No.25

DB

心臓が凍る前に
 嘘だ。
 名前は目を見開いた。
 武舞台の上では悟飯が二人ががりで取り押さえられ、ナイフだか注射だか分からないが、巨大な錐のような物に突き刺されている。
「まだ、試合中だ」
 立ち上がっていたらしい。ヤムチャに腕を掴まれ、再び座らされる。
 じろ、と睨みつける。この手を離してくれたなら、今すぐにでも駆け出すのに。
 だからこそヤムチャが視線の鋭さに腰を引きつつも名前を留めているのだと気付かない。気付く余裕も無い。
「あいつ等はヤバい」
「なら、尚更、孫が」
名前ちゃんが行っても何にもならない。本当にヤバいなら悟空がどうにかする。君が行っても怪我するだけだ」
 ぴしゃりと言われる。
 分かっている。つい先ほどそれが悔しいと、もどかしいと思い知らされたばかりだ。
 ヤムチャの言うとおりだと心では思っている。何もしないことが自分に出来る唯一のことなのだと。名前が向かって行ったとしても、悟飯を押さえつけられるような連中が相手では腕の一振りで弾き飛ばされるのは目に見えている。
 もがく。腕はピクリとも動かない。悔しさの余り眩暈がした。
 何も出来ないのではない。してはいけないのだ。
 けれど、目の前で。悟飯が。
 一瞬、力を抜く。体の緊張を抜いて、座りなおす。
 そして。
 
 
 
