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◇◆ The 11th story ◇◆
◆ 高遠武頼の回想

 満月が赤い着物をきて現れたとき、俺の全ての記憶が蘇った……

「これは寛ちゃんのママ、美寛の着物なのよ。でも、1度も袖を通すことなく逝ってしまった……
だからこれは、寛ちゃんの新しい家族になる人のための着物。この着物に袖を通せる人は、もう決まっているけれどね」
 祖母がそうやって嬉しそうに語りながら、丹念に手入れをし続けた鞠の絵が描かれた着物。
そしてそれを満月に着させた祖母。その時ようやく思い出したんだ。
満月が寛兄の Luna piena だったのだと――

 俺が最初に出会ったのは、満月の方だったんだ……
病に倒れた母が、どうしたら元気になってくれるかと必死で考え
大好きな苺を食べれば病気が治ってくれるかも知れない!
今思えば 浅はかで幼稚な結論を下した俺は、ありったけの小銭を握り締め
ヴィラを抜け出して、 1人マーケットへと向かった。
 レンガで埋め尽くされた歩道の真ん中に、うつむき佇む女の子がいて
直感的に迷子だと思った俺は、どうしようかと悩み考えてから、おずおずとその子に話しかけた。
「君は迷子なの? 大丈夫?」
ビクっと体を震わせた後、恐る恐る俺を見上げる顔は、周りとは違う異国の顔立ちで
それが自分にとてもよく似た顔立ちだったから、妙な親近感の湧いた俺は
どうにかこの子を助けてあげたいと思ったんだ。
 何度も笑顔でその子に話しかけた。一緒にママを探してあげると手も差し出した。
けれどその子は ずっとうつむいたまま、俺の手を取ろうとはしなかった。
どうしていいのか解らなくなり、俺の方が泣きそうになったとき

「Matsuki! Luna piena!」

 俺よりも年上なグレーの瞳を持つ少年が、大声でそう呼びながら走り寄ってきて
その声が聞こえた途端、パッと顔を上げ、信じられないほどの可愛らしい笑顔をたたえて
その子も少年へと向かって走り出した。
 きっとこれが、俺が体験した生まれてはじめての拒絶と屈辱感だったのだと思う。
なぜ俺には心を開かず、あの笑顔をみせてくれなかったのか……
なぜ俺よりも、あんなに薄汚い格好をした少年の方へ信頼を寄せるのか……
悔しさや惨めさや、色々な気持ちが混ざり合って、その場に佇み動けなかった俺に
「どうちたの? おにいたんは、迷子になっちゃったの?」
そうやって声をかけてきたのが、新月だったんだ――

 大きな屋敷にただ1人。贅沢な品に囲まれて、けれど息の詰まる様な生活をしていた俺は
野に静かに咲く花の様な、どことなく母の面影に似た満月に
『あの笑顔を僕にも向けて欲しい……』 そう思い続けていたんだ。
けれど満月は、いつもあの少年と一緒に居て、笑顔を見せてくれるどころか
俺と遊ぼうともしてくれなかった。
 母を亡くし、いつまでもメソメソと泣き続ける俺を、小さいながらにも心配して毎日の様に現れる新月。
「どうして? どうして満月は来てくれないの? なんで新月ばかりが来るの?」
そんな残酷な言葉を新月に投げつけた記憶もある。
その度に新月は豪快に笑いながら
「ちっかりちろよ! ブライは男だりょ!」
舌足らずの発音で叫びながら、背中を思い切り叩くんだ。

