◇時間旅行◇Act08


「それを見つけたらどうするんですか?」
 我ながら間抜けな質問だった。どうするも何も直すしかないだろうに。けれど、彼らは呆れる事も見下す事もなく言葉を続ける。
「見つけ次第、速やかに修復を構築家に頼まなければいけない。そのためにも早く見つけ出す必要があるんだ。放っておけば世界律が崩れ、最悪は」
 淡々と話す彼が言葉をそこで途切れさせた。表情に変化はなくとも、声が雄弁に語る。辛い、苦しい、助けてと音ならざる三重奏が私を飲み込んでいく。
「私が手伝えるんですね? そのてい・・・律が崩れた場所を探すの」
 マスターがゆっくりと頷いた。彼らに易く頼もうという気は無いのだろう。きっと私がここで無視してしまっても、彼らなら何も言わずに次の日から今までどおりに接してくれるに違いない。変わらずの笑顔と優しい言葉をくれるだろう。
 しかし、それでは私が嫌なのだ。
 嫌で仕方がない。一度縮まった距離をまた感じるのは苦しすぎる。もう既にこの体の一部になっているのに。
 マスターの柔らかい笑みも、彼の硬質な空気も失うには大きくなりすぎていた。不思議だと何度も思う、この感覚。時間はほとんどかからずに、私の深い所へ易々と入り込んできた優しい侵入者達を私は放っておけない。
「手伝わせてください」
 お願いの形を取ったのは、まだ私が役に立つと確信出来なかったからだ。それに、自分で選び取ったのだと思いたかったせいかもしれない。彼らとの関わりを私は自分の意志で大事にしたい。
「わかった」
「良かったですね、交渉成立して」
「ああ」
 平坦な声に微かに混じる安堵が私の胸を奮わせる。きっとこの日の決断を、私は一生かかっても忘れられないだろうと予感した。
「調査の為には私達の世界とも行き来して頂く必要があります。ですが、あなたを私達の世界に行かすにはいろいろと手続きが必要ですので、その為に時間がかかるでしょうから」
「手続き・・・ですか?」
「先ほども話しましたが、あなたの定理はあちらでは通用しません。他の方に比べたらあなたは有利な点が多いのですが、それでも定理が違う場所へ行くので負荷がかかることは免れられないのです」
「ファクターがあっても自由に行き来できているわけじゃない。統制部と監査組織によって、出入りする全ての物に厳しく制限がかかっている。君を連れて行くだけなら良いが、監視が付いていたのではやりにくいから、許可を取る必要があるだろうな」
「監視って・・・必ず付くの?」
「世界の交わりに閉鎖的な奴らが多い。統制部はそうでもないが、監査は排他的とも言える気風があるからな。俺達のように世界のどちらにもつかない人間は危険視されやすいんだ。それほど厳しいものではないがあるよりは無い方が良い」
 聞いているだけで物々しい話なことが分かる。分かった所で私には手立てがないのだから、彼らに意見せずに諾とするしかない。
「私の身内に構築家がいますので、彼女に頼んでみましょう。普通に申請しては時間がかかって仕方がないでしょうが、彼女なら伝手もありますし、短期間で何とかなるでしょう」
「ああ。君は移動の仕方と連絡の取り方を学ぶ必要があるな・・・」
 ちらっと私を見て彼がそう言うと、マスターが笑って言った。
「大丈夫です。彼女なら短時間で覚えるでしょう。それに優秀な先生も付けますよ」
 どうやら私に家庭教師がつくようだ。勉強は得意じゃないけど嫌いでもない。時間が限られているので詰め込みになるかもしれないけど、今の私はウキウキとした気分だった。
 勉強が嫌だった時があったなんて嘘みたいに楽しみで。試験が無いからだろうけど。それと、全く未知の世界だからってのもある。
「明日からでも大丈夫ですか? あなたの都合の良い時間があれば、すぐにでも始めた方が良いでしょうから」
 軽く頷くとマスターと彼で、今後の段取りをし始めた。話が一息ついたせいか、時計の針にぼんやりと目を遣ると彼との散歩から時間が大分過ぎている。
