◇時間旅行◇Act09


 塾のハロウィンパーティーも順調に終り、今日から移動方法を教えてもらうため先生を紹介してもらう事になっている。本当は翌日にでも紹介してもらう予定だったのだが、先方の都合で駄目になってしまっていた。
 マスターの話だと、『先生』もこの間のパーティーに参加していたらしいので、もしかすると会っているかもしれない。『先生』となる人がどんな人なのか、まだ詳しくは教えてもらっていない。
 思い描ける『先生』像は、高校の担任ぐらいしかない。小学生の時も、中学の時も、別段に思い入れのある先生はいなかった。唯一、恩師と呼べるのは高校の二年間を受け持っていた担任の女性教諭ぐらい。
 「SANKA」の前に着くと、深呼吸をしてから店の扉をくぐった。あまりスパルタじゃなきゃ良いなとこっそり思いながら。


 前のように二階へと通され、部屋の扉を開けると吸血婦人がいた。正確には人間なのだろうけど、要はパーティーで会った美人さんだった。パーティーで着ていたワンピースも良く似合っていたが、今日のツートン模様のラフなカットソーにジーンズというシンプルな格好も良く似合っている。
「初めまして・・・というより、久しぶりって言うのが正しいかな?」
 カラッとした笑い方が、彼女を近づきやすい雰囲気に変えて、パーティーで見た時のようなきつさを和らげている。刺々しさが抜けると粋な感じのする女性だ。私にとっても付き合いやすいタイプだから、教えてもらう身としては安心する。
「初めまして。あの時は、ありがとうございました。またお会いできて嬉しいです」
 我ながら社交辞令っぽいなと思いながら自己紹介すると、お姉さん先生はマスターと彼を部屋から追い出して話し始めた。
「まずは通信手段なのだけど、これを持って」
 ポケットから、小さな円形で平べったい金属を取り出して私に持たせるとそのまま手の上でファクターらしきものを混ぜていった。まるで手品を見せられているような気分になり、瞬きをするのも忘れてしまう。
 ふわふわとしたファクターが金属と混ざり合う瞬間に青白い光を発しているせいで、手のひらで光が踊ってるようにも見える。
「よし! これで手首に付けられるようにして…」
 金属の真ん中がみるみる開いて広がっていき、細いブレスレットになってしまった。先生に促されるまま手首にはめると、若干の振動と共に外れない大きさに穴が収縮する。
 この間から驚くことばかりだけど、これはさすがに言葉も出ない。先生が魔女だと言われればそのまま信じてしまいそうだ。私の驚きを理解して苦笑いしながら先生が言った。
「何も無い所から生み出すのとは違う。あるものを一定の法則から外して、別のものをあてたがっただけ。ガラスや金属を熱で別の形に作り変えるのと一緒よ。私達の世界では特別珍しいことではないの」
 ファクターが道具の役目を担っているから私には無理みたいだった。ちょっと残念な気持ちが顔に出て彼女が笑った。笑う先生を見ながら、思ったよりも期待している自分に私もおかしくなってしまう。
「それはいざという時の発信機ね。大まかだけれど居場所を私達に伝える事が出来るから、なるべく外さないように。肝心の連絡手段だけど、ファクターはあなたは使えないから別のものが必要になるの」
 そういうと彼女は私のブレスレットを嵌めていない方の手を取り、何か呟いた。スッと指先から力が抜ける感覚がした後、手を見ると人差し指の先に何か模様が浮き出たようにある。
「ふーん。初めて見るわ」
「えっ!?」
 分かっていてやっていたんじゃなかったようで、まじまじと自分の指先を見てしまった。不安になった私に、慌てたように彼女が言った。
「もちろん、何かしらの変化があるのは分かっていたのよ。今までも乞われてやったことが何度かあるから。こういう風に柄が出る人は見た事がなかったから驚いただけ。大したことじゃないから大丈夫」
「はい。大丈夫です」
 ちょっと笑うと先生もほっとした顔をした。でも、すぐに顔を引き締めて授業が始まった。
「手のどこに印が出るかは分からないけど、その印を媒介にするのが貴方達の連絡手段になるわ。貴女の場合は、その指先に集中して体のエネルギーを集める感じにするの。そうね・・・水が流れて集まっていくイメージを頭で描いてみると上手くいくわ。やってみて」
