんに聞いたんだよ。『悟飯とビーデルはいつ結婚するんだろうなぁ~』って。いくらお父さんとお母さんの結婚が早かったからって、まだ悟飯君一七歳だもんねえ」
「おおおおおおお父さん!!」
「うわどうした悟飯朝っぱらからでっけぇ声出して」
「悟飯さんになんてこと言ってるんですか大体僕とビーデルさんはまだお付き合いしてるわけじゃ」
「駄目だぞ悟飯ちゃん、そったらこと言って、女が皆待っててくれるとは限らねぇだ」
「でもチチはオラのこと待ってたろ?」
「おらは純情だったんだ! その乙女心も知らねぇで悟空さは……!」
「悪かったって……でもよ、待っててくれて嬉しいぞ?」
「やんだー悟空さったらそったらこと子供の前で言っちゃ恥ずかしいだよー」
「おかあさーん僕お腹すいたー」
「僕が言ってるのはそういうことじゃありませ――――ーん!!」
「そっか、悟飯おめぇ照れてんのか!」
「こーら、悟空さ、悟飯ちゃんは純情なんだべ。あんましデリカシーのないこと言うもんじゃねぇだ」
「お腹空いたってばー」
「お、でっけぇ悟飯も起きてたんか。オッス」
「お早う御座います。ほら悟飯君、早くご飯食べないと学校に遅れるよ」
お年頃の青少年が開け放して出て行った扉を静かに閉めながら、悟飯は笑って父に挨拶をする。
「って、元はといえば悟飯さんが!」
「あははは、ごめんごめん。あ、お母さん手伝いますよ」
流石にサイヤ人四人分というのは如何なチチとて大変であろう。いきり立つ少年を宥め、悟飯は台所に立つ母の隣に並ぶ。
ぱかぱかぱか、と卵を割って溶いたそれをフライパンに流し込む。具と米を入れればチャーハンの出来上がり。他にも三、四品ほど作り上げる。
手際の良い息子の様子にチチは目を丸くした。
「あれま、悟飯ちゃんいつの間に料理なんて覚えたんだ?」
「うーん、修行してるときは基本的に一人でしたから。簡単なものばっかりですけどね。
それにトランクスも料理上手いんですよ。二人で台所に並んで立つ、っていうの、よくないですか?」
それは新婚さんの光景じゃないだろうか、と少年悟飯は思った。悟空もちょっと思った。何せ実際に自分たちが新婚の時嫁さんから言われたことだ。悟空の場合は破滅的なまでの料理に台所への立ち入り禁止が言い渡されたのだが(何しろトカゲやムカデも焼いてくう男である)。
しかしチチはそんな長男にいたく感動したらしく。
「んだな! やっぱりいまどき男も料理が出来ねばなんねぇだよ!」
目をキラキラと輝かせて大きく頷く。チチに頼りっぱなしの孫家の男たちは肩をすくめて縮こまる。そんな大人たちの様子に気付いていないのは悟天のみ。しかしその脳みそには「男も料理!」としっかり記憶する。これが後々役に立つことになろうとはこの時は思いもよらなかったが。
「トランクスも美味しいって食べてくれるんですよ」
にっこり笑って差し出された料理は確かに美味しく。
サイヤ人二代目王子様の舌に合わせているのだろうその味に痛いほどの愛情がたっぷり込められているのを感じて、孫家の人々はちょっぴり切なくなった。
***
お早うございます、と照れた顔で言う彼が可愛くて、思わずキスしそうになってしまった。
子供がいる手前、必死で自制したけれど。
二人きりだったらきっとそのまま抱きしめていただろうな、と悟飯は思った。
朝一番でパオズ山に飛んできたトランクス。悟空を心臓病から救ってくれたからという以上に、礼儀正しい彼をチチは気に入っているらしい。
遠慮する彼を家に引っ張り込んで早速お茶の時間にしてしまった。まだ九時である。
どうせ神殿に行くのなら瞬間移動で、と悟空も巻き添えにティータイム。
最強の戦士も嫁さんにかかれば便利な乗り物扱いである。それを嫌がっていないところがやっぱり結局この夫婦なのだけれど。
もっとも美味しい食べ物があれば悟空も悟天も構わないのだろうが。
「悟天君、頬っぺたついてる」
「え、こっち?」
「ここ」
頬を触る悟天の手が見当違いなところにあるのを見て、トランクスが腕を伸ばして食べかすをとってやる。その様子に悟空は笑った。
「あははー、お前等そうしてっと親子みたいだなぁ」
「父親がそんなこと言ってどうするんですか……」
「って、悟空さんもついてますよ」
「あり?」
くすくす笑うトランクスの指が悟空の頬からも食べかすを摘み取る。悟空は頭をかいた。どちらが年上なのか分からない。
チチも同じことを思ったらしく、拳で軽くこつんと夫を殴る。取り立てて何も言わないのはそれが当たり前のことで、言っても無駄だと知っているからだ。
そんな夫婦を尻目に、悟飯はトランクスに小声で話しかけた。
「ねぇ、トランクス」
「はい」
「悟天とかトランクス君はいいけど、他の人にあんなことしちゃ駄目だよ」
強い視線にトランクスは少し怯む。悟空さんはあなたの父親でしょう、と思うのだが。ヤキモチを妬いてくれたのかとちょっと嬉しくなる。けれどそんな自分が少しばかり情けないと思ってしまって。
「……悟飯さんにも?」
悔しさ半分でちょこっと意地悪してみたら。
「オレは別」
悟飯の反撃。トランクス一三のダメージ。
にっこり笑顔できっぱりとのたまう師匠に、トランクスは小さくため息をついた。
「トランクスについてたらオレが取ってあげるよ」
「つけません!」
朗らかに言われてついつい大きな声で否定した。その後の本気で残念そうな顔は見ないふり。
そんな二人を悟空とチチは微笑ましく、悟天はきょとんと見つめた。
***
「トランクスさんお久しぶりです!」
「大きくなったねデンデ」
満面の笑顔で迎えてくれるデンデにトランクスも笑顔で返す。悟飯はどこかで聞いた台詞だな、と苦笑した。
どうやらデンデの気を辿って瞬間移動したらしい。悟空曰く「昨日のピッコロは不機嫌だった」らしいのだが、悟飯は自分のことが気になっていたんだろうと思っている。
気にかけてもらっていたという自負はある。だから、急に増えた孫悟飯の気が気がかりで、悟空に対する返事がぞんざいになったのではないかと。
そんなことを考えていたら、デンデの大きな目がじっと自分を見つめているのに気付いた。
「久しぶり、かな」
五つの時に出会って、それからずっとご無沙汰だったから。
そっと笑って見せると、デンデはパァっと顔を輝かせた。
「トランクスさんの(世界の)悟飯さんですね!」
何でこうもここの人たちは。
脱力するトランクスに、デンデは首を傾げる。何故トランクスが肩を落としているのか分からないらしい。
「気にしなくていいよ、照れてるだけだから」
「照れてません……」
「ピッコロさんはどこかな」
悟飯はトランクスの文句を無視し、ピッコロの気がある方へ向かおうとする。しかしすぐそこから近付いてきてくれているらしいことを悟り、しばし待つ。
柱の影から現れた長身ににっこり微笑み。
「トランクスの(世界の)悟飯か」
