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 降りそそぐ花 1






 木々が迫った暗い山道を、足早に歩む人影がある。
 若い男で、背に籠を背負っている。
 細身に余る大きな籠には、花が溢れていた。近くの高台から積んできたものだ。

 と、後ろから木枝の折れる音が連続して聞こえてきた。
 男はすぐさま、岩と茂みの間に隠れた。しゃがんで身を小さくし、首に掛けていた獣除けのポプリをこする。薬のような匂いがツンと広がる。花の香りを消してくれることを願い、ぎゅっと我が身を強く抱いた。

 巨体が、目前を駆け抜けていった。
 脇目も振らない。
(人食い牛……!)
 牛と呼ばれているが、裂けた口と、ごつごつした筋肉が異様な、“怪物”だった。
 化物の姿も音も去り、男は大きく息を吐いた。
(見つかっていたら……)
 寒気がした。すでに何人もの街の住人が、怪物たちに殺されている。人食い牛が度を失うほど慌てていたから助かったのだ。
 男は立ち上がり、走るように坂道を下りて、街へ急いだ。





 ―数日前。

 店の作業場で、花の姿を整える。いつもの作業だ。
 終えると、注文を受けているお屋敷を回りにいこうと、今度は先程より綺麗な籠を背負う。
 そこへ、
「ユメル、良かった。いたんだね」
 ユメルと呼ばれた花屋の男は振り返った。
 顔見知りの役人が作業場を覗いた。
 今から花を届けて回ろうとしている中に、役人が勤める公館がある。
「今日の花を、全てタイニア通りに持っていってほしいんだ。代金は市長へ。他の届け先にはこちらでまとめて説明しておくよ。なんといっても、街を挙げてのお祝いだから」
 ユメルの表情がぱっと明るくなった。
「では―」
「ああ、山のモンスターの親玉を倒したそうだ。これから凱旋軍が帰ってくる」  ユメルは声を上げて喜んだ。背には花を、両手にはいっぱいの色紙を抱えて飛びだした。



 山並みを背後にしたタイニア門から、続々と兵馬が入ってくる。
 沿道を埋める人々の表情は晴れやかだ。

 ここ数年はモンスターの数が増している。ついにあの山中―こんなにも近くにモンスターの頭が現れた。街の常駐軍ではもう対処できず、王都からの命令で、王国北部の防衛に当たっていた精鋭軍が派遣された。
 彼らが街に駐留して半月―、そしてこの勝利だ。

