午前五時。薄青に塗り変わる空を、悠然と雲が行く。朝の体操を終えたカインは、部屋に戻りカーテンを勢い良く開けた。窓の向こうに見える町並みは、ガス灯が描く煙の色を残している。 
「起きろ、出発だ。」 
 双子達を揺り起こした後、カインは最も始末の悪い大きな子供を起こしに掛かった。 
「目を覚ませ、出発するぞ。」 
「うーん、リディア……もうちょっと……」 
「誰がリディアだ。とっとと起きんか!」 
 相当愉快な夢を見ているらしいエッジは、肩を揺すられたぐらいではびくともしない。カインは迷わず最終手段に訴えた。枕を抱きかかえ丸まった背中を思い切り蹴りつける。エッジは面白いほど見事に二回転し、派手な音を立てて床に落ちた。 
「ッてぇなこの……蹴るこたねぇだろ蹴ることぁ!」 
 強硬手段で寝床から引き剥がされ、エッジは暴力目覚ましに苦情を叩きつける。慣れた手つきで髪を纏めるカインは、未だ毛布を被ったままの寝坊を横目にふんと鼻を鳴らした。 
「悔しければ起こされる前に起きるんだな。」 
「何だとこの――」 
「ニィちゃんが正しいぜ、隊長。」 
 ベッドの上でぼんやりと着替えるパロムが、冷たい突っ込みを投げ寄越す。 
「パロ……お前に言われたかねぇんだよっ。」 
「だってオイラ起こされれば一回で起きるもんねー。」 
「嘘吐け! この前ポロにこづかれてたじゃねーか。」 
「で、でもニィちゃんに蹴られたりしたことないもん!」 
「無駄口叩いてないでさっさと着替えろ。」 
 荷物の点検まで終えたカインは、頭の中身が同程度らしい二人のやりとりを遮った。放っておくと何時まで出発が延びるか分からない。 
 雑然が目覚め活気づく部屋にノックが訪れた。別室で着替えているポロムが戻ってきたのならばノックはしなかろう。とすると、宿の女将だろうか。 
「はい、開いて――」 
「ポロムです、開けて下さいぃ……」 
 カインの予想に反して、扉の向こうから何処か苦しそうなポロムの声がした。慌てて扉を開ける。そこには、両手で抱えきれないほど大きな袋に背負われるポロムがいた。 
「どうしたんだこの荷物は?」 
 少女から巨大な麻袋を受け取る。それはかなりの重量でもってカインの腕にのしかかった。 
「宿のおばさまが、食べ物と服を下さったんです。長旅なら必要だろうって……。」 
 善意の塊のような笑顔で言われ、断りきれなかったのだろう。カインとポロムは困惑顔を見合わせた。 
「こ……好意はありがたいが……」 
「分担しりゃ持てそうかい?」 
 言葉を失うカインの肩越しにエッジが袋の中を覗き込む。中には携帯用食料と水、そして、子供用の衣服がぎっしり詰められていた。 
「うん?……ここに小せぇ子供いたっけ?」 
 不審に思ったエッジは半袖シャツを一枚引っ張り出す。お古にしては布が随分新しい。余程大切に保管されていたとしても、使われなくなって一年と経ってはいないだろう。 
「息子さん夫婦とそのお子さんが、一年前の大火で亡くなったそうです……私、断れなくて……。」 
 ポロムの言葉は力無く床に落ちた。カインは無言でベッドに戻り、袋の中身を空ける。 
「食料と水は各自予備として携帯しよう。衣服は俺とエッジで半々だ。」 
 ここで荷物を増やすのはあまり好ましくないのだが、かといって女主人の気持ちを無下には出来ない。腰に付けて道具を携帯する巾着以外入れ物を持っていなかったエッジに予備の麻袋を渡し、ベッドの上に積み上げた衣服を半分背嚢に詰め込む。 
「おー、カーワイイじゃん。へぇ、子供服っちゃ結構凝ってんのなあ〜。」 
「そういうことは後にしろ。」 
 一枚一枚広げてデザインを確認するエッジを叱りつけ、カインは荷物を背負った。右足立ち、左足立ちと荷のすわりを確かめた後、渡砂用の外套を被り背に槍を差す。 
 カインに続き、子供達も準備を終えた。体中に紐で結わえた食料やら水筒やらが丈の短いマントの下から見え隠れする様は、まるで遠足にでも行くようだ。程なくエッジも準備を終える。 
「よし、行こう。」 
 女将に再三旅の無事を祈られ、一行は日が昇る前にミストを後にした。目指すはオアシスの町カイポ。山脈から海へ流れる水脈が地表付近へ現れ出来たオアシスを拠点に、旅人達が築いた砂漠の中継地点である。昼前に着くことが出来れば、午後のダムシアン王都直通ホバー便に乗れるだろう。 
 朝焼けに染まる黄砂が、見えない指先で砂地に模様を描く。 
「お前ら歩き方がなってねえなあ。そんなんじゃカイポに着く前にへたっちまうぞ?」 
 一歩踏み出す度に崩れる柔らかい砂地と格闘する一行に、一人飄々と歩くエッジが声を掛けた。額に薄く滲んだ汗を拭い、カインは揶揄に視線を向ける。 
「ではどうやって歩けと?」 
 問われたエッジは待ってましたとばかりに胸を張った。 
「おし、俺様が特別に歩き方を伝授してやろう! いいか、砂漠を歩くときは水面を進むが如く! 左足が沈む前に右足を前に出す、これだ!」 
 やたら生き生きとした講師はご託を並べ、また実際いとも容易く砂の上に足跡を刻んでみせる。腑に落ちない顔を見合わせた三人は、とりあえず実践を試みた。足を忙しく動かす必要から自然小股になり、歩き方に合わせて姿勢まで窮屈になる。砂に蛇がのたうったような跡が続いた。 
「――てのは冗談でな。」 
 なだらかな砂丘を登り切ってしまった後で投げられた一言。三対の恨み目に刺され、悪戯っ子は乾いた笑いを浮かべた。 
「悪ぃ悪ぃ……ってか、そんな簡単に信じるなよ……」 
「「「こんな時に冗談を言うな!!」」」 
 暑さと疲労が人格に及ぼす影響を見くびっていたエッジは、その後、三人分の荷を背負わされる羽目になる。 
 
※人間(大人)一日10時間歩いて40キロ程度 渡砂で2日程度経過  
 
 カイポ――黄金の死海に取り残された水の町。砂漠を渡る隊商が妻子の根を宿す場として選んだこの町は、命を育む泉を中心に据えたほぼ正円をしている。陽炎の街路樹に日干し煉瓦で作られた真四角の屋根がぽつりぽつりと並ぶ町並みは、長閑の一言に尽きる。 
