それはそれは大切な


■-1

 楽しげな玩具を見付けた。それが第一印象だった。
 眼前の相手から殺されかけたにもかかわらず、素直な言葉と共に偽りの無い涙を零すさまは、多少なりとも興味をそそられる。その素直さはねじ曲がった気質も多い冒険者界隈では珍しく、そして致命的だ。
 この玩具を他の誰にも壊されたくない。
「名前、何ていうの?」
 他者の名前を覚えようとするのも久々だった。
「アユルス……、アユルス・カース……」
「今、迷ったよね?」
 名乗る事にではなく、名乗るものにである。指摘で表情へ差したのは寂寥だ。
「これは……母さんの名字、だったから……」
「ふぅん。面倒な事するねえ」
 すると弱々しくかぶりを振られる。
「こうしないと、父さん達に、迷惑かける、から……」
 泣きやみかけていた瞳はまだ潤んでおり、今にも再度零れ落ちそうな涙が絡み付いていた。それをやはり隠そうともしない。
 その様子をますます面白そうだと思った事が、ジダルドにとっての始まりだった。



 ジダルドはアユルスの後ろを勝手気侭に付いていく。道中で一度だけアユルスが振り返った。
「いつまで付いてくるんだよ」
「んー、俺が飽きるまでかなあ」
 笑い混じりの答えにアユルスは溜め息をついたが、それ以上の事は何もせずにいる。何処かで撒こうと考えているのかもしれない。
 やがてモンスターの肉を専門に取り扱う食肉屋へと辿り着き、アユルスは店主の元へ歩み寄った。他モンスターの肉を食らう事でその姿を変えるモンスターの特性から必然的に生まれた、野生モンスターの肉を売買する場だ。
「済みません、買い取りをお願いします」
「坊ちゃんか、いらっしゃい。珍しいな、誰かと一緒とは」
 常連のアユルスに気付いた店主が後方のジダルドへ目を遣り、続けてその頭の上に目を遣る。
「そいつもかい?」
 指を差した先には何の反応も示さない小さな鳥系モンスターがいる。
「ルルムは食べちゃ駄目でーす」
 ジダルドが代わりに答えると店主が呆れて告げた。
「食われたくなかったら早めに目印をやるんだな」
 モンスターの野生か否かを姿のみで見分ける方法は存在せず、多種族と敵対しない知恵あるモンスターの場合は目印として何かしらの飾りや衣服を身に付けている。ジダルドが側に付いているとはいえ、今の侭では攻撃されても文句は言えない。
「アハハ、まあその内ね」
 モンスターをルルムと名付けた張本人であり、気に入っているにしては粗雑な扱いをするジダルドへ、ルルムは何も反応を示さずにいる。ジダルドがテレパシーで思考を覗いたが全くの空白だったらしく、知恵はおろか自我があるのかすら怪しいものだった。
 遣り取りにアユルスが小さく呆れた息をつき、それに店主が苦笑しながら向き直る。
「それで、坊ちゃんの獲物は?」
「これです」
 アユルスは血に染まった大きな段袋をカウンター上へ置いた。この手続きの為にカウンターは古い血と新しい血で赤黒く染まっている。店主は段袋の中身を確かめ、その皮や鱗などから種別を素早く仕分けし始めた。そうして分けられた肉の一塊からナイフで僅かに肉片を取り、一枚の皿が吊された秤に乗せる。秤は残留魔力を調べるものであり、多すぎればモンスターが食べた際に変化失敗となるので重要な作業だ。
 一通りの肉を調べ終え、店主が更に肉を仕分けていく。
「うーん、鳥人間系が全滅だ。坊ちゃんにしては運が悪いな」
 魔力を使った攻撃によって仕留めたとしても、残留魔力が一定量を超過してしまう事はそう多くはない。こればかりは運だった。
「そうですか……。じゃあ、残りだけでお願いします」
「まいど。また宜しくな」
「はい」
 金を受け取り、アユルスはジダルドを一瞥はしたが、何も言わずに歩き出す。速度は別段速くなく、すぐ後ろを付いて歩くのも容易かった。撒く気は無いのかもしれない。
「ねえ」
 ジダルドの呼び声にアユルスは無反応でいるが、構わず言葉を続ける。
「狩り、好きじゃないんでしょ。全然嬉しそうじゃないしさ」
「……うん」
 十数歩進んだところで漸くアユルスが頷いた。
「じゃあ、なんで狩りなんてしてるの?」
 続けざまに問いかけると徐々にアユルスの足が鈍り、遂には止まる。その背は小さく、今にも蹲りそうな弱々しさだった。
「一人だけで、出来たから……」
 追い付いたジダルドはアユルスの暗く沈んださまへ顔を寄せて囁く。
「怖いんだね」
 問いにアユルスは一つ頷き、ジダルドを横目で見た。その眼差しにも恐怖が宿っている。それは他者への不信ではなく、アユルス当人さえも対処出来ない喪失への不安だ。
「そりゃあ向いてないよね、俺にも気を遣ってたらさ」
 アユルスの恐れの裏には微かな温かさがある。その正体からジダルドはひとまず目を逸らした。そうしなければ封じたものは滲み出てしまうだろう。
 また歩を進め、アユルスが拠点としている宿へ辿り着き、受付で宿泊の手続きをする。其処へジダルドが口を挟んだ。
「二人部屋のほうが一人当たり安いよ?」
「そっちの拠点はどうするんだよ」
 アユルスの示した懸念点からすると拒否の意思は無いらしい。ジダルドはしたり顔で答える。
「引き払うのは簡単だよ、同じ宿だしね?」
 答えへアユルスは困ったように眉根を寄せたが、やがて宿帳へ自身の名前を記入した。そうしてジダルドを振り返ったアユルスは迷うような表情でいる。
「ジダルド・マスカ。宜しくね、アル」
 他者へ名乗るのも久々だった。