 若い娘たちが駈け寄って、兵士に花を捧げる。
 ユメルは彼女たちに次々と花を託していく。同業者とも声を交わして、漏らさず行きわたるよう一心に手を動かした。
 山積みにしていた花に底が見えてきた。列に目をやると、そろそろ軍の最後尾が見えてくる。
(足りそうだ)
 ほっとして、ようやくゆったりと通りの中心を眺めた。
「…………?」
 綺麗な娘が、花を持ったまま立ち止まってしまった。将や隊長に渡すための、大きめの花束を手にしている。他の娘も―いや、賑やかだった街の人々の声が止んだ。
「彼らは……」
 今、通りを進んでいるのは、鬼人族の隊だった。
 街の人は彼らを恐ろしげに見上げている。人間の大人の男が、鬼人の胸当たりの背しかない。軽装の下の筋肉は隆々として、額から突きでた白や褐色の角、赤い肌と黒い肌の者がいる。
 鬼人族は圧倒的な力を持ち、戦で活躍しているという。だが、この街では馴染みがなかった。人間と異なる外見に恐怖を覚える。モンスターに近い存在に見えるのだ。
 ユメルも少しの間呆然となったが、はっとして、花を持った娘の肩を叩いた。それでも娘は怯えて首を横に振る。
 ユメルは困ったが、やがて、
「貸して」
 と花束を娘の手から受け取った。
 ユメルは山で遭遇した人喰い牛を思い起こす。
(群れの頭をやられて逃げるところだったのだろう)
 ユメルはいつも、化物の気配に神経を擦り減らして山を歩いていた。強い討伐軍を望んでいた。
 先頭を行く、鬼人の隊長のもとへ向かう。黒い肌のその鬼人が、近づいてきたユメルを見た。目の前にすると、そびえるような大きさだ。ユメルはぐっと両手を上げて、花を差しだした。
「どうぞ」
 笑顔で彼と目を合わせる。
(あ……)
 真っ直ぐ顔を見て気づいた。鬼人は、鼻筋の通った凛々しい顔立ちをしていた。
「……いらん」
 鬼人は顔を逸らし、再び進みだした。
「え……」
 鬼人に見蕩れていたユメルは、焦ってついていく。
「ごめんなさい」
 前の隊までは女性が渡していたのだから、不快に思われても仕方がない。
「ですが……、受け取ってもらえませんか」
 隊長が何事もなく受け取ったなら、娘たちも他の鬼人に渡せるかもしれない。
 だが彼の歩調は緩まない。街の人はまだ鬼人を遠巻きにしている。胸が痛い。
「待って……」
 彼の歩幅は大きい。ユメルは小走りになる。焦りで頭が回らずに、
「……この花ッ、私が摘んできたんです!」
 どうでもいいことを言ってしまう。
 ―急に鬼人は立ち止まった。
「わっ」
 ユメルは止まれず、彼の硬い腕にぶつかった。花束は咄嗟に避けて守った。
 その花束に、鬼人の手が掛かった。大きい手がユメルの手に触れ、花束がふわりと持ちあげられていく。大きく作ったはずの花束が、鬼人の手の中で小さく見えた。
「もらっておく」
 鬼人がぽつりと言った。表情を変えずに言ったので、彼から発せられた声だと一瞬分からなかった。
「は、はい! あの、モンスターがいなくなって嬉しいです。これで山に行くことが恐くありません」
 鬼人はユメルを一瞥して、また進みだした。
 ユメルは渡せたことで、胸を撫でおろした。振り向いて、柔らかい笑みを娘たちに向ける。彼女たちも怖ず怖ずとではあるが、鬼人族の隊に近寄っていった。





 街の郊外に、軍は基地を造った。この地方にある他のモンスターの巣を掃討するための拠点だ。
 モンスターがいなくなったわけではないが、ユメルが採取に行く山は平穏になった。