 と言われても、すぐに出来るわけがない。指先をじっと見つめて流れるイメージを形作ろうとしても、集中しきれてないせいなのか、それとも私に素質がないのか全く変化が見られない。
「やっぱり難しいわね・・・ちょっと良い?」
 そういうやいなや、先生は私の指を取り隠し持っていた針で刺した。ぷつっと音が聞こえ、ぷっくりと血溜りが指先に出来る。痛みらしい痛みはないが赤く膨れ上がるそれと先生を見比べる。
「さあ、それが治る所をイメージしながら意識を集中させてみて。これで感覚が掴めれば連絡するのもすぐに出来るようになるから」
 先生の暴挙に唖然としていたが、血溜が段々と大きくなってきてさすがに放っておくわけにもいかずに神経を集中させていった。かっこよく呪文を唱えられないので、ひたすら治れ治れと指先を見つめる。
 ひくっと指先の模様が動いた気がする。すぐに腕の血が逆流するような感覚になったかと思えば、今度はカッと全身が熱くなる。それもすぐに引いていき、徐々にふわっと体が浮くような感覚に陥る。丁度、エレベーターで降りて行く時のような感じだった。
「あっ・・・」
 模様がふわりふわりと動いてキャンドルの火のように揺れている。それはとても不思議な光景だった。熱があるようで無い。揺れていた模様の所々が明りを灯したように赤く色づいて、傷口に向けて光りを発している。
「うん。成功ね。飲み込みが早いのかしら・・・手荒かなと思ったけど、その調子で頑張りましょう」
 満足げな先生には悪いけれど、私にはさっぱり上手くいったという感じがしない。意識的にやったというよりは、無意識下で何とかなったという感じだから。
 傷が完全にふさがったのを見て、今度は本当に連絡を取るための感覚を先生と取り合うことになった。まずは先生からということで、言葉を発していない事をお互いが確認しながら行うために口元をマスクで覆う。
 傍から見たら相当おかしいんじゃ・・・でも、練習の為だよね・・・。風邪も引いて無いのに変だけど。
『聞こえる? 直接、脳に働きかけてるからハウリングを起こすかもしれないけど、暫くしたら慣れるから』
 いきなりトンネルの中で響かせたような声が頭に聞こえてびっくりする。声が出そうになって、慌てて口の前に手をかざす仕草で先生にも聞こえているのが伝わったみたい。
『どれくらい明瞭かしら? 高い音は聞こえる? あー・・・そう、大丈夫そうね。低い音は・・・やる必要ないって顔してるけど」
 ブンブンと勢い良く頭を振る。これくらいの事で機嫌を損ねないで欲しいと思いながら。先生は不機嫌になるどころか、私を面白そうに見て言った。
『貴女もやってみて。要領はさっきみたいに集中力を増す事。一心になるって言ったら分かるかしら。他の事を考えないで私に伝わるように集中してみて」
 さっきのようにと言われて、自分の指先をジッと見る。あの時は治れと唱えたけど、今度はどうしよう。指先を見たまま、頭の中に先生の顔が浮かぶ。夢想家の私は見ていないものへ思考を飛ばすことは得意だ。
 先生の顔がはっきりとした所で、何かないかと考えて彼の事を聞いてみたいと思った。捉えどころのない人のように見えて繊細な人というのは、直接質問するのを躊躇わせるものだ。
『あの・・・聞こ・・・ます・・・ぁ?』
『何とかね。ノイズが多いかな』
 指先を見るとさっきよりも弱々しい感じに光っている。意識を集中させるのも慣れないと難しい。
『彼の事なんですけど』
『何?』
『あっ、彼だけじゃなくて、向こうの世界って私達の所とはどう違いますか?』
 漠然とした質問だったけれど、先生にはちゃんと伝わったようだった。ちょっとだけ考える仕草をして向こうでの生活や人々の習慣、食べ物の違いなんかを教えてくれる。
『そ・・・ゃ、あんまり・・・・・・らないんで』
『気を抜かないようにね。さっきの方がクリアだったわよ。そうそう、こちらの世界とほとんど変わらないわ。食べ物は同じってわけにはいかないでしょうけど、でも随分と流通するようになったわよ』
 そこまで言うと、先生はマスクを外して笑顔で言った。
「今日はここまでにしよう。疲れたでしょう? すぐに上手くなるって事はないけど、もう一、二回ぐらいやれば充分かな。貴女の飲み込みが早くて良かった」
「ありがとうございます。じゃあ、予定よりは早く向こうに行けるんですね」
