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◇◆ Corretto ◇◆
 校門前で、テイクアウト用のコーヒーカップを片手に佇む男性。
 金髪なのか、すごく薄い茶色なのか解らないほど色素の薄い髪と、生クリームみたいに白い肌。
 柔らかそうな輝きを放つ黒のシルクシャツに、ミンクのコートを羽織る姿は、芸能人も顔負けの派手さ加減で、 確実に日本人離れしたその容姿と服装から、どこぞの諸外国からやってきた上流階級の人ってイメージだ。
 誰もがそんな彼を気にして盗み見るけれど、英語に自信がないから話しかけることなく、 逆に向こうから話し掛けてくれないかと心待ちにしている、妙な雰囲気が辺りを包み込んでいる。
 けれどその彼が、私の方を見るなり高々と手を挙げて
「やぁ!」
 なんて声をかけてきたところに、黒塗りの車が音もなく現れた。

 固まる私をよそに、黒塗りの車から降りてきたのは紛れもなくアイちゃんで、 金髪風の男性に向かって、それはそれは美しい微笑みを見せてから一礼した。
「坂東様、こちらにいらしたのですか」
 アイちゃんの登場で、俄かに騒がしくなっていく校門前。
 けれどアイちゃんはにこやかな笑みを湛えながら、坂東と呼ぶ金髪の男性を車の中へ押し込み、そそくさと車を走らせ去っていった。
 完全に去り行く車が見えなくなってから、同じクラスの聡子が肘で私のことをつつき
「ねぇ今さ、あの男の人、明らかに私たちの方を見て手を挙げたよね?」
 瞳をキラキラと輝かせながらそう言うけれど、目を泳がせながら知らん振りを決め込むしか道はない。
 だって、あの金髪の彼は、どう見ても……
「バンバンだよ……」

「え?」
「い、いや、なんでもない。じゃあまた明日ね?」
「あ、うん。鈴バイバイ!」
 不思議がる聡子と強引に別れて、一人悶々としながら帰り道を急ぐ。
 アイちゃんは彼を坂東って呼んでいたけれど、あれは確かに私の描くマンガのキャラの、キャラバンことバンバンだ。
 朝方にも思ったことだけれど、いよいよ笑うしかなくなってきたこの状況?
 でもちょっと戸惑うことがある。バンバンは確か、私より年下の設定だったはず。
 なのにさっきの坂東さんは、どうみても私より年上だ。
 しかも、なんで苗字がバリバリ日本人風の坂東なんだよ……

 クルクルと回転する思考に追いつけず、ガクンとうな垂れたところにさっきと同じような車が横付けされて、 スモークの貼られた窓がスィっと開き、運転席からサングラスをかけたアイちゃんが現れ言った。
「鈴ちゃん、は、早く乗って! 見つかっちゃう!」
 誰に見つかっちゃうのか、なんで私が乗らねばならないのかなんてサッパリ解らないくせに、アイちゃんの慌てようが私を即行動に移させる。
 言われるがままに助手席のドアを開け、そそくさと車に乗り込んでシートベルトを締めたところでようやく浮かぶ疑問。
「えっとアイちゃん?」
 けれど相変わらずどこまでもマイペースなアイちゃんは、私の言葉など何も聞こえなかったかのように、可愛い笑顔でサラっと言った。
「鈴ちゃんに話があるんだけど、お店は定休日じゃないし、鈴ちゃんちに押しかけるわけにもいかないから、これから僕の家にいくからね」

「ア、アイちゃん、あのね?」
「あ、ダメダメ。事故を起こしちゃうといけないから、運転中は話しかけちゃダメね?」
「あ、そうか、ごめんね……」
 結局またこんな調子でアイちゃんに諭されて、お互い無言のまま車だけがエンジンの音を鳴らす。
 それでもそんな時間はあっという間に過ぎて、意外にも学校近所のドデカイマンションの中に、車は滑り込んで行く。