「どうしました? ああ、もうこんな時間でしたか。遅くまでつきあって頂いて申し訳ありません。明日もお仕事ですか?」
「いえ、お休みをもらってるんです。それと、敬語をやめて頂けませんか。私のほうがずっと年下なんですから」
 マスターの丁寧な物言いは好きだけど、お店以外で聞くと違和感があってしょうがない。言ってからもっと早くに言うべきだったと思ったけれど、彼の突然の変化と不可思議な話で頭が混乱していて、今の今まで思い浮かびもしなかった。
「癖みたいなものなので、気になさらないでください」
「でも、」
「コイツは誰を相手にしてもこうだ。例え、君が口の聞けない赤ん坊でも変わらないだろう」
 それはそれで寂しい。と、同時にちょっとだけマスターが小さな子たちを相手にするのを考えるとおかしかった。優しくて子供にも人気がありそうなマスターが、敬語で一緒に遊んでいる姿っていうのが微笑ましくて。
 そう思っていたら、実際に笑ってしまっていたらしい。声こそ出さなかったものの、ばっちりマスターに見られてしまい恥ずかしかった。
「さあ、君を家まで送ろう。明日からどうするか、車の中で話すから。荷物は車にあるので全部か? ああ、そしたら・・・じゃあな」
 マスターが軽く手を上げて彼に応える前に、彼は既に扉を開けて歩いて行ってしまっていた。ちらっとマスターを見ると苦笑をしつつも、彼についていくように促された。軽く会釈をして慌てて彼を追うと、彼の手が妙に淡い光に包まれていた。
 不思議に思いそれもファクターなのかと問うと、彼が首を振る。
「フォースと呼ばれる光の残滓だ。ファクターとは違い、世界に関係なく存在するものだ。誰もが見たり触れたり出来るわけではないけどな」
 本当、私には分からないことだらけだ。手伝うと言った手前、今更それを取り下げる気は無いけれど、こうも知らないことばかりだと不安ばかりで気持ちが沈んでいってしまう。
「怖気づいたか」
 見上げると彼がじっとこちらを見つめていた。まるで毛布を取り上げられたライナスのような顔をしていたから。
 ああ、彼らも不安なんだ。私だけがついていけてないような気になっていたけれど、彼らだって初めての事態にどうしていいか分からないんだ。だから、私に協力を求めてきたんじゃないか。
 知っていたというのと、分かったというのが違うように、初めて彼らが私の中に入ってきたと思った瞬間だった。ここにいるのは、同じ“人”なんだ。
 これじゃあ、よっちゃんに鈍いって言われても仕方ないかな。苦笑してから真っ直ぐ彼に手を伸ばして、頬を撫でる。男の人にしていいことなのか全く分からないけど、その時はそれ以外の安心させる方法が分からなかった。
 彼が目を見張って(微かにだけど)、私を見ると視線がちょっとだけ柔らかくなったような気がする。冬の日差しのように。
 そっと手を離して小さな謝罪をすると、彼は首を振った。それから私の手を軽くとり車へと歩き出した。
 振りほどくこともせず、彼についていき、家まで送ってもらう間、彼が翌日から手始めに離れている場合の連絡の取り方を教えてくれるという。あちらの世界では一般的な方法なので、彼でも教える事ができるらしい。
 それから世界の移動手段については、『先生』が来て教えてくれるって事だった。彼らにはファクターがあるけれど、私には無いので同じ移動方法が使えないから、私専用の移動方法になる。
「でも、私の世界の人もそちらに行ってるんですよね? だったら、その方法で良いんじゃないですか?」
 行き来する人は少ないというけれど、それでもいるのだから、それなりに安定した方法があると思ったので聞いてみたところ、普通の人には確かにあるんだとか。
「前も言ったけど、俺や君の体質は特異だ。普通の人には問題なくとも、俺達にはどんな作用をするか分からないから安全策は取っておくに越した事は無いんだ。俺自身、ファクターを普通に扱えるようになるまで危険が付いて回っていたからな」
「危険?」
 いぶかしむ私に彼が軽く首を振る。
