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◇◆  Memories 2 ◇◆
 ジャバジャバと洗顔クリームを流し終え、タオル両手に鏡を見つめて驚いた。
「うおおっ! か、克っちゃんか。脅かすなよ、全く」
 摺り足の名人なのは解ったから、音も無く背後に佇むのは止めようよ。本当に怖いから。
 けれど克っちゃんは、私の文句に答えること無く、一点を見つめて片方の眉毛を上げる。
「な、な、何?」
 そんな顔で身体の一部を凝視されたら、疚しいことなど無くても、誰だって怯むと思う。
 だから恐々としながらも、見つめられている箇所を自分で覗けば、薄っすらと残る赤い痣。

 拙い。ちょっと短めの半袖パジャマに、衣替えたのが拙かった。
 ほら、タプンと揺れる柔らかい二の腕のところ。そこに、数週間前の残骸が、未だ残っていたとは予想だにしなかったよ。
 本間じゃないから弾まないはずなのに、弾みで見られてしまいました。
 あれほど、誰にも見せるもんかと断言したのに、思いっきり見せちゃったんですが、どうしたら。
「こ、これは、克っちゃんの所為でこんなことに」
「俺の所為?」
「あ、いや、えっと、くわ、くわっちゃん? 痛っ!」

 例の宴会を境に、克っちゃんの挙動が確実におかしい。
 何と言うか、今までの枠を超えた動きで、私を驚かしては弄ぶ。
 現に今も、私の腕を捻り上げ、微かに残る痣の近くを噛んだ。否、噛み吸い付いた。
「ななな、何てことすんだっ! こんなことしたら、また」
「また?」
 克っちゃんはシレっと聞き返しますが、これ以上発言すると、通販型保険の単独事故満足度、五年連続ナンバーワンの称号を頂きそうなので、口にチャックを掛けようと思います。ティアラは欲しいけど。

 けれど、上目遣いで恨めしげに見上げた途端、何も言っていないのに、言い返されました。
「お前が原因なのに、その言葉は不適切だろ」
 そうですね。確かに、八つ当たりという名詞は、無関係な者へ苛立ちをぶつけることであって、当事者にぶつけることを、そうは言わないですよね。って、ちょっと待て。
「克っちゃん、私、なんにも言ってないよっ!」
「フン」
 ふん? ふんて何だ、ふんって。明らかに嘲笑を言葉にしたな、今、お前。
 なんて厭な奴なんだ。このムッツリユサユサ好き鼻血キングめ。

 鼻頭に幾筋もの皺を寄せながら、ありったけの蔑みを、心の中で叫び吠えた。
 心の中で叫ぶ分には問題無い。言葉に出さず、我慢した私は素晴らしく偉い。はず。
 それなのに、何故か克っちゃんの眉間筋がぷっくりと浮かび上がり、それはそれは低く、身震いするほど悍ましい声が、耳元で囁かれた。
「あら、なぁに? そのティアラ……」
 こ、こいつ、心の中を透視しやがったな。否、そんなわけがなく、こんなわけもなく……拙い。この場を回避する適切な言葉を、何方か教えてください。
「ティ、ティアラは、その証なのよ……」
「へぇ」

 きっと、救いの神は存在するんだな。
 絶妙なタイミングで、プラスチック製の洗濯籠を抱えた母さんが、洗面所にやってきた。
 当然、克っちゃんは私の傍からすっと離れ、何食わぬ顔で、朝のご挨拶に勤しむ。
「おはよう母さん」
「はい、おはよう。ん〜、克は今日もいい男!」
 だから負けじと私も挨拶をするのだけれど、こちらは打って変わって、げんなり顔で返答されました。
「あ、母さん、おはようございます」
「……あんた病気? 何十回、同じ台詞を言えば気が済むのよ」
 いくらなんでも、何十回は大袈裟過ぎるだろ。多くても三回だ。それでも多いけど。

「しかしまぁ、梅雨とはいえ、こう毎日雨ばかりでは、黴が生えそうですよね」
「黴が生えてんのは、あんたの頭ん中っ! どう見ても、晴れてんでしょっ!」
「えぇ? 嘘? どこ、どれ、アイちゃん、晴れるって言ってた? お台場の気温は何度?」
 よしっ。洗面所からの脱出成功。有難うアイちゃん。貴女のおかげです。
 背後で母さんが、何やら言ってはおりますが、母さんの誹謗中傷は、まるで、そよ風のようですよね。こう、痛くも痒くも無い感じで。
「ねぇ克、人間用のカビキラーって、どっかに売ってないもんかね?」

 台所の朝食を摘み食いながら、冷蔵庫の扉を開けて麦茶を取り出した。
 コップにそれを注ぎつつ、物思いに耽る。
 あれから、エスカルゴな彼女と克っちゃんは、どうなったのだろう。
 喉元まで出掛かった言葉を呑み込んでは、あの日の全てを無かったことにしようと務めているけれど、知ってしまったからには、気になって仕方が無い。
 近い将来、克っちゃんが彼女を連れて、我が家にやって来るのかと思うと胸が痛い。
 だけど、亮の一件で、予行練習は済んでいるのだから、失態は起こさないと誓う。
 まぁ、あれは本間だったけど。しかも結婚相手じゃなかったし。でも、同じようなものだ。多分。

 それでも、克っちゃんの挙動から察するに、もしかしたら、恋人達の危機が訪れているのかもしれない。だって、欲求不満っぽいし。
 しかも克っちゃんは、私が原因だと断言した。それはそれで厭だけど。
 ということは、もしかしたら、もしかして……
「やだちょっと、美也? あんたこれ、ダニじゃないの?」
 そう。ダニだ。否、そうじゃなくて、こうじゃなくて……拙い。また見つかっちゃった。
 こんなに弾んでいるのだから、本間とまでは欲張らないので、どうか私にも弾む胸を……

 咄嗟に、痒くもない腕を掻き毟りながら、母さんの言葉に返答する。
「あ、え? や、そ、そう?」
 すると、妙な自信を持って、母さんが断言した。
「あんたの布団、何億ってダニがいんのよ、きっと」
 ビフィズス菌じゃないんだから、何億ってあんた……
 けれどそう言われると、無性におっかなくなってくるのは私だけですね。
「か、母さん、布団干して行くから、取り込むのだけお願い!」
「かっ、しょうがないわねぇ」
 吐き捨てるなよ。かっ、ぺっ、てな感じで、唾を吐き出されそうで怖いだろ。

 けれどそんな私たちの遣り取りを、怪訝顔で眺める男が一人。
 なので当然、私が階段を上がり始めると、赤痣を突きながら、その男が後ろからホザキます。
「新しい虫に吸い付かれたんだ。美也は相当美味しいんだね」
 古い虫は貴方ですよね。けれど新しい虫の言い訳が思いつかないので、ここは一つ、ダニで押し通そうと思います。
「え? や、ダニだよ、ダニ。お布団干さなきゃ、ヤバイよね」
 すると亮は、すんなりと騙されたらしく、逆に心配気な真顔で指摘する。
「そうなんだ。あ、美也、こんなところも食われてるよ」