 宛がわれた部屋に入り、それぞれが今日の後片付けを始める。その中でジダルドはアユルスの着けていたホルスターに目を遣った。中に入っているのは魔法書だが、どう見てもアユルスは人間である。魔力を一切持たない人間には発動出来ない筈だった。更にアユルスは剣を一振り携えているが、それも魔力に反応して初めて刃となるサイコソードだ。
「その赤い目、魔力があるから?」
 赤い目の人間は特異性を持つ。どのような特異性かは個々人により様々であり、その昔は塔の最下層である一階において処刑対象とされたが、現在その因習だけは消え、薄い畏怖と差別の色が残された。此処十階においては非常に珍しく、しかしそれだけとされる。
「……そうだよ」
 アユルスの短い返答には疲弊が滲んでいた。
「ふぅん。変わってる人間だとそうなるんだねえ」
「人間だと、って?」
 含みのあるジダルドの言葉にアユルスが魔法書のページをめくる手を止める。赤い瞳がジダルドを初めて真っ直ぐに捉え、興味を語った。
「俺も変わってるからね。能力を好きなように書き換えられるんだよ」
 エスパーは本来、特殊能力を突然変異により会得する。従って任意の能力を会得する事は出来ないが、それをジダルドの特異性は可能にした。保持出来る能力数は他のエスパー同様四つまでであり、同時発動するには会得中でなければならないが、それらを加味しても戦うエスパーにとっては夢のような特異性だ。
「そうなんだ……」
 アユルスの声音に疑念は無く、ジダルドは思わず尋ねる。
「そんなすぐに信じるんだ?」
「嘘ついても、これからに得なんて無いだろ……」
 尤もであり、そしてジダルドと行動する事を前提とした答えに、ジダルドは満面の笑みを浮かべた。
「アハハ、アルが賢いコで良かったよ、ねールルム」
 頭の上のルルムを下ろし、その仏頂面へ話しかけるジダルドからアユルスは目線を外しながら小さく溜め息をつき、俯くと呟くように告げる。
「その、アルっていうの……」
 明らかにむず痒さへ照れているアユルスへ、ジダルドがルルムを持った侭詰め寄る。
「んんー? いいじゃあん、呼びやすいしい」
 ジダルドは大袈裟に体と言葉を揺らし、言葉の終わりにアユルスの眼前へルルムの顔を突き付けた。渋面になったアユルスが何か言いたげに唇を開きかけたが、直前で目の前の嘴が動く。
「……あぇえ」
 ルルムの声に二人で目を丸くし、顔を見合わせてからジダルドがルルムを抱き締めた。
「アハハハハッ、ルルムもそれがいいんだってさ!」
 ルルムの思考が空白で満たされているにしては妙に間が良い。偶然にしても最早逆らう気も失せたアユルスは、再度小さく溜め息をついた。



 夜半、ジダルドはアユルスの枕元に立つ。深く眠っているのは油断なのか、それとも昼間の出来事が影響しているのか、判断は付かない。アユルスの顔や腕に傷は痕すら無かった。ヒーリングが効果をより発揮したのもアユルスの保有する魔力の為だろう。
 ジダルドが放ったサイコブラストを受けた直後は、あちこちが赤黒く染まっていた。一歩間違えばアユルスはジダルドの手で葬られていただろう。気に入らなかったとの理由で攻撃した身勝手も、行為が全く罪に問われないのも、全て町の外の無法地帯での出来事であるからだ。町で行えば罪人となり、追われるだろう。それが法であり、限定的に保証される平和だった。
 アユルスのような人物は、この無法蔓延る環境には相応しくない。
「……ほんと、いいコだよね」
 ジダルドは愛玩と侮蔑を混ぜて呟く。素直で脆く、本来ならば此処にはいないであろう人物を捻り潰すのは誰なのか、案外本人なのかもしれなかった。



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