◇時間旅行◇Act05


 着替えを済ませた面々が満足げにあれやこれやと騒いでいるのを見ながら、私は自分の格好のありえなさに溜息をついた。なんと、早坂さんが用意したのはかぼちゃでも魔女でもこうもりでも吸血鬼でもなかった。
「お・・・重いんですが・・・」
 肩から背中にかけてがっちりとのしかかってくる羽は機械じみてる。細い透明ワイヤーを幾重にも重ねてあるせいか、下に服を着ていなかったら蚯蚓腫れになっていてもおかしく無い重さだ。ワイヤーを平布で覆って当て布をしてあるから良いようなものだが、動くには不向きだろう。
「早は相変わらず、こういうの上手いね」
 感心したように羽先をつまんでいる赤尾さんは、美麗なドレス姿だ。髪をハーフアップにして毛先をゆるく巻き、赤の共布ベロアで作られたリボンに真珠のようなビーズがついていて、髪と一緒にゆるく巻かれた大人っぽい髪型にしている。
 ドレスは胸のすぐ下に切り替えがあり、ドレープがよったサイド、ジャストサイズのマーメイドラインが赤尾さんのスタイルを際立たせていて、本当に綺麗だ。もうどっかの女王様と言われても違和感は無いかもしれない!雰囲気がすごく庶民的だけど。
「こういうのも良いわね〜。早坂さんの見立てだから、お嬢様風にするのかと思っていたけどかっこ良いじゃない」
 叔母は崎谷さんときゃっきゃっと頷きあっている。その横でドラキュラ(たぶん)の格好をした向井さんが苦笑してる。こんな時はと情け無くも矢沢さんに助けを求めようとしたら、何故か顔を真っ赤にして反らされた。矢沢さん、ちゃんと相談して決めたらしいのに何でジャック・スケリントン に模したのかが私には分からない。
「こんな・・・こんなの・・・」
「良いじゃない、若いんだから!これくらいした方が子供たちも喜ぶわよ〜」
「そうそう、良かったじゃないの。こんな可愛い衣装作ってもらえて」
「まさかここまでハマるとは私も思ってませんでした」
 口々に好き勝手言ってるようだが、やるほうの身にもなって欲しい。早坂さんが大学時代の友達に頼んで溶接してもらったという鋼で出来た特性の羽は片方二枚ずつ。とんぼを思い出させるようなデザインの羽は肩で背負う形のもの。服はというと、緑がかった黒のトップスはベロア素材で豪華な印象だけど・・・
 首周りから肩までがざっくりと開いていて腕部分とがかろうじて繋がっている。それはまだ良い。セパレートされてはいるが同じ生地で作られたであろうパンツは丈こそくるぶしまであり長いものの、両脇が不自然に透けていた。
「なんで無駄に開いているんですか、これ・・・」
 黒のレースで透けさせた流線型が太もも脇からふくらはぎの下あたりまで、竜巻のように細くなりながら足を囲むように入っていた。ある意味、ショートパンツやミニスカートよりも恥ずかしい。そう、とっても恥ずかしい。居た堪れないとはこの事だ。
「本当はハーフパンツにしようかなと思ったんですけど、たまには大胆なのも良いと思って・・・ハロウィンじゃないと出来ない衣装をと言うリクエストですし。バンシーをイメージしているので本当は緑にグレイのマントなんですけど、でも“黒妖精”って感じにしたかったから、緑らしい緑は靴だけにしたんですよ」
 そう褒められて嬉しそうな早坂さんが、顔を強張らせている私にこと細かに説明してくれる。それだけで彼女の会心の作なのだと分かってしまって呆れたような笑みが洩れてしまった。
 バンシーは泣き声で死を予告すると言われている妖精の事らしく、ハロウィンを始めたケルト民族の間ではポピュラーなのだとか。ゲームでも時々出てくるらしいのだが、そちらは専門外だ。
「赤のカラコンをすればそれっぽくなるわよ」
 さすが叔母は社会担当しているだけあって、そこらへんの事情にも詳しい。エナメル素材で出来たエメラルドグリーンの靴だけが無彩色な中で目立っている。叔母は魔女の格好だけど、オズの魔法使いに出てくる西の魔女に似ている。崎谷さんは眷属のコウモリなのだとか。それぞれ凝った作りにはなっているものの、ハロウィンらしい格好だ。
「じゃあ、忘れたら困るから、当日までここに保管しときましょうか」
