ネコミミより愛をこめて


 

 すまない。オレが悪かった。
 福富のその姿を見た瞬間。金城の思考は即シャットアウトした。白旗降伏。謝罪土下座。脳裏に次に選ぶべきカードがチカチカと点滅する。 
 その姿は彼の怒りの照明だった。改めて悪いことをしたと思い知らされる。顔面に罪状を書かれた紙を貼り付けられた気分だ。
“忙しいから”
 素っ気なくそう言って電話を切った記憶も新しい。
 実際に金城はここ数ヶ月、目の下の隈が消えない日がないほど忙しかった。
 複数の課題に加えて自身の実験。その合間にロードとバイト。冗談でなく息を吐く暇さえなかったと思う。
 荒んだ生活が続く中、金城の心にはいつも遠くに住む恋人を想っていた。
 会いたい。その肌に触れてその熱を感じたい。
 生物としてストレートな欲求。金城はそんな自分を恥じていた。
 自分は理性を重んじる人間であったはずた。こんな即物的な思考など許せない。
「金城、オレだ」
 不器用な恋人が不器用なりに電話を掛けてきたのはつい数時間前のことだった。
 その時、金城は研究室へと向かう為に大学のキャンパスを横断していた。鳴った着信音を忌々しく思いながら、携帯電話を鞄から取り出すと恋人の名前が表示されていたのだ。空腹にハンバーガーが空から落ちてきたようなものだ。出ないはずがない。
「久しぶりだな」
 強張っていた顔に筋肉が緩んでいくのを感じる。福富の少し戸惑ったような低音が愛おしい。 
 自らを強いと公言してはばからない彼だが、自分にだけはこんなところを見せてくれる。
「元気か」
 金城は声だけは格好つけて聞いてみた。実際はちょっと悲壮感が漂う外見だった。しかも、今は顔も緩んでいる。
 そんな事など気付くわけがない福富は「お前こそ」と少し拗ねたように言った。
「最近、メールもくれないじゃないか」
 あぁ。肌寒い風がつうっと通り過ぎた。金城は眼鏡の ブリッジを押さえつける。
 嫌な事を思い出してしまった。
 金城は視線を微かに上げ時計台を見た。進む秒針は止まる気配もない。舌打ちしたい気持ちを抑えて金城は再び歩き始める。
「すまない。ここのところ立て込んでいるんだ」
「いや、いいんだ」
 詫びる金城に福富は健気に言った。金城は福富が僅かにその太い眉を下げる様子を想像した。目に見えるようだ。
「ただ」
「ただ?」
 携帯電話を耳に当てながら金城は鋭角を攻めるように角を曲がる。すっかり効率を重んじるようになってしまった。
「その、やはりいい」
 珍しく福富が言い淀んだ。
「福富」
 金城は先を促す。残念な事にもう目的地である研究棟が見えてきた。時間がない。
 名を呼ばれた福富は黙り込む。
 金城がもう一度口を開きかけた時、弱々しい声が鼓膜を揺らした。
「会いたいんだ」
――今すぐ、お前に。
 今度は金城が言葉を失う番だった。自然と足が止まる。
 自分も同じ気持ちだとすぐにでも伝えれば良かったのかもしれない。
 だが、できなかった。純粋な福富の言葉に対して金城のそれにはあまりにも不埒な感情が潜んでいる。それを福富に見透かされそうで反応が遅れた。
「金城?」
 沈黙を不審に思ったのか福富が呼びかける。
 やはりここは素直に気持ちを伝えるべきだろう。あくまでも紳士的にだ。
 金城は息を吸った。
「福富」
 オレもだ。
 だが、唇がそう形作る前にポンと背中を叩かれた。
「なに道の真ん中で突っ立ってるんだよ、金城」
 まずい。
 金城は焦った。慣れないことを言おうとしていので普段の倍ぐらい焦った。
 とにかく誤魔化そうと金城は慌てて喋った。内容はそれらしく適当に。
「そういうわけだから、もう切るぞ。すまない。オレは忙しいんだ」
 電話の向こうで福富が息を飲む気配がしたが、金城は有無を言わずに電源ボタンを押した。プツという味気ない音とともに通話が切れる。
「なんだよ。電話してたのか」
 悪かったな。よく聞いてみれば非情に聞き覚えのある声だった。金城は深く呼吸して振り返る。
「驚かすな、荒北」
「だから悪かったヨ」
 ふてくされた顔をする友に金城は肩を竦める。
 せっかく福富と電話していたのに。台無しだ。
「とにかくオレはもう行く」
 金城は時計を見る。時間はぎりぎりだった。
「忙しそうだな」
「お互いな」
 金城の言葉に荒北はニヤリと人の悪い笑い方をした。
 そして、手を上げると金城に背を向けて去って行く。おそらく荒北も時間に追われているのだろう。
 金城は手に持った携帯電話を弄って着信履歴を呼び出す。
 一番上に恋人の名が表示される。ため息が出そうだ。掛け直している時間なんてない。
 甘い感傷と決別するように金城は携帯電話を鞄へしまったのだった。その時にはもう福富の事は頭の隅へと追いやられて、実験のスケジュールが金城の脳の大半を支配していた。

