◇時間旅行◇Act06


 大変そうと言った彼が、羽を毟られた鳥のように見えたと言ったら怒られるだろうか。私には痛々しそうに見えるだなんて。
 私の逡巡に気がついたのか、そうではないのかは分からないが、彼が話題を変えてきた。
「この後の予定はありますか?」
「いえ、特には」
 マスターと会った事で、ほとんど義理は果たしている。元々、こういった席は苦手とする所だから、長居する気はなかった。興味半分でいられた時とは違い、今は離れたい気分になっているのも正直な所で。
 それに、今日の格好を長時間しているというのも、私には抵抗がある。ともすれば、自分の格好を忘れていつも通りに振舞いそうになっては、背中の羽や露出した足やらが目に入って当惑するのを、着替えてから今までで数度、繰り返しているのだ。着慣れない服は精神的にダメージを与えるというのを身を持って実感してしまう。
「でしたら、しばらく私に付きあって頂けますか」
 驚きが顔に出てしまっていただろう。戸惑いながらも頷くと、彼の次の言葉に更に驚いた。
「店の外に出るので申し訳ないのですが、着替えをお願いします。それほど遠くに行く予定ではないのですが、その格好では目立ってしまいますから」
 あまりにも予想外の言葉に、すぐには言葉が出てこなかった。いつも会うのはこの店の中だけで、外で彼と一緒にいるということを全く想像していなかった。彼と約束したわけではないのに、私は彼と会う時の決まり事のように考えていたのだから当たり前だ。
「それともその格好のままの方が良いですか?」
「いえ、着替えてきます。すみませんが、お待ち頂けますか」
「ええ、もちろんです。ゆっくりで構いませんので」
 鷹揚な感じに見える彼の頷きも、決して気を悪くするようなものではなくて、騎士と評した人の気持ちが少しだけ分かった気がする。泰然自若としているのに常に守ろうとする意識があるように見えるのだ。王族のような、全てを従えさせる圧倒的なカリスマ性とは違う、それでいて安心できる存在感は騎士と言いたくなる。
 何だか自分でも褒めすぎのような気がするけれど、と彼を待たせないように手際よく着替えを済ませながらもつらつらと考える。
 大きな羽を抱えて、店の裏側にある桜木の下にいる彼と合流する。店の中では場の異様さに紛れていたが、こうして二人になると彼の独特な雰囲気は際立っている。現実離れした感覚になるのは彼の雰囲気だけではなく、彼との出会いも今までの経過も、普通とは言いがたいからだろう。
「その荷物を抱えていては歩きにくいでしょう。私の車に置いておいた方が良さそうだ。貴重品だけ持っていて下さい」
 車のボンネットを開けてもらい、大きな荷物だけ置いて彼と共に大通りに出る道とは反対を歩く。いつもは大通りに出て、家に帰るまでの道のりを特に気にする事も無くヘッドフォンを着けたまま歩いていた。音楽をうるさいぐらいに鳴らして。
「この道は人通りが少ないですが、その分ビルや高層マンションが少なく、空が開けて見える」
 彼の独白ともつかない言葉に、思わず空を見上げて月の輝きに目を奪われる。白々と光る姿の中にウサギの姿を見とめて、ほうっと溜息をついた。月の周りを囲む曇でさえ、示し合わせた演出のように見えるから不思議だ。
「もう少ししたら着きますから」
「あっ、はい」
 私が足を止めて月に見入ってしまっていると、彼が私の足元を見て言った。きっと慣れないヒールの高い靴に疲れたとでも思ったのだろう。歩き出してから十分ほど経っていたせいだろうけれど、普段から歩きなれていた私はそれほど疲れてはいなかった。ただ月の見事さに心を奪われていただけなのだから。
 それほど歩かない所に公園ともフリースペースともつかない、小さな場所にあるベンチに彼が腰かけた。私にも隣に座るよう促し、低いわりに通る声で彼が言った。
「あなたに聞きたい事が幾つかあるのですが、質問しても?」
「はい、何でしょう」
「あなたはいつあの店を見つけられましたか? 私が最初に見かけたときには気づいていない様子でした」
 思わぬ所からの質問に、答を窮してしまう。彼と会ったあの日まで、私は店の存在に気がついていなかったからだ。通いなれた道をたまたま逸れてみようとしたのがきっかけに過ぎず、いつもはただ無為に通り過ぎていたのをマスターとも知己な彼に伝えるのは気が引けた。それでも嘘をつくわけにはいかないだろう。
