「こんなこと、生まれて初めてだ」
ザックはそう言って爪を噛んだ。本を持つ手に力が入ってページが破れそうだった。ザックは悔しそうに顔を歪めている。俺は何よりもその事実から受けたショックが強すぎて、動くことも言葉を発することもままならなかった。
「所在が不明なのは明かしたくないからなのか?」
「多分な。ただ、性別が」
ザックは小さく舌打ちする。俺は徐に立ち上がってザックに背を向けた。何かに裏切られたような気分。腹の底がもやもやしていてキリキリと痛む。腹の底か、いや、胃か?俺はその鈍い痛みに顔を歪ませた。
「ここまで分かったのに…」
「あいつは女なんだろ?」
「そうだ」
ザックも立ち上がり、俺の傍まで来ると肩に手をやって言った。真剣な眼差しでどこか遠くを見ている。その先にはちゃんと見据えられていた。
「俺も最善を尽くしてみるつもりだ。知人にもっと詳しい名簿がないか聞いてみる」
「本当か?」
「ああ、見つかればの話だけど」
「すまない、いつも迷惑をかけて」
「男に礼を言われたかないさ」
俺の肩に置いた手を離してドアの方へザックは歩いて行った。そして振り向かずに俺に言う。
「でも名前の感じだとイーストの可能性が高い」
「確かにな」
「家の家計図でも見てみるか」
「家?」
「いつか話すよ」
そう言ってザックは書斎を後にした。俺は暫く、その場に佇んでいた。
「メイ様、ディナーの後片付けは終わりましたか?」
長机にかかっていたシーツを布巾で拭いていたメイは、兄のバッドの声を聞いて顔を上げた。その顔には安心感の欠片も窺えない。
「あ、あの、バッド兄さん。すいません、あと、もう少しで終わりますので」
「そうですか、他の者は皆部屋へ帰しました。メイ様もそろそろお部屋の方に」
「ありがとうございます。これが終わったら部屋の方に行きます」
「しかし…」
「バッド兄さんは先に戻っていてください。あとは私が引き受けますから」
バッドに体を向け微笑んだ。バッドはそんなメイの微笑みに、何かになぞらえたような作り笑いで答えて螺旋階段を上って行った。メイはバッドを見送ると、胸ポケットに手を入れ、一枚の写真を手にする。黒髪黒目の少年が写っていた。
「悠夜様、今も、私のことを想っていてくれていますか?」
メイは写真を見て寂しそうに笑い、口付けをした。そしてステンドグラスで飾った窓から外を見る。この空を見てくれていますか?そう疑問を口にしながら。