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闇夜迎夜

9_180氏

──ユーリがレオナルトの元を離れて2ヶ月
貴族達の間でファルコーネ女子爵の身を案じた噂が立っていった。

──あの、華やかな女子爵がどんなに招待しても一向に姿を見せない。
それどころか、此処しばらく貴族の嗜みである夜会や舞踏会も開かない。
何処の出だかは分からないが艶やかで華があり、現れると必ずと言って良いほど注目された美貌の女子
爵の姿を見た者がいない──どうやら屋敷に閉じこもっているらしい。

その原因は、病に伏しただの
顔に酷い傷を負って屋敷から出なくなっただの
懐妊したのだの
実しやかに噂されていたが、誰も核心を突いた憶測を言う者はいなかった……。


女子爵はその肌に溶けるような薄い色素の金髪を無造作に下ろし、薄手のガウンを羽織り溜息を付く。
もう、今日は何回目の溜息なのか……彼女本人も覚えていない。
ワインをグラスに注ぎ、背もたれ椅子に座りまた溜息……。

(こんなはずじゃなかった……)

額を抱え込むように手を覆い、2ヶ月前のグレゴリー伯の夜会での、ユーリとの会話を回想する。

『私の香りを……?』
『ああ、そうさ。腕の良い調香師を知ってる。
あんたの匂いを嗅いでもらえばすぐにどの香薬を使っているか分かる……それだけ優秀な調香師だよ』
『でも……私の香りの香水なんて……危険だよ……』
 ためらい、俯いてガルデーニアから視線を逸らすユーリに
『危険かどうかは、香水が完成したら分かるだろう? その時考えれば良い。
売れたら勿論分け前は折半だ』
 話を進める。
『……無理だよ……ガルデーニアさんは、知らないからそう言えるん。
この香りは人の内側の欲求を引き出すんだって……あにさんがそう言ってた……。
理性なんか飛んじゃうって……』
『──そのあにさんを楽させたいと思わないのかい?』
 ぴくりと反応し、潤んだ瞳でガルデーニアを見つめた。


 ──この子のアキレス腱はあの医師だと充分承知だった。
 あの男を盾にして話を進めるのが一番手っとり早い。

『……随分あちこちを巡っているようじゃないか。
色々、あにさんに面倒かけているんじゃないのかい?』
『……』
『移動するには特に金が必要になる。工面するのも一苦労だっただろう?
香水ができて売れたら定期的に収入が入るし、何より香水が出回って女達が付けることで、あ
んたの香りに引き寄せられてる男が減る──珍しくも何ともなくなるから、女として普通に大
手を振って歩けるようになるし、あちこちに移動することもなくなる。
好きな国に落ち着けるようになるんだよ』
『そんな……上手く行きっこない……』
『あにさんに楽して貰いたくないのかい?
散々面倒かけたんだろ? 何か一つくらい恩返ししなくちゃ、今は良いが追い詰められたら
きっとあんたを放り投げる日が来るよ──それで良いんだね?』

 嫌な言い方だが、この子には効果抜群だった。


『……本当にあにさんが楽になるん? 香水、上手くいくん?』
 涙で揺れる黒曜石色の瞳をガルデーニアに向け、切なげに問うユーリを見て微笑み頷いた。


 あの後、ユーリを探しにきた医師と交渉して、細かく内容を話す前に決裂した。
 香水の件はその場を取り繕うための儲け話ではない。
 男ばかりではなくを女をも虜にするあの香り……上手くすれば商売になるだろうと、
ユーリに話を持ちかけたのも本心だが
 今、国王が欲している『桃娘』を献上すれば、自分の株は上がり、覚えめでたく王宮で好き
に振る舞える。
 あの医師だって元々そのつもりであの娘を連れてきたはず。
 一緒にいるうちに情が移ったのだろが、顕栄の機会をみすみす捨てるなんて……。
(私はそんなへまはしない)
 同姓同士の見る目の方が厳し上に冷たいし、あの子の虜にならない自信もあった。
 ──ガルデーニアにはユーリは立身出世の道具にしか見ていなかった。

 ユーリを手元に置いて王宮に連れていっても恥ずかしくない淑女に養育しなければならない。
 その為には、協力を拒んだあの医師は邪魔だった。
 長くユーリの側にいて、『桃娘』の体の隅々まで知り尽くしているあの男の助言が得られないのは
 厳しいと思ったが、他の医師を雇えば何とかなるとふんだ。

