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◇◆ Photograph 1 ◇◆
 歳の離れた弟が、紹介したい人が居るのだと照れ臭そうに私へ言った。
 多分、こういったことを家族へ告げるのは、それなりの覚悟が有るからだと思う。
 女二十六歳。二十歳そこそこの弟に、先を越されて悔しいけれど、こればっかりは仕方がない。
 ということで、未だ私の返答を待ち続ける弟に、からかい半分、横柄充分で答えてやった。
「仕方がない。どれ、お姉さまが、その者に会ってやろうではないか」
 すると弟は、不敵な笑みを湛えて、私を指差しながら断言する。
「逢ってビビんなよ? めちゃくちゃいい女だから、美也は絶対固まるぞ」
「何を言う。この美也さま以上の、いい女など居るものか」

 けれど当日、弟の連れ立った女性を見て、ビビった。そして、固まった。
 気合い充分、やる気満々で、我が家の戸口に現れた女性。それは、私の同級生だった――


 近頃、年上女が持て囃されていると聞く。会社でも、年下男と結婚する同期もゴロゴロ溢れている。
 けれど、それとこれとは別だ。なぜ選りに選って、素性を知り尽くした同級生が現れるんだ。
 それでも、このことがバレると些か困る。
 私がこいつのことを知っているように、こいつも私の素行を知っている……
 どうやら弟は、この因果な関係に全く気づいていないらしい。
 そりゃそうだ。もし人物関係図を知っていたのなら、照れる前に躊躇っていたはずだ。

 私の家族構成は、前妻前夫死亡の両親が、互いに連れ子を伴い、十数年前に再婚といった寸法だ。
 だから当然、弟と私の血は繋がっていなかったりする。
 それでも血の繋がった兄同様、この可愛い弟を家族として受け入れてきたし、余りもの純真無垢さ加減に、溺愛したと言っても過言じゃない。
 血の上では他人でも、決して邪な気持ちなど抱いたことはなく、だからこそ同い年の女に、手をつけられたことにショックを受けた。

 頭の中で、兄弟との思い出が、スライド写真のようにカシャカシャ回る。
 けれど、これから先の思い出名場面集に、弟の隣で笑うこいつが登場するのかと思うと気が滅入る。
 結納の二人、誓いの口付けをする二人、ハネムーンへ向かう二人、赤ん坊を抱く二人……
 に、似合わない。この可愛い弟には、もっと、こう、お姫様みたいな女の子が似合うはずだ。
 こんな、酸いも甘いも吸い尽くした、出涸らしみたいな女を選ぶことはないじゃないか!

「はじめまして。本間澄子と申しますぅ。あのぉ、亮さんのお姉さんでいらっしゃいますか?」
 敵もこの場の空気を敏感に察知し、初対面を強調する台詞を述べる。
 だから、心の中では悪臭漂う猛毒を吐きながら、究極の微笑みを浮かべて物申す。
「どうぞ立ち話もなんですから、お上がりになって下さい」

 静々と廊下を伝い、二人をまだ誰も居ない居間へ通してから、急いで台所へ向かう。
『本間、お前、私の可愛い弟とヤったのかっ』
 ゴボゴボと沸騰するお湯を見つめて呪文を唱え、下剤混入を考えもするが、お茶にピンクの小粒が浮かんでいたらヤバかろう。
 仕方なく、我が家で一番安い茶葉で手を打ち、居間に戻って恥じらい告げる。
「粗茶ですが……」

 そこへ両親よりも先に兄が姿を現して、堂々優雅な挨拶を敵に向けた。
「両親よりも先に失礼します。はじめまして、兄の克也です」
「あ、あ、私、本間澄子ですぅ」
 私の時よりも、数オクターブ高い声で、甘えたさん口調の敵が吠える。
 そんな敵の仕草と目線を見て、ここでまた、頭の中で回る妄想写真。
 視線が兄を追いかける敵、弟の居ぬ間に兄へ縋りつく敵、そして赤ん坊は兄にそっくりで……
 い、嫌だ。なんかちょっと、弟よりも似合うと思っちゃった自分が許せない。
 弟だけでもショックなのに、兄にまで手を出したら呪い殺す!

