誰かが肩を揺り動かす。薄く開いた視界にぼんやり光る金髪が映った。 
「お……交代か?」 
 投げ出した四肢を引き寄せ上体を起こしたエッジは、腕を振り天井を突き上げる。 
「バカ言うな。もう時間だ。」 
 カインは厚織りのマントを持ち主に投げた。どうせしばらく起きないだろうと予想していたが、まさか最終巡回まで熟睡するとは。もはやエッジ本人よりも、彼の言葉を信じた自分に腹が立つ。 
「うー……体中ビキビキするぅ。カイン君、肩揉んでくんない?」 
 どこまでも調子の良い相棒の願いを黙殺し、カインはうり二つの寝顔に顔を寄せた。 
「出発するぞ。」 
 掌にすっぽり収まる肩を揺り動かすと、小さな寝息が大きな欠伸に変わる。目をこすりこすり上体を起こしたポロムは、右腕を高く掲げ睡魔を祓った。 
「まだねむいぃ〜……」 
 ごねる弟に小さなゲンコツを見舞い、ベッドを離れる。手荒い目覚ましを喰らったパロムは、目をこすりこすり上体を起こした。 
「殴ることないだろー……」 
 乱暴な姉に文句を言い言い、パロムもベッドを離れる。 
 カインが双子を起こしている間に綾紐一本編み上げたエッジは、残りの糸を腕に巻き付けた。 
「準備はいいか?」 
「いつでもオッケーだぜ。」 
 首元で留めたマントを背に流し、カインは跪く。ベッドをずらすと、脱出口はすぐに見つかった。欠けた角に手を差し入れ、肩幅大の床石を持ち上げる。暗闇の中を覗き込むと、冷えた石の匂いが頬に触れた。穴の様子を調べるために小石を落としてみる。カインの手を離れた小石は、やや間をおいてから澄んだ接触音を返した。穴は垂直に下へ続いているようだ。深いと言えば深いが、骨折の心配はしなくても良いだろう。 
「俺、パロム、ポロム、エッジの順で行こう。」 
「あいよ。」 
 穴に両足を突っ込んだカインは、寝ぼけ眼の幼い不安顔に笑みを投げ、両腕の支えを外した。視界が闇に没したのもつかの間、すぐに空間が拓ける。赤みがかった岩の上に着地したカインは、天井から漏れる柔い光を見上げた。瞬くように光が閉ざされ、双子が順に降ってくる。 
 最後の一人は着地に介助を要さない。落下地点を開けようとしていたカインは、ふと、布擦れとは全く異なる音に注意を引かれ再度天井を降り仰いだ。※石に爪立てるようなカリカリという音が近づいてくる 
「な!?」 
 頭上から落ちてきた何かをとっさに受け止める。それが何であるか判別した次の瞬間、温かい重みに頭を殴られた。 
「おわ!?」 
「ぐっ!?」 
 もんどりうって倒れる鈍い音。軽量とはいえ※会心のドロップキックを胸に食らったカインは、色とりどりの花が咲き乱れる楽園を目撃した。あの川の向こうで手を振っているのは、幼い頃死に別れた父だろうか。 
「ぃ……ってぇ〜……なんで突っ立ってんだよ……」 
 ※石頭に強か打ち付けたエッジが不手際を責める。大きな川の水際で我に返ったカインは、横暴忍者を押しのけた。 
「こんな物を落とすからだ、馬鹿者め……」 
 よろよろと立ち上がり、肩当てを持ち主に投げ返す。体の線に沿うよう丸く鋳た防具を肩に取り付け、エッジは鼻を鳴らした。 
「仕方ねえだろ、通らなかったんだからよ。」 
「お二人とも、大丈夫ですか?」 
 気遣うポロムに、気の抜けた答が二つ返される。 
 幸先の悪い出発を切った一行は、右手から差す尖った光に向かい歩き出した。濃い靄のような闇に覆われた地面は凹凸が激しく、カインまでもが足を取られ転倒しかける。怪我をしてからでは遅い――カインは素早く決断し、パロムに松明代わりを頼んだ。魔力は最大値のまま温存しておきたかったが、背に腹は変えられない。 
 やがて、通路が急激に勾配し天井と接した。一見して行き止まりのようだが、カインはパロムに消灯を指示し、僅かな光を掴むため鈍闇に目を慣らす。 