 そんなある日、次は絶対に満月と一緒にくるからと、新月が笑顔で約束してくれた。
ヴィラの花を摘んで、満月と冠を作ることができる。
そしてそれをプレゼントしたら満月が笑ってくれるんじゃないか?
そんな場面を夢見て、不器用ながらにその日がくるまで懸命に冠を作る練習をした。
 けれど、やってきたのはいつもの様に新月だけ。
途中まで一緒にきたのだと、顔を真っ赤にして泣きそうになりながら説明する新月に
落胆を悟られない様に気をつけながら
「新月のせいじゃないよ! 気にしないで」
精一杯の笑顔で言った後、満月のために作った冠を新月にかぶせれば
飛びきりの笑顔を俺に向けて喜ぶ新月が居て、少し救われた様な気がしたけれど
垣根の向こうから小さな笑い声が聞こえてきて、その声のする方を見ると
俺の見たかった、俺に見せて欲しかった笑顔を浮かべて、またあの少年と手を繋ぐ満月が居た。

 何かが大きな音を立てて俺の中で破裂したんだ……
絶対に近寄ってはいけないと、きつく言い聞かされていた川岸へと走り出し
そんな俺を懸命に追いかけてくる新月に、ありったけの大声を出して怒鳴った。

「僕はお前となんか遊びたくないんだ! 満月がいいんだ! お前なんか大嫌いだ!」

 あの時の新月の顔……
俺は、新月に突き飛ばされたんじゃない。
新月をとても傷つけてしまったことにうろたえて、後ろにずり下がり
自分で足を滑らせて川に落ちたんだ――

 新月はその日から俺の前に姿を現さなくなった。
代わりにヴィラへとやってきたのは、従兄弟だという寛兄……
身なりは綺麗になっていたけれど、寛兄があの少年だということにすぐ気が付いた。
だから俺は、そんな寛兄をなかなか受け入れることが出来ず
寛兄もまた、俺だけではなく、誰ともまともに話そうとはしなかった。

 大きな満月が輝いていた夜、祖母が寛兄に向かって言っていた。
「寛ちゃんは、何が欲しかった? どうしたら笑ってくれる?」
祖母の悲しげな問いに、寛兄が静かにつぶやいた 。

『Luna piena』

 その言葉を発したときだけ見せた優しい微笑みに、幼かった俺ですら
それが寛兄の何よりも大切なものを意味する言葉なのだと解った。
そして、『Luna piena』 が 『マツキ』 を意味する言葉なのだとも……

 自分にとって、大きな出来事が連続して起こり、脳と心が対応しきれなかったんだ。
母の最期の言葉・満月の拒絶・新月の傷ついた顔・寛兄の微笑み・祖母の悲しげな言葉……
夢の中でグルグルとまわり続ける、記憶と感情と人間関係。
 こうして何日も高熱にうなされ寝込んだ後、目を覚ましてベッドの脇を見れば
心配そうに俺の手を握っている新月がいて、にこやかに笑う新月がいて……
そしてその新月の手を握り返して言ったんだ。

「マツキちゃん、やっと来てくれたんだね」

 新月は反論しなかった。『マツキちゃん』 と呼ぶたびに笑ってくれていた。
そして自分の卑しい感情と疚しさから逃れるために
全ての事件の罪を 『シヅキ』 におしつけ憎む様になっていく――


 寛兄は、決して笑ってくれなかった。
新月を 『マツキ』 と呼び、仲良く遊ぶ俺たちを黙って見ているだけ。
訂正も反論もせず、そして笑いもせず、ただ黙って見ているだけだった……
 けれど不意にヴィラを抜け出しては、憎き 『シヅキ』 と遊んでいる寛兄。
『勝った。寛兄に勝てた』
そんな思いがあったのかも知れない。
『満月が俺に取られたからって、今度は新月かよ?』
そうやって心の中で笑っていたのかも知れない。
けれど、どこかで思うんだ。
なんで俺をあんなに苦しめる 『シヅキ』 と遊ぶときだけ寛兄は笑うんだ?
どうして俺には笑いかけてくれないんだ……