 暑さ故か、往来を行き交う人々の足取りもどことなく緩慢だ。灼熱の国ダムシアン領の人間は、元々争いを好まないと聞く。それは、感情の変化に伴う体温の上昇を嫌うからと言う噂もあながち嘘では無かろう。 
 しかしそんな、歌を愛で踊りを友とする人々さえも、先のクリスタル戦役に巻き込まれた。 
 熱砂を巻き吹きすさぶ風の中、砂糖菓子を思わせる町並みを見渡し、カインは視線を遠く思いに馳せる。――軍靴が踏みしだいた草は、再来の春を迎え傷を癒しただろうか。 
 ダムシアン直通のホバー便に乗るためには、まず窓口で席の予約を取り、切符を購入しなければならない。簡単な食事を済ませた一行は、品物の補給に戻る隊商や商業都市へ買い出しに行く旅行客でごった返す広場に足を向けた。この小さな町で唯一外界との接点を備える広場は、町中の人間を集めてなお足りないほどの人出である。 
 切符売り場は難なく見つかった。広場入り口から続く行列の先に、ホバー便切符売り場の看板を掲げる白茶けたテントの屋根がある。じりじりと僅かずつしか移動しない行列に、子供より堪え性のないエッジがげんなりと頭を垂れた。 
「こりゃあ切符買うだけでも一苦労だぜ……。」 
「何処かで暇を潰していろ。」 
 彼が騒ぎ出す近い未来を予知し、カインが先手を打った。幸い、周囲には切符販売を待つ客目当ての露店が並んでいる。先ほどからちらちらと店先に並ぶ商品の品定めをしていたエッジに、カインは無駄使いするなよの小言を付けて駄賃を握らせた。 
「うっしゃー! パロム、俺様に付いてこい!」 
「おす、隊長!」 
 先立つものを手に入れたエッジは弟分である少年の手をしっかり握る。 
「出発の三十分前には停留所にいろよ!」 
 待ち合わせを告げる声も届いたどうか。大小二人のお子様は喜々然として人混みに消える。溜め息一つで視線を戻したカインは、何も言わずその場に残った双子の片割れを見下ろした。 
「ポロムはいいのか? 随分時間が掛かりそうだぞ。」 
「カインさん、お一人ではお暇でしょう?」 
 ポロムは柔らかに表情を崩す。返す言葉もなく、カインは長い行列の先に目を向けた。確かに何の暇つぶしもなく順番を待つのは苦痛かも知れない。 
 時刻はもう一時を過ぎただろうか。天頂を過ぎた太陽は容赦なく地上に炎熱を注ぐ。宿の女将にもらった水筒を一つ空にし、ポロムはふぅと肩を落とした。もう十人ほど前へ進めれば日差し避けの天幕が張ってあるのだが、そこへ辿り着くまではマントの庇が作る僅かな陰で我慢するより他にない。 
 無口な引率者の、薄く汗に覆われた顎を見上げていたポロムは、ふと肩を叩かれ後ろを振り返った。 
「お嬢ちゃん、見ていかねぇかい?」 
 頭上から陽気な声が振ってくる。熱を反射する黄白のマントを伝い視線を上げると、浅黒い肌をした壮年の顔にぶつかった。 
「え……あの……」 
「見るだけならタダだよ、タダ! カイポで買い物怠る奴はサンドワームの良い餌だって、昔の人は言ったもんだ!」 
 人の好さそうな笑顔も商売道具の一つだろう。客の注意を引きつけた商人は両翼を開く。くるぶしまで隠す長いマントの内側に吊された雑多な売り物が、がちゃがちゃと派手な音を立てた。 
「これなんかどうだい? 遠く遠く海に囲まれた異境、エブラーナに古くから伝わる特別な技術で作った紅玉の髪飾り! 職人がほとんど死んじまったせいで今じゃ滅多に手に入らないお宝だよ。」 
 袖口に近い場所に差してあった小物の中から一つ引き抜き、男は蕩々と宣伝文句を詠い上げる。 
「嘘ではないだろうな?」 
 対応に戸惑う少女の後ろから、保護者が声を掛けた。怪訝な視線をものともせずに、商人は鼻孔を広げ胸を張る。 
「旦那、あっしは正直者で通ってるんでさぁ。」 
「生憎商人の口上を信じるほどお人好しじゃないんでな。」 
 カインは細長い髪飾りを手に取った。結い上げた髪に挿して留めるよう先が二股になった髪飾りを日に透かすと、水に絵の具を置いたような模様が鮮やかに浮き上がる。しばらく矯めつ眇めつした後、カインは視線を流した。 
「連れにエブラーナの奴がいるんだが、そいつに見せても構わんか?」 
「え……エブラーナの?」 
 商人の顔に焦りが浮かぶ。と、 
「ろーかひらかぁ?」 
 まるで測っていたかのようなタイミングでエッジが顔を出した。 
「なんれなんれぇ、おもひろほーらンいとっつからってんらねーろ♪」 
 右手に巨大な棒付き飴を二本刺し、左手にはフォークを突き立てた紙皿を載せ、口一杯に淡水イカの姿炒めを頬張った彼は、カインを押し退け会話に乱入する。 
「食ってから喋れ、みっともない!」 
 エブラーナには食事の礼儀というものがないのだろうか。カインが教えられた行儀の全てを一撃の下に破壊した自称王族は、小煩い若年寄を据わり目で射た。 
「ふぁいん。」 
「な、何だ……?」 
 名を呼ばれ――たのだろうと仮定して、及び腰になりながらもカインが応じる。エッジは右手を頬の横まで持ち上げた。 
「ほえれもくあえぃ!!」 
 その動きはまさに神速。避ける間もなく、カインは巨大飴に口を塞がれる。行儀教育係を実力行使で黙らせたエッジは、すっと腰を落としポロムに右手を差し出した。 
「ぽおう、あいよ。」 
 カインと同じ目に遭うことを予測し目を固く瞑っていたポロムは、優しい声音に恐る恐る目を開く。引きつり笑いを浮かべる己の顔が、鏡のような甘菓子に映り返った。 
「あ、有り難う御座います……」 
 依然目の前で起こった惨事の衝撃から逃れ得ぬポロムは、壊れ物を受け取るようにして飴を頂戴した。雪崩るばかりに降り注ぐ好意の眼差しに、うだるような甘さを口に含み愛想笑いを返すことで応える。 
 やがて、口を塞いで余りある飴をようよう外すことに成功したカインは、深い溜め息と共にやや丸みの欠けた凶器をエッジに突きつけた。 
「……パロムはどうした。」 
「あっひりまたひれあうえ。」 
 公用語、というより人語であるのかどうかすら疑わしい音が返される。 
「何言ってるのかさっぱり分からん……」 
 分かりきった事実を敢えて言葉にし頭痛を抑えるカインを余所目に、淡水イカを丸飲みしたエッジは髪飾りを手に取った。 
