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◇◆ Macchiato ◇◆
 遅くなったにも関わらず、誰も居ない真っ暗な家。
 ちょっと安堵の溜息をつきながらリビングの電気を付け、いつもの指定場所であるダイニングの椅子に腰掛けた。
 とにかく体がだるくて重い。それでも遅くなっちゃった分、やらなければならないことが山積みだ。
 ということで一分も座らぬまま立ち上がり、お風呂掃除に勤しもうとしたところで、私の中からドロッとした何かがこぼれ出た。

「あちゃー、生理になっちゃったよ……」
 いつものそれと同じようなその感覚に、また溜息をついてトイレに駆け込むけれど、予想に反して下着はそれほど汚れていない。
 少し白く濁った液体に、いつもよりも綺麗な鮮血が包まれているようなもの。
 そんな流れ出てきた液体を見て、アイちゃんのお店で見た恥ずかしい夢の光景が目の前に広がった。
 夢の中でアイちゃんは、掠れた声と一緒に、ドクンドクンと私の中に何かを注ぎ込んでいた。
 それがこれなんじゃないかと思いつつ、やっぱりどこかで否定の声がする。
「ま、まさかだよ。だって、あれは私の夢だもん……」

 気を取り直して用事を済ませ、未だ帰らぬ両親のご飯を作る。
 おかしいと思ったらどこまでも考えてしまいそうだから、何かに夢中になっていれば安心だ。
 けれどそんな気持ちも、お風呂に入った時点で消え失せた。
 体を洗おうと泡立つスポンジを当てたところで、体のアチコチにできた赤く小さなアザに気付く。
 痒くもないし膨らんでもいないから、これは虫刺されじゃないはずだ。でも押しても痛くないのはなぜだろう?

「一体私は、どうなっちゃったんだ!」
 内腿にまで出来た、その小さなアザらしきものを見つめて一人叫ぶ。
 アイちゃんに出会ってから、絶対に何かがおかしくなっているんだ。
 なのに、それが何なのかサッパリ思い出せないから腹が立つ。

 現実と夢がごちゃごちゃになっていて、しかも肝心な現実の記憶が定かではない。
「十八年間生きてきて、こんなことは初めてだよ……」
 ブツクサ言いながらお風呂を出て、ブツクサ言いながらベッドに潜り込む。
 まだまだいつもならば寝るような時間じゃないのだけれど、もう何にもする気になれない。
「もうダメだ。今日は体力、気力ともに使い果たした……」
 その言葉を最後に、私は何も考えることなく、一瞬で深い眠りに落ちた――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 またあの夢だ。
 異国の豪華絢爛な城の中、息苦しいドレスを着て、象牙色の大きな柱が立ち並ぶ回廊を一人彷徨っていた。
 けれどステンドグラスが施された美しい窓を、感嘆の溜息をこぼしながら見上げているところに響く声。

「ということで、頑張れよエース。そしてこれは貰っていく」
 その声とともに足音が近づいてくるから、慌ててどこかに隠れようとしたけれど、だだっ広い割りに隠れる場所などどこにもない。
 現実ならば絶体絶命だ。でもこれは夢だから、大丈夫だと自分に言い聞かせたけれど、やっぱり夢でも見つかった。
「ベル? ベルなのか?」
 ビクンと飛び上がってから、多分私に声をかけているんだろうと、おそるおそる振り向けば、ココア色の髪と瞳を輝かせて優しく微笑む男性が一人。

「そうか、記憶がないんだっけな。ということは今、夢を見ているんだね」
 微笑みと同じく、優しい声で話しかけてくるその男性を私は知っている。
 だからその男性が、片手を差し伸べながら自分の名を名乗ろうとした瞬間、思わずその名が私の口からこぼれ出た。
「はじめましてと言うべきかな? 俺は……」
「アル!」

