No.7

DB

孫悟飯餌付け計画進行中
 ばこん、とハードカバーが良い音を立てる。次いで小さなうめき声。幸い悟飯の耳には届かなかったようだ。楽しそうに本を選んでいる。
「酷いよぅ、ちょっとからかっただけなのに」
 半べそかきながら司書が名前に抗議する。その手には二〇〇ページはあろうかという分厚い本。
「殴るぞ」
「殴ってから言わないで」
 僕の脳細胞のためにも。
 司書の呟きは綺麗に無視。ならば最初から言うな、という話である。
 名前と悟飯。二人揃って図書室へと足を運んで。早速、とばかりに本を選ぶ悟飯の背を見つめる名前に司書が一言。
『ちゅーまでいった?』
 考えるより先に手が出たのは久しぶりだ、と名前は思った。角を使わなかっただけ有り難いと思って欲しいものだ。
名前ちゃんはさ、レンアイって苦手だよね」
「苦手じゃないですよ。しないだけで」
 一言で切り捨てる。
 そうだろうか、と司書は首をかしげた。
 オレンジスターハイスクールはもちろん女子高ではないし、そこそこ格好良い男の子が揃っている都会の学校だ。名前の好みが何処にあるかはともかく。
 イレーザや友人Aなどは誰が格好良いそれが可愛いと盛り上がっていたりするのだが、名前はその話に乗ることは無く、普段は結構付き合っている雑談もそういった話題になると口数が少なくなる。
 苦手なのは恋愛じゃなくて突発的事項なんだろうな、と彼は思った。そしてその突発的事項の塊である恋愛もイコールで繋がる。
 伊達に年はくっていない。年の功でそう考察する。
 臆病などとは思わない。誰だって『未知』というのは恐ろしいものだ。
 だから初恋ってやつぁ実らないって言われるのさ。ちょっぴり甘酸っぱい青春時代を思い出し、三十路男は遠い目で天井を見上げてみた。見えるのは美しき思ひ出ではなく舞い散る埃ばかりだったけれど。
名前さん、これ読んだことありますか?」
 少し声を大きくして悟飯が問いかける。名前は急に黙りこくった司書を胡乱な目で眺めていたが、えっちらおっちら悟飯の隣に並び立ち、差し出された表紙を覗いて首を振る。
「いや、ない」
「じゃあ面白かったら教えますね」
「ああ、頼んだ」
 ふふ、と二人で笑いあう。
 こんなに自然にこんな笑顔を引き出していることにお互い気付かないなんて。勿体無いことをするものだ、と腐っても大人である彼は思った。
 そんな大人には気付かずに、名前と悟飯はあの本は回りくどい、この本は意外性がある、なんてことを話し合っている。
「孫お前、なんか食いたいものあるか?」
 お料理ブックを開きつつ、名前が尋ねる。今まで作ってきたお菓子は大体この本か、家で埃を被っていたものからだ。
「え、うーん、名前さんの作ってくれるものなら何でも嬉しいんですけど……あ、これ美味しそうですね」
 さり気ない告白に、言った本人も言われた名前も気付かない。司書はあーあと天を仰いだ。
 悟飯が指差したのはフルーツケーキ。色とりどりの果物に囲まれたそれは確かに美味しそうなのだけれど。
「……めんどくさそうだな」
 作り方をちょっと見て呟いた名前に、悟飯の肩がしょんぼり下がる。もし未だ尻尾が残っていたら、それもだらんと垂れ下がっていたかもしれない。
 名前はそんな悟飯の様子にしょうがないな、と晴れやかに笑った。そんなに楽しみにされてるんじゃあ、喜ばせたくなるじゃないか。
「気が向いたら作ってやるよ」
「は、はい!」
 確かに勿体無いことをしている、とは思うのだけれど。
 嬉しそうに笑う悟飯を眺めながら司書は考える。
 でも。
 しばらくは無自覚の恋を楽しむのもいいんじゃないかな。
 見ててちょっと照れくさくなるような、そんな可愛い恋未満。それもあり。司書は幼子たちに気付かれぬように微笑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ちく、と視線を感じる。ちくりちくり。
 鬱陶しい、って言ってしまってもいいものだろうか。
 心優しき真面目少年孫悟飯は、右から左から事あるごとに突き刺さる視線に辟易していた。
 右を向けば眦を吊り上げたビーデルに睨みつけられ、左を向けばイレーザのじっとりとした目に遭遇、前を向こうとすればシャプナーに小さく小さく小突かれる。
 僕が何をしたって言うんですかぁ~……。
 名前が聞けば「情けない声出してんなよ」と笑われるかもしれない。それでちょっと小突かれたりなんかして。そしたら嬉しいかも、なんてことを考えて、悟飯ははた、と我に帰った。
 今は授業中なのである。それも午後一、最も眠くなる時間の。だから教師も居眠りをしている生徒がいないかとその目を光らせ、聞いていないようであればすぐさまチョークを投げる準備をしているのだ。中には稀に投げられたチョークを跳ね返す強者もいたりするけれど。
 ある日隣の教室から歓声が聞こえてきた時には、生徒も教師も皆揃って目を丸くしたものだ。思い出し、悟飯は教科書で顔を隠してこっそり笑った。
 何事だ、と気もそぞろになるのを抑え、授業終了後覗いてみた隣のクラス。名前に事情を聞こうと思っていたら、なんと囲まれているのはその名前本人である。笑いながら賞賛の声を浴びせるクラスメイトを不機嫌そうにあしらっていた。驚いて突っ立っていると、気付いた名前に腕を引っ張られ屋上に続く階段まで連れ出されてしまった。
 わけが分からずおろおろしている悟飯に、逃げ出す口実だ、と笑った名前から事情を聞けば、居眠りしていたら教師にチョークを投げられた。ので。下敷きで力いっぱい打ち返したら運悪くその教師の額にヒットしてしまったのだとか。
 決まり悪くそっぽを向く名前に、その時の悟飯は乾いた笑いを洩らすしか出来なかったのだけれど。
 多分、予想外だったんだろうな、と思う。まさか跳ね返したチョークが教師に当たるなんて思っていなくて。気まずくて、恥ずかしくて、困っていたのだろう。不機嫌はそれを隠すための仮面。
 今の悟飯は何となく分かるようになっていた。
 伊達に幼少時から色々と個性的過ぎるほどに個性的な大人たちに囲まれて育ってきたわけではない。人を見る目は養われているのだ。
 だから名前の不器用が、不器用に示される親愛が、嬉しくなる。
 気が向いたらな、と笑う姿を思い出して、ついつい口元が緩む。楽しみだ。
 悟飯はまだ気付いていない。
 いつの間にか思考が名前へとたどり着いてしまうことに。
 悟飯は全く気付いていない。
 眦を吊り上げたビーデルが睨みつけていることも、それを見てシャプナーがハラハラ冷や汗を垂らしていることも、そんな二人と一人にイレーザが頭を抱えていることも。向けられる視線が気にならなくなっていることも。
 気付いた時にはもう遅い。
 自分がそんな思いを抱えていることも知らぬ間に。チョーク返しなんかして教師を傷付けない為に、悟飯は真面目に授業を受けだした。
 