 果たして、埃を被った岩の隙間に黄味がかった漏光が見えた。 
「外れそうだな。」 
 手探りで隙間の周囲を探ったエッジは、光の真上に位置する岩の表面に掌を当てた。少し力を込めただけで岩は簡単に抜け、成人一人がぎりぎり通れるほどの穴が開く。 
 ほとんど視界の利かなかった通路を抜けた先には、ちょっとした公園ほどの空間が広がっていた。壁を辿って見上げた瞳に、闇と同化した高い天井が朧に映る。 
「ここはー……どこだ?」 
 腰に手を当て反り返ったエッジは、同じ姿勢で天井を探す事情通に尋ねた。 
「そうだな、……位置的には、竜騎士団控え室の真下……あたりか。」 
 牢からここまでの通路の距離を覚えの見取り図に置き換え、見当を付けてみる。まったく的外れではないだろうが、どうにも確かめようがない。 
「もしかしたら、内堀の下にかかっているかもしらんな……。」 
「ニィちゃん、ニィちゃん、あそこ、ほら!」 
 パロムに袖を引かれ、カインは振り向いた。少年の指先を追い視線を延ばすと、目算十メートル辺りの場所に張り出した足場が見えた。大股で後ろに下がり目を凝らすと、足場の向こうに階段が見つかる。 
「ねねね、ジャンプしてビューンって行けない?」 
「いや……いくら何でも高すぎるぞ……。」 
 無邪気な過大評価に、カインは苦笑を返した。パロムはがっくり肩を落とす。 
「なーんだぁ……竜騎士って大したことないんだね。」 
「……パロム……。」 
 少年に悪気はない――それは分かっているのだが。 
「おーい、こっちに通気口があんぜ。」 
 背後からエッジの声が響いた。場所の特定はひとまず取り置き、対面の壁にいるエッジの元に集まる。 
「他に道はない、か……。」 
 床すれすれに取り付けられた通風口は腰元まで届くほどの高さだ。這って進むのに支障はないだろう。 
 金網を外したエッジは、上半身を潜らせ、先を探った。中は薄暗いが視界は利く。出口はそう遠くなさそうだ。 
「大した距離じゃねえみてぇよ。」 
「よし、行ってみよう。」 
 四つ這いで連なり、緩やかに勾配する排気管の中を登っていく。途中の分岐をまずは右に折れ、一階分ほど上に登ったところで、入り口と同様金網が張られた出口が見えた。 
 流れていく空気が鼻先を掠める。網の隙間から指を出し器用に金網を外し、エッジは顔だけ出して視線を巡らせた。ところどころに据えられた燭台が、薄闇の中に光の輪を描いている。 
 右見て左見て人気がないのを確認した脱獄囚は、通気口を這い出て細い通路に立った。エッジに続き、カイン、パロム、と通気口を抜ける。最後の一人に手を貸すカインの隣で殺風景な廊下を端から端まで見渡したエッジは、ふと右手の扉に掲げられたプレートを目にし口笛を吹いた。装飾を懲らしたバロン文字が、宝の山の在処であることを誇らしげに告げている。 
「……武器を回収する必要がある、か……。」 
 不気味なほど愛想のいい笑みを浮かべるエッジに、カインは半ば諦め顔で入室を許可した。 
「へっへっへ、そうこなくっちゃ〜!」 
 長髪を留めるためのピンを一本拝借した忍者は、鼻歌混じりに宝物庫の扉を解放する。鈍色の重厚な扉を開けると、白い清浄な輝きが視界を満たした。 
「ヒャッホー! 豪華豪華!」 
 歓声を上げたエッジは、早速手近な棚に取り付く。 
「待て待て待て待て!」 
 カインは慌ててエッジをひっぺがした。棚を探っていた腕を引き抜くと、骨張った手が装飾品を鷲掴みにしている。どこまでも予想に違わぬ相棒に呆れながら、カインは執念で接着された指をこじ開けた。 
「所持品の回収をするだけだ。それ以外の物に手を付けるな!」 
「いいじゃねぇか、どうせ肥やしになってんだからよ。」 