 正面玄関にドアマンが立ち、エントランスにはスーツを着た管理人さんが居て、あちこちに監視カメラが備え付けられちゃっている 完全警備状態の高級マンション。
 そんな中をアイちゃんに促されながら歩み続ければ、とってもニコニコ笑顔の管理人さんが、私を見た後アイちゃんに話しかけた。
「相坂様、こちらのお嬢様が、前よりおっしゃっていた許婚の鈴姫様ですね?」
 い、いいなずけ? 鈴姫様?
 管理人さんのその言葉に驚きながら、後ろから続くアイちゃんを振り返り見上げるけれど、 管理人さんと同じくらいニコニコ顔のアイちゃんは、シレっとサラっと答えを告げる。
「そうなんです。この顔ですから、どうぞ覚えて、これからはフリーパスでお願いしますね」
「えぇ、もう覚えさせていただきました。本当に可愛らしいお嬢様で」

「えっとアイちゃん? いいなず……」
「では、失礼します。くれぐれもよろしくお願いしますね」
「ア、アイちゃん、あの……」
 たまらずアイちゃんに質問しようと口を開いても、そんな質問には答えないオーラを、出し続けられちゃっているからどうしようもない。
 だから、未だニコニコと笑って私を見ている管理人さんに深々とお辞儀をして、アイちゃんに突かれながらまた歩き出す。

 綺麗に手入れをされた大きな中庭を横目に、クリスマスもビックリな、イルミネーション輝くエレベーターに乗り込んだ。
「これでもう、鈴ちゃんの顔だけで部屋に入ることが出来るからね」
 目尻にちょこっとだけ皺を寄せて、すこぶる可愛く笑うアイちゃんが、今度は語尾に音符マークが付いちゃうような口調でそう言うから
「そ、そうだね」
 って答えちゃった私は、そんな自分の返事に納得がいかず首を捻る。
 なんで私はアイちゃんと居ると、いつもこうやって流されちゃうんだろ?

 クレジットカードを機械に通すように狭い隙間にカードを滑らせると、カチャンと鍵の開く音がして、金色のドアノブに手を掛けながら アイちゃんが陽気に言った。
「さぁ鈴ちゃん、どうぞ入って」
 流され促されるままアイちゃんよりも先にドアの中へ足を踏み入れて、 我が家とは天と地ほどの差がある、恐ろしく広いアイちゃんの部屋に息を飲んだ。
 それでも動きを止めることなく長い廊下を呆然としながら進み、ふと飾られた油絵を見上げれば、見たことのある綺麗なお城が描かれていることに気がついた。
「カプチーノ城だ……」
 ボソっとつぶやいた私の頭を撫でて、アイちゃんが屈みながら囁く。
「鈴ちゃんが、永遠に暮らすお城ね」
 アイちゃんはそれだけ言うと、私よりも先にドアの向こうへ消えた。
 さっきの言葉はどうせまた、お決まりのジョークなんだろう。
 でもアイちゃんのジョークはどこか微妙にズレているから、私にはその面白さが解らない。
 だからまた首を傾げながら、アイちゃんの消えたドアに向かって歩き出す。

 ドアを開いた先の部屋はリビングで、目の前に広がる光景に、ただただ驚いた。
 ここはオペラ座?
 美術の教科書に掲載されていそうな、数々のアンティークものが見事に配置された部屋。
 恐れ多くて、こんな部屋に数十秒でも居られない……
 大体このソファーは美術鑑賞用であって、座るものじゃないはずだ!
 なのにアイちゃんは、平然と笑顔で言い放つ。
「鈴ちゃん座って。今、コーヒーを淹れるからね」

 ここで重要なのは、歴史のありそうなソファーや家具ではなく、コーヒーを淹れるとアイちゃんが言ったことだ。
 アイちゃんは、私が苦手だと知りながらコーヒーを淹れると言った。
 そこら辺が、今日の会合に関係がありそうだぞ?
 そこまで考えて、ピコンと閃いた。
 だからその閃いた答えを、声高らかにアイちゃんに告げてみる。
「もしかして、コーヒーが苦手な子にも飲めるコーヒーを開発して、私に試して欲しいとか?」

 まるでお店のようなカウンターキッチンの中で、コーヒーを淹れ終えたアイちゃんが、 葡萄色のワインのような液体が詰まった小瓶の蓋を開けながら叫んだ。
「すごいね鈴ちゃん、大正解! カフェ・コレットって言うんだけどね?」
 ポチョンと数滴、その液体をコーヒーに加え、それからは捲くし立てるようにアイちゃんの講義が続く。

