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 角と秘薬 後日譚 2






「はじめましてー。クントといいます。今日からお世話になります!」
「ああ、どうぞくつろいでくれ」
 クントの随分明るい挨拶にアネスは、有角人のイメージと違うなと思った。無愛想なボロウェのイメージが強すぎたせいもあるが。
「いやー、ボロウェさんが言ってた通りかっこいいですね、アネスさんて!」
「な!」
 いきなりのクントの発言にボロウェは真っ赤になった。
「わ、私はそのようなことお前に言った、お、覚えは……!」
 いや、もしかしたら口走ったかもしれないが、こんなこと肯定するわけにはいかない。エトラの人間にアネスとの関係を知られたくはなかった。
 だがクントはバレバレのボロウェの反応には気にも留めず、アネスの目を見ていた。アネスの方はボロウェをチラリと見て赤くなったような気もしたが、
(微妙だな)
 という印象だ。男同士の恋愛を知らないクントには、恋愛面からアネスの信用度を測るのは難しい。
「そういえばボロウェさん、村を出てって大分経ちますけど、里帰りとかしないんですか」
 そう言ったとたん、アネスの空気が変わった。表情は変わらないが、クントは冷たいオーラを感じた。ボロウェはそれには全く気付かず、素直に答えた。
「見ての通り角が折れてしまった。元の長さに伸びるまで村には帰りたくはない」
「あ、元々その長さじゃないんですか」
「当たり前だ」
 クントの言葉にボロウェは不機嫌になった。角の長さには人間には分からないこだわりがあるらしい。クントはボロウェに睨みつけられても怖くはない。その横で静かにお茶を飲んでいるアネスの空気の方が恐ろしい。
「えーと、どうして折れちゃったんですか」
「事故で一本折れて、もう一本は長さを合わせるため俺が折った」
 アネスが答えた。本当は色々と事情があるのだが、その事情がダークエルフの薬や有角の万能薬など人に言えないことが多いため、そう説明している。
(角……、この人が折ったのか)
 クントは不安になった。体の関係があるようだからアネスも多少はボロウェを好きなのだと思い込んでいたが、有角の秘薬だけが目的でボロウェを懐柔しているということも考えられるではないか。


「明日は早いからすぐに寝なさい。ただし先程渡した本は読み終わっておくように」
 クントは嫌そうに「はーい」と言って客室の扉を閉めた。ボロウェは廊下を歩き、別の客室に入っていった。いつもはアネスの寝室で寝ているのだが、それをクントに知られたくないため数日間他の部屋を自分の部屋と偽って使うことにした。
 夜着に着替えてベッドに転がる。アネスが隣にいないのを寂しく感じている時、外からノックの音が聞こえた。
「入るぞ」
「うん、どうぞ」
 ちょうどアネスのことを考えていた時に声が聞けて嬉しくなった。アネスは部屋に入ると内側から鍵を閉めた。ベッドに座っているボロウェの横に座ったと思ったら、そのままボロウェを押し倒した。
 押し倒されたボロウェは赤くなってアネスを見上げた。
「今日は、その、別の部屋で寝たい」
「分かってる。すぐに出ていく」
 そう言いながらアネスはギュッとボロウェを抱きしめた。
 エトラに帰るな。
 そう言いたい気持ちをアネスは抑えていた。独占欲と不安に満ちたひどい言葉だ。ボロウェを困らせるに決まっている。
 ボロウェのふわりとした髪に口付けて、黙ったままでいる。今日は花の香りがする。カナーの庭園で同じ匂いの花があった。そのふりつもった花びらが石畳を橙色に染めていたのを思い出した。
 エトラはどんな所だろう、と考えた。豊かな土地ではないというし、あんなにはなやかな花は咲かないのだろうか。エトラは遠すぎる。一度エトラの村長宛に書簡を出したが往復するのに二か月かかった。
「アネス……」
 ボロウェは頬をすり寄せてアネスのさらに腕の中へ密着してきた。すぐ出ていく、と言ったのだが。ボロウェの顔は隠れてしまって見えないが、耳は真っ赤になっていた。こういうところが堪らなく可愛い。
「愛してる」
 アネスは頬に手を添えてボロウェの顔を上げさせた。
―必ず幸せにする。だから、一生側に……」
 そのままボロウェに口付けた。ぽうっとしたボロウェは小さく頷いた。
「一生、アネスといる……」
 そして腕を伸ばしてアネスにしがみついてきた。ボロウェはあまり深く考えないで言ったのかもしれない。だがアネスは冷えた心が少しほぐれたのを感じた。