 兄と自分のお茶も用意しようと思い立ち、妄想疲れでふらふらしながら立ち上がる。
 ところがそこで、敵から一時休戦の申し立てが吐き出された。
「あ、お姉さん、お手伝いしますぅ」
 同い年の女に、姉と呼ばれるこの気持ち、解ってくれるあなたにチェルシーをあげたいね。

 まるで会社の給湯室並みの、俗な話が飛び交う我が家の台所。
「本間、お前どんだけ鯖読んでんだ……」
「いやだぁ、読んでなんていないよぉ〜! それよりさ、みゃあが言ってた通り、お兄ちゃんカッコいいね」
 敵が呼ぶと、猫の鳴き声だと勘違いされそうな『みゃあ』と言うのはこの私で、敵の言う通り、学生時分から私のブラコンならぬ兄コンには定評があった。
 これが年下好きの女を理解できない発端であり、さらに兄が全ての男基準な故、その基準値を超える男にもめぐり逢えない。

「で、いつ弟と知り合ったのさ?」
「えぇ〜会社の後輩だよぉ。みゃあは亮くんから、何も聴いてないの?」
「めちゃくちゃいい女だとしか聴いてない!」
「やっだぁ! スー、恥ずかしいぃ!」
 親友と呼べるほど仲良くはなかったけれど、学生時代はいつも同じグループで、修学旅行の班も一緒だったりした。
 高校三年の頃、私が初めて彼氏に操を捧げた話も、こいつは知っている。
 そしてこいつは手練れだ。高校生の時点で、既にその道に熟達した腕利きの床上手だ。
 初心な弟は、こいつのテクニックに参っちゃったんだ……

 それでも、女を見る目の歴史が違う兄は、弟のようにゃ騙されない。
 まして比較対象物が真横に座っているのだから、眼は私とあいつを行ったり来たり。
 そこにようやく、余所行きの服を着込んだ両親が現れ、改めましてのご挨拶が再開させた。
 すると兄が、私の服裾をチョンと引っ張り、耳元で囁く。
「美也、ちょっといい?」
 そらきた。何かを感づいたらしい兄は、すぐさま私を外へ連れ出しにかかる。

「あの人さ、どう見ても、美也より年上だよね?」
 流石、違いのわかる男。しかも、年上って言ってくれちゃったところにジンとくる。
「うぅ。だから、克っちゃんラブっ!」
 戸惑う兄を尻目に、ここぞとばかり抱きつくけれど、その瞬間、後方から吐き出される無粋な言葉。
「まったく、いい歳こいて、兄弟同士で何やってんだよっ!」
 振り返れば、ご尤もな台詞を、ぞんざいに言い放つ弟が立っていた。

 兄は私の頭をポンポンと数回叩くと、彼女と両親の待つ部屋へ戻っていった。
 そんな兄を追い、私も居間へ戻ろうとすれば、弟が手首を掴んでそれを阻止する。
「美也、それで、どう思う?」
 結局また、俗話復活の台所。どう思うも何も、結婚は本人の自由だと、両親を見たからこそそう思う。
 私の同級生云々で、二人を引き裂くような真似だけはしたくない。
「い、いいんじゃない? か、可愛らしくって。亮ちゃんにはお似合いかも」
 我ながら、足の裏がこそばゆくなるような返答だが、それはそれで仕方がない。
 それなのに、弟様はその回答がお気に召さなかったのか、気のない返事を残してその場を去った。
「ふ〜ん」

 敵が順風満帆な足取りで去った後、めっきり疲れ果てた母は、家族での外食を提案した。
「やった。あたし、中華!」
 正座疲れの脚を投げ出し、膝を摩り続ける母の背中に飛びつき、小学生の如く強請る。
「はぁもう、母さんは、口に入れば何でもいい。いんやぁ疲れた!」
 母は小学四年生から私の母であり、それ以後、白雪姫のような継母泥沼もなければ、軋轢もない。
 それは、母がかなり出来た女性だからだと、今更ながらしみじみ想う。
 怒るときは怒る。甘やかすときは甘やかす。そんな一貫したポリシーを掲げ、実子である弟と血の繋がらない私たちを、分け隔てなく育ててくれた。
 けれど兄に言わせると、そんな公平奉行母とは逆に、父は贔屓大魔王らしい。

「美也ちゃん、勘弁してくれよ。父さん、お茶漬けでもいいくらいだ……」
「と、言いながらも、親父は美也の僕に成り下がる」
「うるさいぞ克っ、いいから仕度しろ。で、やっぱり美也ちゃんは、中華じゃなきゃ駄目ぇ?」

 兄弟全員が成人を迎えてからというもの、家族全員で外食することなど稀過ぎるほど稀だ。
 大体、兄が休日に家へ居ること自体、既に稀々だ。
 まぁ、三十近いお年頃なのだから、独立せずに家に留まっている方が可笑しいのかも知れない。
 そしてきっといつかは兄も、弟のように愛する女性を連れ立ってくるだろう。
 そのときは多分、相手が私の同級生じゃなくとも、今日以上にショックを受けるはずだ。
 いい加減、この兄コンから脱却しなければならないと思うのだけれど、なかなかどうして難しい。

 けれど、願ってもないその脱却画策は、奇策として予想外の方向からやってきた……

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