「へぇ、簪か……。」 
 飄々と砂を巻く風にふと混じるほのかな郷愁。実り薄い痩せた大地と、煙がかった薄靄の朝焼けを半月の飾りに写した品を、幼い頃トンボにした様カインの鼻先で揺らす。 
「ポロムに買ってやったらどうだ? そんなに値の張るもんじゃねーしよ。」 
「これは安い物なのか?」 
「ああ。子供の小遣いでも買えんだろ。」 
 同郷のよしみで売り口上に一役買ってやった心算であろう男の言葉に、会計係は眉後を下げた。 
「そうか。」 
 突き出した掌に、曰く安物の簪を受け取る。パロムに呼ばれ再び遊行に戻るエッジの背を見送ったカインは、凍てつく氷めいた瞳を商人に戻した。 
「やはり嘘だったな。」 
「ははは、は。じゃ、じゃあこれはどうです。バロンの貴族御用達の銀細工! これはかなりの値打ち物――」 
 銀が同属を打つ涼やかな音が立て板の水を遮る。眼前に据えられた銀滴の腕輪に、商人の目が釘付いた。 
「これとどちらが優れているかは分かるな?」 
「だ、旦那はバロンの貴族様かい!? ま、まいったな、仕方ない、とっておきだ! ミシディア産、幸運の魔力が込められた指輪――」 
「この指輪から魔力は感じませんけれど……」 
 控えめに、だがはっきりと、幼い白魔導師が偽りを砕く。 
「こ、こ、このお嬢ちゃんはミシディアの娘か! こ、こりゃ本当に参ったな……」 
 年若く旅慣れた風でもない父娘連れという格好の上客を捕まえた筈が、とんでもない外れ籤を引いてしまったようだ。三度目の正直にあっさり裏切られた商人は、しょんぼりと肩を落とし店じまいを始める。 
 ポロムは、ふとカインの顔を見上げた。調子の良い押し売りを遠ざけた彼の目に怒りが浮かんでいる様子であれば、この言葉はしまっておこうと思ったが。 
「あの、そちらの弓を見せていただけますか?」 
「ん?」 
 右の肩先を指す小さな手に、商人は今一度ショールを解いた。 
「……これかい? これはトロイアで作られた軽い弓だよ。宮殿付きの女官が使うやつだ。」 
 まさか興味は引くまいと頭にしまっておいた説明を流し、フックから外して幼い娘に手渡す。一連のやりとりを何処か遠く眺めたカインは、眼前にかかる淡風を吹き分けるように笑みを落とし、改めて現実と向き直った。 
「貸してもらえるか?」 
 弦の張りを確かめていた少女の手から弓を抜き、射出口を空に向け翳す。上下リブを内側に畳んで収納できる型の複合弓だが、通常の狩猟用と違い持ち手の部分に女性の横顔を模した彫刻が刻まれている。 
「確かに、同じ物を女官が持っていたな……。」 
 今度こそ、カインの知識は商人の口上を認めた。 
「そうでしょうとも。あっしは正直者で通ってますからね、へへへ……」 
 額の脂汗を拭い、商人は今更ながら胸を張る。商人と並び鑑定を待っていたポロムも、何故かほっと胸を撫で下ろした。 
「あの、では、こちらをいただけますか? よろしいでしょうか、カインさん。」 
「ポロムが気に入ったのなら構わないが……。」 
「嬢ちゃんが使うのかい? 飾り物の方が良くないかい?」 
 小物類を収めた袋に伸びる手を、ポロムは微笑でもって押しとどめる。 
「いいんです。これを下さい。」 
「よし、じゃあミスリル銀の矢をたくさんおまけしてあげよう。300ギルになりまさぁ。」 
 言い値が品質に適っていると判断したカインは、ようやく財布の紐を解いた。 
「はいよ、これでお嬢ちゃん達はサンドワームに食われやしねえ! 火のクリスタルのご加護があらんことを。」 
 品を入れた革袋と共に手渡された祈りの言葉。心から願い発するとき、その言葉にはごく微かながら魔力がこもる。ささやかで幸せな魔法にかけられたポロムは、スカートの裾を摘み丁寧に一礼した。 
「次の方、どうぞ。」 
 窓口から順番が回った事を告げられる。大小二枚の切符を入手したカインは、屋台に突き刺さる大小お子様コンビの首根を引いてホバー船停留所へと移動した。 
 
 巨鳥の羽を象った彫刻の元、集う旅人達の足下に黄砂色の霧がかかる。停留所には既に砂上船が待機しており、カインら一行を最後の客として積み込んだ。 
 一日に七往復、計四百五十人の往来を助けるホバー便は、首都ダムシアンとカイポを結ぶほぼ唯一と言っても良い交通手段である。といっても他の交通手段がないわけではない。しかして、渡砂用に訓練されたチョコボを個人単位で入手するのは金銭的にほぼ不可能であるし、バロンまで下り船便を利用する手段は余計な手間がかかるだけだ。 
 オレンジの塗装が施された砂漠の船は、出力こそ劣るものの、バロンで使用している飛空艇のエンジンと同型のエンジンを積んでおり、徒歩のおよそ二倍程度で砂海を渡る。 
 最後尾八人掛け席の半分を占領した四人は、それぞれの荷を足下に降ろした。乗り物酔いを理由に窓際を確保したエッジだったが、槍の立て掛けに苦心するカインを見かねて席を交換する。左隅に竜騎士の証を掲げた船は程なくカイポを後にした。 
 情報という名の商品を扱う屋台となった船上を、折り畳み式の日差し避けがするすると覆う。旅人達のざわめきにバロンの三文字が混ざる度耳に含めていたカインは、軽く握りしめていた指の背を不意に弾かれ視線を回した。 
「なぁに後生大事に持ってやがっかねぇ。早よ食わにゃ溶けっちまうぜ?」 
 カインの意識に棒付き飴の存在を示した忍者は、南国果実の砂糖漬けを挽粉の薄皮に包んだ見目涼しげな菓子を頬張る。彼の膝に置かれた重たそうな紙袋を見、カインは先ほど渡した駄賃の釣り銭回収を諦めた。口を開く度雑多な匂いを解き放つ紙袋の中には、何日分にも匹敵する量の飲食物が詰まっているとみて間違いないだろう。 
「甘い物は苦手なんだがな……」 
 砂気混じりの溜め息を吐き出したカインは、改めて花蜜の塊と向き合った。一口含み、過度の甘さに顔をしかめる。 
「んな嫌そうに食うなよ。」 
「食えと言ったり食うなと言ったり、どっちなんだ。」 
 気まぐれ忍者の意見に翻弄されるカインの足に、ふと一対の小さな掌が乗った。 
「あの、私にいただけますか? 甘い物好きなんです!」 