 驚きの表情を浮かべて、アルが咄嗟に言い返す。
「ベル、俺を覚えて……」
 けれどそこに、アイちゃんそっくりなあの男の子が現れて、それはもう恐ろしい形相で私を見下ろしながら
「へぇ、俺のことは覚えてなくても、アルのことは覚えているんだ」
 そう言い放つと、ゆっくりと私に向かって歩み進んでくるから
「ち、違っ……えっと、覚えているわけじゃ……」
 後方も確かめずに、両手を振り振り後ずさる。
 そんな私たちの間にアルがスッと入り込み、私を彼から守るように立ちふさがりながら、彼に向かってキツメの言葉を吐いた。
「見苦しいぞエース。そんなくだらないことで、ベルを貶めるな!」
「くだらない? なにがどうくだらないんだよ?」
 そうアルに答えながらも、形相は私に向けて放たれている彼の顔。
 なぜそんなに彼を怒らせてしまったのかすら解らないまま、恐怖に震えながら前に立つアルの毛皮を握り締めると、 その行動がさらに彼の癪にさわったようで
「離れろよ」
 顔と同じくらい凄みのある声で、私の手元を睨みながらつぶやいた。

 ところがそんな険悪ムードを打ち破るかのように、遠くから何やら叫び声が聴こえ始めた。
「うっそぉ! Goditi la vitaのアイちゃんが居る〜!」
 私と同じようなドレスを着た、私と同じ年くらいの女の子が、はしたないほどドレスの裾を持ち上げて、ズロースを見せながら走りこんでくる。
 天国と地獄って曲が、頭の中でこだまされちゃうほどに慌しくズンズン向かってきた彼女は、アイちゃんそっくりな男の子に突っ込むけれど、 まるで闘牛士がマタドールを踊るように、彼がサラッと身をかわす。

 彼女の登場で、修羅場らしきものが一旦緩和されたけれど、私の中で新たな疑問が立ち上がる。
 彼女は今、アイちゃんって言ったよね? 彼女もまた、現実の世界からやってきた人なの?
 そんな私の疑問に答えるかのように、体勢を整えた彼女が振り向きざま言い放つ。
「ねぇ、変な格好しているけど、バリスタのアイちゃんでしょ!」
 けれど彼はそんな彼女の問いには答えず、アルとアイコンタクトで何やら遣り合っている。
 なんとなくだけれど、彼らの無言のやり取りが解る。
 お前が行けよ! お前こそ行けよ! きっとこんな感じだ。

 誰もが無言で佇むことに、我慢のできなくなった彼女がまた口を開く。
「あら、よく見れば、こっちの人もめっちゃ好みぃ! その茶バネゴキブリみたいな髪の色は嫌だけど」
 今度はアルに向かって、暴言に近い言葉を吐きながら擦り寄った。
 ココア色に輝くアルの髪を、ゴキブリと一緒にされたことに何やら腹が立ち、思わず私の口から反論の言葉が漏れる。
「茶バネって……」
 そんな私の声を聞き逃さなかった彼女は、ようやく私の方へと顔を向け、十八年間で最大の傑作と思われる、 私の真実を言い当てた。
「あら、余りにも存在感がなく、余りにも不細工だから今の今まで気がつかなかったわ! ねぇあなた、この場が穢れるから、とっとと消えてよ!」
 そう言う彼女に、これでもかってなほど肩を強く押し叩かれ、後ろ向きに倒れる私の身体に伸びる腕。

「これはこれは、エスプレッソ国のビオラ姫。ですがここはカプチーノ城ですよ? どうぞご自分の城にお戻りください」
 私の腰を抱きとめながら、丁寧な言葉遣いだけれど、決して美しくない口調で彼が切り出した。
 明らかに嫌悪感を込めた彼の口調など全く気にもせず、自分に都合の良い言葉だけを受け取った彼女は
「やっぱり私は、お姫様だったのね! そうだと思っていたのよ。えぇ当然、我が城へ戻るわ。馬車を手配してくれたでしょうね? かぼちゃの馬車はいやよ?」
 矢次に台詞を並べ立て、彼とアルに命令を繰り出す始末。

「ベル? 今度夢を見るときは、エースのことじゃなく、ココア城を思い浮かべてごらん。パパとママが喜ぶよ」
 私の頭を撫でながら、耳元でアルがそっと囁いた。
 コクコクと肯く私にもう一度優しい笑顔を向けた後、彼女へと向き直ったアルが覚悟を決めたようにつぶやいた。
「私が手配致しましょう。ですが、馬車はご用意できないかも知れません」
「馬車がないだぁ? なにそれ? 最低な国ね!」
 それを最後に、アルにエスコートされながら彼女が回廊から消えていく。
 結局、疑問は解決されていないけれど、これだけは言える。
 私は彼女、ビオラのことも知っている。でもあそこまで酷いキャラじゃないけれど……