 その後、金城は大学出てバイトへ行った。
 そのバイトも終え、夜遅くに自分のアパートに戻ると無人のはずの部屋に明かりが点いている。
 嘘だろうと思った。
「福富?」
 この部屋の合鍵を持っているのは自分の他に福富しかいない。
 もしかして東京からわざわざやってきたのか。
 でも、どうして急に。
 嬉しい気持ちと疑問で胸の内がないまぜになりながら、金城は自分の部屋のドアを開けた。
 鞄を投げるように玄関へと置く。借参考書が詰まったそれがゴツリと重い音を立てたが構わない。
 逸る気持ちと共に金城は台所の前を駆け抜けて。閉ざされたドアを思い切り開いた。
「福富」
 部屋の中央に彼は座っていた。太く逞しい脚を折りたたんで律儀に正座をしている。
 金城の声に反応するように福富が顔を上げた。意志の強さを示すような太い眉は今は平行でその感情は読み取れない。
「どうしてここに」
 金城は足を部屋へと踏み入れる。そこで福富の頭の異常に気が付いた。
 何処にいても目立つ彼の金髪に何かが見える。茶色くふわふわしている。 
 金城は定まらぬ指先でそれを指した。指先が震える。
「まさかそれは猫の耳……」
「そうだ」
 それまで一言も話さなかった福富が重々しく頷いた。鋭い目が金城を射抜く。
「金城。全部お前のせいだ」

