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 6. 知りたい






 リューは夕陽を背に、東の山脈を見上げた。その峰は雪に覆われている。


 セブ城下を発って、五日目の宿営。
 リューはアージュの寝所となるテントを出て、風景を見ていた。

 アージュは向こうの陣幕で指揮官たちの報告を受けている。
 ただの愛玩奴隷のリューは、その陣幕には入れてもらえない。


 夕陽の方向、軍が進んできた方向に、土埃が立っている。馬上の一団が向かってきているのだ。
(ガグルエの旗……。あ)
 リューから顔が見える距離。陣幕のすぐそこに馬をつけ、フィルドが降り立った。
「フィルドです。入ります」
 陣幕の内側に声を掛け、返事を待つまでもなく入っていった。
(城でのお仕事終わったんだ)
 政務官にセブの統治を引き継いだら合流する。そう話していたことを思い出した。

 いままで聞き耳を立てていた情報から考えるに、アージュは内政があまり得意ではないようだ。フィルドはその部分を補完して、今、軍の会議にも当然のように参加している。


 リューはテントの設営を手伝おうとしたけど、兵士におかしなものを見る目で見られて、断られてしまった。うろうろとしていても怪しまれるので、アージュのテントの側から離れられない。
 ガグルエ王の宿所を警備する兵の目の届く範囲をぶらぶらし、枯れた草原に座る。
(冷たい風)
 頬に当たる風は冷たいが、アージュが厚着させてくれたおかげで、体は温かだ。

 山脈の上の雪は、夏になると大部分が解けるそうだが、ずっと凍ったまま、また冬を迎える部分もあるそうだ。
(ずっと凍ったままなんて、どれだけ冷たいんだろう)
 けれど、初めて見る雪山は白くてとても綺麗で、それはそれで素敵に感じた。


 陣幕の方から足音がした。ようやく会議が終わり、指揮官たちが出てきたようだ。それぞれ自分の隊へと戻っていく。
 出ていく指揮官が途切れても、アージュは出てこない。
 そわそわと待っていると、十分ほどして出てきた。
 隣にはフィルドがいる。

 リューは立ち上がって、アージュのテントの中に逃げるように帰った。
 尻に付いた枯草をぞんざいに払うと、寝具に飛び込む。
「…………」
 アージュの匂いに包まれながら、リューは身を縮こまらせた。
(僕も、役に立ちたいな)



 その夜、情交が終わった後、寝床の中でアージュに告げられた。
「僕はここに残るのですか」
「ああ、山中の隘路にオーラリオ軍が潜んでいる。非戦闘員の山越えは、そいつらを片付けてからだ」
「……フィルド様は?」
 リューが疑問を口にすると、アージュは少し不可解そうな顔をしたが、教えてくれた。
「前線についてきたいそうだから、好きにさせる」
 希望したら、ついていけるのだろうか。
「僕もついていってもいいですか」
「駄目だ」
 アージュはすぐさま断った。
「セブと違ってオーラリオにはまともな将がいる。足手まといを連れていくわけにはいかない」
 許されるのはフィルドだけのようだ。
「そう、ですね……」
 足手まといにならない、と言えればいいのだが、リューは初めての従軍。しかも前に旅した時はまだ幼子で、誘拐されて奴隷になった身だ。我がままは言えない。
「フィルドには前線にいたい理由が……、オーラリオの姿を目に焼き付けるようとする理由がある」
 理由……。
「この遠征を一番成功させたいのはあいつだから、下手なことはしない」



 ランプの明かりが消され、どのくらい時間が経っただろう。
(眠れない……)
 テントの剥き出しの梁を、何回数えても眠れない。体力を回復しないと、兵隊と一緒に歩けない―。
(違う。明日は、待機だ)
 無理に眠るのは諦めて、横を向けば、アージュの寝顔。ゆっくり上下する、厚い胸。少し肌蹴たそこに、手を差しこむ。ふわふわで滑らかな毛が気持ちいい。
 身を起こして、上からその顔を覗きこむ。
「…………」
 そっと近づき、無防備な唇に口付けた。
―っ……」
 自分でしておきながら、リューは頬が熱って悶えた。一人遊びも結構楽しい。
 アージュは反応を返してくれないけど、それは嫌われることもないということだ。
「……ねえ、アージュ様」
 絶対に起こさないよう、とても小さな声。
「僕にもありますよ。ついていく理由」
 きっと、他の人に比べればとても小さな理由。
「……アージュ様の側にいたいんです。ずっとずっと……」
 アージュの大きな手に、リューは手を重ねる。
「けど、それはアージュ様のお邪魔になるのですね……」
 黙っていよう。我がままだと思われないように。