 突如会話を遮った少女は、勢い乗り出した上半身をおずおずと引き下げる。 
「ポロ、でぶでぶになっちゃうぜ!」 
 火種を耳ざとく聞きつけ、エッジの向こうから野次が顔を出した。 
「パロは黙ってて!」 
「いってぇ!」 
 有無を言わさぬ衝撃音と少女の剣幕に一刀両断される。皮靴越しとは言え、全体重を足の甲に乗せられたパロムが悲鳴を上げた。後部座席にホバー客の視線が集まる。 
「こら、乱暴は止せ。……ポロムは甘い物が好きなんだな。」 
 他客達に軽く会釈し無礼を詫びたカインは、諫めの言葉と共に騒動の原因を差し出した。 
「そ、そうなんですの……ありがとうございますっ」 
 口早に礼を述べ、めくれあがったスカートの裾を撫で居ずまいを正す。微笑みとも羞恥とも何とも付かぬ表情で飴を受け取ったポロムは、両手でしっかり握った菓子を啄むように口付けた。紅色を透かす唇に撫でられる度、金色の円が少しずつ形を崩していく。 
 手に余っていた荷を相応しい所持者に譲渡したカインは、背張りの上に肘を付き頬杖を立てた。思えばこうして、好物を手に笑っているのがこの年頃の相応というものだ。パロムや、特にポロムは随分大人びているが、実際その中身は庇護の対象とされべき純粋無垢な幼い魂なのである。 
 その子供に、欲しいものを欲しいと素直に言わせてやれなかった責は、やはり実力として認める以上にどこかで戦力と見なしてしまっていた自分の態度にある――カインは視界に薄く瞼を下ろした。そんな身勝手な自分の意識に背一杯のつま先立ちで合わせてくれた少女の心には、どれほどの優しさが込められているのだろう。 
 感慨に沈むカインの視線に、ポロムの上目遣いがふと触れた。 
「あー、分かったぁ! ポロム、ニィちゃんとカンセ――」 
 姉の視線の意味に気付いたパロムが得意げに声を上げ――かけたところで、ポロムの踏みつけ攻撃が再度床を揺るがした。 
「いってぇぇ!! 足潰れちゃうだろお!」 
「余計なこと言うからですわ!」 
 涙目の弟に、少女は憤然と言い放つ。わざわざ席を立ってまで弟の足を踏みつけたポロムは、とどめとばかりに拳を振り上げた。 
「おい、喧嘩するな――」 
「止めないで下さいカインさん! きつく言ってやらなきゃ分からないんだから!!」 
 カインに腕を押さえられて尚、余程腹に据えかねたらしい少女は顔を真っ赤にして弟を睨め付ける。藪をつついてツインスネークを出す羽目に陥ったパロムは、慌てて保護者の影に潜り込んだ。脇腹に貼り付く竦み蛙に、エッジの爆笑が降り懸かる。 
「お前らといると飽きねーわホント……っひゃひゃひゃひゃ」 
「お騒がせして申し訳ない……、っお前も頭を下げんか!」 
 子等の責を負う保護者二人が頭を下げてどうにか降船勧告を免れた一行は、溜め息と共に自主サイレスを強いた。 
 
 砂漠という土地柄、流れる景色は黄土色ばかりで目を引く物もない。子供達は先のじゃれ合いに疲れたか、保護者に寄り添い寝息を立て始めた。フードを目深に被ったエッジも、腕組みをしたままうつらうつらと櫂を漕いでいる。 
 拳に顎を押し当て、見るとも無しに遠ざかるカイポを眺めていたカインは、ふと砂の流れに違和感を感じた。風が爪立て描く流線の中に現れた一際巨大な畝が、こちらに向かってくるように見える。 
「……何だ……?」 
 目の錯覚だろうと思ってはみたが、どうも納得がいかない。カインは背もたれに手を付き身を乗り出した。ホバーが蹴り上げる砂煙に紛れてしまい、後方の様子が鮮明に見えない。 
「どーしたよ?」 
 隣で動く気配を感じ、目を覚ましたエッジが声を掛ける。カインは畝を指さし示した。並外れた感覚器官を持つ忍者ならば違和感の正体を見極められるかもしれない。 
 ぐずぐずと流れる砂の中で何かが蠢く。直後、くぐもった爆発音と共に大量の砂が巻き上がった。太陽に膜がかかり視界が曇る。 
「あれは……!」 
 黄砂色の靄を打ち払い、カインの目が映した物。 
 空を穿ち聳える真紅の巨体は、ややもすれば丘陵と見紛うほどだ。太陽を覆い波打つ漆黒の影が、ちっぽけなホバーを呑み込む。 
「で、出たーーー!!」 
 誰の口から発せられたとも知れぬ恐怖が混乱の口火を切った。 
「サンドワーム!?」 
 最も間近に敵を捉えた二人が、異口同音にその名を叫ぶ。 
「お前が飛空艇で見た物と――」 
「似てる……が、でけぇ!!」 
 砂より浮上した怪物は、獲物を乗せた椀に向かい巨躯を倒し込んできた。いかに砂虫の体皮が柔軟とはいえ、これほどの大きさに見合うだけの重量が掛かればホバーなどひとたまりもない。 
 エンジンが唸りを上げ、乗客たちは揃って体を背張りに押し付けられた。カインの目前に打ち下ろされた深紅の金鎚は、自ら起こした衝撃に体表をぶるぶると震わせる。最大船速で砂を巻いた船の後尾が一瞬持ち上げられた。床に置かれた荷の幾つかが宙を舞う。 
 ホバーの変速で崩された体勢を立て直し、カインは砂虫の動きに警戒を戻した。切符売り場の壁に貼られていた仕様書によれば、最大船速は時速十八キロメートル、体を伸縮させて砂地を進む砂虫に追いつける速さではない。加えて、砂虫は縄張り意識が強く、自分の支配領域から逃れた獲物までは追うことはない。――通常ならば。 
 カインの懸念は、果たして想像以上の最悪な現実で証明された。一度は拳大まで縮小した砂虫が、予想外――あるいは、予想通り、縮小した以上の速度で拡大を始める。 
「お、追いつかれるぅぅ……」 
 針の振り切れた速度計と、背後に迫る砂虫に挟まれた運転手が泣き言を風に撒いた。カインは槍を取る。それこそ話にならない体格差を前に、何が出来ると思わないではない。それでも、牙を持つならそれを振るわずいるなどできない。穂先を、今はまだ辛うじて遠い標的に向け座席に土足を上げる。と、真横で軽やかな気配が動いた。 
「足止めならな――」 
「エッジ何を!?」 
 必死にすがりつくパロムをカインに委ね、エッジは後部収納の上に飛び乗る。微妙な重心移動だけで安定を保つエッジの両袖から、三対の細長い光が滑り落ちた。 