 香水を作り、完成するまでの間にユーリを淑女に育て上げ
 その上で国王に献上する──それが、ガルデーニアの計画だった。

 騙されたことが分かり、最初激しく抵抗し、泣きわめき、食事も取らなかったユーリだが
暫く日にちが立つと諦めたのか、大人しく教育を受けるようになった。
(王宮に召されれば、あの程度の男など幾らでもいる。
 しかも、いつも豪華な衣装に宝石、繊細かつ優雅な調度品に囲まれ周りに傅かれた生活が送れるんだ。
  これで良かったと思う日が来るだろうよ)
 そう安易に考えていた……。


 ──そう、安易に考えすぎていた──

 ワインを一口飲み、ゆっくりと喉元を通ると深く濃厚な風味が伝わるが、最高級のワインなのに
ちっとも美味しいと感じない。
 また、溜息を付く。

「……無理だ……このままじゃあ、あの子が淑女になる前にこの屋敷内が破滅してしまう……」
 ワインが入ったグラスを卓に置いてまた頭を抱える。

 ──あの桃娘を放り投げたい。
 でも……手放せない。
 すぐ人に騙されるような、世間知らずのあの子を放り出せない。
 何より
 ──私はあの娘の虜になっている……?
 あの子の体臭に?
 気質に?



 「──もう、きついのではないかね?」


 「!?」

 自分以外誰もいないはずの寝室の窓際から声がし、ぎょっとして顔を上げる。
 満月の明かりのみの寝室に照らされた男の人影。
 まるで最初からそこにいたかのように、浅い窓の桟に腰掛け、頭を抱えていた女子爵に話しかけた。
 女子爵から見れば逆光な為、眉を寄せ食い入るようにその不法侵入の男の顔を見る。
 襟高のマントを羽織り、黒みがかった金髪は乱れぬよう整髪材で後ろに流し長い襟足は紐で縛っている。
 目元には、鼻先まで隠れるマスク。
 そして、聞き覚えのある低く通る甘い声……。

「2ヶ月……随分もったな。余程、手放すのは惜しかった?」
 レオナルトはまるで労るかのようにガルデーニアに話しかける。
「……ふん、私の真似事かい?
 桃娘を取られて余程暇なんだね」
「──まさか、こちらは私の裏家業でね。ま、同業者同士よろしく」
 レオナルトはわざとらしく同業者のガルデーニアにお辞儀をした。

 ガルデーニアは壁まで後退すると、掛けてあるレイピアを手に取った。
「良い度胸じゃないか、国外追放の身でのこのこやって来て、金目の物を物色かい?」
 ただの医師ではないと思っていたが……と、剣の先をレオナルトに突きつけながら近寄る。
「通行手形は私が医師として国に入るのに必要なだけでしてね。
 夜這いするのに国境は必要ですかな?」
「夜ば……」
 ガルデーニアは絶句し、頬を染めた。


「──ああ、ご心配なく。 夜這いの相手は貴女ではありません」
「──では、ユーリだね!」
 勘違いに更に顔を赤くし、剣を片手にレオナルトに飛びかかった。
「──おっと! 気性の激しいお姉さまだ」
 ガルデーニアの剣さばきを身軽にかわし、揚々のない口調で話しかける。

(この男……身が軽い)
 自信過剰かも知れないが、レイピアの剣捌きには腕に覚えがある。それなのに、掠りもしない。

 あれだけ背丈があって筋力も程良く付いている体格で
 軽業師のような身軽さで、不敵な笑みを浮かべながらじりじりとガルデーニアとの距離を縮めてくる。
(何なんだ、この男!)

