願い、彼方へと
■-1
夜も賑やかな剣の町を、周囲の山々から吹き下ろす風が通る。今や普遍的な町となったこの地はかつて、異端者排除思想の末に異端者の手で滅亡した国の存在した地だ。町の奥を見ればその象徴である剣の城がそびえ立っているが、現在では観光地や文化財としての面しか持たない。
町の一角にある酒場を出ながら、ジダルドは久々の酔いに熱くなった息を零す。即席のパーティでの依頼達成に逐一祝杯を上げたがる冒険者は少数だが、今回組んだ冒険者達は良くも悪くも気さくな人物ばかりだった。深酒を強要されなかったのは救いだろう。酒は嫌いではないが、好んで飲むものでもなかった。酔っている暇の無かった以前からの習慣である。
受注した依頼自体は報酬も見合ったものであり、何より消耗も少なく無事に終えた結果を考えると上々といえた。だが最近は物足りなさを感じている。依頼内容の歯応えなどではなく、達成した後についてだ。最初こそ首を傾げたが、やがて一つの結論へ辿り着いた。姉であるノチアが意識不明だった頃はその入院費も稼がなければならず、半ば闇雲に依頼をこなしていた節がある。現在はノチアの治療費等を稼ぐ目的こそあれど、以前のような絶対の必要性は無く、稼ぎは基本的に己の生活の為だけのものとなっていた。生活から確固たる目標が無くなったジダルドは、自身の生き方において彷徨っているのだと思い当たる。其処に焦りが無い理由を考えると小さな喜びに行き着き、それも悪くないと思えた。
道を行く途中で欠伸をしながら、拠点とした宿へと戻る。宿の部屋ではルルムが微動だにせず留守番をしているだろう。ルルム本人に留守番の意識があるのかすら不明だが、待っていると思う勝手さえも受け入れてくれるような、奇妙な貫禄と寛容さを感じさせた。
近道の為に暗い路地へ差しかかると通行人も疎らになる。ふと進行方向から穏やかさの無い声が聞こえた。見ると人間の男が二人のモンスターから絡まれており、しかし助ける義理も無く、通行人はその様子から距離を取って歩いている。その全てが、現在のジダルドの癪に障った。
ジダルドは会得している特殊能力を書き換え、絡む二人に向かって指を鳴らす。音に振り向こうとした二人をその足元から伸びた光の柱が包み込み、瞬時に体の自由を奪った。強力なテレキネシスによりその場へ倒れ伏す二人を尻目に、ジダルドは怯えていた男へと近付く。
「あっれえー、こんなとこいたんだあー」
茫然とする男の腕をジダルドは掴み、笑みを向けると捲し立てた。
「みんな待ってるからさ、あっち行こ、ねえ?」
ジダルドから半ば強引に腕を引かれ、されるが侭に男は大通りへの道を歩き出す。時折男の足がもつれるさまからして泥酔しているらしい。やがて通り建物から漏れる明かりが男の顔を照らし出すと、不健康な赤ら顔に幾つか殴られた跡のあるさまが見えた。ジダルドは壁際に寄ると歩みを止め、男の腕を離す。
「結構やられたねえ、大丈夫?」
「ああ……大丈夫、だけど……」
男の表情は暗く、来た道を気にするようなそぶりをみせたが、その対象は判然としない。
「あの二人なら、暫くすれば動けるようになるけど?」
確認を兼ねてジダルドが告げると、男は大きな溜め息をついた。やはり呼気は酒臭い。
「僕は知らないんだ、何も」
絞り出した言葉には歪みさえあり、これから溢れ出そうとする吐露を物語る。長話になると思われ、ジダルドは呆れの篭もる半眼でいた。
「どうしてこうなったんだ、どうして……やっと逃げたのに……、これじゃあの子を……」
男は声を震わせて身勝手に続ける。
「そうだ、あの子を……あの女がちゃんと育てる筈が……あの時だって……」
酒の力で言葉が次々に零れ、切れ切れの情報だが男に妻子がいる事、その二者の元から逃げた事は推測出来た。
「大変だねえ」
不愉快な情報をジダルドは軽く流そうとしたが、男は天を仰いで続けた。
「あの女に、きっとあの子は……、ああ……ナユル……」
言葉尻に呟かれた名前にジダルドは目を見開き、男へ詰め寄ると両肩を掴む。途端に男の表情へ恐怖が差したが、気にしている余裕は無かった。