 人差し、中、薬の三指に掛けたリングから垂れる糸で吊られた計六本の銀筒。先へいくに従い徐々に膨らんだ形のそれは、祭事などで使う小型の祝砲に良く似ている。 
「フォロー頼むぜ!」 
 エッジは両足の間隔を広めに取り、上半身を深く沈める独特の型で構えた。呼気を細く長く吐き下ろし、機を読む。 
 聴覚から喧噪が遠ざかってゆく。白濁した小さな瞳に強烈な殺意を宿した砂虫が、逃げまどう獲物を前に咆哮した。――己が射程距離に入った事も知らずに。 
「行けッ!!」 
 エッジは四肢に溜めた歪みを解放する。外へ向かう力を得た銀筒は、糸を振り切り空へ打ち上がった。 
 投擲直後の極度に重心を傾けた体が、ホバーの震動に掬われる。カインは咄嗟に右手を延ばし、エッジの首根を捕まえた。細身とはいえ成人男子の体重と、それに落下の勢いも加わった重量が右腕一本にかかる。利き腕ではない不自由さに顔を歪めながらも、前のめりになったエッジを引き起こすことに成功した次の瞬間、岩に船底を掠られたホバーが激しく浮き、跳ね上げられた体がそのままカインの上に降ってきた。 
「ぐッ!」 
 胸元に骨の張った肩の直撃を受けたカインは、霧散しかける意識を何とか繋ぎ止める。一方、 
「ぐぇ、ごほ……必殺・驟雨の舞、どうだっ」 
 逆さまに転げたエッジは、咳き込みながらも快哉を叫んだ。礼の一つも言わない横暴忍者を押し退け、カインは空を見上げる。 
 空を削り打ち上がる銀筒は、雲にほど近い場所まで昇ると白い閃光を発した。上空で花開いた銀色の光は無数の細線と化し降り注ぐ。光の雨を浴びた砂虫は、怯んだように動きを止めた。 
「あれは、……針か?」 
 遠ざかる風景に目を凝らしカインが呟く。衣糸より細いそれを捕らえた視力は、流石竜騎士というところか。 
「惜しい! ありゃ棘だ。」 
 立ちすくむ砂虫の体が頭部から徐々に崩れ始めた。目の錯覚などではない。 
「腐食性の毒に弱ェってのぁ分かってたんでな。ま、灯台下暗し、ってヤツ?」 
「……備えあれば愁いなし……か?」 
 金の地平に溶け沈む深血色の太陽を見送り、カインはようやく船内に視線を収めた。 
「隊長の武器って、やっぱ魔法よりスゲー! かっこいいし!」 
 パロムから脳天気な祝辞が述べられたを契機に、厳かな拍手が沸き立つ。両手ではたはたと空を仰ぎ拍手を収める様をもって始めて、エッジの王族らしさを垣間見たカインは、安堵と少々の疲労から来る微笑を足下に落とした。 
 
 夕暮れ雲を溶いた海面に傾いた太陽が輝きを落とす。降り掛かった火の粉を無事潜り抜けたホバーは、速度をそのまま浅瀬を渡る。深朱の飛沫が霞を掛けるその向こうに、ダムシアン王城のドームが見え始めた。 
 
 両の翼を広げ、夕闇を肺一杯に詰め込む。同じ船に乗り合わせた皆からの握手攻撃からようやく解放された一行の前に、橙一色に染まる町並みが拓けた。 
 火のクリスタルを守護に戴く産業大国ダムシアン。鋼鉄を精製、加工する技術の高さは世界随一を誇り、バロンの飛空艇もエンジン部や外装甲を全てこの国に頼っている。世界を循環する物流という名の動脈。それを打ち出す心臓の鼓動を目の当たりにした幼い双子は、ただ目を丸く見広げた。渡砂便停留所前から真っ直ぐに続くプロムナードは、振り仰げば貝殻のような天蓋を視界の限りに広げ、目を戻せば無数のざわめきを散りばめ、頭上にも足下にも星天を描く。 
「うひょ〜♪」 
 見張り兵よろしく掌の庇を作ったエッジの声が弾む。 
「凄いな……。」 
 陽炎のように揺らめく人々の声に、カインの呟きが消散した。かつてこの国を訪れたのはただ一度。鳥瞰しただけでは、閉じた貝の中身にこれほどの熱量が納まっているなど想像も付かない。夕刻を迎え暑さは若干なり和らいだにも関わらず、人工の灯りの元行き交う人々の生命がそれ以上に熱を放つ。 
※大店の立派な庇の下に身を寄せた、艶やかな衣装を纏った娘たちの視線が首辺りに纏わり付く。街をそぞろ歩く彼女らは、砂漠を渡る隊商を相手に、酒と、昼から一変して凍える夜の温もりを与えることを生業としている女性たちだ。彼女らの寄り付く店は、子連れで行くのに相応しい場所ではないだろう。(子供たちにちゃんとした食事を取らせるため、店を吟味する必要がある。うっかり砂漠の隊商相手の享楽設備が併設されている店など選んでしまった日には、文字通り目も当てられない。) 
「いやぁ、南国の女はいいねぇ、開放的でよ〜♪」 
 うなじに後れ毛を垂らした娘の行き先を目で追うエッジを、パロムの肘打ちが見舞った。 
「隊長、オンナのシリばっか追いかけてんなよな!」 
 恐らくは意味を正しく把握していないであろう子供の指摘に、エッジは唇をねじ曲げる。 
「うーるせぇ、見ろ! カインだって目で追ってるじゃねーか!」 
 声高に名を指されたカインは、幾路にも枝分かれる通りを巡らせていた瞳孔を眼窩の左端に固定した。 
「お前と一緒にするな。宿を探しているんだ。」 
 一点の曇りもない若者代表の真摯な瞳に、不名誉をすっぱりと突き返された男はたじろいだ。人知れず会話の成り行きを見守っていた少女も、ほっと胸を撫で下ろす。 
「なあ、先に飯食おうぜ。俺様腹減って倒れそう。」 
「あれだけ食べてまだ足りんのか!?」 
 色気の次は食い気と申し出るエッジの言葉に、カインは勢いカイポで買い出した食料の空袋を握りつぶした。 
「ほれほれ、ホバーで労働した分、きちんと腹に詰め直さにゃあ。」 
 熱気に混ざって流れる炒め物特有の香ばしい匂いに鼻を立て、男はからからと笑う。 
「そっ……、……全く、酒は飲むなよ。」 
「お前それっか言うことねーのか!」 
 脳裏で素早く算盤を弾いたカインは必要以上の出費を戒めると、鮮やかな看板の林に踏み入った。※食事にしろ宿にしろ、どのみち探さなければならないことに変わりない。相変わらず胸元に涼やかな赤裸の蝶を飾る女性達に目線を流しつつ、エッジも後に続く。 
「カインさんはお酒を嗜まれないんですか?」 
 保護者の足の影に半ば隠れるようにして、対流との衝突を避けるポロムが疑問を口にした。 
