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◇◆ Perrier ◇◆
 アルファードの予想通り、キャラバンは既に動き出していた。
 転生されたビオラがバールに現れたのも、きっとキャラバンが関係しているはずだ。
 だからそそくさと人間界に戻り、すぐにベルの、鈴の元を訪れれば、校門前で佇むキャラバンの姿。

 ギリギリセーフでキャラバンを車へ押し込み、ベルに逢わせることなく連れ去った。
 けれど車が走り出してすぐに、キャラバンが口火を切る。
「驚きましたよ。なぜあなたが人間界にいるのかと」
 は? 俺が人間界に来るのは、当然のことでしょ?
 驚きたいのはこっちのほうだ。だから疑問を疑問で返してやった。
「それは、俺のセリフだな。なぜ何も関係のないお前が、人間界に居るんだろうね?」

 ところがキャラバンは、悪びれることなくヌケヌケとほざく。
「当然、俺はベルを迎えにきたんですよ」
 は? なぜお前がしゃしゃり出てくるの?
 だから、なんておかしなことを言い出すんだとばかりに、キャラバンに言い返した。
「それはおかしいな、確かベルの婚約者は俺だったはずだけど?」

 プラスチックに入った、キャラメル臭いコーヒーをのんきに啜り上げながら、なぜか余裕の笑みを見せるキャラバンがシレっと言った。
「俺は、ベルとの約束を果たしに来たんです。大切なものを守れる男になったと証明するためにね」
 ハープやベルの影に隠れて、エルグランドどころかビオラからまで身を守っていたような男の、全く説得力に欠けた戯言にはついていけない。
「それは、たいそう立派になられたんだねバンバンくん」
 そうやって、適当に受け流そうとすれば、顔色ひとつ変えないままキャラバンが俺に問う。
「エースさんは、誰かに頼まれてやってきたんですか?」

 別に、誰に頼まれたわけではない。
 気がつけば人間界に来ていた。多分これは、俺の責任感の強さの表れだ。
 しかしなんでさっきからこいつは、当たり前で当然なことを、何度も俺に聞くのだろう?
 歯に物が挟まったような言い方をしやがって。なんだか腹が立ってきたぞ。

「婚約者がいなくなれば、誰だって仕方なくでも探すだろ? お前、さっきから何が言いたいの?」
 そうやって苛立ちぎみに言葉を吐くと、少し余裕をなくしたキャラバンが、俺よりも声を荒げて想いを告げた。
「そんなに仕来りが嫌なのであれば、壊せばいいじゃないですか! もちろん俺も、壊す手伝いをさせていただきますよ」
 そんなキャラバンの言葉を聞いて、思わず車を脇に停めた。
 サイドブレーキを踏み、ハンドルから手を離したところでキャラバンを凝視する。

「安心してください、俺は媚薬を使って相手を貶めるような卑怯な真似はしませんから」
 柔らかそうな黒の皮手袋を嵌めながら、落ち着きを取り戻し始めたキャラバンが嫌味を吐く。
 俺に対して嫌味を言えるとは、いい度胸じゃないかと思いつつ、ハンドルに肘を置いて頬杖をついた。
「媚薬の国の王子が、何を言っているんだか」
 ところが俺のその言葉に反応したキャラバンが、小刻みに震えてつぶやく。
「あんな想いをするのは、一度で充分だ……」

 それでようやく理解した。だから、その理解した全てを直球で投げ掛けた。
「なるほど、ベルは媚薬で転生したのか。そしてお前は、そのときその場に居た」
「たとえ真実を知っていたとしても、話すつもりはありません」
「ならば、ひとつだけ答えろ。それはベルの意思だったのか? 強要されたことなのか?」

 既に指は先端まで到達しているのにも関わらず、ギリギリと手袋の中に指をねじ込むキャラバンが、 散々迷った挙句にようやく答える。
「ベルの、彼女の意思でしたよ……。私が居なくなっても、誰も悲しんだりしない。それがベルの最後の言葉でした……」
 そこまで言うと、徐に車のドアを開けて地面に降り立ち、屈み込んで俺と目を合わせ
「覚えておいてください、俺の方が、あなたよりベルを愛し、あなたよりベルを幸せにできるんですよ、エースさん」
 それだけ言い終えると、俺の返事を待つことなく静かに車のドアを閉め、毛皮を翻しながら去っていった。

 キャラバンが去った後も、車を動かすことなく物思いに耽る。
 全く、どいつもこいつも勝手なことを言いやがって。
 自ら転生を希望しただと? 誰も悲しんだりしないだと?
 ふざけるな。お前の親が、アルが、国民が、どれだけお前を心配し、探し続けたと思っているんだ。
 あぁ、確かに俺は、悲しがったりしなかったさ。お前の亡骸を目にしない段階で、どこをどう悲しがれって言うんだよ?

 大体、なんで俺がバンバンなんかに、喧嘩を売られなきゃならないんだ。
 愛だの恋だの幸せだの、そんなものの前に考えなければならないのは、国の統治だろうが。
 俺たちが生まれながらに背負っているものの大きさを、甘く考えているからそんなことが言えるんだ。
 アルも、あのクソグランドさえも、それが解っているからこそ、国のために自我を殺して生きているんだぞ?
 端から除外されていたお前になんて、一生わかりっこないことなんだよ!

 はらわたが煮えくり返りそうだ。
 自分に課せられた使命を果たすことなく、何年も国を放置して人間界で暮らす。
 そんな身勝手なことが許されるのか? それが正しいことなのか?
 なにが、『大切なものを守れる男』だ。
 国を守れないような男が、一人の女を守りきれるのかっつうの!

