No.15

DB

寂しんぼ甘えんぼ
 一ヶ月長ェんだよくそったれ。
 
 名前は友人Aが怯えた表情で見つめてくるのも気にとめず、がっつんがっつん派手な音を立てて包丁をまな板に叩きつける。刻んでいるのは人参。別に南瓜のように力を込めなければ切れない食材ではない。
 要するに八つ当たりである。
 悟飯が休学して二週間。やっと半月だ。天下一武道会まではあと二週間。
 この二週間がどんなに長かったことか。名前は思う。
 朝、委員会の為に早めに登校して図書室を開けても「おはようございます、今日も早いですね」と笑う顔が無い。一人寂しくカウンターに座っていても朝っぱらから本を借りたり返しに来たりする奴なんて悟飯以外には滅多にいない。
 昼、食堂で昼食を取っていても渡す差し入れのないランチボックスは不安定に軽いし、そう食べる方ではない名前は昼食を片付けた後の時間を持て余す。お菓子を作ったとしても司書か友人Aの腹に入るだけだと思えば気も乗らない。元々が面倒くさがりな性質なのだ。
 放課後、帰りに本屋に寄ろうと思っても目に留まるのは料理の本ばかり。けれど食べさせる相手がいないのだから結局素通り。晩御飯だって美味しくない。おかんには悪いと思っているが。
 委員会でも気付けば悟飯が読んでみたいと言っていた本ばかりを入荷しようとして司書に止められるというこの屈辱。
 やってられっかコンチクショー。
 がこん、と一際派手な音がする。見れば包丁が半ばまな板に埋まっていた。
「今日の晩御飯はまな板のタルタルソーズがけヨ~」
 名前はやけっぱちに呟いた。ソファの上で友人Aがずっこける。
 食いたかないわそんなもん。
 ピクピク震える足がそう伝える。これぞ小学校からの同級生同士のなせる技。そんな以心伝心である。いらん技能かもしれないが。
 何にしても友人Aに選択権は無い。名前の家に今日は両親が遅い帰宅だから晩飯食わせろと押しかけて来たのは彼女の方なのだ。流石にまな板のフルコースは出ないにしても。
名前さん不機嫌ですねー」
「黙れ」
 悟飯の口調を真似してみればギラリと切れ味抜群の包丁を向けられる。怖い。
 だがここで怯んでいては一〇年近くも名前の友人はやっていられない。大体、不機嫌の理由に気付いていない名前がお馬鹿なのだ。
 悟飯に会えなくて寂しい、と。
 ただそれだけのことなのに。意固地なまでに認めたがらないのは、やはり過去の出来事が尾を引いている所為なのだろう。
 名前が極端に恋愛話を面倒がるようになったのはあのことがあってからだ。
 友人Aは最早野菜を料理しているのかまな板を料理しているのか曖昧になってきている名前から目を逸らし、ぼんやりと思い出を探った。
 
 
 
 同じクラスのB君が好きかもしれない、と名前に相談されたのは中学二年の頃だ。
 一年の時は小学校とはがらりと変わった環境に慣れるのに手一杯で。だけれど二年ともなればそろそろ遊びに勉強に余裕が出てくるものだ。そして恋もしたりする。それもまたスクールライフの醍醐味。
 だから彼女は単純に名前の恋を応援した。ぼんやりとした目で、しかし困ったような表情を作りつつもどこか嬉しそうな名前が素直に可愛いと思えたから。
 だけど。
 名前がB君を好きなように、B君にも好きな人がいた。仮にCさんとしよう。そしてそのCさんにも。
 こう言えばアラヤダ三角関係かしら、となるのだが。
 確かに三角関係だ。それも見事な正三角形を描く。
 罰ゲーム、だったろうと思う。男子が四、五人も集まればそういった話題になることも少なくない。負けた奴が好きな人に公開告白、というそれにB君は見事なまでの勝負弱さを発揮してみせた。照れながら名前ではなくCさんのもとへ向かうB君を、名前はポーカーフェイスの裏で悲しそうな顔をしていたが。
 