「あの花火大会の日まで、実は全然知らなかったんです。あそこに喫茶店がある事。あの日はいつもの通りが混雑していて、それに珈琲とゆっくりした時間が欲しくて。本当に偶然に見つけたんです」
「そうですか。では、あの日が初めてなんですね」
 頷くと彼が考え込むように顎に手を当てた。
「あの・・・私の友達が見つけられなかったって言ってるんですけど、何か関係がありますか?」
 何故、彼に聞こうと思ったのか分からない。それでも彼が何か事情を知っているのは確かなように思えた。彼が私を見つめる目に答があるような気がしたのだ。
「見えないのが普通でしょう。あの店は他よりも特殊な存在であり、極めてあなたのようなお嬢さんが見つけられるようなものではありません。あってない、それがあの店だからです」
 理屈として、理論として受け入れがたいものだ。あってないというのは空気のような存在という事だろうか。それにしては、はっきりとしすぎている。それにマスターや常連客の存在を無視している事にならないだろうか。いや、彼は特殊だとも言っているではないか。
「良く理解できないのですが、あの店は存在していないということでしょうか」
 まさかという思いのまま口にすれば、彼が首を振って否定した。
「物理的に存在しています。ただ一定の条件を満たした人間にしか見る事が出来ないというだけで。あなたがその条件を満たしているという事が私には不思議ですが。この事を言葉で説明する事も出来ますが、あなたにとっては目にしない限り認めがたいでしょう。もう一つ質問しても?」
 頷きながらも腑に落ちない私は彼の質問を聞き逃してしまった。
「えっ? すみません、今なんて」
「違和感を感じませんでしたか? 私やマスターに」
 奇妙な事を言うと思ったが、彼にもマスターにも独特な雰囲気があると感じている事をそれとなく伝える。彼に会った時から感じるものと、マスターに感じるものとは種類が違う気がするとも。具体的に言うことは出来ないけれど、何となく感じる程度の差異があるのだと。
 私の返答に満足したのか彼は頷いて、その違和感について口を開いた。
「彼も私も、ここに存在していない人間だからです。もう少し正確に言えば、この世界に存在していない。つまり次元そのものが違う人間です」
 彼から発せられる全ての言葉が幻のようで、私は俄かに信じ難かった。それも、彼には当然であり私が見せる反応の全てが彼にとっては予測済みだったのだろう。彼は疑いの目を向ける私に、大人の言葉を噛み砕いて言い含めるような話し方で私に語った。
「次元という概念を、あなたがどれほど理解しているのか私には分かりません。ですが、私がこの世界の、あなたが良く知る世界とは別の世界に存在し、次元という壁を越えて来ている事は事実です。あの店のマスターも私と同じように別世界の人間であり、あの店はファクターと呼ばれる物質で出来ている虚像です」
 夢物語としても受け入れられない事を彼は平然と言ってのけている。それが私を更に混乱させていた。
「ですが、虚像なら店に触れられる事はないんじゃないですか? 私は確かにお店のドアもカップも椅子も触る事ができました」
「先に物理的存在であると述べたのはそのためです。確かに虚像ではありますが、物質がある以上、見る事も触れる事も出来ます。しかし、ファクターという物質は、この世界には存在しないため、一定条件が重なったときのみその現象が確認出来ます」
「では、その条件というのは何ですか? 難しい条件なのでしょうか、それとも簡単なものですか?」
「難しいとも簡単ともいえます。要は視点の違いですから。私が次元を超えている事は、私にとってはそれほど難しいものではありませんが、あなたにとっては疑わずにはいられないほど困難な事象でしょう。私にとってファクターの存在も当たり前であるものですが、あなたには違う。それと同じ事です」
 それははぐらかしとも取れる答えであり、根拠を示されない限りは疑うしかないのではないか。根拠を出されたとしても、人は疑いを止めないだろう。それでも、私には彼が真実を語っているのだと思えた。直感と言うには、あまりにも脆弱なものだったが。
「私がこの話をあなたにするのは、あなたが他の方とは違う条件を持ってあの店を見つけられたのだと考えているからです」
「違う条件・・・ですか」
