No.8

DB

指きりすることでもないけれど
「この本、お願いします」
「はいよ。あと、これ新刊。おっさんに取られる前にキープしといたから」
 ほらよ、と分厚い本二冊を手渡し、苦笑しながら差し出された学生証を受け取る。
 今日も今日とて悟飯は図書室にやってくる。弁当箱を持った名前と連れ立って。本を借りて、その後司書室でランチタイム。このところそれが習慣のようになっていた。
「そういえば名前さんはいつも何処で本を買ってるんですか?」
 いつものように大量の食料を胃袋にかき込みながら、ふと思いついたように悟飯が尋ねる。
「はん? 本屋だけど」
「いえ、そうじゃなくて……」
 怪訝そうな顔をしてミニハンバーグを租借する名前に悟飯はぽりり、と頬をかいた。
「専門書とかはそういう本屋さんで手に入りますけど、一般の本屋さんじゃ置いてない本とかも名前さんは持ってるでしょう? 絶版になったのとか、新刊で。だから何処で買ってるんだろうと思って」
「ああ、成る程。なら地図書いてやろうか?」
 ぺりりとメモ帳を破り、そこに大体の住所と学校からの行き方を書く。多少入り組んでいるけれど、そう難しい場所でもない。
 ちょっと変わり者の店主が営む個人経営のその本屋は、中学の時に見つけてからよく利用している。
 渡された地図を見て、悟飯はちょっと首をかしげた。
「駅の近くですか?」
「目印があんまないから分かり辛いかもしれないけど、近くに駅があるから迷わない……とは思う。多分」
名前ちゃん一緒に行ってあげればー? 今日も行くんでしょ?」
「今日は晩飯当番だから直帰。明日は行くつもりだけど。どうする? 明日案内するか?」
「あ、そうですね。今日欲しい本があるわけじゃないので、明日。お願いします」
「分かった」
「いいねぇ、青春だねぇ」
「何がです」
「え、デートの約束でしょ? それ」
「あんたの脳みそ春色か?」
 頬を真っ赤に染めて黙りこくった悟飯の代わりに名前が半眼で司書を睨みつける。
 鼻にも引っ掛けていないというようなその態度に、悟飯の胸が何故だかちくりと痛んだ。
「あんまし孫困らせないでくださいよ」
名前ちゃんは悟飯君と女の子には甘いよね……」
 司書がしくしくと泣きまねをする。
 その途端胸の痛みもすっと消えてなくなる。何かの病気だろうか。
 悟飯は首を捻るが、それで何が解決するでもなく。名前の取り出した「本日のおやつ」に気を取られ、何かに首を捻っていたことすらすぐに忘れた。
「今日はパウンドケーキですか」
「まあ、練習がてら」
 何の、とは言わない。
 今日作ってきたのはプレーンのパウンドケーキ。
 これが成功していれば、そろそろ悟飯の食べたがっていたフルーツケーキに手を出してもいい頃だろうか。そんなことを思いながら作ったケーキ。味見はしたけど、やっぱり気になるのは人の反応。
「いただきます」
「おあがんなさい」
 いつものやり取り。しかしケーキを頬張る悟飯を見つめる名前の顔は真剣で。
 司書はその姿にこっそり笑った。なんて微笑ましい。
「美味しいです」
「……本当か?」
 いつになく不安そうな名前に悟飯は大きく頷いて見せた。
「本当ですよ。いつも思うんですけど、名前さんすごいですよね。色んなお菓子作れて。しかも全部美味しいなんて」
「そう、か?」
「はい。名前さんのお菓子食べたらお店の食べたいって思わなくなっちゃいます」
「それは言いすぎだ。けど、まぁ……サンキュ」
 本当なのに、と膨れる悟飯をはいはいと上機嫌であしらう名前は、しかし内心ほっとため息を吐いた。
 明後日は休み。明日は別のお菓子を作って、明後日試しに一度作って、明々後日には悟飯ご所望のフルーツケーキを作れるかもしれない。
 だって、初めてのリクエストだったのだ。
 普段は名前の差し出したものを文句一つ言わず食べてくれる悟飯が、初めて自分で食べたいと言ってくれたお菓子。それが嬉しくて。
 とびっきり美味しいものを食べて欲しいじゃないか、と名前は思う。
「ほんとに美味しそうだね」
「あ、司書さんもお一つどうですか?」
「……いや、僕そこまで野暮でも無粋でもないから」
「え?」
「何言ってんですかあんた」
「んー……悟飯君」
「はい?」
「いいの?」
「え?」
 ずい。
「いいの?」
「な、何がですか」
 ずいずい。
「本当に食べていいの?」
「い、いいいいいいいいですよ、何でそんな、」
 ずいずいずい。
「ほんっとうに、いいんだね?」
「おいおい、あんたら顔近いぞ」
 いいの? と聞くたびにじりじりと近付いてくる司書に悟飯は逃げ腰になる。真剣な顔が妙に怖い。そんな悟飯に名前が横から助け舟を出すが、司書はじ――――――ーっと悟飯を見つめる。
「悟飯君以外が名前ちゃんのお菓子食べて、いいの?」
「え、えぇぇええぇぇ?」
 司書の迫力にのまれ悟飯は頭を抱えた。そしてよくよく考える。
 いつも名前がお菓子を作ってきてくれるのは悟飯の為だけで、毎回何を作ってくれるのかわくわくしている。でもお菓子だけじゃなくて、食べている間、楽しそうに自分の顔を見ていたり、「美味しい」と言ったときに見せる笑顔が一番楽しみで。実はお菓子そのものよりも、そちらのほうを楽しみにしている自分を悟飯は自覚していた。
 では、もし本当に司書がそのお菓子を食べたとしたら……?
 
