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◇◆ Safe house 3 ◇◆
「やあ、セーフハウスへようこそ。あ、安心して、僕はここの住人。 みんなからは三宅って呼ばれてるけど、呉埜っちの大切なお客様だって聞いてるから、 君になら三宅っちって呼んでもらってもいいんだ」
 身振り手振りを駆使して早口で捲くし立てるその男性は、 私に質問をする間を与えてくれることなく更に早口で続けた。

「ここは本当に安全なんだけど、安全を保つために外界から遮断されちゃってる。 わかっていると思うけど、携帯の電波も圏外だし、テレビどころかラジオすらないからね。 でもそれだと、かおりんが淋しいだろうと思って、お近づきの印にこれをプレゼントするよ。 かおりんがどのくらいの間ここに居るのか解らないけど、長くなるかもって聞いたからさ。 あ、かおりんって呼んでもいいよね?」
 何にどう返事をしていいのか戸惑う私に、三宅と名乗る男性は抱きかかえていた子犬を押し付けてきた。

 戸惑いながらも自分の腕の中を見下ろせば、クリンとしたアーモンド形の瞳の子犬が私を見上げている。
「本物の子犬だと思ったでしょ? でも実はそれ、僕が作ったロボットなんだ。 急いで作ったから誤作動しちゃうかも知れないけど……」

 そう言われてみれば、本物の子犬のような温かみはなく、長く白い毛皮で覆われているものの身体はズシリと重く硬かった。
 それでもそれ以外はまるで本物の子犬で、滑らかな舌を出しながら息をする仕草に思わず微笑えめば
「結構難しい命令まで利くように設定してあるよ。名前はかおりんが付けてあげてね。 さっきのスイッチを押せばこうして窓が開くから、こいつと一緒に中庭で遊ぶこともできるでしょ? あ、でも 気をつけてね。芝生から先は高圧電流が流れているから、間違ってもあそこから先には踏み込まないように」
 彼はそう言いながら眉間に皺を寄せ、真剣な面持ちで先まで広がる芝生の淵を指差した。

 彼はここをセーフハウスと呼び、私が呉埜と呼ばれる人物の大切なお客様だと言った。
 叔父様も、車の中でその名を口にしていた。けれど私は、呉埜という人物に心当たりがない。
 叔父様は最後に、どうか私を信じて欲しいとも告げた。
 四面に立ちはだかる高い塀と、彼が今話した内容からして、本当にここは安全なのだろう。
 それでも、自分の身が危険に晒されているということ以外、何ひとつ解らないままの今の状態は、 逆に不安を煽るだけだった。

 私と目が合うたび、照れくさそうに鼻の下を擦る彼に、初対面ながらも安心感を抱き
「ごめんなさい。私、何一つ分からないの。呉埜さんという方のことも、なぜ私はここに居て、ここはどこで……」
 どれか一つでも、彼が答えてくれることを祈って言葉を発した。
 けれどそれは逆効果だったようで、その言葉から私を取り巻く状態全てを把握したらしい彼は、 深い溜息をついて眼鏡のフレームを持ち上げると
「そうだったのか。僕と同じだったんだね……」
 自分の過去と照らし合わせるように、淋しげにそう言った。
「僕と同じ?」
 彼の言葉にひっかかるものを感じ、鸚鵡返しに聞き返すけれど、唇を固く結んだ彼はそれ以上のことは語ろうとせず、わずかな沈黙が流れる。

「かおりん、こいつにおすわりって言ってみてよ」
 沈黙に耐え切れず話題を変えようと、突然子犬と同じような瞳で私を見つめながら彼が言いだした。
 成す術がなく、彼に言われるがまま子犬を芝の上におろし、戸惑いながらも小声で話しかける。
「お、おすわり」
 すると子犬は、尻尾をちぎれるほど左右に振りながら、私を見上げておすわりをした。

 芝の上を無邪気に飛び跳ねる子犬に笑いかけ、どうにか現状を受け入れようと、溜めていた息をそっと吐き出し目を閉じると
「呉埜っちはね、信じられないほど冷静で、もう何年も一緒に仕事をしてきたけれど、取り乱したところなんて1度も見たことが なかったんだよ」
 私の溜息に誘発されたように、彼がポツリポツリと話し始めた。
「でもね、昨夜君がここに運ばれてきて、君が朦朧としながらも呉埜っちにしがみついたとき、顔は無表情のままなんだけど 体が震えていたんだ。僕ね、初めて見たんだよ。必死に感情を隠そうとしている呉埜っちを……」