 こうして残された私と、怒り蘇り中のアイちゃんそっくりな彼。
 未だ呆然と二人が消えた先を見つめていれば、腰に回されていた彼の腕に力が込められて、突然私の身体がフワッと浮かび上がった。
 あれだけ憧れ続けていたお姫様抱っこだけれど、片方の眉毛を上げて、怒っているのがありありと分かる男性にされても嬉しくない。
 けれどそんな私の気持ちなど構うことなく、私を抱きかかえたままズンズン歩き続ける彼が、アイちゃんのお店で見た夢とそっくりな、レースのかかった天蓋付きベッドに私を放り投げる。
 そして固まる私をよそに、上に覆いかぶさり言い出した。
「で? なんでアルのことだけは覚えているのかね?」

 今にもくっついてしまいそうなほど、近くにある彼の怖い顔。
 恐怖よりも恥ずかしさがこみ上げて、頬を染めながら切り返した。
「お、覚えているんじゃなくて、そっくりだったの」
「何がだよ?」
「わ、私の描くマンガの、私のお兄ちゃん役に……」
 そこまで告げたところで、彼の表情が微妙に変わる。
 けれど彼の気分がどっちに転がったのか解らないから、慌てて言い訳を試みた。
「こ、こんなお兄ちゃんが欲しいなって思ったりして、その……」

 私のその言葉で妙な溜息を漏らす彼が、もう本当にくっついちゃいますから! てなほど近くまで顔を寄せ、 今度はなぜか優しい声で囁いた。
「じゃ、お前の相手役の名前は?」
「そ、それは、その……」
 非常に言いづらい。その名を言っちゃったら、次の展開が怖すぎる。
 だからマゴマゴと話をはぐらかそうとするけれど、そんな私をピシャッと彼が嗜めた。
「いいから言えよ」

 逃げられない。この腕からは逃げられない。
 なんでそう思うのか解らない。でも、彼の漆黒の瞳に映る間抜けな自分の姿を見つめながら、正直に答えた。
「エ、エース……」
 その言葉と同時に、彼が私の口に唇を押し付けた。
 夢に見た優しいキスとは全然違う。アイちゃんのキスとも全然違う。いや、アイちゃんとのキスも、夢の中での出来事なのだから当然か?
 それでもその強引で荒々しいキスに恐怖がこみあげて、大声を上げながら抵抗する。
「い、いやっ! やめ…ぐっんっ!」
 私の顔を押さえつける彼の腕を、何度も何度も殴るけれど、声を上げるたびに開く口の中へ彼の舌が滑り込む。
「こんなの嫌! こんなの嫌!」
 同じ言葉を繰り返し叫んでも、その叫び声もまた彼に吸い込まれていく。

 胸元で靴紐のように幾重にも結ばれたドレスの紐を、あっという間に彼が毟り取る。
 息苦しさからは解放されたけれど、彼の腕からは解放されない。
 ありったけの力で抵抗を繰り返しても、ビクともしない彼の身体。
 そんな彼の手がドレスの裾をまくり、私の足を這い上がる。
 そしてズロースをずり下げ、私の中心をまさぐりはじめた時、咄嗟に助けを求めてその名を叫んだ。
「いやっ! アイちゃん!」

「な、なんでそっちの名前を呼ぶんだよ? ま、待て! 消えるなベル!」

 そこでようやく目が覚めて、鋭く息を飲み込みながら飛び起きた。
 浅い息を何度も繰り返しながら部屋の明かりをつけて、机に置きっぱなしのノートに手を伸ばす。
 ドキドキはいつまでたっても止みそうにないけれど、これは夢なんだと気持ちを落ち着かせるために、ノートをペラペラとめくって 書き溜めたそれを眺めた。
 エースにアルにビオラにベル。
 何もかも、自分で描いたマンガ通りに進行する私の夢の中。
 これで大嫌いな意地悪グランドと、大好きな親友ハープ、そしてハープの弟のバンバンが登場したら、もう笑うしかない。
「一体、何なんだ……何なんだって……」
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photo by ©clef