「その、ナユルってコ、赤い髪で赤い目のエスパーのオンナノコ?」
厳しくねめつけるジダルドへ男はゆっくりと一つ頷く。
「ナユル……、生きている訳が、無い……」
言葉を垂れ流すと男の体が傾いだ。咄嗟に受け止めるが、既に男の意識は無かった。
以前ナユルの義兄であるアユルスから、軽くではあるが二人の家庭環境について聞いた事がある。二人はナユルの実母から虐待を受けて命の危機に瀕し、其処から脱する為にアユルスがナユルの実母を手にかける惨事へと至ったらしい。そしてこの時の話に、ナユルの実父は一切出てきていなかった。
あまりに幼かったであろうナユルは、逃げた実父の存在を覚えていないのかもしれない。
それはあくまでジダルドの出した仮定の話ではある。だが、現在になり漸く平穏を手にしたナユルがこれを知れば、いずれにせよ衝撃を受ける可能性があった。そして直接にしろ間接にしろ、伝えるか否かの決定権は第三者であるジダルドにしか無い。
「ひっどいな、これ……」
選択を抱え、ジダルドは酔いの覚めた溜め息をついた。
呻きに男の目覚めを知り、ジダルドはいつの間にか落ちかけていた意識を浮上させる。床に座り込み壁へ凭れていた為に体が痛んだが、それも些細にしか思えない。意識を失った男を捨て置けず、拠点としていた宿へ連れ込んでからそれ程時間は経過していないらしく、部屋の明かりである蝋燭も然程減っていなかった。
「目え覚めた、よね?」
二重に確認するジダルドの呼びかけに寝台の男が飛び起き、恐怖の表情を向けるが狂乱の兆しは無い。酔いは残っているだろうが正気ではあるようだ。
「う、あ……、一体僕をどうする気なんだ」
「はあー、一番最初に心配するの、やっぱ自分なんだ」
ジダルドの指摘に男は小さく呻く。先程の遣り取りの記憶はあるのだろう。
「アンタに目一杯訊きたい事があるんだよ。当事者のコ達には悪いけど、今確かめられるのは俺だけだからね」
すると男は頭を抱えて身を縮こまらせた。
「知らない、僕は知らない……」
言葉にジダルドは立ち上がり、男の傍らへと歩み寄るとその肩を鷲掴む。襲う痛みに男が竦み上がるが、ジダルドの手はより力を込めた。
「逃げないでよ。此処からも、アンタの過去からも、今からも」
低く静かにジダルドが告げると、男は蒼白になりながらも頷く。その返答にジダルドは漸く手を離し、寝台の脇にある椅子へ腰を下ろした。その側にはサイドボードも設置されており、縫いぐるみのようにルルムが鎮座している。これまでルルムへ男が反応を示さないところ、本当に縫いぐるみだと思っているのだろう。
「アンタ、奥さんとナユルちゃんから逃げたんだね?」
ジダルドが問うと男の顔へ赤みが差し始めた。
「仕方無かったんだ!」
加害者の多くが使う言い訳に、ジダルドは大いなる不快感を覚える。
「あの女、外では善人に振る舞って、けれど僕の財産を使い込んで、僕にも暴力を振るって、もう耐えきれなかった!」
その答えにジダルドは最悪を予想しながら尋ねた。
「じゃあ次。なんでナユルちゃんを置いて逃げたの」
ジダルドの言葉に男は震えた声で喚く。
「あの子はあの女の子供だぞ!? なんとか言葉は教えた、僕に出来たのはそれくらいだ、あの子はっ、ナユルは間違いなんだっ、たった一度で、まさかそんなっ……」
其処までを聞き、ジダルドが大きく溜め息をついた。
「それ、ナユルちゃんにも言える?」
言われて男は凍り付いたように動かなくなる。男の浅ましさと悍ましさにジダルドの不快感が溢れようとしたが、ナユルの為に一旦呑み込んだ。
「……ナユルちゃんにこそ言うべきだよ。アンタみたいなヤツに決着付ける為にさ」
ジダルドは特殊能力を書き換え、その目で男を睨み付ける。
「朝になったら、覚悟しなよ」
催眠の瞳に意識が朦朧としてきたのか、男はまた寝台へ沈んだ。
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