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◇◆ Shadow ◇◆
 暇を持て余す私の元へグランドがやってきて、贈り物だと笑いながら差し出したのは、私と同い年ほどの女の子だった。
 私の前世の記憶は、未だにところどころが不鮮明だ。
 それでもそれが、私と一緒に転生したベルだということはすぐに解った。

 なぜグランドが、ベルをここへ連れてきたのかは解らない。
 そしてそれをグランドに問い詰めたところで、何も話してはくれないだろう。
 グランドはまた、ただ悲しげに微笑むだけだ――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 私たち兄弟に、母親は居ない。
 私を産み落とすと同時に、エスプレッソ女王であった母は息を引き取った。
 だから国王である父は、私が憎いのだと思う。
 誰よりも愛した最愛の女王を、私が殺してしまったのだから。

 国王の意思は従者たちにも伝わって、冷ややかな乳母と、溜息ばかりを繰り返す侍女、 何にでも口を出し続ける大臣、そんな愛など無縁な世界で、私は凍えながら育った。
 それでもそこに、グランドが居てくれた。
 極寒の北の国で凍え続ける私を、暖め続けてくれたのがグランドだった。
 グランドは、心優しき最強の戦士だ。
 誰よりも強く、誰よりも優しく、そして、誰よりも私を愛してくれた。

 国王は、女王を失った悲しみから抜け出せない余り、国の統治を御座成りにした。
 だからそんな国王に代わり、国を動かしていたのは、大臣とグランドだった。
 エスプレッソは他の国と違い、特殊な能力を持たない国だ。
 そのため人々は腕力による権力を求め、強いものが伸し上がる弱肉強食の世界を繰り広げた。
 血筋だけで王家は保てない。いつクーデターが起きてもおかしくない。
 そしてそんな状況を私が把握した辺りから、グランドは笑うことがなくなっていく。

 我が国エスプレッソは、マキアート国とだけ同盟を結んでいる。
 けれどそれはグランドとハープの婚姻が、仕来りに寄って定められたからであり、当然その裏には政治的策略が張られていた。
 大臣は、マキアートを同盟国ではなく、従属国にするつもりだった。
 お喋りな侍女や女官たちが、浮き足立ちながらその話をしていたことを覚えている。

 だからめでたくグランドとハープの婚姻が執り行われた暁には、 ハープを人質として、マキアートを我が国の傘下に治める行動を起こすだろう。
 そしてその日が刻々と迫り、国内が俄かに慌しくなっていく。
 当然、グランドは全てを知っていた。
 知っていながら、それを押えられない自分の非力さに、悩み苦しんでいたんだ――

 初めてバールの王族たちと会ったのは、まだヨチヨチ歩きの頃だったと思う。
 同じ年に生まれたベルは、兄であるアルファードの、タキシードの裾を握り締めていた。
 そして私もまたグランドの裾を握り締め、互いに互いの兄に隠れながら、チロチロと観察していた気がする。
 王女が取らねばならない礼儀は、その時既に、嫌と言うほど叩き込まれていた。
 それでもそれは大人に対する礼儀だったから、同じ年頃の者と、どう接して良いのか解らない。

 きっとベルも、そうだったのだと思う。
 だから、まごつき続ける私たちの手を互いの兄が取り
「ベル、エスプレッソ国の、ビオラ姫だよ。ちゃんとご挨拶をしなさい」
「ビオラ、ココア国のベル姫だ。お前と同い年なんだよ」
 そうやって私たちに囁きながら、自分たちの影から引っ張り出した。

 そこで私は、初めて本物の笑顔を見たんだ。
 グランドは優しい。決して作り物の微笑を、私へ向けたりはしない。
 それでもいつもどこか寂しげで、屈託なく笑うということはなかった。
 けれどベルは違う。礼儀だとかマナーだとか、そんなものとは一切無縁な笑顔を私に向けた。
「は、はじめまして。ビオラちゃんと仲良くなりたいです」
 そうやって、たどたどしい口調で、私に手を差し伸べたんだ。

 ところが私たちの歳が二桁になった辺りから、グランドがベルに嫌がらせをするようになる。
 これでもかってなほどの暴言を、いつものグランドらしからぬ口調で吐き続けた。
 勘の良いエースや鋭いアルが、それに気がついていないはずはない。
 それでもグランドは嫌がらせを止めず、エースやアルもそれを黙認していた。
 それどころか、ある日を境に、あんなにもベルと仲の良かったエースさえ、ベルを邪気に扱うようになっていく。

