No.6

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孫悟飯餌付け計画序の巻
 香水というものは本人が気付かないうちにその人に染みこんでいく。それが当たり前となっていけば本人はどれだけ強い匂いでも気付かない。だから電車など人が多く集まる場所でのそれは公害とも呼ぶべき被害をもたらす。
 それはともかく。
 匂い、という共通点でもって挙げるならば
「これが最近甘い匂いさせてる原因か」
 これもそうなのだろうか、と名前は首をかしげた。
「してるか?」
「ぷんぷん。あんた舐めたいぐらい」
「止めてくれ」
 言葉の中に微量の本気を感じ取り、名前は即行で拒否をする。
 ぱし、と音を立ててぽてちを齧るは友人A。名前に本を借りるついでに家にお邪魔したら、本を渡すなり台所に篭もられた。何をするのかと思えばお菓子作りである。
 まあ今更遠慮をするような間柄でもないのだけれど。
 かしゅかしゅと泡だて器が小気味のいい音を立てる。何だか楽しそうな横顔に、友人もとい悪友Aの悪戯心が疼きだす。
「それ、誰にあげるの?」
「孫」
 事も無げに言われた名前にちょっとびっくり。
「いつの間に」
「あいつも大変なやつなんだ」
 誤解続行中。
 うんうんとしたり顔で頷く。
「ちょっと甘いもの与えるくらい、あいつの人生の足しになるならいいさ」
 盛大なる誤解続行中。
 どうも名前の脳内では悟飯は滅多に甘いものを食べられない苦学生という設定になっているらしい。
 確かに大黒柱たるべき人物が天国で暢気に遊んでいて役に立たない家庭ではあるが、シケモクを集めて煙草を作り直したり、造花をせっせと作らなければいけないわけではない。勿論ない。特別裕福とまではいかないにしても、祖父である牛魔王はしこたま財宝を溜め込んでいたし、悟飯も悟天も贅沢をしたがる性質でもない。食事の量はともかく。
 だが思い込みと言うのは恐ろしいもの。
 それに自分の作ったものをいちいち嬉しそうに、美味しそうに食べてくれる悟飯の姿に、ならば次はもっと美味しいものを、と思うのは至極当然の流れで。
 絆されたとも言うが。
 ちなみにその四分の一は彼の母親の腹に納まっていて、自分の知らないところで着実に気に入られているというのは名前の知らない話である(残り四分の一が悟天の取り分、悟飯は二分の一)。
 やたらとエンゲル係数の高い家庭。少しでもそれを減らしてくれる名前はある意味救世主扱いだった。勿論これも名前の知らぬところ。
「よく分からないけど……随分仲良くなったのね」
「仲良しか?」
「いや仲良しでしょ」
 一緒に昼食を食べたり、差し入れしたり。これのどこが仲良しじゃない、とでも言うつもりか。
 名前はそうだろうか、と首を傾げる。無意識とはまこと恐ろしい。
 殆ど初めて作るお菓子、というか料理。最初は母親に手伝ってもらいながら、本と睨めっこをしながら作っていたのだが、ここ最近では一人で作れるようにもなっていた。少しずつ複雑なお菓子にも挑戦してみたり。柄でもないな、とは思うけれど。
 一口食べた後の悟飯の笑顔が嬉しい、だなんて。ちょっと照れくさいことを考えたり。
 どの口が仲良しを否定したものか。
 どこまでも無自覚な名前に友人Aはどでかいため息を投下した。
「私へのお裾分けはないの?」
「食いたかったのか?」
 なら作るぞ、と名前
 そういうことちゃいますねん、と友人A。
「何でいきなり私すっとばして悟飯君なのよ」
「なんだ、ヤキモチか」
 にやりと笑う名前にうぅ、と詰まる。そういう部分が無いわけでもなかったので。
「なら今度からはお前にも作ってやるよ」
 言って、今しがた焼きあがったばかりのスコーンを友人Aの口に放り込む。かぼちゃを練りこんだそれは熱々で、さり気に差し出されたジャムを付けると堪らない。
 こんなものを毎日食いやがって、とちょっと悟飯が羨ましくなる。
 ちらりと名前を見れば一つ摘んでうん美味しい、と機嫌よさ気にラッピング。それが上手く出来た喜びからなのか、悟飯の顔を思い浮かべているからなのかは分からない。
「……そろそろ帰るワ」
 何だか無自覚に惚気られたような気がして、よっこらせと立ち上がる。
「ああ、じゃあまた明日な」
 お土産にと持たされたスコーンは手の中でほかほかいい香り。玄関で手を振る名前の無自覚っぷりに、一波乱起きなければいいけれど、と友人Aは曇り空を仰いだ。
 
 
 
 
 
