No.24

DB

持つ者、持たざる者
「ビーデルさん! 棄権するんだ!!」
 悟飯の叫び声が聞こえる。
 してたまるか。
 ビーデルは折れた歯を吐き出しながら思った。
 まだ初戦なのだ。この後、三回も試合がある。こんなところでもたついていられない。
 これしかないのだ。
 悟飯の気持が名前に傾いているのは知っている。見れば分かる。分かるが、だからそこではいじゃあね、なんてあっさり気持ちの切り替えなど出来るわけがない。そんなに簡単な気持ちじゃなかった。と、今思い知っている。
「ビーデルさん!」
 名前を呼ばれるのが嬉しい。こんな時にナンだけど。
 例えば悟飯が嬉しそうに図書室に行くとき。ビーデルは彼を止めることも出来なければ共に歩くことも出来ない。
 人に気を使わせるのが嫌いな性質なのだ。ビーデルが付いて行けば彼らは決して嫌な顔はしないだろうけど、決してビーデルに分からない話題も出さないだろう。
 名前の知られていない作家や評価の高まりつつある学者、とある分野でよく使われる言い回しや分かり辛い表現に対する文句。そんなのも全部封じ込めて、ビーデルのレベルに合わせて話してくれる。
 それがたまらなく嫌だった。
 ビーデルにだってプライドはある。ミスターサタンの娘としてじゃなくてビーデルとしてのプライドだ。
 誰もが当たり前のようにミスターサタンの影を見る中で、悟飯はミスターサタンの影どころかビーデル自身さえも見ていなかった。人は悔しさをバネに強くなるとはよく言ったものだ。お陰で悟飯のことが気になりだしたのだから。
 しかしビーデルは出遅れ、望んだ場所にはビーデル以外の少女が無愛想に立っていた。
 だから、これしかない。
 この試合さえ勝てば、次は悟飯との試合なのだ。
 左肩から先の感覚はもう全く無いけれど、せめてこの相手に勝てば、悟飯と試合が出来る。
 名前は本が好きで、武道が苦手。ビーデルは読書は好きではないけれど、武道が得意。
 自分に出来ることで勝負しないでどうやって勝てるというのか。単純な勝ち負けで判断出来ることじゃなくても、少しでも自分の良い所を知ってもらいたいというのは恋する乙女の自然な感情じゃないだろういか。そのアピール方法が些か荒っぽいのは承知の上、だってこれしかないのだから。
 だから、
「邪魔、しないでよ……っ」
 もたつきながらも何とか立ち上がる。が、鳩尾に一発くらってまたダウン。喉の奥から熱い塊がこみ上げた。
 まずい、と思ってもだからどうこう出来るというわけでもない。再び立ち上がろうとするがその背を大きな足で踏みつけられてリングに貼り付けられてしまった。
 悔しい。折角いいところを見せようと思っても、逆にボロボロにされて。いいところどころかみっともない所を見せている。
 せめて健闘出来ていたなら。そんな弱気な考えが脳裏を過ぎった時。
「死ぬ気かテメェ!!」
 驚いた。心底驚いた。驚きのあまりスポポビッチを跳ね除けて、その頭に踵落としを食らわせてしまった程度には驚いた。その後すぐに振り投げられてしまったけれど。
 ビーデルの鼓膜が確かなら、今の声は。
 スポポビッチに意識を向けたまま、聞こえた声の持ち主を探そうとする。が、出来なかった。
 がつん、と頭に衝撃が走った。頭が痛い。このまま割れてしまうんじゃないだろうか。そう思った。
 殆ど意識を失いかけていた時、急に体が浮いて柔らかいものの上に寝かされた。
 そこで漸く自分は負けたのだと知る。
 運んでくれたのが悟飯ということは何となく分かった。
 良かった、嫌われていない。ビーデルは悟飯に食べさせてもらった仙豆を咀嚼しながら思った。
 あれだけみっともない姿を見せたのだから、情けない奴と思われたかもしれない、と悲しかったのだ。
