それはそれは大切な


■-4

 アドベンチャーズギルドへ辿り着く頃には空が白んできていた。
 まだ閉業中のギルドの扉を叩き、起き出してきたギルドマスターへ三つの首が入った段袋を提出する。アユルスから事の顛末も確認する中で、ギルドマスターはその悪趣味な内容に眉根を寄せた。
「ご苦労だったね」
 二つに分けられて尚狩りよりも高い報酬を受け取り、ギルドを後にする。宿への帰路はまだ静けさが漂う物寂しい空気であり、アユルスの物憂げな表情に拍車をかけるようだった。
 ふとジダルドはアユルスを横目で見ながら尋ねる。
「戦うの、そんなに嫌い?」
「……嫌い」
 アユルスの赤い目が揺らいだ気がした。ジダルドは笑い混じりに続ける。
「勿体無いねえ」
 するとアユルスは俯き、消え入りそうな声で告げた。
「そんな事無い……、駄目なんだ……」
 言葉はその力だけではなく、アユルス自身をも否定する。次第にアユルスの歩みが止まり、ジダルドも足を止めた。
「ねえ、アル」
 力無く項垂れるアユルスへジダルドは手を伸ばし、その頭を撫でる。アユルスは一瞬怯えるような仕草を見せたが、それだけで終わった。
「多分、抱えてるもの沢山あるんだよね。今だけちょっと下ろしてみない?」
「……時間の無駄だよ」
 アユルスの声には多少の歪みが含まれている。ジダルドの提案が全くの興味本位であるとアユルスは気付いているのだろうが、先程零れた否定の言葉には興味本位にすら縋る限界が滲んでいた。だからこそ甘さをちらつかせたくなり、ジダルドは穏やかに告げる。
「アルにとって無駄でも、俺にとってはどうかなあ。まあ聞かないと解んないけど、別に無駄でも怒んないよ?」
 言葉の終わりに反応してアユルスが顔を上げた。
「本当に?」
 表情には濃い恐怖があり、余程他者の怒りを恐れているのだろう。顔を覗かせたアユルスの柔らかい箇所にジダルドは手を伸ばした。
「嘘ついても得なんて無いしねえ」
 ジダルドへ告げた言葉を使われ、アユルスは観念したように再度俯く。
「……宿に行こう」
 絞り出すように告げ、アユルスはまた歩き出した。その後ろをジダルドも歩き出す。後ろから見るアユルスは実際以上に小さく見えた。



 宿の部屋に設置されたナイトテーブルにはルルムが鎮座していた。宿を出た当初と何も変わらないさまはいっそ不気味だが、何処か愛嬌も感じるところ慣れ始めているのだろう。
 ジダルドは武器の手入れをしながら、同じように手入れをするアユルスへ話のきっかけを作った。
「アルはさ、何の為に沢山のものを抱えてるの?」
 アユルスの手が一瞬止まる。
「多分……生きる為、だと思う……」
「じゃあ、やりたい事があるんだよね?」
「やりたい、事……」
 言い淀むアユルスへジダルドは首を傾げた。
「解んないの?」
 するとアユルスは小さくかぶりを振る。思考を振り払うようでもあった。
「出来ないから、いい」
「出来る出来ないなんて関係無いじゃん。やりたいって思うのは自由なんだからさ」
 すぐさま返されたジダルドの言葉でアユルスは今度こそ手を止め、大いに迷いを示す。何か言いたげに唇が動き、しかし言葉を呑み込むのを繰り返していた。
「で、あるんだよね? やりたい事」
 ジダルドから再度問われ、漸くアユルスは頷く。
「……家に帰って、前みたいに暮らしたい」
 ジダルドは胸中を襲うごく僅かな痛みを無視しながら、続けて尋ねた。
「へえ。家のヒトの事、好き?」
「うん。でも……」
 迷いの無い返答が想いの強さを物語るが、その強さすら次には呑まれる。
「俺は……人を殺して此処にいるんだ」
 思いもよらない事実にジダルドは目を見開いた。
「それ、街中でやったって事?」
「うん……。ああするしか、なかった、けど……」
「此処にいるって事は、自首しなかったんだ?」
 ジダルドの知るアユルスの性格上真っ先に考えられる選択肢だったが、アユルスはジダルドの疑問を最悪の形で解く。
「だって……母さんが死んだ時、町のみんなは、俺の事を吸血鬼だって……。それにこんな目だから、きっと殺されるって思ったら……、母さんの命が無駄になるって思ったら、耐えられなかった……」
 突拍子も無い単語にジダルドは更に驚き、思わず尋ねていた。
「吸血鬼? なんでそんな迷信になったの?」
「建物が崩れて、母さんと生き埋めになって……、その時に、母さんが自分の血を飲ませてくれて、俺だけ助かったんだ……。けど、それをみんなが……。母さんもその所為で弔ってもらえなかった……」
 ジダルドがアユルスと出会った当初、アユルスの母の死はアユルス自身の所為だったと告げられたが、それは思い込みによるものらしい。そうしなければアユルス自身が保たなかったのだろう。
 不快感が胸中に広がるのを確かに感じながら、ジダルドは最も不可解な点を尋ねた。
「殺しをしたのは、なんで?」
「あの人は……」
 アユルスは傷を抉る苦しみに拳を作る。
「母さんを弔う場所と引き換えに、うちを乗っ取って……。いもうとはあの人の連れ子だったけど、あの人は父さんや、いもうとにも酷い事ばかりして、いもうとも俺も死にかけてた……。だからせめて、二人だけでも、助けたくて……。絶対にしちゃいけない事だって解ってた、けど……他にどうしようも、なくて……」
 襲いかかった問題を一身に背負い、最もあってはならない形でアユルスが解決してしまった現実に、ジダルドは憤りすら感じる。それはジダルドの過去が呼び起こしたものでもあり、生々しい灼熱だった。
「アルは、罪を償いたいって思ってるんだね?」
「うん……」
 今にも涙が零れ落ちそうなアユルスを、捻り潰す気が焼け焦げて失せてしまう。
 ジダルドはアユルスの思いをなぞるように告げた。
「でもずっと、償い方を迷って、苦しんでるんだよね。会ってから全然楽しそうな顔してないよ」
「うん……」
 自らの恨みとアユルスの姿が重ならない。恐らく初めて他者へ苦しみを吐露したアユルスを、全く肯定出来ない事実は同じだが、決定的に違うとしか思えない。
「俺はそれでいいと思うよ。償いって、苦しいものだからね」
 アユルスの返事は無く、代わりに大粒の涙が零れ落ちた。
「一生懸けて償う中で、やりたい事をしなよ。償いって、やりたい事をやらない、やっちゃいけないって意味じゃないからさ。一生苦しみながら、自分のやりたい事して、アルは生きなよ」
 ジダルドは告げながら、胸中にくすぶり続けていたものがまた燃え上がるのを感じる。忘れた筈の怒りと絶望は、まだ消えていなかったのだと思い知らされた。



 その後、徹夜と戦闘の疲れもあり、目を腫らしたアユルスは一足先に眠りへ落ちた。
 ジダルドはその枕元で、アユルスにそっと手を伸ばす。そうして無防備な首元に手をかけた。
 もしアユルスが愚者ならば、死を希いすらしたのだろう。
 軽く息をつき、ジダルドは手を離した。
 もしアユルスが愚者ならば、躊躇い無くこの首を握り潰してやれただろう。
「ほんと、いいコだよね……」
 ジダルドは寂しげに呟き、アユルスの頭を撫でる。彷徨いながら望みを捨てられない命がこれから見るものに、いつの間にか強い興味が湧いていた。



Previous

Back