「あっ、プライベートでも使いたいから持って返っても良いですか?丁度、前の日に友達でハロウィンパーティーするんですよ」
 赤尾さんの一言で叔母と崎谷さん以外はそれぞれ持ち帰ることになった。もちろん、私も「SANKA」で着る事を伝えて。
 散々みんなにからかわれた後、重い荷物を抱えながら家路に着いた私は少しでも足に目線がいかないようごまかせるような上着を考える。コートだと脱がないと室内では不自然だし、腰に巻けるものが良いだろうとあれこれとひっぱりだすも、どうにもしっくりいかない。マントになりそうなものはなく、諦めることにした。よっちゃんに見せてと強請られない限りは少しの辛抱だと思い、小さな溜息をついて。
 明けて土曜日の午後、小さなバッグに化粧ポーチとメモ帳、携帯を詰めて大きな荷物と一緒に抱えながら家を出た。夕方の時刻を過ぎてから一層静けさを増したような空気が重い。土曜日という事もあって、もっと人通りが多いかと思っていたのに通行人もまばらにしか通らない。
 出かけに一応化粧はしたものの、衣装を着てから再度チェックすれば良いと思っておざなりな格好だった。まだ店にも着いていないというのに、もう私の心臓が落ち着かない。これではお店で着替えた瞬間に張り裂けてしまうんじゃないだろうか。
 しばらくして見えた「SANKA」はかぼちゃのランタンを間接照明にして、ドアには蔦がからまっていた。ハロウィンらしい装いになったお店を開けると、そこは既に異次元のような空間になっていた。
 いや、言い過ぎた。確かに喫茶店らしい雰囲気は残っているのだけれど、既に衣装に着替えた人がまばらにいたせいか、現実離れして見える。
「あなた、参加者?」
 声の主はきつめの吸血婦人の格好をした美人さんだった。夜着なんじゃないかというくらい薄い黒シフォンのエンパイアワンピースが良く似合っていて、ちらっと見える犬歯(偽物だろう)が似合っている。
「着替えるなら、この奥の突き当りを右に行ってドアを開けたら通路に出るから、そこを左。ドアにひみつのこべやって書かれてるプレートがある部屋がそうよ」
 美人さんはそういうとさっさと別のテーブルへ向かっていく。その姿を追うようにお礼を言った私は着替え室に向った。男性と女性とは場所が反対方向にあるらしい。女性専用の部屋に入ると、中はごったがえしていて色々なものが散乱している。
 黒とオレンジが主とした中に緑や赤などの色が乱れていて、目がチカチカするぐらいに派手な衣装もある。年齢層は私と同じぐらいの子もいれば妙齢の人もいて様々だ。どの人も本当に楽しそう。いつもは人が極端に少ない印象のある「SANKA」だけれど、こういったイベントは別なんだろうか。
 私が来た時間が遅かったせいか、着替え終わる頃にはほとんどの人がお店で好き好きに飲み物を手にしながら歓談を始めていた。恥ずかしいと思っていた衣装も、私以上に露出の多い人やおかしな格好の人がいたりして、塾で披露させられたときほどにひどく緊張するということもなかった。
うん、これなら大丈夫。
 ちょっとの我慢だと思いながら、店内をうろうろとする。マスターに挨拶に行きたいのだけれど見当たらない。そうこうしているうちに、私が一人でいるのが気になったのか常連客の一人が声をかけてくれた。お店に用意されているドリンクで咽喉を潤すと、目前にあったリゾットに食欲をそそられた。この時間に口にするのは気が引けたけど、あまりにも美味しそうだったから少しだけ。
「楽しまれているようですね」
 後ろから声がかかって振り向くと穏やかな笑みが向けられていた。
「はい。今日はお招き頂いてありがとうございます。いつもとは違う雰囲気なので緊張していたんですが・・・皆さん、良い方ばかりで楽しいです。お料理もすごく美味しいし」
 えへらと笑う私に満足げなマスターは目を細めながら、
「お誘いしたかいがありました。それにしても今日は素敵な衣装ですね。とても良くお似合いです」
「うっ・・・あ、ありがとうございます。叔母の知人が作ってくださって」
「ああ、オーダーメイドでしたか。あなたがデザインされたんですか?」
 さすがにそれはない!