「えぇ? 嘘? 何処?」
「ほら、此処……」
 薄っすらを開いた亮の唇が、私の首筋に向かって一直線にやってくる。
 ただ指摘をするだけにも、唇は必要なんだな。って、しまった。これは確実に罠だ。
「りょ亮ちゃん、駄目だってばっ! ここは制服着ても見えちゃ」
 慌てて、亮の頭を押し退けようと試みるものの、力で敵う訳が無い。
 けれど今日は珍しく、寸でのところで、亮の動きがひたと止まった。
 それもそのはずだ。こんな私達の光景を、壁に凭れ掛かりながら、堂々と見つめている人間がいるのだから。しかも無表情で。

「どうしたの兄貴、なんか用事?」
 ちょっぴり辛口な、粒マスタード口調で、亮が克っちゃんへ問い掛けた。
 そんな態度から二人の不和を感じ取り、胸が苦しくなるけれど、それよりも、もっと苦しいことがあるから堪らない。
「ふぐっ、りょ亮ちゃん、くく、くるし」
 克っちゃん整体さながらの力加減で、亮が私を羽交い絞める。
 背骨がボキボキと音を立てているのですが、亮は整体の免許を取得しているのでしょうか。否、克っちゃんも持ってないけどさ。

 けれど、こんな哀れな私を無視して、男たちの会話は着実に進行する。
「美也に話があるんだが」
「俺が居たら、拙い?」
「いや、そう言う訳じゃない」
「だったら、俺にも聴かせてよ」
「なら、お前も美也を放せ」
 そこで亮が腕の力を弱め、浮かび上がっていた身体が地面に着いた。
 漸く、肉体的な息苦しさから解放されたばかりだと言うのに、今度は精神的な息苦しさに見舞われる。

「美也、今日は何か予定があるか?」
「え? 何で? も、もしかしてまた……」
 宴会だったら、絶対に断る。もうちょっと英語のレベルが上がったら、引き受けてもいいけど。運試しっぽく。あ、いやいや、肝試しっぽくだった。
 けれど克っちゃんは、半分以上忘れていた予定を、思い出させる言葉を告げた。
「そうじゃなくて、例の下見だ。今日なら俺も都合がいい」
「あ、そうか! いいよ。大丈夫」
「なら、迎えに行くから会社で待ってろ」
「わざわざ迎えに来なくても、現地集合でいいよ?」

 一気に話が進展したところで、不思議顔の亮が、当たり前な疑問を投げ掛けた。
「例の下見って何?」
 だから、颯爽と疑問に答えるけれど、いつもの如く、言い終える前に言い切られました。
「実はですね? 父さんと母さんの結婚記念日が近いでしょ? それでですね、」
「プレゼントを買うのね?」
 聴けよ、聴け。ここからが大事なところなのに。
 けれどまた、整体治療を施されるのは厭なので、ここはさらっと流そうと思います。

「そうそう。毎年、克っちゃんと折半してるのだけれ」
 ところが今度は克っちゃんが、言い終わる前に揚げ足を取りました。
「折半?」
「や、わ、割り勘かな?」
「割り勘?」
「ぅいやっ、や、その、なんだ、」
 そこで、母さんそっくりなげんなり顔を湛え、亮が確信を呟きます。
「ほとんど兄貴が出してるってことね……」

 全く、感じ悪い兄弟だよね。というか、石岡兄や七和にも共通するから言わせてもらうが、秀和の教育目標は、『ツッコミ光る子』とかだよ、きっと。
 自信を持って突っ込める子どもを光る子と定め、和をもって、秀でた光る子を教育するとかなんとかさ。

 本日は、三十分のみ残業にて終業。週末なのに、この程度の残業で済んだのは大変珍しい。
 後は予定通り、克っちゃんの到着を待てば良いのだけれど、こういう時に限って、重要なお知らせが舞い込むんだよね。何故かさ。

【件名】 お願いだぴょん!
【本文】 実は、宗ちゃんに内緒で、お姉ちゃんに会ってもらいたい人が居るんです……

 歳の離れた妹が、紹介したい人が居るのだと照れ臭そうに私へ言った。
 多分、こういったことを私へ告げるのは、それなりの覚悟が有るからだと思う。
 女二十六歳。二十歳未満の妹に、先を越されて悔しいけれど、こればっかりは仕方がない。
 って、どっかで聴いたことのある台詞なんですが、何処ででしたっけ。

 本間との待ち合わせは、居酒屋と決まっているけれど、萩乃ちゃんは未成年者です。
 さらに、兄には内緒ということで、互いの自宅にも招けません。我が家はチクリ魔がいっぱいだし。
 なので、本日はファミリーレストランにて、我が愛しい妹との密会と相成りました。
「あ、お姉ちゃん、こっちこっち!」
 私を見つけた萩乃ちゃんが、大手を振って店内から呼び掛ける。
 何やら、会うたび毎に、萩乃ちゃんの笑顔が明るくなって行く気がします。
 私も短大時代は、色々な意味で弾けたので、きっと萩乃ちゃんもそうなのでしょう。色々。

 しかしまた、会わせたい人とは、どのような人なのだろう。
 萩乃ちゃんの対面に座る後姿は、骨格具合からして、明らかに男性と思われる。
 流石に彼氏とは思わないけれど、兄に内緒と言うくらいなのだから、複雑な事情がありそうだ。
 序に、どうも途轍もなく嫌な予感がする。来なければ良かったと思うほど、厭だ。
 胃が痛い。更に、石岡兄を想うと胸も痛い。その複雑であろう事情を知ってしまった後、どんな顔で兄に会えば良いのかが、既に解らない。
 ところが、嫌な予感の正体は、完全に予想外のものだった。
 振り向いた彼の顔に、血の気が引き、息が止まる。

 きっと見間違いだ。世の中には、三人同じ顔の人間が居ると言うしさ。
 けれど、至極緊張しながら吐き出された彼の言葉で、思考回路が停止した。
「は、はじめまして。ひ、日改です」
 忘れもしない。この顔、この声、この名前。けれど、何処か物凄くおかしい。
 この彼からは、あの独特の匂いがしない。否、それどころか、八年も前の記憶なのに、何一つ変わっていない容姿は、化け物決定だ。
「お、お姉ちゃん? …お姉ちゃん!」
 萩乃ちゃんの声が、脳裏に止まることなく、右耳から左耳に抜けて行く。
 それでも、腕を掴まれて漸く、思い出したくない過去から戻ってこられた。
「ご、ごめん。何やら、時の旅人になってしまっていたよ」

 萩乃ちゃんの隣に腰を下ろし、極力、彼の顔を見ないように、メニューを覗き込む。
 そんな私に向かって、心配気な声の萩乃ちゃんが、経緯を語りだす。
「日改先輩は、松本先輩の同期で、秀和大の三回生なんです。その、サークルが一緒で……」
 何年ダブったんだお前。否、そうではなくて、こうでもなくて、あれだ。あれだあれ。
「も、もしかして、お兄さんがいらっしゃるなどと……」
「あ、はい! 六つ上なんですけど、政敏って名の兄が居ます」
 ぃやっぱりっ。日改という苗字からして珍しいのに、トリプルノブンと言えば、あの日改しかいない。
 日改政敏って、ほら。漢字を並べると三つ攵が続くの。