「肥やしじゃない! いいか、これは国家の有事に予備役の人間に支給される武具で、いつ何時事が起こっても即対応出来るよう、丹念に手入れをし――」 
 生真面目な竜騎士は、これらの備品がいかに国家の安全を保証しているか蕩々と語り始める。つまらない薀蓄を右から左へ聞き流し、エッジは壁に掛けられた大小さまざまな剣を物色した。宝物庫というだけあって儀礼用の装飾刀が多いが、造りの良い秀刀もちらりほらり見受けられる。特に、一際目を引く朱鞘の大太刀と、柄に蒼玉が埋め込まれた鈍銀の短剣が素晴らしい。 
 目を付けた二本の内護身用の短剣を手に取ったエッジは、荷物を探す少年を呼び寄せた。 
「隊長、なーに?」 
 小走りに駆けてきたパロムに剣を持たせ、エッジは手前勝手に納得する。 
「こーの短剣は業物だぜ〜。オレサマのオススメ! パロムにピッタシ!」 
「こうして南部を併合した後……違う! エッジ!」 
 一方、いつの間にやらポロムにバロン建国史を語っていたカインは、ようやく本来の説教相手を思い出した。 
「手を付けるなと言っただろうが!」 
「ポロー、胸当てくれえ付けられんだろ?」 
 掴まれた肩をするりと抜いたエッジは、薄金で箔を押した胸当てをポロムの体に押しつける。 
「え、はい……。」 
 手渡された防具を胸に当て、ポロムはカインの顔を窺った。濃い諦めが竜騎士の顔に影を落とす。 
「……もういい。」 
 溜息一つ吐き捨てたカインは、部屋の片隅に立てかけられていた己の槍を回収すると、エッジと並んで棚を覗き込んだ。 
「お? どうした?」 
 盗人王が呑気に声を掛けてくる。いくつかの小型刀を手に取ったカインは、薄刃に明かりを透かした。 
「予備の武器を持っていく。槍だけでは心許ないからな。」 
「へっへ、なんだかんだ言って結局お前も漁るワケね。」 
「どうとでも言え。」 
 盛んにどついてくるエッジを膝で蹴り返し、掌長の投擲刀二対を上腕に止める。 
 武器の回収と補充を終え重装備となった一行は、通気口の分岐点まで戻り、先ほど残った選択肢へと進んだ。冷気を吸った金属面は徐々に地下へ下っていく。 
 今度の出口は真下に現れた。金網を外したエッジは上体を落とし、辺りの様子を窺う。 
「どうだ?」 
「ほっそい通路だぜ。あー、こりゃあ……」 
 エッジの体がするりと消えた。鉄棒の要領で床に降りた忍者は、天井の四角い穴から覗いた顔を招く。 
「この先って、オーディンがいたとこじゃねえ?」 
 滴のように垂れてきた仲間達に、エッジは左手奥を示してみせる。次第に宵闇色を増しながら伸びる通路の行き止まりに、ほの白い扉が浮かんで見えた。 
「主無き玉座の間、か……」 
 バロン戦役後期、先王の亡霊が出没すると噂になった場所だ。誰が腰掛けた形跡もない石造りの玉座だけが収められたその部屋は、先王の亡霊騒ぎ以前から様々な怪奇談の舞台として有名だった。 
「アルジルチギョク……ら?」 
 異国語をうまく聞き取れなかったエッジは大袈裟に首を傾げる。 
「ややこしい間違え方をするな! ……そうか、あそこは水門の真上だったな。」 
 律儀に突っ込んだカインは腕を組み、暗闇にひっそりと佇む扉をじっと見つめた。 
 かの近衛兵から――つまり国王直々に融通された情報によれば、先に脱獄したエブラーナの間者は、城内から旧水路へ至る道を探り当てた。自分の知る限り、巡回の穴を縫って最も水路に近付ける場所が、玉座の間を目前に据えるこの廊下だ。通路の反対から塔の上階へ上り、窓から堀へ飛び込んで水路の入口へ向かうか――成功可能性の低い案にカインは自ら却下印を押す。水深は落下の衝撃を受け止めるのに十分だが、着水音もまた警備兵の注意を惹くに十分だ。 
――まさか、脱獄を示唆するような言葉は、脱獄の罪を上着せするための罠だったのか? 