「いえ、ハロウィンなんて久しぶりだったので叔母が協力してくれたんです。でも、まさかこうなるとは思ってなくて」
 わたわたと愚痴ともつかない言い訳をする私に、マスターがちょっと笑って言った。
「やっぱり。いや、普段のあなたが身につけておられるものと、だいぶ印象が違っていましたので。ですが、本当に良くお似合いですよ。あなたの叔母様もそのご友人の方も、きっとあなたの魅力を十分にご存知なのでしょう。私も客の一人でいられないのが残念です」
 マスターにじっと見られたことに顔を上げている事が出来ずに俯いてしまう。こういった褒め言葉には存外に弱いのだ。マスターをちらっと伺い見ると優しい笑顔のままで更に顔を上げづらくなってしまった。
「羽も凝っていますね、珍しい・・・」
 背にある羽に手を伸ばして、心底感心しているマスターに苦笑いしか返せない。意外と重いのでこの羽じゃ飛ぶどころか軽やかな身動きも出来ないんですよ、と胸の中で一人ごちてみる。
「ああ、そういえば。今日は彼もいらっしゃっていますよ」
「えっ!」
 ぱっと顔を上げて思わず周りを見渡してしまった。
 くすくすとマスターに笑われて、子供じみた自分が気恥ずかしい。彼を最後に見て以来、今日まで「SANKA」には近づかなかったから初耳だ。張り詰めた顔の彼が気になったものの、ハロウィンの事で頭がすぐにいっぱいになってしまった私は、彼もここの常連(しかも私なんかよりもずっと長い)だったことを頭からすっかり抜かしていた。
「ほら、あそこの壁の影に・・・分かりますか?飲み物を手にしたばかりのようですから、もうしばらくはいるでしょう」
 にこりと笑まれれば挨拶に行ったほうが良いような気がした。それでも、私はどこか別の空間に浮遊しているような視界に慣れなくて、戸惑っていて、彼の周りに集まる人々を押しのけて話し掛ける勇気はなかった。
 こっそり溜息をつきそうになったのは、彼と私とにある決定的な距離を初めて実感したせいかもしれない。彼が実在の人物だという意識が薄かった私は、彼と言葉を交わした後も御伽噺の中に紛れ込んでいたような、どこか彼を遠くにおいていたのだ。
なんて事!
 そこまで考えて愕然とした。彼を本当の意味で認めていなかった。今までどれほど苦手な相手がいたとしても、ここまで失礼だった自分はいない。
 うろうろと視線を落としたままさまよわせて、どうしようもないほどの居心地悪さで身の置き場が無くなる。
「ああ、気づかれたようですね。私は仕事に戻るとしましょうか」
 声だけでマスターがからかいに笑んでいるのが分かるが、それに構うことも何に気が着いたのかを聞く事も出来なかった。
 私はそっとマスターが離れていくのを足元で確認しながら、彼と会わないうちにドアへ足を向けようとした。
「久しぶりですね」
 清涼というよりも冷気に近い声に思わず足を止めてしまう。振り返る前に分かる声の主に、ぎくりと肩を強張らせた。悪い事をせずとも、心で思うだけで人は挙動不審になるものかもしれない。正に私がそうだから。
「お・・・久しぶりです」
 搾り出すような声はきちんと彼に届いただろうか。ふらふらとする頭は、それでもちゃんと彼を捉えて映像として私の脳に焼き付け、次の言葉を届けてくれた。
「もう何か飲まれましたか?今日は特別に用意したカクテルがあるそうです」
「あの、まだ来たばかりなので」
「そうですか。それは良かった」
 ゆるく細められた目が私の服の上を滑った気がした。自意識過剰と思うなら笑って欲しい。今日からはこんな格好になっても、人の視線を容易く受け止める事が出来る人を心から尊敬しようと無駄な決意をしたばかりなのだから。
「カクテルなので私には甘すぎましたが、あなたには丁度良いでしょうから」
 今日の為の臨時バイトだろう店員を呼び、私へ朱に近いオレンジ色に染まったグラスを差し出しながら、
「今日はまた可愛らしい格好ですね。彼があなたの羽が良く出来ていると言ってましたが、機械のようなのに本物の羽みたいに飛べそうに見えます」
 本当にそう思っているようで、マスターよろしくつぎはぎの羽に手を伸ばしている。
「結構重いんです、これ。自分では思うように動かせませんし、動かせたとしてもこれだけ重かったら飛べないですよ、きっと。でも飛べたら楽しそうですよね」
 ぎこちなくも空への憧れを滲ませた私に、彼の片眉がすっと動く。その慣れた仕草が作り物めいて見えて私は重症さを知った。全くどうしたって自分と同じ生き物と認識できていない。
「楽しそうですか?」
「ええ。自由な感じがするじゃないですか、どこにでも行けそうな。飛べるのって羨ましいです。そう思いません?」
「ええ・・・そうですね。自由に感じるというのは同感です。飛んでいる姿を見ると大変そうですが」
「大変そう、ですか」
 ついぞそんな風に考えた事がなかったから、彼の言葉に首を傾げてしまう。
「羽ばたかせるのも、羽を広げたまま維持するのも意識していなければ出来ないでしょう。それを本能で行っているとはいえ、それを考えると常に気を張って飛んでいるように思えて大変そうに見えますね」
 彼はそう言うと私から視線をそらし目を眇めた。


2008/12/03