 彼の言葉とともに昨夜の夢が頭の中に広がって、無意識に顎の小さな傷をなぞる。
 そしてようやくできた確信を、閉じた瞼をゆっくりと持ち上げながらつぶやいた。
「あれは夢じゃなかったのね……」
「え?」
「若行は生きていたのね。呉埜という名で、ちゃんと生きていた」
「かおりん……」

 不意に芝を踏む規則的な音が流れ、ほとんど同時に彼と2人で音のする方向を見れば、 茶色のツイードスーツを着こなした、彼よりも幾分若い男性が彼に話しかけながら近づいてきた。
「三宅さん、こんなところで油を売っていていいんですか?」
「堀内? なんで君がここにいるの?」
 戸惑いながら彼が質問を質問で投げ返すと、男性は当たり前なことを聞くなとばかりに、少し不機嫌顔を作って答えた。
「苅野長官から、彼女の護衛に当たるよう言われたもので。 それより、長官がご立腹でしたよ? 頼んだ機材は出来上がっているのかと」
 明らかに忘れていたのだろう。男性の言葉を聞くなり彼は急に焦りだし
「じゃ、僕はそろそろ仕事に戻らなきゃ。かおりん、こいつの名前が決まったら教えてね」
 それだけ言うと、急ぎ足でその場を去っていった。

 遠ざかる彼の背中を最後まで見送った後、わざとらしく大きな溜息をつきながら男性が振り返りざま言い放つ。
「さて、邪魔者がいなくなったところで本題に入りましょうか」
 男性の顔に広がる薄笑いと、射るような視線に背筋が凍る。
 この人は危険だと本能が囁き、足元にまとわりつく子犬を急いで抱きかかえるけれど、 依然として薄笑いを浮かべた男性は、スーツの内ポケットに手を滑らせて
「あなたを拉致して欲しいとの依頼がありましてね。けれど危険を感じた楠部さんに、先を越されてしまいましたよ」
 感情のこもらないガラスのような瞳で、私を見据えながらそう告げた。

 恐怖で声まで凍り、何ひとつ言葉を発することができない私は、ただ首を小さく横に振りながら後ずさる。
 男性はそんな私を着実に追い詰めて
「準備が大変だったんですよ。なにせここは完全警備で有名ですからね。ここからあなたを連れ出すなんて狂気の沙汰だ」
 そこまで話し終えると、何がおかしいのか、空いた方の手で鼻元を押さえながら男性が含み笑いを漏らす。
 そして内ポケットから銃を引き抜くと
「でもね、私はいつまでもシヴァの飼い犬に成り下がっているわけにはいかないんですよ」
 両手で固定した銃口を私の額に向けながら、私には理解できない言葉をつぶやいた。
 男性の親指が動き、カチっという音とともに銃の一部が回転する。
「悪く思わないでください。あなたを殺せば、私は今よりも良い地位を授かることができるんです」

 一瞬の出来事だった。
 私が居た部屋の開かれた窓から、音もなく飛び出した影。
 その影が背後にまわると同時に、男性が呻き声を上げながらその場に崩れ込む。
 2度目の呻き声とともに、私の額を狙っていた銃が芝の上を滑り、両手を開いて仰向けで倒れる男性の顔に、 立ちふさがる影の手が銃口を向けていた。
 苦痛に歪みながらも影の正体を見てとった男性は、芝に倒れこんだまま驚きの言葉を発する。
「う、嘘だろ……」

 私は悲鳴をあげることすら忘れ、ただ呆然と目の前で繰り広げられる光景を眺めていた。
 けれど突然背後から、私の口元に湿った布が当てられた。
 恐怖に驚き大きく息を吸い込むと、鼻から突き上げる強烈な臭いにむせ、どうにかそこから逃れようと心ばかりの抵抗を試みる。
 けれど当てがわれた布を振り払うことなどできず、視界が急激に狭まり、体の力が抜けていく。
 人工的に薄れいく意識の中で、崩れる私を支える何者かの声が背中から響いた――
「今まで、ご苦労だったな堀内」

 そして私の最後の記憶は、堀内と呼ばれる男性の言葉で終わる。
「シヴァ、違うんだこれは……」
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photo by ©Four seasons