「そーやって考えてる時間がいっちゃん無駄なんだよ。行って駄目なら別の道だ。」 
「……そうだな。」 
 楽天家に背を押され、カインは足を前へ踏み出した。エッジの言うとおり、ここで迷っていても仕方がない。 
 闇を押し分けるようにして長い廊下を歩く。簡易錠を難なく破った一行は、主無き玉座の間に足を踏み入れた。 
「変な部屋〜……」 
 埃と冷気が沈殿する床に小さな足跡を刻み、パロムは玉座に近付く。 
「先に脱獄した者が、何か手がかりを残してくれていればいいが……」 
「誰かが見つけられたなら、俺達に見つからねえ道理は無ぇさ。」 
 軽く応じて、淡く発光する壁面を調べていたエッジは、ふと引き攣るような低い笑い声を漏らした。 
「……セシルから聞いたんだけどよぉ〜、ここって、マジやべぇらしいぜ〜。数年前警備の兵が、この場所でな……けっけっけ……」 
「きゃーっ! やめて下さい!」 
 か細い悲鳴を上げ、ポロムが耳を押さえる。 
「ほれそこ! そこの壁から赤い腕が!!」 
「おい、悪ふざけは止せ。」 
 怯え青ざめる少女を見かね、カインは相棒の悪趣味を咎めた。エッジは舌を出し、再び壁の調査にかかる。最年長とは到底思えぬ振る舞いだ。 
「全く……確かにそういった噂が多々ある場所だが……」 
「へぇ、マジで? 聞きたい聞きた〜い。」 
 事情通の呟きをしっかり聞きつけたエッジが駄々をこねる。 
「オイラも聞きたい! ねねね、どんな話? どんな話?」 
 玉座の背後を調べていたパロムも早足で戻ってくる。 
「あの、私も……カインさんが話してくれるなら安心ですわ。」 
「おいおい、そりゃどういう意味だ。」 
 恐がりらしいポロムまでもがおずおずと申し出る。満場一致を得、カインは朧気な記憶を掘り返した。 
「怪談といえるかどうか知らんが……バロン戦役が始まる少し前、夜間警備の兵がこの部屋で行方知れずになったらしい。」 
「ほーらな、ほらな、言ったとおりだろ?」 
「黙ってなよ隊長。」 
 少年に怒られ、エッジは肩を竦める。 
「セシルから同じ話を聞いたんだな。……で、そう、なったらしい、ではなく、実際行方知れずになったんだ。その時一緒に巡回していた兵士によると、壁から赤い腕が伸び、兵を壁の中へ連れ去ったのだと。」 
 淡々と語られる前置きに、一同喉を鳴らした。これからいよいよ面白くなる。 
 期待を一身に背負ったカインは、くるりと踵を返し壁に手を当てた。待つこと暫し。 
「……それで?」 
 いつまでたっても始まらない後編を待ちきれず、エッジが合いの手を入れる。カインは首だけ振り向けた。 
「それで、とは?」 
「続き続き! 話の続きは?」 
「これで終わりだが。」 
 皆の期待を綺麗に一刀両断したカインは、壁に取り付けられた燭台を覗き込んだ。使われなくなって久しい燭台の受け皿には、埃が層を成している。 
「おいおいおーい! そりゃねぇだろ〜!?」 
 頓狂な声に耳を掴まれ、カインは振り返った。 
「お前ホンットつまんねぇなあ。フツーこっからが面白くなるんだろが!」 
「面白くも何も、それだけの話だぞ? 脚色する必要はない。」 
 どうにもこの生真面目人間は怪談の主旨を理解出来ないようだ。エッジは肺から絞り出すような溜息をつく。 
「んじゃ、もっと話し方工夫しろよ。……こうやってさー、」 
 正しい怪談の話し方を教えるため、エッジは勢いよく腕を広げた。その右拳骨が、目算の遙か手前にあった燭台を右拳骨で掬い上げる。 
 秒針が時を刻むのとよく似た音が鳴り、燭台がわずか上へ滑った。 
「カチッ?」 
 音の出所に最も近い二人は顔を見合わせる。その瞬間、足下の床石が膝まで沈み込んだ。 
「おおお!?」 
 重い地響きと共に、床石がどんどん沈んでゆく。とっさに決断を下したカインは、双子に手を差し伸べた。 
「来い!」 
 双子は迷わず沈む床石に飛び乗る。 
「凝った仕掛けだな……」 
 見る見る高くそびえ立っていく壁に当たらぬよう身を竦めたエッジは、額に手を当て大分遠くなった床を仰ぐ。※垂直搬送機と同じ仕組み。新しい床板が穴を塞ぐ 
「罠ではないようだな。」 
「何で分かる?」 
「侵入者を始末するなら落とせば済むだろう。」 