 こうして話は冒頭へと戻る。
 
 点滅する選択肢のカードと一緒に金城の脳裏にここ最近の自らの行いがぐるぐると浮かぶ。日々の生活に勤しむ傍ら恋人への連絡を怠けた自分。稀に届いた福富からメールに返事をしたかも碌に記憶がない。
 あげくの果てに今日の電話。後で謝ればいいと考えてこの時間まで連絡しなかったその不誠実さに金城は愕然とした。
「すまなかった」
 金城は福富の正面まで歩み寄ると静かに頭を下げた。福富は黙ってそれを見上げている。
 続く沈黙の中、金城は思う。
 心の何処かで自分たちは他の恋人たちとは違うのだと考えていた
 尋常ではない出来事で結びついたこの縁は少しのことでは揺るがないと思っていた。
 自分たちは特別だと。簡単には壊れないと。
 だが、それは違った。心臓に小さな痛みが走る。
 今日、福富の顔を見て金城は思い知らされた。自分たちは笑ってしいまうくらい普通の恋人同士なのだと。
 おそらく離れて住む恋人に素っ気なくされて怒って会いに来た福富。
 この手で触れたいと願う疚しい金城の気持ちも。 
 全部、普遍的で普通のことだ。
「すまなかった。言い訳はしない。埋め合わせにオレにできることならなんでもする」
 素直な気持ちで金城は言った。
 内心では「その猫耳を外してくれ。お前のキャラじゃないだろう」と続けていたが、長いので割愛した。
「そうか」
 しかし、まだ福富は厳しい表情を崩さない。それが無邪気な猫耳と相まって妙な迫力を発揮している。
「金城。それではお間にオーダーだ」
 箱根学園の主将時代を彷彿とさせるような声が響く。金城は緊張に身を固くした。
 どんなキツイ注文でも受け入れるつもりだった。それまでは。
「オレとセックスしろ」
「なんだと」
 金城は目を見開いた。
 嘘だろう、という思いで福富の瞳を見つめる。しかし、そこには寸分の迷いもない。
「正気か?」
 弱々しく呟く金城に福富は大真面目に頷く。
「そうだ。この猫耳を取るにはそれしか方法がないんだ」
「何を言っているんだ」
 何だこの悪ふざけは。ドッキリか。金城は指先を自身のこめかみに当てる。
「待て。そもそもその猫の耳は何だ」
 てっきり自分への抗議でそんなふざけた格好をしているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。
「お前のせいだと言っただろう」
「どういう意味だ?」
 そういえばさっきもそう言っていた気がする。疑問符を浮かべる金城に福富はため息を吐いた。
「わかった。 一から説明しよう」

 その時、 福富は新幹線に乗っていた。
 席に座り流れるように過ぎていく景色を窓から眺めていた。その手には携帯電話が握られている。
 一方的に切られた通話。金城からの連絡はまだない。
 福富はちらりと携帯に視線をやって再び窓の外を見た。
 金城が忙しい事は知っていた。連絡の頻度が減っていることも仕方ないと理解しているつもりでいた。
 だが、今日になって急に限界が訪れた。
 金城に会いたい。そうしなければ生きていけないと思うほど強い欲求だった。
 衝動に突き動かされるまま福富は新幹線のチケットを購入していた。
 幸いなことに今日と明日はオフだ。何も問題はない。
 第一、福富は静岡に長いするつもりはない。金城の邪魔にならないよう顔だけを見て帰るつもりだ。それだけで十分だった。
 だが、 流石に連絡せずに急に訪ねるのはまずいと思った福富は東京駅のホームで金城へと電話をかけた。
 呼びだし音がしばらく流れた後、相手が出た。久しぶりに聴くその声に福富はらしくなく頬を赤くする。
――今から会いに行くと告げたら金城はどんな反応をするだろうか。
 期待と不安に胸を踊らせながら、福富が言う。
「会いたいんだ。今すぐお前に」
 だから、会いに行ってもいいだろうか。
 そう続ける予定だった。しかし、金城の思いがけない金城の沈黙に福富の喉に言葉が詰まる。
 もし、迷惑だと言われたら?
 福富の中に臆病な迷いが生まれた。金城と出会う前は知らなかった己の弱さ。
「金城?」
 黙ってしまった金城に福富が呼びかけると少しの沈黙の後、信じられない応えが返ってきた。
“そういうわけだから、もう切るぞ。すまない。忙しいんだ”
 そして有無を言わさず通話を切られた。ツーツーという虚しい音を福富は呆然と聴いた。