「そうだな……全く飲まないという訳じゃないがあまり好かないな。正常な判断力が鈍る。」 
「そうそう、コイツな、酔ってもまるで表情変わんねーのよ。ん〜でもってトンチキな真似しやがっから面白ぇのなんのって。台所から皿取ってくるっつってジャンプしやがった日にゃもう、俺様人生ここで終わるかと思ったね、笑い死に。」 
 意識のどこで聞いていたのか、遊蕩千鳥が横から口を挟む。幾度か彼と杯を重ねたのであろう事情通の目撃談にポロムはあんぐりと口を開けた。少女の瞼裏に、毅然とした表情そのままミシディア舞踊に興じるカインの姿が描かれる。特に第二小節の軽やかなステップなど目も当てられない。 
「あれはお前が無理矢理に薦めたからだろうが! せっかくの土産物を無碍にするのは礼に反すると思ってだな……!」 
 いらないところであらぬ不祥事を暴露されたカインは、せめても不可抗力を声高に主張する。エッジは素早く振り上がる拳の射程外へ逃れた。 
「まさに酒は飲んでも飲まれるなだね、ニィちゃん!」 
 使い古しの慣用句をどこで聞き覚えたのか、パロムが最もらしく頷いてみせる。思い出し笑いに腹を抱えるエッジと、何故か目を覆い距離を取るポロム、エッジの味方に回ることが明白なパロムに加え、往来で立ち止まった一行に注がれる視線の気配さえ感じたカインは、くるりと踵を返し鉄壁の背中を向けた。これは逃げではない。勇気ある撤退だ。目を向けた先に、目抜き通りに横顔を向け淑やかに佇んでいるような店の扉が見える 
「だから酒は好かない……。」 
 目線の位置に貼り付けられた営業中の文字にぶつぶつと恨みを込め、カインは取っ手を押し下げる。 
「まーまー、腹一杯ンなりゃ嫌なことなんざ吹き飛んじまうって。よしっ、食うぞー!」 
 肩にしなだれてきた腕を振り払い、歓迎の挨拶を浴びるカインに続き、ようやくミシディア舞踊の衝撃から立ち直ったポロムが店内に足を踏み入れる。振り払われたまま留まっていた腕をパロムの頭に収め、エッジは後ろ手に扉を閉めた。 
 昼は大衆向けの安価な食事を提供する店は、夕刻を過ぎた現在、メニューに酒を加えて訪れる客をもてなしている。出入り口を囲うように設けられたカウンターの前に立ち、カインはぐるりと視線を巡らせた。同様の業務形態で営まれる店は勿論バロンにもあるが、これほどの規模と収容客数を誇る店は初めて見る。座席数はおそらく二桁を越えるだろう。夜の繁忙時からは大分外れた時間であるにも関わらず、空席がほとんど見られない。平服の地元民が大半だが、少なからぬ兵士の姿も目立つ。子供たちにきちんとした食事を取らせてやれそうだ。 
 壁や天井のみならず卓にも据えられた燭台が宵闇を遠ざけ、人々の手元に昼と変わらぬ光をもたらしている。元は、それなりに裕福な階級の者が住んでいた邸宅だったのだろうか。大衆向けの飲食店には珍しい繊細な細工を施された燭台を見る。 
「いらっしゃいませ、旅のお方。」 
 店内の様子に注意を取られていたカインに、内装と同じく大衆店らしからぬ気取った言葉遣いの挨拶が掛けられる。振り返ると、※店名を刺繍した前掛け※を纏った褐髪の女給が穏やかに微笑んでいた。エッジは素早く仏頂面無愛想騎士を引き下げ、手渡された伝票に略式のサインを書き付ける。 
「できりゃあ窓際の席が良いんだがな、壁際でも全然構わねぇよ? 店ン中の別嬪さん見んのが忙しくて外に目ェ配ってるヒマなんざねぇや。」 
※「出たっ、隊長のエロオヤジ攻撃!」 
 伝票とペンに輝く白い歯を添えるエッジにパロムが野次を投げる。一撃離脱とゲンコツ圏内から飛び退く少年の背後で、女給は重ね指輪の手を唇端に添え微笑んだ。 
「ちょうど窓際の席がもうすぐ空きますから、ご案内いたします。少しお待ちに――」 
 案内に割り入る甲高い金属音に、女給の微笑が凍り付いた。 
「客の言うことが聞けねえってのかァ!」 
 野太い怒声が床に撒かれた皿の破片を踏みつける。壁に反響して蝋燭を揺らがせた威圧が、これまで店内を覆っていた明るい雰囲気を引き裂いた。 
 店内に居合わせた皆の視線が、カウンターに間近い卓の側で床に這い、割れた皿の破片を素手で必死にかき集める小柄な娘の姿を映す。エッジの前に居た女給は軽く頭を下げて踵を返し、同僚の下へ駆け寄った。 
「お客様、至らぬことがございましたか? 私からお詫び申し上げます!」 
 あどけなさの残る顔に亜麻色の髪を落とす同僚に手を貸して立たせて背越しに下げ、褐髪の女給が酔客と対峙する。それと同時に、卓にふんぞり返る男の理不尽な怒りに頭を染める様が、席から離れた場所に立つカインからも見て取れた。 
「うるせぇ、お高く止まりやがってこのアマ!」 
 僅かに浮いた皿の落ちる音が周囲に飛び跳ねる。 
「国を守るお偉い兵士サマが酌をしろって言ってんだよ! 喜んで席に着くのが筋じゃねえか!」 
 随分な因縁を口から迸らせる酔漢の脇に控える、腰に曲刀を提げた一際体格の良い男が、同僚を庇う女給の腕に指を食い込ませた。浅灼けた拳に握られ、苦痛と恐怖が女給の眉間に皹を入れる。しかし、女給は気丈にも無粋漢を睨み返した。 
「こ、この店がお気に召していただけなかったようで残念です。そういったことをお望みなら、他へどうぞ!」 
 こういった揉め事の類とまるで無縁な――むしろ、思い切り苦手そうな一般市民たちは、ただ成す術なくおろおろと遠巻きに様子を見ている。※庇われた女給が率いる厨房からの援軍は、料理長らしき老婆に、小間使いであろう痩せた少年と、その少年に輪をかけて幼い少女、少女に背負われたまだ首の座りも覚束ない赤子という、なんとも頼もしい一団だ。これでは話にならない。 
「おーおー、野暮ですねェ。」 
 歌うような呟きを彩る剣呑な気配を感じ、ポロムはエッジの裾を引いた。 
「喧嘩しちゃダメですわ……」 
 どうにか平和に場が納まるよう気を揉む少女は、一触即発な光景とエッジとを代わる代わる瞳に映す。エッジは笑い、戸惑うポロムの頭を撫でた。 
「大丈夫大丈夫、喧嘩ってぇかちょぉーっとお話してくるだけ――」 
 矢先、硝子の砕ける派手な音が酒場中に響きわたった。酔漢は女給から手を外し、衝撃に殴られた頭部に回す。髪に染み込んだ酒と硝子片が、手を伝い肘に流れ落ちた。 