 焦りが剣筋を狂わした。
「荒い剣さばきで……」
 そう言うと、レオナルトは素早くガルデーニアの横に付き、剣を叩き落とした。
「未熟な腕で助かりましたよ。
 私は剣は扱えないので……もっぱらこっちなものでね」
 そう言うと、ナイフをガルデーニアの首筋に当てた。
「……くっ…」
 激情して、猛々しい眼光を投げつけるガルデーニアを、そのままゆっくりと椅子に座らせた。

 そして
「扉の外で合図を待って待機している護衛の者を、下がらせてもらえませんか?」
 と、告ぐ。
 お下がり!と荒々しく扉越しに声を上げると、幾人かの足音が聞こえ、小さくなりやがて消えていった。


「──しかし、主が危機に晒されているのが分からないとは……護衛の者を代えたほうが宜
しいのでは?」
 呆れた様子で話すレオナルトに
「……いつまで女性に刃物突きつけている気かい?」
 ガルデーニアの不満にこれはすみませんと、レオナルトはマントを翻し、ナイフをしまう。
 腰に、ナイフの他、鞭を装備しているのが見えた。
「……楽しそうな趣味だね……」
 それを見て怪訝な表情し、レオナルトを見る。
 鞭を見ての感想だと気づいたレオナルトは
「調教も得意でしてね。 ──して欲しいですか?」
 と、微笑まれ、冗談じゃない! とガルデーニアは頭を振った。

「確かに、冗談はこの辺までにしときましょう……。
 ユーリを返して貰いに来ました」
 上から威嚇するように覗くレオナルトを上目遣いで見つめた。
 先ほどの人をからかうような笑みが消え、無表情な顔を見せる医師だが、自分を見つめるその視線は、
 日の当たらない深海の底を想像する程に冷たい。
 自分の美貌と磨き抜いた身体で、男から熱を帯びた瞳でしか見つめられたことがないガルデーニアに
とって、充分酷く自信を失い傷つく視線だった。

(そんなにあの子が良いのか……)
 ガラガラと自尊心が崩れるのを感じながらも
 また、一方で保護欲を駆り立てる、あの子なら仕方ないと感じる。
「……勝手におしよ……」
 絞り出すように応える。
「……あの子のせいでこの屋敷は滅茶苦茶なんだ。さっさと連れていってくれ……」
 苦痛の表情を見せ、吐き捨てるように呟くガルデーニアを見てレオナルトは数歩下がり、火のくべ
ていない暖炉に寄りかかる。
 エダナムの気候は温暖なせいか、あまり使われていないようでヒンヤリとした石の感触が背に伝わる。
「かなり堪えているようで……でも、理解していただけたのでは?」

 レオナルトの問いにゆっくり頷くと、また、溜息を付き今まで起きたことを話始めた。


「……一番最初に狂ったのは調合師だった……あの職業の者は鼻が通常の者より相当敏感だろう?
いきなりあの子──ユーリに抱きつき押し倒したんだ。 周囲に人がいるのにも構わずに、猛獣の様に
服を引き裂いて……。
慌ててユーリから離そうとしたが、すごい力で抵抗して大の男が数人掛かりで押さえこんだ……。
……その時の調合師の様子は普通じゃなかった。
目が爛々と見開き、血走って、仕舞には泡まで吹いて何とかユーリに近づこうと押さえられながらも
暴れて……。
──後からユーリに聞いたよ……。
ただ、体臭に酔うだけの者と、体臭に性欲が刺激され渇望感が身体を支配し、欲求を解消するまで猛獣の
ようになる者がいると……」
「──ユーリの体臭は東方の老医師が『桃娘』の為に特別に調合した香りでね……。
性欲を刺激させるのが目的なのだが、個々の体臭が交じり微妙に香りが違うし、その体臭に刺激され
る者達も様々だ。
──ユーリの体臭が調合師の性欲を促すのに、適したんでしょう……。
その後、その調合師はどうなりました?」
「……ユーリに尋ねて、娼婦をあてがったよ……。
事が終わった後、かなりおびえた様子で、『いくら金を積まれても、もうごめんだ』と逃げるように
帰っていった。
……あんたに聞きたい。あんたもユーリの体臭に刺激される者なんだろ?」

 頷くレオナルト。
「──何故、あんたは普通に生活を送れる?
何故、ユーリの側にいてまともにいられるんだ?
……その調合師の件が事の発端だった。 そこまで体臭に魅せられ狂うのは、そうそういないとユーリ
から聞いた。
──だけど! 今はどうだ?
この屋敷内に住んで仕えている者達、サロンの男達、皆が皆、夢心地な表情でユーリに服事してい
る──この館の主人の私を差し置いて!!」


