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◇◆ Who's bad? 2 ◇◆
 擦れ違う人々に違和感を覚えながら、厚かましくも繰り出した学生駅の学生街。
 それでも、名立たる大学が集まった街だけに、行き交う大志を抱いた若人たちは、皆、インテリゲンチャな知識階級に見える。
 ここは一つ、私も眼鏡が必要だと思い立ち、待ち合わせ時間まで、雑貨屋を巡ることに決めた。
 くるくる回るスタンドに、陳列された伊達眼鏡を見つけ、その場に佇む。
 やはり、スクエアフレームは外せない。インテリは四角と相場が決まっている。丸いと、額に稲妻が光る、魔法使いになりそうだし、三角は白髪白髭になりそうで何やら怖い。
 それでも、四角と限定しても、フレーム色が色取り取りだ。
 王道の黒縁や鼈甲、赤に茶色に緑。だけど、水玉まであるのは、流石に可笑しいだろ。

「美也さんは、茶色が、一番お似合いな気がしますよ」
「え、そう? 私は赤い水玉が、って石岡さん!」
 スタンド上部に設置された小さな鏡が、私の背後に立つ人物を映し出す。
 慌てて振り返り、伊達眼鏡を背中に隠して、媚び諂う笑みを浮かべた。
「こんばんは。珍しい場所でお会いしましたね」
 何も疚しいことなどしていないのに、緊張を強いられるのは何故だろう。
 しかも石岡さんは、ご挨拶くださっているだけなのに、謝りたくなるのはどうしてだ。
「のこのこと、知識階級領域に、足を踏み入れてすみません……」
「いえいえ、全く違和感がないですよ。美也さんは学生さんのように見えますから」

 けれどそんな緊張も、この天使の一声で弛緩する。
「お、お姉ちゃん? どうしたの?」
「くぅぅ。萩乃ちゃんだっ」
 とりあえず、抱きつこう。分厚いコートが邪魔だけど。
 ハグハグっと数回抱きしめてから抱擁を解き、萩乃ちゃんの両手を握る。そこで萩乃ちゃんが、はにかむ笑顔で私へ告げた。
「今春から、ここの大学に通うので、下見をしていたんです」
「そうなんだぁ。合格おめでとう!」
 抱きつく理由があればそれで良し。分厚いコートが邪魔だけど。
 けれどそこで、石岡さんと目が合った。なんとも言えない微苦笑を浮かべる石岡さんを見て、何かよくわからない疚しさを感じ、慌てて抱擁を解く。

「お、お姉ちゃんが、何か合格祝いを買ってあげるよ!」
 丁度、此処は雑貨屋だ。本日の持ち金は、いつもより多い。そんなことを素早く頭で計算しながら、萩乃ちゃんへ切り出した。
「本当? じゃ、じゃ、萩乃は、」
 嬉しさではち切れそうな笑顔で、萩乃ちゃんが私の手を握り、ぴょんと跳ねる。
 私も一緒に跳ねたいけれど、石岡さんの視線が怖いから止めておこう。
「こら萩乃、少しは遠慮しなさい。美也さんに失礼ですよ」
 けれど、石岡さんのその一言で、私の中で眠る、スペイン騎士道魂が目覚めた。

 昨日観たアニメの猫を真似、うるうるとした円らな瞳で、石岡さんを見上げる。
「石岡さん、私はお姉ちゃんなんです。お姉ちゃんなんですよ?」
 すると、そんな私を真似た萩乃ちゃんが、私よりも数倍可愛い懇願瞳で、石岡さんを見上げた。
「そうだよ宗ちゃん、お姉ちゃんなんだよ?」
 ここで堪らず、石岡さんのギブアップ。両手を肩まで挙げて、後ずさる。
「ぎ、疑問系で私を攻め立てないでください…しかもダブルで」
 萩乃ちゃんと目笑を交わし、互いに片方の口端を上げる。石岡さんは結構ちょろい。

