No.32

DB

大団円のその前に
 冬の朝は寒すぎて嫌いだ。夏の朝は寝汗で気持ち悪い。春は何時までだって眠くてしゃっきりしない。
 だから名前は秋が一番好きだった。
 少し肌寒くても毛布に包まっていれば充分温かい。寝ている間に自分の体温が移った抱き枕を両腕でぎゅっと抱きしめると、「苦しいですよ」と悟飯の声がする。
 
 
 わけない。
 
「あ、起きました?」
 瞬き。悟飯の顔。自分の身体。順次視線を移す。
 名前が抱き枕だと思っていたものは悟飯だった。自分の腕が絡みついた悟飯の首筋を眺めながら思う。
「どーりで……」
「はい?」
「いや」
 固いと思った。とは言わないでおく。
 ビーズの詰まった枕と引き締まった筋肉。違って当然だ。
 悟飯の首に絡み付いていた腕を解き、名前は立ち上がろうとする。が。
「あ゛?」
 微かに浮いた腰は再びぺたりと悟飯の足の間に納まってしまう。
「移動したいなら僕が連れて行きますよ」
「いや、自分で」
「歩けるわけないでしょう。
 あんなに元気わけまくって、お父さんも心配してましたよ」
「元気……」
「覚えてます? 元気玉」
 覚えている。名前は頷いた。
 つまり、元気玉の完成を見届けて意識を失ったらしい。悟空は全力疾走した後くらいの疲れが残る、とか何とか言っていたけれど、それはある程度疲れたら手を下ろした人間は、ということだ。限界まで力を分け与えたのは名前ぐらいだと言う。
「で、ブゥは」
「倒しました。お父さんと、ベジータさんが」
「そうか」
 そりゃよかった。名前は立ち上がるのを止めて悟飯にもたれかかった。
 実は先ほどからちょっとずつ足に力が入るようになってきた。が、立ち上がろうとするとその度に悟飯から阻止されていた。地味に攻防していたのだが、名前が根負けした。
 一番知りたいことは悟飯の口から聞かされた。ならばもういい。
「そういや、ここ神殿だろ」
 真っ黒な部屋。闇色のランプ。しかし薄ぼんやりと見える柱はここ二日で見慣れた装飾。
「はい、そうですよ」
「こんな部屋あったか?」
 くるりと見渡す。暇つぶしにいくつか覗いた部屋は大体どれも似たような部屋ばかり。こんな雰囲気の部屋は見たことがない。
「ピッコロさんの部屋ですよ」
「いや何で。他にも使ってない部屋あるだろ」
「ありますけど、ここが一番夜に近いんで」
 ゆっくり眠れたでしょう。
 にこやかに言う。
 どんな顔でピッコロがこの部屋を提供してくれたのかを想像し、名前は胸を痛めた。弟子に甘いにも程がある。
「……今何時」
「あ、そんなに時間は経ってませんよ。あれから三、四時間ってところです」
 つまり、元気玉が完成し、悟空がブゥを倒してから三、四時間ということだ。何時からこうしていたのかは知らないが、悟飯には申し訳ないことをした。
 そんなことを考える名前は知らない。
 神殿に着いてから、というよりも、名前が意識を失ってから一度も。悟飯がその身体を誰かに預けるということをせず、片時も離さなかったことを。
 名前を抱いて現れた悟飯の姿にチチは引っくり返り、ビーデルはこめかみを引き攣らせ、他の仲間たちは乾いた笑いを洩らした。
 そして一斉に悟飯の気持ちを思い知る破目になったのだ。
「他の人たちはもう帰ったのか?」
「あ、いえ、まだいますよ。というかご飯食べてます」
 七年ぶりに帰ってきた夫、しかも生身の腹空かしの為にチチが豪快に腕を振るったのだと言う。
 絢爛豪華なその食事はそれこそサイヤ人二人とハーフ三人が総力を上げて胃袋に収めなければ片付かないような量らしい。
「そりゃ、さぞ豪勢だろうよ」
 ふ、と笑う。と。
 くぎゅるぉごっ。
「……」
「……」
「あの……」
「……はらへった」
 名前は腹を擦った。そう言えば暫くまともな食事をしていなかった気がする。
 ぷすぷす息を洩らしながら悟飯が名前を抱えなおし、立ち上がる。その震える頬を名前はちょっとばかし睨みつけた。
「笑いを堪えるならもっと上手くやれ」
「すいま、せ、いや、だって、か……」
「ろくすっぽメシ食ってなかったんだよ」
 わいい。
 言おうとしたが、それより先に名前の言い訳に塞がれる。
 残念なようでもあり、迂闊なことを言わずにすんでよかったようでもあり。
 何となく複雑な気持ちを抱えたまま、悟飯は短い廊下を小またに歩いていった。
 
 
 