「わたし、名前ちゃんが好きなの」
 
 そう言って名前の好きだったB君をズバリとフったCさんは綺麗に笑ってみせた。
 当時のことを友人Aはよく覚えている。
 滂沱の涙を流すB君と、その様を呆然と見つめる名前、そして名前に向かって百合だの薔薇だの華麗な花を背負って微笑みかける美少女Cさん。
 爆笑の渦に包まれる教室で、笑えなかったのは名前とB君、そして友人Aだけだった。
 それからは針のむしろである。
 名前のあだ名は「女殺し」になるしCさんは事あるごとに名前に引っ付いてくるし。
 けれど一番堪えたのは。
「勝負だ!」
 Cさんが名前にくっついてくる度に、嫉妬心むき出しで絡んでくるB君のことだったろう。
 一々名前に張り合って、しかもそのたびにCさんの「名前ちゃん素敵v」の台詞で締めくくられるものだから更に対抗心を募らせて。
 その頃Cさんはご近所でも評判の美少女で、結構色んな方々に好意を持たれていた。中には荒っぽいのもいないでもなかったのだが、そんな連中がげへげへげへ、と徒党を組んで迫ってきた。
 勿論Cさんは嫌がって、終いには名前に助けを求めてきた。が、名前も一応は普通の無力なオンナノコである。
 しかしここで見捨てるのも寝覚めが悪い。恋のライバルではあるのだけれど、その思いの方向はまったくちぐはぐ掛け違っているのだ。嫌おうとしても無理な問題。向けられる笑顔に応えてやれぬ、それが申し訳ないと思うこともなきにしもあらず。
 仕方が無いのでスタンガン(勿論護身用)と鉄パイプ(何故か転がっていた)で応戦したら、最終的には相手をボコボコにしてしまった。徒党と言ってもほんの二、三人のこと、それも素手だったからこそであるが。
 丸腰相手にフェアではない、などと叫ぶ愚か者どもに一喝した名前の姿を友人Aは鮮明に思い出せる。
 曰く。
 どの口がフェアでなないなどとほざけたものか。女一人に男が数人徒党を組むとは何事か。本気で好かれたいと思うのならば無駄な暴力を振るうよりは男を磨く努力でもせよ。
 曰く。
 貴様等の顔二度と忘れはせぬ。その腐った性根叩きなおすまではCの側によること叶わぬと思え。そのような根腐った心構えでは女一人も護れはせぬ。そんな輩どもにCはやれぬ。
 滔々と流れるように紡がれる言葉は頼もしく、また誇らしく。そして照れくさく。
 いくら恋敵未満とは言えども、結局寄せられた好意は無下に出来ないのが名前という人物だ。側で聞いていただけの友人Aにとってすらそれは頬を染めるに値するもの。なればこそ、その思いを向けられたCさんの反応は想像に難くない。
 夢見る乙女の瞳そのままに己を庇う背を見つめ、響く声音を聞き漏らすまいと耳を澄ます。
「肌身離さず持ってろ。失くすなよ」
 そう言って名前がCさんに手渡したのはスタンガン。名前の父親が娘の護身用に、と「いる」「いらん」の押し問答をしつつも半ば無理やり持たせたものだ。こんな所で活躍するとは名前自身も思っていなかったが。
「私よりお前に必要だろ」
 苦笑しながらCさんの乱れた髪を撫でる。
 友人Aは嫌な予感がした。これは、自分でも惚れる。やばいぜ名前。思うが、男相手に立ち回って息が乱れていた。名前も似たり寄ったりの体力しか持っていないはずだが、意地っ張りの友人がこの場面でぜーはー言えるはずもないことを知っていた。
 だからここで友人Aに出来たのは、名前とCさんを急き立ててその場を後にすることだけ。後日それを後悔する破目になるのだが。
 