「六つ上って言ったら、お姉ちゃん、もしかして」
 流石に計算が速いですね。それでも、脳が認めたくないと抵抗するので、確定を避けさせて下さい。
「あ、う、うん。多分、お兄さんと同級生かも?」
 するとそこで、話題を変えるべきだと判断した彼が、兄弟は兄弟でも、私の兄弟の話を切り出した。
「亮のお姉さんなんですよね? あの、亮は元気ですか?」
「あ、はい。彼はとても元気です」
 ヒィズ ソーファイン、センキュー。頭の中で、シャカシャカと英語を書く自分が素晴らしい。
 ゲーム中に登場するオヤジが、親指を立てて褒めてくれそうだよ。グッジョブってね。

 矢張り、少しずつではあるけれど、英語ゲームの成果はあるんだな。
 家に帰ったら、今日はもう少し長めに、トレーニングをしようかな。
「ということは、あの伝説のミヤコンの美也さんなんですね!」
「そうなのそうなの。お姉ちゃんがそうなの! 感動でしょ?」
「うん。凄く。でも美也さんは、亮の姉ってより、萩乃の姉って感じだよね」
 ちょっと待て。萩乃ぉ? お前、今、我が妹の名を呼び捨てにしたよね。
 何の権利があって、私ですらしない呼び捨てを、お前がするんだよ。ムカツクな。

 それでも、そんな私の苛立ちも、我が妹は簡単に打ち消してくれるから堪らない。
「うん。だって本当のお姉ちゃんだもん」
 妹に感謝しろよ、君。だけど私は、君を松本家に迎え入れる気は無い。別居前提でも。
 けれどこの、ごたごたには便乗しようと思います。ちょっと照れ臭いけど。
「ありがとう。は、萩乃」
「え、何が? あれ? お姉ちゃん、どうして真っ赤になってるの?」
 だって、呼び捨てにするのは、親密な関係っぽいじゃん。君たちは親密じゃないけど。絶対。

 確かに、このことを知っていたら、兄は放っておかないだろう。
 私よりも強烈な愚痴を、心の中で唱え続けるに違いない。怨念っぽく。
 大体、呼び捨てしても良い異性は、家族だけだ。まぁ、父さんは私を、ちゃん付けで呼ぶけどさ。
 どんなに仲の良い男友達だとしても、彼女の前でそいつの名を呼び捨てになんてしてみろ、渦巻く彼女のハリケーンがたちまち飛ぶよ。特に本間のは凄いの。
「それで宗ちゃん、日改って名を出しただけで、口を聴いてくれなくなっちゃって……」
 けれど、萩乃ちゃんのその言葉で確信した。石岡兄は既に感づいている。
 さらに、こちらは推測だけれど、兄は、私と日改くんの事件も知っているのではなかろうか。

 私が苦手とする日改くんは、トリプルノブンの日改くんであって、この日改くんではない。
 それでも人間は勝手なもので、同じ血が流れているという理由から、意図的な差別をする。
 克っちゃんと私は同じ人間ではない。けれど私が下手なことをすれば、何も関係の無い克っちゃんが笑われる。この原理と一緒だ。
 私はよく、その原理に腹を立てた。それなのに今は、同じ原理で彼を差別している。
 私は勝手だ。熟々、了見が狭い女だと思う。
 それでもこの彼に関われば、避け続けてきた兄の方に、遭ってしまいそうで怖い。
「萩乃ちゃん、お姉ちゃん、こういうのはちょっと……」

 完全に、自己中心的な保身を呟いた。
 兄や萩乃ちゃんとの関係が、悪化してしまうのも怖い。けれど何よりも、日改くんに会うのが怖いんだ。
「やっぱり兄が昔、何かをやらかしたんですね」
 どうやらこの彼は、勘が鋭いらしい。七和よりは劣るものの、状況を読んだ言葉を繋ぐ。
「美也さんやお兄さんは、兄と同年代だ。それに一時期、亮の態度がおかしくなったこともある……」
 何故、態度がおかしくなったのかは知らないが、道理で、亮が日改くんの名を知っているはずだ。
 改めて思う。本当に秀和連絡網は恐ろしいよね。カルト秀和って感じで。
 けれど、もっと恐ろしい台詞を彼が放ったから、戦慄を押え切れずに立ち上がる。
「そんなことじゃないかと思って、兄を此処に呼んであるんです」
「厭ーっ!」

 しまったと思っても、吐き出してしまった言葉は取り消せない。
 それでも、形容動詞オンリーなので、どうにか言い逃れようと思います。
「あ、いや、えっと、克っちゃんと出掛ける用事があったのを思い出してですね?」
 恰も、克っちゃんからメールが届いたように振る舞い、非常脱出宣言を宣告した。
「そ、そうだったの? ご、ごめんなさい。無理言っちゃって」
「いいのいいの。こっちこそ、中途半端になっちゃってごめんね」
 克っちゃんと出掛けるのは嘘じゃない。それでもちょっと、疚しさが込み上げる。
 けれど私はチーターだ。触らぬ蜂は刺さないし、寝た子を起こす必要もないから、逃げる。素早く。

「えっと、彼もごめんね!」
「あ、いえ、こちらこそすみません。あの、亮によろしく言ってください」
「アイ、シュア、ウィル! あ、メイビーで」
 覚えていたら伝えますと言いたかったけれど、そんな英語は思いつきません。
 さらに、彼の兄へは、よろしくと伝えて欲しくないので、こちらこそのお返事を避けました。
 無作法という枠から逃げられるので、ある意味、日本語より便利ですよね。
 しかも、ここには七和が居ないので、ツッコミが入らないところも素敵です。
 なので、後ろの席から聴こえるツッコミは、私へ向けられたものではないと誓います。

「A maybe ってあんた…メイビーは単数名詞じゃないんだからさ……」
 
 携帯を握り締めたまま、慌てて店を出て、克っちゃんの携帯へ電話を掛けた。
 けれど運転中なのか、虚しくも留守番電話の音声が流れる。
 私の勤める支店から此処までは、歩いて五分足らずの道程だけれど、連絡を入れなかったと後々怒られるのも厭なので、メッセージを残そうと思います。
「あ、克っちゃん? 実は今……」
「美也ちゃん、お久しぶり」

 背後から突然掛けられた声に、身体中の毛穴が粟立つ。身の毛も弥立つとはこのことだ。
 私の名を呼ぶ、この関西弁風味な口調は、未だ嘗て一人しか巡り合ったことが無い。
 振り向きたくない。だから、聴こえなかったふりをして、足早に歩く。
 けれど、後ろから音も無く携帯を毟り取られ、触れた指先の感触に吐き気が込み上げた。
「美也ちゃん、無視しないでよ。って、おい、まさか……」
「ぐっ、ゲボッ」
「相変わらず、ケッタクソ悪い女だな…出会い頭でゲロんなよ」
 これぞ本物のゲロ添付。だなんて考えている場合じゃなくて、もしかして私、本物の蛙になっちゃったのかも。でもなくて、どうしよう。