 
 
 
 
 
 
「で、どうなの?」
「主語と目的語を言え」
 待ち伏せしていたらしいイレーザに教室を出るなり問われ、名前はとりあえず突っ込んだ。
 放課後である。この後の予定は特にはないが、帰ってゆっくりしようと思っていたところをいきなり邪魔されたのだ。名前の眉にちょっとばかり皺が寄るのも仕方ない。
 だがイレーザもそんなことは気にしない。今はそれよりも大事なことがあるのだ。
「悟飯君のことよ」
「孫がどうした」
 無自覚かこの女。とイレーザは思った。
 この時点で昼のアレが何の意味も持たず見たとおりのものだったのだと理解できる。
 ほ、と一安心である。
 何せあの後荒れるビーデルを宥めるのに一苦労だったのだ。
 だれかれ構わず当り散らすことはないけれど、始終ピリピリした空気を撒き散らされるのは心臓に悪い。シャプナーなど怯えながらもその隣の席をキープしているのだから、ある意味尊敬に値する。
「じゃあ、別に悟飯君と付き合ってるとかそういうことはないの?」
「どっからそんな話が出てんだ?」
 怪訝そうに質問を質問で返されて、イレーザはちょっと言葉に詰まった。どっからも何も。
「だって、いつも二人でいるし、今日なんて悟飯君にお菓子あげてたじゃない」
「本の趣味が合うからな。大体いつもはお前等といるだろ。それに、菓子なら今日だけじゃなくてちょっと前からやってる」
 つらつらつら、と述べ立てる。
「それだけ聞きにきたのか?」
「え、あ、うん。まあ」
「……ご苦労だな。もう帰っていいんか?」
「う、うん。えーと、じゃあまた明日」
「ああ、また明日」
 なんとも言えない顔をするイレーザにひらりん、と手を振って昇降口に向かう。
 背中に微妙な視線を感じて名前はちょっとため息を吐いた。
 どいつもこいつも。
 何でもないのに。
 思って、ちょっと眉間に皺が寄る。なんでもないのだ、本当に。誰に言い訳をするでなく。
 悟飯のことが嫌いなわけじゃない。そもそも名前は嫌いな相手にわざわざ労力を割くほどお人よしでも器用でもない。しかも慣れないお菓子作り、なんて。
 じゃあ何で世話を焼くのかと聞かれたら、悟飯が苦労人だから、と答えるけれど。間違ってもイレーザの言うような理由からじゃない。
 そりゃあ、結構気に入ってはいる。笑うと左頬に小さく笑窪が出来たり、美味しそうに名前の作ったお菓子を食べてくれるところとか。穏やかな中に覗かせるちょっとドジな一面なんかが。嫌いじゃない、と思うのだ。
 それを恋と呼ばずしてなんと呼ぶ、と言ってくれる人はいない。名前の脳みそでも覗けない限りは。
 故にその答えが勘違いから生まれていることも、密やかに降り積もる想いも、今はまだ気付かぬまま。
 名前は小さく欠伸をした。

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