 こうして、兄の了承も得たところで、お買い物を再開。萩乃ちゃんの欲しいものが伊達眼鏡を知って、その奇遇さに驚くけれど、此処で売られるそれは、全て千円だ。
 だから、そんな安いものではなく、もう少し高価なものをと反論するが、萩乃ちゃんは譲らない。
「萩乃は、伊達眼鏡が欲しいの」
 改めて思う。私もちょろい。この懇願瞳は、猫より強力だ。
「姫、やはり、インテリ系のスクエアが狙いですよね」
 スタンド前までエスコートしながら、思いの丈を述べるものの、呆気なくそれは切り崩される。
「いえ。癒し系の大きなフレームが狙いです」
 そうでした。我が妹は、眼鏡というアイテム無しでも、既にこちらの階級人間でした。

「お姉ちゃん、これ掛けてみて」
「じゃ、萩乃ちゃんは、こっち掛けて。あ、これもいいかも」
「きゃあ。お姉ちゃん、それすごく似合う! 賢そう!」
「嘘? じゃ、これに決定!」
 ということで、今回は勢いではなく、心から羨望した商品を買いました。
 しかも、知識階層階級を行進する妹の、完全御墨付きな一品です。
 というか本来の目的は、私ではなく、妹にこれを買うはずだったのですが。
 それでも、真新しい眼鏡を掛けると、何かこう、心が洗われるようだ。心なしか、太目のフレームが、目の皺を隠してくれそうな按配がさらに良い。

「お姉ちゃん、一緒にご飯を食べましょう?」
 互いの眼鏡を会計し終え、財布をバッグにしまったところで、萩乃ちゃんが言い出した。
 そこで、すっかり忘れていた予定を思い出し、小さな叫びを上げる。
「あっ! あ、いや、ブッチしちゃおうかな…相手は本間だし」
 時間を気にせず、ゆっくりと買い物へ励んでいた私に、驚きを隠せない口調で、石岡さんが問う。
「何か、お約束があったのですか?」
 石岡さんの袖口を掴み、顰め面で見上げながら、きっぱりと物申す。
「石岡さん、どう思います? こんな可愛い妹を見た後の本間ですよ?」
「な、何かとても、お答えしづらい質問ですね」

 そう答えながらも、石岡さんは、社会人らしき窘めを私に降らす。
「でも、土壇場のキャンセルは、先方に失礼ですよ」
「はい。解ってます…本間はどうでも良いですが、ナナワには迷惑です」
 そこで、その複雑発音な名に反応した萩乃ちゃんが、物知り顔で話に加わった。
「ナナワ? あの、鳩のマークの七和製薬?」
「違うよ。ビデオ屋のナナワ。秀和大の学生さんで、ビデオ屋でバイトしてるの」
「あぁ、それでここに、お姉ちゃんが居たんだ」
「うん。安くて美味しい焼き鳥屋さんがあるんだって」

 ともに雑貨屋を出でて、別れを惜しみながら言葉を交わす。
「美也さん、飲み過ぎては駄目ですよ?」
 兄そっくりな顔で目を細め、石岡さんは、最後まで私に牽制球を投げ続ける。
「大丈夫ですよ。石岡さん、克っちゃんみたい」
「えぇ本当に。先輩の気持ちが解って、胃が痛みますよ」
 それでも、萩乃ちゃんが、その場の空気を和らげる。
「いいなぁ。早く萩乃も成人して、お姉ちゃんと一緒に飲みたいな」
「くぅぅっ。毎日でも飲んじゃう! ハシゴして!」
 だからまた手を繋ぎ、二人でぴょんぴょん跳ねたところで、物凄い拒絶の言葉を投げられた。
「それは、私が絶対に許しません」

 私は石岡さんと結婚すると決めているのですが、無理感が否めないのは何故でしょう……

「ボーイズ、ビー、アンビシャ〜スっ!」
 クラーク博士の銅像を捩ったような、何処かを指し示す、可笑しな動物の銅像前で、買ったばかりの伊達眼鏡を掛け、フレームを持ち上げながら叫ぶ。
 けれど、この女のお陰で、夢も希望も無くなった。
「青年よ、欲望を抱け?」
「よ、欲望じゃなくて、大志だよ」
「どっちでも同じでしょ? 私の野望は欲望だもん。澄子よ男を抱け。でもいいくらい」
 既にそれは、野望ではなく、野性な気がしてならないのですが。
 しかし、ここまでシンプルに断言されると、淫らしく聴こえないのはなぜでしょう。何事も、シンプルイズベストと申しますが、全くもってその通りですね。