 歩道脇の植え込みに、大量の嘔吐を散布したけれど、すっきりとはしてくれない。
 それどころか目が眩み、最早、立ち上がることも不可能だ。
 そんな私の肩に、正真正銘の日改くんが、そっと手を添えた。
「おい、大丈夫かよ?」
 多分、大袈裟なほど、びくついたに違いない。
 それが気に障った日改くんは、おどけた口調ながらに毒を吐く。
「心配すんなよ。今の美也ちゃん犯したところで、俺には何の得もないじゃん?」

 心配なんかしていない。ただただ、生理的に受け付けないだけだ。
 否、それはまた語弊かも。本能だけではなく、理屈でも受け付けないのだから。
 けれど日改くんは、何も反応しない私に苛立ち、更なる毒を撒き散らす。
「ま、抱いてくれって言うなら、考えてもいいけど?」
 ここでまた、堪えきれずにゲロ散布だゲロ。って、冗談考えてる場合じゃないんだけどさ。
「いや、だから、ゲロで答えんな?」
 お前も、そんなツッコミ入れんなよ。頼むから。

 口と鼻の中が気持ち悪い。特に鼻は、今此処で、手鼻をかみたくなるくらい、キモイ。
 すると日改くんが、捨て台詞を残して、この場を去った。
「直ぐ戻るから、此処で待ってろな」
 絶対に厭なこっただ。こんな絶好のチャンスを、チーターな私が逃すはずなどない。
 だから、死に物狂いで立ち上がり、この場から逃げ出そうとしたけれど、駄目でした。
 本当に、悔しいほど素早く戻って来ちゃいましたよ。まさかこいつもチーターか。
「ほら、飲めよ」

 日改くんが、缶ジュースを私に差し出した。しかも、炭酸なやつ。
 喉から手が出るほど欲しいけれど、過去の前例から、この方が差し出す飲食物に、手を出してはならないことを、私の身体が知っている。
 そしてその前例を、この方が一番ご存知なため、私の猜疑を払拭しようと息巻きます。
「こちらは、たった今、あちらで買ったものです。なので、タネも仕掛けもございません」
 それってマジシャンの常套句だけどさ、実際は、タネも仕掛けも仕込まれてるよね。
「いいですか? こちらは炭酸です。よ〜く聞いてください? 異物を混入した音がしますか?」
 しません。これなら、大丈夫ですよね。本当に大丈夫ですよ、ね?

 いえ、大丈夫ではありませんでした。何故にこうも、学習能力が足りないのでしょう。
 半分ほど飲んだところで、急激に視界がぼやけて行きます。
 しかも、酔っ払ったときのように、何もかもが不鮮明で、呂律も回りません。
「やらっ! 触りゃないれっ!」
「なぁ、悪いこと言わないから、あの家を出ろよ」
「やらっ! 克っしゃん! 克っしゃん、克っしゃ……」
「俺、あいつに頼まれたら、厭って言えないからさ」
 そして、そんな訳の解らない日改くんの言葉を最後に、私の意識は異世界へ旅立ちました。

 色取り取りのお花畑が広がっている。矢張り、花も色が大事だよね、色が。
 何が楽しいのか、声を上げて笑いながら、その花畑を走り回っている私が怖い。しかも裸足で。
 これで、花を摘み取り、冠なんて作り始めちゃったら、確実に病気だ、病気。
 四葉を探し始める程度なら、通院で済むかも。ぐへへへへ。
 とにかく、ぽかぽかと暖かくて気持ちが良い。さらに、この何処までも続く草原が最高だ。
 まるで、クララが立っちゃった気分だよ。とろりとした、山羊のチーズが食べたいほど。

 けれど、両腕を広げ、その芳しい花の香りを思い切り吸い込めば、何故かミカンのアップルパイ。
 何てどっち付かずな香りなんだ。ミカンかリンゴかどっちかにしろよ。どっちかに。
「美也ちゃん、すごく楽しそうで何より」
 ペーターよ、それは違う。この香りは楽しく無い。それどころか厭なくらいだ。
 しかもペーター、君はユキちゃんをほったらかして、先程から一体何をやっているのかね。
 私の口は布で覆わなくて良いのだよ。覆って欲しいのは、口じゃなくて鼻だしさ。

「はい、美也ちゃん、万歳〜」
 そう言えば、前にもこれと同じ夢を見た記憶がある。
 何故かペーターが私の洋服を脱がし、ヨーゼフに身体中をべろんべろんと舐められ、そして……
「お、気が付いた?」
 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、上半身裸のペーターが、にこやかな笑顔で私を見下ろしていた。
 しかしまた、ペーターの身体は亮にそっくりだ。特にこの、蝉みたいな腹直筋が。
 殴ったら岩のように硬いんだろうな。ちょっと試してみようかな。って、そうじゃないじゃん。
 この人はペーターではなく日改くんであり、矢張り、ボクシングをやっている人間の体つきは似通うんだな。じゃなく、何で裸なの?

「ふんぐーっ! んぐっ!」
 事態はからきし飲み込めないけれど、恐怖だけは確実に襲い掛かってくる。
 だから死に物狂いで、この状況から脱出しようと試みるけれど、いつの間にか手首が枷せられ、身動きが取れない。しかも、唇の間に布を挟まれ、声すら出ない。
「おいおい暴れんなよ、何もしないからさ」
 その言葉は、大幅に間違っている。既に沢山、何かをしているじゃないか。
 けれどそんな反論の言葉も、口を塞ぐ布が奪い消して行く。
「ふんぐっ! ぐぐっ! ふが、ふぐふぐっ!」
 
 抵抗しようにも、身体に力が入らない。それどころか、燃えるように肌が熱い。
 記憶もいつもに増して、曖昧だ。それでも身体は覚えている。
 これは、八年前の再現VTRだ。そしてこれは、夢に決まっている。
 あんな想いを繰り返したくない。あんな出来事を二度も経験したくない。
「くぁっしゃん! くぁっしゃん! くぁっしゃん! くぁっしゃん!」
 克っちゃん、克っちゃん克っちゃん克っちゃん。ただそれだけを、叫び続けた。
 けれどどんなに叫んでも、克っちゃんは現れてくれなどしない。
 解っている。解っているけれど、その名を叫ぶことが止められないんだ。

「ちょっと写真撮るよ? それで任務は完了するから」
 その言葉とほぼ同時に、携帯電話独特のシャッター音が鳴り響く。
 けれど、その音は一回で治まり、代わりに、不思議そうな声で日改くんが問う。
「ねぇ美也ちゃん、何で、腕にキスマークなんて付けてんの?」
 ダニか。ダニだな。どうしてダニは、こうも人の心を惹き付けるのだろう。
「俺も記念に一つ残してもいい?」
「ふんっ、んーっ!」
「冗談だっつうの」
 冗談にも程がある。この状況でのそれは質が悪過ぎるだろ。本当に言えないけど。

 ところがそこで、日改くんの携帯が鳴り出した。そして躊躇うことなく、日改くんはそれに応答する。
「もしもし? どうした…マリ、泣いてんの? 何があったの?」
 マリ。日改くんのお姉ちゃんの名を、久しぶりに聴いた。
 確か、克っちゃんの一つ上で、とても頭の良い女性だったと思う。
 日改くんと私が付き合い始めたのは、高校二年の冬だった。
 同じクラスだった日改くんに告白され、その強引さに断り切れなかったという、いつものパターンだ。
 でも実は、断れなかった理由が他にもあった。
 否、断れなかったではなく、逆に、受入れちゃったが正解かも。