 油断したのがいけなかった。
 いつもの山道、音に気がついた時には、すでに獣の匂いが覆いかぶさるように迫っていた。
「うあッ!!」
 ユメルの左腕にモンスターの牙が立った。激痛に叫びながら、用意していた草玉を、怪物の顔面に叩きつける。辛子香草の強烈な刺激に、猪のような怪物は転がりまわった。
 その隙に側の木に駆け登る。それほど高くない木だが、蹄のモンスターならば登れない
「!?」
 木が揺れて、ユメルは枝にしがみついた。
 怪物が幹に体当たりをしている。ミシミシと音が鳴った。ユメルは動転して震えることしかできない。
 突如、怪物が絶叫した。恐ろしい声に、
(もう……だめだ)
 と感じた。
 だが、怪物の突進が止まったのだ。
「降りてこい」
 聞き覚えのある声がした。
「あ―」
 鬼人族の隊長がいた。その足元には、幾本かの矢を射こまれたモンスターが倒れていた。
(助かった……)
 そう思って力を抜いた時、気づいた。恐怖のあまり、ユメルの股間は濡れていた。それと鬼人の目線の高さは、木の上のユメルのちょうど股のあたりだった。
 ユメルは真っ赤になって、手で股を隠す。その下から、ポタポタと垂れる水滴。
「隊長ー、ザーク隊長―」
 坂の下から野太い声が聞こえた。鬼人の部下だろうか。こちらに進んでくる数人の気配がある。
 ユメルは今度は青くなる。
(見られる……!)
 ふと、体が浮いた。ザークの両手が、ユメルを軽々と持ちあげたのだ。彼の腕に座っている状態になる。腰のあたりを大きな布を包む。温みがある。ザークが身に着けていたマントと気がついた。
 そしてユメルを抱きあげたまま、ザークは部下たちのもとに向かう。
「隊長、そいつは?」
「モンスターに襲われていた。街の人間だ。腕と……足を怪我している。街まで連れていく」
(足……?)
「俺が連れていこうか」
 鬼人の一人が手を差しだした。ユメルはびくっと身を強ばらせた。
「いや、俺が連れていく。知り合いなんだ」
(隠してくれている……)
 布の下で、ザークの腕を濡らしてしまっている。ユメルはザークの服をそっと掴んだ。彼に頼る気持ちが、我知らず手を動かした。
「街に戻る」
 ザークが鬼人たちを促した。
「モンスターの死骸は」
「道からは外れていた。勝手に土に戻る」
 皆振り返り、坂道を下っていく。一人がユメルの籠だけは持ってくれた。抱えやすくなったのか、ザークとの距離がさらに縮まる。
 ザークはマントの端を破りとり、
「押さえていろ」
 とユメルに渡す。ユメルは右手に布を持ち、左腕の傷口を押さえた。出血しているが酷くはない。
 それでも急いた足取りで街に向かってくれた。
「まだこの辺りにモンスターがいたんだな」
「耳を怪我していた。討伐に遭い、怪我で方向感覚と正気を忘れ、遠くから迷いこんだのだろう」
 鬼人たちの話を、ユメルは静かに聞いていた。彼らは地勢の調査がてら体慣らしをしていたところのようだ。鬼人たちは思いの他に陽気で、ザークが際立って武骨に感じた。

 基地の側で籠を受けとり、部下たちと別れる。
 隊長のザークはもう少し歩き、美しい庭のある館に着いた。街の貴族が郊外に建てた別荘だ。ユメルは花を届けたことがある。将校用の宿舎に借りあげたのだろう。
 人間の兵が玄関を開けてくれた。ユメルを抱えたまま入ろうとするザークに、兵は怪訝な顔をした。
「怪我人だ。手当てをしたら帰す」
 とザークが言うと、
「必要なものはありますか」
 と聞いてくれた。籠は玄関脇に置いていく。

 廊下を進み、重厚な扉を開けた。ここまでずっとユメルを抱えていたのに、ザークは疲れた様子もなかった。
 白く艶のある石が敷きつめられた部屋で、水槽があることから浴室と分かった。
「焚いた方がいいか」
 ザークが水槽を指した。
「いえ、大丈夫です」
 まだ秋の口で、腕と腰から下を洗うだけだ。
「替えの服を持ってくる」
 浴室を出ていこうとするザークを、ユメルは呼び止めた。
「あの、ザークさんも手を洗った方が……」
 ザークは思い出したかのように手を見て、無造作にシャツを脱いだ。
(ッ……)
 手桶で水を掬って、さっと腕にかけると、壁際の棚にあった布で拭いて、上半身裸のまま出ていってしまった。
 淡々としたザークを、ユメルはじっと見つめていた。露わになった上体。大きな体は一分の隙もなく引き締まっていて、その逞しさに圧倒された。
 ザークがいなくなって、ユメルはすぐに服を脱ぎ、腕と腰に水をかけた。冷たい水だ。だがユメルの顔は、血が上って真っ赤になっていた。
(男の……同じ男の体なのに)
 もう一度水をかける。
(同じじゃない。鬼人族の体が並外れているから……だから)
 心で言い訳しても、熱が引かない。
 ザークが腕を拭いて置き捨てていった布を拾う。血で汚さないよう、慎重に体を拭いた。

