Try a Bite!


■-1

「俺と連絡取りたい時ってある?」
「あるよ。でもどうやって?」
 迷いの無いアユルスの返答にジダルドは表情を綻ばせる。一階の通信手段は手紙が主であり、瞬時に連絡する手段はほぼ無い。そして同じ一階でも住まいを持たない事や、滞在している階が違う事もあるのでは呼びようが無かった。
「わー嬉しい、じゃあいつもテレパシー会得しとくのもありだなって思ってさ」
「いつもって、筒抜けになるのか……?」
 過去にジダルドが思念を繋いだ結果起こった事故を思い出し、アユルスが僅かに眉根を寄せるが、ジダルドは軽くかぶりを振って否定した。
「ううん、もうあんなのは起きないようにするよ」
 ジダルドによれば、アユルス側の送信のみを遮断する形で事故を防ぐという。そして一定の言葉をアユルスが送信した瞬間に遮断を解除する仕組みらしい。
「そんな事出来るんだ」
「ちょっとこつが要るだけで出来なくはないよ。無理もしないし」
 元来ジダルドは面倒事や無理を嫌う人物であり、言葉に偽りも無いのだろう。
「そうなんだ。でもそれじゃあ、いつも一つをテレパシーで埋める事になるんだよな……」
 エスパーの保持出来る特殊能力は四種が限界であり、ジダルドの特異性である能力の書き換えを加味しても、三種では困る事があるだろうと考えての事だ。
「それも大丈夫、流石に仕事中は出来ないから、俺が町にいる時だけって感じだね」
「じゃあ大丈夫かな」
 表情へ喜びを滲ませるアユルスにジダルドは心躍るのを自覚するが、アユルスへ伝わっているのかは解らない。それで良いと思えるのも含めて喜びだった。
「それじゃあ決まり。でね、合言葉なんだけど……」
 ジダルドが口元に掌を添え、アユルスが其処へ耳を近付ける。やがて小声で告げられた言葉にアユルスは軽く吹き出した。
「ふふっ、それ?」
「そう。意識しないとまず言わないでしょ?」
 悪戯染みた笑顔を浮かべるジダルドへ、アユルスも同じように笑う。そうして小さな秘密は二人の間で交わされた。



 翌日、造本所に昼の休憩時間が訪れ、食事を取ったアユルスは休憩室の片隅で工作に勤しむ。造本所一階の掲示板があまりに殺風景であると感じた事を始まりとし、許可の下ささやかな飾り付けをしたところ評判が良く、今では時節の飾り付けを待ち望まれるようになった。亡き母の寛鷺から習った技術が役立った事に温かなものが込み上げたが、その事実を知る者は少ない。
 休憩室で行われている数々の談笑も作業によって多少遠く聞こえ始めた頃、エスパーとモンスターの会話が耳に入る。
「生命力奪取系の能力ってあるじゃん」
「色々あるけど、それが?」
「あれをさ」
 聞き流そうとしたが、会話の内容に段々と耳をそばだてるしかなかった。
「素面でやると滅茶苦茶凄いって聞いてさ」
 素面とは生命力を消耗していない無傷の状態をいうのだろう。
「凄いって……本当か?」
「聞いた話によればな。まあでも実際に試せる時は無いよなあ」
「なら意味無いだろ」
 他愛も無い話で手が止まり、大いに心動かされているとは、誰も気付いていなかった。



 造本所から帰宅して夜になり、アユルスは自室で本を読むが全く頭に入ってこない。夕食の際に家族から怪しまれなかったのがせめてもの救いだった。
 居ても立ってもいられなくなり、本を閉じる。実に下らないとは理解しているが、疼くような好奇心を止める事も出来なかった。
 アユルスは意識を集中し、合言葉を思念へ乗せる。
『ルルムサマ』
 いつかジダルドが冗談で言ったルルムの呼称により、思念の遮断は解除された筈だ。
『……ジダルド』
 続けて呼びかけてみる。そうして一呼吸置いた頃だった。
『――えっ、アル、どうしたの』
 確かにジダルドの声が届く。短期間で呼ばれるとは思っていなかったらしく、思念には驚きの色があった。
『ちょっと、気になった事があって……今から会えないか?』
『それは大丈夫だよ。そっち行っていいかな』
『今俺の部屋だから、静かにすればばれないと思う』
『うん、気を付けるね』
 答えてふとアユルスは背後から小さな物音を聞き、振り返る。其処にはテレポートで転移したばかりのジダルドがおり、その頭の上にルルムはいなかった。宿で留守番をさせているらしい。
「やっほ、アル」
 声量を抑え、緩やかに手を振るジダルドへ、アユルスは椅子から立ち上がると歩み寄る。
「ジダルド」
 目の前まで来て硬い表情でいるアユルスから呼ばれ、ジダルドは緊張感にすら襲われた。
「うん?」
「え、と……」
 アユルスは迷いがちに俯くが、やがて顔を上げて本題を切り出す。
「今日、職場の人が話してたんだけど……素面で生命力を吸うと、凄い、らしくて」
 アユルスの赤い瞳が輝いているように見えた。
「だから、本当なのかなって、気になって……」
 ジダルドは目を白黒とさせ、驚きの侭にアユルスへ尋ねる。
「それ、本当にしても危ないんじゃないかなあ……」
 曲がりなりにも生命力を奪う行為であり、一歩間違えば死に至る事すらあるだろう。だがアユルスは表情を変えず、ますます好奇心の塊となってジダルドへ提案した。
「少しだけなら大丈夫じゃないかな……。エスパーの能力に、ライフリーチってあったよな」
 ライフリーチとは、視認した生物全てから生命力を僅かに奪う能力であり、珍しい特殊能力だがその性能故に使いどころが難しく、エスパーによっては外れの能力とさえいわれている。そして生命力奪取系の能力では最も威力の低いもので、致命的なものにはまずならないだろう。
 ジダルドも徐々に好奇心を擽られてしまい、頭を抱えたい心地で眉間に皺を寄せた。
「あるし、使える、けど……ううーん……」
「駄目……かな……」
 比較的押しの強いアユルスに、ジダルドの葛藤は遂にほどけてしまう。テレポートの合図としてアユルスの体を引き寄せて抱き締め、耳元で囁いた。
「……ちょっとだけだよ?」
「うん」
 ジダルドの背に腕を回しながら頷くアユルスの表情は見えないが、満足げなのだろう。