「はい」
かけられた言葉を笑顔で肯定した。
「ピッコロさんまで……」
後ろの方で呟くトランクスは気にしないふり。さっきの意地悪お返しである。その時点で反撃しておいて、どっちが意地悪なのか分からない。
「お久しぶり、ってのも変ですけど」
「……大きくなったな」
「はい。ピッコロさんは変わらないんですね」
「ナメック星人は長寿だからな」
そういうことじゃないんだけど、と思いながらも悟飯は笑う。
本当に、変わらない。自分の最後に見たピッコロは界王星で悟空と大暴れしている姿。死人なのだから年を取るわけもないのだけれど、そういうことじゃなくて。
『孫悟飯』に甘いその師匠の姿に悟飯は目を細めた。
「ねぇピッコロさん、ちょっと二人でお話ししません?」
「……あぁ。おいデンデ、こいつらを案内してやれ」
「はい。……悟空さん、もう神殿壊さないでくださいね……?」
「あはは~、わりぃわりぃ。ちょっと力入れすぎちまってよ」
「昨日何してたんですか……」
「いやピッコロと修行……」
「あー、ここ壊れてるー」
「悟空さん……」
「いや修行……」
トランクスはちょっと気にしていたようだけど、申し訳ないながら黙殺させてもらった。だって、トランクスに聞かれるとちょっと照れくさい。可愛い弟子の前では、格好いいお師匠様でありたいから。師匠のささやかなるプライドというやつである。
遠ざかる声に小さくため息をついて、悟飯はピッコロに向き直った。
***
神殿の入り口に座り込む。遠くでは悟空と悟天の叫び声が聞こえる。
ここに来るのも久しぶりだ、と悟飯は思った。彼の世界ではミスターポポが一人で暮らしている神殿。仙豆を貰いにいく度に立ち寄っていたけれど、誰もいないことを確認するたびに寂しくなって、彼には申し訳ないながらも少しずつ行かなくなっていた。
空を仰げば太陽が近い。ピッコロは悟飯が口を開くまで黙っているつもりなのだろう。その優しさが好きだった。けれど黙っているつもりは勿論ない。言いたいことは沢山あるから。
あのね、と彼は話し出した。幼い頃の喋り方そのままに。
「恨み言、沢山言おうと思ってたんですよ。
界王星、もしくは天国に行けることになったら。きっとあなたもそこにいるだろうから。何でオレのこと置いてっちゃったんですかー! って。庇ってもらってこの言い草も失礼だとは思いますけど、その時はもう悲しくて悲しくて。
でもね、言えなかった。
結局、オレも同じことしてるわけでしょう? あれですよね、親の心子知らず。師匠の心弟子知らずかな? どっちでもいいですけど。
何があっても生きて欲しかった。あの子に。あの子が最後の希望だから、とかじゃなくて。単純に。
あの子にこそ生きていて欲しい、って。
それでね、その時漸く気付いたんですよ。あなたもそう思ってくれていたんだな、って。忘れてたわけじゃないですよ、ベジータさん達が始めに地球に来た時のこと。でもね、それでも、やっぱり置いてかれた、って気がして。大人は皆いなくなっちゃうし、人造人間はどしようもなく強いし。オレなんかに何が出来るんだろう、って。お父さんもいないし、ずっと庇護される立場だったのが急にする立場に引きずり出された、っていうか。もう、グラグラ不安定もいいとこでしたよ」
思い出す。何をすればいいのか分からず、破壊兵器にずたずたにされていく街を人を瓦礫の影に隠すことしか出来なくて。
自分のあまりの弱さに呆然と立ちすくんだ。
そんな自分を拾い上げてくれたのは、空色の光。
うろたえるだけの悟飯を叱り、励まし、殴り飛ばして。支えられている振りをしながら、悟飯が一人で立てるようになるまで支え続けてくれた。あんなに優しい怒った顔、悟飯は見たことがなかった。
「ブルマさんと、あの子がいてくれて本当に救われました。
それに、あの時分からなかったことを教えてくれた。でなきゃ、大事なお師匠様のガラスの心を傷付けちゃうところでしたから」
でもねぇ、と悲しそうにため息を吐く。
「あの子は責めてくれないんです。よかった、って。生き返ってくれて、また会えて嬉しい、って。それだけ。重荷、全部背負わせちゃった僕に、恨み言の一つもなしで。良い子だと思います。それこそ自慢の弟子です。だけど、」
「お前に似たんだろう」
それまで黙って悟飯の話を聞いていたピッコロが口を開いた。見上げる悟飯にちょっと笑って、くしゃり、と頭を撫でる。
悟飯は「もう子供じゃないんですよ」と呟いた。昨夜の別れ際の弟子のように。
父親に対しては素直に受け入れられたのに。師匠に対しては何と言うか、意地を張りたいわけではなく。認められたいという気持ちはあるけれど、それとも何となく違って。
きっと。
「オレにとっては子供と変わらん」
こう言ってもらいたいがための、小さな甘え。
いつまでもお前はオレの大事な弟子だ、と。当たり前に言ってくれる人に対しての。当たり前に言ってくれることを期待しての。
「で、何でこんなことを言ってるかって言うとですね」
惚気、なんて言ったらこの人は怒るんだろうな。それとも惚気が何なのか分からなかったりするのだろうか。想像して、悟飯はちょっと笑った。
半分は惚気。残りは師匠への孫弟子自慢。ピッコロに憧れてここまできた。強くて優しくて、時には厳しくあれるように。そんな自分のお披露目。
あなたの教えをちゃんと受け継いでいられるといいのだけれど、と思いながら。
まあ、とっくの昔にトランクスを知っていたのだから無意味だったかもしれないけれど。
それと。
彼には彼の世界のピッコロがいる。だから、これはこの世界の自分への贈り物。
「ピッコロさんがいないともっっっのすごく悲しむ子がいるんで、無闇矢鱈と自爆とか庇ったりとかしちゃ駄目ですよ」
「……お前が言うか」
「オレだから言うんです」
変わらないピッコロの姿に喜んだのは本当。だけど、きっと変わってくれなきゃ悲しむ人がいると思ったから。教訓混じりの恨み言。この師匠にはどうしたって甘えてしまう自分を悟飯は自覚していた。
「さて、言いたい事言っちゃってすっきりしました」
よっこらしょ、と立ち上がる。きっとやきもきしているであろう可愛い弟子の元へと行かなければ。
「オレはすっきりしとらんぞ」
「あはは、ごめんなさい。あ、そうだピッコロさん、言い忘れるところでした」
「何だ」
「だいだいだいだいだぁ~い好き、ですよ」
子供の頃のままの顔で告げられた予想外の言葉にピッコロは目を丸くする。
そんな師匠が愛しくて、悟飯は声を上げて笑った。
***
トランクスは軽く眼を見開いた。悟られないよう微かにだったけれど、目の前の人は敏いのか疎いのかよく分からない。
「え、いや、気にしてはいませんけど……」
失礼ながらも彼は鈍い人だと思っていたので、声を掛けられてつい驚いてしまった。
悟飯とピッコロが気になるか?
