four
私が教室に着いて鞄を片付けた途端に聞こえて来た。
「二年B組、熊川卓也がチェックメイトされたぞ!」
驚いて廊下を見ると二年の先輩がバタバタと走り去って行った。何回遭っても全然慣れない誰かがチェックメイトされた日のこと。身が真っ二つにされるような感じがする。またか、なんて人事のように言うのは到底できない。そして一番嫌いなのは放送が入った時。
『BTからお知らせ。カフェに集合』
一瞬心臓が止まりそうになる。近くのスピーカーからはっきりと聞こえてきた。カフェに集合と言う言葉、BTの鷲見瞬の言葉、その後に続く御厨博喜のふざけたような声。どうせそれを隣で聞いている名護龍助に、面白そうに笑っているがいるんだ。
そう思うとここから逃げたくなった。背筋がゾッとする。ここで時間が止まれば良いのに。人生BTより怖いものなんかないと思えるくらいだ。今まで被害にあった人は両手を使っても収まり切れないほど。しかも夏休みを挟んで入学してから六か月が経つか経たない内の間に。BTはそれをあくまで「指導」と称している。そんな筈はない、あれはどう見ても「暴力」であり「虐待」だ。居ても経っても居られなくなって急いでカフェへと向かった。
カフェには全校生徒の全員が集まっていた。牛舎に放り込まれたようにぎゅうぎゅう詰めだ。カフェに来なかったものは謀反と言われ、チェックメイトされた人間と共に学園を追われるのがオチだ。BTが踊り場から下りてカフェの中央付近に近付くと、カフェの入り口から踊り場の下の階段へと続く一本の道ができる。BTの先頭に立つのはやはりである。龍助、博喜と続いて最後に瞬が一人だけ離れて歩く。カフェの中央での足が止まった。
「早く歩けよ」
ぐったりとした熊川が生徒が作った道の中央を歩いて来る。はその様子をポケットに手を突っ込んだまま見ていた。ただ眺めていた、酷く冷めた瞳で。
「チェックメイトされた理由、お前、自分で分かるか?」
立ち止まった熊川の傍まで龍助が歩み寄る。狼が威嚇しているように見えて熊川は一歩後退りをした。人生が終わったような表情だった。
「し、知りません」
「知らないって?ハハハッ!」
天を仰ぐように腕を左右に開いて、嘲るように龍助は笑った。
「博喜」
龍助はBTの三人のもとへ戻りながら言う。ニコッと博喜はまるで天使のような悪魔の笑顔で笑う。さあ、地獄の門が開いた。
「君のやったことはもう上がってるんだ。の悪口、言ったよね?」
ポケットから小さな手帳サイズの分厚い本を取り出した。その本には付箋が数多く挟まっている。その中の一ページを捲って博喜は書かれている文章を読み上げた。
「なんて消えればいい。悪の親玉は死ぬべきだ」
「あ…」
「心当たりあるよね」
クスクスと子供のように無邪気に笑う声が厭味ったらしい。
「ねえ、君。分かって言ったの?」
項垂れて下を向く熊川の顔を下から覗き込んで博喜は言った。心底面白がっている表情で彼は嗤う。女の子のような顔で、少し高めの声で、何度も熊川に問い掛ける。優しい声の筈なのに、優しい顔の筈なのに、それはまるで蛇の洞穴に突き落とされたような気分にさせる。
「博喜」
「あ、」
言う相手も言う言葉も間違えたねと、そう言って博喜も達のもとへ戻って行った。が歩き出す。一歩足を踏み出すごとに空気が凍り付く。熊川は背筋が凍るような思いをした。
「言えよ」
「え、なに…を?」
「何を、じゃねェ!」
謝れよと熊川の胸倉を掴んで引き寄せ、掴んでいるシャツを少し捻って首を絞める。圧倒的だった。その強さも、醸し出す存在感も。
「う、ぐ」
「テメェ、相手分かってたかか?俺が誰だか知ってたか?」
「――がッ」
「謝れっつってんだろ!」
バンッと大きな音がして熊川は床に叩き付けられた。肺が圧迫されて一瞬息ができなくなる。喉で何もかもがつまる。普段ならどうってことない空気でさえ今は敵だ。体の節々が悲鳴を上げる。声になりきれなかった声が口から洩れた。痛い、苦しい、怖い、逃げたい。こんな思いをはしたことがないんだろうな。熊川は叩き付けられた床の上で徐に思った。いつだって傷付ける側は傷付けられた奴のことを考えない。こんな痛みを知らない。だから平気で人を傷付ける。
「今謝ったら全て許してやる」
熊川は重い体を起こして驚いた表情をに向けた。は特に何かする様子もなく立っているだけだ。奴がこんなことを本気で思っているなんて俄かに信じ難いことだったが、一つの希望が生まれ、この状況から抜け出せるチャンスだと熊川は思った。
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