No.16

DB

ノンストップ純愛
 だって我慢出来なかった。
 悟飯はだらりと流れる汗を拭いもせず、呼び鈴を鳴らすかどうか迷っていた。
 傍から見れば不審人物かもしれないが、そんなことを気にしていられる余裕は悟飯にはなかった。
 一ヶ月は長すぎる。
 ビーデルの来訪が途切れて数日、漸く修行に専念出来ると安心したのも一瞬。むしろビーデルに振り回されることである意味では気が紛れていたのかもしれない。
 騒がしい日々が落ち着いた途端、心に浮かぶのはただ一人のこと。
 真剣に活字を追う目が悟飯の気配に気付き、ふっと顔を上げてその目が微かに柔らかくなる瞬間。
 ぼそぼそ喋ってる風なのに、決して聞き取りにくいということはなく。むしろ自分よりも低いかもしれないその声を聞くのが悟飯は好きだった。
 もっと沢山喋ってくれないかな、と思うのだけれど、じっと見ていると「何だ?」と話すのを止めてしまう。
 それがちょっと残念で、でも自分の話を聞いてくれようとするその思いが嬉しかった。
 そんなのの繰り返しで、気付けばこんなにどうしようもない程に。
 だからあと約二週間という時間すら我慢出来ず。居ても立ってもいられなくて。呆れる母の視線を背中に家を飛び出して。
 自分たちの食事が家計を圧迫しているのを知っている。
 だから、というわけでもないけれど、参加するのならば勿論武道会で優勝したかった。そう思っているのなら一日でも無駄には出来ないはずなのだけれども。
 どちらにしろこのままじゃ修行に集中なんて出来やしない。悟飯はそう見切りをつけ、全速力で空を駆けた。
 家を探すのは簡単だった。以前に一度来たことがあるのだから。
 空を高速でかっ飛ばしてたまに平和に飛んでいた鳥を風圧で揺るがせ慌てさせつつサタンシティ、というか名前の家へとたどり着き。
 さてどうしようか、と悟飯は玄関先で我に帰った。
 学校は終わっている時間である。学校との距離を考えれば名前は充分に帰宅しているであろう。
 あとはこの指が呼び鈴を押すだけで二週間ぶりに名前と再会出来るわけだ。
 が。
 若さと情熱と勢いだけでここまで来たはいいが、この後の事を考えていなかった。
 もし。もしも。
 何の用だ、とか。何で来たんだ、とか。言われたりしたら……。
 武道会に出る前にノックアウトされてしまうかもしれない。精神的に。
 そんなことを呼び鈴を押す寸前で考えてしまったものだから、こうして微妙な姿で固まるハメになってしまったのである。
 これもまた一つの青春のカタチともいえなくもないのかもしれないが、あまりにも微妙だ。
 それでも当の本人は心底真剣なもので。
「さ、最初はやっぱり『オヒサシブリデスネ』かな……」
 微妙すぎるシミュレーションをしていた。
 高校男子が他所の玄関口でぶつぶつと呟いている状況と言うのはどうにもこうにも怪しい。一人くらい通報してくれるご近所さんがいてくれてもいいぐらいだが、どうにも暢気なのか関わりたくないのか。それとも悟飯を哀れんでいるのやら。
 兎に角おまわりさんを呼ぼうとする人は存在せず、よって悟飯も一人悶々と思う存分悩めるわけだが。勿論そうやっていつまでも悩んでいられるはずもなく、悟飯自身が動けぬ以上は外的要因によって動かされるのは必然。というわけで。
「何やってんだ孫」
 背後から聞こえてきたのはそれこそ毎日聞きたいと願い続けた。けれど今聞くにはあまりにも予想外に過ぎる。
「え、あ、名前、さん……?」
「あぁ」
 振り向くことはせず、怯えたように肩をすくませる悟飯を不思議そうに見やりながら名前は手に持った鍵をちゃりん、と鳴らした。
 
 
 
 予想外だ。
 名前は思った。
 まさか、悟飯がいるなんて。しかも自分の家の前。
 その体勢は多分呼び鈴を押そうとしているんだろうな~、とは思うが、生憎今日は名前宅には名前以外の人間はいなかった。父親は出張だし、母親は一〇時以降にならなければ帰ってこない。しかも名前は本日委員会。夕食もどうせ一人だと適当に惣菜を買って帰れば見慣れた後姿。
 いつから居たのかは知らないが、何度か呼び鈴を押したのだろう。もっと早く帰ってくればよかった。というか、悟飯が帰る前でよかった。
 そんなことを考える名前は知らない。その悟飯が実は一時間ほど前には自分の玄関の前に立っていて、しかも呼び鈴を押すか押すまいかで悩んでいたということを。
 それにしても何をしに来たのだろうか。まさか自分に会いに来たというわけでもあるまい。
 名前は悟飯の思いを己の中であっさりと却下し、未だ背を向けたままの悟飯を押しのけ鍵を開ける。
 たった半月でもじんわりこみ上げてくる懐かしさに名前は困った顔をした。これはまずい。あと半月もあるというのに。今気を緩めていたら、残りの二週間はどうすりゃいいのか。
 そう思い、敢えて何でもない振りで悟飯に接する。そうしないと何かが崩れてしまいそうな気がしたから。
「あの、名前さん……」
「茶ぐらい出すけど。入ったらどーよ」
 がちゃ、と玄関の扉を開けながら告げる。悟飯はうえ、だのへあ、だのとわけの分からない声を出し、それでも「お邪魔します」と小さく呟いた。
 