「というか、今日は何だか、その、普通だね」
 淡いピンクのセーターに、濃厚色のボックススカートとブーツなお出で立ち。
 襟ぐりが際どく開いてはいるものの、通常のこいつに比べれば、かなり普通だ。
「学生街なら、このくらい清楚可憐がよくてよ、ひろみ」
「ひろみってお前……」
 確かに縦巻き髪が、セレブ感を演出してはいるが、蝶の婦人には程遠い。特に胸が。
 さらにこの婦人は、茶々を入れられると入れ返すのが道義らしい。
「大体、なんなの? その眼鏡。あんたの視力、気持ち悪いほど良くなかった?」
 気持ち悪いは余計だが、私の視力は、小学生から変わらずの、両眼1.5。
 でも、見たいものしか映りません。見たくないものは、排除の方向で。

「フフフ。これはだね、愛しの萩乃ちゃんが、選んでくれたのだよ」
 不敵な笑いを吐き出しながら、此れ見よがしにフレームの真ん中を持ち上げる。
 けれど婦人は、セレブらしい口調で、セレブには程遠い嫌味を吐いた。
「まぁ流石、あの漫才師らしいセレクトだわね。荻や萩だけに」
 上手い事を言うな。座布団二枚くらいあげたいよ。何となくムカツクけれど。
 ところがそこで、素に戻った本間が、意味深な言葉を囁く。
「みゃあ、こういった誘いを、簡単に受けるのは良くないよ?」
「な、何を言ってんだお前、喜びメールを送り返してくたくせに」

 咄嗟に携帯を取り出し、証拠を見せ付けようと履歴を呼び出す。
 それでも本間の方が早かった。自分の履歴を見せられ、目を泳がせながら言い訳を試みる。
「あ、あれ? ちゃんと的確に、伝わったはずだよね?」
「どこがだっ。てっきり知っていると思って、うっかり喋っちゃったよ」
「え、誰に喋ったの?」
 けれどそこで、夜道に七和の声が響く。
「あ、松本さん、こっちです!」
「……これだよ。絶対にいい男だと思った」
 いい男だと断言しながらも、何故かテンション低めな婦人は、放っておこう。

 カウンター主流な、小さな店舗。それでも六畳ほどの座敷が設けられていて、その一角に座れるよう、七和が予約を入れてあったらしい。
 一人通るのも、やっとな通路を抜け、込み合う店内を突き進む。
 七和が電車で宣言した通り、作務衣のような白衣を纏う白髪の男性が、団扇で煙を扇ぎ、丹精込めて串を焼いている。この様子なら、絶対に旨いはずだ。
「こんばんは。よろしくお願いします」
 涎を垂らさんばかりに、白髪男性へ挨拶を投げると、顔いっぱいに皺を寄せ、くしゃっと笑む男性が親指を突き立てる。
「お譲は新顔だね? 一本、好きな串をおまけするぞ?」
「ほ、ほんとう? じゃ、ツクネ! ツクネね!」
「あいよ。二回も言ってくれたから、二本のおまけだ!」

 何て良い主人だ。この店が、繁盛するのは当然だ。
 けれど、私たちの会話を聞いていたらしい常連さんから、野次が飛ぶ。
「汚ねぇぞ親父! 可愛い子が来ると、いっつもそれだ!」
 何て良い常連さんだ。串を見る目のある人間は、人を見る目もあるんだな。
 ところが、セレブでお洒落な婦人は、この状況が耐えられないらしい。
「何かしら、このダークな臭い……」
 このようにおっしゃりながら、ハンカチを鼻に当て、咳き込みながら後に続く。