「な、治ってるー!!」
 ベッドの上に立ち上がる。驚く看護士と父親の顔もはっきり見える。
「って、こうしちゃいられない!」
 悟飯の応援に行かなければ。慌てて靴を履く。
「お、おいビーデル、あんな奴パパは許さんぞ!?」
「じゃ、行ってきます」
 喚く父親を無視して医務室を出る。子煩悩な父には悪いが、娘にも引けない時というものがあるのだ。
 ビーデルの鼓膜が確かなら、あの時の声は。
 名前だ。
 確信する。なんだ、と思った。結局悟飯が心配なんじゃないか。
 そうと分かればこんなところで油を売っているわけにはいかない。失地回復しなければならないのだから。
 何となく、笑みが零れてきた。
 相手になどされていないのかと思っていた。ビーデルがどんなに焦っても歯牙にもかけられていないのだと思っていた。けれど違うのだと。名前も同じように不安も苛立ちも抱えていたのだと。
 やっと分かった。
 でなければ、こんな所までくる筈がない。
 イレーザたちの誘いは断ったと聞いた。なのにいる。
 どれだけ負けず嫌いなのだろうか。そう思うと更に愉快だった。
 武舞台へ続く廊下をかける。もう少し。悟飯は次の相手に勝って、あいつをやっつけると言ってくれた。ビーデルにはそれを見届ける義務があるのだ。
 早く。もつれる足ももどかしく、悲鳴にも似た足音を立てて廊下を一気に駆け抜けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 周囲のきょとん、とした顔に名前は我に返った。
 ヤムチャの大きな手に目隠しされて。中々外されぬ手に苛ついた。
 ヤムチャに対してではなく、ビーデルに。
 ビーデルに勝ち目など無いということは素人でも分かる。素人以前の名前でも。
 あれだけの悲鳴を上げて、肩を潰されて、それでも「降参」の一言を言わない。
 意地っ張りなのか、プライドが高いのか。負けず嫌いということはよく分かる。けれど相手にもよるだろう。
 これが悟飯とだったなら。やっぱりこうなるまで降参しないのだろうか。いや、悟飯ならビーデル、というか女相手にここまで痛めつけることなどしないだろうが。
 そう考えるとちょっと苛っとした。
 悟飯ならば、手加減をせず、それでも自分との力の差を見せ付けるのだろう。気を使って、なるべくビーデルが傷つかないように。
 また更に苛っとする。
 自分はあの場所に並んで立つことは出来ないと知っているから。
 これは名前のエゴだ。ビーデルが自分の意思で戦いを続けて、悟飯がそれを見届ける。そこに名前は関係ない。
 名前は武道なぞ興味が無い。殴るのも殴られるのも嫌いだ。ツッコミは兎も角。
 だから、殴られても笑って「強いな」「お前こそ」なんて言う連中は嫌いだったし、自分の欲望の為に暴力を振るう奴なんて言語道断だと思っている。勿論今でも。
 しかし、だ。
 ふるわれる暴力に対抗するには、同じかそれ以上の力を持っていなければ止めることも出来ないのだ、と。思い知った。思い知らされた。
 震えるだけの名前を救ったのは、あの衝立の向こうで多分きっとハラハラしてるかイライラしてる、サングラスの似合わない男。
 そいつの動揺は全てビーデルの為。それだけのものを向けられいているのに。
 こんな相手に殺されるなんて許さない。
 思った瞬間に叫んでいた。
 ゆっくりと光が目に入ってくる。それと同時に試合終了のアナウンスが流れた。結果は勿論ビーデルの負けだ。
 観衆の安堵が広がる。ビーデルが負けたことよりも、殺されずに済んだ無事を喜ぶ。それだけ彼女が愛されているということだ。
 控え室への通路から悟飯が飛び出し、ビーデルを抱えて医務室へと運んでいく。