 
 勿論会話なんて出来るはずもないのだが。
 名前は急須を持った手元に手中しているため。悟飯は初めて入る名前の家に緊張しているため。
 どちらも全く口を開かぬまま、ただ名前がお茶の用意をする音のみが響く。
 茶葉を急須に入れてポットが勝手に沸かして保温していたお湯を注ぐ。芳ばしい香りに一人満足してちらりとポットを見れば中のお湯が残り少ない。
 味出しする間に補充してしまおう。かちりとコンセントを外して流しへドン。充分溜まったらまたもとの場所へ戻す。そしてコンセントを嵌めればまた勝手にお湯を沸かしてくれる。便利なものだ。
 急須を手に取り一番出しを客用の湯飲みに注ぐ。この時の音が好きだな、と名前は思った。お茶を湯飲みに注ぐ音。少し熱いお湯をゆっくりと飲む瞬間。
 そんなのが好きだなんて言えば、大抵年寄りくさいなんて言われてしまうのだけれど。
「ほら」
「ありがとうございます」
 今日はやたらめったら静かな悟飯に湯飲みを渡す。礼儀正しい悟飯らしくちゃんと礼は言うけれど、それでもどこかぎこちない。
 どころか目も合わせない。珍しいというよりも初めてだ。悟飯はいつも人の目を見て話をする。
 何かあったのだろうか。もしかして、武道会への調整が上手くいっていないのかもしれない。
 名前は湯飲みで暖めている悟飯の両手を見た。
 節くれだった長い指がまるで宝物でも抱えているかのように湯飲みを包み込んでいる。意外と大きな手だということは悟飯の幼い顔つきの所為で気付きにくい。
 指から腕、腕から首、そして顔へと視線を上げていくと、悟飯の唇が動くのが見えた。
「えぇと、急に、お邪魔してすいません」
「いいよ、別に。どうせ今日は親帰ってくるの遅いし。
 それより孫、いつからいたよ。待ったろ?」
「いえ、丁度呼び鈴を押そうかと思ってたとこで……あの、帰り、遅くないですか? 学校帰りですよね」
「あぁ、委員会の時間が変更になったんだ。一日増えた」
「へぇー……僕も早く学校に行きたいなぁ……。あ、本、増えました?」
「今んとこ数冊。お前が言ってたのも一冊入った」
 入ったというか、名前が入れたのだが。リストに本の題名を記入した時の司書の物言いたげな視線が忘れられない。
 しかし悟飯はそんなこと知らない。無邪気にえへへと笑ってみせる。
「楽しみです、すごく」
 そんなに嬉しそうに笑ってくれるな。名前は思う。
 多分、悟飯のこの表情を見るためなら、司書のどんな生温い視線もどうでもよくなるんだろう。そしてこの表情を半月も見られなかったこと、あと半月見られないことに名前は胃に石を抱え込んだような気分になった。だから。
「孫、早く学校、来い」
 ぽつりと零れたのは本音。
 それでようやくこの半月悟飯に会えなくて寂しかったのだと、すとんと胸に落ちてきた。
 口に出すようなことはしなかったけれど。
 軽口に聞こえていたらいいのだけれど、と思いつつ名前は悟飯を見る。その視線を受けて悟飯は嬉しさ全開の笑顔で応えた。
「はい。僕も、ずっと名前さんに会いたくて……ちょっと、我慢出来なくて、来ちゃいました。
 勉強とか、きっと遅れてるんで、復学したら名前さん、教えてくれませんか?」
「……教えられるもんなんかないかもしれねーけどな」
 何せ編入試験満点の男だ。けれど名前はそんなことより、あまりにも素直にぶつけられた悟飯の気持ちに少しばかり眉根を寄せた。
 不機嫌にも見えるその表情は、そうでもしていなければ全身の血液が逆流して頭に集まってしまいそうだから。この年で脳卒中は御免だ。
 深い意味はないのだ、友人に会いたいと思うのは自然なことだ、自分だってそうではないか。名前は己にそう言い聞かせてようやく早鐘を打つ鼓動を宥めた。
「お前ならあっさり追いつくよ。編入試験満点男」
 軽口を叩いて泳ぐ視線を固定する。声が震えていないか心配する名前とは裏腹に、当の悟飯はにっこりと微笑んだ。
 早く学校に来いと言ってくれた。それはつまり名前も会いたいと思ってくれていたのだ、と悟飯は解釈する。そしてそれは現実に大正解の花丸だ。
 それに、教えられるものなどないと言いつつ断らない。そんな名前が自分は。
 好きなのだ、と。
 改めて悟飯は自覚する。
 だからやっぱり側にいたい。今すぐは無理でも、明日も無理でも、半月後には。武道会が終わったら。すぐにでも。
「お願いしますね、名前先生」
 嬉しさで弾んだ声を出す悟飯に、名前は「先生言うな」と呟いて微かに苦笑した。

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