「お二人とも、何を飲みますか?」
 辿り着いた座敷に腰を下ろし、着物地で覆われた和風なメニューを開いて七和が言う。
 焼き鳥と言えばビールだが、どうにも私は、ビールとの相性が悪い。
 けれど、この店の雰囲気からして、カクテルは置いていないだろう。
 カクテルが無ければ、次の代物は決まっている。だからメニューを見ることなくその名を告げようとすれば、一言も発する前に、七和がぴたりと言い当てた。
「あ、松本さんは、ウーロンハイでしょ?」
 何故解るんだ。おっかないな。その眼鏡には、人の心を読む機能が備わっているのかね。

「何を飲むもなにも、セレクトする物がないじゃないの……」
 隣で、セレブな婦人が白目を剥いて文句を放つ。
 ここまで機嫌の悪い本間は珍しい。確かに、いつも行くような店とは赴きが正反対だが、そんなことで不機嫌さを露骨に表すようなことは、今まで一度もしたことがない。
 特に男性が傍に居れば、尚更だ。
「本間? お前……」
 生理だ。きっとあの煩わしい苛立ちに苛まれているんだ。でも聞けないけど。
 ところが本間は、七和を見据え、それから私に目を戻す。しかも、弟そっくりの、復讐を誓う狡猾マフィア顔で、私を見続ける。

 本間の視線に怯み、後ろめたいことなど何もないのに動揺した。
 確かに、あのメールは誤解を招いたかも知れない。それでも、そんな顔をされたら、焼き鳥が不味くなるから止めて欲しい。
「すみません。本間さんは、こういったお店が苦手でしたか?」
 何やら気配を察した七和が、本間に謝罪を述べ始めた。
 それでも本間の機嫌は直らない。信じられない言葉を、七和に向かって吐き捨てる。
「店ではなく、一緒に飲む相手が厭」
 こ、これは本間じゃない。本間の身体を乗っ取った、地球外生命だ。

 店内のこの一角にだけ、ブリザードが吹き荒れている。
 その空気に耐え切れず、拳をぎゅっと握り締め、本間に切り出した。
「ほ、本間、ごめん…私が、あんなメールをしたから……」
 そこで本間が大きな溜息を吐き出し、首を傾げながら和らげに呟く。
「自責の念に駆られてるだけよ。試合前なのに、動揺させちゃった自分に、腹が立ってるだけ」
 試合前で動揺させた人のことは謝りようがない。本間はそう言って自分を責めるが、きっと全て私が悪いのだと思う。何が悪いのかは解らないけれど。
「でもさ、でも、そんな本間を見たことないから、凄く悪いことしたんだって……」
「もういいわよ。あたしに連絡を寄越しただけ、みゃあにしてはマシな行為よ」

 両掌をひらひらと翻し、私の行為を褒めてくださった婦人は、不意に七和へと向き直り、これまでの失礼を、セレブらしくぞんだいに詫びた。
「ナナワくんも、ごめんなさいね。飛んだ八つ当たりをしちゃったわ」
「あ、いえ、全然平気です。どうか、気にしないでください」
 柔らかい笑みを湛えて、セレブに対抗した紳士口調で、七和が本間に告げている。
 学生にしては、七和は人間が出来ていると思う。接客業のバイトが、齎す業なのかも知れない。
 そんな七和を見て取った本間が、小さな溜息を吐き、携帯を手に立ち上がる。
「スー、ちょっと頭を冷やしてくるね。直ぐ戻るから」
「あ、うん。解った」

 本間の背中を見送りながら、向かいに座る七和へ謝った。
「ご、ごめんねナナワ。でも、本間はあんなことを言うやつじゃな」
 けれど七和は、最後まで私に言わせることなく、心を読む伊達眼鏡の機能を駆使して、意味有り気な台詞を笑顔で放つ。
「解ってます。大丈夫です。本間さんは、松本さんを心配していただけですよ」
「心配? 本間が? 何を?」
 どうやら私の伊達眼鏡には、何の機能もないらしい。千円だし。
 どこぞの名探偵ほど、素晴らしい機能はなくても良いけれど、賢さが上がるとか、レベルが上がるとか、そのくらいの機能は、自動的に備わっていても良いのにな。