 翌朝ボロウェは部屋を出る時、クントがいないかよく確認した。結局昨夜もアネスと一緒に寝てしまった。抱きしめられて寝ただけで特に何もされなかったが、首筋に新しい口付けの跡をつけられた。ボロウェは首の後ろの辺りをそっと撫でた。恥ずかしさよりも嬉しい気持ちが込み上げてくる辺り、自分はよほどアネスしか見えていないみたいだ。
「おはよーございます!」
「わっ」
 クントの元気な挨拶がすぐ後ろから聞こえ、ボロウェは取り乱した。
「おはよう」
 ボロウェが戸惑っていると、部屋の中からアネスが出てきて代わりに返事をした。ボロウェはこれにさらに動揺する。
(同じ部屋から出てきたら……!)
「あれ、アネスさん。ここボロウェさんの部屋じゃ……」
「今彼を起こしに入ったんだ。朝食の用意を手伝ってくれるか」
「はーい」
 アネスとクントは何事も無かったかのように食堂へ向かっていった。へたり込んだボロウェはやけに疲れてしまった。


 今日最初の患者は商家の少女だった。クントには薬を飲みやすくする為に甘くする方法を教えてやる。ボロウェも帝都に来てから覚えた知識で、有角人の村では教わっていなかった。それほど難しい技でもないので、一度説明するとクントはボロウェが見ている前で一人で薬を作り上げた。
 ボロウェが助言を与えて、できるだけクントにやらせるようにした。帝都には人が大勢いるので、数日間のうちにエトラでは書物の中でしかみたことがない病に多く遭遇した。ボロウェが実際に手を動かすことはほとんどないまま済んだ。
 一度だけボロウェが代わりにやったのは、有角の療法を嫌がる患者が相手だった。ボロウェはできるだけ人間と同じ療法でやるようにしているが、病によっては有角の療法でなければ効果がない場合や一刻を争う状況がある。それを嫌がられた時でも無理矢理治療してしまう強い態度が、クントにはまだ足りなかった。それ以外はボロウェよりクントの方が丁寧で安心できると、概ね好評だった。
 短期間でできるだけの知識と技術を詰め込み、試験に送り出した。


「外傷中心の試験でした。やっぱり軍医になって戦争に行くことを念頭に置いてるんですかね」
 三人揃った夕食の席でクントが報告していた。
「出来は?」
「外傷に関しては得意ですから。他の種族が周りでやってるのと比べてみて、有角の医療は外傷に優れているように感じました。薬関連ではほとんどの種族が相当なレベルで焦りました。知らない調合している人がいっぱいいて」
 異形の民の技術は口伝が多く、書物などで知ることが難しい。それぞれ特殊な技術を保持している。
「まあ、お前がいつも通りやれたのなら心配ないだろう」
「わあ、ボロウェさんにそう言ってもらえるなんて嬉しいな。なんかご褒美でもください」
「そうだ。自らの薬学の知識不足を認識できたのはいい機会だ。それに関する本を贈ろう」
 クントは座っていた椅子から滑りそうになった。
「ボロウェさんって医学書以外の物くれないんですか……。アネスさんにプレゼントする時とか何を渡しているんです」
「な、何故アネスにプレゼントなど……! 本を取ってくる!」
 小食なボロウェはすでに食事を終えている。早足で食堂を出て行った。
「真っ赤になっちゃってどうしたんですかね」
 クントはアネスをちらりと見た。

 ボロウェは診療所の本棚を見ながら、アネスへのプレゼント、について考えていた。アネスからは革製の帽子など色々もらっている。この診療所も彼が用意してくれたものだ。ボロウェから贈った物といわれると覚えがない。唯一、アネスのために食事を作るのは好きだったが、最近ミシェアに御馳走した時に自分の料理が美味しくないことを知り、現在特訓中だ。
 アネスにとっては、ボロウェが自分のために努力していることを知っただけで嬉しかったが、ボロウェとしては形になるものを贈りたい。
 ボロウェは医学書を取りにきた目的も忘れて、延々と悩んだ。