 四人を乗せた床石は一定の速度で下降を続けた。五メートルほども降ったところで、ようやく四方を覆っていた壁が消える。※ベルトコンベアで少し前方へ押し出されて停止 
 辿り着いた先は、ところどころ岩石が露出した古い通路だった。向かって右は土砂で埋まっており、もう一方は頑丈な鉄の扉に塞がれている。 
 錆びた扉を蹴り開けた途端、生暖かい腐臭が全身にまとわりついた。 
「ぐぇ!」 
 顔をぐしゃぐしゃにしかめたエッジは、首覆布を引っ張り上げ口と鼻を覆う。他残る三人もそれぞれ両手で呼吸器を塞いだ。光苔の生む僅かな明かりの下、様々な色が解け合い闇色に変色した川が、呼吸をするのさえ躊躇われるほどの悪臭を放っている。 
※壁一面を覆う光苔が放つ蛍光に照らされ、カラービニールを貼ったような不透水面 もっとも、自然光で照らしたところで、この水面がろくな色でないことは想像に難くない。 
「ここが旧水路だ……。」 
 くぐもったカインの声が目的地到着を告げた。 
「こりゃ……何が出てきても不思議じゃねえわな……。」 
 潤んだ瞳を細め、エッジは水に目を落とす。いくら古い水路とはいえ、あまりに環境が変わりすぎている。 
 流れることすらやめてしまった水面に、ポロムは細い息を吐いた。 
「この水……死んでいます。何も生み出さない、ただここにあるだけ……。」 
「ポロム、顔色が真っ青だぞ?」 
 深遠な台詞を口にする少女は、今にも倒れてしまいそうだ。 
「ぅぅううう〜〜〜っっ! 来たあぁーーー!!」 
 少女の容態を案じるカインの背後で、パロムが盛大な奇声を発した。体格に見合わぬほどの発声量を示した少年は、両肩を押さえてがたがた震えている。 
「お、おい!? 大丈夫かよって大丈夫じゃねえな。」 
 真横で鳴り響いた警報に少なからず肝を冷やされたエッジは、膝を折り少年の目線を拾う。パロムは歯をかちかちと鳴らしながらも、真っ青を通り越し土気色に変色した顔で無理矢理笑みを作ってみせた。 
「へっちちゃらだだだい、ししばららららくすればばば」 
「ど、どうした!?」 
 パロムに起こった異変の原因が分からない。為す術の無いカインはパロムの背をなでやる。自身も気怠げに浅い息をつくポロムが、ゆっくりと杖を振り上げ弟にエスナを施した。 
「パロムはクリスタルから受ける影響が強いんですの……ここにあまり長く――」 
「ははやややくいこここうぜっニニニィちゃんたたいちょうおうぅぅ」 
 姉の言葉を遮り、負けん気な少年は右腕を突き上げる。ポロムの言葉を聞いたカインの頭に、ふとある考えが閃いた。急かすパロムを制し、うなじに手を入れ鎖を探る。やや苦戦しながらも首飾りを吊る留め具を外したカインは、胸元から小瓶を引っ張り出した。 
 パロムは人一倍クリスタルの影響を受ける――ならば、水のクリスタルで浄めた守りの効果も高いのではないだろうか。 
 カインの手で首に下げられた小瓶をつまみ、パロムは首を傾げる。 
「こここれれこ……」 
「長老から頂いたものだ。クリスタルで浄められた水らしい。……少しは良くなったか?」 
「おお! なるほど〜。」 
 カインの機転に感心し、早速エッジもそれに倣う。パロムはエッジから受け取ったお守りを、隣に立つ姉の首にかけた。 
「パロム、私はいいから……」 
「何言っててんだよ! ポロだだって具合悪いいくせに。」 
 微妙な痙攣はおさまらないが、それでも喋れるほどに快復したパロムは、姉の額をぺしと叩く。 
「おぉ、兄弟愛だねえ〜。良き哉良き哉。」 
 膝に付いた汚れを払い、エッジはカインを顧みた。 
「海側は完全に封鎖されているはずだ。とすると……」 
 口の中で呟き、カインは前後に伸びる水路の先に目を凝らす。旧水路内に入ってからというもの、方向感覚がまるきり途絶えてしまった。風の流れさえ淀ませるほどの重苦しい奇妙な気配が五感を鈍らせる。 
「北西はどっちだ?」 
 一縷の望みをかけ、カインは天然野生児に方向を問うた。口元を覆っている為か普段よりぐっと凛々しく見えるエッジは、魔術の詠唱でも行うかのように人差し指の横腹を額に押し当てる。 
「この前からどぉ〜も調子悪ぃんだよなあ……」 
 愚痴を零しつつ、口だけ万年絶好調男は瞑目した。しばらくそうして何やら察した後、徐に顔を上げる。 