 寛兄は、いつも胸につけているペンダントを握り締める癖があった。
怒るとか、泣くとか、そういった感情を押し殺すときに触るんだ。
嫌な気持ちを吸い取ってくれるペンダント。 俺は、それが欲しかった……
 寛兄が日本へと旅立つ日
『シヅキ』 に大事なペンダントを渡している現場を目撃した俺は
寛兄がいなくなった後、未だその場に佇み泣きじゃくる 『シヅキ』 の胸からそのペンダントを引きちぎり

「これは寛兄の大切なものなんだ! お前なんかが持っていちゃいけないんだ!」

そう喚き散らし、返してくれと泣き叫ぶ 『シヅキ』 を突き飛ばして走り去った。
そしてそれを、母からの手紙が詰まった箱に隠したんだ。
 毎日の様に こっそり見ては、どうしよう、返さなきゃと悩むのだけれど
あの時の寛兄の様に、そのペンダントを握り締めると、スッと気持ちが晴れてくれる気がしたんだ。

 嫌な気持ちを吸い取ってくれるペンダント。 俺は、これが欲しかった……
そうやって自分をごまかし続け、結局返せないまま、返さないまま
俺たちも日本へと帰国した。
日本に帰国してから数年間は、このペンダントのことを悩んでいたかも知れない。
けれどあんなに小さな時の記憶なんて、人間そうそう覚えていられるはずはない。
そう決め付けて、無理やり忘れ去ろうとした――

 あれから何年が経ったのだろう。
祖母に頼まれて、仕方なく出向いたイタリア家具の個展。
若草色のベレー帽をかぶった、今時めずらしいほどの綺麗な黒髪を揺らしながら
個展をゆっくりと歩く彼女を見つけて、忘れ去っていた記憶が滝の様に流れ出してきた。
そう。間違った記憶のまま。満月を新月だと取り違えたまま……
 俺を見た途端、『シヅキ』 の目に、恐怖の色が映し出され
それがまた妙に癪に障り、逃げる彼女を追いかける。
 追いついたコーヒーショップで、硬貨を拾おうと屈んだ 『シヅキ』 を見下ろした時
なぜか、マーケット前の歩道に佇んでいた、迷子の女の子の情景が浮かんできた。
 静かに静かに咲いている、野の花の様な新月……
いや、違う。静かに咲く花は満月の方だったはず。
ようやくここで、俺の記憶がねじれていることに気が付いた。
でも認めたくない。認めたら、全てがおかしくなってしまうから――

 俺は満月の笑顔が好きだった。
その笑顔を、俺に向けて欲しいと思い続けていたんだ。
今の俺を見て、満月が少しだけ笑ってくれる。寛兄へではなく、俺に向かって。
けれど、どこかで思うんだ。
俺を覗き込む満月の目は、俺を見ながら違う誰かを想っていると。
違うよ満月。もっとあの時の様に笑って……

 祖母から、赤い着物を差し出された満月。
そして、イタリア時代の幼い写真を祖母から差し出された俺。
あぁ。今の俺は、昔の寛兄とそっくりだったんだね。
自分でも気づかぬ内に、あの頃の寛兄に憧れ、真似をしていたんだ。
満月に、ペンダントを返さなきゃ――

 満月にペンダントを渡し終え、後ろを振り向くことなく角を曲がる。
全てを思い出し、ペンダントを返せたことで、ようやく何かから開放された気分だった。
どうしてこんなにも長い時間をかけなければ解らなかったのだろう。
俺は、2人の笑顔が見たかったんだ。
誰にも邪魔などできない、強い絆で結ばれた2人が羨ましかったんだ……
そして俺にだってちゃんと居たんだよな。そんな絆を持った相手が。

 俯き歩く俺の目に、茶色のローファーが映しだされる。
ゆっくりと見上げれば、そこには笑顔で佇む新月が居て、こう言うんだ。

「しっかりしろよ! 武頼は男だろ?」

 そうだな。お前はそうやっていつも背中を叩いてくれたっけ
ごめんな寛兄。ごめんな満月。

そして、ずっとずっと ごめんな新月…… 
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photo by ©Four seasons