「――もう、目の前で人が死ぬのは耐えられねェ。…だから、助けた」

 ずっと私を捕えて放さなかった瞳が、悲しげに歪んだ。そして彼は俯く。そう言えば親父さんが言ってたな、この人は身寄りがいないって。 「アイツァ過去に何かあったにちげェねェ」って、言ってたな。もしかして、この人が過去に体験した出来事って、
「親を、亡くしたんですか」
 黒い瞳で睨まれた。濁りのない透き通った瞳。今の日本に、こんな綺麗な瞳をしてる人なんていないんだろう。みんな濁ってんだ。濁ってるから何も見えないんだ。大切なものも何も、何もかも。見たいものだけを見て来た。見なくてもいいものや、見たら自身が傷付くものから目を逸らして生きて来た。真っ向勝負を避けて、影に忍ぶように、逃げるように、そして私は小さくなった。なにもしらない、しらないのよ。知らなくても生きていけることは覚えない。ルール、常識、マナー、決まり事、約束を知っていれば生きていける。そんな曖昧な境界線。
 私は、私は、この人の痛みは分からない。
「…お前には関係ない」
「―――あんだけ私に言っておいて、それは…」
「うるせェな!だったらテメェに言って分かんのかよ、あ!?知らねェだろ、見たことねェんだろ!目の前で人を殺される瞬間ってのを、血がどんだけ出んのか、その恐怖を!分かんねェだろ!?助けたいのに動けなかった、俺は何もできなかった…!テメェ、分かんねェんだろ!?」
 胸倉を掴まれるような勢いで、彼はそう吐き出した。そう、私には理解できなかった。血なんて自分以外のものは殆ど目にしたことがなくて、自分のものだって掠り傷や切り傷ばっかりだし、人が死ぬ瞬間で出食わしたこともない。葬式で血の気の引いた真っ白の顔を見た程度であって、殺される瞬間なんてまして目にできる方が少ない。私には、分からない。分からなかった。彼のその怒りに満ちた形相も、そしてそんな顔を本当にするにんげんがいることを、私は今日、初めて知ったにすぎないのだ。
「…―――悪い、怒鳴って」
「あ…別に、大丈夫」
「…――だから、お前は死なせられなかったんだよ」
 私から顔を背けて、彼は俯いてまた筆を取った。
「お前だけじゃない。もう、誰も死んで欲しくない」
「………」
「守るなんて大それたことはできねェけど、少なくとも、俺の知ってる奴や周りにいる奴らは、死なせたくねェ。通行人でも、俺の目の前にいる奴らは死なせねェ」
 死んだら、どうなるのかな。成仏するのかな。幽霊になるのかな。天国ってあるのかな。地獄ってあるのかな。空に昇って行くのかな。そのまま消えて無くなるのかな。神様っているのかな。閻魔大王っているのかな。みんなどこへ行くんだろう。魂ってなんだろう。自分ってなんだろう。死んだら私はどうなるんだろう。灰になるんだろうけど、命はどうなるのかな。無ってなんだろう。そこで消えるのかな。魂だけで生きるのかな。守護霊になって、誰かの傍にいて、時々心霊写真なんかに写っちゃったりするんだろうか。
 でも、人が死んだらもう自分の名前も呼んで貰えなくなって、私の姿をその目に宿すこともなく、触れて貰えない、私の声が届かない。とどかない。あなたの笑顔が見れない。そのままうごかない。もう二度とうごかない。
 怖いよな。怖いよね。どんな気持ちなのかな。分からない。
 
運命のうた 陸