神様に乾杯 1話

1話・初めまして。ご機嫌いかが?

嫌な予感がして彼は目を開けた。
目の前の白い物が一体何なのか、習性なのかは知らないが知らないが、すぐにそれは巨大な十字架なのだと彼にはわかった。
いつもの見慣れた柩の蓋がなく、その代わりとでも言うように十字架が彼の視界を塞ぎ、それと柩の隙間から弱い光が差し込んでいる。
ギョッとしながら彼は十字架に触れないように注意しつつその隙間に目をやった。
「初めまして。ご機嫌いかが?」
目線の先の男が言った。察するに十字架を用意したのはこの男だろう。
「誰だお前は」
彼は男を睨みつけ、当然の疑問を口にする。
白い神父の格好をした若い男だ。ニコニコと笑顔を浮かべ、愛想が良いといえば良いが、裏がありそうな笑みはとてもじゃないが神父には似合わない。全て後ろに撫でつけた赤毛に近い金髪は、男自身が持っている明かりに照らされ夕陽のような赤に染まり、ますます神父に見えなくなっている。
男は意地悪そうに空色の瞳を細めると、
「お早いお目覚めだね、吸血鬼さん。まだ昼だよ?」
くすくすとさも面白そうに笑う。
その様子を見て彼が睨みつける目をいっそう鋭くすると、男は手をひらひらと振りながら、
「俺はね、今日からこの教会の神父になんの。でも驚いたね。教会の地下に吸血鬼がいるなんて思わなかった。まあ、使われていない廃屋同然の教会なら隠れ住むのにもってこいかもね」
簡単に自分の説明をする。自称神父は彼が何か言うようも先に言葉を続けた。
「でね、俺はさ君と取引したいんだ。君を消すつもりはないよ。平和的に行こう」
「…………どのあたりが平和的なんだ?」
「さて質問」
十字架を横目で見ながら半眼で訊く彼に神父は全く構わずにニコニコ笑っている。彼は諦めて神父の話を聞くことにした。
「ここのオンボロ教会に人が来れるようにしたい。必要なものは金と何でしょう?」
あまり考える間でもないのだが、即答するのも何だか悔しくて、それでも仕方なく答えることにした。
「……人手か?」
「ピンポン正解。ここに居ていいから改装手伝ってくんない?」
「ふざけるな!!」
怒声とともに、彼は十字架を右手で押しのけて起き上がった。
腰まである長い黒髪が広がり、怒りを浮かべたその表情は整った目鼻立ちのせいか酷く冷酷な印象を与える。
「神父などに飼い慣らされるくらいなら潔く死んでやる!」
言っている間にも十字架に触れた彼の手が、見る間に燃え尽き灰になっていく。
それを見て神父は目を丸くする。
「え?ねぇ、手、熱くない?!」
「熱いが!!」
答えて彼は十字架を床に叩きつけるとつかつかと神父に歩みより、狼狽している神父の胸倉を残った左手で掴むと、そのまま体を持ち上げた。
「いやあのこの姿勢辛いんだけど」
「私は盲目的に神を信じ、自分からは何も見ようとしない連中が殺したいほど憎いんだ」
宙吊りにされた神父は吸血鬼の手を離そうともがいたが、吸血鬼の身体能力は人の敵うものではない。大体それを知っていたからわざわざ十字架を用意したのだ。
神父を壁に叩き付けようと言うのか、吸血鬼が腕を動かす。彼が本気なら死ぬのは確実だ。
そう思って神父が目を閉じた時、壁にぶつかる直前にぴたりと吸血鬼の動きが止まった。そして掴んでいた手が開き、神父は無様に床に落ちる。
何が起こったのかわからずに呆けた顔のまま神父が声を絞りだすと、
「何で……やめたの…?」
吸血鬼の方はつまらなそうに、
「私は誰も殺すつもりはない」
「…………甘くない?」
「自分でもそう思うがな。一応の理由はある。教える義理はないが」
それだけ言うと扉の方に歩いていく。
「まだ昼だって言ったよね?」
「誰が外へ行くと言った。お前と同じ部屋にいるのが嫌なんだ。隣の部屋にいて、夜には出て行く。後は好きにしろ」
振り返らないまま言い、ドアノブを左手で握った。
「開けない方がいいよ」
神父の発言を無視して彼はノブを回す。
扉を引くと扉と壁の隙間から光が差し込んだ。
「!!」
彼は慌てて扉を閉めたが間に合わなかったようだ。
「なっ?!何だと言うんだ一体?!」
日光に当たった左の肘のあたりが灰になり、その先の手が床に落ちた。
「だから言ったのに」
両腕をなくした吸血鬼を見ながらやたら楽しそうに神父。
「何の用意もなしに吸血鬼に挑むほど俺は馬鹿じゃないよ。地上からここまで日光をもって来れるように鏡を並べといたんだ」
そこで一度言葉を切り、立ち上がってから馬鹿にしたように嫌味たらしく目を細める。
「腕なくなっちゃったね。不便じゃない?柩で寝てれば治るんでしょ?逃げ込めば?」
「貴様……!」
「君にとって悪い話じゃないと思うんだけどなぁ。血もあげるし、近くの町で君に血を吸われた女性たちの噂も上手く消してみせる。家賃として少し働いてくれれば良い。君は俺に飼われると言ったけれど、そうじゃなくてギブアンドテイク。男飼ったって面白くないもん」
今度は毒気の無い笑顔で微妙に問題を含む発言をした。
吸血鬼は彼を睨みつけたまま尋ねる。
「何故、私が貴様と馴れ合わねばならない?」
「何でってーか、俺、君と友達になりたくて」
さらりと言ったその言葉に、思わず吸血鬼は眉をよせて、
「あぁ?」
顔に似合わない品の無い声で訊き返した。
「ともだち。俺一度この世のものじゃない人と友達になりたかったんだー」
すでに友人になったかのような言い方をして、ニコニコと本当に楽しそうに笑う神父を見ていると怒りや嫌悪を通り越して呆れてくる。不愉快ではあるのだが、もう溜め息しか出てこなかった。
「私はお前みたいなおちゃらけ坊主と友人になるつもりはないぞ」
そう言って今度は柩の方へ歩き出す。柩の前で神父の方を振り返り、
「お前は大家で私は住人。それだけだ」
柩の中に腰を下ろす。それからはっと気付いて自分の途中までしかない両腕を見ると気まずそうに神父に言った。
「……………………蓋を閉めてもらえないか」
聞いて神父は爆笑した。