 飛びかかるようにレオナルトに声を荒げ、怒鳴るガルデーニアのその様子は、
口調とは裏腹に憔悴しきり、戸惑いと恐怖で顔が悲痛で歪んでいた。
 まさか、ユーリが──あの無垢で世間知らずと言っていい──その身体付きも、その作る表情も
あどけないあの桃娘が──私の屋敷を人ごと掌握するなんて……。

「ユーリが、あの子が……そんな事できるなんて思っていなかった……。
───!?  まさか!!」
 ガルデーニアは真っ直ぐにレオナルトに身体を向けて睨みつける。
「……あんた…ユーリに何か入れ知恵したね……」
「何も」
 肩を竦めて飄々と答えるレオナルトに詰め寄りガルデーニアは責を切ったように喋りだす。
「誰にも──この私にも気付かれずに、屋敷の私の部屋まで潜り込めるんだ。
以前から潜り込んで、ユーリに接触し、何か入れ知恵を付ける事位できるだろう!」
 たった今理解できた。
 途中から大人しく教育を受け始めた理由が、この男と会えたからなのだ──と。

「──まあ、前から忍び込んでユーリと会っていたのは認めますが……
皆、ユーリに服事するようになった環境は、貴女が作ったのですよ」


「──おかしな事を!」
 まあ、落ち着きなさいとガルデーニアを再び椅子に座らせる。
「あの体臭の人に対する作用についてはまだまだ研究中ですが、恐らくその時、ユーリに対してどう
いう感情を抱いているのか、その時抱いている心理が極端に作用するのではないかと思っています」
「心理……?」
「多分貴女は、屋敷で働く者やサロンの若者達に、ユーリを大切に扱うように、自分と同じように従い
なさいと──そんな風に話したのではないですか?」
「当たり前だ……宮廷作法を身に付けさせ、ある程度髪が伸びたら国王に献上する計画だったのだから。
──下々の追従に慣れなくてはならないし、卑賤の出に近いユーリを見下し、侮辱されてはユーリ自
身が卑屈になり、教育に身が入らなくなる可能性がある」
「主人である貴女の意向に従った屋敷の者達は、主人の指図に従い、ユーリを丁重に扱った。
自分を見失う体臭を嗅ぎながら……。
次第に極端にユーリを丁重に扱い、仕舞には……主人交代です」


「……ああ」
 ガルデーニアは短く唸るような声を上げ両手で顔を覆う。
「ユーリに襲いかかってきた男達は、端っから性欲の対象で見ていた。
体臭が理性を完全に失わせて極端に走らせて襲いかかった──そんな風でしょうな。」
「……何故、私とあんたはそうならない?」


 私ですか?
 と、逆にガルデーニアに問うように返す。
 しばし沈黙があり、それから思い切ったのか真っ直ぐに彼女の瞳を見て答えた。

「……ユーリを愛しているからです。
桃娘としてではなく、欲望の対象でもなく、道具でもない。一人の女性として」

「──。」
 瞳を大きき見開き、ガルデーニアはじっとレオナルトを見た。
 口には出さないでいるが信じられないと、言いたげに。

 ガルデーニアのその視線に、彼は柄にもない恥ずかしさに髪をくしゃくしゃと掻き分けながら
こう付け加えた。
「私もなりますよ、たまには。 かなり自制が必要な場面も多々あります。
貴女の場合は、ユーリを金と出世の道具として思っていたのでは? 道具が香っても手持ちの洒落た
調度品位にか思わないでしょう?」

「そう……そうだ、そうだな……」
 ユーリに狂わない自分の理由に納得したのか
 いつも側にいるレオナルトが理性を保てる理由に納得したのか
 どちらともに取れる返事だった。


 ガルデーニアはその豊かな胸を弾ませ、大きく息を吸い吐き出す。
「養育の無駄だったな……この二ヶ月間、結構投資したのだぞ」
 片眉を上げて困ったように笑う彼女に、レオナルトはズボンのポケットから小さく切り取った洋皮紙
をちらつかせた。
 不思議そうにその洋皮紙を眺める彼女に一言
「東方の老医師から失敬した、ユーリの体臭に使われた香りの成分表です」
 告げるや否や
 ガルデーニアは飛び跳ねるように椅子から立ち上がり、摘んでいる洋皮紙めがけて手を伸ばしてきた。