 
 悟飯に抱えられたまま食堂(として使っているらしい部屋)へ入ると一気に視線が集中した。中央には主役のサイヤン二人がテーブルに就いてチチ作らしい料理をがっついている。周りではクリリン達が会話をしつつ料理をつまみ、その隣では食べ終えたらしい子供たちがトランプに興じていた。
 真っ先に気付いたのは勿論子供たち。
 手にしたトランプをほっぽり出して名前の元へと駆け寄った。
「姉ちゃんやっと起きたのかよ!」
「遅いよー、ご飯もうお父さんたちが殆ど食べちゃったよ」
 心配していたのだ、これでも。
 だが名前へと伸ばした手は寸前で石像のように固まった。
 固められたとも言えるかもしれない。
 微笑。ただそれだけで恐怖を振り撒くことの出来る人間などこの場には一人しかいない。
 何を言ったわけでもない。ただ、名前に触れようとした手にそっと微笑みかけただけ。それだけで、怖いもの知らずの無敵チルドレンの動きを止めてしまった。
 その場にいるほぼ全員が、悟飯の恐ろしさを思い知った瞬間でもある。が。それともう一つ。悟飯の思いの在り処。
 名前を見つめる目。細心の注意で以って抱えなおす腕。悟飯の全ての動きが名前の為だった。
 そんなものを見せ付けられて、悟らずにいられるほど鈍ちん揃いでもないのだ。
 しかし空気を読めない、もとい空気を読むことを知らない男もいる。
 皆のヒーロー、地球最強の蟹頭、こと孫悟空だ。
「おーい、ここに座れよ」
 悟飯の斜め後ろに立っていたトランクスはその額にぷっくりと浮き出した血管が動くのが見えた。が、表情に出さないのが孫悟飯という男である。
 名前の顔を見て、頷いたのを確認すると悟空の隣に位置する椅子に丁寧に座らせる。自分は勿論その逆隣の席に陣取った。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、ゆっくり休みましたから」
 笑って見せると悟空はちょっと考えるような素振りを見せ、「そうか」とだけ言った。
「ほれ食え、チチの飯はうめぇぞ~」
「はぁ、頂きます」
 もともとそのつもりだったのだ。悟空に勧められるまま、名前は両手を合わせ、箸を取った。
 そして一口。
「美味しい」
「だろぉ~」
 呟いた名前に悟空はにこにこ笑う。大好きな嫁さんの料理を誉められたのが嬉しいらしい。
 ちなみにこの場合の「大好き」は嫁さんにも料理にもかかる。閑話休題。
「ほれ、これも食え。あとそっちのも、あれも上手ぇからな」
「いや、そんなに沢山は……」
 あれもこれもそれもどれも。自慢の愛妻料理を勧めてもらえるのはありがたいが、名前の胃袋は平均的地球人女性のそれか、多少小さいくらいなのだ。
「そう言えば名前さんもあんまり食べませんよね。ダイエット中ですか?」
「自分の胃袋が異常だっつことにまず気付けや」
名前さんが小食なんですよ。僕デンデに聞いたんですからね」
 鋭く突っ込む名前に悟飯がじわりと切り返す。何となくじっとりと睨み付けられる。名前はちょっと怯んだ。
「なにをだ」
「……ウェハース三枚」
「あぁ、そのことか」
「そのことかじゃないでしょう、ご飯食べないなんて、大変なことなんですよ。
 ご飯食べないと元気出ないんですからね」
 ぷりぷり怒る。名前のことを心配して言ってくれているのはわかるしありがたいとも思うのだが。
 お前が心配でろくすっぽ食えなかったんだよ。
 とは口が裂けても言えないのが名前だ。
「だから今食ってんだろ」
「そう言えばそうですね」
 頷く悟飯を呆れた目で見ながら名前はシメジのベーコン巻を頬張った。自分で言ったこととはいえあっさり納得しすぎだろう。
 悟飯も頷いた後で何か違うことに気付き、あれ? と首を傾げる。が、先手必勝と言う言葉は武道家の為だけに存在するわけではないのだ。
「お前食ったのか?」
「え、そうですね、さっきちょっと」
 名前の側から動かない悟飯の為にビーデルが皿を運んでくれたのだ。しかしここでビーデルの熱視線に気付かないのが悟飯クオリティ。哀れなものである。
「そうか。ならまだ入るだろう。ほら」
 名前が手に持ったフォークでレバーを突き刺し悟飯の口元に運ぶ。
 それを見た悟空はちらりと自分の嫁さんを盗み見て綺麗に無視され、ベジータは丁度口に入れていた箸を奥歯で噛み砕き、気を利かせたデンデから新しい箸を受け取った。クリリンは一八号の視線に照れ笑い。どうやら自分たちも家では同じ事をしているらしい。
 実際は名前がレバーが苦手なだけという色気も何もあったものじゃないのだが。しかしそんなことを知っている人間などこの場には悟飯しかいない。
 そしてその悟飯は。
「はい、頂きます」
 とてもいい笑顔で口を開けて大きなレバーを一口で頬張った。
 大好きな母の料理。大好きな名前の手ずから。