 居た堪れなかった。エースの事情も解らない。そしてグランドの事情も解らない。
 だから、なぜそこまでベルを憎む必要があるんだと、何度もグランドにそう訴えたけれど、  グランドはいつものように苦笑いをするだけで、私にはその理由がわからぬままだった。
 そんなグランドが怖いベルは、必然的に私とも距離を置く。
 そして私はまた、一人ぼっちになった……

 そんなある日、ベルが庭園の片隅で一人、なにやらコソコソとやっているのを見つけた。
 不思議に思った私は、ベルの様子を物陰からコッソリと窺って、そこで異常な光景までをも目撃してしまう。
 ベルの手からこぼれた菓子が、地面に落ちるどころか突然フワフワと浮かび出し、 そんな様子を見ていたベルが、クスクスと小さな笑い声を漏らす。
 まるでそこに、リスでも居るような光景だった。でも決してそこには、リスなど居ない。

 思わず物陰から飛び出して、目の辺りにした光景を直球で喚いた。
「ば、化け物だっ! 化け物っ!」
「ち、違う……私はただ……」
 ベルの顔が、ショックで青ざめていく。
 私のその言葉で、ベルを深く傷つけてしまったことに気がついて、咄嗟に謝ろうとしたけれど、 そんな私の声を聴きつけて駆け寄ってきたグランドが、やはり宙に浮くお菓子を見て、ここぞとばかりに言い出した。
「お前、化け物だったんだなっ!」

 化け物だと言い続けるグランドに、ベルは言い訳をすることなくヘラヘラと笑っていた。
 だからそこまで傷ついていなかったのだと解釈した私は、謝ることを忘れて祭祀に戻った。
 けれどその後、ベルがエースの前で泣いている姿が視界の隅に入る。
 そしてそれを最後に、ベルが本物の笑顔を見せてくれることはなくなった。

「グランドのせいだ!」
 私が一人ぼっちなのも、ベルが離れていってしまったのも、何もかもグランドのせいにして、当り散らしたことがある。
 するとグランドは、それを否定するどころか私の頭を撫でて、何度も私に謝った。
「そうだね。全て俺が悪いんだ……」
 どうしてなのかが解らない。
 水面下で繰り広げられている数々の事情が、今でも何一つ解らない。
 なぜここまで、グランドは意に反した悪役を引き受けているのだろう。
 それが解らないまま私は転生し、転生した後もまた、解らないまま途方に暮れる。

 グランドがハープと仕来りで結ばれているように、私もまた、アルファードと結ばれていた。
 けれどアルをどう想っていたのかという記憶が、今の私には思い出せない。
 好きだったのか、どうでも良かったのか、それすらも思い出せない。
 ただ分かる感情は、アルとグランドが似ているということだけだ。
 容姿や性格が似ているのではなく、置かれた立場や、 アルから放たれる辛さや悲しみが、グランドとよく似ていた。
 だからこの人を、私はきっと好きになれると思っていた気がする。
 アルは、誰よりも大好きなグランドに似ているのだから……

 アルファードのことを、ハープがとても強く想っていたことは知っていた。
 そしてその夢を叶えるためには、グランドと私が邪魔だということも知っていた。
 何がそこまで悔しかったのかは分からない。
 それでもそんなハープが、とても憎かったことを覚えている。

 そしてあの日、私とベルが転生してしまった日。
 ハープは私の存在に気がつきながらも、公の場でわざとアルに想いを告げた。
 これみよがしなほど堂々と、自分の気持ちを告げていた。
 けれど何よりも腹が立ったのは、そんな告白ではなく、ハープが吐いたグランドへの侮辱だ。
 だから文句を言ってやろうと後を付回し、そんな私に気がついていたはずのハープは、 なぜか半狂乱になりながら、ベルを伴い自室に引き上げていく。

 ちょっとの隙だったと思う。
 エースとアルが席を外した隙に、ハープがわざと行動を起こした気がして、当然私は二人の後を追った。
 自室に引き上げてからも、ハープはベルを意のままに操っていた。
 必死で何かを止めるベルに、切々と辛い心情を語って聞かせ、それを聞いたベルが涙を零す。
 あのベルの性格だ。親友にそんなことを告げられたら、自分も一緒に飲むと言い出すに決まっている。
 そして案の定、そう言い出したベルに、ハープは自分よりも先にそれを飲むよう促した。