 当然、告白されたとき、私はお断り常套句を適応した。
『うぇっ? トリプルノブン、君は私の何処がいいと言うのかね?』
 すると日改くんは、考えることなく、きっぱりと言い切った。
『美也ちゃんは、ブラコンだから!』
 そう。日改くんは、自他ともに認めるシスコンだ。それも相当年季の入ったやつ。
 つまり日改くんは、私に恋愛関係を求めたのではなく、恋愛同志と求めたってことだ。
 こんな二人が付き合い出せば、必然的に、互いを知り得るための会話などしない。
 ファーストフードに寄り道しようが、映画を観に行こうが、会話は全て兄妹自慢となる。

 故に私たちは、付き合い始めて一年近く経っても、キスするわけもなく、手も繋がない。
 本間を始めとする友達は、そんな私たちを見て、絶対におかしいと口を揃えて言ったけれど、私は楽しかったし、おかしいなどとは思わなかった。
 それは、お姉ちゃんのことになると、必死になる姿が微笑ましかったからであり、日改くんの言動が、亮に似ていたからであり、更に克っちゃんを褒めてくれたからだ。
 私はその距離感に安心していた。そんな空気が、とても好きだった。

「マリ! 泣いてちゃ、解らない。ちゃんと説明しろよ」
 けれど、あの日は違った。多分あの日も、日改くんはこんな顔をしていたと思う。
 今のように、悲しそうに顔を歪めて、ぴりぴりとした空気を纏っていた。
 後に聞いた噂話では、両親の離婚とか何だとかだったけれど、私はそうは思わない。
 あのときもきっと、こうやって、お姉ちゃんに何かがあったんだ。
「何言って…今から直ぐ行くから。だからそこで待ってろ!」

 日改くんが、お姉ちゃんとの通話を終えて、思い出したように私を見た。
「だからあれほど言ったのに。俺の心は複雑だよ、全く」
 内容の無い、愚痴を溢されても困るのですが。特に、このような格好ですし。
「美也ちゃんは何も悪くない。悪いのはこっち。でも、克也くんを逆恨んじゃうのよ、俺ってば」
 内容があっても、概要だけの愚痴でも困ります。しかも、このような格好ですし。
「美也ちゃんも、まだ克也くんが好きなんだね。俺も同じく、まだマリ一筋よ」
 それは違う。日改くんの気持ちは知らないが、私は克っちゃんでなく、亮が好きなんだ。
 ブラコンには違い無いけれど、名前が違う。相手も違う。そこんとこヨロシク。

「そういえば、弟くん元気? 俺さ、あいつを見る度、昔の自分を思い出すんだよね」
 悠長に、世間話をしている場合ではないと思うのですが。
 今直ぐ行くと、お姉ちゃんに約束していたのだから、これを外してください。
「いつだっけな? 俺、弟くんと対戦したのよ。俺のKO勝ちだったんだけどさ?」
 待て。そんな話は聴いていない。しかも、さらっと自慢をするな、自慢を。
「余りにも敵意を剥き出しにしてくるからさ、何勘違いしてんだって、言ってやったの」
 その先を聴くのが恐ろしい。きっと碌でもない毒を吐いたに決まっている。
「お前の敵は、俺じゃなくて克也くんだろって。そしたらあいつ、あっさりKO負け」
 ほ〜らやっぱり。勘違いしてるのは、亮じゃなくて君だよ、君!

 突然のチャイム音に、身体がビクンと大きく揺れた。
 けれど日改くんは、来訪者を予期していたようで、鼻から苦笑いを漏らしながら立ち上がる。
 道理で悠長に話し込んでいたはずだ。お姉ちゃんの下へ行くために、交代要員を寄越させたな。
 ところが私の予想は大きく外れ、聞き覚えのある声が、扉の外から放たれる。
「日改、開けないなら壊す」
 あの声は克っちゃんだ。事情はさっぱり解らないけれど、とりあえず叫べ、私。
「んんっ! んーっ、んっ!」

 湿った外気が、ワンルームの狭い部屋に流れてくる。
「来るのは解ってたけど、随分早いね」
 日改くんが玄関の扉を開けたんだ。その証拠に、日改くんの一方的な会話が私の耳にも届く。
「やだなぁその殺気。克也くん、俺を殺そうとしてるでしょ?」
 喋り続ける日改くんが、一歩一歩確かめるように、後ろ歩きで部屋に戻ってくる。
「勘弁してよ。俺に勝ち目はないだろ、リーチ的にもさ」
 そして、あのときと同じ顔をした克っちゃんが、日改くんを見据えながら部屋に現れた。

 もう、安心してもいいかな。恐怖を隠し、自分で自分を誤魔化すことが限界だったから。
 こんな格好で、ごめんね克っちゃん。莫迦な自分が本当に情けないよ。
「ぐっ、ゲホッ」
 気を抜いたら、また吐いちゃった。猿轡をされてるし、仰向けだし、最悪だよね私。
 ごめんね克っちゃん。本当に本当に、いつもいつも迷惑を掛けてごめんね……

 克っちゃんの手が全ての枷を解き、その場のタオルケットで私を包む。
 そして身体に貼り付く汚物を拭いながら、同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫だ。大丈夫だよ、もう大丈夫だ」
 違う。大丈夫じゃない。
 酷く悲しげに顔を歪めた日改くんが、後ろから克っちゃんを狙っているのだから。
「んーーーっ!」
 けれどそこで思わぬ人物が登場し、日改くんの背後から手刀を放つ。

「私も後ろからですが、こちらは正当防衛ですね」
「い、石岡……」
「お久しぶりです日改くん。早速で恐縮ですが、その携帯を渡していただけますか?」
 何故此処に、石岡兄が居るのだろう。しかも、会話内容からして、この二人は顔見知りらしい。
 それでも克っちゃんは、二人の会話など気に留めることなく私を抱き上げ、兄に告げる。
「石岡、後は頼む」
「はい、確かに言付かりました。ですが…先輩?」
「すまん、今回は無理かも知れん……」

 こうして私は、克っちゃんに抱かれたまま、日改くんの部屋らしき場所を後にした。
 だから、扉が閉ざされた後の会話など、知る由もない。

「シスコンヤローが三人も集まると、滑稽だよね」
「シスコン? 貴方は彼女を兄妹だと思ったことがありますか?」
「そういや無いな。でも俺の弟はシスコンかもよ? 今頃、もしかして……?」
「高田女史は卑怯だ。そして私は、先輩ほど出来た男ではない。この意味が解りますね?」
「……マリを傷つけたら、俺がお前を許さない」
「その言葉、名前を入れ替え、先輩に代わって私があなた方へお返しします」