 朝、起きるとアージュがいなかった。
(夜更かししたせいで寝坊した?)
 慌ててテントから出ると、早いですね、と入口に立っている兵に言われた。
「陛下ならあちらに。このテント、今日はしまわないので、まだ寝ていていいそうです」
 指し示された方を見ると、アージュはすでに諸将に囲まれている。……リューが話しかけていいタイミングは過ぎたようだ。

 じっとアージュを見つめていると、後ろ頭に何か当たった。
 振り向くと、青みを帯びた巨体。ヴィーに、口で頭をつつかれたようだ。懐っこく頬ずりされて、愛しさが込み上げてきたけれど、心を鬼にしてぐっと押し返す。
「今日も乗らないよ。アージュ様はお仕事中。皆の指揮を執らないといけないから、役立たずとは乗らないの」
 それでも体を擦りつけてくるヴィーから、じりじり逃げていると、
「ヴィー!」
 ヴィーがアージュに呼ばれた。ヴィーはすぐさまリューから離れ、従順にアージュの元に駆けつけた。その背にさっとアージュが乗る。
 素早くきたことを褒められているのか、アージュに撫でられるヴィー。
(ヴィー、頑張ってる。……いいなあ)

 僕の仕事はなんだろう。愛玩奴隷……。仕事場は寝室かなあ。食事も一緒にして、そして、玄関で彼を送り出すのだ。
「アージュ様、いってらっしゃいませ」
 張り上げた声ではないが音にすると、アージュと視線があった。距離はあるけどまっすぐ視線が合ったことに、リューは驚き、ごまかすようにぺこっとお辞儀すると、アージュも軽く頷いてくれた。
―……っ」
 返事があったことが嬉しくて、体が震えた。
 アージュはもうこちらを向いていないけど、緩んでしまう頬を両手で押さえた。





 ガグルエ軍本体の姿が、山脈へ続く街道に沿って、小さくなっていく。
 後方支援中心の待機組は、荷物の整理をしたり、訓練をしたり、それぞれの用に分かれて動いている。

 アージュのテントの見張りは、昨日はいかつい兵が二人だった。
 今日は一人になっている。リューより少し年上くらいの、少年か青年か迷う、大きく丸まった羊の角を持つ獣人だった。
「おはようございます」
 挨拶しても、一礼されるだけだったので、それ以上話しかけず、リューはテントの中や周りを行き来して時間を潰していた。

 今日の羊角の見張りは昨日の見張りと違って、なんだか落ち着かない。見るたび姿勢が変わっている。
 今は足を前後に大きく開いて、手を太陽に向かって伸ばしている。
(ちょっと面白い)
 そう思っていたら、目が合った。

「さっきから出たり入ったりされていますが、暇なんですか」
「はい。……もしかして兵隊さんも?」
 羊角の兵は大きく頷いた。ばふっと音がしそうな頭。角の大きさに加え、髪がもこもこで、頭のボリュームがすごい。
「俺……じゃなくて私、相方の兵士がいて、そいつと二人で喋っていられると思っていたんですけど、一人ずつ交代で見張ることになって、もう、暇で暇で。君、……ご愛姫様さえよろしければ、話し相手になっていただけないかと」
「ご、あいき……? えっと、はい! 話し相手になってください」
 思わぬ提案を笑顔で受けいれる。
「リューって呼んでください」
 アージュにもらった名を告げる。
「リュー様ですね。私はロッダです」
「ロッダ様」
「いえ、様は結構です」
「ロッダですか。じゃあ、僕のこともリューと呼んでください。ううん、呼んで」
「陛下に怒られませんかね……。まあ、陛下がいなけりゃいいか」

 テントの前で、二人並んで立ち話をする。

「ところで、その持っている草。根っこごと取って、どうしたの」
 リューの手元をロッダが指差した。
「根っこが薬になるんだよ。原っぱで拾ったの」
「薬がこのただの草原で採れるの? しかもまだ冬……」
 ロッダは周りを見渡した。乾いた褐色が広がるばかりの草原。
「うん。草の部分が越冬のために倒れていて見つけにくいけど、時間があったし。目当ての薬草を見つけるのは得意なんだ」
「さすがノーム」
 褒められて照れくさい。

