フェイヨンの住人に似た衣装に身を包み、ナルはアークワンドを腰に携えて微笑む。
「それじゃあ、そろそろ行くね」
なんと幸せそうな表情をするのだろうか、とゲフェニアの主は思う。
かつてナルが人であった頃の仲間たちを見送り、ずいぶんと永いあいだ二人で過ごしてきた。
彼女は「悪魔の花嫁」と世間より罵られ、唯一の誇りであった聖職者の資格は師の没後に剥奪され、しばらくは人の世から逃げるようにゲフェニアの地へ身を潜めていたのだが…。
ドッペルゲンガーは眉間に皺を寄せ、かくす様子もなく大きくため息を吐き出した。
「そなたのその行動、もとより制限する気はないが、我は力添えしないぞ?」
「うん、一人でやってみたいの、だから大丈夫」
お決まりの大丈夫を聞かされれば、ドッペルゲンガーは目が回りそうになる。
そう、ナルは職を変えて、ふたたび人の世に単身で降りるのだという。
寵愛に愛想を尽かしたのかと尋ねれば、彼女は笑って「人間が恋しくなった」とだけ答えた。
そして主の知らぬ間にソウルリンカーとなり、今まさにゲフェニアから旅立とうとしている。
「また人間の儚さに傷付けられるだけだぞ…」
永遠に近い命を持つナルは、仲間たちを見送る事がどれ程の悲しみをもたらすのか知ったはず。
それでも彼女は諦めないのだろう、敬愛してやまないギルドマスターと同じになるまで伸ばした長い髪をゆらして微笑んだ。
「その時はまた抱き締めて?」
ナルの言葉に敗北の気配を感じ、悪魔は諦めて視線を地に落とす。
人の仲間たちを失ってから、ゆうに百年は過ぎただろうか。
ようやく自分に甘えるようになったかと思えば、なんのことはない、転がされているのは自分の方だといまさら悟った。
(ファルが生きてた頃は初々しいものだったが、これは…)
悔しくもたがえようのない事実に、なんだか顔が火照っているような気もする。
おそらく気のせいではないのだろう、ナルはくすくすと笑っていた。
「それじゃあ、いってきます」
そう告げると後ろ髪をこれ以上引かれたくないのだろう、颯爽とワープポータルの光の中へと消えてしまった。
姿こそ聖職者ではないが、当時の魔法は忘れずに扱えるあたりが彼女の師に似たあざとさが垣間見える。
足元に群れるデビルチが悲し気な鳴き声を上げ、ナルがゲフェニアから去ったことを不満そうにしているので、悪魔はしゃがむとそれぞれの頭を撫で苦笑した。
「あれは一度言ったら聞かない、そう、出会った頃から…」
ゲフェニアの主は、寂しそうにナルが消えたワープポータルの最期の光を見守っていた。
降り立った先は砂漠の都市モロク。
乾いた大地に吹く風は強くナルの長い髪を揺らした。
魔法都市ゲフェンではすっかり顔を知られ、悪魔の花嫁だなんて通り名まで付いてしまった。
ゲフェニアの悪魔に魅入られたから歳を取らぬ化け物なのだ、と。
過去には有名な退魔師を誑かし、その正妻の名を欲しいままにしていたとも噂をされ、すっかり良くない印象を持たれている。
(失礼しちゃうよね、師匠とはそんな関係じゃなかったのにな…)
ぷりぷりと怒りながら街の西にそびえるスフィンクスダンジョンを遠巻きに眺めた。
ここ砂漠の都市ではどんな過去がある者も受け入れてくれる、つまり新しい道を歩き出すナルの新たな拠点としてはうってつけだった。
ここより南西へずっと下れば夜の街もある。
行き交う人の中に紫色の装束を身に纏ったアサシンの男を見付けると、締め付ける胸に手を添えた。
(…師匠…)
この街がもつ独特のさみしさは、どこか師を彷彿とさせる。
時刻は昼過ぎ。
まだ食事を取っていない身体は遠慮などせず空腹を訴えてくる。