悟空にそう聞かれ、トランクスは考えつつも首を横に振った。本当は気になって仕方なかったけれど。
トランクスの知っている悟飯は、誰かに甘えるなんてことをしない、しっかりと自分の足で立つ、立派な大人であったから。
最近ようやく自分がそうさせていたのだろうな、と考えられるようにはなったけれど。
やっぱり自分の知らない悟飯の姿を見てしまうと、少し寂しくなってしまう。悟飯のことは自分が一番知っていたいなんて。それがおこがましい考えであると分かっていても、だ。
「そっか?」
「はい……」
嘘だ。
しかし悟空は何も言わない。ただ黙ってトランクスの隣にいる。
少し離れた所ではデンデと悟天がじゃれ合っている。穏やかな光景にふっと微笑んで、トランクスは意を決したように口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「悟飯さんは昨日……生き返ったことについて何か言ってませんでしたか……?」
一番聞きたくて、一番聞きたくないこと。でも、聞かずにはいられない。知らないわけにはいかない。知らないふりなんてとんでもない。
一晩寝て気付いた。
悟飯が生き返ったことを喜ぶばかりで、彼の気持ちを考えていなかったことに。
無理やりとも呼べる方法で永久の眠りから強引に目覚めさせてしまった。
悟飯は笑っていてくれたけれど、迷惑だったのではないか、と。考える。
界王星には悟空もピッコロもいたと聞いた。他にも、大事な戦友たちが。
幸せだったのではないだろうかと思うのだ。無理に生き返させられるより、余程。再び生きる苦しみを味わうことになるとは思ってもみなかったに違いない。
生き返って嬉しいというのはトランクスの主観だ。
笑顔でいてくれたのは彼の優しさで、悟飯にとってはいい迷惑だったのではないのかと。
本当は、自分勝手なトランクスに怒っているのではないかと。
考え付いた。
そう言われるのが怖いくせに、聞いてしまうのは心が弱いからだ。
「別に何も言ってなかったぞ」
「……怒ってませんでした?」
「怒る? 何にだ?」
「オレが……勝手に、オレの勝手で悟飯さんを生き返らせたこと……」
悟空はぱちくりと目を瞬いた。トランクスが何を言っているのか分からないというように。
その様子を見て取って、トランクスはゆっくりと思っていたことを話した。
黙って最後まで聞いていた悟空だったが、話し終えて俯くトランクスの顔を覗き込み、その鼻をぴん、とはじいた。
「ごっ、ごきゅうひゃん!?」
「おっめぇ、そんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって……大事なことでしょう?」
生き死には、軽いことじゃない。トランクスはそれをよく知っている。会えない辛さも、大事な人から急に引き離される悲しみも。
でなければこんなに胸が苦しくなったりしやしない。
トランクスが悟飯に会えて嬉しかったように、悟飯もピッコロに会えて嬉しかったはずなのだ。まして、「大のお父さんっ子だったよ」と話してもらったことも覚えている、そんな悟空もいたのに。
「生き返らなければよかった、って……思ってるかもしれない……」
口にしたら余計胸が締め付けられた。
そんなこと、思って欲しくはないけれど。
トランクスには悟空やピッコロ以上に「生き返ってよかった」と思わせるほどのものを、悟飯に与えられるとは思えなかった。
自分は悟飯から奪ってばかりいる。
悟空も、ピッコロも、腕も、命さえも。
自分が我が侭を言わなければ。自分がもっと強ければ。あんなことにはならなかったのに、と。
何度後悔してもし足りない。
悔しさの滲む表情で語る姿を見ながら、悟空はぽりり、と鼻の頭を掻いた。
『真面目なのは誰に似たんでしょうねぇ』
昨夜の息子の言葉を思い出す。
「そんなこと、ねぇと思うけどな」
悟空は言った。
顔を上げると、いつもの笑顔を向けている師匠の父に頭を撫でられた。
悟飯によく似た、大きくて温かい節くれだった武道家の手。
撫でてもらえるのが嬉しくて、何とか褒められようと必死で修行したことをトランクスは覚えている。今は照れくさくて素直に撫でて欲しいなんて言えないけれど。
「オラもいっぺん死んじまったろ? だから、全部じゃないけど少しはあいつの気持ちが分かるんだ」
ほんとにちょっとだけな、と言い置いて悟空は考え考え話し出した。
「いっちばん初めに死んだ時はよ、一年したら生き返れるって分かってたし、オラもそのつもりだったから特に考えることはなかったんだ。……チチが怒ってるだろうなーとは思ったけど。
そんで……ほら、セルん時。死んだばっかの時は考えなかったんだけど……たまーにさ、覗いてたんだ。あいつらが危ねぇ目にあってねぇかとか。
でもよ、ほんとに覗くだけなんだよな。何も出来ねぇんだ。話しは界王様に頼めば出来るんだろうけど……川に流されてる時に声掛けたって何の助けにもならねぇもんな……」
そういえば、とトランクスは思い出していた。
悟天が小さい頃、川辺で遊んでいたら足を滑らせて落ちてしまい、そのまま流されてしまったことがあると。悟飯も似たような経験があり、その時は悟空に助けてもらったが、悟天は自分が助けたと少し誇らしげに笑っていた。
悟空はきっとそのことを言っているのだろう。
「あいつらがどんなに辛い目にあってても、死んでたら手助けも出来ねぇんだ。それがいっちばん嫌だったな。オラがいねぇと何も出来ない、ってんなら別だけどよ、もう少し、あとちょっと力を貸してやれれば、って時もただ指くわえて見てるしかないっつーのが一番堪えたな。
それに、あの世にもいい奴はいっぱいいたし、楽しかったけど、そこにはチチも悟飯もいねぇ。あいつらの側にオラがいねぇのと同じで、オラの側にはあいつらはいねぇんだ。気付いた時にはすっげぇ寂しくてよ。
後悔してるわけじゃねぇんだ。あの時はそれが一番いいと思って選んだことだから。
でもよ、今はこうして生き返って、チチも悟飯も悟天もいる。クリリン達にも会いにいける。困ってたら助けてやれる。生き返ることが出来てよかったって思ってる。生き返って後悔なんかしてねぇ」
だからよ、と彼は続けた。
「『生き返らせなきゃよかった』なんて酷ぇこと言わねぇで、優しくやってくれよ」
「………はい……ごめんなさい」
勝手に生き返らせて、勝手に分かったふりをして、勝手なことばかりを言って。
後悔せずに生きること。やれることをやるということ。
それこそが大事なんだよ、と優しい声でに教えてもらったはずなのに、こんなにも簡単に忘れて、彼の父親に泣き言を洩らして、慰められて。
何て至らない弟子なんだろうか。情けなくて、悔しくて。
「そんな顔すんなって」
「でも、オレ……悟飯さんに申し訳なくて……」
ぎゅう、と拳をきつく握り締める。短く切り揃えているはずの爪が手の平に食い込む。
血の匂いに気付いた悟空は、トランクスの背を優しく叩いた。そして握りこぶしを開いてやりながら息子自慢の優しい弟子に笑いかける。
「置いてかれる辛さってのはよ、あいつも知ってんだ。オラの所為で。だから、怒ってるわけねぇと思うぞ。それより、おめぇに怒られねぇかビクビクしてんじゃねぇか?」
「そんな……オレに怒る資格なんてないです」
「シカクとかそういうことじゃねぇと思うけど……あーぁ、トランクスおめぇ強く握りすぎだ」
開かせた手の平を見て悟空は顔を顰めた。この短い爪でよくぞ、と言ってやりたい。褒めてはいないが。
涙の代わりに血を流しているのだろうか。
どうせ流すなら、喜びの涙だけであって欲しいのだけど、と思う。
それは無意識だった。小さな頃からかすり傷なんかはこうやって直してきた。それで充分だったから。
「ごく、ごっ、悟空さんなにしてるんですかっ!?」
「へ? 消毒」
んべ、と舌を見せる。
怪我は舐めときゃ治るからな! と悟空は力強く断言する。確かに唾液には殺菌作用もあるのだが、それ以上に雑菌が含まれているので怪我した場所を舐めるというのは本当は推奨された消毒ではない。
しかし今トランクスはそういう理由で慌てているのではなく。
「結構ですから! そんなそんな舐め舐め舐め……っ!!」
「お、血ぃ止まったぞ」
「……人の話聞いてください……」