 ロッダに訊いて分かった。アージュたちが向かった東の山並みはオールディーク山脈という名だそうだ。一つ一つの峰の名も訊いたが、それは知らないと言われた。
「ガ、ガグルエの地形だったら勉強したんだ。他の国はちょっと……」
 ロッダは頭を抱えた。ウェーブ掛かった髪に手が埋もれている。
「じゃあガグルエに行ったら、教えてもらいたいな。どういう場所なの?」
「街の外はなーんもねえ。だだーっと岩盤が広がっていて、針みたいな植物がぽつぽつあるだけ。地方によるけど、俺が育った王都はそんな感じだな」
 つまらなそうに答えたロッダ。
「わあ、荒々しいね……。冒険小説に出てくる魔王城みたい」
 リューが恐々と、けれど興味津々に身を乗り出すと、
「ふっ、うちの陛下は魔王のように恐れられているからな」
 ロッダは得意げな表情になった。
「ワルで格好良いよな。やっぱり男は力だぜ」
「悪いとは聞き捨てならないよ。アージュ様は格好良いから格好良いの!」
 リューが抗議すると、ロッダは、意味が分からない、という表情をする。
 これは、議論の必要がありそうだ。

 たくさん話していると、ロッダもアージュのことが好きなのが分かった。リューの好きとは違う種類の好きだけど。
「陛下はすげーんだぜ! 戦場の一戦士から王までのし上がったんだから」
 目を光らせて、興奮した様子だ。
「アージュ様は王族ではなかったのですか」
「いや、先代の血は引いてる」

 ロッダはアージュについて知っていることを教えてくれた。

 先代ガグルエ王の三男であり、兄弟の中では上の方だ。母親も結構な一族らしい。
 けれど、王城の外で育てられ、分別がついてすぐに戦場に出たそうだ。
「四つ目のせいかな。目が多いと、呪われているだとか、魔力が大きすぎて育つ前に死ぬって聞くよ」

 アージュはすぐに頭角を現し、彼と目が合った者は生きては帰れないと、敵味方の口に上った。国境警備や他国遠征の将となり、数々の勝利を収めた。
 その名声とは裏腹に、王都には近づかず、先代王の親征軍には参加しなかった。 それが先代王の意向か、アージュの意向か、ロッダは知らないそうだ。

 血を浴びる場所でひたすら戦果を積み上げて、けれどそれを誇りもしない。物言わない道具のように、ただただガグルエの敵を狩りつづけた。

変わったのは五年前。

 先代王が病に倒れると、アージュはガグルエ王都に攻め込んだ。
 王の座に全く興味を示していなかった、見捨てられた王子。それが突如後継者争いに加わり、圧倒的な力で他の者たちを抑え、王都を占拠した。

 魔獣族の血が濃厚に現れた新王の即位。
 兄弟たちは皆排除するのかと思えば、権限は取り上げられたが、並みの貴族としての生活は保障された。
 先代王の葬式も兄に任せ、東への遠征を開始した。

「それでは五年間、ガグルエに帰っていないんですか」
「そうそう。陛下の馬なら片道七日くらいで帰れそうなのにな。遠征に加わって二年目の俺だって、一回里帰りしてるのに」
「王様と聞いて想像する生活と違うね……」
 リューはテントを見上げる。
 とても大きいテントだけど、他の将のテントと大きさ以外は特別に差があるようには見えない。ところどころ解れもある。今日は置いていったことから、設営せずもっと簡易な寝床になる日もあるのだろう。
(あんな大きな体でベッドもなく……肩こりとかしないのかな)
 アージュの体が心配になった。マッサージでも覚えたら、役に立てるかな。

「けどオーラリオが目的地なら、もうすぐ帰れるんですよね」
 アージュが危ないことしなくて済むようになる。
 リューの言葉に、ロッダは首を傾げた。
「目的地ってあるの?」
「だって……」
 城下街を出る前、フィルドと話していた。オーラリオに何かあるような……。
(言っちゃいけないことかもしれない)
 ガグルエ王と側近の会話だ。ガグルエ兵相手とはいえ、あまり話すものではないかもしれない。
「なんでもない」
 リューは誤魔化すことにした。
「ふーん。まあ、陛下がいれば勝つから、戦争が続いてもいいんだけどな」
 ロッダにとっては、目的はあまり大事ではないらしい。一兵士はそういうものなのだろうか。
「僕は……心配しながら待つの、苦手かも」
 アージュより大事なものはないけど、敵が死ぬところを見るのも、体が竦んで動けなくなる。
(オーラリオとの戦が終わったら、アージュ様は故郷に帰れる)
 自然は荒々しいところらしいけど、お金持ちの国だ。きっとゆっくりできるのだろう。