「日本ではエスプレッソって呼ぶんだけど、僕の国では、エスプレッソがただのコーヒー。 そのコーヒーの上に、肌理細やかなフォームドミルクを乗せたものをカプチーノと呼び、フォームドミルクを、シミのように垂らしたものを マッキャート。マキアートって言ったほうが馴染みがあるかな? そしてこれが、コーヒーに好きなリキュールを垂らして飲む、 カフェ・コレットなんだ」
 そこでアイちゃんは一旦口を閉じ、カウンター越しにマグカップをコトンと置いた。
 ソファーに座るよりも、抵抗なく座れそうなカウンターツールに手をついて、アイちゃんが差し出したマグカップの中を覗き込む。
「リキュールって、アルコールじゃ……」
「うん。だから、リキュールじゃなく、シロップを使ってみたの。どうかな、一口でもいいから飲んでみてくれないかな……」
 何かの審査を待つ受験生のように、指を組んで祈りを捧げるアイちゃんが、余りにも可愛らしいから
「うん。いいよ!」
 そう言いながらスツールに腰掛けて、そっとマグカップを手に取った。

「あ、フワって果物の香りがする! コーヒーのあの苦い味がそこまで気にならないから……」
 どこぞの評論家の如くそう言っていたところで、妙なことに気がついた。
「アイちゃん、この部屋、凄く暑くない?」
「えぇ? 僕は暑くないし、空調もちゃんと二十二度に設定されてるよ?」
 なんかしらのリモコンを確かめて、アイちゃんがそれを私に見せた。
 リモコンに描かれた数字は、アイちゃんの言う通り【22】という数字を表している。
 それでも真夏の教室並みに暑い。毛穴という毛穴が広がって、そこから玉のような汗が噴出し始めている。

「す、鈴ちゃん、凄い汗だよ? だ、大丈夫?」
 アイちゃんが、慌てて小さな布を水に浸しながら問いかける。
 大丈夫だと言おうとしたのに、なぜか私の口から出た言葉は
「炎天下の全校朝礼みたい……」
 頭はハッキリしているんだ。でもこの冬ど真ん中に、セミの声が聞こえてきちゃうほど暑くてたまらない。
 そしてなんだか、心にあるもの全てを吐き出したくてたまらない。

「私、どっちかと言うと、寒がりなほうなんだけどな」
 誰も聞いてなどいないのに、ペラペラと語りだす私の変な口。
 けれどアイちゃんが、冷たいおしぼりを私に差し出しながら、おかしなことを口にする。
「そうだよね。ココアは暖かい国だしね」
 だから私は、額から流れる汗をおしぼりで拭いながら、こみ上げる気持ちを止める事が出来ずに吐き出した。

「アイちゃん、ずっと聞こうと思っていたんだけど、アイちゃん、エースって知ってる?」
「トランプの? もちろん知ってるよ?」
「そうじゃなくて、カプチーノ国の王子様なんだけどね?」
 いやだ笑われちゃう! って頭は叫ぶのに、心がそれを止められない。
 そしてそんな私に、戸惑うことなくアイちゃんが追い討ちをかけていく。

「わかった。鈴ちゃんは、その人のことが好きなんでしょ?」
 どうしてこんな馬鹿げた話に、アイちゃんは平然とついてこられるのだろう?
 きっとこれが、社会人であり、接客業に長けた人の凄い技なんだ。
 そんなことを考えながらも、言葉は心の中を正確に、偽りなく語りだす。
「いえ全然。グランドよりはマシだけど」
 ちょっと辛辣に、ちょっと鼻で笑いながらそう答えれば、アイちゃんの動きがピタっと止まる。
 そして、引きつった笑顔で私を見下ろした。

 気を取り直したらしいアイちゃんが、自分のマグカップを片手にキッチンから出て、私の隣の椅子に腰かけた。
「そ、そうなんだ……なんでエースくんのことを好きじゃないの? 彼はカッコイイんでしょ?」
 フワフワと湯気の立ち昇るカプチーノを、啜り上げながら問いかけるから、これまた即答で私が答える。
「アルの方が、断然カッコイイよ!」
 するとまたアイちゃんの動きが止まり、今度は眉毛がピクピク動く。
 そして今まで聴いたこともないほどの低い声で、そっぽを向きながらつぶやいた。
「ふーん」