「こ……このヤロウ!」 
 周りにいた男の連れが椅子を蹴って立ち上がり、背の高い旅人に掴みかかる。中身の詰まった背嚢を床に下ろした青年は、不躾な輩の手首を取った。 
「いい加減にしろ。見苦しいにも程がある。」 
「何だとォ?!」 
 威勢の良い買い言葉を吐き付けた直後、横腹を強烈に射抜かれた男は目を見開いた。服と肌と肉の後ろにある肝臓が歪む。喉に濁音を沸かし白目を剥いた体を床に叩き転がした青年は、女給達に店の奥を示し、返す眼で残る連中を睥睨した。 
「二度は言わん。失せろ。」 
 淡々と発される通りの良い声が無法者を一喝する。周囲の客から歓声が上がった。 
「て……テメェ、ふざけやがって! やっちまえ!!」 
 薄氷の視線に真っ直ぐ見据えられた酒も滴る無粋漢の号令一下、酒場に散っていた手下が立ち上がる。 
 背後を死角と見てか迂闊な大振りで殴りかかってきた先鋒を軽くいなし、足元に転がす。手近な椅子を得物と振り上げた次峰は、がら空きの腹に前蹴りを食わされ呆気なく倒れた。 
 諸国を回る行商人には事欠かぬ街であろうに、青年の徒手戦闘型を見知る声は上がらない。もし、青年の出自がバロンであることが知れたなら、また別の火の手が挙がったことだろう。 
※散々に浴びせ掛けられる威嚇に涼しい顔の青年は、迂闊に飛び出した考えなしの顎に拳を捻じ込む。正確な狙いは過たず、相手は、ただでも酔いに半分廻っていた目を完全に回した。 
 次いで青年は背に負った槍の柄を掴み、鋭く押し下げた。軸足の甲を石突きに射抜かれ悲鳴を上げる顎を、四割月を描いた石突きが天井へ跳ね上げる。 
 背中の武具帯に収まっているからと言って、その槍を無害と見なすのは間違いだ。竜騎士の槍はいかなる形にあっても、僅かな操縦で手足に等しく自在に動く。 
※彼我の境に人嚢を積んだカインは、体を後ろへ引き下げ死角に酒樽を背負った。酔いに熱された相手の士気は甚だ高く、片手で足りる程度を減らしただけでは収まりが付かないようだ。 
 一度解れた騒ぎは瞬く間に飛び火する。数の不利を場所と戦術の優位で補う青年、火の粉を浴びつつ熱狂する野次馬、正義に燃え助太刀に入る者、料理を抱えて逃げる者、とりあえず悲鳴を上げる女給などなど入り乱れ、酒場は大喧噪劇の舞台となった。 
「なあ、あいつ止めねーでいいの?」 
 すっかり中心から外れたエッジは、笑い混じりの台詞で硬直した少女をつつく。右足の一閃で二人を沈める冷静沈着な青年の勇姿に、ポロムはただただ瞬いた。 
「カ……カ……カインさん……」 
「ニィちゃんかっこいい! やれっ、いけーっ!」 
 ちゃっかり見物の特等席――カウンターの上に登ったパロムが、騒動の主役に脳天気な声援を送る。 
「ねねねっ隊長、助太刀はっ?」 
「ま、ありゃカインの敵じゃねえからな〜。俺達はほれ、善良な市民の皆様方が怪我しねぇように避難をお手伝いしましょうや。」 
 場の趨勢をざっと把握したエッジは物見を決め込む、もとい、逃げる人々の誘導へ回る心算を述べた。よほどの多勢に無勢でなければ、民兵相手に遅れを取るカインではないだろう。――しかし。 
「テメェもあいつの仲間か!」 
 物騒な叫びと共に飛んできた椅子を、エッジは肘で断ち払った。 
「よし来た正当防衛!」 
 否応なしを声高に宣言し、落下直前の椅子を蹴り付ける。宙を滑った椅子は元の所持者ともども床に転げた。 
「ったく、人が傍観しててやろうと思やぁ!」 
 存分に笑みを含めた声で遺憾の意を表したエッジは、手近な卓に左踵を落とし空に舞った大皿を手にする。そのまま袈裟に腕を振り放った大皿が、曲刀を抜き払わんとその柄にかかる男の手を潰した。次いで、腕の捻りをそのまま体に伝わせ、上弧旋に駆け昇る左の足甲で天井近く浮いた鍋を撃つ。天井間近に出現した空飛ぶ鉄鍋は、手を潰された男の後続に熱烈な体当たりを振る舞った。 
 ただ一度の宙返りで二人を地に這わせると、エッジはひらりカウンターを飛び越え騒動の最中へ躍り出る。 
「ちょっ、エッジさんまで! ああもうっ!」 
 止める間もなく遠ざかる後ろ姿にポロムは憤然と掌を翳した。少女とて酔客の度を過ぎた無礼に腹が立たなかったわけではない。だが、暴力を暴力で制すれば癒えない傷が増してゆくばかりだ。 
「ガキ!」 
 周りへの警戒が薄れていたポロムは、己が安全な観客席にいるわけではなかったことに気付くのが遅れた。抱え上げられてしまった後で藻掻いても、爪先と地面との距離はまるで縮まらない。羽交い締める太い腕に首根を圧され悲鳴が詰まる。 
「きゃぁ――」 
「ポロ!」 
 姉の危機を見たパロムはカウンターから飛び降りた。男の背後に回り込み、右拳で目線に真一文字を描く。 
「サンダー!!」 
 男の背に押し当てた左掌でバチンと音が弾ける。ちょこまか動く生意気な子供を追っていた瞳孔が瞼の裏へ跳ね上がった。窮屈な束縛帯を解かれたポロムが間合いを離れると同時に、男の体はゆっくりと前傾し四肢を床にばらける。どうと波打つ床に足を掬われ、双子は同時にころり転げた。 
「いて……だいじょぶかポロ!」 
 臀部の鈍痛を振り払い起き上がったパロムは、目前に横たわる大木を飛び越え姉に駆け寄る。 
「ポロ、下着丸見えだぞ!」 
 足音軽く駆けつけた騎士は真っ赤に染めた頬をそっぽ向け、覆布をはだけてひっくり返る姫君に手を差し伸べた。 
「パロッ……あ、りがとう……。」 
 素早く体裁を整えたポロムは、反射的に振り上げかけた拳をしずしずと弟の手に収める。 
「べ、別にど、どってことねーぜ。」 
 密着させた掌から直接魔力を送り込むという思い付き自体が成功するのは知っていたが、動く対象相手に実践したのは初めてだ。姉の謝辞に胸を張ったパロムは、今頃滲み出てきた恐怖を鼻水と一緒に啜り上げる。 
 窮地を乗り越えた子供達がカウンター下へ引き込む一方、舞台上でも役者の頭数が随分と減り、終幕が迫ってることを伺わせていた。悲鳴と怒号はいつしか鳴り止み、代わって怨嗟と呻声が主旋律を奏でている。 