 名前はホッとしたような、心臓が締め付けられるような、二つの感触が嫌で、離れていくヤムチャの手を目で追う。すると楽しそうに笑う顔とぶつかった。
「今の、見えた?」
 今の、と言われても分からない。名前の視界が開けたのはたった今だ。
 首を横に振るとヤムチャはくつくつ笑った後で教えてくれた。
「すごい、踵落とし」
 ビーデルが、だろう。でなければこんなに楽しそうにしているはずがない。
名前ちゃんのさ、大声にびっくりして踵落とし」
「何ですか、それ」
 びっくりして踵落とし。ぶっちゃけ有り得ない。
「彼女は大丈夫だよ。多分、悟空が仙豆持ってきてくれるだろうから」
「仙豆……?」
「ま、万能薬みたいなもん。すぐ良くなるさ」
「はぁ……」
 万能薬と言われても、名前にはピンと来ない。一先ず、修羅場が終わったことにただ安堵した。
 小さくため息を吐いたところで、そう言えばマーロンの目を塞いだままだったことに気付いた。慌てて手をずらせば、案の定少し拗ねたような顔。
「……ごめん」
「………あのお姉ちゃん、大丈夫?」
 やはり武道家の娘らしい。ビーデルの受けたダメージが並々ならぬものと理解している。
 拗ねた口調ながらも気遣いを見せるマーロンに、名前はぎこちなく笑みを作って「大丈夫だよ」とヤムチャと同じ言葉を囁いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 アノ馬鹿ガー。
 名前はボソリと呟いた。
 言ったはずだ。自分は確かに言った記憶がある。そしてそれは伝わったはずだ。が。
「頑張れよごはーん!」
 シャプナーが大声で叫ぶ。声量の割りに気が入っていないのは、ここで悟飯が負けると思い込んでいるからだろう。
 確かにアレが勝つとは思わんわな。
 名前は唇の端を引き攣らせながら悟飯を見る。既に武舞台の上にはバンダナとサングラスをつけたグレートサイヤマンの姿は無い。妙ちきりんな格好をした高校生の姿があるだけだ。
 対戦相手は顔色の悪いおっさんその二だ。余裕の表情で悟飯を見つめている。
 試合開始の合図と共に悟飯が構える。が、相手は構えるどころか何か話しかけている。
 名前は首をかしげた。他の観客も何だ何だと身を乗り出す。その距離では乗り出しても二人の会話が聞こえるということもないのだが。それが人の習性というものだ。
 中々試合が始まらないもどかしさに野次を飛ばす観客にチチが怒鳴り返したりしているうちに話もまとまったらしい。しばし躊躇を見せた悟飯だが、意を決したように気合を入れだした。
 じわじわと空気が変わる。
 何か異変が起こっているということを感じ、名前は眉を顰めた。ゆっくりと押し寄せてくる圧迫感。周囲の観客も同じように感じているらしい。
 次の瞬間、悟飯の髪が金色に染まった。
 観衆が一斉に息を呑む。
 その中で名前は小さくため息を吐いた。あーあ、というやつだ。
 子供の部で既にトランクス、悟天が髪を逆立て金色に染めている。その時点で何となく、とは思っていたのだ。
 名前とてサタンシティに現れた謎の正義の味方の噂を聞かないほど人付き合いが悪いわけではない。そして目の前で見せ付けられた非常識な力、変化する髪の色。
 読書で鍛えた想像力は微妙な形で正解を生んだ。
 しかし、だ。悟飯は目立つのは好きじゃないはずだ。それにこうして正体を明かして、騒がれないでいると思うほど鈍くも無い。
 ということは、正体が知れるリスクを犯してでも「金色の戦士」になる必要があったということだ。
 それだけ強い、ということだろうか。あの顔色の悪いおっさんが。
 名前が首を傾げた時、武舞台の端から飛び出す影があった。

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