 キャラバンとの会話の途中から、頭が割れそうなほど痛い。
 俺は、何か大切なことを忘れている。でもそれが何なのか思い出そうとすると、決まってこの頭痛に襲われる。
 まるで孫悟空の輪だ。考えることが出来ないように、誰かに操られているような気分だ。
 そしてこの頭痛を止められるのは……

「くそっ!」
 苛立ち紛れにハンドルを殴り、悪態をついているところに、肝心要の女が目に映る。
 裏通りの片隅で俯き立ち止まる鈴を見つけ、早くこの頭痛を止めろとばかりに声を掛けた。
 窓の開いた車の中を、驚きで丸く開かれたココア色の瞳が覗き込む。
 サングラスを掛けたままで見つめ合えば、途端に頭痛が和らいでいった。
 そして鈴を自宅まで連れ立った頃には、気分爽快。身体が軽くて、風に舞っちゃいそうだ。

 自宅キッチンの棚に置かれた紫色の媚薬を目にして、ナイスなアイデアが閃いた。
 自白効果のあるその媚薬をコーヒーに数滴落とし、鈴に全てを吐かせよう。
 ベルは、鈴は、自分の繰り広げる妄想が、前世の記憶だということを知らない。
 けれどそれを本人に告げたところで、納得できるはずなどない。
 だったら前世の記憶を強制的に思い出させ、吐き出させてしまえばいい――

「アイちゃん、ずっと聞こうと思っていたんだけど、アイちゃん、エースって知ってる?」
 大汗を掻きながら、鈴がボソボソ言い出した。
 いよいよだぞ? 俺を好きだと告白するに決まってる!
 ところが、予想に反して鈴が口にした言葉は……
「いえ全然。グランドよりはマシだけど」
 さらに、俺よりもアルファードの方が、断然カッコイイーだなんて抜かしやがった。

 この媚薬は効果が期待できないと思い始めたところで、汗の引き始めた鈴の中からベルの意識が芽を出した。
「エースとは、生まれたときから決められていた婚約者ってだけなの。だからエースも私のことなんて好きでもなんでもないんだよ……」
 鈴の纏う空気が、微かに変わる。だからマグカップを握り締めたまま鈴の瞳を覗きこんだ。
 ベルだ。ベルがそこに居る……

 涙が静かにベルの頬を伝う。そして、誰を責めることなく自分を苛む。
「でもね、それでようやく解ったの。エースの口癖は、それでかって……」
 グランドが、俺やアルファードの隙を狙って、ベルに嫌がらせをしていたことは薄々感づいていた。
 そして俺が、ベルの心を傷つけていたことも知っていた。でもそれは……

 頭が痛い。ベルが傍に居るにも関わらず、急激に襲うあの頭痛。
 ベルの告白と頭の痛みに、苛々しながらこめかみを摩り、痛みが通り過ぎるのを待つ。
 けれど頭痛は止むことなく襲い続けるから、どうにも我慢ができず、話すベルを止めて強引に風呂へ追い立てた。
 ソファーに凭れ掛かり、ミントのタブレットを口の中に放り込む。
 ほんのりとメンソールの味が口の中に広がって、朦朧としていた頭が、少しずつスッキリし始める。

 こんな状態で、鈴を、ベルを抱けるはずがない。
 ただ記憶を告白させるつもりだった。なのに風呂上りの鈴が、自白剤を通して叫ぶ。
「キスしたいの。アイちゃんとキスしたいの!」
 鈴が求めているのか、ベルが求めているのか、俺を求めているのか、相坂を求めているのか……

 相坂は、俺の虚像に過ぎない。
 けれど今俺を思い出さなければ、ベルの傷ついたその心の隙間に、鈴の新しく生まれ変わったその隙間に、俺ではない誰かが入り込む。
 思い出せよベル。心が俺を拒絶していたとしても、身体は俺を覚えているだろ?
 痛みも悦びも、衝撃も快楽も、お前の身体が俺を覚えているはずだ。絶対に、絶対に覚えているはずだ!

「あぁっ! あ…あ…んっ…んっ…あ、あああぁっ!」
「んんあぁっ! やっ…いやっ! あぁぁぁっ!」
「ぐぅぅあっ……っ!」

 ベルが鳴く。何度も何度も、何度でも。お前が思い出すまで鳴かせよう。
 そして、ようやくベルの口から漏れた言葉。相坂に抱かれながらも、吐き出された言葉。

「いやっ…あっ…ああっ…あああっ…エース、エースっ! あああっ!」

 それでも、それだけじゃ足りない。
 俺が聴きたいのは、俺の名だけじゃないんだ。俺の聴きたくてたまらない言葉は……

 頭が痛い。考えるな、何も考えるな!
「っ…ベル……」
 俺の全てを包み込むベルの中に、全てを注ぎ込みながらその名を呼ぶ。
 そして全てを吐き出したとき、大粒の涙を零すベルが、掠れた小さな声で囁いた。
「エース……愛してるの……ずっとずっと」

 それを最後に、意識を失ったベルの身体が、ベッドに沈みこんでいく。
 その言葉を聴いた途端、今までに味わったことのない、強烈な頭痛に見舞われた。
 たまらずベルの隣に倒れこみ
「俺もだよ……」
 無意識にそれだけ吐き出した後、俺も意識を失った――
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photo by ©ミントBlue