がっくりと肩を落とすトランクスに悟空は首をかしげた。何故トランクスが慌てているのか本気で分かっていないらしい。
そういえば彼の長男も似たようなところがあった、とトランクスは師匠を思い出してそっと体温を上げてしまう。
顔を赤らめているトランクスを眺めながら、悟空はふと昨日のことを思い出す。
***
トランクスたちが帰った後、宿題と予習をするからと部屋に引っ込んだ(と言うのは勿論名目である)長男と、昼寝をしたとて育ち盛りのおねむ次男を寝かしつけ、親子三人水入らずで食卓を囲んだ。お茶を飲みつつお菓子をつまみ、これまでのことを語り合った。
別世界の息子の口から出てくるのは殆どがこの愛弟子の名前で、たまにブルマやピッコロ、そして悟空が出てくるくらいだった。
あまりにも自分の名前が出てこないことにチチが拗ねて宥めるのが大変だったのだ。
トランクスのことは勿論一緒に戦った仲間として大事に思っている。姉のような関係であるブルマの息子でもあるし、同時にライバルの息子でもある。それを除いても気持ちのいい青年だ、充分に好意を持てる。
しかし、悟飯の口から語られるトランクスは、悟空の知っているトランクスと同一人物だとはとても思えなかった。
悲しくて泣いて、嬉しくても泣いて、ピーマンが苦手でトマトが好き。カレーの具はじっくり煮込んだ具が溶けかけのものが好き。だけど肉は固めがいい。
怖い話を聞くと夜眠れなくなる。そして悟飯の布団にもぐりこんでくるのが嬉しくて、何度も怖い話をした。そのくせ強がってなんでもないふりをするから、また繰り返し。最後にはブルマに怒られた。
女の子に話しかけられるとすぐに顔が赤くなって、それをからかうとすぐ拗ねる。終いには「師匠が女の子に弱いから受け継いじゃったんです」と減らず口。だからって悟飯が女の子と長話をしているとまた拗ねる。
トランクスが可愛くて仕方ない、というような口ぶりに、初めは拗ねていたチチも最終的には呆れながらも笑っていた。
片腕を失くしたことさえ、大事なものを守って負った名誉の負傷だと告げた誇らしげな顔。
悟空とて、いくら鈍いと言われていても、そこで息子の気持ちが分からないほど鈍くはなかった。
だからチチが風呂に入ると席を外した時、ついつい言ってしまった。
「ごはぁん、おめぇそんなとこまでピッコロに似なくてもいいんだぞ」
「そんなとこって、どんなとこです?」
「いや、だってよぉ、おめぇたちのそれ、トランクスが師匠離れ出来てねぇんじゃなくて……」
「オレが弟子離れ出来てない、でしょ?」
「へ?」
「あはは、ちゃんと分かってますよ。でもねぇ、離れる気も放す気もないんです」
どうしようもないことに、と幸せそうに笑った。
その表情だけでもう、悟飯がどれだけトランクス大事なのか思い知らされるというものだ。
けれど同時に彼の執着をも見せつけられた気がして。
「悟飯が苦労かけると思うけど、よろしくな」
「?」
苦労をかけているのはオレですよ、と不思議そうな顔をするトランクスの頭を撫でて、いつの間にやら柱の影でやきもきしている息子の気配に悟空は笑った。
***
悪化してる。
トランクスはずきずき痛む胃をこする。隣では悟飯もまた同じようなポーズで同じような仕草。
なるべく見ないようにしている場所では別の自分とその師匠がいちゃいちゃしている。見たくないなら目を閉じればいい。けれど耳を塞ぐなんて、あまりにあからさますぎて人のいい少年たちは漏れ聞こえる糖分過多な会話に胃もたれを起こしつつも何も出来ない。
学校が終わってすぐに神殿に来たのだけれど、それは失敗だった。ていうか来なきゃよかった。心底そう思う。
きっと隣でお茶を啜っている振りをしている悟飯も同じだろう。ちっともお茶が減っていないのはご愛嬌。演技が下手な少年なのだ。
「いつからあれ、やってるの……?」
「オレが来たときはもうずっとあれだったよ……」
「トランクス君が来る前からずっと二人でらぶらぶ? してたよー」
「ご、悟天お前らぶらぶとか言うなよ!」
ぴぎゃー! とトランクスは叫ぶが、無邪気に笑う悟天はただ首を傾げるだけ。何故幼馴染が涙目になっているのかなんて分からないのだろう。
悟飯はあーあ、とため息をついた。
ちら、と視線を送り、やっぱり見なきゃよかったと頭を下げて肩を落とす。
居た堪れない。
何でだろう、と悟飯は思う。
トランクスは好きだ。隣で「悟天のバカバカ」と涙声で呟く少年も、視界に入らないところで頬を染めている青年も。前者は弟のような、後者は戦友、または兄のような愛情を持っていると断言できる。
けれどあの、未来では亡くなっていたという彼は。
「あーん」
「あーん」
右手にティーカップを持っている彼はお茶菓子を手に取れない。だからトランクスが代わりに摘んで食べさせている。というのはただの名目。
別にテーブルにティーカップを置けばいいのだ。それで全て解決する。
だが悟飯は置こうとしないしトランクスも何も言わない。そして延々駄目ップルの会話は続く。
「他に食べたいもの、無いですか?」
「んー……じゃあ、トランクスが食べたいな」
「何言ってるんですか、悟飯さん」
「この頬っぺたなんて、齧ったら甘そうだよね」
「そんなわけないでしょう。はい、あーん」
「あーん」
あんたらなんて会話を。
師匠が弟子に対してするようなそれを通り越した会話に、悟飯はちびっこ二人の耳を塞ぎつつ、心の中で絶叫した。天津飯のように腕が四本もあるわけではないので、片方の耳しか塞げなかったけれど。トランクスの右耳と悟天の左耳を手で塞ぎ、残りをお互いの耳で塞いでもらおうとしたらつい力が入ってがつんとやってしまった。
慌てた所為でちょっと力が入ってしまったけれど、その衝撃で駄目な大人二人の会話は耳に入っていないらしい。というかくらくらと頭が揺れている。
悟空はぱちくりと目を瞬かせ、ピッコロは視線を逸らし、デンデは静かに苦笑した。
「昨日はあそこまでじゃなかったでしょう。何があったんです」
じと、と悟飯はピッコロと悟空を睨みつける。ピッコロは目を逸らして悟空を見つめ、悟空はきょとんと首を傾げた。
この時点で元凶が誰だか丸分かりというものである。しかも本人無自覚ということまで。
「……何してました?」
「ああ、トランクスに……」
恐る恐る見上げる悟飯にピッコロが事情を話そうとした時。
「あっ、ちょ、悟飯さん、オレの指は食べ物じゃありませんよ」
「このまま全部食べちゃおうか」
なんちゃってね。
うっとりするほど爽やかな笑みでとんでもないことをのたまう悟飯に、これまた頬を染めたくなるほど可愛らしい表情で俯くトランクスにもう一組の悟飯とトランクスはげっそりする。
なんちゃってが本気に聞こえないこの恐ろしさ。
両腕をこすって暖をとろうとするが、そんなことでこの薄ら寒さは拭えない。
しかもその上とんでも師匠はとんでもないことを言い出した。
「食べちゃう代わりにキスしちゃおうかな」
「は!?」
何を言っているんだ、と真っ赤になるトランクスに更に一言。
「お父さんにキスされたとこも、全部ね」
「……」
「……」
「……」
「悟空……」
「悟空さん……」
「お父さん……」
ピッコロとトランクスと悟飯の冷たい視線を一身に受け、悟空はちょっと後退り。怖いもの知らずの悟空だって、こうも恨みがましい目でみられたらやっぱりびびる。しかもうち二人は精神的ダメージがとんでもなく大きいものだから、視線も尚更厳しくなろうというものだ。
「悟空さんの馬鹿……」
「わ、わりぃ……」
「お父さんのいらんことしい……」
「すまねえってぇ……」
「今晩のデザート抜きですからね」
「いぃっ!?」
そりゃねぇよぅ、と嘆く悟空の声が雲より高い神殿に響き渡る。
しかしそんな中でも未だ見詰め合う師弟はキスするしないやめろやめないでその後二時間いちゃこらし続けたのだった。
***
甘く漂う苺の香り。紅茶に野苺の香りを付けたんですよ、と新米神様が教えてくれた。
こくん、と喉を鳴らして悟飯は「そう言えば」と口を開いた。
「未来へはいつ帰ろうか」
トランクスの指からすり抜けたティーカップとソーサーが触れ合って軽い音を立てる。零れなかったのは運がよかったのだろう。見ていたデンデはほっと胸をなでおろした。