「ええ。それが何なのか、はっきりとはまだ分かりませんが」
 分からないと良いつつも、彼には明確な理由が存在しているようだ。しかし、ここで突っ込んで聞いたとしても私が理解し受け入れる事は難しい。だから、あえてそれ以上の事を知ろうとはしなかった。
「こんな話をすることそのものが、あなたに負担になることは分かっています。それでもあなたに話すのは私と共に、私の世界へ来て頂きたいと考えているからです」
 私に何故、これほど突拍子もない話を聞かせ、困惑しか感じ取れない中で話しを進めていくのか。彼ほど聡い人には珍しい。例え、彼が自分の幻覚や幻想に囚われていたとしてもあまりにも性急なやり口に、確かに私は戸惑い狼狽していた。
「・・・はっきりとした証拠がない限りは、今の話を信じる事は出来ません」
「そうですね。では、信じられるかどうか、試してみませんか?」
「試す、ですか?」
「そう。俺が言ってる事が信じるに値するか、君自身の目で確かめてみると良い」
 先ほどまでとは全く違う彼を凝視した。まるで着ぐるみを脱いだ時のような、唐突ながらも彼をより忠実に見せた姿を見せられたのだ。それは鮮烈な変化だった。初めて彼の目の中に強い意志を感じた瞬間でもあった。
 ほんの短い時だったのかもしれないけれど、私は随分と長い時間が過ぎたような錯覚に陥っていた。それこそ、次元が歪んだような感覚で。
「なんで急に・・・」
「今までの俺では君は信用出来ないと言った。全てを明かし、証拠を見せれば君は信用すると言う。ならば、信用に足るかを判断するため、俺に暫くの間付きあってもらいたい。そのためには時間をかける必要があるし、俺は演じたままではやりにくい。双方にとってお互いを知る良い機会にもなるのだから、偽り続ける必要も無いだろう」
 彼の突然の変化は自分がもたらしたものだと分かり、狐に包まれたような気分になる。証拠と言ったけれど、それほど深い考えがあって口にした言葉ではないから尚更。それに私はまだしり込みしてる。
「君が証拠を見たいというならうってつけの所がある。そろそろ終わる時間だろうから、戻って証拠を見せてあげよう」
 ゆっくりと彼は立ち上がって、私に手を伸ばした。こんな風にエスコートされるなんて初めての経験だ。ぎこちない私を立たせて元来た道を戻りながら、お互いに無言のままでいる。夜も深夜に近い時間帯になってきたせいか、余計に冷たく感じる風の中で月だけが変わらずに冷ややかな色をしていた。
 イルミネーションやジャックオーランタンなどの飾りつけがされている玄関の灯りは消え、パーティーは既に終焉に差し掛かっているようだった。明け方近くまでするのかと思っていた私は拍子抜けしたけれど、考えて見れば明日もお店は開くのだ。そんなに遅くまでやっているわけが無い。
 まだお客さんが残っているだろうからと裏口から入って二階に上がる。裏口も初めてなら、二階に上がるのも初めて。二階があるなんて思ってもみなかった。
 彼は勝手知ったるという風に、二階にある二つの部屋の内奥へ入って行き、慌てて私も中へ入る。
 簡素な、というのがぴったりにあう部屋には、椅子が二脚と不釣合いなローテーブル、大きな鏡はドアの向いに立てかけてあるだけだった。窓はあるけれど、隣の家との間が狭いせいか開ける事はそうそうないだろう。
 カーテンを閉めると、彼はマスターを呼びに下へと降りて行った。私は何をするでも無く部屋の中を見回す。全く変哲のない部屋なのは一見しただけで分かる。彼がここで何をするのか、私にはさっぱり分からない。
よっちゃんが心配してたとおりなのかな・・・
 怪しいと言う友の声がしてきそうだ。現状を考えたら、怪しいだけでは済まないのかもしれない。危機感が薄いと言われても仕方がない状況に苦笑いする。
 それでも、犯罪に巻き込まれるような匂いはしないのだからおかしい。過信と言われても私は自分の嗅覚を信じている。危険な、怪しい香りをかぎ分けるのは人一倍、敏感だと自負すらしているぐらいだ。よっちゃんも叔母も、誰も信じてはくれないけれど。
 かちゃりと戸が開いて、彼とマスターが入って来る。信じているような疑っているような、自分でも分からない気持ちを彼らは知っているのだろう。マスターと目が合うと、私は言いようのない感情を抑えるかのように深く息を吸った。

2008/12/12