 あのときも、こんな状態だったと思う。随分前の話だから、記憶もあやふやだけど。
 とにかく意識が朦朧として、寛容になり、そして異常な性欲に見舞われるんだ。
 あの日の昼休み、日改くんが私にジュースをくれて、それを飲んだ途端に異変が始まった。
 丁度、菓子パンの中に針が入っていただとか、店舗に陳列されている未開封の商品に、異物が混入されるという事件が多発していたから、私のジュースもそれじゃないかと、クラスが騒然とした。
 そんな中、吐き気が止まない私を日改くんが背負い、保健室に連れて行ってくれた。

 養護の先生が居たかどうかは覚えていない。
 日改くんがベッドに寝かせてくれて、そこからは、例のアルプス少女に成り切った。
 けれど、最悪な段階で、私の意識は現実に舞い戻る。
『美也ちゃん嘘だろ…なんで、なんで!』
 余りの痛さで暴れ狂う私に、呆然とした日改くんが、何で何でと、繰り返していたと思う。
 そこから私の記憶はぶつぶつと途切れ、気がつけば、克っちゃんの胸の中に居た。
 克っちゃん以外、触れることを許さず、女性である養護の先生も近寄らせなかったんだ。

「大丈夫だ。大丈夫。大丈夫だよ美也」
 あのときも克っちゃんは、私の背中を擦りながら、この呪文を唱えてくれた。
 否、もっともっと昔にも、同じ呪文を唱えてもらった気がする。
 だけどそれが何時で、何故だったのかは覚えていない。
 それでも今と同じく、外は夜で、激しい雨が降っていたことだけは覚えている。
 そして、そのときも、あのときも、私はこの言葉を克っちゃんに言い続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 意識が朦朧としているから定かではないけれど、克っちゃんが私を車に乗せて走り出した後も、目覚めては叫ぶを何度も繰り返した。
 だから克っちゃんは、私が叫ぶ度に車を停めて呪文を唱える。
 そして私は、克っちゃんの胸で縋り泣きながら、堪えることもせずに吐き出した。
「ごめんなさい、克っちゃんごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだ」
「だって洋服、私、吐いちゃって、克っちゃ」
「洗えばいい」

 そしてまた浅い眠りに落ちて、訳もなく叫びながら目を覚ました。
「い、い、いやぁあっ!」
 直ぐに克っちゃんの腕が伸びて、横たわったまま暴れる私を抱き起こす。
「大丈夫だ。大丈夫。大丈夫だよ美也」
 呪文とともに、大きな手が、私の背中を優しく擦る。
 克っちゃんが、大丈夫と言うのだから、本当に大丈夫なんだ。
 だから、トクントクンと鳴る胸の音を聴きながら、克っちゃんの呪文を復唱した。
「大丈夫。大丈夫なの。大丈夫……」
「そう。もう大丈夫だ」

 そこで漸く瞼を上げるけれど、自分の置かれている境遇が解らず、ぼそと呟く。
「克っちゃん、此処……」
 車の中では決して無い。けれど、自室とも自宅とも趣が異なる。
 すると克っちゃんが、とても簡潔に、状況説明を返して寄越す。
「今年のプレゼントは、旅行に決めていたんだ。それで此処に居る」
 そうだ。今日は克っちゃんと、両親に贈るプレゼントの、下見をする約束を交わしていた。
 更にそう言われれば、薄暗がりでも、造りからして旅館だと解る。
 毎年、形ある物を贈っていただけに、旅行のプレゼントとは驚きだけれど、そういった企画も悪くないと思う。否、悪くないどころか最高かも。

 克っちゃんに引っ付きながら、きょろと辺りを見渡した。
 旅行と言えば、ホテルへ泊まることが主流になっていて、こうした旅館へ訪れることなど、中学校の修学旅行ぶりかも知れない。
 家の中でも、日本独特の文化が消えつつあって忘れかけていたけれど、こういう洗練された和のテーストって、めっちゃカッコイイよね。
 やっぱり私は日本人なんだな。すっごい和むよ。和風だけに。
「私の部屋さ、畳にしようかな。窓は障子にして」

 すると克っちゃんは一息だけ笑い、私の頭を撫でながら穏やかに問う。
「それよりも、具合はどうだ?」
 そう言われて、自分の身体に問い掛けた。
 未だちょっとぼんやりするけれど、頭痛も眩暈もなくなって、吐き気も治まっている。
「ん。大丈夫そう……」
 そこで漸く、克っちゃんの胸から身を剥がし、訳の解らぬ正座に勤しむ。
 いやさ、こんなときは正座が一番だと思うのよ。色んな反省を込めて、こう、色々。

 ところが克っちゃんは、説教を施すどころか、極めて寛大な言行を起こし、私を驚かせる。
「何か飲むか?」
 克っちゃんが動いた。何たって克っちゃんは、『金は出す。だが、自分で動け』がモットーで、先輩風を吹かせ捲り、人を扱き使うことに長けた男だ。
 その男が、自ら率先して動く。しかも、選択の余地までセットして。
 だから雨が降るんだよ。これぞ正しく、晴天の霹靂だよ。霹靂。

 けれど私は、その霹靂を悪用することに決めました。図に乗るって感じで。
「あ、うん。なんか、濃厚なやつが飲みたい」
 すると克っちゃんは、徐に小さな冷蔵庫を開け、取り出した缶を私に差し出した。
「そう言うだろうと思った」
 これは、正真正銘の桃ネクター! 旅館の冷蔵庫に、これがストックされているはずがない。
 流石は克っちゃんだ。やっぱり七和とは違う。
 あ、七和で思い出したけど、ネクターの語源はギリシア神話らしいよ。それでそれで、日本果汁協会が定める、ネクターの条件もあるんだって。ま、どうでもいい話なんだけどさ。

 ネクターを一気に飲み干す私へ、克っちゃんが切り出した。
「外に、小さい露天風呂がある。入ってきたらどうだ?」
 そう言われても、こんなに激しい雨が降っている露天風呂は、どうも、その、ちょっと。
「い、いい。内風呂はないの? シャワーだけでいいから」
「残念ながら、内風呂はない。大浴場ならあるが」
 それもまた、その、どうも、ちょっとだ。今の私には、例え女性であっても混浴は無理かと。
 けれど、苦手な選択肢とはいえ、どちらかを選ばなければならないと思う。
 嘔吐と汗で、髪が束になって固まっているし、微妙どころか、異常に自分が臭い。
 そして確実に、克っちゃんのお勧め選択が正しい。家族風呂なら、克っちゃんが傍に居てくれる。

「じゃ、じゃ、こっちのお風呂に入ろうかな?」
 苦渋の選択を終え、目を泳がせながら呟けば、大きな手を私の頭に添えて、克っちゃんが断言する。
「大丈夫だ。傍に居るよ」
 克っちゃんの短い言葉は、いつも飾り気がない。だから短いんだけどさ。
 だけど、恐ろしい程に直球で、変化球でも消える魔球でもないから私にも解る。
 そして、吐き出された言葉は、絶対の絶対だ。
 克っちゃんは、出来ない約束をしたりしない。自信の無いことも口にしない。
 だから私は絶対に大丈夫で、克っちゃんは絶対に傍へ居てくれる。はず。