 拭き終わったころ、ノックが鳴った。
「持ってきた」
 ザークの声だ。ユメルは動揺を隠しながら、腰に布を巻き、
「どうぞ」
 と返事をした。間があって、
「衝立の後ろにいろ」
 と扉の外から声がした。確かに部屋の隅に衝立がある。男が脱いでいても、気にせず入ってくるかと思っていたが、
(やっぱり、気遣いのある人だ)
 彼を意識してしまっているユメルにはありがたい。衝立の後ろに移動してから、
「どうぞ」
 と、もう一度声を掛けた。扉の開く音がして、ザークが入ってきた。衝立はユメルより頭一つ分大きかったが、ザークには低く、目元は見えた。
「これしかなかった」
 衝立の上に服が掛けられる。
「ありがとうございます」
 受け取って広げると、白いシャツと茶色のズボン、下着もある。全て人間の大きさのものだった。
「充分です」
 感謝の気持ちを込めて、彼に向かって微笑む。するとどうしてか、ザークは目を逸らした。
「着替えたら手当てをする」
「……? 分かりました」
 着替えを終え、衝立の後ろから出ていく。ザークも上を着ていて、ほっとした。

 館内を移動し、二階の一室に招かれた。扉を開ける時に鍵が必要で、ザークに充てがわれた私室らしい。ザークが腰を曲げて扉をくぐった後に続いた。
(ザークさんの部屋……)
 つい中の様子を盗み見てしまう。
 広々としていて、調度品は家主が元々置いていたのであろう立派なものだ。ただ、ポールハンガーに掛けた服の裾が床を引きずっていたり、ベッドの足の方に台が足されている。出窓にブリキのバケツが置かれているのが気になったが、
「座れ」
 と木彫りの椅子を部屋の中央に置いてもらい腰掛けた。ザークは床に胡坐をかいて、ユメルの腕を取った。傷口は乾いていないが、血は止まっている。ザークは薄い緑色の液体の入った噴霧器で、液体を傷に吹きかけた。匂いから、消毒の薬草を漬けたものと分かった。
 それから慣れた手つきで包帯を巻く。最後にゆっくりと端を結んだ。
「痛くはないか」
 力を入れ過ぎないよう慎重に巻いてくれた。
「はい。何から何まで……ありがとうございます」
 気にするな、というようにザークは首を振る。
「いつも一人で山に花を取りにいっているのか」
「ええ、農園で栽培してもらっている花畑もあるけど、うちの店で高値で売れるのは、山で摘んだ花なんです」
「畑?」
「はい。ここから見えるかもしれません」
 ユメルは窓に近づいた。
「あの白や黄色の一帯です」
 林の向こうの丘に、目を引く色合いの地帯がある。
「あれが全て花なのか」
 ザークも窓から外を眺める。
(……!)
 窓が低く、出窓に手をつき屈んでいる。ユメルに覆いかぶさる姿勢だ。ユメルは鼓動を速めながら、視線を彷徨わせた。
 窓辺に置いてあるバケツの中が見えた。
「これは」
 水と、枯れた花が入っていた。
「あの日の……」
 見る影もなく変色しているが、ユメルには、凱旋行進の時に渡した花だと分かった。
「……花の扱いが分からなくて、すぐに枯らしてしまった」
 ザークは憮然として言ったが、
「飾ってくれたんですね! 嬉しい―」
 花屋として本当に嬉しくて、声が弾む。バケツに飾る武骨な人。花に親しみがないのだろうに、少しでも気にかけてくれたことが嬉しい。
 緩んだ笑顔をザークに向けた。
「あんたが摘んでくれたというから」
 そう言われ、今度は硬直した。
(そ……それは……どういう意味……)
 どきどきしながらザークの言葉を待つが、
「手当ては済んだ。軍の滞在所である以上、無関係な者が長居するのは好ましくない。一人で帰れるか」
 ユメルとは対照的に、ザークは淡々と告げた。
「はい……。お世話になりました」
(何の気もなく言ったのかな)
 がっくりと肩を落とす。素直に部屋を出ていこうとして、ふと思いついた。
「あの、もう少しお時間をいただけますか」