そしてすっかり忘れていたことを師匠に言われて初めて思い出し、トランクスは自分の間抜けさに頭を抱えた。もっとも、原因は悟飯にもあるのだけれど。
「えーと、オレはもともと明後日帰る予定だったんですけど」
「そうか、じゃあ明後日だね」
事も無げに言う悟飯に、トランクスはいいのだろうか? とその顔を見上げる。悟飯が望むのなら、延ばしたっていい予定なのだ。
確かに帰りづらくはなるかもしれないけれど、今のトランクスには悟飯以上に優先されるものなど無いのだから。
しかし悟飯は笑ってトランクスの頭を撫でた。
「問題は、タイムマシンにオレも乗れるか、ってことだよなぁ」
まさか置いてけばりになんかしないよな? と笑われる。
「そ、そうだ……タイムマシンは一人乗り……!」
うっかりな所は母親譲り。
相変わらずな弟子に苦笑して、悟飯は師匠を見上げた。緑色の耳をぴくりと揺らしてピッコロは目を反らす。
無茶を言うな、ってなもんである。
元神様だろうが優秀なナメック人であろうが、あんな複雑な機械をどうこう出来る力はない。悟飯も多大な期待はしていなかったのでそれ以上は何も言わない。
役立たずと言うなかれ。ブルマがとびっきりの天才なだけなのだ。機械に関しては、の但し書きは付くけれど。
だからこういう時は。
「ブルマさんに相談してみようか」
「はい……」
トランクスがしょんぼりしながら頷く。そんな姿も可愛いな、なんて思ってしまうは馬鹿師匠。しょんぼりするだけ無駄なのだ、とトランクスに教えてくれるお人よしはいなかった。
***
孫家の男共に「またね」と手を振って別れ、二人のトランクスと一緒にカプセルコーポレーションへと飛んできた悟飯の姿に、ブルマはひゅう、と口笛を鳴らした。隣で「鳴ってないぞ」と呟く夫の鳩尾にチョップをくれてやると、初めて見る息子の師匠をまじまじと見分する。
「へーえ、あの悟飯君がねぇ。いい男になるもんねぇ」
へーほーふーんと眺められ、悟飯は困ったように笑った。ベジータの足元では小さなトランクスが複雑な顔をしている。
どんなにいい男でもその全ては可愛い弟子の為に、だ。まったく何の意味も無い。
被害を一身に受けることとなった少年は痛くも無い腹を押さえてぶすくれている父親にすがりつくことも出来ずにただ只管これ以上厄介なことが起きませんようにと祈るばかり。
そうね、と少し考え込んだ後、ブルマは思い出したかのように告げた。
「ミクロバンド作ってあげるわ」
「ミクロバンド?」
「要は二人乗れればいいんでしょ? 片方が手のひらサイズになれば十分乗れるわよね」
トランクスは頷いた。悟飯を見上げると、それでいいよ、と目で返事が返ってきた。
設計図は残っているから明後日には出来るはずだ、とブルマ頼もしく請け負う。
「にしても懐かしいわね~。私筋斗雲に乗れなかったから、小さくなって孫君の懐に入れてもらったのよ」
「おい、どういうことだ! 聞いてないぞ!?」
「言ってないもの当然でしょ。だいたい、あんたに会うずっと前のことだもの」
何だかんだで愛妻家の王子様である。しかも話に出てきたのはライバルの名前。
むがががが、と額から蒸気を出すベジータを軽くあしらい、ブルマは早速作業室に入って行く。残されたベジータも悟飯を一瞥しただけで、何も言わずに小さなトランクスを引きずりながら重力室に向かう。
何でオレ、というトランクスの悲痛な叫び声が廊下にこだまし消えていき、途中で「うぐぅ」と鈍い声が聞こえたのはきっと殴られでもしたのだろう。勿論八つ当たりだ。
「……うーん、ベジータさんってあんなだったっけ……?」
長い平和とブルマの功績で丸くなったかつての侵略者。今ではすっかり愉快なパパである。
怖い人、という印象のまま人造人間と戦って命を落としたベジータしか知らない悟飯にとって、たった今目の前で繰り広げられた光景は俄かには信じ難い。
それでも幸せそうだな、とちょっと笑う。
何しろあの悟空でさえたじたじにしてしまうほどのパワフルガールだったのだ、ブルマは。本人が聞けば「今もよ!」と頬を膨らませるであろうけれど。
トランクスも会ったばかりの頃とは大分変わっている父親に、ブルマの偉大さを実感する。そして赤ん坊だったトランクス。あやした記憶さえ新しい子供が。
やっぱり育つ過程を見ていると、父親としての自覚も出てくるものなのだろうか。
ちょっと羨ましいな、とも思うけれど。
「きっとキミに会ったからだろうね」
悟飯がそう言ってくれるから、それもあると嬉しいな、と都合のいい解釈で納得してしまうことにした。
***
「悟飯ちゃんはトランクスちゃんのお隣の部屋でいいかしら~?」
のんびりとしたブリーフ博士の奥方の言葉に、悟飯は「はい」と頷いた。トランクスにも勿論異存は無い。
トランクスの部屋の隣室に案内され、部屋をぐるりと見渡した悟飯は弟子の祖母に頭を下げた。
「お世話になります」
「いいのよ~、何日だっていてくれても。
悟飯ちゃんもこんなに格好よくなるなんて、さすが悟空ちゃんの子供ね~。
明日デートしない?」
「え!?」
「だっ、駄目です!」
驚く悟飯と大慌てで首を振る孫の姿に、けれどブリーフ夫人は「あら残念」と微笑んだだけで退室した。その不思議な笑みにトランクスの頬が染まる。何だか色々と見透かされている気がする。
そんなトランクスには気付かず、悟飯は「あの人は何年経っても変わらないなぁ」と感心していた。
そういえば年を取っていないようにも見える。……まさかサイヤ人じゃないよな、という悟飯の呟きに、二人は顔を見合わせ引き攣った笑顔を見交わした。
「ま、まあ、そういう体質なんだろうね」
「そうですよね、きっと若い時代が長いんですよね」
「それってサイヤ人の特性だよね」
「………」
「ぷっ」
「……面白がってるでしょう」
「よく分かったね」
分かりますよ、と拗ねる弟子に微笑みかけて、悟飯はソファ代わりにベッドへと腰掛ける。睨みつけてくるトランクスにおいでおいでと手招きして、渋々近付いてきたその腕を引っ張った。
「うわ!?」
「あはは、重くなったねぇ」
トランクスの全体重をその身体で受け止めて、悟飯は朗らかに笑ってみせた。
その様子はまるで。
「孫の成長見守るおじいちゃんみたいですよ」
「……おじいちゃんなんて年じゃないよ」
弟子に甘いお師匠様も、さすがにジジイ扱いは嫌だったらしい。
めっ、と怖い顔をしてみせる。勿論怖くなんてないのだけれど。
そのまま何となくお互いに口を噤む。
話す事は沢山ある。話したい事も沢山ある。
だけど触れ合った場所からじんわり広がる体温が温かくて、それだけで全てが通じ合うような気がして。
トランクスはそっと目を閉じた。うつ伏せで悟飯に覆いかぶさっている体勢のお陰で、そんな小さな仕草も悟飯には分かってしまう。
甘える時、甘えたい時、トランクスはいつもきゅう、と目を瞑る。そんな弟子の仕草が嬉しかったものだ、と悟飯も笑って目を閉じた。
そのままどれだけ引っ付いたままでいただろうか。トランクスははたと気付いた。
いつまでもこうしているわけにもいかないことに。
カプセルコーポに着いたのは既に夕方近くになっていた。そろそろ夕食の集合がかかるはずだ。『ご飯は皆で食べたいじゃないかbyブリーフ』である。
このままでは誰か、有力なのは小さなトランクスが、きっと二人を呼びに来るだろう。わざわざ手間をかけさせるわけにもいかない。何せ朝からつっこまれっぱなしだったのだ。
「悟飯さん、そろそろ晩御飯の時間ですよ」
小さな声で呼びかける。しかし返事はない。
「悟飯さん……? 寝ちゃったんですか?」
戻らない返事に少し焦って身体を起こす。しかし悟飯はのんびりと閉じていた目を開けた。
「ん? いや、起きてるよ」
トランクスが起きて出来たスペースに、悟飯も身体を起こす。その時聞こえた「よっこらしょ」という呟きは、礼儀正しい弟子はきちんと聞かなかったことにしてあげた。
「ご飯はみんなで一緒に、だよね?」
「はい。覚えてたんですね」
「ブルマさんに散々言われたからねぇ。まあ、オレの家もそうだったけどね」
行こうか、と手を差し出される。
トランクスは迷わずその手を取り、
「またかよこの駄目師弟」
結局はお手々繋いで食卓へ着いた二人を見たチビトランクスの冷たい視線を浴びることとなったのだった。