「悪かった」
 そこまで福富の口から聞いた金城は再び頭を下げた。福富の猫の方の耳がぴくりと動いた気がするが見なかったことにする。
「福富、オレは」
「お前が忙しいことは知っていた。気にしていない」
 金城の言葉を遮って福富は淡々と言った。
「だが」
「聞け。まだこの話には続きがある」
「いや、もうわかった」
 金城がそう言うと福富は首を傾げる。その仕草が幼い子どものようで金城は微笑んだ。
 つまりこういうことだろう。
 福富はそう簡単に金城を許すつもりはないようだ。変な事を言って困らせようという魂胆だろう。こんなにオレは怒っているぞというアピールなのだ。
 それに乗ってやるのも良いかもしれない。金城は福富の頭へ手を伸ばした。
「困った猫だ」
 少し痛んだ金色の髪を慈しむように撫でる。懐かしい感触に金城は目を細めた。
「アッ」
 福富の身体が大きく震える。信じられない。そんな表情で福富は自分の口を両手で塞ぐ。
「どうした?」
「う。みみ、に」
 福富の身につけている猫耳は滑らかな毛並みをしていた。気持良くてそこを重点的に撫でてしまう。
「だ、からッ。あ、あ、耳にィ」
「耳? あぁ、これどこで買ったんだ? 良い手触りだ」
 タグを確かめようと金城はぎゅっと猫耳を掴んだ。
――!!!」
 その瞬間、急に福富が立ち上がり金城を突き飛ばした。
 不意を突かれた金城は吹き飛ばされて尻もちをつく。
「何を――
 そう言いかけて金城は口を噤んだ。顔を赤くした涙で瞳を潤ませた福富がこちらを睨んでいた。
「聞け。これは買ったものじゃない」
 福富は肩で呼吸しながら自身の頭を指差す。
「取り憑かれている」
「冗談だろ?」
 そんなはずない。ぎこちなく金城は笑った。今回はお前の悪ふざけだろう、と願いを込めて。
「残念だが、金城」
 福富は生真面目な顔に戻って言った。
「今回もアレ絡みだ」

 憂鬱な気分のまま新幹線で静岡に向かう福富だったが、時間が経過すればするほど胸の内の不安が膨らんでいた。
 会いに行ったら金城は迷惑ではないか。嫌われるのではないか。
――いや。
 既に金城はとっくに自分に興味を失っているのかもしれない。こうやって距離を置いて別れようとしているのかもしれない。
 鳴らない携帯電話を握りしめる。
 頭では金城はそんな男ではないとわかっている。
 だが、どうしようもなく寂しかった。多忙であることはわかっている。それでも
――構って欲しい。
 そんな時、頭の左右二箇所にむずむずするような痒みを感じた。
「なんだ?」
 ひとまず掻こうと手をやった福富は言葉を失った。指先に何か柔らかいふわふわと毛が触れたのだ。
 思わず福富は周囲を見渡す。
 通路を挟んだ席で夢中でノートパソコンに打ち込んでいるサラリーマン風の男。楽しそうに前の席でおしゃべりをする女性。帽子を深く被って眠っているおじさん。誰も福富を見ている様子はない。
 福富はそっと身を屈めて、もう一度頭に触れる。やはりそこには身に覚えのない物体がある。そして、更に恐ろしいことに気がつく。
 その物に触れると触られた感覚が自分にするのだ。鳥肌が立つ。つまり、この毛玉は福富の身体の一部という事になる。
「どういう事だ」
 金城と付き合い始めてからどういうわけか不思議なことばかり起こる。今回は一体なんだ。
 考える福富の脳にうにゃうにゃと声が流れ込んできたのはその時だった。

「その声の猫によるとオレは憑かれたらしい」
「ちょっと待て」
 金城は軽く手を挙げる。
「その猫とは何者だ?」
「オレの後ろの席でケージに入れられていた老猫だ」
 齢を重ねるうちにテレパシー能力を身につけたその猫は普段は人に話しかけたりしないが、困っている福富を見かねて助言してくれたらしい。
「同族が迷惑をかけるのを見てられないと言っていた」
「という事はお前に憑いているのは猫か」
 信じたくないが、仕方なしに金城は言った。
 この世には霊の仕業としか呼べないような不可思議なことがあるのだと今までの経験から知っていた。どれも碌な体験ではなかったが。
「そうだ」
「猫耳プレイに未練を残して死んだ変態ではないんだな」
「当たり前だろう」
 福富は呆れたように言った。
「オレに憑いているのは飼い主とはぐれたまま死んでしまった子猫だ」
 飼い主を求めるあまり成仏できず浮遊していたところ、福富の寂しいという感情に共鳴して入り込んでしまったらしい。
「そんな馬鹿な」
「金城。お前も薄々わかっているだろう。これは本物だ」
 福富は腕を組んだまま少しだけ面倒そうに言った。
 だから、金城。
 福富は真っ直ぐに金城を見て宣言した。
「今すぐオレを抱け」