 
 翌日にはその話は全校生徒と言ってもいい人数が知っていた。
 お陰で学校からはCさんの口ぞえでお叱りこそ頂かなかったものの、B君は頼られたのが自分じゃないことに落ち込むし、下級生からの憧れの視線は痛いし、クラスメイトからはヒかれるし。
 Cさんのアタックはグレードアップするし。
 しかもそのうちボコった連中が名前の舎弟にしてくれだの言い出してきた。
 名前の返事は勿論Noである。基本的に面倒ごとは嫌いなのだ。しかしどうしても引き下がらぬ舎弟希望に「己の磨く部分さえ分からぬような輩に惚れる女が何処にいる」と適当なことを言って目から鱗を零しまくりの連中をどうにか追い払えば今度はそれをB君に見られるし。
 終いには惚れた男からの「兄貴」呼ばわりである。
 これには流石に名前も落ち込んだ。何処にフラストレーションを持っていけばいいのやら分からない。
 普通なら恋敵に、となるのかもしれないが、その恋敵にオープンに必殺好き好き光線を送られれば……もごもごもご、だ。
「仕方ねーし」
 そう笑う名前が実は寂しそうな目をしていたのに気付けぬようでは、こんな厄介な女の友人は名乗れない。
 恋には向いて無い性格らしい。
 消化不良の初恋未満を抱えたまま、名前は結局B君とは悪友のポジションに納まっていった。
 それからだ。名前が誰かを好きだとさえ言わなくなったのは。
 高校を電車通学しないと通えないオレンジスターハイスクールにしたのはそれもあってなのだろうか。
 友人Aは進路希望書に書かれた文字を見たとき盛大に驚いたものだった。友人AもB君もCさんも、第一希望は歩いて、もしくは自転車で通える距離の高校だったから。ちなみに三人とも同じ学校である。
 だから名前も当然のようにそこに行くと思っていた。
 何だかんだでつるむことの多くなっていった四人はたまに大騒ぎしつつも楽しんでいたと感じていたのだけれど。
 友人Aがそう告げると名前は「別に違うし」と呟いた。
「楽しくない、ってことじゃねーからな。あいつらのことも関係ない」
「んじゃ何でよ」
 不満だ。何故教えてくれない。義務じゃないけれど、友人のことくらい知っていたい。
 そう思い、問うてみれば名前はあっさり言ってのけた。
「ここ、図書室広くて綺麗」
「……」
「しかも半地下」
 こないだ見学してきたんだ。
 うっとりと呟く。名前のこんな表情は珍しい。だから、きっと本音なのだろう。
 友人Aは一気に力が抜けるのを感じた。いらん気を回して悩んだ自分の立場は何処へ。
 がっくりと机に突っ伏す友人Aを不思議そうに見ていたが、ふと友人Aの鞄を漁りだす。見られて困るものは入っていない。財布を取ったり手帳の中身を見るような奴でもないことを知っているから、名前の不可思議な行動にも口を出さない。
 ややあって名前が友人Aの鞄から取り出したのは進路希望調査書。
 その一番上に書かれた文字を消し、名前はそこに全く別の文字を書き出した。
「ちょ、ちょ、ちょ、名前!? あんたなんばしょっとね!?」
「第一希望、オレンジスターハイスクール。よし出来た」
「出来たってあんたそれボールペンだし!」
 シャーペンで書いてあったそれを消し、名前がボールペンで書き直したのは己の第一希望と同じそれ。
 満足そうに頷く名前に友人Aは絶叫する。
「お前いねーと寂しいじゃん」
 さらりと。
 何を告げてくれているのだろうか、この女。
 友人Aはそれが当然とばかりに口にした名前を見つめ、少し皺の寄った調査書を取り戻した。
「消せねーなぁ、これ」
 仕方ねぇ。笑う。
「おもろい本仕入れろよ」
「入れるから読めよ?」
 友人Aはあんまり読書家ではない。
 けれど今はそんなことはどうでもよかった。読むに決まってるだろ、と頷く。
 後日そのことでB君Cさんと揉めたりするが、それも卒業までには円満解決。それぞれ自分たちの通いたい学校に合格した。
 
 
 あれから約一年ちょいだ。
名前ー」
「あぁ?」
 まな板は未だに細切れにされかけている。本気で木の欠片が入ってそうだ。
 ばい菌は包丁の跡に入り込むのだから、その辺で止めておいてほしいものだと思う。
「あのさ、寂しい?」
「は?」
「私がいるのに」
 悟飯に会えなくても、今は自分がいるのに。確かに好きな人、惚れた男ではないし、役不足かもしれないけれど。それだとあまりにも寂しいじゃないか、自分が。
 最初に寂しい、っつったのは名前なのに。
「……が、」
「うん?」
 名前がぼそりと呟く。聞き返す友人Aに名前は少し声を張った。
「冷蔵庫に、ほうれん草が入ってる。あと棚に醤油と胡麻」
 ほうれん草のおひたしは友人Aの好物である。ついでに今日は焼きうどんだ、と告げる。
「はいはい、お手伝いイタシマス名前様」
「……手ぇ切るなよ」
 もう一つまな板を出して洗ったほうれん草を乗せる。それを心配そうに見やる名前に「まかせなさい!」と請け負って、すとととと、と軽快な音を立てる名前のまな板とは正反対の音を台所に響かせた。
 ちなみに名前の使っていたまな板は帰宅した母親に買い替えを言い渡された。
 
 
 
 
 
 
 
「先生、その調査書、シュレッダーかけるくらいなら貰えませんか?」
「あ? いや、ま、受験済んだら確かに用なしだけど……どうすんだこんなの」
「記念に取っときます」
「変な奴だな。まあいいか、青春の思い出だな」
「そっすね」
 黒々と書かれた第一希望。
 その紙は未だ友人Aの机の下から二番目の引き出しに大事に仕舞われている。

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