 今日は一人になりたくない。誰かが居てくれれば、厭なことを考えずに済む。思い出さずにも済む。
 それでも、その誰かが、今は克っちゃんだけに限定される。
 故に、今日の旅館は有難い。自宅では無理だけど、此処なら克っちゃんの傍にずっと居られる。
 それに、こちらから招かなければ、克っちゃん以外の誰かが現れることもない。
 家に戻れば亮が居る。けれど多分、今の私は亮を受け付けないと思う。
 亮が大好きだからこそ、自分が惨めで汚くて、私に触れたら、亮まで汚れてしまう気がするんだ。

 ベランダに設置された、曇りガラス張りのシャワールームで、全身を隈なく荒い続けた。
 それでも、見えない汚れたベールを、肌に纏っている気がしてならない。
 私は汚れている。それなのに、その汚れがどうしても落ちない。そんな強迫観念に取り憑かれて、只管、皮膚を擦り続けた。
 けれどそこで、克っちゃんの声が遠くから聴こえ始める。
「美也? この桃、俺が食ってもいいか?」
 その台詞は、私の思考回路に割り込み、瞬く間に脳へ広がった。心なしか、涎も伴って。
 ということで、この桃が、どの桃なのか解らないけれど、とりあえず、強く否定しろ、私。
「ダメ! 桃は私のでしょ!」

 慌てて身体の泡を流し、バスタオルを巻き巻き、シャワールームから躍り出た。
 すると、湯船の脇にぽつんと置かれた、一つの大きな白桃が目に入る。
「桃さんよ、君と逢うのは一年ぶりだね」
 七夕じゃないけれど、私たちが巡り合える季節は限定される。しかも夏に。
 もう、当分桃は見たくないなんて思うほど桃を貪るくせに、秋を過ぎると桃が恋しくて、冬には限界を感じ、缶詰に手を伸ばす。白桃限定で。
 メロンが果物の王様ならさ、桃は果物のお姫様だよね。
 だって、何にでも合うじゃん。桃アイス、桃ゼリー、桃タルトに、忘れちゃならない、桃ヨーグルト。
 だけどやっぱり、生には敵わない。特にこうやって、皮が一気にベロンと剥がれちゃうのが堪らない。

「う、うめぇ〜!」
 あ、これじゃ山羊だよ、山羊。私は山羊でも牛でもなく、蛙だったのに、忘れてました。
 それでも思う。桃よ、君は最高だ。ツユダクでも構わない。なんたって入浴中だし。
 多分、信楽焼だと思われる、円形の陶器風呂。なんというか、その、でっかい壷って感じなの。
 そこに、鹿威しのような竹筒が、絶え間なく温泉を流し込むの。素麺みたいに。
 だから、桃のツユが垂れちゃっても大丈夫。否、正確には、気にならないだけかも。
 まぁ、考えて見れば、凄く贅沢だよね。これで雨さえ降っていなければ最高より最高なのに。

 竹垣が雨を凌いでくれるし、橙色の柔らかいランプが闇を消してもくれているけれど、やっぱり怖い。
 砂嵐みたいな雨本来の音と、落ちた雨が何かにぶつかり、跳ね上がる音。この音が周りの音を消しちゃうから、一人ぼっちになってしまったようで、心細くなるんだ。
 だから、手にしていた桃を脇に置き、部屋を振り返りながら問い掛けた。
「か、克っちゃん、居る?」
「あぁ。心配するな」
「克っちゃん? 何か話して。あ、歌ってもいいよ?」
「……本当に歌って欲しいのか?」
 いえ、それは、ちょっと、口から出任せを言いました。ごめんなさい。

 克っちゃんが歌うはずもなければ、物語を読み聞かせてくれるはずがない。
 小さい頃も、絵本を音読するのは私で、克っちゃんは、読み間違いを指摘しただけだ。
 ところが今日の克っちゃんは、晴天の霹靂だけに、過去物語を、ぽつりぽつりと語り出す。
「こんな雨の夜、お前は必ず俺の布団に潜り込んで来た。何故か後ろ向きに」
「えぇ? な、なに突然……」
「しかも、眠りに着くと、全体重を俺にかけた」
「いや、それはね?」

 克っちゃんのベッドは、今も昔も、壁に沿って置かれている。
 そして克っちゃんは大抵、ドアに背を向け、壁に向かって横向きで寝ていた。
 最初の頃は、ちゃんと前向きでベッドに潜り込み、そんな克っちゃんの背中に、ぴたと張り付いた。
 けれど、スースーする背中が怖かった。
 ドアや窓から悪者がやってきたとき、背を向けているのが怖かったんだ。
 だから最初から、後ろ向きで潜り込んだ。背中が温かいと不安が消えるから。

 けれど克っちゃんは、当時の様子を、それはもう、嫌味たらたらで語り続ける。
「余りもの図々しさに腹が立って、俺が押し返すと」
 ご立腹だったんですね。そうとは知らず、ご迷惑をお掛けしてすみません。
 でも、私はそこで、小さく縮こまったりしたのでしょう。そして克っちゃんが同情して……
「寝ているくせに、お前はフェイントをかける」
 そっちか。そっちに行くのか。我ながら、見事なオフェンスだよね。攻撃的な。

「そこで、勢い余って、仰向けになった俺の上に……」
 その先は、言われなくても解っている。何となくだけれど、記憶があるからだ。
「ど、堂々と乗り上げたんですね、私」
「そう。それもまた、後ろ向きでね」
 全く、なんて後ろが好きな女なんだ。まぁ、確かに後ろが好きだけどさ。弱いしさ。
 だけど人様の上に、乗っかっちゃうってどうよ。尾てい骨が食い込むだろ。尾てい骨が。

「お、重かったよね」
「それはもう、最上級に」
 そこまで重くはないだろう。あの頃の私は、二十キロあるかないかなはずだ。
 あ、でも、克っちゃんの体重もどっこいどっこいでしたね。それは重かったですよね。
「だからお前を突き飛ばした」
 ちょっと待て。そんなことをしたのか、鬼兄めっ。

「だけどお前は、どうしても俺に背中をくっつけたいらしくて、後ろ向きでまた……」
「襲い掛かったんですね……」
「えぇ、そうですね。その通りです」
 自分の寝相が目に浮かぶようだ。バックする蛇みたいな感じで。ある意味、画期的だし。
「でで、でも、そんな私が可愛くて、抱き締めちゃったとか……」
 けれど克っちゃんは、一呼吸置いた後、究極の結末を平然と言い切った。
「いや、俺も眠いし、もう諦めて、お前なんか放って寝た」
 そうかよ、そうかよ。どうせ私は、『お前なんか』ですよ。否、自分が悪いんだけどさ。

「だから俺は、こんな雨の夜が好きだった」
「そうだよね。嫌いになるよね。熟睡できな……は?」
「お前が潜りこんでくると知っていたから」

「か、克っちゃ…ん?」
 慌てて振り返り、部屋の中で語り続ける、克っちゃんの姿を探すけれど、窓から見えるところに克っちゃんは居ない。
 だから、板の間に置いたバスタオルを掴んで立ち上がる。
 そして、齷齪とバスタオルで水滴を拭う私を余所に、克っちゃんの話は続く。

「母さんと亮が家族になって、色んな変化があって」
 確かに大きな変化だった。商社マンの父さんは残業が当たり前で、出張も多い。
 学童へは、お隣さんである、植田の小母ちゃんが迎えにきてくれて、夕飯のおかずも、多めに作ったからと、小母ちゃんがお裾分けしてくれた。
 それでも、小母ちゃんにだって家庭がある。
 だから私たちは、雪が降ろうが、台風が直撃しようが、何時だって二人切りだった。

「全くと言っていいほど口を開かなかったお前が、よく喋るようになって」
 今の私を知っている人間は、誰もが疑うけれど、こちらも正真正銘の真実だ。
 克っちゃんの言う通り、学校でも、家の中でも、私はほとんど口を開かなかった。
 どうして喋らなかったのかと言うと、それは、諸事情に依る。
「身形も女の子らしくなって、友達も増えて、人前でも笑えるようになった」
 諸事情とは、このことだ。簡単に言えば、私は学校で仲間外れになっていたんだね。何と言うか、今で言うところのキノコ菌扱い?