***
和気藹々とした夕食。一家の団欒。絵に描いたような温かい家族。
「悟飯さん、これ美味しいですよ」
「そう? オレにも取ってくれるかい」
「じゃあオレが食べさせてあげますよ。
はい、あーん」
「あーん」
絵に描いたようなバカップル。
「……あれは何だ」
ベジータは頭痛を抑え、隣でもぐもぐ口を動かす妻に問いかけた。
「仲良しでいいじゃない」
仲良しなんてもなじゃないだろう。
暢気も大概にせえよ、とは口が裂けても言えない愛妻王子。しかしその間も視界には痛々しい光景が入ってくるわけで。
ブリーフ夫妻は「仲良きことは美しきかな」とか何とか微笑ましく見守っているし、トランクスに至っては自分よりも重症だ。普段はあっという間に平らげる量の食事も、今日に限ってはいまだ手付かずでテーブルに鎮座している。
無理も無い。学校が終わった後からず~~~~~~~っと見せ付けられっぱなしなのだ。やつれているようにさえ見える。
はぁ、とため息をつく。そんな夫にブルマはにんまり笑って手近な料理をフォークに突き刺し。
「ベジータ」
「何だ」
「あーん」
がごん。ずりごきゅ。
トランクスはテーブルに額をぶつけ、ベジータは無様にも椅子から転げ落ちた。リアクション芸人も真っ青だ。
「うふふ、ブルマさんとベジータちゃんも仲良しさんねぇ」
「そうだなぁ」
「じゃあパパにも、あーん」
「あーん」
大物だ。
二人のリアクションにも動じず、にっこり笑いあって自分たちも同じことをし始める妻の両親に、ベジータはいまだかつて無い敗北感を味わった。
この夫婦から生まれたのがブルマだというのなら、自分が連戦連敗であるのも頷けるってなもんだ。……限りなく認めたくない事実だが。
「ほらほら、あーんは? ベジータ、あーん」
「誰がするか!」
「何よぅ、あたしの料理は食べられないっての?」
「酔っ払いか貴様は! というかそもそもお前は作っとらんだろうが!」
いつものメンバーが集まるパーティなどは別だが、普段の食事は料理マシンが作っている。と言ってもそのパーティの料理もサンドイッチやバーベキューなど簡単なものばかりなのだけれど。
断固拒否するベジータに頬を膨らませ、ブルマは夫にえいやっと飛び掛る。妻の急襲に慌ててよけようとするが、今ここで避ければブルマは確実に床と仲良しこよしである。
そう考えが及んだ時点でベジータの負けだった。
「あーん」
「むがっ」
がぽんっ、と喉の奥にまで突っ込まれる。何かの苛めとしか思えない。
しかし目の前で「どうだ嬉しいだろう」と言わんばかりに目を輝かせている妻を見ていると、必死で租借して頷いてやらなければいけない気になるのだからどうにもこうにもこの愛妻家。結局はバカップルの片割れの父親なのである。
ベジータ連敗記録絶賛更新中だ。
そんな父親の様子をトランクスはキラキラした目で見つめた。
「母さんに見せてあげたい……」
「よかったな、トランクス」
「はい!」
両親の仲がいいというのは子供にとっては何よりの幸せだ。しかも隣には大好きな人。
幸せ絶好調のトランクスは満面の笑みで大きく頷いた。そんな可愛い弟子に悟飯の顔も自然と緩む。
にっこり笑って見詰め合う。それだけでお腹一杯だ、と言わんばかりに。実際にはかなりの量を胃袋に収めているが、それはそれ。愛しい人の笑顔は別腹だ。
そうして最終的には三組の「はい、あーんv」を見せ付けられるハメになったちっこいトランクスは。
「大人なんか……」
絶対こうはなるものか、と固く固く、決意を新たにした。
***
本を捲る音がする。
テーブルに分厚い本を置き、悟飯の節くれだった指が器用にページを捲っていく。
真剣な目で活字を追う悟飯の横顔を、トランクスはベッドに寝転んでうっとりと見つめる。
きりりと太い眉、難しい字があったのかたまに細められる目、すぅっと筋の通った鼻、引き締められた唇、何もかもが。
(格好いい……)
恋は盲目。しかも今この場所には突っ込んでくれる人は誰もいない。
どうにも騒がしい夕食を終えた後、家族はそれぞれの部屋に引っ込んだ。トランクスもいつもなら小さなトランクスの部屋で一緒に寝るのだが、今日は悟飯もいることだしと、この部屋に泊まることになっていた。
というか、隣室から物音がするたびにそわそわと落ち着きをなくすトランクスに、限界を迎えたちびっこから「うちのベッドはダブルベッドよりでかいんだからあっちでも寝れるだろ!」と追い出されたというのが正しいのだが。
控えめに叩かれるドアを、来るのが分かっていたとでもいうようにすぐさま開いた悟飯は、珍しく紅潮した顔でトランクスを招き入れてくれた。一歩足を踏み入れたそこは本のジャングル。唯一本の侵蝕を免れていたのはベッドと椅子、そしてドアの周辺のみ。
未来では学校や図書館なども破壊され、本は焼けて中々手に入りにくいということをトランクスから聞いたブルマが『どうせ自分は暗記していて読む必要などないのだから、好きなだけ持っていきなさい!』と豪快に渡してくれたのだ。天才であるにはあるのだ。必ず『機械に関しては』との限定詞がつきはするが。
トランクス曰く、復興が進んでいるとはいえ、学者をやっていくにはあの世界は貧窮しすぎている。破壊するのは容易いが、生み出し守ることは難しい。その見本だ。
けれど勉強してしすぎることはない。都再建の役にも立つだろうし、そもそも何かを知るということが大好きな悟飯なのだ。
悟飯は有り難くその申し出を受け、貰えるだけの書物をカプセルに詰め込むことにした。
今読んでいるのはその一部である。
招き入れた後、お茶でも淹れようか、お菓子でも貰ってこようか、小さなトランクスからゲームでも借りてこようか、とトランクスを構い倒そうとする悟飯をトランクス自身が止めたのだ。
自分も少し読みたい本があるから、と明るいデスクライトを悟飯に譲り、ベッドに腰掛け適当な本を手にとって。けれどそのページは一枚も捲られることは無くいまま。
楽しそうに知識を吸収する悟飯。それをただ見続けることの出来る時間。
この時間がずっと続けばいいのに。
幸せだ、とトランクスは目を細めた。
夜の闇にまぎれて雨の音がするまでは。
***
トランクスの気配を感じて、悟飯は文字から目を離し顔を上げた。
いつの間に近付いたのか、俯いたままの弟子の顔を覗き込み、悟飯は驚いて立ち上がった。
蒼白なその顔色に肝が冷える。
「悟飯さん……」
「どうした?」
声をかけ、トランクスの冷たい指先を握りこむ。
「帰りましょう。すぐ。今から」
掠れた声でトランクスが呟く。
無理だと知って、それでも口にせずにはいられなかった。
こればかりはこの約十年間ずっとどうにもならないまま。ただ布団に丸まって時が過ぎて音が止むのを待つだけだった。そうするしか出来なかった。
悟飯は考える。
さっきまでは笑っていたはずだ。こっそり盗み見た彼は、楽しそうに自分を見ていたから。それがくすぐったくも、ちょっと嬉しかった。
なのに何故。
さっきと違うことは何だろうか。何が彼をこうも怯えさせているのか。
降りた沈黙で、悟飯は漸くその音に気付いた。
そうして思い出す。永遠の別れを経験した時のことを。
「雨は嫌い?」
悟飯が低い声で聞くと包み込んだ指が震える。
「オレの所為かな」
質問ではなく確認。
服をぎゅぅぅうう、と掴まれた。それが返答。
怯える子供のような仕草に、心臓を鷲掴みにされた。責めてくれないのが辛いだなんて、どの口が言ったものか。
怒られるよりも堪えた。
こんな顔をさせるなんて。
生き返った時の涙は、あれは喜んでくれているのだと、迷うことなく言えたから。でもこれは。
「……おいで」
繋いだ手をそのままに、本を掻き分け歩く。
素直について来るトランクスは、離せば消えてしまうのではないか、というほどにしっかりと悟飯の服を握り締めていた。間抜けな格好なのだろうな、とは思うが悟飯には何も言えない。
ぽすん、とベッドに座る。隣に座る弟子の揺れる瞳を感じ、悟飯は安心させるように笑った。
ここにいるよ、と。
引き寄せて、抱きしめる。いくらでも体温を感じればいい。ここに生きて存在しているという証。
それでも足りないのなら、流れる赤い血を見せてもいいとさえ思う。そんなことをすれば余計に不安にさせるだけだから実際にしたりはしないけれど。