 テレポート先は宿屋の二階にある一室であり、窓の外には雄々しい姿をした像が見える。一階にある英雄の町だった。設置されているナイトテーブルの上には留守番をしていたルルムの姿もある。
 アユルスはジダルドから身を離しながら、月明かりに見えたルルムの相変わらずの仏頂面に微笑んだ。
「ルルム、元気そうで良かった」
 ルルムは黙った侭微動だにしないが、これが通常の挙動だ。
「でも、ルルムにはちょーっとおやすみ頂こうかなあ」
 消していた常夜灯を再び灯したジダルドは、ルルムの傍らに置いていた布を広げてその姿を覆う。眠るのかも鳥目なのかも不明だが、アユルスの為に出来るせめてもの事だった。ライフリーチの対象からもこれで外れるだろう。
「……で、さ」
 呟いたジダルドは寝台へと腰を落ち着け、静まり返った室内に木の軋む音が響く。質の悪い宿という事ではなく、一階の技術の限界だった。
 アユルスがジダルドの眼前まで歩み寄り、今度は照れたように俯く。ジダルドは努めて穏やかにアユルスへと尋ねた。
「なんで其処まで試したいの?」
 アユルスは恥じらいながらもすぐさま答える。
「だって、その……女の人と比べたら、するほうってあんまり気持ち良くないって……」
 アユルスの言葉に含まれる申し訳無さには健気さを感じるが、何処でその情報を仕入れたのか、あまりに問いたい心をジダルドは必死に堪えた。
「まあ、その違いはね? でも、気持ち良くないって訳じゃないよ?」
「そうかもしれないけど……、でも、その差を埋められたらなって、思って……。あと……」
 ジダルドは何処までも健気なアユルスへ喜びすら覚えるものの、まだ続きがある事実に首を傾げながら一抹の不安を抱く。また思いがけない情報を得ていないか、心配になるのはアユルスの底知れぬ素直さ故だ。
「あと?」
「命の味って、どんなのかなって……」
 示された言葉にジダルドも自身の好奇心が暴れ出すのを感じ、思わず生唾を呑む。
「アルの、命の、味……」
 言葉にすると甘い衝撃がジダルドを惹き付けて離さない。動揺するジダルドへアユルスがそっと片手を伸ばし、ジダルドの頬に添えて撫でた。
「本当はちょっと怖いけど……ジダルドとなら……」
 無自覚な甘さに誘われ、ジダルドはアユルスの体を引き寄せるとその侭寝台へと倒れ込む。二人分の重量に寝台がいよいよ悲鳴を上げたが、壊れるまではないだろう。
「俺、もう止まんないからね」
 甘い蜜へ自ら飛び込み溺れるジダルドへ、アユルスの目が細められた。
「いいよ……」
 赤い瞳は熟れた果実のように欲を誘う。それが禁忌ならば尚更だった。
 ジダルドがアユルスへ覆い被さり、肩口で囁く。
「いくよ」
 アユルスの頷きを確認してから、ジダルドは意識を集中させた。互いの体が赤い燐光で包まれ、効果を示す。
「う……ん……」
 全身を襲う瞬間的な重みにアユルスは呻き、ジダルドの背中を掻き抱いた頃には燐光も感覚も消えた。体へ僅かに残る重みで微かに震えた息をつきながらジダルドの表情を窺うが、アユルスの肩口に顔を伏せている所為でよく見えない。
「ジダルド……?」
「……んん」
 呻いてジダルドはゆっくりと体を上げ、次には大きく溜め息をつく。
「はあぁ……これ、確かに、やばいかも……」
「どんな風に……?」
 ジダルドの手がアユルスの頬に添えられ、もどかしげに撫でた。
「なんか、とろっとした、感じの中に、いるみたい……」
 若干呂律の回らないジダルドへアユルスは不安を覚えつつも、言葉に首を傾げる。
「溶けた飴みたいな……?」
 ジダルドが再度鈍重に呻いた。
「んんぅ……甘くは、ないけど……、もう無理っ」
 言い終わるか否かにジダルドはアユルスへ深く口付ける。突然の事に動揺するアユルスの舌を貪るように啜り上げ、絡めて舐めずった。
「ふ、ぁは……んんむ、んううぅ……っ」
 激しさの中でアユルスがくぐもった声を上げると、不意にジダルドが口を離し、苦しげな笑みを向ける。その呼気はアユルスよりも熱くなり、震えさえしていた。
「アハハ……助けて? アル……」
 アユルスは噂の全貌を理解する。そうしてジダルドを抱き寄せると、既に互いに体へ当たるものがあった。
「脱いでからじゃ、駄目かな……」
 言われてジダルドへ多少の理性が戻るが、苦しさは変わらない。
「だよ、ね。そう、しよっか……」
 笑い混じりだったが、やはり余裕は何処にも無かった。



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