 同じ酒樽を背負い互いの両翼を補う暴れん坊二人組は、三人の残存兵と相対した。手下二人を両脇に従え、騒動のテープカットを頭上で切られた男――曲刀の鞘に刻まれた紋章を見る限り、ダムシアン陸兵団の小隊長のようだ――は怒りの煮え滾った笑みを浮かべる。 
「よくも恥をかかせてくれたな……調子に乗りやがって、後悔させてやる!」 
「おいおい、『僕ちゃん、今、とっても後悔してます』の間違いだろ?」 
 電光石火の軽口に奥歯を軋り合わせた男は、抜き払った得物の切っ先に殺意を灯した。※たかが酒場の喧嘩を刃傷沙汰に及ばせるほど怒り心頭の様子だが、他の者のように迂闊に踏み込んではこない。カインとエッジの実力を正しく測っている証拠ではあるが、惜しむらくはその眼が酔いに曇り、普段の四分の一程度しか見えていないことだろうか。 
「よう、ザコはま――」 
 言いつつ流した視線に、バロンの軍靴が床を踏み応える。 
「……任せろーい。」 
※ 成り行きに掃除係を担ったエッジは、間合い外の二人のうち向かって右に見当を付け・担当区域にずかずか大股に近づいて行き 加速付け正面攻撃への警戒の隙間から顔面がし掴み、助走の勢いそのまま加算で思い切り椅子に座らせる。長丁場の喧嘩で疲れただろう相手への労い 相手は勢い余って椅子ごと引っくり返る 
※残る一人が我に返った時には既に、鋭い振り子に脹脛側の足首を蹴り払われた後だった。落下への急階段を駆け上がる 一切の防御を失った男の額に拳で下向きの加速を与える 床に敷かれた裏返しの飾り皿を頭で叩き割り、男は沈黙した。 
 伸びた二人の体を気取って脇に蹴り退け、出番を終えた役者は鮮やかな蜻蛉を切って観覧席に着く。 
 前哨戦の決着と入れ替わり、喧嘩の発端となった二人の因縁の対決が火蓋を切った。※幾度も刃を交えた跡が模様なす曲刀が鋭い切筋を描く。重心の移動で躱すカインは、策を求め視線を回す。 
※砂漠の猛兵が操る曲刀術 刀身と同じ鋭い三日月の軌跡 流石部隊の長を担うだけあり、至近へ踏み込み手加減を許すような腕前ではない。とは言え、身の丈の槍を振るう竜騎士の腕力で渾身の打撃を与えれば、最悪命を摘んでしまうだろう。 
 酒精に加え怒りで痛覚の鈍った相手を、致命に至らず戦闘続行不可能を悟らせるには、鋭い穂先を覆う安全装置――衝撃を拡散させる防具が必要だ。 
 避けに徹する優男の様を怯えと見誤った男は、泥酔眼に愚かな確信を彩った。口に上ったそれが最悪の一手であるなど考えもしなかっただろう。 
「どうした、背中の槍はお飾りかァ!?」 
「うわっ。」 
 耳入る挑発に、手持ち無沙汰をぶら下げていたエッジは相手の不幸を嘆く。一瞬不快を眉根に表したカインの腕が肩を跨いだ。 
「酒はつくづく判断力を鈍らせる――」 
 自ら描いた円を両断し、返される腕すら残像と従え石突きが腹にめり込む。背まで突き抜けるかのような一撃に、沸騰した赤湯が喉を溢れ、床に長く滴る。 
 男の体はクの字に畳まれ、突撃の威力を二歩の距離に代え宙を滑る。そして、かつての客席に尻餅を着いた姿勢のまま頭を垂れ崩した。 
 男が当分動かないことを視認したカインは、槍を回し背に差し収める。 
 それからややも遅れることなく、混声合唱の凱歌が鳴り響いた。大皿小皿を始め、帽子やら衣服やら果ては椅子まで、居合わせた皆が手にした物を投げ喜び合う中、青年は荷を置いた場所まで引き返す。 
「さすがニィちゃん! かっこいいー!」 
 歓声を上げて避難場所から飛び出したパロムは、次の瞬間、開いた扉に鼻面を殴られごろりと転げた。どたどたと床を踏む軍靴も勇ましく、ダムシアンの国章を染め抜いたマントが戸口に翻る。 
「何事ですか!?」 
 三人の近衛兵を従え、朝陽色の丸帽を斜に掛けた細身の男は、覇にこそ欠けるが耳触り良く通る声で警鐘を打ち付けた。それまでざわめき立っていた空気が一瞬にして鎮まる。 
「ギルバート様!」 
 店奥に避難していた女給の声が、店内に音を戻した。 
 飲まれていた我を戻したパロムポロムが、ギルバートと呼ばれた男に注視を向けるカインの足下に蟠る。頼って縋る小さな手二つに無意識でありながらもそれぞれ掌を被せるカインの目前で、女給が前掛け布を握り項垂れた。 
「……騒動の原因は一体何です?」 
 駆け寄ったもののぐずぐずと涙を落とすばかりの女給に緩やかな声を掛けつつ、近衛兵を下がらせたギルバートは店中に視線を巡らせる。 
 浅く舐める視線の一点に、覚えのある顔が留まった。 
「アタシ、アタシ怖くて、震えていたらカーチャねえさんが助けてくれて、それで、兵士さんが怒ってそれで、こちらの方がアタシ達を助けて下さったんです!」 
 経緯を述べた女給の指で以て再度金髪の男を示されたギルバートは、疑念の眼を確信の瞬きで覆った。 
「あなたは……――」 
 舌先まで現れた言葉を記憶の奔流が押し流す。一年前、ファブール城のクリスタルを収めた部屋。天臨にも等しき力の拠り所と、矢も盾もなく縋った戦士に向けられた忌まわしき殺意の宿り主―― 
 同じ混乱の最中に置かれたのだろう男を前に、ギルバートの立ち直りが勝った。 
「……勇敢なる旅の御方、兵の無礼を詫びさせて下さい。今宵は是非城へお泊まりを。」 
丁重な礼までも付け耳朶に滑り入る言葉にカインは目を剥く。 
「? な――」 
「おーっ良いねえ! 俺様腹減って死んじゃいそう!」 
 間を置かず両肩に乗った重みと声が躊躇いの舌先を奪った。咄嗟に調子を合わせた忍者の機転に微笑み、ギルバートは両腕を広げる。 
「皆さん、お騒がせしてすみません。どうぞ宴を続けて下さい。」 
※同行した兵士に店の修繕を命じる 
 観衆に向け夜の再来を歌うと、吟遊詩人の王は踵を返した。鼻を押さえて呻くパロムを荷物と共に抱え上げたエッジは、急展開に目を丸くしたままのカインをどつく。 
「うら、ぼさっとしてねぇでよ。」 
「……あ、ああ――」 
「大変、置いて行かれてしまいますわ!」 
 焦り声を上げるポロムに膝裏を押されて、ようやくカインは一歩を踏み出した。 




LastModify : April/14/2015.