「右だ。……と、思う。」 
「異論は?」 
 不明瞭な断言を得たカインは、エッジを真似て思案顔を作るパロムと、それを窘めるポロムに向き直った。双子は揃って首を振る。 
「よし、右だ。」 
「確率半々なんだから、外れても文句言うなよ?」 
 最終判断をカインに持たせたエッジは、先頭へと歩み出た。その後を双子が並んで続き、殿をカインが努める。 
 菱形の隊列を組んだ一行は、ぬめる床に足下を掬われないよう慎重に足を運んだ。川に落ちても死ぬわけではないだろうが、気分最悪になること間違いない。 
※距離を少しでも稼ぐためヘイストで補助かける? ポロ提案 エッジ期待わくわく カイン悩んで却下 とにかく先に何があるか分からない エッジがっかり 一同口数少なく あまり口を開きたくない環境に加え、不安がより固く一同の口を閉ざす 時間の感覚もない 
 出口に向かっているのか分からない不安が四人を無口にする。と、先頭のエッジが何の前触れもなく立ち止まった。視線を床に落としていたパロムは、エッジの太股と激突する。続くカインは、少年の後頭部を殴りつける寸前で足を止めた。 
「ちょっ、隊長〜! いきなり止まんなよぉ。」 
「悪ぃ……なぁ、何か――」 
 心ここにあらずで辺りを窺うエッジにつられ、三人も視線を回す。 
 瞬間、カインの鼻先に黒の塊が躍り出た。考えるより先に※拳で払う。足下に落ちたそれは床で一度跳ね、川面に消えた。 
「何だ……?」 
 ミスリル銀の※篭手を粘性の高い射干玉が伝い滴る。しかし、得体を確かめる悠長は許されないようだ。カインは※少し下がって前方と間隔取ってから 背の槍を抜き、横一文字に空を裂き、勢いで鞘を飛ばした。 
 静かだった川面に無数の泡が浮かんでいる。それは波のように後から後から押し寄せ、見る間に川面を覆い尽くした。二倍近くまで肥大化した頭部に、人間と酷似した眼球をはめ込んだそれは、魚と言うにはあまりに不気味な生物。 
「走れ!!」 
 鋭い警鐘が凍り付く足を剥がした。カインとエッジはほぼ同時に子供をすくい上げ、床を蹴る。忍者の小脇に抱えられたパロムは、激しく揺れる上下逆転した視界の中心に右手を伸ばした。 
「ブリザァ――」 
 川面に薄靄がかかる。が、不自然に途切れた呪文は氷の層を成すには至らず、押し寄せる黒い波に塗り込められた。 
 ※振り切れるか?それほど早い魚じゃない筈なんだけど 常識で考えない方がよさげ・通常の状態と比較するのは明らかに無意味だ 後ろから追いかけてくる水音が途絶える気配が一向にない・水音が途絶えるまで走り続けるしかない 
 生存の可能性を賭けひた走る二つの影に、白濁した眼球が群れ集う。 
 やがて、目の前が左右に拓けた。 
「どっちだ!?」 
「右ィ!」 
 後続から迫られた運命の選択。だが、迷わない。直角に折れ曲がる通路の端ギリギリまで踵を滑らせ、減速せずに曲がりきる。彼らの背後で水袋を踏みつぶすに似た音が相次いだ。壁や仲間の体と激突しながらも、それらは獲物に追いすがる。 
※腐臭のする空気さえ今は貴重な酸素源 否応なし肺に循環させる 
 揃っていた足音が乱れ始めた。胸元に抱いた小さな体を負荷に感じる心を殺し、カインは槍を握り直す。 
 程なく、彼らの目の前に今度は三択が訪れた。 
「エッジ!」 
「真っ直ぐゥ!」 
 己を信じ、エッジは方向を定める。肺に送り込まれる酸素の中に、ほんの微かだが流れる水の匂いが混じった。出口は近い―― 
「!!」 
 靴底に刻まれた滑り止めが苔を剥がす。エッジにやや遅れ、カインも足を止めた。 
 少年を下ろす忍者の後ろに道がない。ひび割れた通路の先は、完全に水没している。 
 
※旧水路からの脱出口 水溜まり(?)を斜め右の対壁へクロスして飛び越す形 
 
「時間を稼ぐ、何とかしろ!」 
 少女を下ろしたカインの肩をぐいと後ろに押しやり、エッジは追っ手と対峙した。カインは躊躇わず槍を手放し、腐った水に足を踏み入れる。 
「ここで少ぅし遊んでくれや!」 
 小刀を中段に構えたエッジは、支配領域に立ち入った愚かな獲物を狙う魚を袈裟に払い落とした。 
「カインさんの元に行かせるもんかっ エアロ!!」 