 やはり変態に取り憑かれているのではなかろうか。
 金城はふうと息を吐くとひとまず立ち上がった。
「話が見えないのだが」
「老猫によると誰かと交尾すれば離れてくれるらしい」
「……確認するが、子猫の霊なんだよな?」
 そうだ。猫の方の耳をピンと立てて福富は言った。何故か得意げだ。
 金城はこめかみを指で抑える。頭が痛い。
「何か不満か?」
「いや、」
 理解が追い付いていないというべきか。やっぱり頭が痛い。
 福富はしばらく金城の様子を観察していたが、やがて切なそうに目を伏せた。
「わかった」
 物分り良く頷くと福富は金城の横を通り抜けて部屋から出ていこうとする。
「待て。どこへ行く気だ」
 金城の問いかけに福富は背中越しに応える。
「この耳をどうにかしなければならない」
 このままでは自転車に乗れない。固い口調で言いながら福富は振り返った。
「お前にその気がないのならば、他に頼むしかないだろう」
「他?」
「あぁ。とりあえず荒北に、」
 最後まで言わせなかった。金城は強引に福富の腕を掴んだ。
――金城」
「行くな」
 福富が驚いたように金城を見つめる。その視線にいつもの鋭さはなかった。潤んだ瞳は帰る場所を見つけた迷い猫のようだった。

「尻尾はないんだな」
 服を脱ぎ捨てて二人はベッドに並んで座っていた。引き締まった福富の尻を撫でながら、金城は猫の耳をキスを繰り返す。
「ァ、残念か?」
「少しだけ」
 ぴくぴくと震える猫耳が可愛くて金城は耳の先を軽く食んでみる。
「あぁぁ。耳ばっか、やめ」
 目をぎゅっと瞑って顔を赤くする姿に下半身に熱が集まっていく。金城はもう一度だけ猫耳に軽く口付けると福富を押し倒した。ベッドのスプリングが跳ねる。
「金城」
 吐息混じりに福富が名を呼ぶ。その熱に誘われるまま金城は今度は唇にキスを落とす。
 水音がするほどで舌を絡ませる。貪り合うという表現が相応しいほどみっともなく飢えを満たす。
「ん、ン」
「ずっとこうしたいと思っていた」
 鍛えられた身体を指先でなぞりながら金城は呟いた。とろけた脳から本音が零れ落ちてくる。
「う、そだろう」
 くすぐったいのか微かに福富が笑う。
「本当だ。頭の中でお前を抱く事ばかり考えていた」
 軽蔑するか? そういって首筋を辿るようにキスをすると福富は身を捩った。
「金城」
 彼の目尻が嬉しそうに下がる。
「オレもだ」
 それを聞いた瞬間、なんとも言えない幸福が金城の胸に訪れた。早く彼とひとつになりたい。金城の手が福富の逞しいふとももに触れる。
「福富」
 金城が名を呼ぶと福富は察したように熱に浮かされた表情で頷いた。