ドッペルゲンガーは手を貸さないと断言していたし、これからは旅の資金も自分で稼がなくてはならない。
生と死の理に触れるソウルリンカーになり、一人で戦う術も手に入れた。
「よし、まずはお金稼ぎからね!」
自分に言い聞かせるように、ナルはスフィンクスダンジョンへ足を向けた。
中は薄暗く、頬を撫でる風は生温く、居心地は最悪。
すっかり住み慣れたゲフェニア遺跡とはまったく違う感覚に戸惑ったが、いわゆるダンジョンとは本来こうなのだと納得する。
ここスフィンクスダンジョンはゲフェンタワーと同じく、地下へ進む造りである。
つまり階層が増すほどにモンスターは強くなり、その報酬である戦利品の価値もあがる。
ナルは緊張した面持ちで自分の両手を見た。
なんとも細く頼りない指、モンスターなど倒したこともなさそうな世間知らずな色白さ、手入れの行き届いた磨かれた爪。
自分でも苦笑してしまうほど、戦いには不向きな手であった。
「さて、本当はこんな使い方したらダメなんだけど…」
そう呟くと胸に手を当て弓と矢を強く思い描く。
かつて自分を導いたギルドマスターが愛用していた弓。
猛々しく恐れることのない視線。
弦を引いた時の美しいしなり。
敵を正確に射貫くするどい矢。
その総てを、事細かに心に浮かべる。
「宿れ、ハンターの魂!」
青白い光がナルを包み、その光が手に集塵されてゆく。
やがてそれは光の弓矢となり、その手に具現化した。
悪魔の眷族に成りたての頃は非力で、特に魔力の使い方は人間の制約に拘っていた。
ゲフェンタワーから魔力を無尽蔵に供給されていると気付いてから、まだ退魔師を続けていた師の教えでさらなる鍛錬を重ねてきた。
彼女の主であるドッペルゲンガーは同じ供給元である魔力を駆使し、それを具現化して大剣を振るう。
主に倣い魔力を具現化するところまでは行き着いたが、武器を扱う経験がプリーストであるナルにはなかった。
そこで当時、ファルが机上の理論で白羽の矢を立てたのがソウルリンカーだった。
魂を操る術を持つ職業ゆえ、全ての職の魂を呼び出して扱うことができる。
ハンターにはハンターの魂を憑依させる、それがソウルリンカーの掟であり制約。
他職種に違う魂を宿せば拒絶反応により心は壊れ、最悪、狂人にまでなってしまう故に封じられている。
最初こそうまくいかず、何度も失敗を繰り返しては苦しむことが多かったが、なんのことはない。
魔力で心を守ってしまえば、あとは簡単だった。
自らに他職の魂を憑依させ、その職業すべての技を扱うことを実現したのだ。
「ふふ…悪魔の花嫁の心は、そう簡単に狂わないんだから!」
かつてのステアのような悪戯な笑みを浮かべると、ナルは弓を携えスフィンクスダンジョンを進みはじめた。
角を曲がればゆらりと立ちはだかる数頭の黒い犬。
口からは長い舌を垂らし、鋭い牙が顔を覗かせている。
「マーター…!ダンジョンの番犬ね…!」
呟いたと同時に飛び掛ってくるマーターの群れ。
それに恐れることなく、ナルは弓の弦を引く。
放った青白い光の矢は一陣の風となり、襲い来る黒い犬の群れをいとも簡単に撃ち落とした。
戦利品である犬の首輪を手にし、ナルは通路のその先へ視線を向ける。
(こんなんじゃご飯代にもならないよ…)
そう、無一文の彼女にはまだまだ足りない。
せめて今夜の宿代は稼いでおかねば、野宿をする羽目になってしまう。
ゲフェニアに眠る豊富な財宝を懐かしく思いながら、先を急ぐ為にテレポートを唱えた。
ダンジョンは深い階層ほど敵の強さは増し、その戦利品の価値も上がるのだ。
彼女はさらなる宝を求め、スフィンクスダンジョンの深層を目指すのだった。