腕を失った時も泣かせてしまった。あんな顔、もう見たくない。
後悔と、罪悪感とに塗れたあんな顔。
何度キミの所為じゃないと言っても聞いてもらえず、最終的には力技で納得させた。かなり強引だったかな、とは思うけれど、如何な悟飯とて若気の至りとはあるものなのだ。
どうせ離す気などないのだし、とその時は無理やり自分を納得させた。
まさか死ぬなんて思っていなかったから。
絶望感と無力感に苛まれて薄れ行く意識。襤褸雑巾よりもずたぼろになって、服も髪もしとどに濡らす雨の中、体温を奪われながら心に浮かんだのはただ一人。
自分を師匠と呼び、母親にさえ見せない泣き顔を見せ、無条件に与えられる信頼を、生きる理由をくれた空色の瞳。
また泣かせてしまう、と思った。
しかも今度は取り返しがつかない。既に指を動かすことすら億劫なのだ。
ごめんね、と謝った。
一人にしてしまうこと。人造人間を倒せる唯一の存在にしてしまうかもしれないこと。生きて生きて生きて、絶対に生き延びなければならない存在にしてしまったこと。それを願ってしまったこと。
声になっていたかは分からない。音になっていたとしても、それがトランクスに聞こえるはずもないのに。そんな判断さえも出来なくなっていた。
気付けば目の前には天使の輪っかを浮かべた父親師匠、その他諸々の方々。自分の頭の上にも同じものが浮かんでいると知った時は、茫然自失する以外なかった。
でも今は。
生き返って、最初に目にしたのは紅藤から覗く空色。
真っ直ぐ射抜いてくるそれを再び見ることが叶えばと、幾たび願っただろうか。
けれど見たかったのは、涙に濡れたそれじゃない。
「トランクス」
名を呼ぶ。ぴく、と反応した身体に、声がきちんと届いていることを確認する。
「デンデに立会人になってもらおうかな……。ああ、そういえばピッコロさんも神様と融合したんだっけ。じゃあピッコロさんにも頼もうかな……。まあ今から飛んでいくわけにもいかないし、また明日行けばいいか」
ぶつくさとわけの分からないことを呟く師匠に、トランクスは埋めていた肩口から顔を上げた。
立会人だの神様だの、果てはピッコロだの。意味が分からない。
だが悟飯は弟子の疑問には頓着せず、
「お望みなら何度でも言うけど、出来ればちゃんと聞いてて欲しいなぁ」
と前置きして厳かに言葉を紡いだ。
「孫悟飯は、健やかなる時も、病める時も、死が二人を別つとも、トランクスの側にいることを誓います」
どう? と目で問われ、トランクスは絶句した。
それではまるで結婚式。神への誓いではないか。
「他に、言葉以外にキミにあげられるのなんて、命ぐらいしかオレは持ってないし。でも、受け取り拒否されちゃいそうだったから。
信じてもらえるまで、何度でも言うよ。一度死んじゃったオレが言うのも、信憑性がないだろうからね」
呆気に取られていたトランクスだが、悟飯のその言葉に「そんなことありません」と首を振った。
「びっ、びっくり、した、だけで……」
そりゃびっくりもするわ、という話である。
「あの、それで、神様とかピッコロさんがどうのっていうのは……?」
「うん、結婚式とかだと神父さんがいるだろ? でも折角神様が知り合いなんだから、神様に立会人になってもらった方が、誓いの効力あるかな、って」
質問の意味を万分の一も分かっていない返答に、流石の師匠大好きっ子もなんと言ったものか言葉の選択に困る。しかも本人はトランクスがあえて考えないようにしていたことをしれっと言ってのけている。
しかしその沈黙をなんと誤解したのやら。
「弟子と孫弟子がお願いしたら断らないよ」
ピッコロにとってはいい迷惑だ。
そういうことじゃないのだけれど、と思いつつもトランクスはつい苦笑した。
「ずっと一緒にいてくれますか?」
「もちろん」
「勝手にいなくなったりしないでくださいね」
「『行ってきます』って言うよ。それにちゃんとキミのところに帰って来る。『ただいま』も言う」
約束だよ、と小指を立てる。大真面目である。
相変わらず、すぎる。
常識人のふりをして、実はちっともそんなことない。しっかりしてるようで、実は天然。
そして自分はそんな悟飯が大好きで、悟飯の言葉なら何でも信じられるのだ。何度でも。
敵わないんだ、この人には。
思って、トランクスは自分の小指を絡めて言った。
「死ぬ時はいっせーのせ、で一緒に死にましょうね」
「ああ、それは幸せだね」
無理難題の我が侭にもうっとりと呟く悟飯の姿に、今度こそトランクスは堪えきれずに笑い声を上げた。
「ね、悟飯さん」
「うん?」
「オレ、悟飯さんが、大好きです」
笑い涙を拭いながら告げる。
予想外の嬉しい言葉に、悟飯は鳩が豆鉄砲を食らったような間抜け面を見せてしまった。
その顔を見て再びトランクスが噴出す。
半分は、照れくさいのを誤魔化すためだったけれど、笑っているうちに本当におかしくなってきてしまった。それほど、今までの『お師匠様』が見せたことのないような表情だったから。
「……笑いすぎじゃないか?」
「そ、そんなこと、ぷっ、ありませんよ」
「……そんな子には~……」
「はい?」
「お仕置きだー」
「……ぇ?」
ふんわりと唇に触れたものの正体に、気付くのが数十秒ほど遅れた。
情報が漸く脳にたどり着く頃にはトランクスの顔は真っ赤に染まっていて。
「あはは、真っ赤だよ」
「あた、当たり前ですっ!」
ぽかすか殴られても悟飯はちっとも痛くない。トランクスが力を入れていないということもあるし、その表情は少しも嫌がっているものじゃないのだから。
長かったなぁ、としみじみ思う。
思いを自覚したのは結構早かった。無邪気に笑う少年が欲しくて、でも流石に八つも年下の子供に手を出すなんて真似、親に似ず強固な理性が許してくれなくて。
触れてくる手を抱きこんで掻っ攫ってしまいたいと、何度思ったことか。
明日死ぬかもしれない現実に、その気持ちを必死で押さえ込んできたけれど。
でも今、トランクスは自分からこの腕に飛び込んできてくれた。勝手にそう解釈する。
この可愛い青年は気付いているのだろうか。気付いていなくてもいいけれど。
「ね、トランクス。『ずっと一緒』って、プロポーズだよね」
「ぷっ、ろぽぉずぅ~~~!?」
「大好き、って言ってもらっちゃったし」
口をぱくぱくさせるトランクスに微笑んで、一気に体温の上がったその身体をきつく抱きしめた。
「言質、取ったからね。もう絶対、離れてあげないよ」
耳元で囁かれ、トランクスは恥ずかしさのあまり身体を捻って逃げようとする。しかしその腕に込められた力は思いのほか強く、上手く身動きが取れない。しかもトランクスは無意識に悟飯の右腕に負担をかけぬよう気を使っている。そんな状態で悟飯の腕から抜け出せようはずもない。
それに、動かせる首を捻って、すぐ側にある悟飯の、その幸せそうな顔を見てしまっては、尚更。離れたくないのはトランクスも同じだから。
だから望む答えをくれればもう、これでいいやというような気持ちになってしまった。
「……悟飯さん」
「ん?」
「あのですね、命、ください。受け取り拒否なんかしません。貰います」
「うん、いいよ。あげる。貰ってくれ」
あっさりと。その言葉の重さを分かっているのだろうか、というほどに簡単に頷く。
でも。嘘が苦手な人だと知っている。
トランクスは「だから、」と続けた。
「勝手に……失くしたら怒ります」
「……はい」
神妙に頷く。
一度、嘘をついたから。
連れて行くと言ったくせに、置いて行って、そのままトンズラ。しかも泣かせたままなんて。
名誉挽回汚名返上しなければ男が廃る、ってなもんだ。
望まれる限り、望んでくれる限りは、ずっとこの子の側にいよう。そう、心の奥底にも密やかに誓いを立て。
「そうだ、ずっと側にいる、って言ったけどさ」
「はい?」
「お風呂、一緒に入る?」
「入りませんよ!」
そっか、そうだよね、と残念そうに呟く悟飯にトランクスはあきれ返る。ここで自分が「はい」と言っていたら本気で一緒に入りそうな勢いだ。
一体いくつだと思っているのだろうか。もう子供ではないというのに。
トランクスは気付いていない。
子供じゃないからこそのお誘いだということに。
(まあ、のんびりいこうか)