「そうだ松本さん、PV観ました?」
 七和が、矢次な私の質問に答えることなく、明るく暢気に話題を変えた。
「観た観た。あの所為で私は昨日……」
 恨めし顔で七和を見上げ、恨み辛みを吐き出そうとすれば、七和が、にやと笑って先回る。
「ま、まさか、赤いゾンビが、ポーッ! って襲い掛かったとか」
「それは違う。ポーッじゃなく、パオッ!」
 むず痒さを訂正しながら、正しい発音を伝授するものの、七和の勢いは止まらない。
「最後は金色に目が光って、ア〜ッハハハ〜って?」
 だから私も熱くなり、中腰加減で悪夢を語る。
「そうなんだよ。そうなんだけど、途中に黒いのも来て、じゅるっと涎を拭いて……」

「フズバッ!」
「Who's bad!」

 七和の方が、発音が良かったような気がしてならないが、それは、それで、あれだ。
 そんな頃、店内の通路では、店外から戻った本間が、常連さん相手に、くだを巻く。
「何かしら、あの似通った、どす黒いオーラは……」
「同感。居るんだな、七和のオーラを持つ女が」
「ちょっとお待ちなさい。ナナワではなく七和? あの七和?」
「そうだよ。あいつは、あの七和の御曹司だよ。なんだ、知らなかっ」
「いや〜ん。七和ちゃ〜ぁん。お退きなさい、ひろみ!」
 突然、走りこんできた本間にタックルされ、ユサユサ相撲に負けた私は、翻筋斗倒けた。

「ま、松本さんっ、大丈夫で」
 七和が私の名を叫んでいる。それでも、完全復活したらしい本間がそれを跳ね除けた。
「松本ではなく、本間よ。スー婦人と呼んでくださるかしら」
 自分のこの状況は、かなりこっぱずかしい。けれど、本間の声を聴いてホッとした。
 どうやら私は、想像以上に本間のことが好きらしい。
 否、好きと言っても、そういう意味ではなく、ああいう意味でもなく、そんな感じだ。

 畳の上に転がる私を、隣の席の常連さんが、支え起こしながら問う。
「お譲、七和とは、何処で知り合ったんだい?」
 恥ずかしさに、意味もなく洋服の埃を払い、常連さんの問いに答えた。
「あ、ビデオ屋さんなんです。いつも親身になってくれて」
 兄より少し年上だと思われるその男性は、七和のことをよく知っているらしい。
 本物と思われる眼鏡を正しながら、訳知り顔で七和を語る。
「あぁ、あいつは、本当に映画好きだからね」

 男性はそう言うが、私は七和に映画を勧められたことがない。
 これまで紹介してもらったものと言えば、海外ドラマとアニメだけだ。
「いや、ナナワは、アニメのほうが詳しいですよ?」
 そんな私の反論で、男性の掛ける本物眼鏡が、光に反射してきらと光る。
「ほお、だがアニメを語らせたら、七和より俺の方が上だぞ」
 だから私も、負けずと偽物眼鏡を光らせ、渋く決める。
「ほう。では君の、知識階級を試させてもらおうか」

 けれど、試させては貰えませんでした。本日はきちんと、我が携帯の着信音が聞こえました。
「あ、ごめん。携帯が鳴っちゃってるや」
 そこで七和が、本間に抱きつかれながらも、私へ声を掛ける。
「ここは煩いから、外に出たほうがいいですよ」
「あ、うん。そうするね」
 携帯を手に、座敷を降りたところで、私の背中に本間のスミコ声が突き刺さった。
「いや〜ん。七和ちゃん、みゃあなんかより、スーを見てぇ」
 それでこそ本間だ。やはりお前は、そのキャラが良く似合う。

 狭い通路を小走り、引き戸と暖簾を潜って、外気に晒された。
 途端に冷たい空気が肌を刺し、足踏みしながら身体を温め、電話に出る。
「か、克っちゃん? どうしたの? うぅ、さみっ」
「石岡から連絡があって、またお前が、飲んだ暮れてるというから」
「暮れてないよ。暮れないよ。何その、バッド発言」
「バッドな妹だから、バッドな発言をせざるを得ないんだろ?」
「もしもし? フズバッ!」