 東の峠を登る軍団。点が連なっているようにしか見えない距離で、その列を見つめながら、リューは手を組んで祈った。


 いつのまにか時間が経って、ロッダの相方が交代しにきた。
 ロッダが休憩にするというので、アージュのテントの中で一緒にお昼にしようとしたが、相方がロッダの頭を叩いた。王の愛妾と二人きりで食事なんてとんでもない、と言う。
「そうなんですか……。教えてくれてありがとうございます」
「陛下に寵愛されし者の食事! 分けてもらおうと思ったのに……!」
 ロッダはとても残念そうだ。
(……誰にもあげたくないけど)
 ロッダはいっぱい一緒に話してくれた。
(一度食べたくらいでは効果はないはずだし……)
 リューはテントの中に入り、ベルニルの実を持って出てきた。断腸の思いでロッダに半分差しだす。
「リュー……、食事係に苛められているんじゃないよな」
 ベルニルの実は断られた。何故―?





 三日後、後方部隊の待機指示が解かれ、リューたちは山越えを開始した。
 一人で寝たため寂しかったけれど、リューの足腰はすっかり回復した。

 先に行くほど赤くなっていく雪を、踏みしめて歩いた。
 死体は左右に避けられている。
 ガグルエ側の兵がいないのは、ガグルエの圧勝だったのか、別の場所に葬られるのか。

 下りになると、オーラリオの雪原が見渡せる。
 霞み掛かった遠くに街が見え、ガグルエの旗の色と、テントと思われる白が囲んでいる。街からは煙が立ち上っていた。



 次の日の昼、部隊は本体と合流した。

 ロッダたちがテントを張っている。リューはその側に立ち、釘を受け渡したり、他のテントに仮置きされていた王の荷物を移動したりした。

 そうしているうちに日が傾き、テントに大量の夕食が運ばれてきた。
(いっぱいだ。アージュ様の分!)
 一緒に食べたくて、今か今かと待っていると、一時間ほどしてテントの入口が開いた。
「ッ……っ。お帰りなさいませ!」
 四日ぶりのアージュの姿に胸が高鳴る。
 戦いの後だけど、怪我はなさそうだ。良かった……。
「待たせたか。こういう時は先に食べていていいぞ」
「は、はい」
 頭を撫でられ、頬が熱る。
「赤いな。冬のオーラリオは大変だろう。寒かったら、私か近くの兵に言え」
 そう言って、寝床に置かれていたショールを、リューの肩に掛けてくれた。
「ありがとうございます」
「自己管理しろと言っているだけだ。風邪になっても放っておくぞ。凍傷や発熱に対する薬が少なくなっているのでな」
「そうなのですか」
 軍隊って色々必要なんだ。薬がないと、大変そうだ。
「明日には街を落とし、街にある物資から調達するつもりだ。ただ、敵が我が軍に渡さないよう、自ら焼くことも考えられる。必ず手に入るとは言えない」
 なるほど。戦に必要なのは兵力だけではないのか。
「じゃあ、僕探してきます」
「……何を言っている。街中は敵が潜みやすい。お前を自由に歩かせるわけにいかない」
「この宿営の周りだけ大丈夫です!」
 リューの小さなリュックに走り寄り、中から薬草を二茎取り出し、アージュに見せた。
「道中拾ったんです。住民があまり採っていないのか、いっぱいありました」
 アージュは薬草を受けとり、まじまじと見ている。
「……今ある分で、何回使える」
 リュックの中を覗いて、凍傷と発熱の薬を作った時の量を伝えた。
「ではそれと同じ量を……、いや、フィルドを呼ぶ。あいつと相談しろ」
 アージュは外にいる兵に伝言した。