明日への約束を躊躇う理由も無い。そのうちでいい、そう思える幸福があるから。だけど。
「それじゃあ背中流そうか?」
「同じことじゃないですか」
つつけば返ってくる反応が嬉しくて、抱き合ったまま笑いあう。
こんな時間を夢見た。
「トランクス、好きだよ」
「はい、オレも、好きです」
そうやってじゃれ合っているうちに、雨音が消えたことさえ気付かなかった。
***
一夜で何があった。
トランクスは昨日にも増して、どころじゃないほどにとんでもないことになっている二人の姿を朝一番に見せ付けられて、家事ロボットから受け取った新聞をぱさりと床に落とした。
おはよう、と笑いかけてくる大きな自分に口の中でもごもごと挨拶を返す。ていうか言いたいことは他に沢山あるのに、ありすぎてどうにもこうにもごにょごにょごにょ。
例えば。
何で手が触れ合っただけで頬を染めるのかな、とか。
何で「あ」って言っただけで何を取って欲しいのか分かるのかな、とか。
何で目が合っただけでそんなに幸せそうに微笑みあうのかな、とか。
何で悟飯さんの膝の上に大きな自分が座っているのかな、とか。
色々、そりゃもういろいろいろいろとあるのだけれど。
どれから突っ込めばいいかさっぱり全く分からない。齢九つの少年に対してあまりにもあんまりな仕打ちだ。
バカップルバカップルと言っていても、それは冗談、あくまで比喩、だったのが。
これじゃまるで本当にこいび……。
そこまで考えて思考回路をシャットダウン。そんな恐ろしい単語思い浮かべたくない。
しかも何が一番辛いって、この異常な光景を誰も気にしていないのが辛い。
祖父祖母は勿論、ブルマも、ベジータでさえ。
救いといえばベジータの読んでる新聞が逆さまで、しかも昨日の夕刊ということから一応動揺はしてくれているのだ、ということだ。
どう救いなのかと聞かれても「少なからずマトモな神経を持った人が自分以外にいた」というだけのなんとも切ないものなのだが。
「トランクス、あんたさっさと座りなさい」
「え、あ、うん……」
これの隣にかよ。
思うが、何も言えない。
あまりにも普通にしている家族を見ると、まるで自分の方が異常な気がしてしまうのだ。
勿論正しいのはトランクスの感覚。
だがそれを教えてくれる人はいない。居た堪れない空気の中がこんと音を立てて椅子に座る。
手と手を合わせていただきます。
「おい、ブルマお前何処に座ってる!」
「息子に負けるなんていや~よ。ほらちょっと足組まないでよ座れないでしょ!」
「くっ、き、貴様……っ」
「ベジータ、何が食べたい? 取ってあげるわよ」
「……………………肉」
手のひらの皺と皺を合わせて幸せ……を下さい。
弟か妹が出来るのもそう遠くはないかな……。
トランクスは煤けた背中を丸めて焦げたトーストを齧りながらそう思う。そしてそれは見事ドンピシャ的中するのだった。
***
鳥が飛んだ。犬が走った。猫が欠伸をした。
そんな当たり前のことも、二人でいれば全てが幸せに変わる。
ちょっと視線をずらして隣を見る。気付いた悟飯がにっこり笑う。それだけでもう。
こんなに幸せでいいのだろうか、なんて思ってしまうのだ。
「楽しそうだね」
「はい」
いなくならない。そばにいる。
悟飯は気付いていないかもしれない。あの頃はそんな約束すらくれなかったことを。
無意識にそんな言葉を封じていたのだろうか。そんな悟飯から何とかその言葉を引き出そうとしてみたのだが、終ぞ言ってはくれなかった。
結構強引に聞き出そうとしたこともあったけれど、暖簾に腕押し糠に釘。かわされてお終いだった。
子供ながらに必死だったのは、明日には会えなくなってしまうかもしれないということを実感として知っていたからだ。一掴みの安心感をねだって、また同じことを繰り返すだろうトランクスを悟飯はちゃんと諌めてくれた。
息をすることすら辛い世界で。彼がいなければきっと生きていけなかっただろう、と思う。
諦めるな。絶対に。道はある。ないなら作れ。そうすれば――。
どんなに今が辛くたって、辛いだけの人生などありはしない。生きていればいいことがある。
教えてくれたのは師匠。
本当ですね、と悟飯に微笑みかける。
時にはその教えを忘れたり、自分の実力を買い被り、飛び出してこてんぱんにされて死に掛けたこともあるけれど。それでも生きた。運が良いのは母親譲り。往生際が悪いのは……父親譲りだろうか師匠譲りだろうか。
生きていれば、本当にいいことがあった。
尊敬する師匠をそっと見つめる。これからまたずっと一緒にいられるなら、少しは近づいてみせたい。そう思って。
が。
むしろ段々近付いてくる悟飯の顔に気付いた時、その唇は既にトランクスのそれと優しく重なっていて。
「いきなり何するんですか」
脈絡の無い師匠の行動に目をぱちくりさせる。口付けられたことは別にいいらしい。また一つちびっこの心労の種が増えている。
「トランクスがキスして欲しそうな顔して見てるからだよ」
「してません」
「あははは、でもびっくりしただろ?」
「……今度はオレがびっくりさせてみせますからね」
「うん、楽しみにしてるよ」
「……………………………絶対びっくりさせてやる」
トランクスは本気で楽しみにしている悟飯に、いつか絶対必ず! とリベンジを誓う。何なら今からでも。
どうやって驚かせてやろうか、と企むトランクスの姿に悟飯はどうしようもなく笑顔がこみ上げる。
今日いまこの時、奇跡そのものの命に感謝を。
幸せだと勝手に笑ってしまうもの。
ぽかぽかの陽だまりの中、飽きもせず仲良く並んでいちゃつき続ける二人の姿。辺りには甘い空気とピンクのハートがふわふわ浮かぶ。
それは学校へ行ったトランクスが帰ってきても尚、カプセルコーポの中庭で飛び続けていたとかなんとか。
「それじゃあ、お世話になりました」
「また遊びに来るのよ二人とも!」
「はい、母さんもお元気で。父さんも、トランクス君も、お祖父さんとお祖母さんも」
一夜明けてカプセルコーポの外庭。
トランクスと天才ブルマの作り上げたミクロバンドを装着した悟飯はタイムマシンの前で別れの挨拶。見送りには孫家の面々もやって来ている。
「また来いよ悟飯」
「はい、お父さん」
「悟飯ちゃん、トランクスさにあんまし無体なことするでねぇだぞ」
「……はい」
この人はどこまで分かって言っているのだろうか。何せ宇宙最強の嫁さんだ。
無体って何だ? と質問する悟空をあしらう背中を見て、悟飯は乾いた笑みを洩らした。
深く考えると恐ろしいのでさっさとミクロバンドのスイッチを入れる。段々と大きくなる周囲の景色に不思議な気持ちになる。実際には悟飯が小さくなっているのだが。
「へぇ、本当にちっちゃくなっちゃいましたね。とりあえず、オレのポケットにでも」
「うん。あはは、トランクスに身長抜かれちゃった」
いや身長どころか。
この時点で小さなトランクスは漸く気付いた。
この人たち、どっちもボケだ。
ツッコミがいない。ツッコミがいないということは暴走すればしっぱなし。
つまりどこまでもボケ倒して突き進むだけである。
気付くのが遅いと言うなかれ。物腰の柔らかさと落ち着いた物言いとに誤魔化されていた。しかも悟飯の方は何だか確信犯的にボケている。
次にこちらへ訪れる時にはどうなっていることか。確実に今よりとんでもないことになっているのは間違いない。
想像しようとして、やめた。蕁麻疹が出そうだ。
トランクスがげっそりしている間に二人はタイムマシンに乗り込み、空の上から手を振っている。悟飯は小さすぎて見えないがきっと振っているのだろう。
その姿が宙に消え、余韻を残して去っていった後。
ブルマがぽつりと呟いた。
「次に来る時は三人かもね」
もう勘弁してくれ。
トランクス、悟飯、ベジータが心の中でそう呟く。声に出さないのは彼らの優しさ……ではなく、喉を振るわせることすら億劫だから。
ありえないからそれ、と突っ込むことも忘れ、考えることを放棄して。
とりあえず、幸せそうで何より。だけど出来れば巻き込まないで。
そんな願いを胸に抱き、残像すら見えぬ虚空を見上げた。
人の夢、と書いて儚いと読む。
そのことを後々も実感させられることとなるとも知らずに。
比翼の鳥……雌雄が目と翼を一つずつもち、常に二羽一体で飛ぶ鳥。
要するに……バカップル。
#DB #飯トラ