 ローションを纏わせて指を浅いところで動かす。久しぶりに触れるそこは固く閉ざされていたが、徐々に柔らかくほぐれてきた。
 福富の様子を覗うと、横を向いて必死に耐えるように目を瞑っていた。
「キツイか?」
「大丈夫だ」
 そんなはずないだろう。そう思いながら指を増やす。魚のように福富の身体が跳ねた。
「っう」
「すまない」
 福富が目を開く。
「金城、もういい」
 懇願するように彼は言うと上半身を少し起こした。そして、自らの膝裏に手を添えるとそのまま誘うように脚を開いた。
「は、やく」
 視覚の暴力だ。
 金城は眼鏡をかなぐり捨てた。夢中で彼の唇を塞ぎ、自身の熱を尻へとあてがう。
「好きだッ福富」
「ああああ」
 ぐっと奥まで挿入すると福富が悲鳴を上げた。猫の耳までピンと張り詰めているのがわかる。その姿にどうしようもなく欲情する。揺れる腰に誘われるように金城は抽出を繰り返す。
「アッアッ」
 ぐちゅぐちゅと生温かいそこが奥を突くたびに締まって堪らない。我を忘れて蹂躙したい衝動を抑えて金城は一度動きを止めた。
「福富」
 恥じるように両手で顔で覆う男に呼びかける。指の隙間から赤い顔をした福富の顔が覗く。
「辛いのならばオレの背中に手を回せ」
――ッ」
 福富は少しだけ逡巡した後、おずおずとその腕を金城の背中に回した。よし、と金城は彼の胸板に口付けると律動を再開した。
「ひッ、ああ」
 熱くてまるで彼と融け合っていくかのように錯覚する。
「愛してる」
 彼の全てを自分のモノだと主張するように奥深くまで突く。
「ン、オレも、愛してるッ」
 きゅっと絞りとるように一際強く締め付けられて金城は熱を吐き出す。同時に福富も大きく震えると吐精した。
 しばらく二人の呼吸音だけが部屋に響いた。
 その時、金城は気が付いた。背中に鋭い痛みを感じる。
 どうやら。思わず金城は微笑みに顔を歪めた。
 猫化していたのは耳だけではなかったらしい。