 コトン、と陶器の花瓶を窓辺に置く。生けた花の向きを少し手直しして、窓辺から離れた。
 林の緑と薄曇りの空の眺めに、白を基調とした姿が映えている。
「綺麗に飾るものだな」
 ユメルは得意そうに笑った。
「これが好きで、仕事にしているんです」
 バケツと古い花は片づけて、物置部屋から花瓶を見つけてきた。そして今日採取した花を生けたのだ。
「代金を」
「えっ、いいえ、いただけません。助けてもらったお礼もあるし」
「高い花と言っていたが」
「飛びぬけて高いわけではありませんから」
「……ありがとう」
 ザークの視線が花に向けられる。じっと、花を見てくれている。
 大柄な鬼人の部屋に、花の姿は繊細すぎる気もするが、
(気にいってくれた?)
 ザークは表情にしないが、多分、そういう感じがする。
 ユメルは喜びを隠しきれない。
(ザークさんの部屋に、私の花を置いてくれる)
 自分が花屋で良かったと、少し不純な気持ちで天に感謝した。

 玄関で籠を背負い、送ろうか、というザークの申し出を、さすがに恐縮して断った。
 ただ一つ、
「お花を替えにきていいですか」
 と願いでて、了承を得られた。
(また会える!)
 ユメルは怪我人に似つかわしくない明るい声で、別れの挨拶をした。





 食堂で夕食を済ませ、ザークは自室に戻る。
「…………」
 灯りが点いている。
「おかえり。飲まないか」
 酒瓶とグラスをテーブルに置き、人間の男がすっかり寛いでいた。
「ナイセル……、勝手に入るな」
「鍵開いてたからさあ」
「ばか」
 ザークは長椅子に腰掛け、ナイセルからグラスを受け取る。
「これ美味いな」
 ザークが棚に入れておいた酒を、ナイセルはなみなみと注いだ。ザークは諦めた様子で笑う。
 ナイセルとザークは齢が近く、種族を越えて仲がいい。
「バケツが綺麗になっていて驚いたよ」
「凱旋の時の子に偶然会ったんだ。花屋だといって、飾っていった」
「へえ」
 ナイセルは好ましげに目を細めた。

 凱旋行進の日、花を渡す娘たちの動きが止まり、その前方にいたナイセルは焦った。
 都では鬼人族の隊は当たり前で、嫌う人間もいるが、歓迎する人間もいるため、こういった場で歓声が途絶えることはない。今回の功も、少数でありながら鬼人族が大半を占めていた。
 それで都と同じに考え、根回しを怠り、危うく鬼人たちに恥をかかせるところだった。
「あの人がいてくれて良かったな」
「……ああ」
 少し間があったのは、ザークは一度断ろうとしたからだろう。
「そういえばどうして最初断ったんだ」
「ああいうことは慣れている。無理に近づかせなくてもいいと思った」
「なるほど。しかしこの地方は美人が多いから、どの隊の兵も期待していたんだぜ。お前のところもそうだろう」
「……たしかに綺麗だった」
 ザークがぽつりと呟いた。
「おっ、誰か目をつけた相手がいるのか」
 ナイセルは目を輝かせて訊く。ザークは慌てたが、やがて、
「目をつけてどうなる」
 と顔を背けた。
「兵としては鬼人族は頼もしいだろう。だが一対一で会いたいという人間の女性はそういない。異性として見るより先に、異種族として見るのが普通だ」
「はは、また後ろ向きな……」
 ナイセルは言いかけて、口を噤んだ。ザークの表情が、思いの外、暗かったからだ。

 ザークが異種族ゆえの愚痴をこぼすことはあるにはあるが、あまり落ちこんだ様子を見せたことはない。
 鬼人族ほど優れた能力があれば、遠巻きにされることはあっても、ないがしろにされることは少ない。 鬼人族に見限られれば、軍が弱体化するというのは、この辺りの国では常識だ。
 だが、
「……難しい、か」
 男女関係のような、個人の気持ち次第という場面では、異種族はやはり不利だ。
 ナイセルの、独り言のような問いに、
「さあな」
 ザークはひとことだけ返し、他の話題に移った。


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