炎色反応 第五章・8
白と黒と茶しか色のない林の中、目立ちすぎるほど目立つ赤。
ヴィントレッドという名の火の魔法使いは、ティスのすぐ後ろに立っていた。
さっきまでそこには確かに誰もいなかった、そのはずなのに。
「ティスというんだったな。オルバンのおもちゃ。行く先々で違う男に抱かれてよがる淫乱だと聞いているが、とてもそうは見えない」
「な、な……」
訳が分からずうめくような声しか出せないティスを、赤い瞳が面白そうに見つめている。
ヴィントレッドの言い口はある種オルバンに似ていた。
歯に衣着せない物言いに、ティスはさっきのザザのようにどもってしまう。
戸惑うばかりのティスを見てヴィントレッドは更ににやにやする。
その笑い方もどこか、オルバンに似ていた。
表情は笑っているのに、目だけがなぜか妙に冷静なのだ。
火の魔法使いというのは大体こういう感じなのかもしれないが、余裕の中に秘められた底冷えするような恐怖にぞっとしてしまう。
「何も知らないっていうその顔がいい。ぶち込んで、ぶっかけて、めちゃくちゃにしてやりたくなる」
一歩、ヴィントレッドが近付いて来る。
ティスは悲鳴を堪え、数歩下がって必死に尋ねた。
「あなた、たちは……グラウスという魔法使いの、部下………?」
「部下っていうのはちょっと違うな。協力者、そう言って欲しいね。ザザは信奉者の方がいいかもしれないが」
笑う男の手が不意に伸び、ティスの上着に触れる。
あっと声を上げた瞬間、びりびりと派手な音を立てて服が裂かれた。
胸元と脇腹に空気が流れ込む。
あっという間に上着の全面をはぎ取られてしまい、薄い胸板が露にされた。
一般的な旅人が着る、厚手の布地がいともたやすく裂かれた。
魔法など使った様子はない。
硬い筋の束で出来たような彼の腕を見れば、純粋な筋力だけでそれを行ったことははっきり分かった。
動けないティスの胸元を見つめ、ヴィントレッドは満足そうに瞳を細める。
「さすがに胸はないな。でもきれいな色の、うまそうな乳首だ。好きなんだろう、後でたっぷり吸ってやる」
分厚い舌がべろりと己の上唇を舐めた。
舌舐めずりする獣の笑みは、隠し立てのない欲望に濡れぎらぎらと輝いている。
「いやっ……!」
無我夢中でその腕を振り払い、ティスはぱっと後ろを向く。
肉食動物に襲いかかられた草食獣さながらの、原始的な恐怖に怯えて駆け出したその背にヴィントレッドの高らかな笑い声が響いた。
「逃げろ逃げろ。さあ、楽しい兎狩りの始まりだ!」
陰りのない、心から楽しそうな声だった。
それだけにティスの恐怖は増し、背筋を冷たい汗が這い降りる。
一体ここはどこだ。
オルバンはどこだ。
逃げながら辺りを見回してみても、行けども行けども似たような林が続くばかり。
そもそも自分は方向音痴なのだと思い出し、ティスは唇を噛み締める。
闇雲に走り回ってもオルバンと合流など出来そうにない。
そう思うと走ることにも迷いが生じ、彼は枯れた下草の中で立ち止まってしまった。
だがそのズボンの足首が、何の前触れもなくびりびりと引き裂かれた。
「うわあ!」
上ずった声を上げ飛び退るティスの足元に火がつく。
下草が燃え上がり、たちまち漂い始めた焼けた草の匂いにティスは必死になってまた走り出した。
「そうだ、逃げろ逃げろ。兎は元気が良くなくちゃなあ」
姿は見えないのに、ひどく近くから聞こえて来たヴィントレッドの声にティスは危うく叫び声を上げそうになった。
これも魔法か。
でも、どうやって。
分からない。
姿も見えない。
火の魔法を使ったのなら、光や熱が生じそうなものなのに。
「オルバン様…!」
主人の名を呼びながら、ティスは隠れる場所を求めて林の中を駆ける。
走り疲れて足を止めるたび、服のどこかが裂かれた。
時には髪が一房切られるようなこともあり、細い金の糸が無残に宙に振りまかれる。
ティスは半泣きの状態で荒い呼吸を整えては、また懸命に走り出すのだった。
「ひっ……う、う、もう、だめっ…」
顔は青ざめ、目尻には涙が浮かび、膝ががくがくしてうまく走れない。
←7へ 9へ→
←topへ