 翌朝、福富の猫耳は綺麗になくなっていた。
 身支度を整えた二人は朝食の準備をしながら言葉を交わす。
「無事に出ていってくれたようだ」
 炊飯器から福富がご飯をよそう。昨日の内に福富がセットしてくれていたものらしい。
「身体は大丈夫なのか?」
 テーブルに箸を並べながら金城は尋ねた。
「問題ない。少し腰は痛いが」
 顔を赤らめながら応える福富に金城は照れてそっと視線を外した。
 よほど自分は飢えていたようだ。らしくないことを随分言ったし、やってしまった。
「それは良かった。実は疑っていたんだ」
「何をだ?」
「あんな方法で霊がどうにかなるなんて思えなくてな」
 嘘みたいな方法だ、と金城が言うと福富は黙った。
「どうした?」
「すまない。お前を騙した」
 どういうことだ。金城はまじまじと福富を見つめる。彼はきまりの悪い顔をしていた。
「そこまでする必要はなかったんだ」
 老猫が教えてくれた霊を追い出す方法は心を満たすことだった。寂しさを埋めること。
 そうすれば霊は勝手に次の日に出て行く。そう言っていた。
「だが、オレが。その、」
 したかったんだ。お前と。
 小声で福富が囁いた。鼻まで赤くした姿に金城は困った。
「朝からそんなことを言うな」
 また抱きたくなってしまうだろう。申し訳なさそうに目を伏せる福富に金城は心の中で呟いた。本当にこの男は。
「とりあえず、霊は何処かに行ったんだから問題ない。そういえば、あの猫耳では新幹線で目立っただろう。大変だったな」
 身体が熱を持つ前に金城は話題を変えた。
「それは大丈夫だった」
 どんと福富が山盛りご飯の茶碗をテーブルに置く。
「帽子でも持っていたのか?」
 怪訝な顔をする金城に福富は首を横に振る。
「いや」
「それではやはり変な目で見られただろう」
 金髪高身長の男が猫耳を着けていたら目立たないはずがない。ただでさえ福富は一目を引く存在だ。
「アレはお前以外に見えないんだ」
「どういう意味だ?」
“見つけて欲しい相手にしかアレは見えない”
 福富は金城を見つめる。
「オレがそう願うのはお前だけだ」
 金城は目を大きく開く。不意打ちは卑怯だ。
 そんな金城に頓着せず福富は机の前に座ると「いただきます」と箸を手に取った。
「いや、ちょっと待てよ」
 そこで金城の頭に昨夜の記憶が甦った。
「それではなんだ。昨日、荒北のところに行くっていうのは」
 素早く福富の正面に座って問い質す。福富はちょうどご飯を口に運ぼうとしているところだった。
「単に泊まらせてもらおうと思っただけだ。お前の考えが変わるまで」
「そうか」
 福富に他意はなかったということか。金城は密かに胸を撫で下ろす。
 しかし、あの荒北の事だ。喩え福富から誘おうと手は出さなそうだ。
 奴はまず男に興味はない。それに、友情を越えて福富を尊敬している節さえある男だ。逆に福富の猫耳姿を見た方がショックを受けそうだ。
 その考えに至らなかった昨夜の自分はどんなに冷静さを欠いていたことだろうか。
「何を笑っている」
 呆れたように福富は言うと、止めていた箸を動かしてご飯を口へと入れた。金城も箸を手に取る。こうして向い合って福富と朝食を食べるのも随分久しぶりだ。
「まだしばらくお前に寂しい想いをさせるかもしれないが」
 箸先で目玉焼きの黄身を割ればじわりと黄色い液体が溢れた。
「もう変な霊に取り憑かれるなよ」
 言ってから金城は他に言い方があるだろうと後悔した。いつもこうだ。
 だが、それに対して福富は彼には珍しく人の悪い笑い顔を見せた。
「それなら大丈夫だ。お前の気持ちは昨夜で身にしみてわかった。それに」
「それに」
 促すと福富は微かに目尻を赤くした。
「その背中ではしばらく浮気もできないだろうしな」
 すまない。と慌てて添えられる言葉に金城は内心苦笑する。実際に金城の背中は福富の猫の爪のせいで傷だらけだった。
「これはやられたな」
 二人は目と目を合わせた。そして、どちらともなく笑った。

 その後、猫耳が再び福富に生えることはなかった。
 金城の背中については荒北及びチームメイトから多大な突っ込みを受けたが「猫にやんちゃされて」という言い訳で乗り切った。
 そして、いくつかの課題を終え忙しさのピークも過ぎた頃にはその傷も綺麗になくなっていた。 
 近頃では逆に福富が忙しいらしい。元々、連絡無精な福富だが最近ではメールの返事すらない事も多い。
 自分が言えた義理ではないかもしれないが、付き合っているのにこれは少し切ない。
「なぁ、そっちに行ってもいいだろうか」
「すまない、金城。忙しいんだ」
 もう少しだけ待ってくれ。
 電話越しにそう言われてしまえば引き下がるしかない。福富にみっともない所は見せたくない。
「すまない。オレも本当にお前に会いたいんだ」
 福富のその言葉だけが救いだ。
「オレもだ」
 そう言って金城は通話を切った。腰掛けていたベッドに寝そべる。あの夜、あんなに激しく求め合ったというのに。
 金城の胸の内にじわじわマイナスの感情が染み出してくる。
 その時、金城ははっと身を起こした。
 頭がむず痒い。確かめるように手を伸ばす。
 そういえば。
――あの日、福富から出て行った猫の霊は何処へ行ったんだ?
 答えはすぐにわかった。
 指先が自分のものではない柔らかい毛に触れる。まるで猫のような。
――こいつは厄介だ。
 金城は新幹線に乗る為に再び携帯電話を手に取った。



【ネコミミより愛をこめて】

2015/10/25