「ベル、それを飲んじゃダメっ!」
 ハープの罠だと怒鳴りながら、部屋の中に飛び込んだ。
 けれどそれは遅く、カップをソーサーに戻したベルの姿が、その場から忽然と消える。
 キャラバンの、ベルの名を叫ぶ声が延々に続く。
 そんな中で私はハープの胸倉を掴み、何て事を仕出かしたんだと揺さぶった。
 そこで気がつくべきだった。
 なぜハープは、私が後をつけていると知りながら放置したのかを。
 なんでハープが、ベルを先に促したのかを。

「ビオラ、こうするしかなかったの……」
 誰にも聴こえないほどの震える小さな声で、ハープが私に向って囁いた。
 そしてその瞬間、ハープがカップの中の液体を、唖然とする私の口にめがけて投げ込んだ。
 そこで、ビオラだった頃の私の記憶は消える――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 キャラバンが転生した私の前に現れたのは、高校に入学したての頃だった。
 突然金髪の男が現れて、あなたはお姫様なんですと言われても、はいそうですかと信じる馬鹿はいないだろう。
 だから財産目当てな新手の詐欺か、もしくは気の触れた外国人。そんな程度にしかキャラバンを見れなかった。

 それでもキャラバンは諦めなかった。
 何度も私の前に現れては、自分を信じてくれと懇願した。
 あのしつこさには、たまったもんじゃない。
 寝ても覚めてもキャラバンの顔ばかりが、浮かび続けたと言っても過言じゃない。
 そこで、我が家によく遊びに来るグランドという名の遠い親戚に、その話を切り出した。
「聞いてよグランド。キャラバンと名乗る男が……」

 グランドは、決して自分が兄だと告げなかった。
 逆に、血が繋がっていることを、ひたすら隠そうとしたような気がする。
 けれど徐々におかしな夢を見るようになった私は、カプチーノ城でエースとアル、そしてベルに再会した。
 バリスタのアイちゃんが、なぜか私の夢の中に居て、王子様のような服装で佇んでいた。
 そこでもしかしたらアイちゃんも、このおかしな夢に悩まされているのではないかと、無我夢中で走り寄る。
「ねぇ、変な格好しているけど、バリスタのアイちゃんでしょ!」
 けれど誰も私の問いに答えることなく沈黙ばかりが続くから、苛立ちだけが先走り、ベルと呼ばれる女の子を突き飛ばす。

 夢から覚め、ふと痛みを感じて指を見れば、女の子を突き飛ばしたときに出来たはずの傷がそこにある。
 余りにも生々しい夢と痛む傷に、たまらずキャラバンへ連絡を取り、夢での出来事を吐き出した。
 するとキャラバンはとても喜んで、訳の分からぬ台詞を告げる。
「ベルもビオラと同じように、記憶を取り戻しつつあるってことだ」
 それから私と一緒に転生をしたベルのこと、バールでの様々な出来事などを、キャラバンは包み隠さず話してくれた。
 そこで何かの蓋が抉じ開けられたように、数々の記憶が一気に流れ込んできた。

 人間界での両親は、エスプレッソ国の従者だ。
 それだけでなく、見渡せば使用人の全てが、何らかの形でエスプレッソに関わっていた者だと思い出す。
 キャラバンは、エースも自分も、ようやく私とベルを探し当てることができたのだと言っていた。
 なのにグランドは、私が小さい頃から我が家を訪れている。
 どう考えても、誰が考えても、これは我が国が仕組んだことだ。
 そしてまた、グランドは全てを知っていたことになる……

 けれど兄だという記憶が戻ってからも、グランドはそれを否定し、私がバールへ赴くことを決して許さなかった。
「またそうやって、私のささやかな幸せをグランドは奪うの?」
 だからたまらずそう言い放ったけれど、グランドはただ静かに目を閉じるだけで、何一つ教えてくれようとはしない。
「どうして隠し事ばかりをするの? どうして本当のことを何一つ教えてくれないの!」
 癇癪を起こしてグランドに詰め寄り、泣き叫びながらその台詞ばかりを何度も繰り返す。
 それでもグランドは謝るだけで、結局何も解らないまま今に至る。
 そしてそんな矢先、グランドはこうしてベルを、鈴を伴いやってきた――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 こいつに何を言われても、どんなことが起きても、絶対にバールへ来てはならないとグランドは何度もそう言った。
 けれど記憶が不十分な鈴を、私と同じように苦しんでいるはずの鈴を、物のように扱うグランドの態度に腹が立つ。
 何か理由があるはずなんだ。でもそれを、勘ぐっているとグランドに思われたくはない。
 だからグランドの言葉に便乗して、鈴を目の前にしながら言い切った。
「ふ〜ん、あんまり欲しくないけど、なんだか面白そうだから貰っておくわ」