 殊勝な台詞と共に杖を振るうポロムの前面に、不可視の壁がそそり立つ。触れたもの全てを切り裂く古代禁呪、エアロ。パロムにもしもの事があった場合を考え、長老に許可を得ず学んだ魔法が早速役に立った。 
 呪文の詠唱が思うようにいかないパロムも、後方援護を諦め皆からやや離れた位置に構えた。エッジとポロムが取り逃がした分を、拙いながらも習い覚えた剣術で丁寧に減らしていく。 
 三人の援護を受け出口を探るカインは、急激にかさを増す水をかきわけ進んだ。強烈な腐臭が心臓の間近に迫る。 
※壁に添わせた手が細い感触に袖を引かれた 壁に水面から突き出た白骨の手 エッジが使う苦無とよく似た四角錐の飛び道具を握っている。 水から突き出た手の骨だけ残っている ここが出口だと告げているかのように 体の他の部分はどうなったのか知る術はない 
 カインは頭を傾け視線を上げる 組んだ石の隙間に差し込まれた苦無が見つかった。彼はこれを足場にして登ろうとしたに違いない。手を伸ばしても届かない、白銀の梯子に。 
 一段、二段、と梯子を辿り見上げ先に、新月のような細い光が見える。 
 カインはぐるりと体を回した。一刻も早く仲間に出口を知らせなければ。※ぬめる水底をかく左足に鋭い激痛が走った。一瞬よろけたカインは、壁に手を付き水没しかける体を支える。神経を刺す断続的な痛み。だが、我慢できない程ではない。 
 原因究明を後に回したカインは、大股で通路まで引き返した。 
「この先に上への梯子がある! パロム、ポロム!」 
 立てかけておいた槍を下段に構え、双子の後を担う。名を呼ばれた双子は頷き、カインの脇をすり抜けた。 
「気を付けろ、深いぞ!」 
 ポロムの背にカインの助言が追いすがる。通路の切れ目で立ち止まった少女は、杖を背中へ振り抜いた。 
「レビテト!」 
 重力制御の力を得た二人は、水面に波紋を描いて走る。先に梯子を握ったポロムが、パロムに手を差し伸べた。冷えた金属の棒を伝い、出口を目指す。梯子の頂上まで登りきった二人は、しかし、そこで最後の難関に出くわした。 
 蓋が動かない。接着されているのか錆びたのかは分からないが、顔が真っ赤になるほど腕を突っ張ってみてもびくともしてくれないのだ。 
「ポロ、頭引っ込めろっ」 
 と、背後から肩先を掠め耳元に手が伸びた。姉の背に頬をきつく押し当て蓋に掌を付けたパロムは、全神経を腕に集中させる。 
「ブリ……ザドォ!!」 
 少年の祈りは金属を構成する元素を冷気で包み込んだ。白い結晶体と化した蓋は、ポロムの杖の一撃で容易に崩れ去る。 
「エッジ!」 
 双子の脱出を知ったカインは相棒を促した。が、エッジはカインを軽く突き飛ばす。無言の返答を得たカインは槍を背に差し、距離を測って通路の縁を割らんばかりに蹴りつけた。緩い放物線を描き宙を駆けた竜騎士は、左手に捕らえた梯子を強く胸元に引きつける。壁にたたきつけられた左足から、弾力に富んだ何かが破裂する鈍い音がした。視界の隅で、潰れた魚の体が眼下の闇に落ち水しぶきをあげる。左足の激痛は、どうやらそいつが原因だったらしい。 
 再び出血しだした左足に構わず、カインは梯子に取り付いた。数段登ったところで右腕を足場に絡め、目一杯体を傾け後続に槍の柄を差し伸べる。 
「急げ!」 
「あいよ! ――火遁!」 
 最後まで留まり前線を確保していた忍者は、川面に炎の壁を建てると回れ右で駆け出した。一目散に走りながら、手首に巻き付けておいた綾紐を解く。 
「雷迅!」 
 エッジを取り巻くように起こった稲妻の輪は、螺旋を描いて紐に吸い込まれた。 
 灼熱の防御壁をかいくぐった魚がブーツの踵にぶつかってくる。紐を水面に落とすと同時に、エッジは跳躍した。カインの腕力を信じ、槍に全体重を預ける。 
 エッジの手が確かに槍の柄を掴んだその瞬間、足下に淀む闇を凄まじい電光が引き裂いた。荒れ狂う轟音が水中を焼き尽くす。 
 うんていの要領で槍の柄を伝い梯子に取り付いたエッジは、眼下の光景を驚愕の眼差しで見つめるカインに自慢げな笑みを投げた。 
※僅かな水音ぽちゃん 足下を見下ろすと、粘性の高い水に沈み行こうとする白い手の骨 まるでこちらに向けて手を振っているかのよう 