 ここで断っては男が廃る。などということは全くないのだが、悟飯の頭には断るなどという選択肢はそもそも存在していない。
 もきゅもきゅごくん。美味しい料理を噛み締め嚥下する。
「次はどれだ」
「えーと、あのから揚げ」
「ほら」
「はい」
 まるで母鳥から餌を与えられる雛のように。悟飯は名前の手から与えられる料理を幸せ一杯の顔で頬張る。
 いやお前目の前に箸もフォークもナイフもあるだろう。という良識的な意見も「次は何を食べたい」と聞く名前自身によって封じられる。
 ヤムチャはわしゃわしゃ髪をかき混ぜた。
 恋愛経験豊富だろうと、恋する乙女の考えが読めることはないらしい。
 まったくのポーカーフェイスにどんだけ意地っ張りだよ、と苦笑する。武道会で倒れた悟飯に制止を振り切り駆け寄ったのと同一とは思えない。
 スポポビッチ程度で顔色を変えていた名前が、魔人ブゥと相対してその後でこうまでも自然体でいられるというのが既にヤムチャの予想外だ。例えふとっちょブゥに今は危険がないといっても、だ。
 でも気付く。一瞬。ふとした拍子に、名前の目が悟飯を捉えて微笑む一瞬があること。
 納得した。嫌っちゅーほど納得した。
 そう言えば魔人ブゥと対面した時の名前の側には悟飯がいたのだとデンデに聞いた気がする。
「なぁクリリン」
「はい?」
「悟飯もやるなぁ」
 ヤムチャは思わずそう呟いた。クリリンは少し驚いた顔をして頷いた。彼女いない歴約三〇年の経験から『一六歳で彼女持ちなんて』という頷きだったのだが、ヤムチャの考えていたこととはちょっと違う。
 絶大なる安心感。
 それはヤムチャや仲間たちが悟空から常に与えられているものだ。勿論悟飯もだろう。しかも本人は意識せずに。
 どれだけの偉業なのだろう、とヤムチャなどは思うことがある。凡人の不安を些末事と笑い飛ばし、他人の勝手な期待にもびくともしない。
 それでも名前は悟空よりも悟飯を選んだのだ。選んだと言う表現も可笑しな話だが。優先順位の最上位に悟飯がいるのは間違いない。
 悟空ですら拭えなかった恐怖を悟飯は存在のみで打ち払い、どころか。
「そういやさ、あれって魔人ブゥじゃねーの?」
「はい、サタンさんの家族になるそうです」
 言葉自体は間違いではないのだが、あまり楽しい想像には至らない言い方だ。それは兎も角。
「ふーん」
 それはよかった、とでも言うように。あれだけ暴力に怯えていた少女が、その元凶の半身と同じ場所にいるというのにどうでもよさそうな顔で気のない返事をする。
 もういいのだと。お前が無事ならそれでよかったのだと言葉にはせず盛大に宣言されているようで、ヤムチャは自分のことでもないのに照れ笑いがしたくなった。
 そんな感傷を吹き飛ばすのも名前なのだが。
「よかったビーデル、豊満なお母さんが出来て」
 それまで遠くで複雑な顔をしていたビーデルに真顔で話しかける。冗談なのか心底思っているのかが分からないところが恐ろしい。実際冗談なのだが。
「嬉しくないわよ! ていうかお母さんってなに!!」
 椅子を鳴らして立ち上がり、ビーデルが慌てて声を荒げる。
「家族になるんだろ」
「間違っちゃいないけど違うわよ! 悟飯くん!!」
「え、でも他にどう言えば……」
「一緒に暮らすとか、うちで引き取るとかそういうのでいいの! 何よ家族って! あんなお母さんいらないわよ!」
 ダンダンダン! と地団太を踏む。まるでヒステリーだ。
「あんま暴れると疲れるだろ」
「あんたの所為でしょ! それよりもっと食べなさいよさっきから悟飯君に食べさせてばっかで自分じゃ食べてないじゃない」
「あ! そうですよ名前さん、僕ばっかり食べてちゃ駄目なんですよ! 名前さんが食べないと」
 名前が上手く逸らした話をビーデルが蒸し返す。
「イエワタシモウオナカイッパイデスカラー」
「いーから食べるの! 悟飯君今のうちよ!」
「はいビーデルさん!」
「離せビーデル! ピーマンはやめろピーマンは!!」
 高校生三人が料理を片手に暴れる姿は行儀がいいとは言えない。が。
「あいつ元気になってよかったな」
「んだ」
 のん気な夫婦は喚く名前と笑う悟飯たちの姿にのんびり頷きあった。
 眠り続ける名前と、その側を離れない悟飯。そしてそんな二人を暗い目で眺めるビーデル。悟空とて心配はしていたのだ。大人として。
 だから今のこの騒ぎは悟空にしてみれば「元気で大変よろしい」ということになるわけだ。
 チチも夫のそんな思いに同意する。子供は元気が一番なのだ。それでお勉強が出来ればもっといいけれど、悟飯にはもうそんな心配はいらないし。
「にがっ!」
「じゃあ次は蜂蜜トーストで」
「食い合わせ最悪!」
 次から次へと口に料理を突っ込まれる名前に同情しつつ、じっとみつめてくる旦那の口に玉子焼きを一つ放り込んでやった。

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