「そうだ、聴いてよアイちゃん! バンバンはね、私より年下の設定だったのよ? なのにさっき校門で出逢ったバンバンは、 どう見ても私より年上に見えたの! おかしいでしょ?」
「それは、お前のせいだろが……」
「え?」
 間髪入れずに囁いたアイちゃんの言葉に、驚いて聞き返すけれど、私の方に振り返った顔はいつもの可愛い笑顔。
 そしてちょっと眉間に皺を入れながら、悲しそうに言い出した。
「ううん、なんでもないよ。でも、なんだかエースくんが可哀想だな」
「なんで?」
「だって、エースくんは鈴ちゃんの婚約者なんでしょ?」

 なんでそのことを知っているんだろうと思いながらも、口が止まってくれない。
 妄想の御伽噺のはずなのに、まるで当事者みたいに胸が苦しくなって、悲しい気持ちを言葉に乗せた。
「エースとは、生まれたときから決められていた婚約者ってだけなの。だからエースも私のことなんて好きでもなんでもないんだよ……」
「なんでそんなことが鈴ちゃんにわかるの?」
 マグカップ片手に、アイちゃんが私の瞳を覗きこむ。
 エースとそっくりな顔で、でもエースでは有り得ない優しい微笑みで私を見るから、急に視界がぼやけ始めた。
 それでも止められない気持ちを、何も関係のないアイちゃんに自分勝手にぶつけてしまう。
「エースの口癖はね、『仕方がない』なの……仕方がないからお前と一緒に居てやる。仕方がないからお前と結婚するんだ。 仕方がないから……」

「もういいよ鈴ちゃん」
 泣き出してしまった私を、悲しそうな笑い顔で見つめながらアイちゃんが止めるけれど、一旦流れ出した私の気持ちは止まってくれない。
 だから気持ちも涙も止まらないまま、止めるアイちゃんを無視して話し続ける。
「それにね、グランドが言ってたの。エースとアルがハープを取り合ってるって。でもハープは俺のものだから、あいつらは負けだって」
「グランドは、ただのオバカさんなんだよきっと」
 鼻筋に皺を寄せてアイちゃんが囁くけれど、首を横に振って鼻をすする。
「自分がね? ハープみたいに可愛くないことなんてわかっているの。でも、でも、お前みたいなやつは、 エースがハープの身代わりとして仕方なく結婚するんだって」
「それもグランドが言ったの?」
 なぜだかアイちゃんが、こめかみに蒼い筋を立てながら聞き返す。
 だから今度は首を縦に振って、それを肯定しながら喋り続けた。
「でもね、それでようやく解ったの。エースの口癖は、それでかって……」

 アイちゃんは、頬杖をついて私を見ながら、瞬きすらせずに黙っていた。
 その沈黙に耐え切れず、またまた余計な台詞が私の口からこぼれ出す。
「グランドと私を、婚約させてくれればよかったのにね」
 けれど、いきなり大きな音を立てて椅子から立ち上がったアイちゃんが、ギュッとこぶしを握りながら、少しだけ声を荒げて私に言った。
「なんでそこでグランドが出てくるの? グランドのことは、大嫌いなんでしょ?」

「エースには悪いけど、ハープはね、昔からアルのことが好きなの。なのにハープはグランドと結婚させられちゃうんだよ?  私、ハープもアルも大好きだから」
 ハープとアルは両想いだ。なのに、あんなグランドに邪魔されて、幸せになれないのなんて許せない。
 アイちゃんと同じような握りこぶしを作って、俯きながらそう言えば、結局またゆっくりと椅子に座り直すアイちゃんが、 人差し指でこめかみを摩ってつぶやいた。
「さっきから聞いているけど、ちっとも解らないよ。一体、鈴ちゃんは誰が好きで、結婚したいと思う人は誰なの?」

 ぜ、絶対に言いたくない。
 でもさっきから、心に思ったこと全てを白状させられちゃっているような?
 きっとアイちゃんは、あんな顔して笑ってくれているけれど、頭のおかしな子だと思っているに違いない。
 自分のマンガの話なんかして、泣いちゃったりして、坂東さんをバンバンだと言い切っちゃったりして……
 それなのに口が、このオバカな私の口が、どうしても止まってくれないんだ。
 だから話には関係ないことを思い浮かべる。そうすれば、アイちゃんの質問に答えなくて済むから。
 ちょっとだけ、嬉しかったことを考えよう。
 あぁそうだった、あの驚いちゃった話を、アイちゃんに教えてあげよう。

「あのね、バンバンは、ずっと私のことが好きだったんだって!」
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photo by ©Alice