No.30

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愛情一本貴女の抱擁
 セクハラだ。トランクスは呟いた。悟天は首を傾げる。何のことか全く分かっていない。つまり血筋ということなのだろう。
 地面に尻を下ろしたままの名前。真新しい胴着の膝に土をつけ、一回り小さな身体を背中から抱きしめる。そのまま猫のような仕草で悟飯は目の前の首筋に頬を擦り付けた。
 これがセクハラでなければ何なんだろうか。スキンシップにしては激しすぎる。と思うのは自分が子供だからだろうか、とトランクスはちょっと悩んだ。
 しかしそんな子供の葛藤には気付かずに、悟飯は名前の体温を堪能する。
 冷凍解凍だ。凍りかけた心臓の。悟飯はそう主張する。
 皆、デンデも、魔人ブゥに殺されてしまったと聞いたときはブゥを生かさず殺さずじっくり苦しめてやろうかと思ったのだけれど。デンデの気を感じることが出来て少し落ち着いた。
 デンデさえ生きていてくれたら、母も、仲間も、名前も。生き返らせることが出来るから。
 それでも老界王神への呪いの言葉を吐き捨てながら、ようやく視界の隅っこで小さな神様の姿を見つけた時。
 その、隣に寄り添う見慣れた後ろ姿が。
 神に感謝するとはこのことか。ピッコロやデンデのことではなく。無論勿体つけて一歩間違えれば手遅れという事態を引き起こしかけた紫色のジジイのことでもなく。
 後から悟飯がピッコロに聞いた事実として、この時の悟飯の移動スピードは瞬間移動でも習得したかのようだったそうな。
名前さん」
 悟飯が名前の名を呼ぶ。耳から入ってきた音が全身をじんわり暖める。それが嬉しくて、名前は無意識に笑った。
 トランクスは数度目を瞬かせた。ピッコロはぴくりと瞼の筋肉を動かしかけた。悟飯は嬉しそうに笑う。
「目付き変わった……か?」
 名前は悟飯を見てぽつりと言った。何か違う。顔つきも、雰囲気も。
 何かロマンティックな台詞を期待していた悟飯はガクリと肩を落とした。察したトランクスが丁寧に気付かなかった振りをしてやる。ここで敢えて慰められると逆に辛いのだ。
「自分ではよく分からないんですけどね……」
 一気に雰囲気がいつもの悟飯に戻る。ピッコロは名前の顔を見た。なかなか出来る。この状況でそれがいいことかどうかは別にして。
 先ほどの悟飯を見ていない所為かもしれないが、こうまでも雰囲気の変わった悟飯に何の躊躇いもなく全く同じ態度で接することが出来るとは。しかも言及するのが目付きだけ。
 他にも色々と突っ込みたい部分もあるだろうに、敢えてそこにだけ触れたのは面倒を嫌ってかそれとも他はどうでもよかったのか。悟飯自体がどうでもいいのか。ピッコロには分からなかった。
「あの……ところでどうなってるのか説明してもらえませんかね……?」
 恐る恐る。声を掛けてきたのは存在自体を忘れ去られていたミスターサタンだった。
「あ、そういえばサタンさんもいました」
「忘れてたのかお前」
「だってサタンさん運んだのトランクスですから」
 忘れて当然、という悟飯に名前は頬を引き攣らせた。仮にも世界を救った救世主(今は色々と事実を知っているが)に対してかなり酷い扱いじゃないだろうか。サタンもここまで軽い扱いを受けたのは久方ぶりだろう。
「一応年長者だ。あと一ミクロンでいいから丁寧に扱ってやれ」
「一応とかミクロン単位とか名前さんも結構酷いこと言ってると思うんですけど」
「男が細かいこと言ってんじゃねーよ。それより二日の遅刻の説明をしろ」
 あ、怒ってたんだ。
 トランクスは納得した。よく見れば名前の利き手が渾身の力で悟飯の左手の中指を引き剥がそうとしている。あれは痛い。これが手首だったり腕ごとだったりしたら悟飯もびくともしないだろうが、指一本に全ての力を込められれば。
「いた、いたた、あの、名前さん、ちょっと痛い」
「さっさと離れろ」
 淡々とした声と共に見事な裏拳が悟飯の眉間にめり込む。
 名前は微かに眉を顰める。ちょっと痛かった。
 眉を八の字にして拳がめり込んだ部分を撫でる悟飯の腕からすり抜け、トランクスと悟天の間に座りなおす。そこが安全地帯と直感したらしい。