 ほっとして言うと、先生はちょっと意地悪っぽい顔をする。
「それはどうかしら。移動の方が連絡を取るよりも難しいもの。貴女の頑張りしだいだけど、大丈夫かな?」
「頑張ります」
 苦笑いになりながら、今日の復習をしようと心に決める。
 コンコンッとノックの後に、マスターが良い匂いをさせながら入ってきた。手にはクッキーと紅茶のトレイ。紅茶は四人分あるが、肝心の彼の姿が見えない。
「車の用意をしてから来るそうです。どうですか、調子は」
 置かれたクッキーに手を伸ばしながら彼女が笑う。先生と呼ぶのは教えている間だけにしてと言われたから、授業が終わった後は『お姉さん』と呼ぶ事にした。
「順調、順調。珍しいぐらいに飲み込みが良いんだもの、こっちがびっくりしてる。順応が早くて羨ましいぐらい」
「そうですか・・・貴女は素直ですから」
 優しく言われるとむずがゆい。照れて俯きながら礼を言うと二人から穏やかな笑い声が零れるのを聞いた。明日の話をしながら、今日の報告とマスター相手にちょこっとだけやってみたり。まだ最初は途切れ途切れになったり、ノイズが入る事もあるけれど、初日にしては上出来らしい。
 自分の事のように喜んでくれるマスターを見ると、私まで嬉しくなってきてしまう。出来た時はこんなものかと思っていたけど、一緒に喜んでくれる人がいると嬉しさも倍増だ。その後はお店の話やお互いの世界の違いに困った話をマスターやお姉さんが面白おかしく話してくれる。
「楽しそうだな。どうだったんだ、今日の成果は」
 お店の常連客の話などで盛り上がった私達の笑い声に釣られるように入ってきた彼が呆れたように言う。いつの間にか声が大きくなっていたみたいだった。そんな彼を驚かせようと“語り”かける。
『今日はありがとうございました。先生からブレスレットは貴方から頂いたと聞きました。忘れないようにいつも付けておきます』
 ほんの少しだけ目を大きくして、それから彼の言葉が届いた。声を聞くよりもすごく胸が逸る。
『お疲れ様。順調なようだな。それは向こうに行けるようになったら、必ずつけていてくれ』
『はい。あの・・・頑張ります』
 稚拙な決意表明だったが、彼にはそれで伝わったようだった。彼の目の奥が優しい色に変わり、囁くような声で言った。
『無理しなくて良い。君のペースに合わせる』
 無理だと思っても彼の気遣いに胸が熱くなる。今の状態が続くことが決して良いわけではない事ぐらい私にも分かっていた。
 あの緊迫した会話を思い出せば、時間の猶予はそれほど無いだろう。それでもマスターも先生も、彼も決して私を焦らせるような事は言わない。
「何難しい顔してるのよ」
「えっ、そんな顔してました? 何でも無いですよ」
 笑ってごまかしながらも、彼らの期待以上の働きをしたいと思ってる自分に見えないように苦笑してしまう。私は自分で思うよりも欲張りだったらしい。
「それなら良いんだけど、何か言われたならすぐに言って。私がとっちめてやるから」
 勇ましく言う彼女に笑って、首をふり彼を見ると嫌そうな顔をしている。あからさまな表情を出す彼が珍しくびっくりする。そんな私を見て彼女もマスターも心底おかしそうに笑うのだった。
「相変わらず、苦手なんだな」
「私からいつも逃げてるのよ」
 マスターたちが言うと、彼はゆるく首を振って仕方が無いとでも言うように私を見る。気を許した相手だけに見せる態度だろうと思って、くすぐったい。彼らの中に自分がいる事が不思議なような、誇らしいような。
 彼らとの談話を楽しんだ後、彼に家まで送ってもらい、部屋につくと私は顔を洗いそのままシャワーも浴びずにベッドに倒れこんだ。思ったよりも疲弊した体はそのまま動かなくなってしまった。
 そうして、次に起きた時にはすっかり日が高くなっていて慌ててバイトへと向った。自転車で飛ばして、縫うように道を転げる。バイトをする前から汗だくになってしまった。
 昨日の事などすっかり夢の中の出来事のように思えて、バイトやよっちゃんとの馬鹿げた会話を楽しんでいた。邪魔になるのと規則違反だから、シャラシャラとしたブレスレットはずっとブラウスの下に隠していた。
 そうして、私は手にかけられたブレスレットが淡く光っている事に気づかないまま、暢気に一日を過ごしたのだった。

2009/03/06