――無惨な死を遂げた彼の御霊は、大いなる光の元へ還れたろうか。 
 カインは目を伏せて祈りの言葉を、エッジは両手の平を合わせる故国式の黙祷をそれぞれ死者に捧げ、旧水路を後にした。 
 
 水飛沫混じりの清浄な空気が肺を満たす。出口の先は巨大な滝の裏だった。バロン付近でこれだけの滝がある場所といえば、ミスト山脈付近しかない。必死だったためまるでそんな気はしないが、相当な距離を走った計算になる。※カインをして、全団合同訓練で一度か二度完走できたことがある、くらいの距離 ※実際走った距離がどれほどか、エッジには知らせない方が良いだろう。(多分へたりこんだまま三日くらいは休むとか言い出すんじゃないか) 
 外界はすっかり朝焼けに染まっていた。朝日が澄んだ水を貴石のように輝かせる。出口に手頃な岩を乗せ封をした後、エッジはそのまま岩に背を預け崩折れた。※肺の中身は元より細胞一つ一つに至るまでそっくり入れ替える勢いで、腐敗臭のしない空気を堪能する。 
「……あー疲れた……もー動けね……」 
「エッジさん、頭!」 
 体力回復のため駆け寄ったポロムが悲鳴を上げる。エッジは眉間にしわを寄せ、指摘された部分に手をやった。生暖かい水のような物が髪にたっぷり染み込んでいる。 
「えぁ? っうおぉ!?」 
 目の前に下ろした掌は、一面鮮朱に塗れていた。仰天したエッジはすぐさま頭部を探る。これだけの出血があるとすればかなりの傷のはずだ。しかし、いくら頭皮を探っても傷の在処が分からない。 
「すぐに治療を!」 
「違う違う、俺じゃねえぇえ!」 
 滝壺で体や衣服に付着した汚れを落とし終えたカインは、洞窟を舞台に繰り広げられる謎の出血騒動に口元を緩めた。※風上の岩壁に寄り、観覧席に着く。この仲間の誰一人欠けることなく、脱出できて本当に良かった。 
「ニィちゃん! 足……!!」 
 パロムの声が洞窟内に乱反射する。カインは暢気に姿勢を正し、少年が指さす己の足を見た。左足首に滲んだ鮮血が見る間に溢れ、地面に溜まる。 
「……すまんポロム、俺だ。」 
 患者の挙手により謎の流血騒動にようやく幕が下りた。 
「どうして早くに仰らなかったんですか!」 
 治癒呪文の詠唱を終えたポロムが鈍感に過ぎるカインを叱りつける。鋭利ではない刃物で抉られたような傷はかなり深く、このまま放っておいたら歩けなくなるところだった。 
「いや……すまない、忘れていた。」 
 呪文だけでは治しきれない傷跡の残る足をブーツに突っ込み、カインは恐縮する。※これほどの傷を負いながら、痛みどころか存在さえ意識から全く飛んでいたとは、我が事ながら他人事のように呆れてしまう。 
「ったくー……んな傷忘れるなんざどっか神経切れてんじゃねえのかぁ?」 
 汚れた髪をマントで拭いつつ、エッジはうんざりと肩を竦めた。ぶつぶつと言葉にならない呟きを漏らし、苛立ちを発散する。 
 カインから反省を勝ち取ったポロムは、改めて再びエッジの元へ駆け寄った。 
「これ、お返しします。ありがとうございました。」 
「おうよ。」 
 胸元から引っ張り出した小瓶を、持ち主であるエッジに手渡す。パロムも姉に倣い、カインの首にお守りを下げた。 
「んで? これからどーするよ。」 
 小瓶を胸元に落とし、エッジが今後を問う。背後に流れる水の音を聞きながら、カインは目を閉じた。 
「一度ミシディアへ戻ろう。デビルロードを使えないとなれば、ファブール経由で船に乗るしかないが……。」 
「おっけ、決まり決まり。」 
 続く懸念を同意で遮ったエッジは、腕を枕にさっさと横たわる。双子たちもエッジのマントを敷布に身体を転がした。 
 横になって並ぶ仲間の間を慎重に縫い、カインは滝畔に出た。陽に晒しておいた服を拾い、袖を通す。まだ水気が残っているが、着ていれば十分もせずに乾くだろう。※滝の水しぶきを浴びながら遠景を望む。鮮やかな一日の始まりを迎えるバロン城は、真白い城壁の背後に陰鬱な影を長く引いている。その城下を、草原を、海を、そして闇をも浸食する影――その中には何が潜んでいるのか。見極めなければならない。大きく一息を吐き出したカインは、故郷を背に負い洞窟の闇へと足を踏み出した。 




LastModify : April/14/2015.