「いや、力を使うことはそれほど問題じゃない。失敗しても、俺の場合でかすり傷ぐらいだったな。ファクターを上手く扱えればこれ以上便利なものはないが、下手だと絡まる糸のように邪魔ばかりして扱いづらいものはないんだ。一度こつさえ掴めば楽なんだが俺の体質だと、難なくファクターを扱えるようになるまで人より時間がかかる」
 口調は平坦なのに苦労が忍ばれて、私はどんな顔をすればいいのか分からなかった。これが全く自分に関係無いことだったなら、同情したか憐れみをもっただろうけど、ことこれからは自分に降りかかってくるものだったから、安易に考えられなかった。
「難しく考えなくていい。指導者がいれば怪我をする事はないし、君を教える者は定理研究者の中でもずば抜けて秀でている奴だ」
「でも・・・」
「俺が苦労したのは師と仰ぐ者がいなかったからだ。それまでに全く事例が無かったから、手探り状態で始めなければいけなかった。問題は体質の特異ささ」
 首を傾げた私に彼は殊更表情を失くして言った。
「自分と違うというだけで脅威を感じる者もいる。恐怖を攻撃性に変えて君や俺へと向ってくる場合があるってことだ」
 そう言った彼は、偏見の対象になる事を受け入れているようなふしがあった。私は自分もその中に、対象になりうるのだと知っても、どこか遠くに感じてしまう。
「俺達の奇妙さは判りやすい見た目と違って、普段は分からないから余計に怖ろしく感じるんだろう。精神的な攻撃は肉体への暴力よりも傷になるから・・・君を巻き込んでいいのか」
 それは独白だった。これからの事を考えると彼は身を斬られる様な思いなのだ。優しい人だ。とっても、とっても優しい人なんだ。
「大丈夫です。私には、あなたもマスターもいますから」
 一人ぼっちだなんて思わない。優しい人が側にいる幸運を手放したりしない。彼らの助け手になると決めた時にした覚悟がその程度だったなんて言わせない、誰にも。
「・・・勉強は大変だろうけど、俺やあいつに出来る事があるなら遠慮しなくていいから。無理を言ってるのはこちらで」
「無理なんかじゃないです。でも、有難く遠慮無しでいきますね。だから、そんなに申し訳なさそうにしないで下さい。決めたのは私なんですから」
 彼の言葉を遮って、勢いだけでそこまで言う。彼と私の間にある冷えた空気を暖めたかった。ふわりと彼が動いた。私のアパートの近くで停まった車のハンドルに被さって顔だけをこちらに向けている。
「・・・君は・・・本当に・・・びっくり箱みたいだ」
「・・・・・・それ、褒め言葉ですか?」
 ちらっと向けられる視線に耐えられなくて、目をうろつかせながら混ぜっ返す。変な事を言った気はないけれど、彼にしてみたら私の言葉はおかしかったのかも。
「褒めてるんだよ。君を選んで良かった」
 相変わらず言葉に表情が伴っていなかったけれど、心底からそう思っているのだろうことが伺えて、口元に微笑みが広がるのを彼に見られないよう俯いた。
「明日の午後、時間が空いたら連絡して欲しい。SANKAに直接行ってくれても構わないが、車で迎えに行ったほうが早く始められるだろうから」
「はい・・・あっ、自転車で通ってるので、やっぱり自転車で行きますよ」
「俺は構わないが、帰りは必ず送っていく。夜遅くに、こんな暗がりでは危ない」
 いつもの事なのに心配してくれる彼に申し訳ないのと少しの嬉しさを感じる。でも、きちんと断っておいた方がいいかな。いつも自転車ごと送迎してもらうわけにはいかない。これでも自立している大人なのだから。
「心配しないで下さい。帰りは明るい道を選んでますし」
「いや、送っていくよ」
 結局は彼の言う通りになってしまった。自転車で通うのを辞めればいいだけなんだけど、塾はともかく、もう一つのバイト先に行くのに徒歩はきつい。彼なら二つ返事で頷いてくれるだろうと思っていたのに、案外心配性なのかもしれない。
 部屋に入って疲れからほっと息をつき、明日のためにシャワーもそこそこに深い眠りについた。彼の車が私の部屋の明かりが消えるまで、そこにあったことも知らずに。

2009/01/30