 アネスとクントの間では穏やかでない空気が漂っていた。
「……気づいているんだろう。俺とボロウェの仲を」
「まあ、分かりやすいですしね。特にボロウェさん」
「同郷の者というだけで口を出す気か」
「ごめんなさい、分かってくださいよ。村の皆ボロウェさんが心配なんです。あ、もちろん皆に貴方とボロウェさんの関係を真っ正直に言うつもりはありませんよ。男色なんて見たこともないから、ボロウェさんがその相手にされてるなんて知ったら一も二もなく連れ戻そうとするだろうし。あの人達にはボロウェさんが幸福か不幸かだけ伝えればいいんで」
 アネスは溜息をついた。そして席を立つ。
「二人で話そう。酒は飲めるか」
 クントが頷くと、アネスは帰ってきたボロウェに「クントに酒を奢ってくる」と言った。酒場は行かず嫌いのボロウェは渋々残った。


 屋敷を出ると空には星が出ていた。酒場のある通りまで歩いている間は両側に街灯があり、時折、警士とすれ違った。夜中でも安全そうな道だ。
 着いたのは屋敷のある高級住宅街と官街の間にある通りで、シックで清潔な印象の店が立ち並ぶ。そのうちの一つ、間口の広い店に入る。アネスは話がしやすいよう個室を頼んだ。この店の個室はテラスが付いていて広い庭が見えるため狭くは感じない。クントはテラスのすぐ近くまで椅子を持っていき、出された葡萄酒を飲み始めた。
「ボロウェさんてさ……」
 先に口を開いたのはクントだった。
「騙されやすそうな人だと思いませんか」
「そうか。あまり人に心を開かないタイプだと思うが」
 婉曲な言い方だがアネスが何らかの意図を持ってボロウェを騙しているのではと疑っているのだろう。だが確かに、ボロウェは恋愛や性に関して無知なためアネスの誘導に乗って、簡単にいかがわしいことを覚えこまされ、アネスの方が逆に罪悪感を持ってしまうことがある。ボロウェはたまにそういう無防備な所ところをみせる。
「俺はボロウェさんとはこの5日間以外ほとんど一緒に過ごしたことはありませんが、あの人は生真面目で強がりな性格に思えました。ああいう人は一度信頼した人は盲目的に信じちゃうところがありますよ」
 クントは口調は軽いが目は真剣だった。
「……ボロウェが俺を信頼してくれていることは分かっている。俺がそれにつけこむこともないこともない」
「え」
 あっさりと認められてクントは気を削がれた。
「それは全てボロウェが欲しいからだ。あいつの心も体も俺の一番側にいてほしい。どうしようもない欲望だと思っている。だがボロウェがそれに簡単に答えてくれるから、歯止めが効かない。俺はもうボロウェ無しではいられないんだ。彼といることが最高の幸福なんだ。
 惚気かと思えば、
「だから何と言われようともう決めたんだ。ボロウェのことは一生離さない。そして……俺の欲望に巻き込んだ代償として、ボロウェのことはこの身を賭けてでも幸せにしたいと思っている」
 アネスの告白は、正直で、情熱を真っ向から感じるものだった。この人はボロウェさん以上に真面目な人だとクントは思い、アネスの顔をじっと見た。
「ボロウェさんは貴方のどこに惚れたんでしょう」
「さあな。始めは……俺が酷いことをして、嫌われていたくらいだ。付き合うまでに話したのは数える程度だし……」
 よく考えたら何が良かったんだろう。アネスは頭を掻いた。自分なりに精一杯アピールしていたつもりだが、惚れられる要因が思い出せない。もしかしたら帝都で孤立していたボロウェの弱みにつけこんでいたかもしれない。
(本気で悩んでる……?)
 アネスが黙りこくって考え込んでいるのをクントは不思議に思った。背が高く引き締まった体、顔立ちはキリッとしていて、その上トネロワスン帝国の将軍。こんな男にアピールされれば落ちても不思議ではないと思うが。
「アネスさんはボロウェさんのどこに惚れたんですか」
「……真面目でひたむきなところ、かな。最初は仕事ぶりに好感を持って、彼の力になりたいと見守っているうちに、いつのまにか惚れていたな。……今となっては、あいつのやること成すことが可愛くて仕方ない」
 アネスは微笑んだ。その幸せそうな笑顔に、クントの心も優しい風に揺らされるように騒いだ。それでもクントは飄々とした態度を崩さず軽く言った。
「はあ、仲がよろしいんですね」
「ああ、ボロウェを愛している」
(うわぁ)
 あまりに率直な言葉に、他人事ながらクントは顔を赤らめた。
(アネスさんぐらい格好いい人にこんな言われちゃあ、ボロウェさんも落ちるわな)
 二人は想い合っている。納得せざるを得なかった。