 嫌かもしれない、と思った。それもものすごく。
 
 悟飯の顔色が変わったのを見て取って、司書は呆れと安堵の混じったため息を吐いた。鈍いにも程がある。
 悟飯と名前がお互いに好意を持っていることなど、殆ど毎日見せ付けられている彼にしてみれば分からない方がどうかしている。知らぬは本人ばかりなり。
「まあ、僕今ダイエット中だから遠慮しとくけど」
「出前ラーメン二人前食っといて……?」
「ラーメンは別腹!」
 人が折角恋のキューピッドしてやろうとしてんのに、と思いつつ、冷静に突っ込む名前に反論する。本人に知れれば「頼んでねぇ」と言われると分かっているけれど。
 どうにももどかしいこの二人。どうにも構いたくなるのは仕方ない。
「ダイエット中なら仕方ないですよ。僕が全部食べてもいいですか?」
「そりゃ、勿論」
「うんうん、僕に遠慮せず食べちゃって」
 ホ、と安心したように目の前のケーキを指差す悟飯に、名前と司書は揃って頷いた。
 これで多分、悟飯が他の人間に「名前のお菓子」を譲るようなことはなくなるだろう。そうすれば、名前のあんな顔を見なくても済むのだ。
 悟飯は気付いていなかったけれど、司書にケーキをすすめた時の名前の顔。泣く寸前のようなそれは、一瞬で強がりに変わったけれど。正面に座っていた司書はばっちり見てしまった。
「悟飯君、惚れた女の子は泣かせちゃ駄目だよ」
「むぐっ、……げほ。は、はぁ」
 悟飯は一瞬詰まり、困ったように頷く。急に何を言われているのやらさっぱり分からない。
 その姿に司書はちょっと笑った。鈍さが罪にならないうちに気付いて欲しいものだと思いながら。
 