「あっ、名前ちゃん!!」
 ヤムチャの手が離れた瞬間に駆け出した。
 視線の先には悟飯。階段から滑り落ちそうになっても走りながら体勢を持ち直す。
 武舞台と客席を隔てる柵を乗り越えたのと悟飯が倒れこむのとが同時だった。
「っ、孫!!」
「……名前さん……?」
 武舞台に飛び乗り、悟飯に駆け寄る。隣に誰か座り込むが、確認する余裕などない。
 庇うように悟飯に被されば、静かに肩を叩かれた。
「治療するだけだ」
 声の方を見れば、悟飯の対戦相手。
 担架を運んできた救助員を制し、悟飯の背に手を置く。そして数秒。
「ふぅ、もういいぞ孫悟飯」
 疲れた様子で身を起こす。同時に悟飯もまた身体を起こした。
「あ……」
「孫」
 何事も無かったかのような動きに名前は息を零した。安堵。漸く動悸がしだした。
 足に力は入らない。だからしゃがみこんだまま。
 悟飯は膝を突いた状態で名前を見た。そして。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
名前さん、女神様みたいです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ぽつりと呟く。
 名前は数瞬、目を驚きの形に見開いて。
「孫……」
 華やかに。
 鮮やかに。
 女神の名に恥じぬ笑みを浮かべ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「てめぇ人が心配してりゃ能天気に馬鹿なことほざきやがって……!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ぎゃっ、いた、いた、痛い痛いいたたたた痛いいた、痛いです名前さんっ!
 後頭部、後頭部がゴリって、ごりっていったいっ、たたたたたすごい頭、ごつって、ごりごりいってる、名前さん、名前さん、ねぇ、痛いです」
 スパーン、と気持のいい音を立てて悟飯の顔面を張り飛ばし、そのまま引っくり返った悟飯の後頭部を武舞台にこすり付ける。
 悟飯の足がじたばたもがいて武舞台に叩きつけられるが、勿論助けられる人間などいるはずもなく。というかその場の全員が二人のやり取りをぽかんと見守っている。
 ビーデルだけはきょとんとした後、ちょっと泣きそうな顔をした。
 そんな周囲の動揺には気付かず、名前は悟飯の頭をぐりぐりと押さえつける。
「いたっ、いたたたたいっ、何で、何を、何が、怒ってるんですかぁぁあああ!?」
「黙れ」
 息が止まるかと思ったのに。泣くのが嫌いな自分が危うく泣いてしまうかと思ったのに。心臓を握りつぶされるかと思ったのに。
 脳みそに春が来たのか、と。問いただしたい。小一時間程問いただしたい。
 ちょっと視線をずらして悟飯の胸を見る。
 そこには血は流れていないまでも、服には無残な穴が開いていた。
 悟飯の頭を押さえつけていた手をはずし、そっとその部分に触れてみる。温かい。むしろ血の気の引いた名前の手よりも少し熱いくらいで、その体温にほっとした。
 落ち着かないのは悟飯である。
 何だか分からないけれど体が動かなくなって、何だか分からないものに刺されて、何だか分からないうちに力が抜けて、何だか分からないけど名前に抱きしめられて、何だか分からないけど怒らせて、今はその手が悟飯の身体を柔らかく撫でている。しかも滅多に見ることの出来ない種類の微笑で。
 嬉しいけれど、居心地が悪い。このまま抱きしめたいけれど、理性がそんなことをすれば嫌われると訴える。
 二律背反。
 金縛りとはこういうことか。浮いた手を何処に置けばいいのか分からず固まったまま。
 ここで何故怒られたのか分からないからこそ怒られるのだが、そうアドバイスをしてくれるかもしれない男は現在観客席。
「動ける、か?」
「あ、はい」
 問われ、立ち上がりながら頷く。そこで漸く自分を見つめる目に気付いた。
 一人はキビト、もう一人はいつの間に来ていたのかビーデルだ。
「どういうことですか……?」
「いっしょに来い。何もかも話してやろう」
 言って、飛び立つ。悟飯はその姿を見送ったが、考えるまでもなく追おうとし、くるりと名前に向き直った。
「僕、ちょっと行ってきます。名前さんは……ブルマさんたちと一緒にいるか、家に帰った方が安全かもしれません」
「……分かった。取りあえず、ブルマさんたちにも伝えとく……けどまだ何が起こってるか分からないんだろ?」
「はい、きっと父さんたちを追いかけながら話してくれるつもりだと思います」
 分かっているのは悟飯が向かうだろう先に危険があるということだけだ。
 引き止めたい。名前は思った。
 しかし悟飯はもうキビトを追うと決めている。名前がどうこう言っても覆しはしないだろう。
 ならば仕方ない。名前が頷きかけた時。
「私も一緒に行っていい?」
 ビーデルが歩み寄りながら口を開いた。
「いっぱい知りたいことがあるの。お願い」
 その目は断られようが何が何でも着いていく、と告げている。
 悟飯の止めた方がいい、という言葉にも頷かず、危なくなれば必ず逃げるという約束で同行を了承された。
 羨ましいな。名前は正直に思った。
 キビトは飛んでいった。悟飯も飛べる。ビーデルは先ほどの試合で飛んで見せた。
 名前は飛べない。
 飛べたとしても自分の身も守ることが出来ない。傷つくのも怖い。
 そこがビーデルとは決定的に違うのだ。
 ビーデルならば。
 先ほどあれだけ痛めつけられたにも関わらず、知ることを、危険と係わることを恐れないビーデルならば。
 きっとずっと悟飯の側にいられるのだろう。そう考えると指先が冷たくなってくる。
 名前に出来るのは待つことだ。それしかない。だから。
「あんまり、怪我するなよ」
 大会の前に軽く告げたのと同じ言葉を、今度は切実に。
「お前も」
「分かってるわよ」
 ビーデルに向き直る。これもまた本心。同級生の訃報など誰が聞きたいと思うものか。
 名前の気持を感じ取ったのか、ビーデルもしっかりと頷いた。
「じゃあ、行ってきます」
「ん……早目に帰って来い」
「はい」
 悟飯が微笑みながら頷き、そして飛び立つ。
 並んで空へと消えていった二人を見送ると、今の話を伝えるべく名前もまた駆け出した。

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