 ──おっと、と、レオナルトは素早くその伸びやかな腕をかわす。
「交換です……私を無実の罪に陥れ、国外追放させましたよね?
経歴に傷が付くとこれから大変動きにくいのです──訂正しに行ってください。
国外追放の取り下げも、です」

 分かった約束する、と、にべもなく頷き、ガルデーニアはレオナルトから成分表を受け取る。
 じっと成分表見積めているガルデーニアにレオナルトは
「いくつかは東方でしか手に入らない物もあります。
まあ、その通りに作ったら危険ですから一つや二つ抜けている方が宜しいでしょう──では、お約
束を遵守願いますよ」

 そう言うと、レオナルトは来た時と同じようにテラスの窓から部屋を出た。


 ユーリのいる部屋は分かっている。
 迷うことなく窓を開けた。
 寝台で横になっていたユーリが、恐る恐る天幕を開ける。
 それがレオナルトだと分かると
「あにさん!」
 と、飛び跳ねるように彼の広い胸に飛び込む。
 ユーリは、少女らしくフリルがふんだんに付いた夜着を着ていて
 Aラインの形が愛らしさを更に浮き立たせていた。
 肩に掛かるか掛からないかまで伸びた、艶やかな黒髪をレオナルトは愛しげに撫で、抱きしめる。

「バルバラさんと話がついたんね?」
「──バルバラ?  誰だ?」
「ガルデーニアさんの本名。」
 ──ああ、そうか、あれは美称だったなと、ふーんと大して興味も無いように呟くレオナルト。

 羽織っているマントがたっぷりと生地をとっている代物なせいか、ユーリを抱きしめるとすっぽりと
 隠れてしまう。
 ユーリは賢明に顔だけ出して、愛しい相手──レオナルトを見つめた。
「あにさん、マスクは取らないの?」
「ここから出るときは取らないとな。
やんごとないお姫様を誘拐する怪盗に間違えられてしまう」

 すっと、ユーリの両の腕がレオナルトの後頭部に伸び、マスクの紐を解く。
 髪と同じ色の凛々しく整った眉と、通った鼻筋が、さらけ出された。
「……んっ……」
 顔が近くなり、レオナルトは当たり前のようにユーリに軽い口づけを繰り返した。
 ユーリは口付けの嵐を受けながら、ささっとマスクを畳むと、顔をマントの中に埋め、
 レオナルトのズボンのポケットにしまう。
 終わると、またひょいと顔を出し微笑むと、じゃれるように胸元に顔をすり寄せた。


「……さて、女子爵殿の気が変わらぬうちに退散しましょうか。
私の『桃娘』様」
 そう言い、ユーリを抱き上げた。
 ユーリは落ちないように、レオナルトの首に手を回す。

「ここのお屋敷の人達……平気かな?」
「ユーリがここを立ち去れば、じきに正気に戻るさ」
「……人を狂わすこんな香り……消えればいいのに……」

 レオナルトを掴む手に力が入った。
 一番嫌がって悲しんでいるのは、強制でこの香りを付けられたユーリだと言うことは
レオナルトは一番よく知っている。

 しかも、その香り付けは自分も関わった。

「……何とかしよう……必ず」
 人体実験のような施術
 金儲けを前提にしていた自分が、
 医師としての興味が、
 人権の尊厳を無視して協力してしまった。
 自分の罪を償うためにも、ユーリの香りと向き合わないといけない。
 何より、体臭のことで、ユーリの悲しい顔を見るのは辛い……。
 自分の首筋に顔を寄せるユーリの頬に、自分の頬を寄せそう誓った。



 屋敷の外に待機させてあった馬車に乗り込む。
 暗闇の中、カンテラ一つ付け、見えずらい真夜中の街中を気を付けながら走るその様子は
見えない将来に、手探りで歩く自分とユーリを連想させた。

 ───決心はした。
 ユーリに関するもの全て、後悔はしないと。

 贅沢なんかしなくて良い
 人から誉れるようなことはなくて良い
 ユーリと二人、穏やかに過ごせたらそれで良い。

 それで良い───反面、そう言う風に生きていけないだろうと
 今までの経験から感じている……。

 破滅か栄華か───

 しかし、決めたのだ
 ―ユーリに、桃娘に愛してると告げた時から、迷わないと───

                                 


                                       闇夜迎夜 終わり


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