 
 そして楽しいおやつの後は眠い眠い午後の授業が始まる。
「じゃあ、また明日」
「はい。また明日」
 名前と悟飯は教室の前で手を振って別れる。
 名前は教室へと入り、自分の席に着……こうとした。
「見たわよ見たわよ~、なーに、悟飯くんと随分仲良くなったんじゃな~い?」
 出た。名前は小さくため息を吐いた。
「何よ、顔見るなりため息吐かないでよ。
 で、で? どうなの? 進展は?」
「あるかンなもん。つーか何でそっちにばっか繋げるか」
「女子高生の楽しみなんてこれぐらいしかないでしょ!」
「楽しみを多々持ってらっしゃる全国の女子高生の方々に謝れ」
 ぱこん、と丸めたノートで頭を叩くと友人はえへへと笑った。明らかに誤魔化す為のものだけれど、名前はため息一つで誤魔化されてやることにした。そもそもが長引かせたい話題でなし。もうそろそろ教師もやってくる。
「また後でね」
「お断りだ」
 ウインクに素っ気無く返す。それでも友人は笑って手を振った。名前がこういう人間だと既に知っているのだ。悪気があるわけでも嫌悪感を抱かれているわけでもない。ただそれが当たり前なだけ。
 分からないでいるうちは随分と当り散らしたものだ、と授業開始数分で船を漕ぎ出した名前の後頭部を見つめ、心優しき友人その一は苦笑した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そりゃあまあ、養ってもらっている身の上だし。自分としてもさもしい食卓が好ましいわけではない。
 どんなに外に出るのがめんどくせぇな、と思っていても、誰だって食卓に乗る夕食が茶碗一杯の米とたくあんだけ、というのは倹約生活でもしていない限りはお断りしたい状況だろう。東地区の某大食らい×二がいる家庭でなくてもご免被ると断言するはずだ。
 名前は排水溝の蓋を踵でがこんと蹴飛ばして、大きな音にびっくりする通行中の皆様方も気にせず駆け続けた。
 事の発端といえば、家に帰って夕飯の支度の時間までのんびり本でも読もうとくつろいでいたはいいのだが、静寂を四方六方に切り裂く電話。何だ何だと受話器を取れば、慌てたおかんの「食材買っといて!」のヘルプコール。
 言われて覗けば冷蔵庫は空っぽ。
 早目に帰れるから一緒に晩御飯を作ろう、と言ったのは当の母親。しかし予想外のアクシデントで帰りが一、二時間遅れるらしい。それから作り始めたのでは夕食の時間には到底間に合わない。
 有り合わせで良いよ、と言おうにも、その有り合わせ自体が無かったりで。
 見事に冷蔵庫の壁が見渡せるこの隙間。冷気も隅々まで行き渡っている。冷やすものが無いので意味は無いが。
 ならばいっそ出来合いのものでも、と名前は思うのだが、母親の「家にいる時まで店屋物なんて食ってられるか」という大層男前な台詞で一刀両断されるのが常。その後ろで父親は拍手をしながら頷くのみ。こんな両親から育つべくして育ったのが名前という話である。
 はぁ、とため息で承諾して財布を引っつかんで出かけようとしたところで気付いた。
 学校帰りに寄った本屋。ずっと集めていたシリーズの最新刊が発行されていて財布の中身が寂しくなるのも覚悟の上で買ってしまったのだった。あとついでに、ちょっとした料理の本、なんかも。あくまでついでと名前は言い張るつもりであるが。
 別に悟飯が食べたがっていたケーキが詳しく載っていたから、とかじゃなくて。たまたま載っていたのだと。
 人はそれを無駄な足掻きと言い習わす。
 それはともかく。
 オウシット。というやつである。
 しかも親は金を降ろし忘れたときたもんだ。家の非常用財布はすっからかん。ちらりと時計を見ればまだ銀行はギリギリ開いている。手前の金をおろすのに手数料を取られるのも馬鹿らしい。
 即断即決で名前はつっかけ履いて駆け出した。
 この町の人間なら誰でも知っている大きな銀行。名前の家も例に漏れず金を預けていた。
 ぜぇぜぇはぁはぁ息を荒げ、それでも漸くたどり着く。まだ時間内。
 自動ドアの音を背にカウンターに向かう。
 家とは少し距離があるのでここまでずっと全力疾走だった。お陰で背中に汗で張り付いた服が気持ち悪い。さっさと金を引き出してスーパーに向かうべし。
 晩飯の材料と、ついでに最近消費の激しい小麦粉も買って帰るか。
 そんなことを考えつつ、引き出した金を仕舞いながらきびすをかえす。と、すぐ後ろに立っていた男に肩がぶつかり、頭をちょっと下げて「すいません」と謝る。そのまま出口に向かおうとすれば、驚くほど強い力で腕を引かれた。
 ぶつかった事には謝った。なのにこんな態度を取られれば、温厚な相手でもムカッとくるんじゃなかろうか。
 抗議とまではいかないにしても、睨みつけてやろうと振り返る。名前は自分が気の短い方だと自覚していた。
 だけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「動くなよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こめかみに当たる冷たく硬い感触と、銀行員の強張った顔に、名前は血の気が引く音を聞いた。

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