 鈴はなぜかメイド服を着ていて、今にでも掃除を始めそうな雰囲気だった。
 そんな出で立ちの鈴を、我が家の召使たちもその気満々で見下ろしていた。
 転生したとはいえ、ココアのお姫様である鈴を、こき使える自分たちに喜びを感じたのだろう。
 だからそうはさせないと、怒鳴り叫ぶ。
「化け物が触ったら、全てが腐っちゃうでしょ!」

 さらに屋根裏部屋は、骨董品などを保管するため、厳重な設備が整っている。
 もしそこで何かがあったとしても、私の耳にそれが届かない。
 だからまた、鈴を傷つけることを承知で、周りを納得させるためにひたすら叫ぶ。
「化け物の下でなど、私が寝られると思うのっ!」
 そして半地下にある物置へ鈴を追いやり、鍵をかけ、その鍵は私だけが保管した。

「私、あんたのこと化け物だとは思っていたけど、嫌いじゃなかったわよ?」
 ようやく言えたその言葉で、鈴の目が驚きに大きく見開かれる。
 それからの数日間、毎日鈴の元を訪れて、記憶のこと、転生してからのこと、そんな話をし続けた。
 けれど、半地下の小さな窓の外を眺めながら、鈴が溜息を漏らす。
 その姿がエースの背中を見つめていたベルと重なって、鈴の溜息の原因が、エースなのだと気がついた。

 キャラバンから、エースも人間界へ来ていると聞かされて、 アイドル並みに有名なバリスタのアイちゃんが、エースだということを知っている。
 そしてカプチーノ領であるマンションへ、鈴を隔離したことも知っている。
 キャラバンは、どうせ誰かに頼まれて、渋々エースはやってきたのだと言っていたけれど、私はそうは思わない。
 現に鈴はこうして、転生しても同じ相手を想い続けている。
 だからエースも今頃、躍起になって鈴を探しているだろう。

 そんなとき、ココア国で開催される、舞踏会の招待状が私の元へ届く。
 更に、その招待状と同時に届いたエースの手紙を見て、鈴がここに居ることを、エースは既に気がついていることを知る。
 エースは、ダンスのペアを申し込むフリをして、ここを訪れる理由が欲しいんだ。
 ここに来て、鈴の存在を確認したいに違いない。
 そこでその手紙を鈴に見せ、もうすぐエースが迎えにくると教えたつもりだったのだけれど、 逆に鈴はひどく落胆し、次の日の朝は、異常なほど瞼が腫れていた。

 何とかしてあげたいと思いはじめた頃、都合よくキャラバンが我が家を訪れた。
「ふざけないでよ。あんな化け物が、うちに居るわけないでしょ!」
 鈴にも分かるように、そうやってキャラバンへ怒鳴ったけれど、聞こえているはずの鈴は行動を起こさない。
 だから仕方なく、そんな鈴に苛立ちながら、キャラバンへ直球で切り出した。
「エースは、いつになったらやってくるの!」
 そこで事の次第を把握したキャラバンが、そっと私に耳打ちをする。
「たとえ鈴がここに居たとしても、ここから連れ出すことは不可能なんだ」

 居ても立っても入れず、グランドからあれほど禁じられたバールへ、鈴を連れて飛んだ。
 けれどそこにグランドが国の統治から帰還して、私を見つけて怒鳴り狂う。
「あれほどここへ来てはならないと言っただろうがっ!」
 そして生まれて初めて、グランドに横っ面を叩かれた。

 何よりも先に合わせ鏡で人間界へと戻された私は、その後の展開を知らない。
 鈴のことが気がかりだったけれど、キャラバンがまた我が家を訪れて、それから起きた出来事を話し聞かせてくれた。
「ビオラ、俺は君の事を、今までずっと誤解していたよ……」
 そんな言葉を、立ち去る間際にキャラバンがつぶやいた。

 グランドが何を隠しているのかが解らない今、その言葉がとても嬉しく響く。
 こうやって少しずつ皆の誤解が解け合えば、グランドが笑える日がくるかも知れない。
 いつか、グランドが本物の笑顔を、私に向けてくれるかも知れない。
 だから私は、グランドの影になる。
 こんな私の願いを叶えてくれるのは、皆なのだと思うから――
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photo by ©clef