 ピッコロの隣は弟子に甘い師匠のこと、役に立たないと推測する。
 そんな名前に頬を膨らませるが、文句も言えずに悟飯も座りなおし、これまでの経緯を語り始める。
 ブゥを倒したわけではないと知った時、名前の身体が一瞬跳ねたが誰も敢えて言及しなかった。
 そのふてぶてしさに誤魔化されて忘れそうになるが、名前は何の力も無くうっかり流されてこんな場所に連れてこられてしまった一般人なのだ。
 本人にそんなことを言えば『自分で来たんじゃボケー』とお怒りを頂くので言わないだけで。素直に『流されました』というのはちょっぴり癪に障るお年頃なのだ。
 ビーデルが生き返ることが出来ると聞いて安堵の涙を零す英雄を眺めつつ、名前は肩に置かれた手をチョップで撃退した。
 先ほどから果敢に触れてこようとする悟飯を他の人間は生温く見つめる。サタンなどは「絶対こんなヤツにビーデルはやらん!」と鼻息を荒くしている。
 悟飯は叩かれた手を一瞬だけ寂しそうに見つめたが、すぐに気を取り直して名前の身体を抱きこんだ。
「ぅおぉぉおい!?」
「ブゥが来るまで、もうちょっと、このままで」
 素っ頓狂な叫びを上げる名前の耳に、小声で必死に囁きかける。トランクスが悟天を引っ張って近くの岩場の影に向かう。デンデもそれに倣ってあんぐり口を開ける大人二人を連れて行く。犬はキャン、と一つ鳴いてその後に続いた。
 名前はそそくさ逃げ出した五人と一匹が消えた方向を睨みつける。首も碌に動かせないので視線だけでだが。
「お前な、羞恥心とか、節操とかいうもんはないのか」
 ぴっとりくっつけられた熱い身体。一応年頃の娘なんだが、という突っ込みは敢えてしない。説得力が無いのは名前が一番分かっている。それよりも問題は。
 妙に、早い、自分の鼓動。とか、だ。
 先ほどは。生きてて良かったとか、生きてた癖に来るのおせーよとか、安堵と文句と状況を知りたいという思い出さくっとスルーしていたが、もう一度同じ状況になってみたら、だ。
 なんとも破廉恥ふしだらな。
 健全なる学生生活を送る義務のある高校生が何たることか。
 なんてことを考えたわけではないが。嘘だ。実はちょこっと考えた。それはともかく。
 悟飯の妙に熱い体温とか。首筋を微かに擽るその呼吸とか。名前の腰を抱きしめる筋肉質な腕だとか。
 ちょっとマズいな、と思うわけだ。名前とて。
 何せ自分の体温もじわじわと上がってきているのを感じるわけで。元々体温の低い性質だ。名前よりも随分と基礎体温の高い悟飯ならば気付かないかもしれないが、もし気付かれた場合にはこの体勢はなんとも居た堪れない。
 やばいまずいこらアカン。
 もぞり。ぐい。
 焦って逃げ出そうとしたら、逆に強い力で引っ張られて余計密着してしまった。
「節操ならあります。名前さんにしかこんなことしたいなんて思わない。栄養補給です。だから羞恥なんて感じません。
 皆、一緒に、無事に帰るんです。死んだ皆も生き返らせなきゃいけないし」
 だからこれは必要なことなんです。きっぱり言い切る。
 その姿にある種の清々しさを感じつつ、しかしここでスルーするわけにもいかない。分かりやすく言えば照れ隠しなのだが。
「栄養って何だオイコラ」
名前さん分が不足中です。名前さん分が足りないと僕力が出なくなるんです」
 名前さん分って何だゴルァ。そう言ってやりたかったが、あまりにも呆れたのと、恥ずかしかったのと、ほんのちょこっと嬉しかったのとで何も言えなくなってしまった。
 二日の間に随分と甘えん坊になったもんだ。名前は小さくため息をつく。ピッコロと真逆のことを考えているなんて本人達は互いに全く気付かない。
 確かに甘えは無くなったのだろう。が、それは敵に対してであるのと同時に、自分に対してもだ。
 状況に甘えず己の手で。時間に甘えずすぐに。欲しいものを欲しいと。
 しかしそれこそが甘えだと感じるのは、つまりそういうことだ。敢えて言葉にすれば野暮だと罵られるような。
 名前の抵抗が弱くなったのをこれ幸いと悟飯は腕の力をちょっとだけ強くする。名前が壊れない程度に。が、すぐに耳を引っ張られて失敗した。
 ちょっと残念だけれど、振り払われないのならいいか。そう結論付けて、悟飯はその温かい首筋に鼻を埋めた。
 