 父さんは、私が寝た後で帰宅して、起きる前に出勤する。
 だから私の成長も見て呉れも、父さんには解らなかったのだと思う。
 数ヶ月で数センチも伸びる身長と、夏休み後には履けなくなっている上履き。
 実母が生きていた頃は、言わなくても新しい物が用意されていたのだろうけれど、そういった物を、欲しいと言い出せなくて、それが悪循環になった。

 上履きや鉛筆などの学校用品は、言い出さなくても克っちゃんが気づいてくれて、父さんにお金を貰い、買ってくれた。
 それでも、小学三、四年生だった克っちゃんが、女児衣類を買うなど到底無理な話だ。
 克っちゃんの洋服は、これまた植田の小母ちゃんが、息子さんのお下がりをくれたお蔭で間に合った。
 けれど植田家に女児は居ない。
 だから、息子さんのお下がりを着た、克っちゃんのお下がりを、私は着ていた。
 すれば当然、子ども特有な男子の意地悪発言が飛び出す。
『おい、オトコオンナ! 男の洋服着て、女言葉を喋んなよ!』

 最初のうちは、こんなことでも直ぐに泣き出したけれど、泣けば克っちゃんが飛んで来る。
 すると、克っちゃんに怒られた男子が、また言うんだ。
『キモイんだよ、兄貴のフン! チクリ魔!』
『うっわ、オトコオンナが喋った! みんな耳を塞げ! オトコオンナ菌が移るぞっ!』
 だったら喋らなければいい。喋らなければ、菌も移らない。

 こんな生活を、母さんが変えた。
 伸びっぱなしだった私の髪を切り揃え、編込みの三つ編だのリボンだの、毎日可愛く結ってくれた。
 女の子の洋服を選ぶのが夢だったと笑いながら、記憶にある限り、一度も穿いたことの無い、フリルのスカートを買ってくれる。
 モノトーンだった私の持ち物は、全てパステルカラーへ塗り替えられ、女の子特有のブランド商品も与えられた。
 キラキラ鉛筆は、この頃手にした物で、カラフルな色のラメでコーティングされた鉛筆だ。
 一本、七十円もするの。それを五本も買って貰ったの。でも、勿体無くて使えないの。

『美也ちゃんのこれ、可愛い! 何処で買ったの〜?』
 文房具一つ変わっただけで、女子の対応が大きく変化したと思う。
 話し掛けられたことに驚いたけれど、それでも凄く嬉しかったことを覚えている。
 だから私の宝物の中に、キラキラ鉛筆が所属するんだ。初めてのお友達ができた記念だったから。
 そして男子は、この辺りから何も言わなくなった。
 私だけ配って貰えなかった給食も、極当たり前に、配られるようになったんだ。

「亮と言う弟もできて、焼きすぎるほどのお節介も焼きはじめた」
 更に、この小さな弟は、放課後、友達と遊ぶことのない私の、恰好の遊び相手だった。
 言うなれば、リアルおままごとだよね。
『美也好き! やだ美也と寝る! 美也じゃなきゃヤダ!』
 誰からも敬遠されていた私を、簡単に受入れて、本当に好きになってくれた、初めての他人。
 そんな亮の一言一言が嬉しくて、自分の出来ないことまでも、やってあげたいと思ったんだ。

「そのほとんどが、良い意味での変化だったけれど」
 そう。だから私は今が好きだ。母さんと亮の存在に感謝してもしきれない程に。
 それでも、克っちゃんと二人切りだった生活が、厭だったわけじゃない。
 辛かったのは学校生活であって、家は何よりも安心できる私の居場所だった。
 だから、家の中で喋らなかったのは、学校で口を聞かなかった理由とは違う。
 喋る必要がなかったんだ。喋らなくても、克っちゃんは気づいてくれる。
 そうだ。漸く思い出した。誰にも真似できない克っちゃんの特技。それは……

 ところが克っちゃんは、思い出したことと違う事実を、淡々と言い退ける。
「言葉に頼り始めたお前は、直接、耳で聴くことに慣れて、俺の声が届かなくなった」
 一体、克っちゃんは何を言っているのだろう。この言葉の意図が全く解らない。
 克っちゃんの特技。それは、私の心が読めること。
 スーパーヒーローだけに、そんな超人技ができたんだ。
 けれど私は、ヒーローでもヒロインでも無い。拠って、何の技も持ち得ない。
 だからこそ、この言葉はおかしい。これではまるで、私はサイキックだ。

「克っちゃん、それってどういう……」
 ここで漸く浴衣を着終え、薄暗がりな部屋の中へ足を踏み入れた。
 すると、地べたに座り、片足だけ立膝を付きながら、壁に寄り掛かる克っちゃんが視界に入る。
 そして、視線が絡み合った途端、悲しげに微笑む克っちゃんが、言った。

『愛してるよ美也……』

 何て図々しい幻聴なんだ。いくらなんでも、これは拙かろう。
 否、言ったといっても、克っちゃんは唇を動かしていない。ただ私を見上げただけだ。
 それなのに何故私は、こんなに確信をめいて、『言った』と思ったのだろう。
 けれど驚いたのは、私だけではないらしい。
 その場で固まる私を見て、克っちゃんの目が驚きに見開かれて行く。
 そして、今度はちゃんと唇を開き、克っちゃんが告げた。

「でも、どうやら今は、聴こえるらしい」

 どうして忘れていたのだろう。
 そうだ、そうなんだ。私たちに言葉はいらなかったんだ。
 決して、超能力などの特殊な産物ではなく、本能の方が理性よりも上回る年の頃、長過ぎるほど長く二人切りで過ごしたからこそ、得た特技だと思う。
 何となく。何となくで解るんだ。喋らなくても、感じ取ることができたんだ。

 そう考えれば、克っちゃんに直ぐ嘘がバレてしまうことも、肝心なときに限って、克っちゃんが押し黙るのも、全て納得が行く。
 克っちゃんの言う通り、私は耳に頼ってしまった。
 聴こえるものが全てだと信じ、見て感じ取ることを、忘れてしまったんだ。
 あぁ、だから克っちゃんは、事ある毎に、ずっと私へ言い続けてきたんだね……

「そう、だから喋るな。お前の知りたいことを、俺はちゃんと伝えているだろ?」
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