 夕飯を終えた頃、フィルドが入ってきた。後ろには壮年の兵。医療班だそうだ。
「これが薬なのですか」
 フィルドは薬草を見て首を傾げる。草の状態では見たことがないようだ。
 衛生兵が確認し、頷いた。
「よく知っていましたね」
「セブの城の薬草園の世話をしていたので、色々覚えました」
 リューは薬草園の植物を思い出す。ハーフノームであるリューが世話をすること前提で植えられたものが多数あった。温室の維持もあまりできていないから、そろそろ枯れてしまったものがあるかもしれない。
(ベルニルの樹、育つといいな……)
 庭園の森の中でひっそりと育った、リューが種から育てた若木。その姿を思い浮かべる。

 フィルドは紙に何か書いている。アージュから借りたペンが大きくて、書きにくそうだ。
 書き終わると、リューに紙を手渡した。
「その量を集めるのに、それぞれどのくらい掛かりますか」
 雪が積もっているので、休み休み採るつもりで計算してください、と付け加えて言われた。
 リューは紙を見る。数字と、単語が五つ書かれている。
「数字しか読めません……」
 情けない声でそう伝えると、フィルドが一つ一つ読んでくれた。
 通ってきた道を思い浮かべ、どのくらい生えていたか思い出す。止血剤は三日、他は明日中に集められると伝えると、フィルドは頷いた。
「では明日一日で可能な分をお願いします。護衛と手伝いを兼ねて誰か付けましょう」
「分かりました」

 リューは紙をじっと見て、教わった言葉を忘れないように何度も呟く。
 そうしていたら、アージュの手が伸びてきた。リューの手から紙を取り上げ、何か書き足している。
「ほら」
 返ってきた紙を見ると、単語の横に一つずつ絵が描いてあった。凍傷の横には丸々とした雪だるまが描いてある。
(アージュ様の絵……!)
「ありがとうございます!」
 手の中の一枚の紙が、素敵な宝物に変わり、リューは喜色満面だ。
「忘れられると面倒なだけだ」
 アージュはもうそっぽを向いている。
 面倒……それだけなのかな。
「優しすぎて気味が悪いです」
 フィルドも優しいと思ったようだ。……気味悪いことは決してないけど。
「優しくなど、していない……」
 アージュはとても不本意そうだった。

 今ある薬草を手に、フィルドたちはテントから出ていった。
 明日の薬草採取に影響が出ないよう、今夜は交合を控えるよう、言い残して。

 けれどアージュの方がリューの体力を把握している。一回だけしてくれた。
 たった数日離れただけなのに、随分と久しぶりな気がする。リューは溺れるように愛欲に浸った。





 翌日、リューは宿営のあちこちに移動し、薬草を探していた。

 遠くで、大砲の音が響いた。
 アージュは今、街への攻撃を指揮している。

 大砲の音が響いてくるたびに、アージュのことが気になって手が止まる。
(これが、少しでもアージュ様のお役に立てば……)
 リューは気を取り直して、薬草採取に集中した。

 止血剤になる草は数が少ないから、集まらないと思っていたが、手伝ってくれた兵にも、見た目が覚えやすかったらしく、どんどん見つけてくれた。
 おかげで全て必要な量が集まった。


 リューが採取を終えた時、アージュはまだ宿営には帰っていなかった。
 フィルドは戻っているらしく、リューは彼のテントを訪ねた。
 フィルドは衛生兵を呼んで、薬草を確認する。
「全て揃いましたね。助かりました」
「少しでもアージュ様のお力になれたら嬉しいです」
「そう伝えたら喜びますよ。ますます惚れられちゃいますね」
「……そんなこと……。僕は奴隷なので、アージュ様のために働くのは当然のことです」
「君がご褒美をねだれば何でもくれそうですが」
「欲張ると嫌われます……」
「……そうなのですか? まあ、とにかく、私からも感謝いたします。山脈の向こうからの支援に頼りきるより、現地調達もできる方がいいですから。何かお礼できればいいのですが、陛下からのご褒美がいらないなら、私からなど……」
「お礼……くれるんですか」
 フィルドの言葉に、リューは反応した。
「ええ、難しくないことなら」
「訊きたいことがあるんです」
 リューは言葉を続けようとして、衛生兵の存在に気づいて口を噤んだ。
「…………」
 フィルドがそれを察し、衛生兵に薬草を持って下がるよう伝える。

 テントの中に二人きりになり、フィルドはリューに向き直った。
「それで、何を訊きたいのですか」
 リューは膝の上で拳を握り、顔を上げた。
「アージュ様と貴方が、オーラリオを目指す目的を教えてほしいんです」


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