 
 
 
 
 まるで恋人同士だ。
 こっそりデバガメをしていたトランクスはそんな感想を抱く。
 例えば自分がカーペットに腰を下ろしてTVを見ているとき。その後ろで、ソファに座ってなにやらちまちました攻防を繰り広げている両親を見たことがある。まるでそんな雰囲気。
 この非常事態に何やってんだ、と思わないでもないけれど、非常事態だからこそなのかもしれないとも思う。
 先ほどの悟飯の強さはブゥを圧倒していた。ブゥを地獄に送って天国から皆を呼び戻す。シナリオは確定しているのに何を不安に思うことがあるのだろうか。
 今の悟飯は幼稚園に預けられるのを嫌がってむずがる子供に見える。勿論それはトランクスの感想であって、実際は違うのだろう。と八歳児は願う。
「くっ、アイツめ……ビーデルと二股をかけるとは……!」
「いやあれどう見ても名前姉ちゃん一筋だろ」
 隣で地味に歯軋りをする世界チャンピオンに突っ込んでやる。トランクスは心優しい少年なのだ。大好きなお兄さんが誤解されかけているのに放って置けない。
「じゃあ名前お姉ちゃんがお姉ちゃんになるの?」
「んー、悟飯さんと名前姉ちゃんが結婚したらな」
「そしたら名前お姉ちゃんのお菓子、毎日食べれるよね。兄ちゃん、名前お姉ちゃんと結婚しないかな」
「それは悟飯さん……っていうか名前姉ちゃん次第だからなー。女の気持ちは飽きるほど変わるって祖父ちゃんが言ってたし」
 それを言うなら「女心と秋の空」なのだが、ブリーフ博士に適当なことを吹き込まれたトランクスは疑わない。それにあながち間違いでもない。悟天は「トランクスくんって物知りだね!」と感心している。
 恋愛感情というものが分からない単体生殖の方々は黙って聞いている。デンデは地球人のことを理解しようと熱心に。ピッコロはどうでもいいと言う態度だが、事悟飯に関わるとなればこっそり耳を澄まして。
「悟飯さんが名前姉ちゃんを好きなのはモロバレだろー? でも名前姉ちゃんがよくわかんねぇんだよな」
「あれの気持ちが分かるやつなどいるのか」
 ボソリとピッコロが呟く。悪人の気持ちは良く分かる。善人の気持ちは最近ちょっと分かるようになってきた。名前は善人ではないが悪人でもない。だがその心は朧月のようで存在は主張するもののはっきりとは見えない。
 悟空もまた考えが容易に読めない類だが、見えたときにははっきりと自己主張する。周囲に存在するのがそんな分かりやすい連中ばかりなので、余計に名前の思考が分からなくなる。
「ピッコロさんでも分からないんだー」
 悟天が感心した声を上げる。どうやら悟飯からの刷り込みでピッコロは「何でもわかって何でも出来るスゴイ人」と思いこんでいるらしい。
「ばっかだなぁ、ナメック星人は男も女も無いんだから、女の気持ちが分からないのもしょうがないだろ」
「それもそっか」
 呆れたように言うトランクスに悟天が頷く。
 ピッコロは文句を言いたかったが、実際にトランクスが言っていたことは全く以って正解だったため何も言えずに口ごもる。悪意がないのが逆に腹立たしい。
 未だに何故クリリンと一八号が結婚したのかが分かっていないのだ。ブルマに言わせれば「それが女心ってやつよ」らしい。さっぱり分からないままだが。
 ぶすくれて口を閉ざした年かさの同胞に、デンデはにっこり微笑んで見せた。
 いつも頼りになる年かさの同胞が、こんな時だけは自分と一緒で分からないことに対して悩んでいる。それがちょっと嬉しいだなんて思っていることがバレたら怒られるだろうか。
「何を笑ってる」
「ふふ、いえ、悟飯さん、楽しそうですね」
 爽やかに誤魔化す。嘘ではないのでちらりと悟飯を見た後、もう一度笑って見せた。
名前さんも、やっと悟飯さんに会えて嬉しそうです」
 間。
 ピッコロは名前を見た。トランクスも名前を見た。つられて悟天も見る。サタンは犬と寂しく会話している。
「「……嬉しそう?」」
 同じ言葉を呟いて、トランクスとピッコロは顔を見合わせた。
 嬉しそう。誰が。名前が? 何処が。顔? いや分からない。雰囲気? もっと分からない。
 首を傾げる二人にデンデはにこにこ笑うだけ。教えてくれないのかよチクショー、なんて雰囲気で見つめてくるけれど、教えられたからって分かるものでなし。実際名前と話せばすぐ分かる。彼女の意地に誤魔化されなければ、だけど。
 側にいすぎると分からない。遠すぎても分からない。ちょっと離れると分かりやすい。でもすぐ近付きたくなるから結局は分からないことが増えていく。そんな人だから。
「後で聞いてみたらいいですよ。きっと『嬉しくないこともない』って言いますから」
 予想可能。確実に。曖昧な言葉の奥に込められたほんとの気持ち。誇張表現も素直な表現も苦手な彼女はそんな言葉ばかりを使う。
 ベクトルこそ違えど真っ直ぐスパッと竹を割ったような性格の方々ばかりが集まるこの集団。さぞかし彼女は分かり辛かろう。新米神様はそう察知し、だからこそ彼女との対話を望む。
 だからピッコロもトランクスももっと知ってくれればいい。勉強になる、とかじゃなくて。きっと楽しいと思うから。楽しいことは親しい皆で分け合いたい、とデンデは思う。
 だがしかし。
 今は邪魔しちゃ駄目ですよ。
 早速仲睦まじい男女に幼い質問をしに行きたそうな二人へそう神様命令を下した。

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