 溜息を、言葉にするのは止めて欲しい。それでも兄は、そんな溜息を放ってから、また話し出す。
「迎えに行かなくても、平気なのか?」
「平気だよ。ナナワはおんなじ駅だし、終電までには帰るから」
 そこで、誰と飲んでいるのかまでは知らなかったらしい兄が、私へ問い返す。
「ナナワって、あのビデオ屋の?」
「そうそう。朝、電車で会ってね? 焼き鳥屋さんの話で盛り上がってさ」
「焼き鳥屋? あ、学生街の永吉だろ?」
「お? 兄さん、あんたも、なかなか通だね?」

 相変わらずの親父口調で兄へ語ったところで、店の引き戸が開き、上着片手に七和が現れた。
「松本さん、平気ですか? 薄着で出て行かれたから、寒いだろうと思って」
「あぁ有難う! すごい寒かったよ」
 上着を受け取り、携帯片手にそれを着込む。そんな私に、七和が自分の非常識を謝った。
「あ、すみません。お電話中でしたね」
 謝る必要などないと七和に返答をしてから、携帯向こうの兄へ告げる。
「平気平気。じゃ、克っちゃん切るね?」
「美也、頼むから、人様に迷惑を……」
「ア〜ッハハハ〜、パオッ!」

 悪夢の男性声を真似、低く恐ろしい笑いを放って、兄との通話をぶち切った。
 又もや、立ち去る機会を失ったらしい七和が、会話を聞いて笑っている。
「あのイケメンお兄さんですか? 仲良しですよね、松本さんち」
「うん、そう。でも、仲良しには程遠いけど」
 そう答えながらも、顔が綻ばずにはいられない。兄弟のことを問われると、自分のことを褒められるより、嬉しくなっちゃうのだから仕方がない。
 特に、男性から兄弟を褒められるのが好きだ。同性から褒められる兄弟は自慢だ。
 というか女性の場合、褒めた後、大概紹介しろって言うから、ちょっと厭だったりする。

「あ、そうだった、駄目ですよ。あいつにアニメの話をさせちゃ」
 人差し指を鼻に当て、少し怪訝に顔を歪める七和が切り出した。
「ん? あの本物眼鏡さんのこと?」
 そこで七和は強く肯き、悪夢になりそうな怖い話を私へ告げる。
「戦闘機系のアニオタなんですよ、あいつ。松本さんは、萌え系アニメ好きでしょ?」
 その言葉で、団体にて迫り来る、超合金ロボットを想い馳せ、身体が悲鳴を上げる。
 あんなものが、夢に出てきたら最悪だ。否、ゾンビよりは増しか。
「赤いザクが、ズザズザって襲いくるんですよ?」
「こって、こって、腰振って? 赤いザクが?」

「ポーッ!」
「パオッ!」

 怖いよ。怖すぎるだろ。そんな滑らかに動く腰周りの戦闘機など、あってたまるか。

 焼き鳥を鱈腹食べて、ご満悦な帰宅途中。
 全く路線が違うのに、自分の家はこっちだと、言い切る本間が七和の腕を放さない。
 これが、狩猟民族の狩り方法なのかと、ドキュメンタリー番組を観るかの如く、他人のふりで遠巻きに観賞し、ユサユサ求愛ダンスに拍手を送る。
 ユサユサで挟み込んだ腕に、捻りを加えて撓わに揺らす、そのダンス。
「ユ、ユサユサトリプルアクセルだ……」
 女に生まれた者ならば、一度はやってみたい華麗な技に、思わず独り言が零れ、序に溜息も零れる。
 貧乳のトリプルアクセルでも、効果はあると信じたい。かなり。

 三人仲良く、同じ駅にて下車したところで、未だ自分へ縋る本間に、七和が告げる。
「本間さん、ご自宅は何処ですか? 先に、送りますよ」
 そこで、七和には死角となる位置から、怨念の籠もった視線を本間が放つ。
 あの怨念ビームは、邪魔者は消えろ光線だ。漸く、自分が邪魔者なのだと悟り、退散を試みる。
「じゃ、じゃ、私は駅から近いし、一人で帰れるから、また……」
 けれど七和は私の腕を掴み、その試みを無下に退けた。
「そんなわけには行かないですよ」