 
 あが、と一口。へにゃり。もきゅもきゅごくん。
「美味しいです」
「そうか」
 互いににっこり笑いあう。周囲に座っていた同級生がぎょっとしたような顔をするが、二人は気付かずスコーンを食む。
 珍妙な光景だ、とイレーザは思った。からかいに行きたそうにしているシャプナーの耳を引っつかみ、不機嫌そうなビーデルを宥め透かしてちょっと離れた席に座る。昼の食堂は戦場なのだ。早目に座らなければ席が無くなる。財布だけを持ってそれぞれ昼食を選んで席に戻る。
「なによ、悟飯君。鼻の下伸ばして」
「つーか、名前って笑うんだな」
「あぁっ、顔近い!」
「こんなとこで大胆だな」
 悟飯と名前の一挙一動にいちいちと声を上げる友人二人を横目で眺めつつ、イレーザはサイコロステーキをぱくりと口に放りこんだ。
 面白い。
 ビーデルが何となく悟飯に好意を持っているのは傍目にも分かった。だからこそシャプナーも悟飯に突っかかっていたのだが。
 伏兵登場だわ。
 イレーザは口の中でいひ、と笑った。
 乙女というのは恋の鞘当が大好きなのだ。ビーデルには悪いけれど。
 まだ名前とビーデルがそういったライバルだと決まったわけでもないのに決め付けるのはイレーザの癖である。妄想もまた乙女の特権だ。
 それにしても、と思う。その伏兵が名前というのには驚いた。しかもあんな笑い方をするなんて。
 嬉しそうな、楽しそうな、無邪気な笑顔。
 入学して数ヶ月。確かにそんなに深い付き合いというのはしたことがないけれど、名前のあんな顔を見るのは初めてに思う。普段は呆れたような笑みや片頬だけを吊り上げるような笑い方しかみたことがない。半分はデートに行くからと委員を押し付けたりするイレーザの普段の行いの所為でもあるのだが。
 名前のクラスメイトも驚いていたくらいだ。滅多に見ることは出来ないのかもしれない。
 そして悟飯も。
 編入して数週間。女の子と二人でいるところなんて、こちらははっきり初めてだと言える。
 その初めてのお相手が名前である。
 社交性があるとは言い難いが誰に対しても態度を変えない名前と、人当たりはいいがどこか謎を匂わせる悟飯。アンバランスのような、そうでないような。
 まさかこんなに仲良くなっているなんて露ほど思わず、イレーザはどういった経緯でこうなったのかしらと首を捻った。
 
 一方、首を傾げるイレーザとその他二人には気付かず、名前と悟飯は最後のスコーンを仲良く半分こしていた。
 最初、カップケーキを作ってきた名前は最後の一つを悟飯に譲ろうとしたのだが、悟飯はそれに頑として頷かなかったのだ。
 悟飯にしてみれば作ってくれた名前に譲るのが礼儀だと言い、名前はお前に食べさせるために作ってきたのだと反論する。そんな押し問答の結果、最後の一つは二人で食べよう、という事で決着が付いた。
 二人で分け合っていると、何だかもっと仲良くなれたみたいで嬉しいじゃないか、という悟飯の言葉に照れつつも、含みのない素直な言葉に名前も折れた。今じゃ名前も結構気に入っていたりする。
 量としてはもちろん悟飯の方が沢山食べているのだが、そんなことはどうでもいいのだ。
「孫、付いてる」
「へ? どこです?」
 名前はここだ、と言う代わりに悟飯の口元から食べくずを摘み取り。
「ありがとうございます」
「お気に召したようでなにより」
 何事もなかったかのように笑いあい、広げた包みを片付けて食堂を出る。この後図書室に寄って教室に帰るのだ。
 平静でないのはビーデルイレーザシャプナーの三人である。
「……今の……」
「……見た……」
「……素、だったわよね……」
 目が点になるとはこのことだろうか。
 三人は悟飯と名前が出て行った食堂の扉を見つめ、口元を引きつらせた。
 今見た光景が信じられず、ぱしぱしと瞬きを繰り返す。しかし少しだけ視線を走らせれば同じような表情が二つ。それが現実を知らしめる。
 ファミレスなんかで見かけることもある。喫茶店に入った時もたまに見る。
 口元に付いた食べくず摘んでそのままひょいぱく、なんて。
 親子、もしくは……
「カップルでも滅多にしねぇよな……」
 シャプナーの呟きに、女二人はこっくり頷く。ビーデルの顔なんて見れたものじゃない。ショックで蒼白になっている。
 無理もない。憎からず思っていた同級生が、他の異性に、目の前で、そうされるのが当たり前のように、恋人であるかのような態度を見せたのだ。今なら金槌で頭を殴られたって「それ衝撃ですか?」と言えるかもしれない。
「あ、あの二人ってそういう関係……?」
 この数日、悟飯の口からそんなことが洩らされた記憶はない。黙っていたのか、何でもないのか、言い忘れていたのか。それは誰にも分からない。
 悟飯は正直者ではあったけれど、秘密の多い少年でもあったのだ。
 イレーザとシャプナーは顔を見合わせ、同時にさぁ、と首を傾げる。
 呆然自失のままのビーデルの呟きに答えられる人間はこの場にいなかった。

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