 その後クントに事情を見破られていたことを知ったボロウェは、衝撃を受けて大混乱していた。ようやく落ち着いた時にクントは、
「ボロウェさん、今幸せですか」
 と聞いた。ボロウェは真っ赤な顔を下に向けて、
「幸せだ」
 と小さな声を絞り出すように言った。

 数日後、医師の試験の結果が出た。宮廷医師の座はライトエルフの女性がただ一人射止めた。クントは軍医に採用された。アネスが耳に挟んだ情報によるとクントも彼女の次の成績で宮廷医の合格ラインは超えていたが、軍の医師団長がどうしてもくれというのでそちらに回されたらしい。アネスはクントとボロウェの心境を考えて二人にそのことは話さなかった。



「それでは、お世話になりましたー」
 最後まで明るい声でクントはお別れした。帝都での住居に、都のはずれの軍持ちのアパートに入った。アネスとボロウェが馬車を頼んで荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
「できればあの立派なお屋敷に住まわせてもらいたかったんですけどね。職場も近いし」
「じゃあ居候として家事全部やってもらおうかな」
「夜は勉強だ。毎日医学書一冊」
 二人して脅してきた。いちゃつけない日々が続いて、そろそろ限界らしい。
「や、冗談です。もう邪魔なんてしませんとも」
 クントは震え上がった。
 アパートの外まで二人を見送るとクントは部屋に戻ろうとした。
 ふいに振り返るとあの二人は馬車に乗るところだった。アネスはボロウェの手を取って馬車の中に招き入れていた。ボロウェを大切そうに見つめるアネスを見て、クントは少し寂しくなった。
「恋したいなー」
 だが有角人の自分が帝都で相手を見つけるのは至難の業だと、クントは肩を落とした。その背中に声がかかる。
「あら、都でのご用は済んだの?」
 何かと思って振り返ると、帝都に着いた日に道を案内してくれた露店の女性だった。
「あ、その節はどうも。俺、これからこのアパートに住むことになったんですよ。軍医の職に就いたんです」
 女性は目を丸くした。
「もしかして……異形の?」
「えっと……」
 クントはどう答えようかと沈黙してしまった。気まずい空気の中、女性は自分のボンネット帽子の紐をそっと解いた。
「あ」
 ちらりとエルフ系の種族特有のとがった耳が覗いた。
「俺は……有角です」
 クントも帽子を上げて見せた。二人ともすぐに被り直す。
「ふふ、意外といるものなんですね。それと―今日はボロボロの旅着じゃないのね。服を変えると随分格好よく見えるわ」
 二人して照れ笑いした。

 馬車の小窓から昼下がりの日光が差し込んできた。季節は冬に向かっているはずだが随分と暖かい。
 ボロウェとアネスはあまり広くない椅子に隣り合って座っていた。アネスがボロウェの肩を引き自分の方へしなだれかかせる。ボロウェが見上げるとアネスは微笑んだ。それを見てボロウェの顔も自然にほころんだ。ボロウェは言い出すなら今だと思った。
「アネス……、これをもらってほしい」
 ボロウェが取り出したのは、銀細工のしおりで女神の姿があしらってあった。
「ありがとう。綺麗だな。でもなんで突然」
 アネスはもらって嬉しそうにしながら聞いた。ボロウェは質問されて赤くなって「なんでもない」とアネスの胸の中に顔を隠した。
(そういえばクントに何か言われていたな)
 必死でプレゼントを考えたのだろうが、やはり本から離れられないのがほほえましい。抱きしめたボロウェの頭を撫でながら、アネスは初めてクントに感謝した。
 アネスは御者席の方の小窓を開けて御者に声をかけた。
「西の丘まで行ってくれ」
 真っ直ぐ屋敷に帰るつもりだったが寄り道をするようだ。小窓を閉めてボロウェを見る。
「綺麗な景色があるんだ。あまり人に知られていない場所で。お前と一緒に見たい」
「それは、その、……デート、か」
「ああ」
 ボロウェは嬉しそうな声を上げて、アネスに抱きついた。

〈終〉


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