「スー、おうちが何処だか、わからなくなっちゃったぁ。酔っちゃったみたぃ」
 本間はそう言うが、知り合って此の方、私はこいつが酔い潰れたところを、一度も目にしたことがない。
 だからその言葉に不安が湧き、本間へ近づこうとすれば、ぎらりと放たれる怨念ビーム。
 なんだよ、嘘かよ、ちょっと心配しちゃったじゃないか。おっかないな。
 心は強気に語っても、身体は不自然に後退し、目も泳ぐ。
 弟の『キョドル』という言葉が頭を駆け巡るけれど、基礎編は完璧でも、応用編はまだ無理だ。
「なら、尚更、先に本間さんを送らなければ」
 七和が、頭を余計に混乱させる台詞を放つ。本間のビームも、強さを増している。

 誰か助けてください。改札の中心で助けを叫び、踊って誤魔化したくなる気分を抑えに押えた。
 それでも、そんな私を七和が追い詰める。
「松本さん、本間さんの家まで、案内をお願いできますか」
「わ、私は、この方のお宅を存知あげずにですね? その、何と申しますか、お付き合いの期間は高校からなので、もう十年ほど経ちますか。けれど、付き合いの長さと深さは比例しないと申しますか、」
 ところがそこで、構内の電気が、不気味な音を立てて落ちた。
「やっだぁ、もう、終電なくなっちゃったぁ。スー、どうしよぉ?」

 ユサユサを七和の腕に押し付け、円らな懇願瞳で本間がほざく。
 ここで、七和が覚悟を決めてくれれば良いものを、やはり七和は意気地無しでした。
「あ、じゃ、松本さんちに泊めていただけば」
 何故お前は、私に火の粉を振るう。頼むよ、男だろ、本間をお持ち帰りしてください。
 本間も、お願いだから、そんな顔で私を責めないで……
「うっ、わ、私は、これより少々、野暮な用事がございましてですね?」
「今からですか? 何処に行か」
「あ、あっちです! あっちの方です!」
 思わず指し示した方向は、家とは全くの逆方向。それでもそれを、撤回できないこの状況。

「なんだぁ、みゃあは、彼氏のところに行くんだぁ」
「え? 私、彼氏なんていないよ?」
 素でそれに即答したところで、ゾンビよりも怖い本間の形相が目に入る。
 しまった。つい、うっかり。私としたことが。否、私だからか。
 そこで失態を無に帰そうと、頭に萩乃ちゃんを思い浮かべ、堂々の宣言を述べた。
「か、彼氏は居ないけど、結婚を決めている方ならいます」
 それなのに、今度は本間が、そんな私へ素で即答する。
「え? あたし、そんな話、聞いてないけど」

 それでもこれは、嘘でもなく、言い逃れでもなく、歴とした真実だ。だから自信を持って言う。
「私は、石岡さんと結婚するの!」
「あんた、それ本気でしょ? 何をまた莫迦なことを言ってるの?」
 莫迦とは何だ。私の決意を、そんな言葉で片付けて欲しくない。あんなにも緊張を強いられる石岡さんと、結婚しようと思っているんだぞ。
 けれど拙い展開だ。本間の顔が、見る見る兄のように鋭くなって行く。
「みゃあさ、いい加減にしないと、本当にぶっ飛ばすよ?」

 弟の口癖に似た、本間のその台詞で閃いた。秘密基地に逃げ込もう。これなら、何一つ嘘がない。
 なぜなら、秘密基地はあっちの方だし、男のところだ。まぁ、弟だけど。
 合鍵なら授かっている。こんな状況だから、勝手に入っても、きっと弟も許してくれるだろう。
 そうと決まれば、善は急げだ。無理やり、強引にでも、今直ぐ此処から私は立ち去る。
「じゃ、私はこれで。七和? 後は頼んだ」
「え? あ、はい。……えぇ?」
「ちょっと待てっ、あんたは、話を途中でぶった切り、何処へ行こうというのかね」
「え? 秘密基地だよ。それじゃ、お先に」

 自分で言うのもどうかと思いますが、やはり私はチーターです。
 そして本間は、黒豹な気がします。多分。
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